大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,709件

  1. #155108 | KON |
    東前頭4枚目・大栄翔(32)=追手風=が11日、“ウルフ流トレ”で大関昇進に再び挑む決意を示した。 仙台市の夏巡業で、審判部として巡業に帯同する君ケ浜親方(元関脇・隠岐の海)から助言を受け、土俵周りで連続50回の腕立て伏せに挑戦。「若い時はできたけど、最後きつくてできなかった。昔とは体が違う」と痛感し、今後も筋持久力を鍛えるトレーニングに取り組む考えを示した。 提案した君ケ浜親方は、筋肉質の体で「ウルフ」の愛称で親しまれた名横綱・千代の富士さんの姿にヒントを得たと明かした。 「無理な投げ技で左肩の脱臼癖が直らず伸び悩んでいた千代関は、1979昭和54年春場所の取組で右肩まで脱臼してしまい、その瞬間『もう力士生命は終わり』とさすがに観念したという。医師は、手術すれば完治はするが、それでは腕の動きが悪くなると宣告。師匠(北の富士さん)が考えた打開策が“筋肉の鎧”で肩関節を守ること。1日500回の腕立伏せをノルマと指示されたが千代の富士はさら散々稽古した後にベンチプレスを70回ぐらいやっていた……というのを聞いて、筋持久力がすごかったのでは」と推測。 以前から気にかける大栄翔に向け「違う刺激になれば」と声をかけたという。 同親方に4月の春巡業では四股の指導を受けた大栄翔も「3年先の稽古と言われるが、3か月先の名古屋場所で10勝5敗だった」と感謝。今回の提案にも意欲的だった。 3年前に大関獲りに挑戦した “元大関候補”の大栄翔32歳は「現役でいる以上は常に上を目指すと決めている」と力を込める。 秋場所は7場所ぶりの三役返り咲きが確実。新たな刺激を加え、大関昇進の起点づくりを目指す。
  2. #155098 | SAI |
    佐田の山晋松さんは柏鵬時代に 優勝6回と活躍した横綱だと 聞いた事があります! 当然ながら私は生まれていないですが 舞の海さんの師匠の出羽海親方と 言った方がわかりやすいですか? これからも頑張って下さい♪
  3. #155086 | KON |
    Yahoo検索で「千代の富士ウルフスペシャル」と検索し、動画モードにすると、1番先に出てくるのが 『YouTube千代の富士53連勝全取組』(5分30秒)を閲覧できます。 ウルフスペシャルは意外と少ないですね。
  4. #155080 | Y |
    そうですか。指摘ありがとうございます。 休みだしこの所連敗したりして大谷さんもイマイチでしたのでおーいお茶の大谷さんボトル飲みながら応援してました。膝完治してないのに盗塁したり、ヒットで激走したり、じっとしていてとハラハラします。 勝ったからよかった! 北の富士さんの話まだあるなら楽しみに待っていますね。
  5. #155072 | 匿名 |
    北勝海を除く高砂一門はなにか一癖二癖ありそうでしたな。プレイボーイ北の富士、エンターテイナー高見山、『ウルフスペシャル』と呼ばれた左上手投げが十八番の千代の富士、頭部を光らせて光速の出足は北瀬海、突っ張り大関千代大海、角界の宴会部長大関朝潮、ソルトシェーカー水戸泉、プッシュプッシュ小錦、最長身横綱で外国出身初の横綱曙、太い眉にもみあげの長身横綱朝潮に元祖フライデー(笑)前田山……………とまあこれだけいたもんだな。あ、朝乃山は1年間の出場停止くらった過去があったか。
  6. #155065 | KON |
    Yさん 「佐田の山って…今の佐田の山のおとっつぁん?」 の問いですが、 佐田の山関と佐田の海関とを混同してますね。。。 佐田の山関のお子さんは力士にはなってません。 今の佐田の海関は、たしかに2代目佐田の海ですが父親は初代佐田の海関、、、 横綱佐田の山関とは別人です。 北の富士さんに関することは、私の大相撲資料コレクションにまだまだストックがありますので、これからもこのサイトに投稿して参ります。。。
  7. #155052 | KON |
    横綱昇進基準の曖昧さ 北の富士さんの師匠 千代の山も………… 昭和24年10月場所に新大関で13勝2敗の好成績で優勝、翌場所(翌25年1月)でも12勝3敗で優勝を遂げたのに 現在の基準でいえば “大関で連覇しながら昇進していない”。 これは「前田山」引責引退と当時の横綱の成績不振で、横綱免許をめぐる協会と司家の間に起きた争いが原因で、昭和26年一月に協会が司家の免許授与権を取り上げて協会が推挙する形に決着し、その後の単発優勝で昇進させた特殊例。昇進時の成績は全く問題にならないけれど、大関で連覇しているので、救済昇進の形を取ったと思われますね。 そして、栃若時代として角界をけん引した栃錦と初代若乃花も………… 【44代横綱】栃錦 昭和28年1月 新大関で 11勝4敗 →昭和28年3月 14勝1敗で優勝 → 昭和28年5月 13勝2敗 =3場所38勝でしたが 横綱昇進見送り 【45代横綱】初代若乃花 昭和31年1月 新大関で13勝2敗 →昭和31年3月 12勝3敗で優勝同点 →昭和31年5月 12勝3敗で優勝 =3場所37勝でしたが横綱昇進見送られました。。。 この栃若も、後の旭富士や2代目貴ノ花(後の貴乃花)も、昇進となって当然の成績だったのに見送られましたが、なんとか気を持ち直して奮起し横綱に昇進しました。 つまり、協会の言い分としては 「無理矢理 横綱に挙げなくても、強い意志を持った力士はきちんと条件をクリアして自力で横綱になる」 ということらしい。
  8. #155050 | Y |
    ここで北の富士さんの話が出ると嬉しいです。 年々忘れられていくのが普通ですが何かあるとあの時はこういってくれたよね、とかこんな時は何て言ってくれたのかな?とか二人でよく話してます。そういう言葉も財産です。konさんのお話存命の頃に話したらソウカー自分では意識した事ないけどなーとか言って嬉しそうに笑うのが想像出来ます。人の面倒もよく見た様でご一緒した方が面倒みてもらいましたよという方が多くて、でも今はこの人の面倒みるのが楽しいよとか言うから、私は面倒みてもらってないけどとか心の中でさけんでました。とにかく男らしくて、一度だけ北の富士さんに内緒でとお勘定払って頂いたら、後からこっぴどく叱られてその人に返しなさいと言われてあーこれでもうここには来てもらえないなと思いました。と三日後にいらしてその話するとそんな事あったっけと惚ける!よかったと思っていたら帰り際二度とあの失敗は繰り返すなよと扇子て頭ポン、忘れてないじゃないとそれからはその失敗はしない、そうやって色々教えてもらいました。すみません長話になってしまいました。 コメントにあった佐田の山さんって今の佐田の山さんのおとっつぁんの2事ですか?
  9. #155049 | KON |
    全国都道府県中学生相撲選手権大会が9日、東京・両国国技館で行なわれ、全国の予選を勝ち抜いた中学生が個人戦(軽量級、無差別級)と都道府県対抗の団体戦で争った。。。 個人戦無差別級は、団体予選1~3回戦で2勝以上を挙げた選手67人(軽量級との重複除く)が出場。今年2月の白鵬杯3位の実績を持つ隍元哉(ほり・もとや、鳥取県・3年)が頂点に立った。 身長1メートル77、体重90キロの細身の体格ながら、突き押しや差しての寄り、投げなどで大型選手を次々に撃破。 準決勝では、小学生時代に無敵を誇った1メートル90、140キロの岡山裕弥(青森県・3年)を豪快な切り返しで破って場内を沸かせた。 決勝は、1メートル84、120キロの金子達紀(岐阜県・2年)と対戦。押し込まれる展開から残して左四つに組み止めると、土俵際で右から逆転の上手投げを決めた。 隍は京都府出身で中学から鳥取へ相撲留学。 現在大相撲の幕下上位で活躍する注目の若手力士・太秦(うずまさ、17=伊勢ノ海部屋)を兄に持つ。兄と体型は異なるが、軽量ながら中学日本一に輝いた隍元哉にも大きな注目が集まりそう。。。 昨年度2年生ながら当大会、全中、白鵬杯の3冠を達成したモンゴル出身の“史上最強の中学生”チルグン(鳥取県・3年)は、準決勝で金子達紀に敗れる波乱。。。 2011年の打越奎也(のちの小結・阿武咲)以来史上2人目となる大会連覇は果たせなかった。。。 大きいだけの学生相撲出身者が多くなってきてる角界に、筋肉隆々で俊敏なニュースターとなりそうな逸材が現れましたね
  10. #155042 | KON |
    横綱昇進基準の話 玉錦問題のあとも「横綱昇進基準の曖昧さ」は散見されます。 戦後の復興に向けて、大横綱双葉山の現役引退により大黒柱を失った相撲協会は、横綱昇進を乱発し、横綱審議会が出来たあとも 初代羽黒山や照國がいたのに 【41代】千代の山 11勝-8勝-14勝=優勝 (3場所33勝、直前2場所22勝「無印+優」) 【42代】鏡里 11勝-12勝=準優勝‐14勝=優勝 (3場所37勝 、直前2場所26勝「準+優」) 【43代】吉葉山 14勝=準優勝‐11勝-15戦全勝=優勝 (3場所40勝 、直前2場所26勝「無印+優」) と2場所連続優勝でもない大関を強引に横綱へ推挙した。 そこに番付をゆっくりと確実に上げてきた栃錦 1954昭和29年5月場所において14勝1敗の好成績を挙げ、大関では2度目、通算3度目の幕内優勝を果たす。場所後に協会は横綱審議委員会に栃錦の横綱昇進を諮問したが、当時横審の連続優勝に関する内規が成立してなく、 「ここで強いて横綱を五人つくるほど圧倒的な成績ではない」との理由で横綱推薦は否決。 この場所は東富士・千代の山・鏡里・吉葉山の4横綱が存在していた為、栃錦が横綱昇進すると前例のない5横綱時代が実現するところでした。翌9月場所は初日黒星の後は白星を重ね連続優勝を果たすと思われましたが、「横綱は5人も要らない」という理由で今度も横綱昇進を見送られるところでした。が、十四日目になって江戸っ子横綱の東富士が突然の現役引退を申し出た。それを聞いた栃錦も付け人を使者に立てて引退せぬよう説得したが、東富士の意思は変わらなかった。 そして、栃錦は吉葉山に勝利して14勝1敗でふた場所連続優勝を決め、場所後に第44代横綱へ昇進できたのでした。 つづく

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