大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 3,992件 』

  • 投稿者:匿名

    元横綱大乃国(芝田山)親方が、協会新人事で “閑職”といわれる「相撲教習所所長」へ。
    協会No.2の事業部長から閑職へ、という不可解というか 謎の人事について、元関脇貴闘力のYouTube「貴闘力チャンネル」で理由を語っています。
    八角親方の“闇”、かなり深い闇、漆黒の闇、

  • 投稿者:匿名

    両国国技館のLED照明設置工事の契約などを巡り、日本相撲協会と元顧問の小林慶彦氏らが争った訴訟の判決が18日、東京地裁で言い渡され、元顧問やLED照明業者らに連帯して約310万円の支払いを命じた。

    判決によると、小林元顧問は協会の正式な意思決定手続きを経ずに、自らまたは第三者に指示して契約書を偽造。サービス料相当額を支払う損害を生じさせたと認められた。八角理事長(元横綱北勝海)は協会を通じ「妥当な判決だと思う。今後も公明正大な協会運営に注力してまいります」などとコメントした。

    まだ続いてたんだな、この裁判。
    千代の富士こと先代九重は小林の不正をバカ正直に糾弾し、当時の理事長北の湖の怒りを買い左遷されてしまった。
    あれから言ったら八角は要領がいい。
    かねてから小林の行動には不審感を抱いていたが北の湖が理事長でいる間は彼が白と言ったら黒でも白。ところが北の湖が死んで自分が理事長になると小林の身辺を洗い出し「黒いものはやっぱり白くならない」とばかりに小林をクビにしたからね。
    因みに小林と懇意で八角が小林をクビにしたのを不服として理事長室に怒鳴り込み、小林の復職を要求したが通らず、日馬富士事件を利用してクーデターを起こしたのが貴乃花。

  • 投稿者:KON

    稽古総見
    一般公開決定!
    日本相撲協会は17日に東京・両国国技館で御免祝いを開き、大相撲夏場所(5月12日初日・両国国技館)前後の日程を発表しました。
    横綱審議委員会稽古総見が5月2日(木曜日)に両国国技館で一般に公開で実施されるそうです。

    入場無料です。
    朝の7時半ぐらいに国技館正面玄関口で並べば、かなり前の方の舛席でゆったりと観覧できます。
    終了は11時~11時半くらい。

    終了後、推しの力士にサインをねだったり記念撮影したり、昼ごはんをちゃんこ屋さんのランチで楽しもうと両国界隈を散策される方も多いです。

    主な日程は以下のとおりです。
    ▽30日 夏場所新番付発表
    ▽5月2日 横綱審議委員会稽古総見一般公開
    ▽10日 取組編成会議
    ▽11日 土俵祭り、優勝額贈呈式
    ▽12日 夏場所初日
    ▽26日 夏場所千秋楽
    ▽29日 名古屋場所番付編成会議

  • 投稿者:KON

    千代の富士 、
    千代の富士が久美子夫人と結婚したのは新横綱となった翌年の1982年。そして、その翌年には第一子となる長女・優が誕生している。もちろん土俵の上では角界の大看板として全力疾走し続けていた。
    「闘病中は基本的にずっと母がついていました。しばらく鹿児島に治療に行ったりもしてたんですけど、たぶん人生で一番ふたりきりになれたんじゃないのかな。父は釣りが好きだったので現地の友人と一緒に船釣りに出かけ、釣った魚を持って嬉しそうな顔をしている写真を母がスマホで撮って、それを僕たち家族にLINEで共有してくれたり。そういう意味ではとても特別な時間だったんじゃないかと思います。父が亡くなったことはもちろん悲しい出来事でしたが、とても必要な、大事な時間でもあったんじゃないかと息子としては思います」
     遺骨は東京都台東区にある玉林寺に埋葬された。秋元家では1カ月に2回、この寺を訪れているという。

  • 投稿者:KON

    千代の富士3
    本人は土俵際まで追い込まれても病室では気落ちした様子は見せず、「なってしまったものは仕方ない」と話していたという。

    「だから僕もそんなに暗い気持ちにならないようにしなきゃなと思いました。それに『早く帰れ』って言うんですよ。僕がちょうど転職をしたばかりのタイミングだったので仕事が忙しいというのをわかっているから、『見舞いに来なくていいから早く帰れ』って」

     亡くなった当日、秋元さんはすでに意識のなかった父の最後の優しさを見た気がした。
    「いよいよ覚悟をしておいてください」という話がドクターからあり、会わせるべき人には会わせておかないといけないと愛弟子の千代大海(現九重親方)や後援会長ら近しい人たちに来てもらった。
    「でもその日は容体が安定していて、みなさんに先に帰っていただいたんです。そろそろ僕たち家族も帰ろうかとなった時、家族だけになったその瞬間に容態が急変したんです。今まではいつだって家族以外の人がいる状況ばかりだったのに、最後は家族だけの時に逝きました。家族の時間を大事にしていた父らしい不思議なエピソードです」
     それは家族に対する精いっぱいの気遣いだったのだろうか。日本のヒーローとして生きた男は、最後は一人の夫として、子どもたちの父親として、愛する家族の前で息を引き取った。2016年7月31日、61歳だった。
    闘病生活を振り返ったとき、不安はあったに違いないが、父にとっては心穏やかな時間でもあったのではないかと秋元さんは思っている。
    「何度もお話ししているように、僕たちの家族生活にはいつも家族以外の第三者が、もちろん仲のいい人たちですけど、いろいろな人が一緒にいました。それに結婚してからすぐに僕たちが生まれたので、母が父と2人で過ごす時間ってとても少なかったと思うんです」
     

  • 投稿者:KON

    千代の富士2

    息子である秋元剛さんにも寝耳に水の出来事だった。
    「もちろん驚きました。それから父が亡くなるまで1年ぐらいの話なんですよね。本当にそんなものだったのかなと感じます。すごく濃密な時間だったので、もっとずっと長かった気もします。
     七月場所は内臓疾患を理由に全休。その間りました。に入院してすぐに手術に踏み切りました。
    「発見が早くて、腫瘍ができたのが手術ができる箇所だったので、一回手術してしまえばきっとよくなるだろうと、父本人もですが家族全員そう思っていたんです。再発予防の治療をしながら病気と付き合いつつ、65歳の定年まで頑張って、その後のこともいろいろ考えていましたから」
    がん転移が判明…夫人とともに名古屋から緊急帰京
     手術は成功した。毎月の定期検診で異常は見られず、相撲協会の理事選にも一時は出馬の姿勢を示していた。もう体調に不安はないのだと、周囲も、そして本人も考えていたはずだった。
    「僕らもそう思っていました」と秋元さんは言った。
     ところが、年が明けてからの定期検診で胃や肝臓への転移が判明した。不屈の横綱の心が折れることはなく、病魔を打ち負かすため、さまざまな治療法を求めて日本各地に赴き、協会の職務も弟子の指導もおろそかにすることはなかった。
     しかし、名古屋場所中に一気に体調が悪化。最初のがんの発見から1年が過ぎた頃だった。部屋のマネージャーから父の体調が良くないという連絡を受け、久美子夫人が迎えに行って緊急帰京。場所を途中休場して、すぐに入院することとなった。
    「そこからは思いのほか早かったですね。術後も治療はしていたのですが、還暦といえど肉体が元気だったということで、その分病気の進行も早かったのかもしれません」
    つづく

  • 投稿者:KON

    千代の富士。
    強き横綱であり続けた男には、家族にだけ見せた優しさがあった。秋元家の長男として生まれ、ファッション業界や「株式会社秋元」取締役として活動する秋元剛氏がNumberWebに応じました。

    強き横綱であり続けた男には、家族にだけ見せた優しさがあった。
     6月1日の誕生日、健康診断に行くのは、親方となった千代の富士(先代の九重親方)の毎年のルーティンになっていた。2015年、還暦土俵入りを終えた翌週も例年通りに検査に出かけた。
     何も問題ありません。そう言われていつものように終わるはずだったのに、この年は違った。現役時代は鋼鉄と言われ、還暦土俵入りでも披露した立派な肉体に見つかった小さな異変。医師の診断は早期のすい臓がんだった

    つづく
     

  • 投稿者:匿名

    外国人問題
    昨年12月末に独立した音羽山親方(38)=元横綱鶴竜。同じモンゴル出身で弟弟子の大関霧島が転籍してきたことで、入門予定の有望株に思わぬ影響が生じている。 墨田区立の旧向島言問会館をフルリノベーションした3階建ての賃貸物件に、このほど他の部屋より二回りほど大きい看板も設置され、いよいよ体制が整った音羽山部屋。しかし、春場所までに入門させるはずだった外国籍の新弟子に、日本相撲協会から〝待った〟がかかった。師匠の陸奥親方(元大関霧島)の定年で閉鎖が決まった部屋から霧島を引き受けることが決まり、各部屋1人が上限の外国人力士枠が埋まってしまったからだ。 全44部屋のうち20部屋にモンゴル人力士が在籍する一方で、先日亡くなった元横綱曙らが一時代を築いたハワイ勢はいまや全滅だという。

  • 投稿者:KON

    元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(64)が15日、X(旧ツイッター)を更新。
    大相撲の第64代横綱、曙太郎さん(享年54)を悼んだ。
    刈屋氏は「曙太郎さんが逝ってしまった。大関の時、横綱とはと質問した私に彼は『大関と横綱の間には川が流れている。その川は狭いようで広く、浅いようで深い。流れも遅いようで速い。命懸けでも渡れるかどうか、でも渡ってみせる』と答えた。
    今後この川を渡ろうとする力士を天国から見守って下さい」と刈屋さんは呼びかけていました。
    韓国やモンゴルからやってきた力士たちと違って、曙関も武蔵丸関も、そして琴欧洲関も、ルーツともいえる高見山さんも、日本人よりも日本人らしく相撲道を理解しようと努力・実践されてましたね。
    小錦さんや露鵬・白露山、黒海などは、その域に到達しませんでしたね。そして高見山さんのあとに角界に入ってきたトンガの力士たち(5~6人)は論外でした。

  • 投稿者:匿名

    元力士の寿命が徐々に延びてきてはいるが曙さんはまだ五十路、70代ならかなりマシなほうだ。高見山さんはもうすぐ80を迎えるというが数多くの元対戦相手の力士を見送ってしまったよね。朝潮大ちゃんも鬼籍の人だからなあ…………

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