大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 2,251件 』

  • 投稿者:KON

    相撲部屋あれこれ

    相撲部屋の名称と横綱四股名

    大相撲史上初の“一代年寄”を授かった大鵬、そして北の湖、貴乃花。

    “九重”を継ぎたいという強い意志を持って一代年寄を辞退した千代の富士を除く3名の一代年寄

    それぞれが「大鵬部屋」「北の湖部屋」「貴乃花部屋」を興しましたが、大鵬親方・北の湖親方が定年退職や死去・協会を退職などするとともに、部屋の名称は消滅し、同じ一門の親方に弟子たちを預ける形になりました。

    現在、存在する相撲部屋で、歴代の横綱の名前を拝しているのは
    元大関琴奨菊が興したばかりの「秀ノ山部屋」、
    元両国が親方をしてる「境川部屋」、
    元益荒雄が興した「阿武松部屋」の三つ。

    元横綱の四股名が年寄株として残っている「小野川」「不知火」「陣幕」が部屋を興せば、前述の三つの部屋に続くことになります。

  • 投稿者:KON

    今日、大相撲の(ほとんど)全てがわかる本が発売になりました。

    日本相撲協会100年史(「相撲」編集部/編)

    ベースボール・マガジン社販売部

    2025年12月3日発売
    BBM1360040
    B5並製288頁
    定価 4,950円(税込)
    ISBN:978-4-583-11779-9 C0075

    激動の100年!
    大正14年の財団法人設立から、日本相撲協会の歩みと変遷

    相撲協会という組織のあり方や社会における位置づけなどの視点から 、100年の歩みを6つの時代に分けて、主な出来事や流れ、各時代で活躍した力士など、各場所の概要ととも振り返る。
    土俵、本場所、勝負規定などテーマ別のコラムや記録、相撲部屋の変遥 、都道府県別幕内力士一覧など資料も充実。
    月刊誌「相撲」編集部が総力を挙げてつくった渾身の一冊!

    【目次】
    ◎日本相撲協会100年の歩み
    前史――江戸時代の相撲会所から財団法人設立に至るまで
    1.草創の時代(大正15年春~昭和20年夏)
    2.復興の時代(昭和20年秋~昭和34年11月)
    3.興隆の時代(昭和35年1月~昭和48年11月)
    4.安定の時代(昭和49年1月~平成3年11月)
    5.変化の時代(平成4年1月~平成23年1月)
    6.再起の時代(平成23年5月~令和7年9月)
    <各場所の詳細(496場所)&力士紹介(325人)>

    ◎100年テーマ史
    土俵/本場所/番付/勝負規定/取組編成/入門規定/優勝/巡業
    ◎資料
    データで見る相撲協会100年/相撲部屋の変遷/各年寄名跡の継承者一覧/都道府県別幕内力士一覧

  • 投稿者:KON

    元NHKアナウンサー、藤井康生氏(68)が11月30日、ユーチューブチャンネル「藤井康生のうっちゃり大相撲」を更新。第65代横綱貴乃花について語った。

    平成13年夏場所、貴乃花は十四日目に右膝半月板損傷の重傷を負い、師匠の二子山親方(元大関貴ノ花)から休場を勧められながら、優勝がかかっていた為、親方の指示を突っぱねる強い意志で千秋楽に強行出場。
    本割では横綱武蔵丸に簡単に突き落とされた。
    満員のお客様で埋まった国技館は悲鳴に包まれ、誰しもが“こりゃ 決定戦でも勝負にならない”と覚悟したものでした。
    2敗で並び優勝決定戦へ。立ち合い、いち早く左上手まわしを掴んだ貴乃花は武蔵丸に踠かれてもけっしてまわしを離さない。
    結果、豪快な上手投げで武蔵丸を土俵へ転がすと東の花道奥で歓喜する付け人たちのほうへ “ぐわっ”と両目を見開いた。
    内閣総理大臣杯を手渡した当時の小泉純一郎首相は「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!!」と絶叫し、優勝決定の瞬間に勝るとも劣らない大歓声が巻き起こった。
    日本中を歓喜の渦に巻き込んだ貴乃花でしたが、その後は7場所連続休場し引退へと至ったのは相撲ファンなら皆ご存知。

    藤井氏は「難しいのはその時代、その時代というものがあって、その時代に合わせた生き方を横綱もきっとしてきたんだと思いますし、貴乃花という横綱はきっと、ここで 足がもう駄目になっても…。膝も脱臼していて優勝決定戦、戦うわけですから『ここで力士生命絶たれてもそれで本望です』という形できっと出たんだと思いますよ。結局は1年以上休んで、また出てきてもそんなに土俵に立つことができなかったというところにね、それも命懸けでやったということなのかなという気もいたします」と明かしていた。

    ・・・
    藤井元アナは私と同じ年なので、同じように柏鵬時代をデュアルタイムでテレビで見て育ち、北の富士玉の海時代→輪島北の湖時代→千代の富士1強時代→曙貴時代からの若貴フィーバーを目にも記憶にも焼き付けてきた世代。
    共鳴できるコメントがとても多いです

  • 投稿者:KON

    来年2月の大相撲トーナメント

    2月8日に国技館で催される
    第50回日本大相撲トーナメント

    フジテレビの「大相撲トーナメント事務局」に問い合わせしたところ
    2階椅子席のB席=3700円 と
    C席=3100円が まだ残っているとのこと。

    今朝の10時から
    電話 03-5530-2052
    にて受け付け。

    今朝、知人がB席を二枚取れました!
    と喜んでました。

    まだ1枚・2枚なら入手できそうです

  • 投稿者:KON

    元横綱白鵬が主催する国際相撲大会「第16回白鵬杯」を来年2月7、8日に東京・青海のトヨタアリーナ東京で開催すると、大会実行委員会などが1日に発表。相撲を生涯スポーツとして楽しめる大会とするため、少年男子に加え、「女子の部」(小学1年生から中学生)と「成人の部・男女」(高校生、大学生、社会人)を新設する。
    白鵬は現役時代の2010年から開催。今年6月に日本相撲協会を去り、相撲を世界に広げるプロジェクトを展開する主旨で新会社を設立。9月に顧問として就任した国際相撲連盟が今大会を後援している。
    長年タニマチとして金銭的フォローをしてくれていたトヨタの会長のバックアップで今回もトヨタアリーナを使用できる

  • 投稿者:KON

    14歳の少年には、上京初日にあまりにも刺激が強すぎました。
    「大変なところに来てしまった」と思っても、もうどうすることもできません。親元を離れ不安な中で、これからどのように生活していくのか、いけるのか。

    出羽海部屋での生活に慣れていくのにも時間はかかりました。

    「慣れる前に、やっぱりつらかったねえ。食べる順番がやっと回ってきたら、おかずはないんだよね。寝ようと思っても、布団は油くさいし汚いし湿っているし……。稽古場の上がり座敷の板の間に、何人か並んで寝かされて、それはもう寒くてねえ。もう最初の晩から泣いてたよね。

    どうだろう、ひと月ぐらいかな、毎晩のように、北海道を思い出しましたよ。生まれ育った北海道の楽しいことばかりが目に浮かぶよね。夏は川で泳いで、冬は山でスキー。勉強もせず、遊んでばかりいたからねえ。楽しかった。それを思い出すと帰りたいよね。歩いてでも帰りたかった。でも海があるから無理だよね。もし帰れたとしても、旭川で見送ってくれた両親や友達に合わせる顔がない。旭川駅のホームには、三橋美智也の『リンゴ村から』って曲が流れてたと思うよ。万歳三唱で送り出してもらったからね。まさに出征兵みたいなもんですよ。逃げて帰れるはずもなかったね。これから東京でね、こんな相撲部屋生活が続くわけだから、遊ぶなんてことは考えられないって思うと悲しかったねえ。

    14歳、まだ子どもですよ。今、思い出してもつらかったよね。まあ、それでも3〜4年経ったら、少し遊びを覚えてきたけどね」

    話に「落ち」を付けるのも北の富士さんの名人芸でした

  • 投稿者:KON

    つづき

    特別大きな兄弟子の後ろをしばらく歩くと、千代の山関の自宅に到着します。立派な屋敷でした。兄弟子は「ここが、横綱の自宅だ」と言って帰って行きました。勝昭少年は玄関を開けて中に入ります。

    「そこでまた二度目のびっくりですよ。応接間に通されて、しばらく待っていたら、風呂上がりらしき千代の山関が入ってきた。髪の毛はバーッと垂らした洗い髪でね。腰にバスタオルを巻いてね。当時はバスタオルなんて言葉はなかったかな。上半身裸で現れた。旭川の巡業で会った千代の山関は、痩せてガリガリに見えたんだけどね。それがこの時見ると、筋肉質のごっつい体だった。その体を見た時は、驚いたねえ。すごい体だなあって。しかも、マゲも結っていなかった。何より、顔もすごいしね。髪の毛を垂らすと、まさに鬼ですよ。鬼瓦みたいで、うん。今度こそ、もう帰ろうと思ったね。人間とは思えないもんね、ほんとに……。驚いたの何のって」

    つづく

  • 投稿者:KON

    最後まで残って小豆を集めてくれたおじさんが、声をかけてくれてね。『にいちゃん、歳はいくつだ?』『14歳です』『学生服に下駄か、背が高いなあ。ん? ひょっとして相撲に行くのか?』『はい、これから出羽海部屋に入門します』『そうか。俺、相撲が大好きなんだよ。頑張れよ。名前は何ていうんだ?』『竹澤勝昭です』『そうか、竹澤くんか。わかった。応援してやるぞ。強くなれよ』ってね。もうねえ、涙をこらえるのに大変だったですよ。旭川を出る時に、『東京は怖いところだから気をつけろ』ってね、さんざん言われたけど、いきなりいい人ばかりでね。安心したのを憶えてますよ」

    えらいところに来てしまった
    竹澤勝昭少年は、3つの麻袋を担いで、出羽海部屋の門をたたきます。

    「部屋に着いて『ごめんください』って言ったらね、それはもう、今までに見たことがないようなデカい人がぬうっと出てきた。後で知ったけど、前の年に入門した風ヶ峰 (当時序二段・のちの風ヶ峯)っていう兄弟子でね、背が2メートルぐらいはあった、うん。もうびっくりしたの何のってね。入門当時、俺は1メートル80センチ足らずだったんだけど、田舎にいた時は、俺より大きい人はほとんどいなかったからねえ。こんなデカい人間がいるんだって、もう驚いてね。こんな人と相撲を取るなんて考えられない。すぐ北海道に帰りたくなった。これはえらいところに来てしまったなってね。そうは言っても帰るわけにもいかない。仕方がないから『千代の山関に会いたい』って言うとね、『千代の山関は自宅にいる』と言って、その2メートルの兄弟子が、これまたデカい下駄を履いて、親切に案内してくれたんだよね

    つづく

  • 投稿者:KON

    つづき

    赤いダイヤ
    そうそう、「はじめに」で触れた、北の富士さんが上京した時の物語、その続きを記しておかなければなりません。北の富士さんの上京日に、私が生まれたことを初めて伝えた時のことです。

    「えっ? 藤井さん、その日に生まれたの? へー、1月7日の朝? そうなの。これは大変な奇跡だねえ。いやあ、縁があるんだねえ」

    そこから話は広がります。
    青函連絡船に「死ぬかと思った」ほど揺られ、たどり着いた青森。そこから夜行列車に乗り、上野駅を目指しました。

    「14歳でしょ。元気なつもりでいたけど、青森に着いたら立っていることもできなかった。ふらふらだったねえ。そこから夜行列車。疲れてずいぶん眠ったと思うよ。上野に着いたら、少し明るくなってた。ところが、ここで失敗しちゃってねえ。改札口を間違えて、動物園側に出てしまった。坂があったんだよね。そこですってんころりんですよ。旭川を出る時におふくろから白い麻袋を3つ渡されて担いできた。転んだ瞬間に、そのうちのひとつをバアーっとぶちまけてしまって……。中身は、小豆ですよ。当時『赤いダイヤ』と言われて、それはもう高価なものだったんですよ」

    雪が積もっていたわけではありません。

    「旭川で下駄の裏に鋲を打ってもらってね。それが裏目に出たかな。坂道で滑ったんだよ。小豆の3つの袋、ひとつはこれから世話になる出羽海部屋に、ひとつは相撲界に誘ってもらった千代の山関に、そしてもうひとつは東京まで案内してくれたおじさんの知り合いで、これからお世話になる人に……。金もないのにねえ、おふくろが持たせてくれた土産だったんですよ。そのままにしておけないでしょ。大変なことになったと思いながら、少しでもと思って、散らばった小豆を集めようとした。そうしたらね、上野駅に向かう人、改札口から出てくる人、通勤の人たちが大勢集まってくれて、一緒になって手伝ってくれてね。ぶちまけたひとつの袋にかなりの小豆が戻ってきた。砂もずいぶん混ざってたけどね」

    当時の情景が目に浮かびます。北の富士さんの昔話には、惹きつけられる技があります。早くその先を聞きたくなります。

    つづく

  • 投稿者:SAI

    天皇杯・全日本相撲選手権
    日大一年・鮫島輝選手
    優勝おめでとうございます!
    金沢学院大学主将・大森康弘選手
    惜しくも準優勝でしたが
    ゴッツイ体(ガタイ)で投げ技など
    ゴッツイ相撲で面白いです!
    これからも頑張って下さい♪

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