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増位山さんを偲ぶ サンスポ塚沢健太郎 大相撲を見始めた昭和55年。初めて使者を迎えての「昇進」を知ったのは、大関になった増位山さんだった。それから20年、新聞記者として相撲担当になると、増位山さんは三保ケ関親方として審判部副部長に就いていたため、幸いにして毎日のように取材する機会に恵まれ、こちらの意図する答えをしてくれるなど、ずいぶん助けてもらった。 歌手としてミリオンヒットを出していただけあって、物言いの際に審判長の場内アナウンスでは館内によく通る美声で、さすが違うなと感心したもの。ところが、なぜか際どい相撲、〝誤審だ〟とファンが騒ぐような騒動になる一番、平成15年名古屋場所で横綱朝青龍が旭鷲山のマゲを引っ張り反則負けになったときなど、トラブルが起こるときの審判長は必ず増位山さんだった。 「また三保さんかよ」と言いながら取材のために審判室へ走ったことが何度もあったが、それでも誠実な人柄の増位山さんは、少ししどろもどろになりながらも、丁寧に質問に答えてくれた。 エストニア出身の把瑠都が三保ケ関部屋に入門し、新弟子検査を受けたときには、「俺もこれからガンバルト」とノリノリで、ユーモアあふれるサービス精神もあった。親方らしくない普通の感覚を持っていたからこそ、芸能界でもやっていけたのだと思う。 ・・口が重い親方には苦労するそうで、記者たちから大人気の親方というのは 弁舌さわやか、訊きたいことを的確に、さらにプラスαの情報もくれたとのこと。特に、元栃錦の春日野さん・元北の富士の九重さん、元増位山の三保ヶ関さんは トップスリーだったそうです
昨日は梅雨入り時とは思えない暑さでしたが、頑張ってチャリンコで昼カラオケへ行き、 “増位山太志郎さん追悼”で 『そんな女のひとりごと』『今度逢えたら』『けいこ』『昭和流行歌』『そんな夕子にほれました』を唄ってきました。 DAMの本人映像の画面で気持ちよく唄いましたが、店内のお客さん(全員が中高年)も 増位山さんの思い出話をしていました
力士・親方のテレビ番組情報 ウワサのお客さま 大相撲・荒汐部屋のスゴ腕ちゃんこ長 6月20日(金) 20:00〜21:58 フジテレビ⑧ 番組内容 ◆大相撲界でウワサの料理人が登場 若隆元・若元春・若隆景の大波三兄弟が所属する荒汐部屋(親方は元前頭 蒼国来、力士数14名)の1日に密着し、相撲界随一スゴ腕ちゃんこ長が作る“絶品食欲アップ飯”を紹介していく。疲労回復効果もある ゆずの皮を使用した特製ゆず塩ちゃんこは、力士たちの1番人気メニュー。 さらに、後援者からの差し入れを使った巨大なブリのなめろうや、食欲そそる鶏もも肉1枚まるごとスパイス揚げなど、荒汐部屋ならではの豪快料理が続々登場 他に ・『カルディコーヒーファーム』でウワサのママ芸人が登場 ・『ステーキガスト』でウワサのお客さまが登場 ステーキ食べ放題で爆食する肉食クイーンに密着 出演者 【MC】 伊達みきお・富澤たけし(サンドウィッチマン)、川島明(麒麟) 【進行】 雨宮萌果 【ゲストお客さまウォッチャー】 佐藤仁美 藤田ニコル
増位山さをの訃報残念です。 ちゃんこ屋根さんも行きましたし、唄は軽く唄いムーディでしたね。 夜の世界の唄も多かったので女性ファン多かったし昨夜は増位山さんの曲唄う方が多かったです。北の富士さんも元気な時は冬子のブルースを唄ってました。 凄くムードがあって好きでした。 好きな方々が居なくなっていくのは本当に寂しいです。
増位山さんの内掛け ・・ お父さんの初代増位山=増位山大志郎さんと同じく 相撲も上手いが絵の才能も父子揃ってとても上手で二科展の常連だった増位山太志郎さん。 そして歌も父子揃ってとても上手で、父子で相撲甚句のCDを発売し、甚句のCDとしては異例の売り上げだった。 相撲の話に戻ると、二代増位山の内掛けは、昭和では 戦後の琴ヶ濱と並び「内掛け名人」と称されました。 鎌で刈り取るが如く足を飛ばす琴ヶ濱の内掛け、 一方、増位山さんは 出し投げをうって相手の上体を崩し、相手が身構えて重心を後ろに移した瞬間、間髪入れずに内掛けを仕掛けて体を預けるというスピード感のある必殺技でした。
大相撲の元大関・2代目増位山の増位山太志郎さん=沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。76歳。17日に日本相撲協会などが発表した。 増位山さんの悲報を受け、現役当時ライバルだった元大関の琴風さんが追悼した。 ****** 粋な力士だった。イケメンでスタイルも抜群、歌もうまかった。 私には「まわり道」というヒット曲がありましたが、増位山さんは「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などが大ヒットし有線音楽大賞も受賞した。 私なんかとは まるでレベルが違っていた。 2人で大晦日(おおみそか)に行なわれたテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」に出たこともある。ライバルではない。私の歌唱法はどちらかというと正統派だと思う。増位山さんは夜の世界で働く女性が好むような、すすり泣くような歌声だった。 日本相撲協会を65歳で定年退職する時、増位山さんに「これからどうするんですか」と聞いたことがある。すると「俺には歌があるから幸せだよ」と言っていた。 増位山さんは女性人気もすごかった。 私が若い頃の地方巡業は土俵が屋外にあり、支度部屋もロープでつなぎ合わせた簡易的なものだった。私が片付けを始めた時、支度部屋の奥で若い女性と肩を寄せ合っていた増位山さんと目があってしまったこともあった。いい思い出だ。 増位山さんの相撲は立ち合いで手を出して相手の動きを止め、懐に入って内掛け、肩透かしを決める技巧派。 過去の対戦は7勝3敗と私がまわしを取って引きつけて勝ち負けの数では圧倒した形が、負けた3番は はたき込み、掛け投げ、肩透かしと術中にはまった。 2人とも親方になってからは「大関会」でご一緒させてもらったが、朝潮さん、旭国さん、そして増位山さんと同年代の仲間がみんな逝ってしまった。本当にさみしくて悲しい。合掌 (元大関・琴風、スポーツ報知評論家)
増位山太志郎さん 増位山さんは学生時代に水泳でインターハイに出たことがあるアスリート系力士だった。 だが同じような経歴の貴ノ花満さんが、メキシコ五輪の星と言われた才能の持ち主だっただけに、水泳の話をしようと水を向けても「俺は彼とは比較になんないから」と乗ってこなかった。 大関になっても同部屋に大横綱の北の湖さんがいて、その陰に隠れる存在だった。 ただマイクを握ると一変。 増位山さんが現役を引退し記者クラブの担当親方だった頃、私が幹事役で相撲協会と記者クラブの懇親会を温泉街のホテルで開いた。 協会からは春日野理事長(元横綱・栃錦)ら重鎮が参加。 宴会が予想以上に盛り上がり、芸者さんの拘束時間が予定をオーバー。 ホテルの女将さんに「花代が予算を超えてます」と泣きつかれた。 理事長にそのことを相談すると「じゃあ、歌わせろ!!」と増位山さんにカラオケ指令が飛んだ。 それで増位山さんが大ヒット曲の「そんな女のひとりごと」を熱唱し始めると芸者さんたちは大喜び。 ホテル中から一般のお客さんも集まってきて、結局 花代はチャラになった。 増位山さんの現役時代にテイチクレコードに取材に行った時には「うちで一番印税が高い(石原)裕次郎さんと同じレコード1枚あたり5円」と教えてもらった。 理由を尋ねると「増位山さんを知らない人はいないから」と説明され、昭和の大スターと肩を並べるその存在感に驚いたことを覚えている。 (スポニチOB、東京相撲記者クラブ会友・龍川 裕)
元大関2代目増位山太志郎さんが亡くなりました。76歳でした。右四つからの内掛けが十八番でしたが画家として歌手としても活躍された異色の力士でしたね。場内アナウンスでは兵庫県姫路市でしたが実際は東京都の出身で実父で先代の大関増位山太志郎の出身がアナウンスされたんですね。持ち歌は『そんな夕子にほれました』『そんな女のひとりごと』『そんなナイトパブ』『男の背中』等でしたね。定年退職後に『夢の花を咲かそう』で本格的歌手活動を始めたのですが……………最近テレビで見なくて心配してたのですが残念です。天国では現役時代の対戦相手の皆さまがお待ちしてますので彼らの前でその歌声を披露してあげてください。
幕内優勝力士が千秋楽のパレードで乗車するトヨタのセンチュリーSUVのオープンカーの継続使用に“待った”がかかった? 12日の愛知・豊田市内でのトヨタの株主総会で豊田章男会長が株主からの質疑応答に対応。その中で日本相撲協会を退職した白鵬翔さんをバックアップすることについて聞かれ、回答の流れの中でセンチュリーの提供について1度、引き取ることを示唆した。 なんと了見の狭い、というか、目の前しか見てないというか、会長の個人的な好き嫌いで会社のイメージの悪化など 構っちゃいないのか? ならば相撲協会は、日産自動車のGT-Rでもインフィニティでも好きなのを選んで大々的にアピールすればいい。また、国産車に限らず、オータニさんと繋がってるPORSCHEでもいいし、間もなくイギリスでの海外公演があるので、ロールスロイスにしてはどうでしょうか? フランスのブガッティがあれば、それでもいいのですが…… やはりロールスロイスがいいかな
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内掛けと言えば右が増位山さん
早逝した時天空も得意でした!
左が琴ヶ濱さん・舞の海さんですね!
現役だと右が豊昇龍・左が伯桜鵬ですか?
これからも頑張って下さい♪
増位山さんを偲ぶ
サンスポ塚沢健太郎
大相撲を見始めた昭和55年。初めて使者を迎えての「昇進」を知ったのは、大関になった増位山さんだった。それから20年、新聞記者として相撲担当になると、増位山さんは三保ケ関親方として審判部副部長に就いていたため、幸いにして毎日のように取材する機会に恵まれ、こちらの意図する答えをしてくれるなど、ずいぶん助けてもらった。 歌手としてミリオンヒットを出していただけあって、物言いの際に審判長の場内アナウンスでは館内によく通る美声で、さすが違うなと感心したもの。ところが、なぜか際どい相撲、〝誤審だ〟とファンが騒ぐような騒動になる一番、平成15年名古屋場所で横綱朝青龍が旭鷲山のマゲを引っ張り反則負けになったときなど、トラブルが起こるときの審判長は必ず増位山さんだった。
「また三保さんかよ」と言いながら取材のために審判室へ走ったことが何度もあったが、それでも誠実な人柄の増位山さんは、少ししどろもどろになりながらも、丁寧に質問に答えてくれた。 エストニア出身の把瑠都が三保ケ関部屋に入門し、新弟子検査を受けたときには、「俺もこれからガンバルト」とノリノリで、ユーモアあふれるサービス精神もあった。親方らしくない普通の感覚を持っていたからこそ、芸能界でもやっていけたのだと思う。
・・口が重い親方には苦労するそうで、記者たちから大人気の親方というのは 弁舌さわやか、訊きたいことを的確に、さらにプラスαの情報もくれたとのこと。特に、元栃錦の春日野さん・元北の富士の九重さん、元増位山の三保ヶ関さんは トップスリーだったそうです
昨日は梅雨入り時とは思えない暑さでしたが、頑張ってチャリンコで昼カラオケへ行き、
“増位山太志郎さん追悼”で
『そんな女のひとりごと』『今度逢えたら』『けいこ』『昭和流行歌』『そんな夕子にほれました』を唄ってきました。
DAMの本人映像の画面で気持ちよく唄いましたが、店内のお客さん(全員が中高年)も 増位山さんの思い出話をしていました
力士・親方のテレビ番組情報
ウワサのお客さま
大相撲・荒汐部屋のスゴ腕ちゃんこ長
6月20日(金)
20:00〜21:58
フジテレビ⑧
番組内容
◆大相撲界でウワサの料理人が登場
若隆元・若元春・若隆景の大波三兄弟が所属する荒汐部屋(親方は元前頭 蒼国来、力士数14名)の1日に密着し、相撲界随一スゴ腕ちゃんこ長が作る“絶品食欲アップ飯”を紹介していく。疲労回復効果もある ゆずの皮を使用した特製ゆず塩ちゃんこは、力士たちの1番人気メニュー。
さらに、後援者からの差し入れを使った巨大なブリのなめろうや、食欲そそる鶏もも肉1枚まるごとスパイス揚げなど、荒汐部屋ならではの豪快料理が続々登場
他に
・『カルディコーヒーファーム』でウワサのママ芸人が登場
・『ステーキガスト』でウワサのお客さまが登場
ステーキ食べ放題で爆食する肉食クイーンに密着
出演者
【MC】
伊達みきお・富澤たけし(サンドウィッチマン)、川島明(麒麟)
【進行】
雨宮萌果
【ゲストお客さまウォッチャー】
佐藤仁美
藤田ニコル
増位山さをの訃報残念です。
ちゃんこ屋根さんも行きましたし、唄は軽く唄いムーディでしたね。
夜の世界の唄も多かったので女性ファン多かったし昨夜は増位山さんの曲唄う方が多かったです。北の富士さんも元気な時は冬子のブルースを唄ってました。
凄くムードがあって好きでした。
好きな方々が居なくなっていくのは本当に寂しいです。
増位山さんの内掛け
・・
お父さんの初代増位山=増位山大志郎さんと同じく 相撲も上手いが絵の才能も父子揃ってとても上手で二科展の常連だった増位山太志郎さん。
そして歌も父子揃ってとても上手で、父子で相撲甚句のCDを発売し、甚句のCDとしては異例の売り上げだった。
相撲の話に戻ると、二代増位山の内掛けは、昭和では 戦後の琴ヶ濱と並び「内掛け名人」と称されました。
鎌で刈り取るが如く足を飛ばす琴ヶ濱の内掛け、
一方、増位山さんは 出し投げをうって相手の上体を崩し、相手が身構えて重心を後ろに移した瞬間、間髪入れずに内掛けを仕掛けて体を預けるというスピード感のある必殺技でした。
大相撲の元大関・2代目増位山の増位山太志郎さん=沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。76歳。17日に日本相撲協会などが発表した。
増位山さんの悲報を受け、現役当時ライバルだった元大関の琴風さんが追悼した。
******
粋な力士だった。イケメンでスタイルも抜群、歌もうまかった。
私には「まわり道」というヒット曲がありましたが、増位山さんは「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などが大ヒットし有線音楽大賞も受賞した。
私なんかとは まるでレベルが違っていた。
2人で大晦日(おおみそか)に行なわれたテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」に出たこともある。ライバルではない。私の歌唱法はどちらかというと正統派だと思う。増位山さんは夜の世界で働く女性が好むような、すすり泣くような歌声だった。
日本相撲協会を65歳で定年退職する時、増位山さんに「これからどうするんですか」と聞いたことがある。すると「俺には歌があるから幸せだよ」と言っていた。
増位山さんは女性人気もすごかった。
私が若い頃の地方巡業は土俵が屋外にあり、支度部屋もロープでつなぎ合わせた簡易的なものだった。私が片付けを始めた時、支度部屋の奥で若い女性と肩を寄せ合っていた増位山さんと目があってしまったこともあった。いい思い出だ。
増位山さんの相撲は立ち合いで手を出して相手の動きを止め、懐に入って内掛け、肩透かしを決める技巧派。
過去の対戦は7勝3敗と私がまわしを取って引きつけて勝ち負けの数では圧倒した形が、負けた3番は はたき込み、掛け投げ、肩透かしと術中にはまった。
2人とも親方になってからは「大関会」でご一緒させてもらったが、朝潮さん、旭国さん、そして増位山さんと同年代の仲間がみんな逝ってしまった。本当にさみしくて悲しい。合掌
(元大関・琴風、スポーツ報知評論家)
増位山太志郎さん
増位山さんは学生時代に水泳でインターハイに出たことがあるアスリート系力士だった。
だが同じような経歴の貴ノ花満さんが、メキシコ五輪の星と言われた才能の持ち主だっただけに、水泳の話をしようと水を向けても「俺は彼とは比較になんないから」と乗ってこなかった。
大関になっても同部屋に大横綱の北の湖さんがいて、その陰に隠れる存在だった。
ただマイクを握ると一変。
増位山さんが現役を引退し記者クラブの担当親方だった頃、私が幹事役で相撲協会と記者クラブの懇親会を温泉街のホテルで開いた。
協会からは春日野理事長(元横綱・栃錦)ら重鎮が参加。
宴会が予想以上に盛り上がり、芸者さんの拘束時間が予定をオーバー。
ホテルの女将さんに「花代が予算を超えてます」と泣きつかれた。
理事長にそのことを相談すると「じゃあ、歌わせろ!!」と増位山さんにカラオケ指令が飛んだ。
それで増位山さんが大ヒット曲の「そんな女のひとりごと」を熱唱し始めると芸者さんたちは大喜び。
ホテル中から一般のお客さんも集まってきて、結局 花代はチャラになった。
増位山さんの現役時代にテイチクレコードに取材に行った時には「うちで一番印税が高い(石原)裕次郎さんと同じレコード1枚あたり5円」と教えてもらった。
理由を尋ねると「増位山さんを知らない人はいないから」と説明され、昭和の大スターと肩を並べるその存在感に驚いたことを覚えている。
(スポニチOB、東京相撲記者クラブ会友・龍川 裕)
元大関2代目増位山太志郎さんが亡くなりました。76歳でした。右四つからの内掛けが十八番でしたが画家として歌手としても活躍された異色の力士でしたね。場内アナウンスでは兵庫県姫路市でしたが実際は東京都の出身で実父で先代の大関増位山太志郎の出身がアナウンスされたんですね。持ち歌は『そんな夕子にほれました』『そんな女のひとりごと』『そんなナイトパブ』『男の背中』等でしたね。定年退職後に『夢の花を咲かそう』で本格的歌手活動を始めたのですが……………最近テレビで見なくて心配してたのですが残念です。天国では現役時代の対戦相手の皆さまがお待ちしてますので彼らの前でその歌声を披露してあげてください。
幕内優勝力士が千秋楽のパレードで乗車するトヨタのセンチュリーSUVのオープンカーの継続使用に“待った”がかかった?
12日の愛知・豊田市内でのトヨタの株主総会で豊田章男会長が株主からの質疑応答に対応。その中で日本相撲協会を退職した白鵬翔さんをバックアップすることについて聞かれ、回答の流れの中でセンチュリーの提供について1度、引き取ることを示唆した。
なんと了見の狭い、というか、目の前しか見てないというか、会長の個人的な好き嫌いで会社のイメージの悪化など 構っちゃいないのか?
ならば相撲協会は、日産自動車のGT-Rでもインフィニティでも好きなのを選んで大々的にアピールすればいい。また、国産車に限らず、オータニさんと繋がってるPORSCHEでもいいし、間もなくイギリスでの海外公演があるので、ロールスロイスにしてはどうでしょうか?
フランスのブガッティがあれば、それでもいいのですが……
やはりロールスロイスがいいかな