大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,508件

  1. #151772 | KON |
    「ジグジドゥ・ムンフバトさんが……」てはなく 『ジグジドゥ・ムンフバトさんを肝臓癌で』 でした。 すみません、訂正致します。
  2. #151753 | KON |
    月刊『相撲』令和4年3月号にて 元横綱白鵬を特集 「オレの生きる道」と題して、 2019平成30年4月9日、モンゴルの国民的英雄だった父、ジグジドゥ・ムンフバトさんが肝臓癌で亡くした白鵬の苦悩を 本人のコメントを数々紹介し白鵬の生きざまを特集してます。
  3. #151740 | 匿名 |
    大体タニマチとの飲み会に弟子を連れて行きごちになるという悪しき習慣はもう辞めるべきだ。 もともと照の富士自体酒癖悪く出入り禁止になった店多いのに! 真相は分からんが飲んでいる内に白鵬の悪口言い始めてそれを聞きながら飲んでいた伯ノ富士が悪酔いして絡み出したとか、そんな悪しき習慣があるからこんな事の繰り返しだ!それも協会が機能してないからだしごち精神ももう辞めろといいたいね。 判断も先延ばしで片手落ちの結論、呆れかえる。
  4. #151722 | KON |
    プロセスに目を向けず、結末だけ報じて照ノ富士が全て悪いように報じているメディアに嫌悪感を持ちます。 伯乃富士が日本人だから必要以上に庇っているように見える。 何でもかんでも外国人(モンゴル人)が悪いと決めつけて報じているメディアが気に入らない。 たしかに朝青龍と白鵬は本当に酷かった。 しかし、鶴竜や霧島(元霧馬山)・玉鷲や旭天鵬・照ノ富士らは、日本人よりも日本人らしく大相撲に取り組んでいます。 立ち合いでの執拗な張り手もしないし、土俵での危険なダメ押しもしない。勝った時のガッツポーズもしないし、勝負がついた後の礼もきちんとしてるし、懸賞金を受け取る仕草も立派なもの。 それにしても、泥酔して一般人女性の太腿を触る蛮行をしてる現役幕内力士を制止しようと、膝の悪い伊勢ヶ濱親方が、体を張って行動を起こしただけのこと。 伊勢ヶ濱親方が2階級降格で、伯乃富士が口頭注意だけ…というのが納得できません
  5. #151721 | 匿名 |
    伊勢ケ浜親方に2階級降格の処分が下された。委員から年寄になるわけだ。旭富士(宮城野親方)も深刻に受け止めてほしいな。
  6. #151718 | KON |
    伊勢ヶ浜親方の暴力行為問題 臨時理事会を開き、弟子の幕内伯乃富士に暴力を振った として元横綱照ノ富士の伊勢ケ浜親方を委員待遇年寄から年寄へ2階級降格し、報酬を10%減額(3カ月)する処分を決めた。 師匠は交代せず、継続となりました。 協会は 素手での暴行と認定した。 伊勢ケ浜親方は2月21日午前3時頃から、後援者らと都内の会員制ラウンジで会合。 同席した伯乃富士が、泥酔状態で後援者の知人女性の太ももを触るなどしたことを受けて店内で「お前、何回同じことをやらかすんだ。酒を飲み過ぎて、覚えてないじゃすまないんだぞ。分かってるのか」と注意。 さらに、女性への乱暴行為を辞めなかった伯乃富士に対して お互い座った状態で 拳で左ほお付近を一発、続けて平手で顔面を一発たたいた。 発覚当初は、「酒瓶を振りかざした」というメディアの推測による誤報道もあった。 伯乃富士は、八角理事長(元横綱北勝海)による厳重注意となった。 伊勢ケ浜親方は「この度は、私の行動により、多くの方々にご迷惑とご心配をおかけしましたことを心より深くお詫び申し上げます。いかなる理由があっても暴力は決して許されるものではなく、自身の行動を深く反省しております。今後はこのようなことを二度と起こさぬよう、自らを厳しく律し、日本相撲協会より受けた処分について、真摯に受け止め、皆様からの信頼を取り戻せるよう努力して参ります」とコメントした。 一般人の女性への執拗な乱暴行為を辞めなかった伯乃富士から 一般女性を守ろうとした行為は、ある意味、正当防衛とも言えます。 酔うと見境がつかなくなる伯乃富士のほうにもっと重い処分にすべきだったのでは? と思いますね
  7. #151649 | オバァ |
    この所コメント少なくて残念だったけど沢山のコメントありがとうね。 もう観戦にはいけないからここは楽しみな場所だからね。 足も指も痛くて散歩もいけないのは辛いね。 コメントありがとね。
  8. #151638 | KON |
    戦後のモテ男 5傑 5 貴ノ花利彰(大関)  初代若乃花の実弟で端正なマスクから「角界のプリンス」と呼ばれた。軽量ながらも稽古熱心で相撲一筋。土俵上にはやや悲愴感が漂い、判官びいきの日本人にはたまらない存在で、史上最も人気のあった大関といっていいでしょう。 183cm、105kg。左四つからのつり寄りが得意。スリムな体形ながら絶体絶命の形からでも脅威の粘り腰で勝負を諦めないファンを魅了した。 三役時代にはNHKの解説者だった玉ノ海梅吉氏が「貴ノ花の下半身にはもうひとつの命がある」の名言を吐いた。 ほぼ毎場所のように八日目の(家族連れの観客が多くテレビ視聴率も高い)日曜日に「サンデースペシャル」とスポーツ紙に名付けられた期待通りに 毎回毎回熱戦を繰り広げた北の富士さんとの対戦がありました。 昭和47年1月場所の北の富士戦では、貴ノ花は北の富士の右外掛けで弓なりになりながらも左後方へ振り、北の富士の右手が「つき手」か「かばい手」かの大論争を巻き起こしたこともある。  最後まで軽量に悩まされ、最高位を極めることができなかったが、大関在位はその後千代大海と魁皇に破られたものの、当時としては大相撲史上1位の50場所だった。 引退後は藤島部屋を興し、その後二子山部屋と合併。実子の横綱貴乃花・3代目若乃花や大関貴ノ浪、関脇安芸乃島・貴闘力など、平成の相撲ブームをけん引した数多くの力士を育成。相撲人気に関しては、並みの横綱以上ともいえる抜群の貢献を果たした。  2005平成17年5月30日に口腔底がんのため死去。55歳の若さだった。 この項、終わり 角界ではこの後に、 昭和の終わりから平成にかけて 筋肉美の千代の富士が1大ブームをお越し、さらに若貴兄弟による若貴フィーバーとなっていきますが 男前という意味でのモテ男列伝は 昭和の終わり頃の千代の富士や霧島、琴の若らで 終止符を打ったようですね
  9. #151637 | KON |
    戦後のモテ男 5傑 4 龍虎勢朋(小結)  龍虎は 1957昭和32年、1月場所初土俵で横綱北の富士と同期。その美男横綱をしても「龍虎にはカッコよさ負けするなあ」と北の富士が嘆いたほどのイケメン力士だった。 186cm、132kg。右四つになっての外掛けや、突っ張っておいての肩透かしなど、江戸っ子らしい気っ風のいい相撲が持ち味。入幕後は小結を務めたり、13勝を挙げて準優勝を記録するなど、人気力士として活躍していたが、2度もアキレス腱を切断。幕下下位まで落ちながらまた小結に返り咲いた。  その “男の色気たっぷり” の男前の顔立ちとスラッとした体軀から “プレイボーイ”と言われ、一見 ちゃらんぽらんに見られたものの、実は 龍虎こそ兄弟子・二子山親方(元横綱初代若乃花)の座右の銘だった「人間、辛抱だ」の実践者だった。  引退後は一時放駒を襲名したがすぐに廃業。タレントに転身し、テレビ番組や「暴れん坊将軍」などの時代劇で活躍し、共演する二枚目男優たちにひけをとらない風貌で、ともすると主役俳優よりも女性ファンから人気があったほどだった。 つづく
  10. #151636 | KON |
    戦後のモテ男 5傑 3 北の富士勝昭(横綱)  明朗活発で、それまでのやや堅苦しいイメージの横綱像を一新させ、“現代っ子横綱”と言われた。  1942昭和17年3月28日に北海道旭川市で生まれた。中学時代は野球部に所属し、プロ野球を目指していたが、肩を痛めていた時期に出羽海部屋のスカウトに勧誘され、東京へ行きたい一新で入門を決めた。 昭和44年11月場所、翌45年1月場所と連覇を果たし、場所後、ライバル玉の海とともに横綱に昇進。  185cm、135kg。かち上げから左を差しての速攻相撲が持ち味で、強烈な右上手投げ、外掛けも得意だった。気合が乗った場所では爆発的な強みを見せたが、序盤につまずくと大きく崩れるなど、天才肌に付き物の気まぐれな面が存在した。  甘いマスクに、開放的な性格で話術も巧み。大関時代にはレコードを発売してヒットするなど、常に話題を提供した。夜の銀座では最もモテた力士とも言われ、有名俳優たちを凌ぐほどモテていたという。  昭和49年7月場所で引退。年寄井筒から九重になり、横綱千代の富士、北勝海らを育てた。1992平成4年に千代の富士に九重を譲り、陣幕に名跡変更して理事としても協会に貢献した。 平成10年1月限りで角界を離れ、NHKの名解説者として活躍していたが、2024令和6年11月12日に82歳7か月で亡くなった。昭和以降に生まれた横綱では、栃ノ海の82歳10か月に次ぐ長寿だった。 そんな北の富士さんが『格好良さでは奴に負ける』と嘆いたのが龍虎さんでした。 つづく

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