大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,703件

  1. #155052 | KON |
    横綱昇進基準の曖昧さ 北の富士さんの師匠 千代の山も………… 昭和24年10月場所に新大関で13勝2敗の好成績で優勝、翌場所(翌25年1月)でも12勝3敗で優勝を遂げたのに 現在の基準でいえば “大関で連覇しながら昇進していない”。 これは「前田山」引責引退と当時の横綱の成績不振で、横綱免許をめぐる協会と司家の間に起きた争いが原因で、昭和26年一月に協会が司家の免許授与権を取り上げて協会が推挙する形に決着し、その後の単発優勝で昇進させた特殊例。昇進時の成績は全く問題にならないけれど、大関で連覇しているので、救済昇進の形を取ったと思われますね。 そして、栃若時代として角界をけん引した栃錦と初代若乃花も………… 【44代横綱】栃錦 昭和28年1月 新大関で 11勝4敗 →昭和28年3月 14勝1敗で優勝 → 昭和28年5月 13勝2敗 =3場所38勝でしたが 横綱昇進見送り 【45代横綱】初代若乃花 昭和31年1月 新大関で13勝2敗 →昭和31年3月 12勝3敗で優勝同点 →昭和31年5月 12勝3敗で優勝 =3場所37勝でしたが横綱昇進見送られました。。。 この栃若も、後の旭富士や2代目貴ノ花(後の貴乃花)も、昇進となって当然の成績だったのに見送られましたが、なんとか気を持ち直して奮起し横綱に昇進しました。 つまり、協会の言い分としては 「無理矢理 横綱に挙げなくても、強い意志を持った力士はきちんと条件をクリアして自力で横綱になる」 ということらしい。
  2. #155050 | Y |
    ここで北の富士さんの話が出ると嬉しいです。 年々忘れられていくのが普通ですが何かあるとあの時はこういってくれたよね、とかこんな時は何て言ってくれたのかな?とか二人でよく話してます。そういう言葉も財産です。konさんのお話存命の頃に話したらソウカー自分では意識した事ないけどなーとか言って嬉しそうに笑うのが想像出来ます。人の面倒もよく見た様でご一緒した方が面倒みてもらいましたよという方が多くて、でも今はこの人の面倒みるのが楽しいよとか言うから、私は面倒みてもらってないけどとか心の中でさけんでました。とにかく男らしくて、一度だけ北の富士さんに内緒でとお勘定払って頂いたら、後からこっぴどく叱られてその人に返しなさいと言われてあーこれでもうここには来てもらえないなと思いました。と三日後にいらしてその話するとそんな事あったっけと惚ける!よかったと思っていたら帰り際二度とあの失敗は繰り返すなよと扇子て頭ポン、忘れてないじゃないとそれからはその失敗はしない、そうやって色々教えてもらいました。すみません長話になってしまいました。 コメントにあった佐田の山さんって今の佐田の山さんのおとっつぁんの2事ですか?
  3. #155049 | KON |
    全国都道府県中学生相撲選手権大会が9日、東京・両国国技館で行なわれ、全国の予選を勝ち抜いた中学生が個人戦(軽量級、無差別級)と都道府県対抗の団体戦で争った。。。 個人戦無差別級は、団体予選1~3回戦で2勝以上を挙げた選手67人(軽量級との重複除く)が出場。今年2月の白鵬杯3位の実績を持つ隍元哉(ほり・もとや、鳥取県・3年)が頂点に立った。 身長1メートル77、体重90キロの細身の体格ながら、突き押しや差しての寄り、投げなどで大型選手を次々に撃破。 準決勝では、小学生時代に無敵を誇った1メートル90、140キロの岡山裕弥(青森県・3年)を豪快な切り返しで破って場内を沸かせた。 決勝は、1メートル84、120キロの金子達紀(岐阜県・2年)と対戦。押し込まれる展開から残して左四つに組み止めると、土俵際で右から逆転の上手投げを決めた。 隍は京都府出身で中学から鳥取へ相撲留学。 現在大相撲の幕下上位で活躍する注目の若手力士・太秦(うずまさ、17=伊勢ノ海部屋)を兄に持つ。兄と体型は異なるが、軽量ながら中学日本一に輝いた隍元哉にも大きな注目が集まりそう。。。 昨年度2年生ながら当大会、全中、白鵬杯の3冠を達成したモンゴル出身の“史上最強の中学生”チルグン(鳥取県・3年)は、準決勝で金子達紀に敗れる波乱。。。 2011年の打越奎也(のちの小結・阿武咲)以来史上2人目となる大会連覇は果たせなかった。。。 大きいだけの学生相撲出身者が多くなってきてる角界に、筋肉隆々で俊敏なニュースターとなりそうな逸材が現れましたね
  4. #155042 | KON |
    横綱昇進基準の話 玉錦問題のあとも「横綱昇進基準の曖昧さ」は散見されます。 戦後の復興に向けて、大横綱双葉山の現役引退により大黒柱を失った相撲協会は、横綱昇進を乱発し、横綱審議会が出来たあとも 初代羽黒山や照國がいたのに 【41代】千代の山 11勝-8勝-14勝=優勝 (3場所33勝、直前2場所22勝「無印+優」) 【42代】鏡里 11勝-12勝=準優勝‐14勝=優勝 (3場所37勝 、直前2場所26勝「準+優」) 【43代】吉葉山 14勝=準優勝‐11勝-15戦全勝=優勝 (3場所40勝 、直前2場所26勝「無印+優」) と2場所連続優勝でもない大関を強引に横綱へ推挙した。 そこに番付をゆっくりと確実に上げてきた栃錦 1954昭和29年5月場所において14勝1敗の好成績を挙げ、大関では2度目、通算3度目の幕内優勝を果たす。場所後に協会は横綱審議委員会に栃錦の横綱昇進を諮問したが、当時横審の連続優勝に関する内規が成立してなく、 「ここで強いて横綱を五人つくるほど圧倒的な成績ではない」との理由で横綱推薦は否決。 この場所は東富士・千代の山・鏡里・吉葉山の4横綱が存在していた為、栃錦が横綱昇進すると前例のない5横綱時代が実現するところでした。翌9月場所は初日黒星の後は白星を重ね連続優勝を果たすと思われましたが、「横綱は5人も要らない」という理由で今度も横綱昇進を見送られるところでした。が、十四日目になって江戸っ子横綱の東富士が突然の現役引退を申し出た。それを聞いた栃錦も付け人を使者に立てて引退せぬよう説得したが、東富士の意思は変わらなかった。 そして、栃錦は吉葉山に勝利して14勝1敗でふた場所連続優勝を決め、場所後に第44代横綱へ昇進できたのでした。 つづく
  5. #155041 | KON |
    「横綱を決める基準の曖昧さ 緩くなったりキツくなったり」 横綱昇進基準の曖昧さ。。。 プロ野球の沢村賞投票と同様、協会と審査員の好き嫌いが赤羅様に出てる横綱昇進・見送り問題。。。 100% 読売巨人の陰謀だったのに読売新聞社に表立って刃向かえない各社の記者たちが矛先を江川卓投手に向け「江川卓が嫌いだから」という理由で投手4冠した年にも沢村賞に推さなかった…という、投票権を持った新聞記者達。。。 相撲でも少し古い話ですが、昭和初期に3場所連続優勝した玉錦を「品格に問題あり」として横綱推挙しなかった相撲協会。年2場所時代なので丸1年半以上も角界の頂点に君臨したのに横綱にさせず、その後、協会の不備だらけの金銭面や身勝手な高砂一門による運営への不満爆発で春秋園事件が勃発、2代高砂ら執行部が総辞職して手打ちとなつたが、断髪し脱退した力士の半数が復帰も実力力士が激減し復活後の場所は盛り上がらず、大関玉錦が8勝2敗→10勝1敗(優勝)→7勝4敗という平凡な成績ながら協会のご都合で横綱昇進させました。 つづく
  6. #155003 | KON |
    第52代横綱の北の富士勝昭さん 53代横綱の琴櫻とは48度も対戦して29勝19敗。。 学生横綱からデビューし彗星のように番付を駆け上がった天才輪島(=54代横綱)にも壁となって立ち塞がり 7勝5敗。 55代横綱となった北の湖は当時の数々の最年少記録を塗り替えた北の湖。 この北の湖に対しても4勝2敗とダブルスコアで勝ち越しました。 57代横綱となった三重ノ海には14勝2敗と圧倒! 絶大な人気を誇ったプリンス貴ノ花には13勝5敗。 大関清國とは37勝15敗と圧勝してました。 ほぼ同年代のクセ者大関大麒麟とは27勝15敗。、 後に大関となった大受とは12勝3敗。。 とにかく後輩力士に強かった北の富士さんでした。。。 この項 おわり
  7. #155002 | KON |
    「上には弱いが 下位力士には あまり負けなかった」北の富士さん 同郷北海道の大横綱大鵬には4勝16敗。 柏戸には幾分抵抗できたがそれでも10勝14敗。 北の富士さんが 出羽ノ海一門だった頃(のちに師匠千代の山について行って九重部屋として独立)の先輩佐田の山や栃光や栃ノ海には “くらい負け ” “ 先輩負け ”したのか 佐田の山に2勝4敗、栃ノ海にも2勝4敗、栃光に3勝4敗 同郷(同じ北海道出身)の先輩力士で吊りが得意だった “人間起重機” 明武谷に12勝14敗と苦戦、先輩大関の北葉山にも7勝7敗でした。 一方、ライバル玉の海とは22勝21敗、学生相撲出身の初代豊山とは14勝12敗、 そして 同期生の龍虎には幕内では13勝3敗と圧倒しました。 特に 北の富士さんの凄かったのは、ぐいぐいと伸びてきた “後の横綱たち ” に立ちはだかる壁として 強さを発揮したこと! それは…… つづく
  8. #155001 | KON |
    北の富士さんを回顧 一般社会では「下に強く、上に弱い」というのが多く見られます。 学校内でも会社内でも、ママ友のグループでも近所付き合いでも、力のある者や発言力・影響力のある者には逆らえないでいることがありますね。 政治の世界は尚更のようで、熊本県議たちの上納金もどきのカツアゲ疑惑が取り沙汰されて、恥ずかしくも情けない事実が露呈してきている。。 一方、大相撲の世界では 『上に強いが下には弱い』という例が散見され、横綱や大関をなぎ倒して旋風を巻き起こしながら同等及び格下の番付の力士たちに負けが嵩み、その場所を負け越してしまって殊勲賞を逃すという例をよく見かけます。 先場所(名古屋場所)の藤ノ川は、危うくその例にあたりそうになったが千秋楽に素晴らしい相撲で勝ち越しを決め殊勲賞受賞、安堵したものです。 その反対に 「上には弱いが下には強い」という力士がいます。 大関時代に“最強横綱”が君臨していて、その横綱になかなか勝てないという力士は少なくなかった。 白鵬や朝青龍が “1強”として君臨していたの大関たち、貴乃花・曙がしのぎを削っていた頃の大関たちや、 “最強の関脇”と言われた琴錦も「上には強いが下位力士に不覚をとる」ことが多かったし、千代の富士1強時代の大関たちもその例に洩れず、自身の横綱昇進が叶わなかった。 初代旭富士も“千代の富士に勝ててないから連続優勝出来てない”という理由で3場所39勝しても40勝しても横綱昇進を見送られ続けました。。。 そして昭和40年代はじめの頃の「上には弱いが下には負けない力士」の代表格が 北の富士さんでした。。 つづく
  9. #154996 | 砂かぶり |
    明日、23:25 BS101スポーツ×ヒューマン“角界の鉄人“玉鷲が、放送されます、お見逃しなく。
  10. #154972 | SAI |
    相撲で8月と言えば東北巡業の朝稽古ですが 青森県三本木農業出身の錦富士が休場は 東北のファンにとって寂しいと思います! この東北巡業でいい稽古をした力士が 残暑厳しい9月の秋場所でいい成績に なると思います? これからも頑張って下さい♪

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