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理事長選の行方 2 芝田山親方定年後は、出羽海一門から理事長を出す番。その場合、現職理事らは定年が近い為、若い藤島親方(元大関武双山)が最有力。その次は二所ノ関一門の番となると、同一門の総帥を務める元横綱・稀勢の里こと二所ノ関親方が40代で大抜擢される可能性もある」(相撲専門誌記者) だが、これを猛烈に警戒しているのが白鵬だという。 「横綱として圧倒的な実績を誇る白鵬が、稀勢の里に理事長の座を越されるのは許しがたい。ただ白鵬が属する伊勢ヶ濱一門は最弱小一門。トップを獲るには “ウルトラC”しかなく、理事選出馬宣言も、その一環。今回は断念したものの、外国出身親方を中心に白鵬に票を投じる約束した親方もいたそう。機を見て、再び “白鵬の乱”を起こすのでは」(後援会関係者) との記事でした。
相撲協会理事長選に異変? 〈相撲専門誌ではないので不確かではありますが〉 「当初は八角理事長(元横綱北勝海)の再選(5期目)と思われましたが、風向きが変わってきたようなんです」(相撲専門誌記者) 八角理事長は 2015年から8年以上、協会のトップに君臨。「現在60歳で、65歳の定年まで、もう2期務められますが、本人は周囲に“理事長は、もう辞める”と漏らしているんだとか」(前同) その裏には相撲協会の不祥事が関係しているという。 「相撲協会は昨年、労働基準監督署から計5度の立ち入り調査を受け、同年12月26日に是正勧告を出されています。これは、税制優遇措置のある公益法人の認定をはく奪されかねない事態です」 「八角理事長の参謀役で、協会No.2の事業部長も務めた尾車親方(元大関琴風)は 2022年に定年。後ろ盾もいない中、不祥事の矢面に立つのは正直、疲れたというのが本音では」(前出の相撲専門誌記者) では、次期理事長は誰か? 順当にいけば、協会No.2で61歳の芝田山親方(元横綱大乃国)が最右翼」(前同) 「そもそも理事長の座は、角界2大派閥の出羽海、二所ノ関両一門が牛耳ってきた。弱小派閥高砂一門の八角親方が理事長になれたのも2大一門の後ろ盾を得た為です」(協会関係者) 二所ノ関一門の芝田山親方が理事長になれば、両一門の“持ち合い制”に戻ることを意味する。 つづく
函館に転勤になった時にお世話になった割烹松源のちゃんこはほんとに旨かった。 松源の息子と大学同じで東京で仲良くなりその縁で函館に転勤になった時に自炊苦手だったのでほんとに美味いもの食べさせてもらった。 ほんまに大昔の話だが味は忘れないで覚えている。 この舌が忘れていないってとこかな。と
お多幸さんの茶飯(ちゃめし)、美味しかったですねえ。 私がお店に入ると、桂小金治さん似のオヤジさんが「へい、いらっしゃあーい、大根嫌いなお客さん!」と出迎えるんです。私の名前を知ってるのにわざとそう言うんです。するとカウンターの飲み客が『えっ?大根を嫌いなお客さんなんているの?へえー、旨いのに。そういえば今日まだ大根食べてなかったな。オヤジさん、大根ちょうだい』って大根が売れるんです。壁の品書きには大根だけが “時価”と書かれてる。大根が苦手だった当時の私にとっては 〈味が染みたって言っても売れ残ったから二日も三日も経った大根が高いなんて いかがわしい!〉と否定的でした。その私を、大根で からかって売上を上げてるので、オヤジさんに からかわれる度に、脚の悪い女将さんに ひと皿サービスしてもらってました。オヤジさんとは相撲談義もしました。大柄な息子さんがいたので『息子さん、力士になれそうですね』なんて会話しましたね。 会計して店を出る時は毎回オヤジさんが『ありがとうございましたぁ。また明日大根食べに来てね』と大きな声で送ってくれました。おかげで銀座2丁目・3丁目界隈で “大根嫌いなノッポのサラリーマン”として有名になっちゃって、かなり閉口しました。 今はもうとっくに大根を大好きになってます。お多幸さんのおかげですね。
能登半島大地震 石川県の避難所に大の里や遠藤・輝の3力士が訪れました。 穴水町出身の遠藤(追手風)が6日、能登半島地震の避難所などを訪問。幕内・大の里(二所ノ関)、十両・輝(高田川)らと、内灘町、七尾市を訪問後、最後に地元へたどり着いたとのこと。 避難民の方々姿を見ると「必死なのはわかっているんだけど、みんな元気だった。住民から僕が励まされた」と思いの丈を語りました。 避難所では地元相撲クラブの先輩・東大晃さんに約20年ぶりに再会。 遠藤は思わず「おおー!」と見開いた。ただ家の状況が芳しくないことを知ると表情を曇らせた。 初対面で避難している4人の子どもたちと記念撮影し、労った(ねぎらった)。 遠藤は「地元のために一緒に頑張ろうと思う」。 大阪での春場所(3月10日初日)で好成績をあげ、穴水町に元気を与える。 大の里も久しぶりに祖父と対面し、おじいちゃんとの写真を撮ったり談笑。避難所の方々からの人気は遠藤に負けず劣らず。赤ちゃんを抱き上げたりサインをしたり、幼馴染みと話に花を咲かせてました。 お相撲の顔を間近で見ると何故だか元気がでるものです。不思議なものですねえ。
超大盛ラーメンの時計台さんは、銀座5丁目の日産ギャラリーの裏(昭和通り寄り)の路地にあります。 ロードス村さんは、まだカラオケ機器が各店に揃う前で、ギターの弾き語りをしていました。銀座7丁目か8丁目の銀座通りに面したビルの地下1階にありました。お客さんのキーに合わせて音階を調整してギターを弾いてくれたり、乗りがいいお客さんの歌にはアップテンポにしたり、、という 器用なギタリストさんがいましたねえ。 懐かしい思い出です。
カラオケも最初はエイトトラックでそれからディスクになり段々進化して今の様になった。 本から番号選ぶのにそれなりのママが突如メガネかけて探していたり。 今は曲数も多いしなんでもありだがレアな歌歌うお客さんの歌がなかったりして不機嫌になるからその歌が入っている店チェックしたり、何とも懐かしい思い出だ。 当時はまだギターの生演奏で歌うのが主流でピアノは高級な所しかなかったし、ましてや演歌のうたばんなどは余りやってなかった。 グランドだと大きな店でないと置いてなかったし、アップライトのピアノにして小さい所でもやり始めた頃だとたが、古い歌は知らなかったり弾き手もすくなかった。 あの雰囲気は好きだったけどな。 懐かしの銀座だ。 随分前だけど先日亡くなった朝潮太郎さんとたまたま一緒に飲んだ事があり、酒の強さと歌のレパートリーの多さにびっくりしたのも楽しい思い出だよ。 あの頃の銀座は雰囲気よかった。
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理事長選の行方 2
芝田山親方定年後は、出羽海一門から理事長を出す番。その場合、現職理事らは定年が近い為、若い藤島親方(元大関武双山)が最有力。その次は二所ノ関一門の番となると、同一門の総帥を務める元横綱・稀勢の里こと二所ノ関親方が40代で大抜擢される可能性もある」(相撲専門誌記者)
だが、これを猛烈に警戒しているのが白鵬だという。
「横綱として圧倒的な実績を誇る白鵬が、稀勢の里に理事長の座を越されるのは許しがたい。ただ白鵬が属する伊勢ヶ濱一門は最弱小一門。トップを獲るには “ウルトラC”しかなく、理事選出馬宣言も、その一環。今回は断念したものの、外国出身親方を中心に白鵬に票を投じる約束した親方もいたそう。機を見て、再び “白鵬の乱”を起こすのでは」(後援会関係者)
との記事でした。
相撲協会理事長選に異変?
〈相撲専門誌ではないので不確かではありますが〉
「当初は八角理事長(元横綱北勝海)の再選(5期目)と思われましたが、風向きが変わってきたようなんです」(相撲専門誌記者)
八角理事長は 2015年から8年以上、協会のトップに君臨。「現在60歳で、65歳の定年まで、もう2期務められますが、本人は周囲に“理事長は、もう辞める”と漏らしているんだとか」(前同)
その裏には相撲協会の不祥事が関係しているという。
「相撲協会は昨年、労働基準監督署から計5度の立ち入り調査を受け、同年12月26日に是正勧告を出されています。これは、税制優遇措置のある公益法人の認定をはく奪されかねない事態です」
「八角理事長の参謀役で、協会No.2の事業部長も務めた尾車親方(元大関琴風)は 2022年に定年。後ろ盾もいない中、不祥事の矢面に立つのは正直、疲れたというのが本音では」(前出の相撲専門誌記者)
では、次期理事長は誰か? 順当にいけば、協会No.2で61歳の芝田山親方(元横綱大乃国)が最右翼」(前同)
「そもそも理事長の座は、角界2大派閥の出羽海、二所ノ関両一門が牛耳ってきた。弱小派閥高砂一門の八角親方が理事長になれたのも2大一門の後ろ盾を得た為です」(協会関係者)
二所ノ関一門の芝田山親方が理事長になれば、両一門の“持ち合い制”に戻ることを意味する。
つづく
先場所観戦してきたチビにちゃんこ食べさせてあげたいので近場のちゃんこやさんあったら教えて下さい。
武隈部屋のある場所です。
函館に転勤になった時にお世話になった割烹松源のちゃんこはほんとに旨かった。
松源の息子と大学同じで東京で仲良くなりその縁で函館に転勤になった時に自炊苦手だったのでほんとに美味いもの食べさせてもらった。
ほんまに大昔の話だが味は忘れないで覚えている。
この舌が忘れていないってとこかな。と
お多幸さんの茶飯(ちゃめし)、美味しかったですねえ。
私がお店に入ると、桂小金治さん似のオヤジさんが「へい、いらっしゃあーい、大根嫌いなお客さん!」と出迎えるんです。私の名前を知ってるのにわざとそう言うんです。するとカウンターの飲み客が『えっ?大根を嫌いなお客さんなんているの?へえー、旨いのに。そういえば今日まだ大根食べてなかったな。オヤジさん、大根ちょうだい』って大根が売れるんです。壁の品書きには大根だけが “時価”と書かれてる。大根が苦手だった当時の私にとっては 〈味が染みたって言っても売れ残ったから二日も三日も経った大根が高いなんて いかがわしい!〉と否定的でした。その私を、大根で からかって売上を上げてるので、オヤジさんに からかわれる度に、脚の悪い女将さんに ひと皿サービスしてもらってました。オヤジさんとは相撲談義もしました。大柄な息子さんがいたので『息子さん、力士になれそうですね』なんて会話しましたね。
会計して店を出る時は毎回オヤジさんが『ありがとうございましたぁ。また明日大根食べに来てね』と大きな声で送ってくれました。おかげで銀座2丁目・3丁目界隈で “大根嫌いなノッポのサラリーマン”として有名になっちゃって、かなり閉口しました。
今はもうとっくに大根を大好きになってます。お多幸さんのおかげですね。
能登半島大地震
石川県の避難所に大の里や遠藤・輝の3力士が訪れました。
穴水町出身の遠藤(追手風)が6日、能登半島地震の避難所などを訪問。幕内・大の里(二所ノ関)、十両・輝(高田川)らと、内灘町、七尾市を訪問後、最後に地元へたどり着いたとのこと。
避難民の方々姿を見ると「必死なのはわかっているんだけど、みんな元気だった。住民から僕が励まされた」と思いの丈を語りました。
避難所では地元相撲クラブの先輩・東大晃さんに約20年ぶりに再会。
遠藤は思わず「おおー!」と見開いた。ただ家の状況が芳しくないことを知ると表情を曇らせた。
初対面で避難している4人の子どもたちと記念撮影し、労った(ねぎらった)。
遠藤は「地元のために一緒に頑張ろうと思う」。
大阪での春場所(3月10日初日)で好成績をあげ、穴水町に元気を与える。
大の里も久しぶりに祖父と対面し、おじいちゃんとの写真を撮ったり談笑。避難所の方々からの人気は遠藤に負けず劣らず。赤ちゃんを抱き上げたりサインをしたり、幼馴染みと話に花を咲かせてました。
お相撲の顔を間近で見ると何故だか元気がでるものです。不思議なものですねえ。
超大盛ラーメンの時計台さんは、銀座5丁目の日産ギャラリーの裏(昭和通り寄り)の路地にあります。
ロードス村さんは、まだカラオケ機器が各店に揃う前で、ギターの弾き語りをしていました。銀座7丁目か8丁目の銀座通りに面したビルの地下1階にありました。お客さんのキーに合わせて音階を調整してギターを弾いてくれたり、乗りがいいお客さんの歌にはアップテンポにしたり、、という 器用なギタリストさんがいましたねえ。
懐かしい思い出です。
緑が丘のちゃんこしげまつ、銀座の玉海力、白鵬の鵬、東中野北の富士さんのちゃんこや、後北海道に行った時行ったちゃんこや(昔なので名前忘れた)千代の富士のちゃんこや心技体、みなそれぞれ旨かった。
新入幕で敢闘賞の大の里や
輝・遠藤・竹縄親方(栃乃洋)
被災地・石川県を訪問しました!
被災地の人皆さんには嬉しいです!
これからも頑張って下さい♪
カラオケも最初はエイトトラックでそれからディスクになり段々進化して今の様になった。
本から番号選ぶのにそれなりのママが突如メガネかけて探していたり。
今は曲数も多いしなんでもありだがレアな歌歌うお客さんの歌がなかったりして不機嫌になるからその歌が入っている店チェックしたり、何とも懐かしい思い出だ。
当時はまだギターの生演奏で歌うのが主流でピアノは高級な所しかなかったし、ましてや演歌のうたばんなどは余りやってなかった。
グランドだと大きな店でないと置いてなかったし、アップライトのピアノにして小さい所でもやり始めた頃だとたが、古い歌は知らなかったり弾き手もすくなかった。
あの雰囲気は好きだったけどな。
懐かしの銀座だ。
随分前だけど先日亡くなった朝潮太郎さんとたまたま一緒に飲んだ事があり、酒の強さと歌のレパートリーの多さにびっくりしたのも楽しい思い出だよ。
あの頃の銀座は雰囲気よかった。