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初日の中継で、向こう正面の席が最前列から数えて7列目~11列目にかけて、ゴソッと空席となっていました。 座敷席Aの後部ということなんだろうと思います。多少 料金設定の安いB席の最前列が12列目ということなんだと思いますが、テレビ映りの関係で優先的に向こう正面から売っていく本場所なのに、それも日曜日である初日というのに あのガラガラぶり。 やはり九州場所は観客数が伸びません。 九州場所だけはお茶屋さんがいないというのが原因で、まだ平幕(前頭筆頭)だった稀勢の里が白鵬の64連勝を阻止した2010平成22年九州場所二日目のあの一番でも、向こう正面はガラガラ、観客数が3000人台だったそうですから。 咳をしたり眠気で?欠伸する声が聞こえたりと体調が悪そうだった北の富士さんもがっかり。 曰く、 正代はやはり負けたが…一番光った御嶽海は気迫十分で10勝は楽勝だろう 地方場所に来ると枕が合わず、2、3日は眠れないと以前にこぼしたことがあります。金曜日に博多に入ってふた晩、案の定、寝付けませんでした。おかげさんで体調は最悪です。 初日の解説は死にそうでした。おまけに幕内の土俵も前半戦の相撲内容はお粗末そのもので、何をしゃべったかあまり覚えていません。そんなときに限って舞の海がやたらに話を振ってくる。面白い相撲がないので何とか土俵を盛り上げようと舞の海なりに気を使ったのだろうが、今日だけは大いに迷惑でありました。 それでもそのかいあって若隆景と高安戦、琴ノ若と豊昇龍の相撲は見るべきものがあった。正代はやはり負けた。翔猿にいいように取られ、最悪のスタートになったようだが、今日の一番を見る限り8番勝つのは難しいだろう。 初日一番光ったのは御嶽海。低い立ち合いから、左からおっつけて一気に明生を押し出した。気迫も十分に感じられたので10勝は楽勝だろう。私が自信を持って予想するが、まず間違いないだろう。貴景勝も大栄翔に当たり負けすることなく前に出た。 初日は空席も目立って寂しい感じは否めなかったが、頼みの正代がこのありさまでは満員御礼は中日と千秋楽ぐらいなものだろうか。魁皇がいたときが懐かしい。琴奨菊もファンが多く満員御礼が続いた。あの頃は良かったなあ。というわけで今日は体調不良のため、このあたりで許していただこうと思います。 原稿を送ったら食事にします。ルームサービスでカレーでも食べます。最近は北の富士カレーばかり食べているので、本職の料理人の作ったカレーを楽しみたい。実は既にふぐももつ鍋も馬刺しも頂いています。うまかったです。やはり博多は楽しい。早く体調を整えてうまいものを食べまくります。そして原稿も解説も頑張ります。では今日はこのへんで。 ・・・ 今日の二日目は やはり幕内の後半戦に注目したいですねえ。 若元春vs北勝富士 佐田の海vs翠富士 翔 猿 vs 明 正 宇 良 vs大栄翔 若隆景vs霧馬山 御嶽海vs逸ノ城 玉 鷲 vs豊昇龍 貴景勝vs琴ノ若 そして結びが 正 代 vs 高 安 激しい攻防のある“銭の取れる相撲”を魅せて欲しいものです。 北の富士さんも東京から慣れた枕を送らせて、早く復調して欲しいものです。
九州場所初日 高安vs若隆景、翔猿vs正代 激しい突き押しの相撲でした。 負けた若隆景も正代も、初日にしては二人とも体が動いていたほうではないですか? 翔猿は舞の海さんが褒めていた通り。 小兵力士退治が得意な正代を考えぬいた戦法で余裕を持って翻弄してましたね。 高安は、例によって怖い顔で若隆景を突き放しまくってました。ちょっと足の具合が心配。 貴景勝が勝ってたくさんの懸賞金の熨斗袋の束をごっそり持っていきました。 関脇に陥落した御嶽海が勝ったものの、懸賞金の熨斗袋をたった1枚か2枚を持って土俵を降りたのと好対照でした。
『優勝した次の場所では皆さん成績が良くない…から、そうならないように、まずは相撲を楽しんで、勝ち越して、それから一つずつ白星を増やしていきたい』とインタビューで語っていた玉鷲関。 毎場所前は、部屋に関取が自分しかいないので、部屋の稽古でも二人三人同時にぶつかってこさせたり、後ろから押させたりと小部屋ならではの工夫した稽古をし続けている玉鷲。 これで連続優勝となれば、38歳での幕内連覇。 そうなりますと、 白鵬の32歳4か月はおろか 千代の富士の34歳3か月 羽黒山の33歳や双葉山の32歳を抜き、大正時代の太刀山の36歳5か月をも上回って、明治42年に個人優勝制度が確立されて以降の 歴代最高齢の連覇記録となりそうです。 江戸時代まで遡ると、やはり谷風と雷電の名前が挙がります。 谷風梶之助が42歳6か月 雷電為右衛門が43歳9か月での幕内連覇がありました。 それにしても玉鷲の優勝の可能性はけっして少なくない。期待できますねえ
千代の富士が引退を決断したのは、 当時の若花田・貴花田など新世代の力士たちの台頭が大きな要因となりました。 「今、相撲ブームだと言われている。いい現状でしょう。こういう相撲熱の盛んな時代がずうっとずうっと続いていってほしいと思います。そのためには皆に頑張ってもらわねばね」 引退時の言葉だ。当時の若貴ブームを喜びつつ、自らが角界を引っ張ってきたという自負もちょっぴりと見せていた。 そして思い起こせば、 1981昭和56年名古屋場所で優勝した千代の富士がついに横綱昇進を決めた時、 有頂天になっていた千代の富士に対して、師匠九重(元横綱北の富士)が放った言葉 1981年7月場所後、千代の富士が横綱に昇進した夜、 「ウルフ(千代の富士のあだ名)よ、辞める時はスパッと潔く・綺麗に辞めような。 チンタラチンタラと横綱を務めるんじゃねえぞ」と、千代の富士に引き際の美学を説いた。 当時の千代の富士は面食らいながらも、1991年5月場所限りで引退した時は正にこの言葉通り、潔いものでした。 横綱になった日から引退する日のことを考える……というのは 栃木山⇒栃錦・千代の山⇒北の富士⇒千代の富士と 教え継がれたものでした。
名伯楽 北の富士さん 千代の富士にまつわる4つの言葉 <名言1> 体で負けているんだから、気力では負けるな。 (九重親方) ◇解説◇ 北の富士勝昭さんは現在、御年80歳。大相撲テレビ・ラジオ中継で舌鋒鋭く関取を評する人気解説者だ。そんな北の富士さんは現役時代、幕内最高優勝10回を果たすなど第52代横綱として、1960~70年代の角界を大いに盛り上げた。 さらに九重親方時代に大横綱・千代の富士を育て上げたことで名伯楽としても知られている。1991年、千代の富士引退にあたってNumberのインタビューに応じてくれた九重親方。 「ハンディを乗り越え、千代の富士は何故最強たりえたか」というテーマでの取材に、包み隠さず本音で語っている。 「体は小さい、そして怪我も多かったけれど、しかし、強靭なバネとか運動神経、集中力といった点で、やはり天才的なものを持っていたんじゃないですか。(中略)それに加えて研究熱心。相撲に対する集中力も凄いし、とにかく精神面が大きかったと思うんです」 「それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも…」 千代の富士と言えば筋力トレーニングで鍛えた圧倒的な肉体美とともに、自分よりも一回り近く大きい力士に対しても全く臆せず挑んでいく姿だった。 その心技体が相撲ファンにとどまらず世間一般にも強烈な印象を与えることになったのだが、当時九重親方は「気力で負けるな」と伝えるとともに、このようにも助言していたと明かす。 「『横綱でも何でも土俵に上がったら五分と五分なんだから、うんと睨んで、それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも威嚇しろ。何か言われたら俺が責任をとるから、とにかくいけ』と言ってけしかけました。だからあの頃さかんに、たいして厚くもない胸をぐっとそらしてた。それでも効果があったと思いますよ」 千代の富士という存在自体で、相手を威圧する。それが圧倒的だったオーラの正体なのかもしれない。 なお千代の富士も九重親方からの教えについて、このように語っていたことがある。 「右肩まで脱臼した時、親方に、お前は、こんないい相撲を前に取ったこともあるじゃないか、それなら、肩にも負担がかからないし、いいんじゃないかと言われて、それが前まわしを取って頭をつける相撲だった」 度重なる脱臼の大ケガと向き合い、心身ともにバージョンアップさせていった取り口。それが千代の富士を“小さな大横綱”へと導くことになる。 つづく
大相撲九州場所前半 北の富士さんの解説スケジュール テレビ 初日 五日目(木曜) ラジオ 三日目(火曜) 七日目(土曜) その他の主な解説者 テレビ 三日目 秀ノ山親方(元琴奨菊 四日目 鶴竜親方 六日目 武隈親方(元豪栄道 ラジオ 二日目 西岩親方(元若ノ里 四日目 井筒親方(元豊ノ島
博多…といえば 水炊き がありますね。 鉄鍋餃子も旨いし、明太子もありますが、 やっぱり水炊きが一番好きかな。 九州場所といえば、千代の富士! 横綱になってから引退までの10年間の九州場所では、8年連続9回の優勝。優勝を逃した平成元年も13勝2敗での準優勝。 この10年間の九州場所での勝敗は136勝14敗、休場なし、勝率.906。 博多の絶品料理を食べて優勝しまくってました。 戦後最高となった53連勝をして千秋楽に横綱大乃国に敗れたのも昭和63年の九州場所でしたね。
逸ノ城問題 この問題に関して、相撲協会はあくまで「疑惑止まり」といったスタンスで、13日初日の11月九州場所には出場可能としている。 もっとも、逸ノ城の酒癖は、角界では昔から有名だったという。 ある若手親方が言う。 「普段は温厚な好青年。酒も少量なら問題ないのだが、酔っぱらうと人が変わったように “凶暴”になる。 怒鳴るわ、手が出るわ と散々です。 実は5、6年前の地方巡業でも、夜のお店でトラブルを起こし、巡業を休場したことがあった」 師匠は厳しく育てなかったのか。 「湊親方は気が優しすぎて、弟子に強く言えないタイプ。おかみも逸ノ城のことを我が子同然に可愛がっており、厳しく叱ったりはしない。そもそも、逸ノ城は今の親方が育てた唯一の関取。部屋は彼ひとりでもっているも同然なので、強い態度に出られない。仮に逸ノ城が廃業となったら、本人の次に困るのは湊部屋そのものですからね。そうした事情を逸ノ城も理解しているので、泥酔すると普段は抑えているテングの鼻が顔を出してしまうのではないか」(前出の親方) どんな事情であれ、暴力は御法度。暴力排除に力を入れている相撲協会としては、なおさらではないか。 ・・・協会は即刻、調査すべきですねえ。 某与党と一緒で、巷の声が大きくならないと腰を上げない相撲協会。重い腰は相撲では有利ですが、問題発生時にはすぐに調査して、その上で、問題なしならそれはそれで仕方ない。 しかし、過去の北尾の例からも、残念ながら「言語道断、解雇やむ無し」というところでしょう。 これを許したら、他の部屋でも類似事件が起きそうで、女将さんは怖くて力士たちの面倒などみれなくなりますね。
『 大相撲のコメント部屋 へのコメント 2,160件 』
初日の中継で、向こう正面の席が最前列から数えて7列目~11列目にかけて、ゴソッと空席となっていました。
座敷席Aの後部ということなんだろうと思います。多少 料金設定の安いB席の最前列が12列目ということなんだと思いますが、テレビ映りの関係で優先的に向こう正面から売っていく本場所なのに、それも日曜日である初日というのに あのガラガラぶり。
やはり九州場所は観客数が伸びません。
九州場所だけはお茶屋さんがいないというのが原因で、まだ平幕(前頭筆頭)だった稀勢の里が白鵬の64連勝を阻止した2010平成22年九州場所二日目のあの一番でも、向こう正面はガラガラ、観客数が3000人台だったそうですから。
咳をしたり眠気で?欠伸する声が聞こえたりと体調が悪そうだった北の富士さんもがっかり。
曰く、
正代はやはり負けたが…一番光った御嶽海は気迫十分で10勝は楽勝だろう
地方場所に来ると枕が合わず、2、3日は眠れないと以前にこぼしたことがあります。金曜日に博多に入ってふた晩、案の定、寝付けませんでした。おかげさんで体調は最悪です。
初日の解説は死にそうでした。おまけに幕内の土俵も前半戦の相撲内容はお粗末そのもので、何をしゃべったかあまり覚えていません。そんなときに限って舞の海がやたらに話を振ってくる。面白い相撲がないので何とか土俵を盛り上げようと舞の海なりに気を使ったのだろうが、今日だけは大いに迷惑でありました。
それでもそのかいあって若隆景と高安戦、琴ノ若と豊昇龍の相撲は見るべきものがあった。正代はやはり負けた。翔猿にいいように取られ、最悪のスタートになったようだが、今日の一番を見る限り8番勝つのは難しいだろう。
初日一番光ったのは御嶽海。低い立ち合いから、左からおっつけて一気に明生を押し出した。気迫も十分に感じられたので10勝は楽勝だろう。私が自信を持って予想するが、まず間違いないだろう。貴景勝も大栄翔に当たり負けすることなく前に出た。
初日は空席も目立って寂しい感じは否めなかったが、頼みの正代がこのありさまでは満員御礼は中日と千秋楽ぐらいなものだろうか。魁皇がいたときが懐かしい。琴奨菊もファンが多く満員御礼が続いた。あの頃は良かったなあ。というわけで今日は体調不良のため、このあたりで許していただこうと思います。
原稿を送ったら食事にします。ルームサービスでカレーでも食べます。最近は北の富士カレーばかり食べているので、本職の料理人の作ったカレーを楽しみたい。実は既にふぐももつ鍋も馬刺しも頂いています。うまかったです。やはり博多は楽しい。早く体調を整えてうまいものを食べまくります。そして原稿も解説も頑張ります。では今日はこのへんで。
・・・
今日の二日目は
やはり幕内の後半戦に注目したいですねえ。
若元春vs北勝富士
佐田の海vs翠富士
翔 猿 vs 明 正
宇 良 vs大栄翔
若隆景vs霧馬山
御嶽海vs逸ノ城
玉 鷲 vs豊昇龍
貴景勝vs琴ノ若
そして結びが
正 代 vs 高 安
激しい攻防のある“銭の取れる相撲”を魅せて欲しいものです。
北の富士さんも東京から慣れた枕を送らせて、早く復調して欲しいものです。
阿炎の突っ張りがカッコイイです!
超重量級の碧山もスタンディング・ダウン?
これからも頑張って下さい♪
九州場所初日
高安vs若隆景、翔猿vs正代
激しい突き押しの相撲でした。
負けた若隆景も正代も、初日にしては二人とも体が動いていたほうではないですか?
翔猿は舞の海さんが褒めていた通り。
小兵力士退治が得意な正代を考えぬいた戦法で余裕を持って翻弄してましたね。
高安は、例によって怖い顔で若隆景を突き放しまくってました。ちょっと足の具合が心配。
貴景勝が勝ってたくさんの懸賞金の熨斗袋の束をごっそり持っていきました。
関脇に陥落した御嶽海が勝ったものの、懸賞金の熨斗袋をたった1枚か2枚を持って土俵を降りたのと好対照でした。
『優勝した次の場所では皆さん成績が良くない…から、そうならないように、まずは相撲を楽しんで、勝ち越して、それから一つずつ白星を増やしていきたい』とインタビューで語っていた玉鷲関。
毎場所前は、部屋に関取が自分しかいないので、部屋の稽古でも二人三人同時にぶつかってこさせたり、後ろから押させたりと小部屋ならではの工夫した稽古をし続けている玉鷲。
これで連続優勝となれば、38歳での幕内連覇。
そうなりますと、
白鵬の32歳4か月はおろか
千代の富士の34歳3か月
羽黒山の33歳や双葉山の32歳を抜き、大正時代の太刀山の36歳5か月をも上回って、明治42年に個人優勝制度が確立されて以降の 歴代最高齢の連覇記録となりそうです。
江戸時代まで遡ると、やはり谷風と雷電の名前が挙がります。
谷風梶之助が42歳6か月
雷電為右衛門が43歳9か月での幕内連覇がありました。
それにしても玉鷲の優勝の可能性はけっして少なくない。期待できますねえ
千代の富士が引退を決断したのは、
当時の若花田・貴花田など新世代の力士たちの台頭が大きな要因となりました。
「今、相撲ブームだと言われている。いい現状でしょう。こういう相撲熱の盛んな時代がずうっとずうっと続いていってほしいと思います。そのためには皆に頑張ってもらわねばね」 引退時の言葉だ。当時の若貴ブームを喜びつつ、自らが角界を引っ張ってきたという自負もちょっぴりと見せていた。
そして思い起こせば、
1981昭和56年名古屋場所で優勝した千代の富士がついに横綱昇進を決めた時、
有頂天になっていた千代の富士に対して、師匠九重(元横綱北の富士)が放った言葉
1981年7月場所後、千代の富士が横綱に昇進した夜、
「ウルフ(千代の富士のあだ名)よ、辞める時はスパッと潔く・綺麗に辞めような。 チンタラチンタラと横綱を務めるんじゃねえぞ」と、千代の富士に引き際の美学を説いた。
当時の千代の富士は面食らいながらも、1991年5月場所限りで引退した時は正にこの言葉通り、潔いものでした。
横綱になった日から引退する日のことを考える……というのは
栃木山⇒栃錦・千代の山⇒北の富士⇒千代の富士と
教え継がれたものでした。
名伯楽 北の富士さん
千代の富士にまつわる4つの言葉
<名言1>
体で負けているんだから、気力では負けるな。
(九重親方)
◇解説◇
北の富士勝昭さんは現在、御年80歳。大相撲テレビ・ラジオ中継で舌鋒鋭く関取を評する人気解説者だ。そんな北の富士さんは現役時代、幕内最高優勝10回を果たすなど第52代横綱として、1960~70年代の角界を大いに盛り上げた。
さらに九重親方時代に大横綱・千代の富士を育て上げたことで名伯楽としても知られている。1991年、千代の富士引退にあたってNumberのインタビューに応じてくれた九重親方。
「ハンディを乗り越え、千代の富士は何故最強たりえたか」というテーマでの取材に、包み隠さず本音で語っている。
「体は小さい、そして怪我も多かったけれど、しかし、強靭なバネとか運動神経、集中力といった点で、やはり天才的なものを持っていたんじゃないですか。(中略)それに加えて研究熱心。相撲に対する集中力も凄いし、とにかく精神面が大きかったと思うんです」 「それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも…」 千代の富士と言えば筋力トレーニングで鍛えた圧倒的な肉体美とともに、自分よりも一回り近く大きい力士に対しても全く臆せず挑んでいく姿だった。
その心技体が相撲ファンにとどまらず世間一般にも強烈な印象を与えることになったのだが、当時九重親方は「気力で負けるな」と伝えるとともに、このようにも助言していたと明かす。
「『横綱でも何でも土俵に上がったら五分と五分なんだから、うんと睨んで、それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも威嚇しろ。何か言われたら俺が責任をとるから、とにかくいけ』と言ってけしかけました。だからあの頃さかんに、たいして厚くもない胸をぐっとそらしてた。それでも効果があったと思いますよ」 千代の富士という存在自体で、相手を威圧する。それが圧倒的だったオーラの正体なのかもしれない。
なお千代の富士も九重親方からの教えについて、このように語っていたことがある。
「右肩まで脱臼した時、親方に、お前は、こんないい相撲を前に取ったこともあるじゃないか、それなら、肩にも負担がかからないし、いいんじゃないかと言われて、それが前まわしを取って頭をつける相撲だった」
度重なる脱臼の大ケガと向き合い、心身ともにバージョンアップさせていった取り口。それが千代の富士を“小さな大横綱”へと導くことになる。
つづく
大相撲九州場所前半
北の富士さんの解説スケジュール
テレビ
初日
五日目(木曜)
ラジオ
三日目(火曜)
七日目(土曜)
その他の主な解説者
テレビ
三日目 秀ノ山親方(元琴奨菊
四日目 鶴竜親方
六日目 武隈親方(元豪栄道
ラジオ
二日目 西岩親方(元若ノ里
四日目 井筒親方(元豊ノ島
逸ノ城残念だね。
発散出来なくて内にたまるタイプだから、酒に飲まれてしまうのかねー
暴力はいかんよ!
果たして九州場所ではどんな精神状態なのかね。
明日を楽しみにまってます。
博多…といえば
水炊き がありますね。
鉄鍋餃子も旨いし、明太子もありますが、
やっぱり水炊きが一番好きかな。
九州場所といえば、千代の富士!
横綱になってから引退までの10年間の九州場所では、8年連続9回の優勝。優勝を逃した平成元年も13勝2敗での準優勝。
この10年間の九州場所での勝敗は136勝14敗、休場なし、勝率.906。
博多の絶品料理を食べて優勝しまくってました。
戦後最高となった53連勝をして千秋楽に横綱大乃国に敗れたのも昭和63年の九州場所でしたね。
逸ノ城問題
この問題に関して、相撲協会はあくまで「疑惑止まり」といったスタンスで、13日初日の11月九州場所には出場可能としている。
もっとも、逸ノ城の酒癖は、角界では昔から有名だったという。
ある若手親方が言う。
「普段は温厚な好青年。酒も少量なら問題ないのだが、酔っぱらうと人が変わったように “凶暴”になる。
怒鳴るわ、手が出るわ と散々です。
実は5、6年前の地方巡業でも、夜のお店でトラブルを起こし、巡業を休場したことがあった」 師匠は厳しく育てなかったのか。
「湊親方は気が優しすぎて、弟子に強く言えないタイプ。おかみも逸ノ城のことを我が子同然に可愛がっており、厳しく叱ったりはしない。そもそも、逸ノ城は今の親方が育てた唯一の関取。部屋は彼ひとりでもっているも同然なので、強い態度に出られない。仮に逸ノ城が廃業となったら、本人の次に困るのは湊部屋そのものですからね。そうした事情を逸ノ城も理解しているので、泥酔すると普段は抑えているテングの鼻が顔を出してしまうのではないか」(前出の親方)
どんな事情であれ、暴力は御法度。暴力排除に力を入れている相撲協会としては、なおさらではないか。
・・・協会は即刻、調査すべきですねえ。
某与党と一緒で、巷の声が大きくならないと腰を上げない相撲協会。重い腰は相撲では有利ですが、問題発生時にはすぐに調査して、その上で、問題なしならそれはそれで仕方ない。
しかし、過去の北尾の例からも、残念ながら「言語道断、解雇やむ無し」というところでしょう。
これを許したら、他の部屋でも類似事件が起きそうで、女将さんは怖くて力士たちの面倒などみれなくなりますね。