大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,330件

  1. #150427 | 砂かぶり |
    火曜(三日目)だけ負けてた今場所好調の嘉陽、中日負け二敗目。あの体型は、まるで金魚の様。 天覧相撲で、なんと横綱大関全敗!八角理事長、陛下にどう説明!? 大の里は先場所ケガした左肩が痛そうで大丈夫そうでない。休場か? 朝翠龍は、パッと見(一瞬)炎鵬かと見間違うくらい似てますね。 その炎鵬も、大銀杏結えるとこまで来てます。
  2. #150426 | KON |
    追記 その後、天皇陛下から『もっと近くで見たい』とのご要望があり、1971年(昭和46年)、相撲協会は初場所から、土俵の近くで観戦出来るよう、蔵前国技館の正面桟敷席の最前列に貴賓席を設置したが、宮内庁から警備上の問題で中止の要請があった為、五月場所八日目の天覧相撲では従来の2階貴賓席からの観戦となった。 結局、桟敷席の貴賓席は二度と使われることはなかったそうです。
  3. #150425 | KON |
    読売新聞の記事に大見出しで「横綱・大関 総崩れ  天覧相撲で戦後初」 と書かれてましたが、 戦前までの天覧相撲は 平安時代から宮中で行なわれ、天皇の御前で催されていて、実力上位の者十名ほどが天皇のお顔を拝顔できる位置に座して出番を待ち、その他の力士は幕の外で待機していたそうで、そこから『幕内』『幕下』という呼称が生まれました。 (歌舞伎の幕内弁当の“幕内”とは語源が異なります) で、江戸時代も明治時代も、麻布島津公別館 、 芝延遼館 、 芝三田黒田邸 、 芝公園弥生社 、 上目黒西郷伯別邸 、九段偕行社 、 永田町鍋島邸、皇居内(宮城=きゅうじょう内)覆馬場などで特別な場所で催されていて、一般市民が観覧することなど到底叶わず、薩長の士族だった当時の閣僚など明治政府関係者や華族の方々のみが観戦していました。 戦後、敗戦により焦土と化した東京の復興が進んできた昭和30年 5月 27日 に 蔵前国技館 にて史上初めて昭和天皇が行幸され、一般人とともに大相撲を観覧、一階の正面舛席をかなり割いて貴賓席エリアを誂えて観覧され、この時に昭和天皇は御製の句を残されました 〔ひさしくも みざりし すまひ ひとびとと てをたたきつつ みるがたのしさ〕 (すまひ とは相撲のことです) 翌年の5月27日にも天覧相撲がありましたが、この時から、警護上の理由で貴賓席は2階正面席に誂えられました。 一般人とともに大相撲観戦される天覧相撲としては 昭和天皇天覧 40回 平成天皇天覧 23回 令和天皇天覧 2回 ということで 昨日が65回目でした。
  4. #150420 | KON |
    国技館での天覧相撲 私達も1度大相撲観戦の際に、初場所でしたか 平成天皇が行幸され天覧相撲となったことがありました。 向こう正面の2階席でしたが、吊り天井の大屋根に隠れることもなく、自分たちの席から平成天皇・皇后陛下のお姿を拝顔することができました。 いい思い出です
  5. #150418 | KON |
    今日(八日目)中日は、天皇陛下が観戦される「天覧相撲」になります。 天覧相撲は2020年初場所14日目以来6年ぶりで、令和に入ってから2度目となります。 陛下らがお座りになる国技館2階の貴賓席には、イスが3つ準備された。 国技館入り口ではいつもよりいっそう厳重な手荷物検査が実施され、場内も含め多数の警察官が配置されている。 「本日2Fへのビン・缶持込は禁止となります」との張り紙も場内のあちこちに掲示されました。 陛下が幕内取組の前にご来場された場合は、幕内土俵入りは「御前掛かり土俵入り」となり、土俵で円をつくる形ではなく、正面に向かって4列に並び、蹲踞(そんきょ)の姿勢をとる。 下位力士から1人ずつ四股名を呼ばれ、一礼をして土俵を下りる。 関係者に配布される大入りの袋には「行幸啓記念」の文字が入る。 行幸とは、 天皇がご自身の居所から外出されることを指す敬語で、目的地が複数なら「巡幸(じゅんこう)」とも言います。皇后や皇太子など他の皇族方(皇太子・皇太子妃など)の外出は「行啓(ぎょうけい)」、天皇皇后ご一緒なら「行幸啓(ぎょうこうけい)」と使い分けられ、歴史的には「御幸(ごこう)」として上皇・法皇・女院の外出にも使われました。 天覧相撲といえば 大相撲をこよなく愛された昭和天皇が一番数多く行幸され、初めて行幸された昭和30年以降33年間で蔵前国技館と両国国技館 併せて40度も行幸されました。 平成天皇は 平成31年間で23度行幸されてます。
  6. #150415 | KON |
    中日八日目を前にして全勝力士がいなくなった初場所 双葉山以来 89年ぶりとなる “関脇と新大関での2場所連続優勝”を目指す新大関安青錦が6勝1敗で先頭集団6人の中にいます。 今場所も正攻法で低く当たり、低く前に出る相撲を続けてますね。 幕内では小柄な体格ながら、立ち合いで変化するわけでもないし 張り手をするわけでもない、目の肥えた相撲ファン=玄人好みの相撲を継続しています。 関脇と新大関での2場所連続優勝は 個人優勝制度が確立された明治42年以前まで遡っても 江戸時代(寛政時代)の谷風梶之助・小野川喜三郎の両横綱と 谷風の弟弟子で “無類力士”と今も言われる史上最強大関(並び立つ強豪不在の為に横綱免許は受けられなかった)雷電為右衛門の3人しか達成していなかった記録。 双葉山とあわせて、史上5人目の大記録への挑戦です。
  7. #150412 | SAI |
    十両の相撲で若ノ勝が好調です! 特に突っ張りがいいです! これからも頑張って下さい♪
  8. #150406 | KON |
    幕内の取組で四つ相撲の攻防が多いと褒めた途端に、両横綱がはたき込みでの白星、、、 なんともはや↘
  9. #150405 | KON |
    若元春が王鵬を見事なうっちゃりで下して今場所初白星。 王鵬に双差しになられて東土俵際に追い詰められましたが、若元春からすると外四つの形でうっちゃりました。 外四つからのうっちゃり 思い出したのは 1961昭和36年秋場所での優勝決定戦(明武谷も含めた巴戦)で、21歳3ヶ月の大関大鵬が22歳9ヶ月の大関柏戸のスピード相撲で攻め込まれ正面土俵際に詰まりましたが、外四つとなった大鵬はむんずと踏ん張って柏戸をうっちゃり、優勝。 場所後に柏戸・大鵬揃って横綱に推挙されました。 64年半も前のことでした。
  10. #150403 | KON |
    昨日の五日目でもそうでしたが、今日の六日目も幕内の取組での決まり手で、「押し出し」「押し倒し」「突き出し」よりも「寄り切り」「寄り倒し」のほうが多い。 ここ数年では珍しい現象ですね。 押したり突いたり、、、そして はたいたりの淡白な相撲よりも、観客にとっては 四つに組んでの力相撲のほうが技の応酬を見ることができますし、見応えがありますね。

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