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続 北の富士さんエピソード 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー (藤井アナ) 私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。 -実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか もう二十数年ですね。 -北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか? (藤井アナ) 思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。 照ノ富士が大正時代の栃木山以来の新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いの なかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。 つづく
3北の富士さんエピソード 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー 面白かったのが、ある時のラジオの放送です。相撲が激しくなって、さがりが抜けて、向こう正面の席の3列目、4列目くらいのところまで飛んでいったんです。そのさがりを拾ったお客さんから呼び出しさんの方に順番に受け渡しながら返すんですけれども、それを見た北の富士さんが「これは俺の時代だったら、あの さがりにちょっと1万円札をつけて渡すんだよね」「そういう粋なところがだんだんなくなってきたなぁ」と、そういう話をするわけですね。 そこでふと思い出したのが子供のころに見た映像として、引き揚げるるお相撲さんの背中に100円札をぺたぺたとお客さんが貼りつけている様子が浮かんできたんです。そういえば北の富士さん、かつては花道を下がるときに、背中にお札を貼ってもらったりしていましたねと振ると「いやいやそうなんだよ、昔はあったねぇ。昔は特に巡業とか行くと土俵から下がる時に背中に貼ってもらって、背中いっぱいに貼ってもらうこともあったから、支度部屋で全然運動もせずに行くときは、霧吹きで貼りやすいようにして出ていたんだ」とかね。「いよいよ貼る場所がなくなったら腹を引っ込ませたら、まわしの隙間に(お金を)入れてもらえるから、わざと隙間を作って歩いたんだ」とか。そういう面白い話が出てくるわけです。天才ですよ、北の富士さんは。 だからわざとちょっと振ると、いろんな昔話が出てきて楽しかったですね。大した計算もないんです。 つづく
-北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか? (藤井アナ) 思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。 照ノ富士が大正時代の栃木山以来の新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いのなかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。 つづく
3月28日 お誕生日の北の富士さん エピソード 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー (藤井アナ) 私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。 -実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか もう二十数年ですね。 つづく
ー ー 放送では藤井さんが岡山で生まれた時期に北の富士さんは北海道から上京したというエピソードが披露されました。 (藤井アナ) 生まれた時期というより、その日なんです。北の富士さんが北海道をたって、青函連絡船から列車を乗り継いで上野駅に来るわけです。夜行列車で上野駅に着いたのが朝早い時間で、ちょうど昭和32年1月7日の朝早い時間に生まれているんですよ。昔、北の富士さんの生い立ちを読んでいる時に、「昭和32年1月7日に上野駅に降り立ち…」とあって、「えっ!」と思って…。それで仕事をご一緒するようになって、「やっぱり縁があるんだね」と言ってもらいました。 つづく
北の富士勝昭さん 〈雑誌ではなく、日刊スポーツの バックナンバーです〉 ここに一気に載せるには あまりにも長文となり過ぎるので、 北の富士さんの83歳の誕生になるはずだった3月28日に際し このサイトにて ご紹介します。 北の富士さんエピソード1 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー 北の富士勝昭氏から話を聞き出すコツは? です。 藤井康生アナウンサー:インタビュー> 大相撲中継で人気の藤井康生アナウンサー(65)が2022年1月31日付でNHKを退局し、2月1日からフリーになりました。 NHK時代の思い出、実況へのこだわりなどについて、ロングインタビューをお送りする。 1回目は、大相撲中継での北の富士勝昭氏との思い出などについて語ってもらった。 【取材・構成=日刊スポーツ 佐々木一郎】 -ーNHKアナウンサーとして最後にテレビやラジオに出演されたのは? テレビは1月場所の12日目の放送が最後でしたね。ラジオは14日目の放送です。 -ー退局されて最初の日、2月1日を迎えた気持ちは (藤井アナ) もうNHKの人間ではないということで、やりたいことがしがらみのない中で自分自身の責任においてできるかなと。これから食べていくにはまだまだ仕事をしなければならないですし、体は いたって健康ですからそういう意欲を持って次の道に進んでいきたいという気持ちはあります。 -今後についてはまた最後にもおうかがいします。まずは初場所の最後のテレビ実況は、北の富士さんとの最後のコンビとなりました。北の富士さんとは放送が終わった後に何か話をしましたか? (藤井アナ) 放送席でちょこっと記念写真を撮って、「コロナがおさまったら藤井さんまた一杯やりましょうよ」というくらいの感じでしょうかね。 つづく
高安オバァ達も皆で応援していたんだけど、年齢的にも来場所あたりが最後ではと思うから優勝してほしいね。 Yさんの事きになっていたからコメントあって安心したよ。 何も出来んが頑張って、北の富士さんの話もっと聞きたいよ。
新入幕でウクライナ出身の安青錦が 誕生日に初のこれより三役で 左の切返しを決めて勝ち 破魔矢と敢闘賞を受け取りました! 好きな漫画が「はじめの一歩」で 好きなキャラクターは鷹村ですか? これからも頑張って下さい♪
高安関負けてしまいましたね。生前北の富士さんが一度は賜杯抱かせてやりたいんだけど、気持が弱すぎ、俺の気持ち取り替えてやりたいよ、とジョークまじりではなしてましたが、、 亡くなってからお相撲見る気にならなくて、今日決定戦だけ見ました。 たくさん約束していた事も完全には実現しないまま思い出の人になってしまい悲しいです。 筆まめで達筆でしたからお手紙はよくもらいましたがそれも宝物です。 たくさんの教え並びに思い出ありがとうございました。 今でも仕事している時にふっとドアがあいて入っていらして下さる様な気持ちになります。 なかにし礼さん伊集院静さんみのさん、よき銀座の伝統守り粋な飲み方する方々がいなくなり残念というママがたくさんいます。 私も教えられた事守りしっかり営業していかなければ思っています。 北の富士さんと知り合えて幸せでした。 後は気にかけていた高安関に賜杯抱かせてあげて下さい。 長文失礼しました。
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続 北の富士さんエピソード
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
(藤井アナ)
私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。
-実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか
もう二十数年ですね。
-北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか?
(藤井アナ)
思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。
照ノ富士が大正時代の栃木山以来の新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いの なかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。
つづく
3北の富士さんエピソード
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
面白かったのが、ある時のラジオの放送です。相撲が激しくなって、さがりが抜けて、向こう正面の席の3列目、4列目くらいのところまで飛んでいったんです。そのさがりを拾ったお客さんから呼び出しさんの方に順番に受け渡しながら返すんですけれども、それを見た北の富士さんが「これは俺の時代だったら、あの さがりにちょっと1万円札をつけて渡すんだよね」「そういう粋なところがだんだんなくなってきたなぁ」と、そういう話をするわけですね。
そこでふと思い出したのが子供のころに見た映像として、引き揚げるるお相撲さんの背中に100円札をぺたぺたとお客さんが貼りつけている様子が浮かんできたんです。そういえば北の富士さん、かつては花道を下がるときに、背中にお札を貼ってもらったりしていましたねと振ると「いやいやそうなんだよ、昔はあったねぇ。昔は特に巡業とか行くと土俵から下がる時に背中に貼ってもらって、背中いっぱいに貼ってもらうこともあったから、支度部屋で全然運動もせずに行くときは、霧吹きで貼りやすいようにして出ていたんだ」とかね。「いよいよ貼る場所がなくなったら腹を引っ込ませたら、まわしの隙間に(お金を)入れてもらえるから、わざと隙間を作って歩いたんだ」とか。そういう面白い話が出てくるわけです。天才ですよ、北の富士さんは。
だからわざとちょっと振ると、いろんな昔話が出てきて楽しかったですね。大した計算もないんです。
つづく
-北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか?
(藤井アナ)
思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。
照ノ富士が大正時代の栃木山以来の新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いのなかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。
つづく
3月28日 お誕生日の北の富士さん エピソード
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
(藤井アナ)
私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。
-実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか
もう二十数年ですね。
つづく
ー ー 放送では藤井さんが岡山で生まれた時期に北の富士さんは北海道から上京したというエピソードが披露されました。
(藤井アナ)
生まれた時期というより、その日なんです。北の富士さんが北海道をたって、青函連絡船から列車を乗り継いで上野駅に来るわけです。夜行列車で上野駅に着いたのが朝早い時間で、ちょうど昭和32年1月7日の朝早い時間に生まれているんですよ。昔、北の富士さんの生い立ちを読んでいる時に、「昭和32年1月7日に上野駅に降り立ち…」とあって、「えっ!」と思って…。それで仕事をご一緒するようになって、「やっぱり縁があるんだね」と言ってもらいました。
つづく
北の富士勝昭さん
〈雑誌ではなく、日刊スポーツの
バックナンバーです〉
ここに一気に載せるには あまりにも長文となり過ぎるので、 北の富士さんの83歳の誕生になるはずだった3月28日に際し このサイトにて ご紹介します。
北の富士さんエピソード1
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
北の富士勝昭氏から話を聞き出すコツは?
です。
藤井康生アナウンサー:インタビュー>
大相撲中継で人気の藤井康生アナウンサー(65)が2022年1月31日付でNHKを退局し、2月1日からフリーになりました。
NHK時代の思い出、実況へのこだわりなどについて、ロングインタビューをお送りする。
1回目は、大相撲中継での北の富士勝昭氏との思い出などについて語ってもらった。
【取材・構成=日刊スポーツ 佐々木一郎】
-ーNHKアナウンサーとして最後にテレビやラジオに出演されたのは?
テレビは1月場所の12日目の放送が最後でしたね。ラジオは14日目の放送です。
-ー退局されて最初の日、2月1日を迎えた気持ちは
(藤井アナ)
もうNHKの人間ではないということで、やりたいことがしがらみのない中で自分自身の責任においてできるかなと。これから食べていくにはまだまだ仕事をしなければならないですし、体は いたって健康ですからそういう意欲を持って次の道に進んでいきたいという気持ちはあります。
-今後についてはまた最後にもおうかがいします。まずは初場所の最後のテレビ実況は、北の富士さんとの最後のコンビとなりました。北の富士さんとは放送が終わった後に何か話をしましたか?
(藤井アナ)
放送席でちょこっと記念写真を撮って、「コロナがおさまったら藤井さんまた一杯やりましょうよ」というくらいの感じでしょうかね。
つづく
高安オバァ達も皆で応援していたんだけど、年齢的にも来場所あたりが最後ではと思うから優勝してほしいね。
Yさんの事きになっていたからコメントあって安心したよ。
何も出来んが頑張って、北の富士さんの話もっと聞きたいよ。
誹謗中傷ではないよ。
相撲協会がダメだから言葉悪いが正論だと思う。
最近投稿ないから気になっていたがYさん大丈夫そうでよかった。
頑張ってほしいね。)
新入幕でウクライナ出身の安青錦が
誕生日に初のこれより三役で
左の切返しを決めて勝ち
破魔矢と敢闘賞を受け取りました!
好きな漫画が「はじめの一歩」で
好きなキャラクターは鷹村ですか?
これからも頑張って下さい♪
高安関負けてしまいましたね。生前北の富士さんが一度は賜杯抱かせてやりたいんだけど、気持が弱すぎ、俺の気持ち取り替えてやりたいよ、とジョークまじりではなしてましたが、、
亡くなってからお相撲見る気にならなくて、今日決定戦だけ見ました。
たくさん約束していた事も完全には実現しないまま思い出の人になってしまい悲しいです。
筆まめで達筆でしたからお手紙はよくもらいましたがそれも宝物です。
たくさんの教え並びに思い出ありがとうございました。
今でも仕事している時にふっとドアがあいて入っていらして下さる様な気持ちになります。
なかにし礼さん伊集院静さんみのさん、よき銀座の伝統守り粋な飲み方する方々がいなくなり残念というママがたくさんいます。
私も教えられた事守りしっかり営業していかなければ思っています。
北の富士さんと知り合えて幸せでした。
後は気にかけていた高安関に賜杯抱かせてあげて下さい。 長文失礼しました。