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北の富士さんエピソード5 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー 後に親から聞いた話ですけれども、小学校の2年生3年生くらいですかね、 「お前は最初に書いた漢字が『大鵬』という漢字だったんだよ」と。 それくらいきっと相撲が好きだったというのと、そういう雑誌が毎月欠かさず家にありましたから、読んだり、見たりするのが好きだったんでしょうね 取組の終盤戦に藤井アナが北の富士氏の入門当時の話題に触れ、北の富士氏が入門するために1957年1月に上京した時の様子を語る中で「その時に藤井さんは生まれたんだな」と話を振った。 1957年1月生まれの藤井アナは「そうなんです。北の富士さんが上野駅に降り立った日の朝、ちょうど同じくらいの時刻におそらく岡山の田舎で生まれたわけですが」と返答した。 そして北の富士氏は、中継放送前半で “定年退職により今日で最後”という話をしてるのに、聞いてくれてなかったようで 「ところで藤井さん、どうして今日が最後なの?」と語りかけ、 「定年だから?……定年だと最後になっちゃうの?」とあまり納得できない北の富士さん 藤井アナは 「NHKの放送としては、大相撲放送としては、です。本当にお世話になりました」と、この日が最後の大相撲実況となることをもう一度話しました。 つづく
力士テレビ出演 今日10月7日 日テレ 有吉ゼミSP ▼ギャル曽根VS秋の味覚丼に現役力士! 10月7日(月) 19:00〜21:00 ギャル曽根チャレンジグルメ秋場所開幕!秋の味覚丼に最強現役力士 ほか 出演者 【教授】有吉弘行 【秘書】水卜麻美 【ゼミ生】坂上忍、博多華丸・大吉、矢作兼、ギャル曽根、 一山本、友風、皇治、八重樫東 ほか ギャル曽根チャレンジグルメ! デカ盛り秋場所が開幕!? 現役力士と秋の味覚丼に挑む! 【グルメすぎる相撲部屋】 九重部屋のビックリ流しそうめん大会に密着! 総重量20kgのそうめんが… ・・・ 一山本って 先場所(秋場所)で前頭9枚目で負け越してました。 直近の場所で負け越した力士がヘラヘラしながらバラエティ番組に出演するのは感心しないですねえ。 協会は、負け越した力士のテレビ出演を規制すべきですねえ。 テレビ出演となると けっこうな時間を費やします。20分間の出演だと、最低でも3時間は拘束されます。 大食い番組などに出ても相撲が強くなるわけでも上手くなるわけでもない! 部屋で四股踏み・摺り足・テッポウなど基本稽古をやって貰いたいものです。
北の富士さんエピソード4 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー ー北の富士さんがそれだけお話しされたのも藤井さんだからこそですね (藤井アナ) 子供のころから大相撲を見ていましたから。相撲の雑誌は祖父が毎月買ってくれたんです。3歳の時、昭和35年くらいですけど、わが家に白黒テレビが入ってくるわけです。大相撲が大好きな祖父がある日、相撲をどうしても見たいと買ってきたんです。決して裕福な家ではなかったんですけど、当時世の中に広がり始めた白黒テレビを買ってきて。 私はいつも祖父のあぐらの中にちょこんと座って、相撲を見ていたらしいんです。 つづく ・・・ 昭和35年というと名人横綱栃錦が引退し、残された初代若乃花と三代朝潮の両横綱がいて、この年の秋場所に新大関となった21歳の柏戸が次の横綱と期待されていたのを、まだ20歳の大鵬が追いかけてきて初場所で新入幕だったのに九州場所で初優勝して大関昇進を決め、「柏鵬時代」の幕開けとなった年でしたね。 我が家でも大相撲を愛する母が6畳ひと間の安アパート住まいでしたが14インチくらいのとても小型の白黒テレビを緑屋さんで24回分割払いで買ってきてくれて大相撲中継はNHKだけでなく4ch(日本テレビ)でも6ch(TBS)でも、そして8ch(フジテレビ)や10ch(NET=今のテレビ朝日)でも放送していて、どのチャンネルでも大相撲を放送してましたね。
北の富士さんエピソード 3 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー 面白かったのが、ある時のラジオの放送です。相撲が激しくなって、さがりが抜けて、向こう正面の席の3列目、4列目くらいのところまで飛んでいったんです。そのさがりを拾ったお客さんから呼び出しさんの方に順番に受け渡しながら返すんですけれども、それを見た北の富士さんが「これは俺の時代だったら、あのさがりにちょっと1万円札をつけて渡すんだよね」「そういう粋なところがだんだんなくなってきたなぁ」と、そういう話をするわけですね。 そこでふと思い出したのが子供のころに見た映像として、引き揚げるるお相撲さんの背中に100円札をぺたぺたとお客さんが貼りつけている様子が浮かんできたんです。 そういえば北の富士さん、かつては花道を下がるときに、背中にお札を貼ってもらったりしていましたねと振ると「いやいやそうなんだよ、昔はあったねぇ。昔は特に巡業とか行くと下がる時に背中に貼ってもらって、背中いっぱいに貼ってもらうこともあったから、支度部屋で全然運動もせずに行くときは、霧吹きで貼りやすいようにして出ていたんだ」とかね。「いよいよ貼る場所がなくなったら腹を引っ込ませたら、まわしの隙間に(お金を)入れてもらえるから、わざと隙間を作って歩いたんだ」とか。そういう面白い話が出てくるわけです。天才ですよ、北の富士さんは。 だからわざとちょっと振ると、いろんな昔話が出てきて楽しかったですね。大した計算もないんです。 つづく
北の富士さんエピソード2 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー (藤井アナ) 私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。 -実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか もう二十数年ですね。 -北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか? (藤井アナ) 思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。 照ノ富士が大正時代の栃木山以来の新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いのなかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。 つづく
北の富士さんエピソード1 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー 北の富士勝昭氏から話を聞き出すコツは? です。 大相撲中継で人気の藤井康生アナウンサー(65)が2022年1月31日付でNHKを退局、2月1日からフリーになりました。 NHK時代の思い出、実況へのこだわりなどについて、ロングインタビューをお送りする。 1回目は、大相撲中継での北の富士勝昭氏との思い出などについて語ってもらった。 【取材・構成=日刊スポーツ 佐々木一郎】 -ーNHKアナウンサーとして最後にテレビやラジオに出演されたのは? 藤井アナ テレビは1月場所の12日目の放送が最後でしたね。ラジオは14日目の放送です。 -ー退局されて最初の日、2月1日を迎えた気持ちは (藤井アナ) もうNHKの人間ではないということで、やりたいことがしがらみのない中で自分自身の責任においてできるかなと。これから食べていくにはまだまだ仕事をしなければならないですし、体はいたって健康ですからそういう意欲を持って次の道に進んでいきたいという気持ちはあります。 -今後についてはまた最後にもおうかがいします。まずは初場所の最後のテレビ実況は、北の富士さんとの最後のコンビとなりました。北の富士さんとは放送が終わった後に何か話をしましたか? (藤井アナ) 放送席でちょこっと記念写真を撮って、「コロナがおさまったら藤井さんまた一杯やりましょうよ」というくらいの感じでしょうかね。 -ー放送では藤井さんが岡山で生まれた時期に北の富士さんは北海道から上京したというエピソードが披露されました。 (藤井アナ) 生まれた時期というより、その日なんです。北の富士さんが北海道をたって、青函連絡船から列車を乗り継いで上野駅に来るわけです。夜行列車で上野駅に着いたのが朝早い時間で、ちょうど昭和32年1月7日の朝早い時間に生まれているんですよ。昔、北の富士さんの生い立ちを読んでいる時に、「昭和32年1月7日に上野駅に降り立ち…」とあって、「えっ!」と思って…。それで仕事をご一緒するようになって、「やっぱり縁があるんだね」と言ってもらいました。 つづく
せっかく応援しているのに何だかんだいわれるの嫌ですよね。 いつも短い文なのでそれだけでいいのでは、疑問符文とこれからも、、、は定文の様になっているからいらないのでは、もしくは違う事書いた方が文としては自然かなと思います。 余計な事いいましてすみません。 肝心な事、先日豪の山さんお会い出来て握手させてもらいました。 ちびたちもすごく喜んでました。
元琴奨菊が独立! スポニチによりますと 元大関・琴奨菊の秀ノ山親方が独立し秀ノ山部屋を新設 日本相撲協会の理事会で承認されたそうです。 秀ノ山親方は2020令和2年11月に現役引退後、佐渡ケ嶽部屋の部屋付きとして後進の指導に当たっていた。 6月に二所ノ関部屋から独立した元嘉風の中村部屋に次いで45部屋目となります。
やはり元旭日松の振分親方が九月で退職されたのは、 妙義龍が引退となり振分親方となるので、借りていた振分の年寄り株を妙義龍に返すので退職したのですね 他の株を借りるにも空きがなかったのか? 他の年寄り株を借りて相撲協会に残ってる親方も、他人事ではないですよね もうちょっと、年寄り株の制度を何とか改革して欲しいものだと思いました
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北の富士さんエピソード5
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
後に親から聞いた話ですけれども、小学校の2年生3年生くらいですかね、
「お前は最初に書いた漢字が『大鵬』という漢字だったんだよ」と。
それくらいきっと相撲が好きだったというのと、そういう雑誌が毎月欠かさず家にありましたから、読んだり、見たりするのが好きだったんでしょうね
取組の終盤戦に藤井アナが北の富士氏の入門当時の話題に触れ、北の富士氏が入門するために1957年1月に上京した時の様子を語る中で「その時に藤井さんは生まれたんだな」と話を振った。
1957年1月生まれの藤井アナは「そうなんです。北の富士さんが上野駅に降り立った日の朝、ちょうど同じくらいの時刻におそらく岡山の田舎で生まれたわけですが」と返答した。
そして北の富士氏は、中継放送前半で “定年退職により今日で最後”という話をしてるのに、聞いてくれてなかったようで
「ところで藤井さん、どうして今日が最後なの?」と語りかけ、
「定年だから?……定年だと最後になっちゃうの?」とあまり納得できない北の富士さん
藤井アナは
「NHKの放送としては、大相撲放送としては、です。本当にお世話になりました」と、この日が最後の大相撲実況となることをもう一度話しました。
つづく
力士テレビ出演
今日10月7日
日テレ
有吉ゼミSP
▼ギャル曽根VS秋の味覚丼に現役力士!
10月7日(月) 19:00〜21:00
ギャル曽根チャレンジグルメ秋場所開幕!秋の味覚丼に最強現役力士 ほか
出演者 【教授】有吉弘行 【秘書】水卜麻美
【ゼミ生】坂上忍、博多華丸・大吉、矢作兼、ギャル曽根、
一山本、友風、皇治、八重樫東 ほか
ギャル曽根チャレンジグルメ!
デカ盛り秋場所が開幕!?
現役力士と秋の味覚丼に挑む!
【グルメすぎる相撲部屋】
九重部屋のビックリ流しそうめん大会に密着!
総重量20kgのそうめんが…
・・・
一山本って
先場所(秋場所)で前頭9枚目で負け越してました。
直近の場所で負け越した力士がヘラヘラしながらバラエティ番組に出演するのは感心しないですねえ。
協会は、負け越した力士のテレビ出演を規制すべきですねえ。
テレビ出演となると けっこうな時間を費やします。20分間の出演だと、最低でも3時間は拘束されます。
大食い番組などに出ても相撲が強くなるわけでも上手くなるわけでもない!
部屋で四股踏み・摺り足・テッポウなど基本稽古をやって貰いたいものです。
北の富士さんエピソード4
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
ー北の富士さんがそれだけお話しされたのも藤井さんだからこそですね
(藤井アナ)
子供のころから大相撲を見ていましたから。相撲の雑誌は祖父が毎月買ってくれたんです。3歳の時、昭和35年くらいですけど、わが家に白黒テレビが入ってくるわけです。大相撲が大好きな祖父がある日、相撲をどうしても見たいと買ってきたんです。決して裕福な家ではなかったんですけど、当時世の中に広がり始めた白黒テレビを買ってきて。
私はいつも祖父のあぐらの中にちょこんと座って、相撲を見ていたらしいんです。
つづく
・・・
昭和35年というと名人横綱栃錦が引退し、残された初代若乃花と三代朝潮の両横綱がいて、この年の秋場所に新大関となった21歳の柏戸が次の横綱と期待されていたのを、まだ20歳の大鵬が追いかけてきて初場所で新入幕だったのに九州場所で初優勝して大関昇進を決め、「柏鵬時代」の幕開けとなった年でしたね。
我が家でも大相撲を愛する母が6畳ひと間の安アパート住まいでしたが14インチくらいのとても小型の白黒テレビを緑屋さんで24回分割払いで買ってきてくれて大相撲中継はNHKだけでなく4ch(日本テレビ)でも6ch(TBS)でも、そして8ch(フジテレビ)や10ch(NET=今のテレビ朝日)でも放送していて、どのチャンネルでも大相撲を放送してましたね。
北の富士さんエピソード 3
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
面白かったのが、ある時のラジオの放送です。相撲が激しくなって、さがりが抜けて、向こう正面の席の3列目、4列目くらいのところまで飛んでいったんです。そのさがりを拾ったお客さんから呼び出しさんの方に順番に受け渡しながら返すんですけれども、それを見た北の富士さんが「これは俺の時代だったら、あのさがりにちょっと1万円札をつけて渡すんだよね」「そういう粋なところがだんだんなくなってきたなぁ」と、そういう話をするわけですね。
そこでふと思い出したのが子供のころに見た映像として、引き揚げるるお相撲さんの背中に100円札をぺたぺたとお客さんが貼りつけている様子が浮かんできたんです。
そういえば北の富士さん、かつては花道を下がるときに、背中にお札を貼ってもらったりしていましたねと振ると「いやいやそうなんだよ、昔はあったねぇ。昔は特に巡業とか行くと下がる時に背中に貼ってもらって、背中いっぱいに貼ってもらうこともあったから、支度部屋で全然運動もせずに行くときは、霧吹きで貼りやすいようにして出ていたんだ」とかね。「いよいよ貼る場所がなくなったら腹を引っ込ませたら、まわしの隙間に(お金を)入れてもらえるから、わざと隙間を作って歩いたんだ」とか。そういう面白い話が出てくるわけです。天才ですよ、北の富士さんは。
だからわざとちょっと振ると、いろんな昔話が出てきて楽しかったですね。大した計算もないんです。
つづく
北の富士さんエピソード2
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
(藤井アナ)
私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。
-実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか
もう二十数年ですね。
-北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか?
(藤井アナ)
思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。
照ノ富士が大正時代の栃木山以来の新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いのなかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。
つづく
北の富士さんエピソード1
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
北の富士勝昭氏から話を聞き出すコツは?
です。
大相撲中継で人気の藤井康生アナウンサー(65)が2022年1月31日付でNHKを退局、2月1日からフリーになりました。
NHK時代の思い出、実況へのこだわりなどについて、ロングインタビューをお送りする。
1回目は、大相撲中継での北の富士勝昭氏との思い出などについて語ってもらった。
【取材・構成=日刊スポーツ 佐々木一郎】
-ーNHKアナウンサーとして最後にテレビやラジオに出演されたのは?
藤井アナ
テレビは1月場所の12日目の放送が最後でしたね。ラジオは14日目の放送です。
-ー退局されて最初の日、2月1日を迎えた気持ちは
(藤井アナ)
もうNHKの人間ではないということで、やりたいことがしがらみのない中で自分自身の責任においてできるかなと。これから食べていくにはまだまだ仕事をしなければならないですし、体はいたって健康ですからそういう意欲を持って次の道に進んでいきたいという気持ちはあります。
-今後についてはまた最後にもおうかがいします。まずは初場所の最後のテレビ実況は、北の富士さんとの最後のコンビとなりました。北の富士さんとは放送が終わった後に何か話をしましたか?
(藤井アナ)
放送席でちょこっと記念写真を撮って、「コロナがおさまったら藤井さんまた一杯やりましょうよ」というくらいの感じでしょうかね。
-ー放送では藤井さんが岡山で生まれた時期に北の富士さんは北海道から上京したというエピソードが披露されました。
(藤井アナ)
生まれた時期というより、その日なんです。北の富士さんが北海道をたって、青函連絡船から列車を乗り継いで上野駅に来るわけです。夜行列車で上野駅に着いたのが朝早い時間で、ちょうど昭和32年1月7日の朝早い時間に生まれているんですよ。昔、北の富士さんの生い立ちを読んでいる時に、「昭和32年1月7日に上野駅に降り立ち…」とあって、「えっ!」と思って…。それで仕事をご一緒するようになって、「やっぱり縁があるんだね」と言ってもらいました。
つづく
せっかく応援しているのに何だかんだいわれるの嫌ですよね。
いつも短い文なのでそれだけでいいのでは、疑問符文とこれからも、、、は定文の様になっているからいらないのでは、もしくは違う事書いた方が文としては自然かなと思います。
余計な事いいましてすみません。
肝心な事、先日豪の山さんお会い出来て握手させてもらいました。
ちびたちもすごく喜んでました。
コメントが遅れてしまいましたが
新十両が3人誕生しました!
ウクライナ出身の安青錦
琴勝峰の弟の琴栄峰
右の投げが得意な若碇
誰が一番強くなるのか?
これからも頑張って下さい♪
元琴奨菊が独立!
スポニチによりますと
元大関・琴奨菊の秀ノ山親方が独立し秀ノ山部屋を新設 日本相撲協会の理事会で承認されたそうです。
秀ノ山親方は2020令和2年11月に現役引退後、佐渡ケ嶽部屋の部屋付きとして後進の指導に当たっていた。
6月に二所ノ関部屋から独立した元嘉風の中村部屋に次いで45部屋目となります。
やはり元旭日松の振分親方が九月で退職されたのは、
妙義龍が引退となり振分親方となるので、借りていた振分の年寄り株を妙義龍に返すので退職したのですね
他の株を借りるにも空きがなかったのか?
他の年寄り株を借りて相撲協会に残ってる親方も、他人事ではないですよね
もうちょっと、年寄り株の制度を何とか改革して欲しいものだと思いました