大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,260件

  1. #150212 | KON |
    つづき(最終) 「言葉を残したい」と思わせる人 ――あの企画は藤井さんの発案だったんですね。相撲について、さまざまなことがうかがえて、とても面白かったです。毎場所、楽しみにしていました。 最初に話をもっていったとき、北の富士さんには「面倒くさいな」と言われましたけど(笑)。でも私がインタビュアーで、毎回30分〜1時間、話をしていただいて。放送で使うのは7分くらいですからもったいなかったですけど、使われなかった話をずいぶん今回の本に使わせてもらいました。 この企画も、この本も「この人の経験はきちんと残す必要がある」と思ったから生まれたものなんです。そう思わせてくれる人でした。 ――今回の本も形にするには大変なご苦労があったと思います。 本当です。でも、できあがった本を見て、「やってよかったな」と思いました。私、50歳を過ぎてからフルマラソンに挑戦しているんですが、マラソンと一緒ですよね。途中で何度も「やめようか」「なんでこんな苦しいことやっているんだろう」と思うわけですよ。先日(11月9日)も福岡マラソンに参加してきたんですけど、自分からエントリーして、足を引きずりながらヘトヘトになって走って。しかも、途中から雨風、まるで台風ですよ。その中をあと何キロ走らなきゃならないんだって、考えるだけで嫌になるわけでしょ。でも、ゴールまで残り5キロ、4キロって表示が見えてくると、ちょっと元気が出る。ゴールすると、「やったあ」という気持ちと「次はどこのマラソンにエントリーしようかな」という気持ちが湧いてくる。それと似ていますよね。ただ、本はさすがに「次は何を書こうかな」とは思いませんでしたけど(笑)。 でも、もう二度とこういうことを語ってくれる人は出てこないでしょう。今の日本相撲協会にいる人たちも語ることはできない。だから北の富士さんを失ったことは本当に惜しいんだけれども、せめて本となって少しでも、その言葉が残ったことはよかったと思うんです。 終わり
  2. #150211 | KON |
    つづき ―― 本の中でも、土俵の実況は最小限にして、北の富士さんの話に乗っていくエピソードがありましたね。 アナウンサーの先輩には注意されましたけどね。「話に食いついていくのはいいけど、もう少し土俵を大事にしないと。相撲中継なんだから」ってね。でも「勝敗をきちんと伝えれば、それ以外は北の富士さんの面白い話を聞く日があってもいいんじゃないですか」って、私も譲りませんでした。 北の富士さんの相撲の話は昔昔の話ではあるんだけど面白いし、今の相撲ファンにとっては「へー、そんなことがあったんだ」「そんな時代だったんだ」と新鮮に聞こえる。なんとか、もう少しきちんと北の富士さんの話を聞く機会がつくれないかと、提案し続けたんですが、なかなか形になりませんでしたね。 ようやく相撲中継の中入り(十両から幕内の取り組みの間にある休憩)の時間に『北の富士語る』というシリーズをつくれましたけど。それも長くて7分くらいですよ。もっと、NHK特集のような1時間もので語っていただきたかったですね。 つづく
  3. #150210 | KON |
    つづき ――では「どんどん慣れて、解説がうまくなっていくな」という感じではなかったんですね。 北の富士さんの解説は上手下手ではないんですよね。そういう感覚じゃないんです。簡単な言葉で言うと、聞く者の「興味を膨らませてくれる」解説。「藤井さん、いいの? こんな話して。時間ある?」なんて言いながら、聞く者を引き込んでいく。大相撲中継だから「こうしなければいけない」というものが最初からなくて、「北の富士勝昭はこういう人間だから。このままやりますよ」という。 ぶっきらぼうなときもありますしね。思ったような答えが返ってこないから、面食らったアナウンサーもいたと思いますよ。でも、私は楽しかったですね。なにより、私にとっては北の富士さんほど楽な解説者はいませんでした。 他の親方だと、どんな話を持っているか、どういうふうに展開させるか、ある程度考えて臨むんです。でも北の富士さんはそういうことを考える必要がなかった。逆に、そんなことを考えてもその通りには絶対にいかないから(笑)。トークの展開をなかなか読めない面白さがありました。 つづく
  4. #150209 | KON |
    つづき 「藤井さん、一緒にできるね」というような声をかけてくださったことを覚えています。私としても楽しみでしたけど、期待の反面、2時間の放送の中でどんな話を引き出していけばいいのか、いろいろ考えましたね。専属解説者ということで硬い雰囲気で来られるかもしれないと、私も相当緊張して臨んだ記憶はあるんです。 ただ、放送が始まって、5分、10分経ったら、「ああ、もう普段通りでいいな」と。いつもと変わらない、気負いや緊張も全く感じられない北の富士さんでした。 つづく
  5. #150208 | KON |
    つづき 人間、つらいことがあったら愚痴をこぼしてみたり、「あいつのせいだ」と言ってみたり、世の中が悪いという話にしてみたりしてしまうでしょう。でも、北の富士さんという人はそういう人じゃないんです。どんなに苦しい思いをしてきても、苦労話を表には出さずに、話すとしても、そこを逆手にとって面白いほうにつなげていく。そういう面でもすごい人物だと思います。 解説者としての北の富士さん ――親方時代から「この人は話の天才だな」と思っていらした北の富士さんが 1998平成10年、NHKの専属解説者となるわけですよね。以来25年にわたり300回以上、実況と解説者として一緒に大相撲中継を盛り上げてこられた。初めて北の富士さんが解説をされた日のことを覚えていますか? つづく
  6. #150207 | KON |
    つづき 北の富士さん自身、相撲の世界にどっぷりとハマりながら、その中でいろんな経験をされて。それはもう幸せなことだけではないです。今よりも環境は厳しい、その中でつらい思いをしたり、やめようと思ったりしたことも当然あるわけです。そんな一つひとつの出来事の中で考えたことが北の富士さん自身の頭の中にずっとあるんだと思うんです、何年経っても。 つづく
  7. #150204 | KON |
    ――放送中や取材中だけでなく、プライベートでの言葉もたくさんあるそうですね。 幸運なことに、北の富士さんから食事にお誘いいただいて、後輩アナウンサーを連れてよくご一緒していました。 北の富士さんの独壇場ですよ。ひとつ質問をすると、次から次に話が出てきて。私も相撲ファンなので、北の富士さんが相撲の世界に入ってこられた昭和30年代から活躍された40年代の話というのはたまらなく面白いんですね。それはもちろん、北の富士さんが話されるからなんですけど。 30年以上前の相撲界、ご自身のことも当時の相撲界のことも、とにかく記憶力がすごいんです。「やはり、この人は普通ではないな」と思いましたね。私自身、自分の30年前の仕事について話してくれと言われても全く覚えていませんから。
  8. #150203 | KON |
    出会ったときから「話の天才」 ――北の富士さんの言葉を書き留められてきたとのことですが、いつ頃からでしょうか? 藤井康生(以下、同) 本にも書きましたけど、北の富士さんの上京の話を聞いたときだから、1988 昭和63年ですね。14歳の北の富士さんが上野駅を出たところで転んで、母親から持たされた小豆の袋をぶちまけてしまうんです。それを見ず知らずの東京の人たち、通勤途中の人たちが集まってきて拾ってくれたというね。私はその時代も当時の上野駅前も知らないわけですが、そのときの情景、時代背景まで目に浮かぶように話されるんですよ。北の富士さんは、その話の中に人を惹きつける魅力があって、こちらものめり込んでいってしまう。天才的な人だなと思いました。そうした話を忘れないよう書き留めるようになったんです。
  9. #150202 | KON |
    多くの相撲ファンにとって相撲実況といえば、この人。元NHKアナウンサーの藤井康生さん。令和4(2022)年1月に藤井さんがNHKを定年退職され、名コンビだった解説者、52代横綱の北の富士勝昭さんも体調不良でお休み。寂しくなった相撲中継に、さらに北の富士さんの訃報が飛び込んできたのが昨年11月のことでした。北の富士さんと40年近くにわたり親交を続けてきた藤井さんは、北の富士さんの言葉を書き留めておくのがいつしか習慣になったと言います。その膨大なメモを一冊にまとめた著書『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』。発売即重版が決定した、この本には収まり切らなかったエピソード、愛する相撲界の今後についてうかがいます。 つづく
  10. #150186 | KON |
    相撲部屋あれこれ 相撲部屋の名称と横綱四股名 大相撲史上初の“一代年寄”を授かった大鵬、そして北の湖、貴乃花。 “九重”を継ぎたいという強い意志を持って一代年寄を辞退した千代の富士を除く3名の一代年寄 それぞれが「大鵬部屋」「北の湖部屋」「貴乃花部屋」を興しましたが、大鵬親方・北の湖親方が定年退職や死去・協会を退職などするとともに、部屋の名称は消滅し、同じ一門の親方に弟子たちを預ける形になりました。 現在、存在する相撲部屋で、歴代の横綱の名前を拝しているのは 元大関琴奨菊が興したばかりの「秀ノ山部屋」、 元両国が親方をしてる「境川部屋」、 元益荒雄が興した「阿武松部屋」の三つ。 元横綱の四股名が年寄株として残っている「小野川」「不知火」「陣幕」が部屋を興せば、前述の三つの部屋に続くことになります。

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