大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,741件

  1. #155718 | KON |
    私を送り出すにあたって親方は 「お前はオレと同じ道産子なんだから、どの道に行っても一丁前になれよ」と声を掛けてくれた。 以来、この言葉を支えに、私は無我夢中で働いた。そして時間こそかかったが、小さいながらも一広告会社を経営し、後援会の片隅にも置いても貰えるようにもなった。 その途中で、こんなことがあった。まだ東芝に勤め始めて3年ほど経った頃、私は親方のことがたまらなく懐かしくなって、恐る恐る部屋を訪ねたことがある。 「その節は、お陰さまで」と顔を出すと、親方は貧相な若僧のことをちゃんと覚えていてくれたばかりか、車で出掛ける途中だったのに、わざわざ戻って若い衆になんと、「おい、みんな、この人はオレの友達だからな」と紹介してくれたのである。 散々迷惑をかけた落第生を、OBどころか友達とまで……どこまで大きな人なんだろう! 一生この人を師と仰いでいきたいと、改めて痛切に思ったのだった。 私にとって世界中のどんな山よりも高い千代の山の恩。思い出の栞はきりがないが、その温かい人柄と愛情、部屋の師匠としての充実感は、私の心にずっとあり続けています。 ・・・・・ 気は優しくて力持ち…… いい人が多い角界でも、特に、情に厚いと有名だった千代の山さんでした。 おわり
  2. #155717 | KON |
    千代の山……その熱き心 背の高さと、情熱だけで相撲部屋に押しかけ、入門を希望したものの、あっさり不合格となった道産子少年。体つきから素質ゼロを見極められ、新弟子にもなれなかった男、 後に東芝へ入社後、独立し広告会社善福堂の社長となった鈴木重一が千代の山さんを語る 今でも部屋の親方を師と仰ぎ、親と慕ってやまない。 それはその親方の人間的な優しさに救われ、一生に通じる教えと激励を受けたからにほかならない。 昭和22年生まれの私は、北海道は雪深い稚内の生まれ。 しかし、物心もつかぬうちに両親を事故と病気で次々に亡くしたので、牧場を営む叔父に引き取られ少年期を過ごした。 楽しみはなんといっても大相撲。ラジオにかじりついて、怪力と猛突っ張りで鳴らす故郷の英雄・千代の山を応援した。新聞、雑誌で報じられる道産子第1号横綱の勇姿には ひとしきり胸をときめかせたものだ。 中学を卒業したら早く上京して力士になりたかったが、お世話になったお礼奉公の意味で4年間牧場の働き手となって時期を待ち、19歳になった私は家出し、札幌で半年間のアルバイトをして上京資金を貯めた。 すべては千代の山の弟子になりたいがためだった。勝手に九重部屋に入門すると決めていた私は、部屋にまず自分の布団を送っておいて、親戚を頼り上京、42年4月7日、当時独立直後で浅草橋にあった部屋を訪ねた。 いきなりの入門希望者におかみさんはびっくり。春場所の後始末でまだ大阪にいた親方に連絡を取った。「俺が帰るまで部屋に待たせとけ」ということで、とりあえず寝泊りさせてもらえることに。 2~3日して帰京した親方は、私の体をざっと見るなり、「力士には向いていない。帰りなさい」とあっさり不合格の判定。 痩身ながら骨太だった千代の山さんと違って骨も細いから駄目だという。 本当に見込みのない若者を弟子にしてくすぶらせると、いろんな可能性があるはずのその男の人生を無駄にしてしまう……という理由で断わるというのが千代の山さんの考え だが私も必死だった。 「一生懸命やりますから、何とかお願いします」と食い下がる。根負けした親方が、「じゃあ、女房のやっている料亭の板前に」とまで譲歩してくれたのだが、私は「なんとか力士に」と、なおも やり取りを重ねて居候。その日数は2週間に及んだ。結局は、困り果てたおかみさんが東京の親戚に連絡して、引き取られることになるのだが、憧れの人の人間的魅力に直接触れた、私の長い人生において最も濃密な2週間だった。 つづく
  3. #155716 | KON |
    勝てるようになると、調子に乗って稽古にも身が入り、幕下を2年足らずで通過、十両も1年足らずで通過。 特に十両で15戦全勝優勝して新入幕となった1964昭和39年初場所では13勝2敗という大活躍、一気に春場所で小結となった北の富士さん。 “幕内なんて、こんなものか……”と 「遊び大好き虫」が心に満ちてきてしまった北の富士さん。 怖い師匠(元千代の山)に尻を叩かれるとやる気を出す北の富士さんでしたが、幕内に居つくようになると、また酒や夜の繁華街への誘惑に負けて出世も遅れました。 大関昇進後は皆様ご存知の通り 話を戻して 現役引退後、年寄井筒を襲名し井筒親方だった北の富士さんが、千代の山さんが病に倒れたことで『九重』を襲名し九重部屋の親方となりました。 現在の陣幕親方(元富士乃真)が、まだ一番新弟子のほうだった時のある日、朝一番に起きると、“大師匠”千代の山さんの写真が額ごと落ちて、ガラスが割れて床に散らばっていたんです。その日のうちに、千代の山さんが亡くなったと部屋に連絡が来ましたとのこと。 ドラマや映画で、お茶碗が、割れると不吉なことが…… というシーンがありますが、本当にこんなことがあるんですね つづく
  4. #155715 | KON |
    横綱千代の山が土俵に降りて胸を出してくれるという 非常にありがたい直接指導なのですが、その硬い胸板にぶつかるのが嫌で逃げ回っていたという。 190cm122kgという均整の取れた金剛力士立像のような千代の山は痩身ながらその胸板は厚く、肉の緩衝材でラップしてあるようなアンコ型の力士にぶつかるのとは衝撃がまるで違う。 突っ張りで勝つのは好きなんだけど、おでこや顔が痛くなる稽古は大の苦手だったという北の富士さんは引退後にも「あの頃、師匠に胸を借りると、まるで岩にぶつかっているようで顔・おでこ・首が本当に痛かった」と語ってました。 千代の山は「鉄のクレーン」とも称された並外れた突っ張りと、鍛え抜かれた鋼のような肉体の持ち主でした。北の富士さんが若手時代、その厳しいぶつかり稽古で何度も圧倒され、体中を真っ赤にし息も絶え絶えなのに野太い声で『まだまだぁ!もう一丁!』と怒鳴られ周囲に引きずり起こされて再び向かっていき、ボロボロになりながら少しずつ力をつけていったという。 入門5年目の正月、師匠千代の山から呼ばれ、例の怖い顔で、当時制定されていた「30場所で幕下へ昇進できけなければ廃業」の規約があるから、もう少しで廃業をしなくちゃならんことになるんだぞ』『くに(旭川)へ帰るか、稽古に打ち込んで幕下へ上がるか?どっちだ?』と諭され、強い危機感を持って奮起し、初場所〜春場所〜夏場所と3場所連続で勝ち越し。その年の夏場所での5勝2敗を以て名古屋場所で幕下昇進を果たしたという。 つづく
  5. #155713 | KON |
    尻に火がつかないと本気を出さなかった北の富士さんとそれを見抜いていた師匠千代の山さん 故郷・留萌で大相撲の北海道巡業が行なわれ、父の経営する料理店に立ち寄った横綱・千代の山から直々に「どうだ、相撲をやって、東京見物をしてみないか」と声をかけられ、これがきっかけで相撲に興味を持つようになった。 その後も軟式野球を続けていたが、現役横綱から直接声をかけられたことが忘れられず、中学卒業と同時に出羽ノ海部屋に入門した竹沢勝昭少年(北の富士さん)。 竹美山と名乗って初土俵を踏んで以来、当初の取り口は、色白で痩身、前に進むだけの一本鎗で、「香車」「ヤリイカ」とあだ名され、あまりにも痩せていたことから出世は遅れ、同期の龍虎とともに 三段目をウロウロしていた北の富士さん。 100人近くもいた力士たちの稽古が終わり昼食の時間になっても、竹美山は配膳係りを免除され、空いた土俵で 現役横綱千代の山から直接指導が始まった…… つづく
  6. #155712 | KON |
    『私の奇跡の1枚、、連載10、、師弟の絆、千代の山と北の富士』 とYahoo検索すると 月刊大相撲 編集部による 「新横綱北の富士に雲龍型土俵入りを身ぶり手ぶりで教える九重親方=元横綱千代の山と その一挙手一投足をガン見してる北の富士さん」の写真を見ることができます
  7. #155683 | Y |
    そうなんですか。期間中のお休みの日に見に行きたいと思います。 横綱だった現役時代は知らないので 化粧まわしなど見たいです。 写真では横綱の頃のは見ましたが髷を切ってからの方が素敵だとおもいます。服装のセンスなどは抜群でしたので。 帰りには久しぶりにブラブラとしてきたいと思います。 それにしても千代の山さんってどんな方だったのでしょうね。 北の富士さんがついていったのだから魅力のある方だったんでしょうね。
  8. #155671 | KON |
    明日は番付発表。 新小結になるのは伯乃富士? それとも琴勝峰?
  9. #155647 | KON |
    今日16時半から フジテレビで ジャンクSPORTS 若元春&藤ノ川コストコ爆買い! 肉30キロ超えに浜田ア然 ▽優勝副賞は牛一頭!? ▽藤ノ川の金星激白&若元春が語る弟の復活優勝 ▽浜田の兄弟子も登場! 番組内容 番組MC浜田雅功と一流アスリートがスポーツ界の“知られざる舞台裏"を語るジャンクSPORTS。 今回は人気力士と浜田がコストコで爆買い! ▽父も兄も弟も力士の相撲一家の若元春と、秋場所で新三役も期待される藤ノ川が相撲部屋総勢27人分の胃袋を満たすお買い物! ▽「いつかは自分もしてみたい」五月場所で復活優勝を果たした弟・若隆景への素直な気持ちを語る。 ▽「負けて元々」。 番組内容2 大の里・豊昇龍の2横綱から金星を上げた藤ノ川がその時の心境を告白。 ▽浜田の兄弟子!?島野も登場!久しぶりの再会に浜田も笑顔。 ▽さらに藤ノ川の弟・碇潟も付き人として登場。 ▽「鳥は手をつかないから縁起が良い」と大量のチキンをカートへ! ▽大人気のプルコギビーフに豚ロース、牛タンブロックなど、どんどんカートに詰め込み、お肉だけで30キロを超える買い物に浜田もア然! ▽「牛一頭」が届く!? 番組内容3 スケールが違う優勝副賞とは。 ▽「コストコに来たら一番買いたかった」と藤ノ川がどうしても欲しかった食材は? 出演者 【MC】 浜田雅功(ダウンタウン)  【進行】 浅倉美恩(フジテレビアナウンサー)  【ゲスト】 若元春、藤ノ川
  10. #155646 | KON |
    元関脇でタレントの豊ノ島(43)によるYouTubeチャンネル「豊ノ島のお相撲ちゃん」に 元関脇旭天鵬の大島親方(51)が出演。 豊ノ島が「一番強いと思った力士は誰ですか?」と質問すると、 大島親方は「貴乃花さんとやった時、何もさせてもらえなかった記憶がある。何もできなかった。攻撃もできなかったし、気付いたら土俵の外にいたという印象がある。もちろん、朝青龍とか白鵬とか、強い横綱たちはいたけど、またその人たちとは違う。あの人(貴乃花)は、ほぼ受けて〝はい、ご苦労さん〟みたいな感じだったから。(自身が)若かったというのもあるかも分からないけど、そう思ってる」と回答した。 続けて「他の横綱たちは、経験を積んできたら〝ワンチャン、こうしたらいけたかも〟と思える可能性もあるんだけど。貴乃花さんだけはそんなことは1度も思えなかった」と説明。 大島親方は現役時代、貴乃花、曙、武蔵丸、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜、稀勢の里の8人の横綱と対戦。23年間にわたって相撲を取り続けたレジェンドの目から見ても、貴乃花の存在は別格だったようだ。 さらに「(貴乃花と対戦したのは)モンゴル(出身)の人で言ったら、旭鷲山と俺と朝青龍だけ。あのころは全体的に今より上位がみな強かったよね」 「貴乃花さんとは3回しか対戦ないんだけど、3回目で初めて勝った。そのあと聞いたけど、モンゴルの力士の中で貴乃花さんに勝ったのは俺だけだったみたい。あとから知ったんだけど、それは誇ってもいいかなと」と回想する。 その上で「(2回目までの対戦は)まともに行って、全然、話にならなかった。(3回目の対戦前に)当時の師匠(元大関旭国)に『左に少し変わり気味に上手まわしを取りにいけ』と言われて。 (普段は)そんな器用なことできないのに、その時やったの。そしたら勝った。(上手を取って)頭をつけたんだよ。バーッと攻めて、渡し込みなんか俺、やったことないのに。(貴乃花が)そのまま塩がある西の方に倒れていった。そんなのやったことないんだよ、今まで。相撲人生で貴乃花さんからの白星は幕内優勝と並ぶ大きな勲章だな」と笑顔で振り返った。

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