大相撲のコメント部屋

※コメント投稿の際に名前欄にメールアドレスを記載しないでください。
※コメントを投稿する際は「コメントのルール」を一読ください。
※誹謗中傷、なりすまし、野球に直接関係ないコメントは「NGコメント」、以上の行為を繰り返すと「NGユーザー」の対象となります。

※2019年7月1日からコメントの確認・サイト掲載時間は9時~18時の間のみです。またコメント反映までは1時間程度を目安としてください。
※フィーチャーフォン(ガラケー)の投稿機能に関しましては、動作を保証するものではありませんのでご了承ください。

みんなで応援しよう!

この試合・選手についてのコメントを投稿してください

※ コメントは承認後に表示されます
※ 誤謗中傷や不適切な内容は掲載されません

応援コメント一覧 全2,290件

  1. #150271 | KON |
    内舘さん、、、 大相撲の歴史を数千年、、、 とおっしゃってましたが、 出雲の国の 野見宿禰(のみの すくね)と 大和の国の 當麻蹴速(たいまの けはや)が垂仁天皇の命により天皇の御前で相撲を取ったのが 紀元前23年7月7日だったそうなので、今から 2050年近く前のこと。 その前から日本では、 漢同士で相撲を取る文化があったのでしょうね
  2. #150270 | KON |
    人気脚本家の内館牧子(うちだて・まきこ)さんが17日、急性左心不全のため死去した。77歳だった。2000年から約10年、女性で初めて大相撲の横綱審議委員会委員を務め、在任中は舌鋒(ぜっぽう)鋭く横綱・朝青龍を批判するなど、角界を叱咤(しった)激励してきた。22年9月の秋場所を前に、現横綱の豊昇龍、大関・琴桜にも言及したインタビューを再録すると 内館氏の相撲との関わりは4歳頃が始まりだった。 「いじめられっ子だった私を、いつも助けてくれた男の子がいたんです。今思えば、力道山に似ていた。その頃に力士や体の大きい男の子が好きとすりこまれたんでしょうね。本場所を初めて見たのは大学生の頃です。当時は蔵前国技館で、レトロ感が好きでした。会社勤めしてからは、地方を含め(年間)90日の半分は行っていたでしょうね」 相撲の魅力は“異世界”を感じられるところと説く。 「相撲の歴史は数千年、興行になってから250年と言われる。(角界には)現代とは違う考え方や時間が流れていると思っています。私は、この世とは違うどこか別のところから遣わされた印象の力士が好きでした。鏡里は太鼓腹がこの世離れしていて、初恋でしたね」 おすすめは幕下以下から観戦することだという。 「序ノ口、序二段からとは言わないけれど、幕下上位ぐらいからは見てもらいたい。幕下上位と十両の下位は1、2枚しか違わないのに(待遇面などで)天国と地獄の差があるわけです。でも『悔しかったら強くなれ』という世界。下位力士の気概を知ってほしい」 00年には女性初の横審委員に就任。“天敵”とされた朝青龍との“バトル”も話題になった。 「(就任は)人生において一番の驚きですね。朝青龍は頭のいい人で、力士としてすごく買っていましたが、外国の伝統文化で禄(ろく)を食(は)んでいる意識は感じられず、断じて許せなかった。相撲は『保守』するところと『変革』するところを(日本相撲)協会もファンも認識しなければなりません」 今春には池坊保子、紺野美沙子両氏が横審委員に。女性委員の先輩として2人にエールも送った。 「すごくいい人選だと思いました。お2人とも相撲好き。別に女性ならではの視線とかではなく、ずっと見てきて、感じていることをおっしゃってくだされば」 現在の土俵をどう見ているのか。まずはともに祖父に元横綱、父に元関脇を持つ2人の力士を挙げた。 「琴ノ若(現・琴桜)はまだ3、4歳の頃だったと思いますが、祖父の元琴桜と話していると、すでに孫への期待を感じました。 (祖父が大鵬の)王鵬はお坊ちゃんぽい印象ですが、幼い頃、大鵬に飛びついて殴ったりするんですよ。大鵬はその気の強さがうれしそうで、組み敷いてやっつける。琴ノ若も王鵬も素質は破格ですから、目指すべきは横綱のみです」 “天敵”のおい、豊昇龍も注目するが、注文も。 「豊昇龍も単に強引な投げ技に頼る荒っぽさだけでない相撲を見せてほしい。今、横綱は満身創痍(そうい)で大関はあの通りです。それでも客が入るわけを、協会、力士は重く考えるべき。横綱の孫2人や若元春、若隆景らが本格的に強くなるところを見たいんです。見せないとなりません」 “キャラ立ち”する力士が出てきてほしいとも願う。 「昔は『潜航艇・岩風』、『人間起重機・明武谷』、『褐色の弾丸・房錦』など取り口によるあだ名がついていた。それが最近なかなかなくなりましたよね。あだ名が付く技を持つ力士は必須です」 と語られてました。 御冥福をお祈りします
  3. #150260 | KON |
    4代横綱の谷風は、巨漢が故 当初は看板大関として江戸の番付に登場していたが、土俵入りを見せるだけの他の大男たちと違って相撲の実力も他を圧倒していた為、毎場所のように新しい巨漢を連れてきては見世物にしていた相撲会所のやり方に異議を唱え、看板大関を辞して前頭筆頭から出直し、実力で大関を勝ち取り、さらには横綱免許まで受けた強豪。 連勝記録は63連勝。 その64連勝をとめたのが好敵手とされた小野川。しかし谷風はその翌日から再び勝ち続け43連勝しました。 年間ふた場所の時代とはいえ 26年間で 幕内優勝21回。258勝 14敗 16分け 16預 無勝負が5 でした。 なお、江戸での本場所の記録だけの成績が公表されてるので最多連勝は63とされてますが、京都本場所や大坂本場所での連勝を含めると 98連勝していたことになる。 明治以降の大連勝記録を 谷風の頃の大相撲に当てはめれば、大阪場所・名古屋場所・九州場所を除いた連勝記録となるので、 東京の蔵前や両国での開催に限ると 双葉山の69連勝は全て東京開催なのでそのまま69連勝、 明治初期の初代梅ヶ谷がすべて本所の回向院での開催にて58連勝 大正の太刀山が旧両國國技館にて56連勝、 誤審によってストップさせられた大鵬の45連勝は東京開催では33連勝、 千代の富士の53連勝は東京場所で31連勝、 白鵬の63連勝も東京場所に限れば42連勝となってしまいます。 また、地方場所で脆かった北の湖は東京開催に限れば43連勝した記録も残っています。
  4. #150259 | KON |
    谷風とは、二代谷風梶之助のことで、第4代横綱とされています。 1789年11月に吉田司家から小野川喜三郎とともに横綱免許を授かり、1795寛政7年に35連勝のまま江戸で大流行したインフルエンザにより44歳で現役死するまで使用していた化粧まわしが展示されてるようです。 (初代横綱の明石志賀之助・二代横綱の綾川五郎次・三代横綱の丸山権太左衛門の3人は、後の第10代横綱の雲龍久吉が後年、現役引退後に 相撲会所=かいしょ、、現在の日本相撲協会 の筆頭=ふでがしら になった明治時代初期に、公式横綱として二代谷風梶之助の前の認定したという) 初代横綱とされて明石志賀之助は栃木県出身で身の丈が7尺3寸とも8尺3寸とも言われ、少なくとも 220cmを超えて目方(めかた)が 60貫=220kg以上あったという超巨漢。 二代横綱とされる綾川五郎次も栃木県下野国出身で身長200cm体重150kgの巨躯。 三代横綱の丸山権太左衛門は宮城県登米市出身でやはり身長は197cm体重160kgという大男で他を圧倒していたようです。 さらに、初代谷風梶之助とは? というと、正式な番付として残存している1757宝暦7年の大関雪見山堅太夫よりもさらに30年近く前、江戸の勧進相撲が大人気となっていくより前の時代に、花形だった大坂相撲や京都相撲で活躍し 9年間無敗だった記録が残されてます。
  5. #150257 | KON |
    横綱大の里(25=二所ノ関が23日、東京・両国国技館で開かれた日本相撲協会の財団法人設立100周年記念式典に出席。  大の里は「たまたまですけど、100周年の年に横綱になれて、式典に出られて光栄。長い歴史があって今の大相撲がある。しっかり横綱として頑張っていきたい」と決意を新たにした。 この日は国技館内で歴代横綱の化粧まわしなどが展示された記念展も熱心に見学。「今と違ったデザインもあって楽しかった。昔の横綱の化粧まわしはかっこいい。谷風関(第4代横綱)の綱が残っているのはすごいなと思いました。よく保管されているなと。見に行けて良かった」と興奮気味に感想を語ったようです。 また、横綱豊昇龍(26=立浪)も祝典に出席。 「横綱として引っ張る? 責任は重いね。頑張るしかない」と気持ちを引き締めたという。
  6. #150255 | 匿名 |
    確かに白鵬の件はやりすぎだと思う。誰も声あげないし協会がよしとしているなら延々続くのかな。 本体があれでは有望な力士がでてきても力士には直接関係はないが見る気持ちは失せる。 ましてや解説人が北の富士裏切った奴らが天下取った様に間違った事は言うし訂正されたのに謝らないとルール無視、常識なさ過ぎ。 抵抗する奴は追い出し、部屋は再興するは引退と言ってた奴が宮城野になり白鵬育てた弟子は改名!させられる。 こんな最低のやり方がおかしいし誰も何にも言わないのは断末摩だよな! 胸くそ悪いわ
  7. #150254 | KON |
    引退相撲(2026年1月31日)開催の挨拶に訪れた伊勢ケ浜親方(元横綱照ノ富士)は、宮城野部屋出身力士8人が改名して「富士」が付いたことに「預かった以上は自分の弟子。同じ方向を向いていこうということで変えた。みんなで話し合って決めました」と説明。 伯乃富士については、出身の鳥取県=「伯耆国(ほうきのくに)」に由来していることにふれ「『伯』は入れたい」とした。改名しなかった炎鵬は、本人の意思を尊重したという。  伯乃富士は「『伯乃富士』の名前を、自分の結果で広めていきたい。もちろん、宮城野部屋の当時の師匠に『伯桜鵬』という名前をもらっているんで、そこの思いもあります。師匠と相談して、最終的には自分で決めました」と話した。 一部の化粧まわしは、しこ名の刺しゅうを修正して初場所に間に合わせる。明け荷は間に合わないため、「伯桜鵬」のまま使うという。  22日に発表された初場所の新番付で、伊勢ケ浜部屋の力士は9人が改名。9人中8人は元横綱白鵬の宮城野部屋出身で、伊勢ケ浜部屋に所属する力士31人中、29人は「富士」が付くしこ名となっていた
  8. #150253 | KON |
    両国国技館で「日本相撲協会財団法人設立100周年記念式典」が開催され、招待客ら約800人が集まったという。 開演直後、元関脇 勢の春日山親方(39=伊勢ノ海)が100周年記念の相撲甚句を披露。「このような席で歌わせて戴くことは、大変光栄に思います。魂込めて歌わせて戴きました」とコメント。 現役時代から角界屈指の美声で知られ、2年半前の引退相撲でも国技館で3曲を披露、NHK福祉大相撲やベートーベン第九5000人オーケストラコンサートなどでも国技館で歌った経験があり、この日も安定したパフォーマンスで「(出来は)120点満点」と胸を張った春日山親方。 歌詞は、高音での呼び上げで人気の幕内格呼出の利樹之丞さんが書き上げたそうで 相撲協会の100年の歴史や、伝統文化の尊さを詩に載せた。 春日山親方は「相撲甚句も昔からある、伝統あるものです。大切に歌い続けて守っていかないといけないものだと思っています。歴史的なものを歌に乗せて今まで伝えてきました。伝統文化と歌は切っても切れない素敵な関係があると、私は思います」と節目の甚句を振り返っていました。
  9. #150252 | 匿名 |
    あからさまな白鵬いじめもここまでくると日本人として恥ずかしいわ。いる間は全部ダメ、辞めたら旭富士が宮城野親方!辞めると言っていたのにな! 照ノ富士だって自分で育てた弟子は皆無、旭富士の残した弟子と有望なのは白鵬の弟子達、それを富士のつく名前に改名! 呆れかえる!ここまで酷い事して何が相撲協会だ。 何としても理解不能な話。見る気持ちもおきんよ。
  10. #150251 | KON |
    衝撃ニュース 伊勢ヶ浜部屋の力士が多数、改名❗ 現伊勢ヶ浜親方(元照ノ富士)のカラーを強く打ち出したか、先代伊勢ヶ浜(元横綱旭富士)との協議での決定か、、、 「白鵬」を連想させる『鵬』を除去、 大相撲の前頭・伯桜鵬ら伊勢ケ浜部屋所属の9力士が一斉に改名した。 このうち8人は、元横綱・白鵬翔氏が師匠を務めていた旧宮城野部屋出身の力士だった。 22日に初場所(来年1月11日初日)の新番付が発表され、前頭3枚目の伯桜鵬は伯乃富士(はくのふじ)となった。 旧宮城野部屋所属で幕内経験がある幕下の炎鵬は改名しなかった。 他に幕下では聖白鵬(せいはくほう)が寿之富士(としのふじ)、天照鵬(てんしょうほう)が三重ノ富士、松井が嵐富士に改名。 三段目では泉翔鵬(せんしょうほう)が泉富士、川副が花の富士、美(ちゅら)が美富士(ちゅらふじ)、大ノ蔵が蔵ノ富士となった。 良ノ富士(かずのふじ)から改名した序二段の翠河富士(すいがふじ)は旧宮城野部屋出身ではない。 先代宮城野親方の白鵬氏は2024年、弟子の元前頭・北青鵬(引退)の暴行事件などで部屋が閉鎖となり、力士らとともに伊勢ケ浜部屋預かりに。 白鵬氏は今年6月に日本相撲協会を退職し、相撲の国際的な普及活動などに取り組んでいるようです。

応援コメントを投稿

が付いている欄は必須項目です

※ 不適切な内容は掲載されません
※ 日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)