大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,264件

  1. #150233 | Y |
    藤井さんが書いた北の富士さんの本昨日買いに行きました。 今日の夜から読み始めます。 一応お店にも置いておいて藤井さんがいらした時にサインしてもらおうと思ってます。 本の中でしか会えないのは寂しい限りです。 ジョークで私達も銀座の北の富士とかで書こうかとか言ってます。 私達が知ったのは最後の方でしたし、体調もいまいちでしたが粋で楽しい方でしたし、色々教えてもらいました。 藤井さんはバリバリの時からですので楽しかったでしょうね。 大谷さんロスが落ち着いてきたので!楽しみに読みたいと思います。 夜になり冷えこんできました。 冷えに弱い私には苦手な季節ですが乗り切らないと!と自分で鼓舞してます。
  2. #150231 | KON |
    異例、貴景勝が部屋持ち親方へ❕ 貴乃花部屋から移籍した先の常盤山部屋の師匠、常盤山親方(元小結・隆三杉)が、来年春場所前の3月1日付で65歳の定年になるた為、部屋を継承して湊川部屋とすることが九州場所後に発表されました。 湊川親方は昨年秋場所で現役を引退し、部屋付きの親方として指導をしてきた。 現役時代に押し相撲を得意とした大関貴景勝、湊川親方は、四つを得意とする力士に対して、押し相撲の力士がされて嫌な相撲をことを事細かに伝えた。 「自分は四つ相撲はやってこなかったので、四つの攻め方をあまり自分の体で表現はできない。でも押し相撲が四つ相撲にされて嫌なことは体で覚えている。だから押し相撲側の目線で、四つ相撲の子に対してはそういう教え方をしている。押し相撲の子には僕の長所というところを伝えることができる」と語った。 来年8月に30歳となる同親方は現在29歳。 20代での部屋持ちの親方は、29歳11カ月で佐渡ケ嶽部屋を独立して尾車部屋を創設した元大関・琴風の琴風浩一さん(スポーツ報知評論家)ら過去の例は少ない。 異例の20代での師匠という立場にも「現役の空気感を生かしてやれることをやっていければ。自分が指導をしていく立場だが、まだまだ未熟。いろいろなことを吸収して、一から勉強させてもらう気持ち」と力強く話した。 思い描く理想の部屋については「いろいろなことがあるが、力士を強くすることが本来の一番の目的だと思うので、やっぱり結果を出したい。全員が全員成功できる世界ではないので、『入門してよかったな』『相撲界に入って良かったな』と思ってもらえるような部屋にしたい」と言葉に力を込めました。
  3. #150230 | KON |
    皇后さまが9日に62歳の誕生日を迎えられた際、発表されたご感想の中で、安青錦(21)の活躍に触れられたことに対し、「素晴らしい日に寄せられましたお気持ちの中に、安治川部屋の安青錦の活躍に触れて頂きました事、望外又この上ない慶で御座います」と八角理事長が恐縮。  皇后さまは 発表された文書の中で、ドジャース大谷翔平投手とともに、安青錦の活躍についても綴られ 「大相撲では、九州場所で安青錦関が初優勝し、祖国ウクライナの戦乱を逃れて日本にやってきた高校生が、一心に稽古を重ね、日本の伝統である大相撲で大関まで昇進したことに感銘を受けました」と言及。 「こうした方々が、日々の努力の積み重ねにより、新たな世界を切り開いてこられた姿は、多くの人に勇気と希望を与えてくれたものと思います」と思いを寄せられたそうです。
  4. #150219 | KON |
    小結・関脇をひと場所ずつで通過しての大関昇進を果たした安青錦。 小結・関脇をひと場所ずつで通過   過去には大正時代の剛力横綱栃木山守也の例がありました。 “大正時代の雷電”とも言われた太刀山峰右衛門の57連勝を阻止する殊勲の星を挙げ、3場所連続9度目の幕内優勝を飾ると突如引退して春日野部屋を興し栃錦や栃ノ海を横綱にまで育て上げた栃木山。 小兵ながらも、すこぶる怪力での「おっつけ」「はず押し」を極め、栃木山の絞り上げるような“おっつけ”で大柄な相手が浮き上がってしまっていました。 安青錦には、栃木山のような相撲を取って欲しいものです。 来年の今頃には “横綱安青錦”誕生が見られることを大いに期待しています。
  5. #150212 | KON |
    つづき(最終) 「言葉を残したい」と思わせる人 ――あの企画は藤井さんの発案だったんですね。相撲について、さまざまなことがうかがえて、とても面白かったです。毎場所、楽しみにしていました。 最初に話をもっていったとき、北の富士さんには「面倒くさいな」と言われましたけど(笑)。でも私がインタビュアーで、毎回30分〜1時間、話をしていただいて。放送で使うのは7分くらいですからもったいなかったですけど、使われなかった話をずいぶん今回の本に使わせてもらいました。 この企画も、この本も「この人の経験はきちんと残す必要がある」と思ったから生まれたものなんです。そう思わせてくれる人でした。 ――今回の本も形にするには大変なご苦労があったと思います。 本当です。でも、できあがった本を見て、「やってよかったな」と思いました。私、50歳を過ぎてからフルマラソンに挑戦しているんですが、マラソンと一緒ですよね。途中で何度も「やめようか」「なんでこんな苦しいことやっているんだろう」と思うわけですよ。先日(11月9日)も福岡マラソンに参加してきたんですけど、自分からエントリーして、足を引きずりながらヘトヘトになって走って。しかも、途中から雨風、まるで台風ですよ。その中をあと何キロ走らなきゃならないんだって、考えるだけで嫌になるわけでしょ。でも、ゴールまで残り5キロ、4キロって表示が見えてくると、ちょっと元気が出る。ゴールすると、「やったあ」という気持ちと「次はどこのマラソンにエントリーしようかな」という気持ちが湧いてくる。それと似ていますよね。ただ、本はさすがに「次は何を書こうかな」とは思いませんでしたけど(笑)。 でも、もう二度とこういうことを語ってくれる人は出てこないでしょう。今の日本相撲協会にいる人たちも語ることはできない。だから北の富士さんを失ったことは本当に惜しいんだけれども、せめて本となって少しでも、その言葉が残ったことはよかったと思うんです。 終わり
  6. #150211 | KON |
    つづき ―― 本の中でも、土俵の実況は最小限にして、北の富士さんの話に乗っていくエピソードがありましたね。 アナウンサーの先輩には注意されましたけどね。「話に食いついていくのはいいけど、もう少し土俵を大事にしないと。相撲中継なんだから」ってね。でも「勝敗をきちんと伝えれば、それ以外は北の富士さんの面白い話を聞く日があってもいいんじゃないですか」って、私も譲りませんでした。 北の富士さんの相撲の話は昔昔の話ではあるんだけど面白いし、今の相撲ファンにとっては「へー、そんなことがあったんだ」「そんな時代だったんだ」と新鮮に聞こえる。なんとか、もう少しきちんと北の富士さんの話を聞く機会がつくれないかと、提案し続けたんですが、なかなか形になりませんでしたね。 ようやく相撲中継の中入り(十両から幕内の取り組みの間にある休憩)の時間に『北の富士語る』というシリーズをつくれましたけど。それも長くて7分くらいですよ。もっと、NHK特集のような1時間もので語っていただきたかったですね。 つづく
  7. #150210 | KON |
    つづき ――では「どんどん慣れて、解説がうまくなっていくな」という感じではなかったんですね。 北の富士さんの解説は上手下手ではないんですよね。そういう感覚じゃないんです。簡単な言葉で言うと、聞く者の「興味を膨らませてくれる」解説。「藤井さん、いいの? こんな話して。時間ある?」なんて言いながら、聞く者を引き込んでいく。大相撲中継だから「こうしなければいけない」というものが最初からなくて、「北の富士勝昭はこういう人間だから。このままやりますよ」という。 ぶっきらぼうなときもありますしね。思ったような答えが返ってこないから、面食らったアナウンサーもいたと思いますよ。でも、私は楽しかったですね。なにより、私にとっては北の富士さんほど楽な解説者はいませんでした。 他の親方だと、どんな話を持っているか、どういうふうに展開させるか、ある程度考えて臨むんです。でも北の富士さんはそういうことを考える必要がなかった。逆に、そんなことを考えてもその通りには絶対にいかないから(笑)。トークの展開をなかなか読めない面白さがありました。 つづく
  8. #150209 | KON |
    つづき 「藤井さん、一緒にできるね」というような声をかけてくださったことを覚えています。私としても楽しみでしたけど、期待の反面、2時間の放送の中でどんな話を引き出していけばいいのか、いろいろ考えましたね。専属解説者ということで硬い雰囲気で来られるかもしれないと、私も相当緊張して臨んだ記憶はあるんです。 ただ、放送が始まって、5分、10分経ったら、「ああ、もう普段通りでいいな」と。いつもと変わらない、気負いや緊張も全く感じられない北の富士さんでした。 つづく
  9. #150208 | KON |
    つづき 人間、つらいことがあったら愚痴をこぼしてみたり、「あいつのせいだ」と言ってみたり、世の中が悪いという話にしてみたりしてしまうでしょう。でも、北の富士さんという人はそういう人じゃないんです。どんなに苦しい思いをしてきても、苦労話を表には出さずに、話すとしても、そこを逆手にとって面白いほうにつなげていく。そういう面でもすごい人物だと思います。 解説者としての北の富士さん ――親方時代から「この人は話の天才だな」と思っていらした北の富士さんが 1998平成10年、NHKの専属解説者となるわけですよね。以来25年にわたり300回以上、実況と解説者として一緒に大相撲中継を盛り上げてこられた。初めて北の富士さんが解説をされた日のことを覚えていますか? つづく
  10. #150207 | KON |
    つづき 北の富士さん自身、相撲の世界にどっぷりとハマりながら、その中でいろんな経験をされて。それはもう幸せなことだけではないです。今よりも環境は厳しい、その中でつらい思いをしたり、やめようと思ったりしたことも当然あるわけです。そんな一つひとつの出来事の中で考えたことが北の富士さん自身の頭の中にずっとあるんだと思うんです、何年経っても。 つづく

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