大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 2,141件 』

  • 投稿者:KON

    さらに つづき

    北の富士さんエピソード7
    藤井アナウンサー

    話のネタがない時など、正月の初場所初日に北の富士さんに倣って和装で登場した舞の海さんに向かって北の富士さんが『舞の海くん、どうしたの?今日、七五三?』と放った一撃には藤井アナも笑いをこらえていたのか、しばし無言でした。
    舞の海さんは顔を真っ赤にして黙っちゃうし、、、
    確かに年齢不相応な童顔で丸顔の舞の海さん、当時47~48歳でしたが、和服を着た ひとまわりも年下の力士たちよりずっと若く見えました。
    その『七五三?……』のあとの実況中継は北の富士さんの独壇場でしたねえ。
    “してやったり”のいたずらっ子っぽい笑顔がテレビ画面にチラっと映し出されてましたね。

    また、優勝争いをしてる力士の“ここ一番”にかける思いを論じてる舞の海さんに『君は優勝争いしたこと あるの? ないでしょ? それなら解らんでしょ!?』と かました時には
    “それを言っちゃあ お仕舞いですよ、北の富士さん”と思いました。
    日頃、ちょくちょく舞の海さんにやり込められてる北の富士さんが練りに練って先制攻撃したのが成功しましたね。
    舞の海さんも、よほど悔しかったのか、その後、大関昇進間近の力士の話題になると、「3場所28勝でも大関になった例も昔はありましたから……」と北の富士さんの大関昇進例を匂わすコメントをクリーヒットさせてましたねえ

  • 投稿者:匿名

    輪島、北の湖、2代目若乃花、大関貴ノ花、魁傑……………みんなが待ってますよ旭國さん。

  • 投稿者:KON

    つづき
    北の富士さんのエピソード 6
    【インタビュー】元NHK藤井康生アナ
    これまで藤井アナとコンビを組んで解説を務めてきた北の富士氏は「藤井さんのおかげでずいぶん話を盛ってもらってね。(私の)つまらん話を面白くしてくれました」と振り返り、藤井アナは「いえいえ、面白い話を頂きました」と感謝の言葉を口にした。「一部ファンから『漫才トリオ』と呼ばれていて実に楽しかった」
    北の富士氏の突然の振りにも冷静さを失わなかった藤井アナは「土俵上の実況の最中に昔話をしてしまいましたが」とすぐに話題を土俵に切り替え、無難に実況を続けました。

    つづく

  • 投稿者:匿名

    秋巡業を10月17日から離脱した新大関・大の里の診断書を公表した相撲協会。

    「大の里はアデノウイルス感染症で約1週間の安静、加療を要する見込み」と明かしました。
    アデノウイルスは非常に感染力の高いウイルスで、協会発表では1週間の加療が必要ということになっているが、ちょっと甘いのではないか。医療関係者が言う。

    「アデノウイルスの症状は、通常は5日程度で徐々によくなっていくのですが、熱は上がったり下がったりして1週間程度続き、いったん下がった熱が再びぶり返すこともあります。そして稀に、2週間から1カ月も発熱が続くことがある。いってみれば、アデノウイルスをこじらせると、手痛い目にあうということです」

    相撲ライターが言う。

    「飛ぶ鳥を落とす勢いの大の里に限って心配ないとは思いますが、あの無敵の第4代横綱・谷風梶之助は江戸市中で流行したインフルエンザに感染し、46歳であっさり急死しているんです。
    1795年1月9日は無敵の横綱が死去した日というので『風邪の日』となっています」と、将来性抜群の大関大の里へ警鐘を鳴らしています。

  • 投稿者:KON

    訃報
    元大関旭国の太田武雄さんが22日、死去した。北海道出身、77歳。関係者によると、近年は体調がすぐれなかったという。
    太田さんは中学卒業後に立浪部屋に入門し、1963年名古屋場所初土俵。身長174センチの小兵ながら、しつこく食い下がる取り口で大関まで昇進した。「ピラニア」異名を取る一方、研究熱心で「相撲博士」とも呼ばれた。
    北の富士さんとは4度の対戦で1勝3敗、1勝は初の金星獲得の勝利でした。
    1979年に引退した後は、年寄「大島」を襲名、1980年に独立して大島部屋を創設。1992年には、モンゴルから1期生となる6人の新弟子をスカウトした。この中から旭鷲山がモンゴル人初の関取となり、旭天鵬(現在の大島親方)も続いた。のちのモンゴル人力士の隆盛は、大島部屋がきっかけだった。
    ほかにも横綱旭富士(現在の伊勢ケ浜親方)をはじめ、旭道山、旭豊(現在の立浪親方)らを育てました。

    ご冥福をお祈りいたします

  • 投稿者:SAI

    元大関・旭國で大島親方の
    太田武雄さんが亡くなりました
    モンゴル出身の力士達にとっても
    恩人たと思います
    言葉が足りなくてすいません

  • 投稿者:匿名

    元大関旭國で元大島親方の太田武雄氏が亡くなりました。77歳でした。
    照ノ富士の大師匠に当たります。

  • 投稿者:KON

    新部屋を開設した秀ノ山親方が〝ちゃんこ改革〟 
    弟子育成の決意を表明

    以下 抜粋

    部屋の4人の弟子(琴高口、琴宗形、琴元村、琴花城)には厳しく、そして愛情を持って指導していきたい。私も入門した当時は先代師匠(元横綱琴桜、先代佐渡ヶ嶽親方)に厳しく鍛えていただきました。先代が稽古場に現れただけで空気がピンと張りつめていた。ただ漫然と稽古をしても得られるものはないし、集中力を欠いてケガにもつながる。緊張感があるからこそ、神経が研ぎ澄まされて多くのことに気付くことができるんですね。

    試みの一つとして、料理作り専門のマネジャーを部屋に置くことを考えています。以前から感じていたのは「ちゃんこを作りに行く」と言って、朝稽古を休む子が少なくないこと。そこが〝逃げ場〟になってしまっているんですよ。力士の本分は強くなるための努力をすることで、ちゃんこを作るために大相撲の世界に入ったわけじゃない。弟子が稽古に専念できるように、九州場所前から始める予定です。

     稽古やトレーニングで重視するのは、基礎体力の強化とケガをしないための体づくり。例を挙げると、大きな相手に力負けしないためにも自分の体重の3倍の重さを持ち上げることを目標にさせたい。四股やテッポウなどの基礎運動は200回ずつやらせるより、50回ずつを1セットにして繰り返したほうがいい。力士たちが集中力を保てるように、メリハリをつけたメニューを考えていくつもりです。

    ・・・
    “預かった若者たちをちゃんこ料理人として育てるのではなく力士として育てる”
    大切な考え方ですね。

    現役時のライバル稀勢の里が二所の関親方として独立し、エリート力士が入門してきて前人未到のスピード出世、早くも優勝力士も大関も輩出きています。
    元琴奨菊には、地道に、地に足がついたお相撲さんを育ててもらいたいものです。

  • 投稿者:匿名

    元力士の照強
    Japan Martial Arts Consortium
    『JAPAN MARTIAL ARTS EXPO PROLOGUE~日本格闘技界、夢の懸け橋~』
    2024年10月19日(土)神奈川・横浜BUNTAI
    ▼第5試合 巌流島ルール/3分3R/無差別級
    〇照強(大相撲/日本)
    押し出し 1R 1分29秒
    ⚫城戸康裕(キックボクシング/日本)

    城戸はK-1 MAXや新生K-1で輝かしい実績を残してきたベテラン。 昨年9月にはタイでブアカーオ・バンチャメークとも対戦し(負傷ノーコンテスト)、今年5月には香港で、元武林風世界王者イー・ロンに、1Rハイキック一撃でKO勝利を飾っている。
    対する照強は、大相撲の伊勢ケ浜部屋に所属した元幕内で、最高位は西前頭3枚目だった。今年9月の『巌流島バーチャルサバイバル2』で格闘技デビューすると、ボブ・サップが推薦する韓国人ファイターのウィ・ソンオを2Rで殴り倒しTKO勝利した。
    照強は身長169cmで体重107kg。身長181cmで体重70kgの城戸よりも身長は12cm低いが体重は37kgも重いという、体格差のある2人だ。
     1R、城戸がハイキックも、照強は早くも押し出しで城戸は転落。城戸は”しまった”という顔をする。
     またも城戸の左ハイに合わせ、照強が押し出し。これで2度目の転落、3度目で勝負が着く。
     城戸は”無理むり”とばかりに手を振る。
     後がない城戸は周りながらオーソドックスに構え、サウスポーの照強の奥足にロー。しかし一瞬の隙を突き、照強が怒涛の突っ張りで押し出し。城戸はなすすべもなく転落し、敗北した。
    城戸は運営に文句をつけるも、照強はドヤ顔。
     城戸は「あのね、これは無理!大相撲関取だよ!こんなに怪我してないの、ねえよ。なんにも怪我してない。打撃やっても、そんなに勝ちたかったの?」とマイクを渡す。
    照強は「勝ちました!一番怪我させずに勝つ方法かなって、自分の中で編み出しました」とコメントし、城戸に感謝の言葉を述べた。
     城戸は「このルール、無理、結果はウィキペディアには絶対に載せません」と無かったことにする。
     照強は「このルールでは有利だけど、相撲が強いってことがわかっていただけたら」とアピールしました。

  • 投稿者:匿名

    先月(9月)初旬の

    横綱”と向き合い続けて
    横綱・照ノ富士
    9月6日の「NHKスポーツ×ヒューマン」にて

    横綱とは何か?
    (照ノ富士)
    横綱はみんなの見本のような存在にならなければならない
    横綱を見てチャンピオンを見たじゃなく神を見たって思われなければ。だからと言って自分が神様になったような気になったら駄目だと思う。
    自分で横綱だと思い込むのではなくて、周りが横綱なんだなと思うような生き方をしていればそれが本当の横綱だ
    そして、大事なのは、優勝の数ではなくて、土俵での行いや相撲として美しいかどうかが問題。土俵から下りた時の人間としての行動等いろんなことを含めて、周りの見ている方たちが「この人は本当の横綱だな」という思いになって初めて横綱ではないかと思う

    と述べていた。

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