大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,724件

  1. #155488 | SAI |
    最後の全中の相撲がNHK・Eテレで 放送していました! 団体戦も個人戦も開催県の鳥取西中の テムージン選手が2連覇達成しました! 惜しくも個人戦で準優勝の東京都代表・ 小松竜道場の平野選手の動きや技が 良かったです! 彼らの進路はどうなるのでしょうか? これからも頑張って下さい♪
  2. #155461 | KON |
    大横綱大鵬に引導を渡した “角界のプリンス”貴ノ花、その貴ノ花の引退の時………… NHKの実況アナ、杉山邦博さんには彼に対する特別な思い入れがありました。相撲中継の実況アナとして駆け出しの頃、貴ノ花がデビューしたのがほぼ同時期だったから。 常に世間の視線を集め、逃げ場も隠れ場も心の安らぎも何もなかった貴ノ花。。。同時代に「天才輪島」、「怪童北の湖」という偉大な横綱がいたことで、その細い体で精一杯の粘りの相撲を取りながら今一歩のところで綱には及ばず、そのうち怪我や病気が体を蝕んでいき、それとともに衰えが次第に顕著に。 そんな貴ノ花が引退を表明した1981昭和56年初場所七日目の昼下がり、この日の大相撲実況をすることがとうに決まっていた杉山さんは貴ノ花の引退会見を見ながら悩んでいた。果たして自分が平常心で今日の実況に臨めるかどうか全く自信がなく、しかしプロとして恥ずかしい仕事はできない。 が、自分の相撲実況は貴ノ花と共にある。そう思いながら長い間お茶の間の方々に声を届け続けていた。そしてその彼はもう土俵から去る。そして「貴ノ花は昨日限りでの引退を表明しました」という実況をしなければならない。それを平常心で言えるのか。しかし平常心で言うには私にとってあまりにも残酷なことではないか。 そして迷いを振り切れなかった杉山さんはそのままの心持ちで午後4時前、蔵前国技館のNHK放送ブースに解説の玉の海梅吉とともに座してしまった。 一番一番進む取り組み。あと何番、あと何番・・・。杉山さんはどういう実況をしていたのか、よく覚えていない。ただ、「貴ノ花引退」を自分の口で実況しなくてはならない時間が迫ってくることが無性に怖かったという。。。しかし無情にもその時は来てしまった。場内アナウンスが 「大関貴ノ花、引退のため本日より休場、したがって蔵玉錦の不戦勝であります」と告げる。。。 杉山さんは喉の奥に何かが詰まって声が出ない。しかし実況アナとして何か喋らなくてはならない。そうして彼は絞り出すようにしゃべり始めた。 「昨日の一番を最後に・・・、大関貴ノ花は・・・、土俵を去ることになりました。あまりにも偉大な兄の下で大きな苦しみもあったことでしょう。そして首から脊髄にかけてや手首、肘、足首など怪我も多く、一向に太れないあの小さな身体でよくぞここまで土俵を勤め上げたと思います・・・」 そこまで言って一呼吸つくと、杉山さんの胸にはアナウンサーになってから初めて味わう感覚がこみ上げてきた。これは・・・。私はひょっとしてこれから涙するのか・・・? そう思いながら杉山さんはさらに続ける。 「あの小さな身体で・・・・・・、本当に長い間ご苦労様でした・・・・・・。」 そして気がつくとやはり杉山さんの頬には大粒の涙が流れており、絶句してしまった彼は涙で実況すべき土俵を見ることすらできない。。。 まもなく、隣の席でそれを一部始終見ていた解説の玉の海梅吉氏は杉山さんに優しく一瞥。。。杉山さんは『失礼……』と言ってブースを離れる。もちろん視聴者にはわからないように。。。 そして玉の海梅吉氏は10数年前の貴ノ花 満の初土俵からの思い出を次の取り組みが始まるまでゆっくりと、しかし、非常にしっかりとした口調で杉山さんのいないブースで一人、視聴者に語り掛けていたのでした。
  3. #155460 | KON |
    千代の富士に引導を渡した貴花田 その父親、貴ノ花も大鵬に引導を渡した張本人 大鵬と柏戸の対決は「柏鵬時代」と呼ばれ、戦後の相撲史を彩りました。 柏戸は『電車道』とあだ名された爆発的な立ち合いで力強く押し切る「剛」の相撲、大鵬は円い土俵を上手く使い、全体を見渡し相手の力をいなす「柔」の相撲を体現しました。 優勝回数は 32 対 5 と大差がありながら、直接対決は常に緊張感に満ち、糖尿病が悪化した柏戸が痩せ細り始める直前までは対戦成績16勝16敗と全くの五分。毎場所のように国民を熱狂させました。序盤で土がついて優勝争いから遅れをとった柏戸が、大鵬戦では、立ち合いからの右差し左前みつとなるや休まず攻め立て一気に寄り切ったり、前みつを掴めなくてもおっつけながらの怒涛の押しでいっぺんに走り、とたまらず土俵を割る大鵬と一緒に土俵下へ落ちていく柏戸が優勝力士大鵬に一矢(いっし)を報いる、まさに昭和のスポーツドラマそのものでした。 やがて柏戸が去り、北の富士や玉の海の新時代が到来します。 故障を抱えながらも土俵に立ち続けた大鵬は、20 歳の貴ノ花に尻もちをついて敗れてしまった翌日、引退を発表しました。 若い世代に道を譲ることが横綱の最後の務めだという信念を貫いたのです。 勝者となった貴ノ花が支度部屋を訪ね『ありがとうございます』と頭を下げると、大鵬は「頑張れよ」と笑顔で応えました。 貴ノ花の『ありがとうございました』には勿論、“稽古で鍛えて戴きまして、おかげさまでこのように、強くなれました ”の意味が………… 大鵬の「頑張れよ」には『満、あとを頼んだぞ』の意味が……込められていました。 このやり取りに、引き際の美学が凝縮されていますね
  4. #155456 | KON |
    立ち合いの乱れ 御嶽海や正代・横綱豊昇龍など絶対に先には手をつかない力士、相手に合わせようという意識が全くない力士 学生相撲出身者とモンゴル出身者に多く見られる現象ですが、世が世なら、毎日のように土俵下の審判長から怒鳴られてるところでした。。。 ある時、立ち合いで二度の つっかけで “待った ”となった時に、当時の正面審判の伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)=から、「ちゃんと合わせるように」と声がかかりました。 するとテレビ解説を務めていた北の富士さん(当時79歳)=元横綱=が、「あんな立ち合いしとったら、昔の柏戸さんだったら怒っただろうね。(土俵)下から『この野郎!!』ってね。それはあんた、怖かったよ!目つきも怖かったしね、怒鳴り声も怖かった、いや本当に」と苦笑い。 伊勢ケ浜親方の対応は「優しい」と強調していた。 柏戸さんが審判部長を務めてる時に北の富士さんは琴櫻さんとともに審判副部長を務めてました。 鏡山審判部長が審判長の時は副部長の北の富士さん(当時、九重審判副部長)は出番でない為、いつも控室で見てて “怒りが収まらず土俵に上がって怒り始めるんじゃないか?” とハラハラしていたそうです。。。 現在解説を担当してる尾車さん(元大関琴風)も証言 現役時代の怖かった審判長について訊かれた尾車さんは、、 「なんといっても鏡山さん!。僕はそんなに立ち合いで突っかけて何回も“待った ”には ならなかったから、怒鳴られたことはないけど、鏡山審判部長は下から、3度も待ったが続いた時には『何やってんだ!この野郎!!』 って怒鳴っちゃって、それはすごかったよ」と明かした。
  5. #155335 | KON |
    ペロッと口を滑らせた北の富士さんが慌てて…… 1953年の入局以来、70年以上にわたって相撲の魅力を伝え続けてきた元NHKアナウンサーの杉山邦博氏。歴史の生き証人ともいえる杉山氏が、相撲ジャーナリストの荒井太郎氏を聞き手に昭和の名場面の数々を振り返る『杉山アナのアンチ巨人、大鵬、卵焼き』(大空出版)より、「大横綱の引き際」について語った章を抜粋 荒井さん、、、 平成3年夏場所初日の千代の富士 対 貴花田の一番は、大相撲史における時代の変わり目となった象徴的な相撲でした。 千代の富士35歳「貴花田18歳に負けて引退」は本当か? 実は違った “最後の対戦相手”…元NHK名物アナが語る大横綱の引き際 杉山邦博氏+荒井太郎氏 杉山さん………… 横綱千代の富士が負けましたけど、1月、3月ごろから千代の富士と貴花田(のちの貴乃花)、両者はいつ当たるんだろう、早く見たいというのはあちこちから望まれていたんですね。 当時の鏡山審判部長(元横綱柏戸)が何日目に対戦させるかというのを、審判部みんなに訊ね、あれこれ詮索していました。そこで最終的に、鏡山さんが、「俺の決断で決めた!」ってことを何度も本人の口から聞いています。「初日しかない! そう思って俺が決めた。どちらかが一つでも黒星がついたり、何かあったりとかそういう状況じゃなくて、まっさらな状況で2人が対戦するほうが綺麗だ」と。 これは鏡山さん、さすがですよ。ほかの審判部長だったらどうか分かりません。それであのタイミングで実現したんですけど、負けた千代の富士はその日には引退しなかったんだよね。 荒井さん………… 慣例でいくと初日の横綱の対戦相手は、違う方屋の小結となるところですね。この場所は4横綱ですが東西の正横綱である北勝海、大乃国が初日から休場なので、西の張出横綱だった千代の富士は東小結の寺尾あたりになるところでしたが、あえて西前頭筆頭の18歳9カ月の貴花田をもってきた。これは鏡山審判部長の大英断です。 結果的にこの一番で、貴花田が今も破られていない史上最年少金星を挙げることになります。 取組前に千代の富士さんは「負けても引退しないよ」と言っていたんですがね(笑)。このとき千代の富士さん 35歳11カ月です。 実は「貴闘力に負けて引退」でしたが… 杉山さん………… 三日目に貴闘力に負けて引退を表明しましたね。ただ、貴乃花に負けて引退したって、みんなそういうふうに書いたり言ったりしています。それでいいんじゃないですか。そっちのほうが時代を象徴しているし、綺麗ですから。 荒井さん………… 僕は実際に千代の富士さんにインタビューしたとき、やはり貴花田に負けて引退を決意したと言っていました。 杉山さん………… それでいいと思いますよ。 貴闘力関のことは、かき消されてしまいましたけどね。 荒井さん………… これも余談ですが、千代の富士の引退表明は師弟とも話して四日目の予定だったらしいですが、三日目の夜に急遽、親方の北の富士さんがマスコミに喋ってしまったんで、このタイミングになったそうです。自宅でテレビを見ていたら、「千代の富士引退」というテロップが出て、千代の富士さん本人が一番驚いたそうです(笑)。それで急いで部屋に駆けつけたとおっしゃっていました。 杉山さん…… マスコミが大挙して部屋に押しかけていましたからね。北の富士さんも収拾がつかずに言ってしまったんでしょう。 ………… ついつい、リップサービスが度を越してしまい、まだ発表すべきでないことなのに口を滑らせてしまうドジャースのロバーツ監督みたいですね
  6. #155322 | KON |
    横綱豊昇龍(27)=立浪=が8月19日、両国国技館内で行なわれた定期健康診断に訪れ、途中休場した名古屋場所後に右膝を手術したことを明かしました。  千秋楽翌日の7月27日に都内の病院を受診し「手術しなければ復帰に1年かかると言われた。こんなひどいとは思わなかった」と語った。 同29日に靱帯を修復する手術を受け、1週間入院した。  名古屋場所は14日目から途中休場。 「蹲踞もできないくらいだった」と明かした。 「早く復帰できるようにしたい。ファンの方には合わす顔がない」と語りました。 秋場所の出場は厳しい見通しだという。
  7. #155316 | KON |
    北の富士さんvs玉の海関 1966年9月 千秋楽 ●(5)‐ ○(8) ㊝大鵬 北の富士、大関昇進 1966年11月 11日目 ●(5)‐ ○(9) ㊝大鵬 玉乃島、大関昇進 1967年1月 11日目 ○(6)‐ ●(9) ㊝大鵬 1967年3月 10日目 ○(7)‐ ●(9) ㊝北の富士(1) 1967年5月 12日目 ○(8)‐ ●(9) ㊝大鵬 1967年7月 千秋楽 ○(9)‐ ●(9) ㊝柏戸 1967年9月 千秋楽 ○(10)‐ ●(9) ㊝大鵬 1967年11月 11日目 ●(10)‐ ○(10) ㊝佐田の山 1968年1月 11日目 ●(10)‐ ○(11) ㊝佐田の山 1968年3月 13日目 ●(10)‐ ○(12) ㊝若浪 1968年5月 13日目 ●(10)‐ ○(13) ㊝玉乃島(1) 1968年7月 12日目 ○(11)‐ ●(13) ㊝琴桜 1968年9月 10日目 ●(11)‐ ○(14) ㊝大鵬 1968年11月 千秋楽 ○(12)‐ ●(14) ㊝大鵬 1969年1月 千秋楽 ○(13)‐ ●(14) ㊝大鵬 1969年3月 12日目 ●(13)‐ ○(15) ㊝琴桜 1969年5月 10日目 ○(14)‐ ●(15) ㊝大鵬 1969年7月 10日目 ○(15)‐ ●(15) ㊝清国 1969年9月 11日目 ●(15)‐ ○(16) ㊝玉乃島(2) 1969年11月 千秋楽 ○(16)‐ ●(16) ㊝北の富士(2) 1970年1月 千秋楽 ●(16)‐ ○(17) ㊝北の富士(3) 千秋楽北の富士1敗、玉乃島2敗で対戦 優勝決定戦は北の富士勝利。 1970年3月 千秋楽 ○(17)‐ ●(17) ㊝大鵬 北の富士、玉乃島とも横綱に昇進 1970年5月 13日目 ○(18)‐ ●(17) ㊝北の富士(4) 1970年7月 千秋楽 ○(19)‐ ●(17) ㊝北の富士(5) 1970年9月 千秋楽 ○(20)‐ ●(17) ㊝玉の海(3) 1970年11月 13日目 ●(20)‐ ○(18) ㊝玉の海(4) 1971年1月 13日目 ●(20)‐ ○(19) ㊝大鵬 1971年3月 13日目 ●(20)‐ ○(20) ㊝玉の海(5) 1971年5月 千秋楽 ○(21) ‐●(20) ㊝北の富士(6) 千秋楽北の富士全勝、玉の海1敗で対戦 1971年7月 千秋楽 ●(21)‐ ○(21) ㊝玉の海(6) 1971年9月 千秋楽 ○(22)‐ ●(21) ㊝北の富士(7) 最後の対戦 両者横綱昇進以前の対戦成績(1970年1月場所まで)は、玉の海の17勝16敗。 両者横綱同士の対戦成績(1970年3月場所以降)は、北の富士の6勝4敗。 大鵬が、最後となる32回目の優勝を果たした1971年1月初場所後4場所は、玉の海と北の富士が交互に優勝を重ねた。 特に、1971年7月名古屋場所では、玉の海が自身初にして結果的には最後となる全勝優勝を果たした一方で、北の富士は8勝に終わるという明暗が分かれたが、翌9月秋場所では、逆に北の富士が千秋楽で玉の海を破り全勝優勝を達成、これ以上ない復活を果たしたのでした。 つづく
  8. #155315 | KON |
    北の富士さんと玉の海関 4 両者の対戦は、1964年5月場所 - 1971年9月場所の45場所間に43回実現、千秋楽結びの一番の対戦は8回、千秋楽両者優勝圏内の対戦が2回あった。 場所 対戦日 北の富士勝敗 (通算成績) 玉の海勝敗 (通算成績) ㊝優勝力士 備考 初対戦 1964年5 千秋楽 ●(0)‐ ○(1)㊝ 栃ノ海 1964年7月- - ㊝富士錦 北玉の両者の対戦はなし。 1964年9月 7日目 ●(0)‐ ○(2) ㊝大鵬 1964年11月 4日目 ○(1)‐ ●(2) ㊝大鵬 1965年1月 14日目 ○(2)‐ ●(2) ㊝佐田の山 1965年3月13日目 ●(2)‐ ○(3) ㊝大鵬 1965年5月8日目 ○(3)‐ ●(3) ㊝佐田の山 1965年7月 11日目 ○(4)‐ ●(3) ㊝大鵬 1965年9月 3日目 ●(4)‐ ○(4) ㊝柏戸 1965年11月 9日目 ●(4)‐ ○(5) ㊝大鵬 1966年1月- - -㊝ 柏戸 北玉の対戦なし。 1966年3月 2日目 ●(4)‐ ○(6) ㊝大鵬 1966年5月 14日目 ●(4)‐ ○(7) ㊝大鵬 1966年7月 千秋楽 ○(5)‐ ●(7) ㊝大鵬 つづく
  9. #155312 | KON |
    北の富士さんと玉の海関 3 、、、、 玉の海関が初の全勝優勝を御当地名古屋で飾った場所での千秋楽、 この場所の北の富士さんは8勝6敗と成績は上がらなかったが、千秋楽玉の海との横綱決戦は3分近い大熱戦となった。 立ち合い、突っ張った北の富士さんが得意の左差しで、右上手を引き、玉の海関は上手が取れない。上手をさぐるところを、上手投げで揺さぶられ、まわしに手が届かない。 だが、北の富士の寄りを、左からの下手投げを打って残し、上手をつかむ。 玉の海関は、腰を振り北の富士さんの上手を切ると、一気に寄り切った。 大熱戦の攻防に館内が大いに沸く中、お互いの健闘を讃えるかのように目を合わせて 少しうなづき合い、東西に分かれました。 駄目押しなんてものは二人の相撲には存在しない。品格のある “まさに大相撲”でした。 北の富士さんは左差しの脇が厳しく、必ずと言っていいほど得意の左四つに持ち込んでましたが、左四つでも相撲が取れる玉の海関とは毎場所毎場所好勝負となっていました。 つづく
  10. #155269 | KON |
    北の富士さんと玉の海関 2 ……仲良しとなった盟友玉の海関とは意外な共通点がありました。 豪放磊落というか派手な振る舞いが目立った北の富士さんに対して玉の海関は無口で質実剛健……というイメージを持たれてましたが、実は………… 玉の海関は 明るく気さくな性格。 趣味もプロ顔負けの腕前だったギターのほか、コンスタントに200点以上をたたき出していたボウリング、そして数々のスポーツカーでのドライブ……と趣味も多彩だった。…… 乗り回していた車は、カマロにはじまり、マーキュリー、クーガと乗り換え、どれもドアは運転席と助手席側しかない2ドアタイプ。同乗する付け人の浅間海らは、大きな体を折り曲げて後部座席に座らなければならなかった」(「大相撲」誌1997年11月号) 1970昭和45年に二人で横綱に同時昇進し、横綱経験者だけが参加できる「横綱会」に初参加した際には、 新横綱のしきたりである一芸披露において、玉の海のギター演奏に合わせて北の富士が大関時代に歌手デビューして大ヒットした曲『ネオン無情』を歌いました。 新横綱の1発芸で「歌」といえば、甚句を唄うか、故郷の民謡を謡うかがやまやまだったのに、ギターを弾いてムード歌謡を唄うとは…… その場にいた重鎮の立田川親方(=元横綱鏡里)や春日野親方(=元横綱・栃錦)や二子山親方(元横綱初代若乃花)らに 「びっくりしたよ。時代が変わったものだねぇ」と驚かれた。 つづく

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