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豪の山の応援でチビ達とみんなで見てますが、北の富士さん見れてよかったです。 夕食の準備しながらだからあやうく見逃す所で主人から北の富士さんだよと言われて慌ててテレビの前に! 中日でも又出てくれないかなー あっ豪の山勝ちました。
大相撲中継 北の富士さんが登場! 画面に元気そうなお顔が見れました。 目つきも良かったですね。回復に向かっているのでしょう。 声が少し枯れてましたね。腹に力が入らない? 私も胃ガンの手術での入院から退院した頃は、喋ってる声が相手に届かず、妻に『聞こえないよぉ』と何度も言われて意識的に腹に力を入れて声を出すようにしてました。 秋場所では元気に解説席へお出ましになられるのでは?と期待します。
今日から名古屋場所 名古屋場所が現在の愛知県体育館で開催されるのは今年が最後となるそうです。 愛知県体育館は昭和39年に開館し、翌40年から60年近く名古屋場所の舞台となってきました。 しかし、老朽化のため移転することが決定。来年からは、替わりに新設されるIGアリーナ(愛知国際アリーナ)=同市北区=に本場所の会場を移すとのこと。 愛知県体育館になる前に使用していたのは金山体育館。 1958年に本場所となってから7回目までは、名古屋城二の丸にある現在の会場ではなかった。定員約7900人の金山体育館(名古屋市中区)が会場で、そこには当時、冷房設備がなく、会場には連日、大勢の観客が詰めかけた。館内は蒸し風呂状態で、上半身裸で観戦する人も目立ったという。その暑さから、ついた異名が「南洋場所」「熱帯場所」だった。 館内には氷柱が置かれ、花道などの通路で酸素を放出して、場内の温度を下げる試みもあった。 まだ館内で喫煙できた時代。 「7分間休憩します。危険ですからたばこは絶対におやめ下さい」とアナウンスが流れたそうだ。酸素放出で「2度くらいは温度が下がる」と当時の朝日新聞にある。 支度部屋から出てきた力士たちが氷柱に顔や胸をくっつけ笑顔で涼を取っている白黒映像が残っています。1965年からは冷房完備の愛知県体育館に会場が移されたそうです。 その愛知県体育館も老朽化…… 時の流れ……ですね
東十両2枚目の尊富士(25=伊勢ケ浜部屋)の初日からの休場が決まりました。 尊富士は春場所で初土俵から所要10場所での史上最速優勝(付け出し除く)という歴史的偉業を成し遂げたが、十四日目の取組で右足首の靱帯を損傷して翌夏場所は全休。優勝からわずか1場所の史上最速で十両に転落した。 復帰を目指して慎重に調整を進め、10日から序二段力士を相手に実戦稽古を再開。11日の稽古後、師匠の伊勢ケ浜親方は「本人は出るつもりで前向きに頑張っているけど、まだ関取衆との稽古ができてないから…」と出場を不安視していた。 今場所は東十両2枚目のため、全休なら来場所の幕下転落が濃厚となる。師匠によると、今場所途中から出場する可能性が高いという。関取残留、そして幕内復帰を目指す戦いへ。初日には間に合わなかったが、尊富士の復活した姿は場所中に見られそうです。
北の富士さんが大相撲中継の解説をお休みし続ける状態が昨年の春場所から続いています。 この暑い暑い夏に名古屋まで足を運ぶのは やめたほうがいいですが、秋場所には元気そうな声と笑顔を期待したい。 ご自宅からのリモート出演という形など、スマートな方法をとれないものだろうか?
北の富士さん 「ヤツは27歳。理不尽だよ」病床の横綱が泣いた、ライバル・北の富士の「あり得ない行動」とは? 内館牧子: 脚本家 その電話がいつだったのか覚えていない。だが、後で調べると昭和46(1971)年の夏巡業のことだった。その巡業は二手に分かれており、北海道地域は出身者でもある横綱北の富士のチーム。もう一方は本州地域で、横綱玉の海のチーム。 2人は「北玉時代」を築いている両雄で、ともに人気絶頂。2地域の人々は北の富士の雲龍型か、玉の海の不知火型か、どちらかを間近で見られるのだ。 なのに何というこたか、玉の海は虫垂炎のため、秋田巡業に出られなくなった。 巡業で横綱土俵入りを見られないと知り、秋田のファンはどれほどガッカリしただろう。 ところが、北の富士は玉の海の代役として秋田に行き、横綱土俵入りを披露したのである。こう聞けば、普通は「玉の海は不知火型だけど、北の富士は自分の雲龍型を見せたのだろう」と思う。 が、当然のことながら、玉の海チームが巡業に持ってきている綱は不知火型。これも当然ながら、玉の海の付き人たちは、不知火型の結び方しかできない。結び目が2つの方である。 すると北の富士は、躊躇せずに、「いいよ、俺が不知火型をやるよ」と言ったそうだ。そして、やったこともない不知火型を、みごとに披露した。秋田のファンは、ありえないものを見たのです。 病床の玉の海も涙して喜んだと聞く。そしてほどなく、虫垂炎の予後が悪く、わずか27歳の若さで亡くなった。 北の富士はかつて、私に言ったことがある。 「こっちは還暦土俵入りまでやって、ヤツは27歳。理不尽だよ。そう思いませんか?」 還暦を迎えた元横綱は、赤い綱と赤い御幣をつけて記念の土俵入りをする。 最近で印象的だったのは、2015平成27年の第58代横綱千代の富士。露払いの日馬富士、太刀持ちの白鵬は白い綱姿。若い2人の横綱を従え、勝負の世界で還暦まで生き抜いた姿。赤い綱は、その美しさと厳しさを語っていたと思う。
名古屋場所迫る 宮城野問題の陰に隠れてますが心配されるのが昨年7月場所から全休が続いている炎鵬。 次の場所では西序ノ口13枚目まで番付を落とすことになった炎鵬。三賞受賞経験者の序ノ口転落は3人目。十両だった昨年5月場所で脊髄損傷の大けがを負って寝たきりの状態での長期入院。リハビリを経て土俵に立つところまではきたが、本格的な稽古もできない状態。 石浦(現・間垣親方)とともに旧宮城野部屋の小兵力士として活躍したが、石浦も引退し部屋付き親方となっている。炎鵬も引退したいところだが、協会に残るための年寄株襲名の条件として『最高位が小結以上、幕内通算在位20場所以上、関取(十両以上)通算在位30場所以上』という規定があり、最高位が東前頭4枚目で、幕内在位は9場所という炎鵬は満たしていない。関取在位も29場所と、規定に1場所足りない状況です
岩友親方の訃報、残念でなりません。初場所、能登半島地震に募金した時に笑顔でお礼を言われ、ひよの山のメモ帳を手渡してくださいました。今思えば、あのメモ帳は形見になってしまいました。大事に使います。ご冥福をお祈りいたしますことを
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豪の山の応援でチビ達とみんなで見てますが、北の富士さん見れてよかったです。
夕食の準備しながらだからあやうく見逃す所で主人から北の富士さんだよと言われて慌ててテレビの前に!
中日でも又出てくれないかなー
あっ豪の山勝ちました。
北の富士氏もう見られないかなと思っていたけど話聞けてよかった。
一年以上療養してた割には変わらないしやっぱりいるだけで違う。
北の富士さん、嬉しい、嬉しい。
少しやつれて声も掠れていたけどダンディな着物姿見れてオバチャンずは皆涙流さんばかりだよ。
無理しないでは養生して又解説席でみたいね。
ほんとうに嬉しかったよ!
大相撲中継
北の富士さんが登場!
画面に元気そうなお顔が見れました。
目つきも良かったですね。回復に向かっているのでしょう。
声が少し枯れてましたね。腹に力が入らない?
私も胃ガンの手術での入院から退院した頃は、喋ってる声が相手に届かず、妻に『聞こえないよぉ』と何度も言われて意識的に腹に力を入れて声を出すようにしてました。
秋場所では元気に解説席へお出ましになられるのでは?と期待します。
今日から名古屋場所
名古屋場所が現在の愛知県体育館で開催されるのは今年が最後となるそうです。
愛知県体育館は昭和39年に開館し、翌40年から60年近く名古屋場所の舞台となってきました。
しかし、老朽化のため移転することが決定。来年からは、替わりに新設されるIGアリーナ(愛知国際アリーナ)=同市北区=に本場所の会場を移すとのこと。
愛知県体育館になる前に使用していたのは金山体育館。
1958年に本場所となってから7回目までは、名古屋城二の丸にある現在の会場ではなかった。定員約7900人の金山体育館(名古屋市中区)が会場で、そこには当時、冷房設備がなく、会場には連日、大勢の観客が詰めかけた。館内は蒸し風呂状態で、上半身裸で観戦する人も目立ったという。その暑さから、ついた異名が「南洋場所」「熱帯場所」だった。 館内には氷柱が置かれ、花道などの通路で酸素を放出して、場内の温度を下げる試みもあった。
まだ館内で喫煙できた時代。
「7分間休憩します。危険ですからたばこは絶対におやめ下さい」とアナウンスが流れたそうだ。酸素放出で「2度くらいは温度が下がる」と当時の朝日新聞にある。
支度部屋から出てきた力士たちが氷柱に顔や胸をくっつけ笑顔で涼を取っている白黒映像が残っています。1965年からは冷房完備の愛知県体育館に会場が移されたそうです。
その愛知県体育館も老朽化……
時の流れ……ですね
東十両2枚目の尊富士(25=伊勢ケ浜部屋)の初日からの休場が決まりました。
尊富士は春場所で初土俵から所要10場所での史上最速優勝(付け出し除く)という歴史的偉業を成し遂げたが、十四日目の取組で右足首の靱帯を損傷して翌夏場所は全休。優勝からわずか1場所の史上最速で十両に転落した。
復帰を目指して慎重に調整を進め、10日から序二段力士を相手に実戦稽古を再開。11日の稽古後、師匠の伊勢ケ浜親方は「本人は出るつもりで前向きに頑張っているけど、まだ関取衆との稽古ができてないから…」と出場を不安視していた。
今場所は東十両2枚目のため、全休なら来場所の幕下転落が濃厚となる。師匠によると、今場所途中から出場する可能性が高いという。関取残留、そして幕内復帰を目指す戦いへ。初日には間に合わなかったが、尊富士の復活した姿は場所中に見られそうです。
北の富士さんが大相撲中継の解説をお休みし続ける状態が昨年の春場所から続いています。
この暑い暑い夏に名古屋まで足を運ぶのは やめたほうがいいですが、秋場所には元気そうな声と笑顔を期待したい。
ご自宅からのリモート出演という形など、スマートな方法をとれないものだろうか?
北の富士さん
「ヤツは27歳。理不尽だよ」病床の横綱が泣いた、ライバル・北の富士の「あり得ない行動」とは?
内館牧子: 脚本家
その電話がいつだったのか覚えていない。だが、後で調べると昭和46(1971)年の夏巡業のことだった。その巡業は二手に分かれており、北海道地域は出身者でもある横綱北の富士のチーム。もう一方は本州地域で、横綱玉の海のチーム。
2人は「北玉時代」を築いている両雄で、ともに人気絶頂。2地域の人々は北の富士の雲龍型か、玉の海の不知火型か、どちらかを間近で見られるのだ。
なのに何というこたか、玉の海は虫垂炎のため、秋田巡業に出られなくなった。
巡業で横綱土俵入りを見られないと知り、秋田のファンはどれほどガッカリしただろう。
ところが、北の富士は玉の海の代役として秋田に行き、横綱土俵入りを披露したのである。こう聞けば、普通は「玉の海は不知火型だけど、北の富士は自分の雲龍型を見せたのだろう」と思う。
が、当然のことながら、玉の海チームが巡業に持ってきている綱は不知火型。これも当然ながら、玉の海の付き人たちは、不知火型の結び方しかできない。結び目が2つの方である。
すると北の富士は、躊躇せずに、「いいよ、俺が不知火型をやるよ」と言ったそうだ。そして、やったこともない不知火型を、みごとに披露した。秋田のファンは、ありえないものを見たのです。
病床の玉の海も涙して喜んだと聞く。そしてほどなく、虫垂炎の予後が悪く、わずか27歳の若さで亡くなった。
北の富士はかつて、私に言ったことがある。
「こっちは還暦土俵入りまでやって、ヤツは27歳。理不尽だよ。そう思いませんか?」
還暦を迎えた元横綱は、赤い綱と赤い御幣をつけて記念の土俵入りをする。
最近で印象的だったのは、2015平成27年の第58代横綱千代の富士。露払いの日馬富士、太刀持ちの白鵬は白い綱姿。若い2人の横綱を従え、勝負の世界で還暦まで生き抜いた姿。赤い綱は、その美しさと厳しさを語っていたと思う。
名古屋場所迫る
宮城野問題の陰に隠れてますが心配されるのが昨年7月場所から全休が続いている炎鵬。
次の場所では西序ノ口13枚目まで番付を落とすことになった炎鵬。三賞受賞経験者の序ノ口転落は3人目。十両だった昨年5月場所で脊髄損傷の大けがを負って寝たきりの状態での長期入院。リハビリを経て土俵に立つところまではきたが、本格的な稽古もできない状態。
石浦(現・間垣親方)とともに旧宮城野部屋の小兵力士として活躍したが、石浦も引退し部屋付き親方となっている。炎鵬も引退したいところだが、協会に残るための年寄株襲名の条件として『最高位が小結以上、幕内通算在位20場所以上、関取(十両以上)通算在位30場所以上』という規定があり、最高位が東前頭4枚目で、幕内在位は9場所という炎鵬は満たしていない。関取在位も29場所と、規定に1場所足りない状況です
岩友親方の訃報、残念でなりません。初場所、能登半島地震に募金した時に笑顔でお礼を言われ、ひよの山のメモ帳を手渡してくださいました。今思えば、あのメモ帳は形見になってしまいました。大事に使います。ご冥福をお祈りいたしますことを