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理事長選挙での各一門による事前調整と造反票が出てしまった時のしつこい犯人捜し まだこんなことをやってるんでしょうねえ、相撲は! 時津風一門の調整に異を唱え造反した 寺尾(当時の錣山親方)は 一門で村八分にされ胃を病んで早死にしてしまいました。
日本相撲協会理事長歴代 初代 廣瀬正徳 1920年1月-1938年9月 陸軍主計中将 2代 藤島秀光→出羽海秀光 出羽海 一門 1944年3月-1957年5月 第31代横綱 常ノ花寛市 (国会で協会経理の杜撰さを厳しく追求され悩んだ末に自殺未遂、それにより任期途中で退任。 ) 3代 時津風定次 時津風一門 1957年5月-1968年12月 第35代横綱 双葉山定次 = 公選初代理事長。任期途中で死去。 4代 武蔵川喜偉 出羽海一門 1968年12月-1974年1月 5代 春日野清隆 出羽海 1974年2月-1988年1月 第44代横綱 栃錦清隆 6代 二子山勝治 二所ノ関一門 1988年2月-1992年1月 第45代横綱 若乃花幹士 7代 出羽海智敬→境川尚 出羽海一門 1992年2月-1998年1月 第50代横綱 佐田の山晋松 8代 時津風勝男 時津風一門 1998年2月-2002年1月 大関 豊山勝男 9代 北の湖敏満 出羽海一門 2002年2月-2008年9月 第55代横綱 北の湖敏満 任期途中で自らの部屋の弟子(露鵬ら)を含む複数力士の大麻問題の責任を取り辞任 10代 武蔵川晃偉 出羽海一門 2008年9月-2010年8月 第57代横綱 三重ノ海剛司 任期途中で大相撲野球賭博問題の責任を取り辞任 代行 村山弘義 2010年7月4日-8月5日 弁護士、元東京高等検察庁検事長 11代 放駒輝門 二所ノ関一門 2010年8月-2012年1月 大関 魁傑將晃 任期中に八百長問題が発覚、2011年3月の大阪場所開催を中止、続く5月夏場所は、入場無料でNHKによる中継もない前代未聞の「技量審査場所」を決断、相撲協会最大の危機の中、諸問題の処理を済ませてから辞任。 『注射相撲=八百長を一切しなかったガチンコ大関・魁傑が八百長問題処理に取り組む運命の皮肉』と報じられた 12代 北の湖敏満 出羽海一門 2012年2月-2015年11月20日 第55代横綱 北の湖敏満 任期途中で死去。 代行 八角信芳 高砂 2015年11月21日-12月17日 第61代横綱 北勝海信芳 事業部長による代行。 13代 八角信芳 高砂一門 2015年12月18日- (継続中) 第61代横綱 北勝海信芳 ということで 理事長は 出羽一門が圧倒的に多く、次いで 時津風一門と二所ノ関一門。 高砂一門からは八角が初めて。 伊勢ヶ濱一門からの理事長輩出は1度もありません。
つづき 「大の里の師匠の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里、38)が将来の理事長候補となった。まだ若いので、まずは副理事を経験してから理事に昇格し、世代交代を進める。北の湖さんは42歳で理事になり、48歳で理事長になった。中継ぎとしてちょうどいい年代に、佐渡ヶ嶽親方がいるのです」(同前) 時津風一門の2票は二所ノ関一門につくとされ、そうなると “基礎票”は八角理事長サイドと同数。 「カギを握る残りの理事は、二所ノ関一門ながら八角体制下で審判部長に取り立てられた高田川親方(元関脇・安芸乃島、58)、そして伊勢ヶ濱一門の浅香山親方(元大関・魁皇、52)。浅香山親方は同じ一門の白鵬の問題で矢面に立たされ、理事長と少し距離ができたとされます」(同前) 現執行部体制の継続か、世代交代か──大きな路線対立につながる「70歳定年」の導入やそれに対する反発について協会に問うたが、「お答えすることはありません」(広報部)とするのみ。 年寄株をめぐる問題では、とりわけ激しい内紛が起きる。1996年には当時の境川理事長(元横綱・佐田の山)が売買禁止といった改革私案を出したところ、既得権益を持ってる当時の親方衆が猛反発。 「私案は取り下げられ、2年後の理事選は“反境川”の急先鋒として当時の間垣親方(元横綱・二代目若乃花)と高田川親方(元大関・前の山)が一門の調整を拒んで出馬した。票の争奪戦で当選できなくなった陣幕親方(元横綱・北の富士)は嫌気がさして協会を退職。境川理事長は4選を断念しました」(ベテラン記者) 今回もまた、内紛の歴史が繰り返されるのか。 ※週刊ポスト2025年7月11日号
続き 引退した力士が親方として協会に残るには、105しかない「年寄株」を襲名する必要があるが、慢性的な不足状態にある。その原因だと批判されるのが、65歳の定年後に年寄株を襲名したまま70歳まで参与として残れる再雇用制度だ。「70歳定年・75歳再雇用」となればさらに株が足りなくなる。 実際、ある若手親方は「70歳定年なんて定年間近の人以外は反対でしょう。今でも実績のある関取が協会に残れず困っている。強行すれば八角体制にとって命取りになりかねない」と“クーデター”の可能性を示唆した。協会関係者が言う。 「来年の理事選に向けて八角理事長が固められているのは、自身と出羽海一門の理事3人の4票とされる。理事長は理事10人の互選。それだけでは当確ラインに届かない」 注目されるのは、もうひとつの大派閥である二所ノ関一門の動きだ。協会の裏方のひとりが言う。 「二所ノ関一門のバックには、昨年退職した実力者である前・尾車親方の元大関・琴風さんがいて、その古巣である部屋の佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若、57)が理事長候補になる。現在、協会ナンバー3の広報部長と総合企画部長を兼任しているが、これも琴風さんの後押しがあってのこと」 同一門では、大の里が8年ぶりの日本出身横綱となりフィーバーを巻き起こしたことも大きい。 続く
つづき 協会の理事は出羽海、二所ノ関、時津風、高砂、伊勢ヶ濱という5つの一門がポストを分け合う。八角理事長が属する高砂一門は理事ポストが1つの“弱小派閥”だが、最大派閥・出羽海一門の支持を取り付けるなどして体制を維持してきた。 「懸案があるとすれば、現理事の多くが定年間近なこと。出羽海一門の理事では、八角理事長より年上の春日野親方(元関脇・栃乃和歌、63)と境川親方(元小結・両国、62)が次の任期中に65歳定年を迎えるため退任予定。他にも複数の理事が年齢のため退任となる。同じように支持を受けられるかが注目されています」(前出・担当記者) そうしたなか、体制を盤石にすべく「定年延長」が浮上しているという。 「協会の定年を現在の65歳から70歳へ、再雇用も70歳から75歳までへと延長する動きがあるのです。9月場所後の理事会で決定し、来年1月場所後の理事選で現執行部が再出馬する狙いなのでしょう。本来はあと1期のはずの八角理事長がさらに2~3期、理事長をやる意思表示とされます」(前出・相撲ジャーナリスト) 八角体制下では2018年に反執行部の貴乃花親方が退職に追い込まれ、協会内で野心を隠さなかった白鵬氏も組織を去った。 「執行部に表立って反目する存在が消え、八角理事長や春日野親方がやりたい放題のような状況。ただ、今回の白鵬の退職には若手を中心に協会の対応のまずさを指摘する親方も少なくない。八角理事長にカリスマ性はなく、権力基盤も強くない。協会内では不穏な動きが見られます」(同前) 定年延長が若手の不満につながるのは、「年寄株問題」が絡むからだ。 つづく
理事長選挙問題 っていうか 親方株不足解決のための定年退職問題 週刊ポストセブンによると 理事長選に暗雲 《白鵬が去って「一強体制」と思いきや…》 八角理事長にまさかの落選危機 定年延長案に相撲協会内で反発広がり、理事長選で“クーデター”も 週刊ポストによると 元横綱の白鵬翔氏(40)が退職し、相撲協会は八角理事長(元横綱・北勝海、62)の「一強体制」になったと見られてきた。ところが、自身を脅かす存在を“排除”した後には、組織が割れかねない“内紛”の火種があった。 相撲協会を退職した白鵬氏は6月14日にアマ相撲発展に取り組む新会社「白鵬ダヤン相撲&スポーツ」の設立を発表した。 「『世界相撲グランドスラム構想』を進めるというが、容易ではない。ビジネス化には、相撲を総合格闘技としたり、プロレスのようにショー化するといったやり方になる。協会が手を組める話ではなく、先行きは厳しいのでは」(相撲ジャーナリスト) 現役時代の成績や資金力で大きな存在感を見せた白鵬氏を退職へ追いやり、八角理事長が協会内を掌握したかに見える。 「協会の理事長は2年に一度の理事選の後、理事10人の互選で決まります。来年1月場所後に次の理事選があり、八角理事長は6期目に意欲的だとされています」(担当記者) つづく
このほどNHKが取り上げたローカル番組のなかで熊本局からの佐田の海をスポットにしたドキュメントみたいな番組を見ました。愛娘2人と一緒にいる場面はホッコリしました。お父さんの先代佐田の海の相撲何十年ぶりに見ましたよ。大の里より速いといえば怒られるかな。たった一度だけでもあのウルフ千代の富士を速攻相撲で下した方ですから。佐田の海シニアとジュニアのコミュニケーションぶりからしてこれからもジュニアの前へ出る相撲を楽しめそうです。目指せ三役!!
あ、思い出したよKONさん! 九州場所は1985年までが九電記念体育館、1986年から福岡国際センターでの開催ですよ。ちなみに1985年の場所は横綱輪島が14勝1敗で14回目、生涯最後の優勝を飾りました。1986年は千代の富士が涙の横綱初優勝でした。決定戦で敗れた朝潮大ちゃんはここから初賜杯までに年月を費やしたんですね。 輪島、北の湖、2代目若乃花、貴ノ花、旭國、増位山、隆の里、大関朝潮、北天佑に千代の富士もみんな天国へいってしまったよ(泣)
スポーツ新聞を買って来ました。 3連覇に、史上10人目の新横綱優勝も添えるつもり……と意気込む新横綱大の里。 故郷石川県津幡町でのパレードには 師匠二所ノ関親方が横綱稀勢の里として凱旋パレードをした2017年2月、東京からもそう遠くない牛久でのパレードの観覧者50,000人(私も観覧しました)を超えられませんでしたが、 地元住民の人口より多い 37,000人が沿道へ押し掛け盛大にお祝いされた大の里。 昭和以降最速となる、初土俵から所要13場所での横綱昇進など、記録ずくめの横綱昇進。 その実力はもちろん、自然と注目を集める宿命なのかもしれない。 名古屋場所は今年、60年間、本場所を開催したドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)から、IGアリーナに会場を移す。 本場所会場が変更となるのは、1985昭和60年初場所に新両国国技館が完成、それまでの蔵前から現在の両国に移転した国技館以来で、実に40年ぶり。 当時、満身創痍だった横綱北の湖が「なんとか新両国国技館で土俵に立ちたい」と “ 憎たらしいほど強かった ” 北の湖がボロボロの体で現役を続け、前年秋場所と九州場所を前半戦で途中休場しながら新装国技館での初場所に臨み、初日に小結旭富士=前伊勢ヶ濱親方、二日目に多賀竜に敗れてしまい、花道のファンから『北の湖ぃ、頑張れーっ』と声援を受け、“頑張れ…なんて言われるようじゃ俺もおしまいか……”と引退を決心した場所でした。 結局、新装国技館の土俵には横綱として立ちましたが、ひとつの勝ち星も挙げられず引退となってしまいました。 史上最年少横綱の記録は未だに北の湖が保持しています。
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理事長選挙での各一門による事前調整と造反票が出てしまった時のしつこい犯人捜し
まだこんなことをやってるんでしょうねえ、相撲は!
時津風一門の調整に異を唱え造反した 寺尾(当時の錣山親方)は 一門で村八分にされ胃を病んで早死にしてしまいました。
日本相撲協会理事長歴代
初代 廣瀬正徳
1920年1月-1938年9月
陸軍主計中将
2代 藤島秀光→出羽海秀光
出羽海 一門
1944年3月-1957年5月
第31代横綱 常ノ花寛市
(国会で協会経理の杜撰さを厳しく追求され悩んだ末に自殺未遂、それにより任期途中で退任。 )
3代 時津風定次
時津風一門
1957年5月-1968年12月
第35代横綱 双葉山定次
= 公選初代理事長。任期途中で死去。
4代 武蔵川喜偉
出羽海一門
1968年12月-1974年1月
5代 春日野清隆 出羽海
1974年2月-1988年1月
第44代横綱 栃錦清隆
6代 二子山勝治
二所ノ関一門
1988年2月-1992年1月
第45代横綱 若乃花幹士
7代 出羽海智敬→境川尚
出羽海一門
1992年2月-1998年1月
第50代横綱 佐田の山晋松
8代 時津風勝男
時津風一門
1998年2月-2002年1月
大関 豊山勝男
9代 北の湖敏満
出羽海一門
2002年2月-2008年9月
第55代横綱 北の湖敏満
任期途中で自らの部屋の弟子(露鵬ら)を含む複数力士の大麻問題の責任を取り辞任
10代 武蔵川晃偉
出羽海一門
2008年9月-2010年8月
第57代横綱 三重ノ海剛司
任期途中で大相撲野球賭博問題の責任を取り辞任
代行
村山弘義
2010年7月4日-8月5日
弁護士、元東京高等検察庁検事長
11代 放駒輝門
二所ノ関一門
2010年8月-2012年1月
大関 魁傑將晃
任期中に八百長問題が発覚、2011年3月の大阪場所開催を中止、続く5月夏場所は、入場無料でNHKによる中継もない前代未聞の「技量審査場所」を決断、相撲協会最大の危機の中、諸問題の処理を済ませてから辞任。
『注射相撲=八百長を一切しなかったガチンコ大関・魁傑が八百長問題処理に取り組む運命の皮肉』と報じられた
12代 北の湖敏満
出羽海一門
2012年2月-2015年11月20日
第55代横綱 北の湖敏満 任期途中で死去。
代行 八角信芳 高砂 2015年11月21日-12月17日 第61代横綱 北勝海信芳 事業部長による代行。
13代 八角信芳
高砂一門
2015年12月18日- (継続中)
第61代横綱 北勝海信芳
ということで
理事長は 出羽一門が圧倒的に多く、次いで 時津風一門と二所ノ関一門。
高砂一門からは八角が初めて。
伊勢ヶ濱一門からの理事長輩出は1度もありません。
つづき
「大の里の師匠の二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里、38)が将来の理事長候補となった。まだ若いので、まずは副理事を経験してから理事に昇格し、世代交代を進める。北の湖さんは42歳で理事になり、48歳で理事長になった。中継ぎとしてちょうどいい年代に、佐渡ヶ嶽親方がいるのです」(同前)
時津風一門の2票は二所ノ関一門につくとされ、そうなると “基礎票”は八角理事長サイドと同数。
「カギを握る残りの理事は、二所ノ関一門ながら八角体制下で審判部長に取り立てられた高田川親方(元関脇・安芸乃島、58)、そして伊勢ヶ濱一門の浅香山親方(元大関・魁皇、52)。浅香山親方は同じ一門の白鵬の問題で矢面に立たされ、理事長と少し距離ができたとされます」(同前)
現執行部体制の継続か、世代交代か──大きな路線対立につながる「70歳定年」の導入やそれに対する反発について協会に問うたが、「お答えすることはありません」(広報部)とするのみ。
年寄株をめぐる問題では、とりわけ激しい内紛が起きる。1996年には当時の境川理事長(元横綱・佐田の山)が売買禁止といった改革私案を出したところ、既得権益を持ってる当時の親方衆が猛反発。
「私案は取り下げられ、2年後の理事選は“反境川”の急先鋒として当時の間垣親方(元横綱・二代目若乃花)と高田川親方(元大関・前の山)が一門の調整を拒んで出馬した。票の争奪戦で当選できなくなった陣幕親方(元横綱・北の富士)は嫌気がさして協会を退職。境川理事長は4選を断念しました」(ベテラン記者)
今回もまた、内紛の歴史が繰り返されるのか。
※週刊ポスト2025年7月11日号
続き
引退した力士が親方として協会に残るには、105しかない「年寄株」を襲名する必要があるが、慢性的な不足状態にある。その原因だと批判されるのが、65歳の定年後に年寄株を襲名したまま70歳まで参与として残れる再雇用制度だ。「70歳定年・75歳再雇用」となればさらに株が足りなくなる。
実際、ある若手親方は「70歳定年なんて定年間近の人以外は反対でしょう。今でも実績のある関取が協会に残れず困っている。強行すれば八角体制にとって命取りになりかねない」と“クーデター”の可能性を示唆した。協会関係者が言う。
「来年の理事選に向けて八角理事長が固められているのは、自身と出羽海一門の理事3人の4票とされる。理事長は理事10人の互選。それだけでは当確ラインに届かない」
注目されるのは、もうひとつの大派閥である二所ノ関一門の動きだ。協会の裏方のひとりが言う。
「二所ノ関一門のバックには、昨年退職した実力者である前・尾車親方の元大関・琴風さんがいて、その古巣である部屋の佐渡ヶ嶽親方(元関脇・琴ノ若、57)が理事長候補になる。現在、協会ナンバー3の広報部長と総合企画部長を兼任しているが、これも琴風さんの後押しがあってのこと」
同一門では、大の里が8年ぶりの日本出身横綱となりフィーバーを巻き起こしたことも大きい。
続く
つづき
協会の理事は出羽海、二所ノ関、時津風、高砂、伊勢ヶ濱という5つの一門がポストを分け合う。八角理事長が属する高砂一門は理事ポストが1つの“弱小派閥”だが、最大派閥・出羽海一門の支持を取り付けるなどして体制を維持してきた。
「懸案があるとすれば、現理事の多くが定年間近なこと。出羽海一門の理事では、八角理事長より年上の春日野親方(元関脇・栃乃和歌、63)と境川親方(元小結・両国、62)が次の任期中に65歳定年を迎えるため退任予定。他にも複数の理事が年齢のため退任となる。同じように支持を受けられるかが注目されています」(前出・担当記者)
そうしたなか、体制を盤石にすべく「定年延長」が浮上しているという。
「協会の定年を現在の65歳から70歳へ、再雇用も70歳から75歳までへと延長する動きがあるのです。9月場所後の理事会で決定し、来年1月場所後の理事選で現執行部が再出馬する狙いなのでしょう。本来はあと1期のはずの八角理事長がさらに2~3期、理事長をやる意思表示とされます」(前出・相撲ジャーナリスト)
八角体制下では2018年に反執行部の貴乃花親方が退職に追い込まれ、協会内で野心を隠さなかった白鵬氏も組織を去った。
「執行部に表立って反目する存在が消え、八角理事長や春日野親方がやりたい放題のような状況。ただ、今回の白鵬の退職には若手を中心に協会の対応のまずさを指摘する親方も少なくない。八角理事長にカリスマ性はなく、権力基盤も強くない。協会内では不穏な動きが見られます」(同前)
定年延長が若手の不満につながるのは、「年寄株問題」が絡むからだ。
つづく
理事長選挙問題 っていうか
親方株不足解決のための定年退職問題
週刊ポストセブンによると
理事長選に暗雲
《白鵬が去って「一強体制」と思いきや…》
八角理事長にまさかの落選危機
定年延長案に相撲協会内で反発広がり、理事長選で“クーデター”も
週刊ポストによると
元横綱の白鵬翔氏(40)が退職し、相撲協会は八角理事長(元横綱・北勝海、62)の「一強体制」になったと見られてきた。ところが、自身を脅かす存在を“排除”した後には、組織が割れかねない“内紛”の火種があった。
相撲協会を退職した白鵬氏は6月14日にアマ相撲発展に取り組む新会社「白鵬ダヤン相撲&スポーツ」の設立を発表した。
「『世界相撲グランドスラム構想』を進めるというが、容易ではない。ビジネス化には、相撲を総合格闘技としたり、プロレスのようにショー化するといったやり方になる。協会が手を組める話ではなく、先行きは厳しいのでは」(相撲ジャーナリスト)
現役時代の成績や資金力で大きな存在感を見せた白鵬氏を退職へ追いやり、八角理事長が協会内を掌握したかに見える。
「協会の理事長は2年に一度の理事選の後、理事10人の互選で決まります。来年1月場所後に次の理事選があり、八角理事長は6期目に意欲的だとされています」(担当記者)
つづく
このほどNHKが取り上げたローカル番組のなかで熊本局からの佐田の海をスポットにしたドキュメントみたいな番組を見ました。愛娘2人と一緒にいる場面はホッコリしました。お父さんの先代佐田の海の相撲何十年ぶりに見ましたよ。大の里より速いといえば怒られるかな。たった一度だけでもあのウルフ千代の富士を速攻相撲で下した方ですから。佐田の海シニアとジュニアのコミュニケーションぶりからしてこれからもジュニアの前へ出る相撲を楽しめそうです。目指せ三役!!
あ、思い出したよKONさん! 九州場所は1985年までが九電記念体育館、1986年から福岡国際センターでの開催ですよ。ちなみに1985年の場所は横綱輪島が14勝1敗で14回目、生涯最後の優勝を飾りました。1986年は千代の富士が涙の横綱初優勝でした。決定戦で敗れた朝潮大ちゃんはここから初賜杯までに年月を費やしたんですね。
輪島、北の湖、2代目若乃花、貴ノ花、旭國、増位山、隆の里、大関朝潮、北天佑に千代の富士もみんな天国へいってしまったよ(泣)
スポーツ新聞を買って来ました。
3連覇に、史上10人目の新横綱優勝も添えるつもり……と意気込む新横綱大の里。
故郷石川県津幡町でのパレードには 師匠二所ノ関親方が横綱稀勢の里として凱旋パレードをした2017年2月、東京からもそう遠くない牛久でのパレードの観覧者50,000人(私も観覧しました)を超えられませんでしたが、
地元住民の人口より多い 37,000人が沿道へ押し掛け盛大にお祝いされた大の里。
昭和以降最速となる、初土俵から所要13場所での横綱昇進など、記録ずくめの横綱昇進。
その実力はもちろん、自然と注目を集める宿命なのかもしれない。
名古屋場所は今年、60年間、本場所を開催したドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)から、IGアリーナに会場を移す。
本場所会場が変更となるのは、1985昭和60年初場所に新両国国技館が完成、それまでの蔵前から現在の両国に移転した国技館以来で、実に40年ぶり。
当時、満身創痍だった横綱北の湖が「なんとか新両国国技館で土俵に立ちたい」と “ 憎たらしいほど強かった ” 北の湖がボロボロの体で現役を続け、前年秋場所と九州場所を前半戦で途中休場しながら新装国技館での初場所に臨み、初日に小結旭富士=前伊勢ヶ濱親方、二日目に多賀竜に敗れてしまい、花道のファンから『北の湖ぃ、頑張れーっ』と声援を受け、“頑張れ…なんて言われるようじゃ俺もおしまいか……”と引退を決心した場所でした。
結局、新装国技館の土俵には横綱として立ちましたが、ひとつの勝ち星も挙げられず引退となってしまいました。
史上最年少横綱の記録は未だに北の湖が保持しています。
相撲協会は白鵬虐め追い出し自分達の酷いゴタゴタはまた蓋してしらんぷり!
保志は定年延長してまだ居座ろうとしてる。
何でこんな酷い事マスゴミ!も追及しないんだ。不思議な話だよ。