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追悼 北の富士さんヒストリー15 補足 お互いを『北さん』「玉ちゃん」と呼び合う二人の対戦はいつも熱戦、 すでに右四つ左上手の型を完成させ強靭な足腰で吊り上げることも多かった(重心の低い)玉の海関に対して 185cmと玉の海より7cmも高い上背を活かしての うわ突っ張りから左を差し勝っての左四つとなるのことが多く 右上手を取るなり休まず前に出ながらの上手投げや外掛けでの速攻が得意な北の富士が左四つに持ち込む相撲が多く、土俵際のうっちゃりを警戒し左四つから慎重に両回しを引き付けて寄る北の富士、しかし脚の長い北の富士の腰高を利用し吊り上げて自身の左へ振って うっちゃろうとする玉の海。 手に汗握る熱戦を毎場所のように繰り広げ、勝負がつくと 土俵の外の “蛇の目” のあたりでお互い顔を見合せ『いい相撲だったな』と言わんばかりの目配せと力を出し切った満足感からの二人の笑顔が印象的でした。→(今でもYouTubeで視聴可) 結果、関取(十両以上)になって以降の二人の対戦成績は23勝 対 23勝。 そして、玉の海関が27歳で急逝、文字通り“好敵手との対戦”は突如終焉となってしまいました。
追悼 北の富士さんヒストリーを もう一度 15 ◆盟友玉乃島との切磋琢磨 後に同時横綱昇進した玉乃島(横綱昇進後は改名して玉の海)とは本当に良きライバルでした。 舞の海さんが回想するところによると 「相撲界に入って玉乃島という強い力士がいると噂を聞いてたらしいんですよ。三段目ぐらいのときに初めて見た時に『なんだ、大したことないや』って思ったらしいんです。 そうしたら玉乃島関も『北の富士さんが強い、有望だ』と聞き、同じことを玉の海関も思ったらしいです。そして実際に相撲を見て『大したことないじゃないか』ってお互いに思ってたみたいです」と明かしました。 “北・玉”二人の対戦は 十両時代は玉乃島関が2勝0敗。入幕してから大関へ上がるまでの期間も玉乃島関の7勝5敗と玉乃島関が優勢でしたが、 北の富士さんが大関へ昇進してから(翌場所に玉乃島関も大関昇進)は北の富士関の12勝10敗。 そして二人同時に横綱昇進して以降、北の富士関が6勝、玉乃島改め玉の海関が4勝でした。 つづく
TVer見てましたが出川哲朗さんが電動バイクで道南を旅してたら千代の富士の実姉との出会いのシーンがありました。さすが身体つき頑丈そうに見えましたね。さらに千代の山千代の富士記念館もオンエア。千代の富士のマゲに止めバサミを入れる北の富士さんの写真が飾られてましたね。今ごろ3人の横綱で酒と松前漬で賑わってるんじゃないかな。
追悼 北の富士さんヒストリー を もう一度14 3場所合計28勝で大関に昇進したことは後々にエピソードを多く残すことになりました。 日本相撲協会を退職した後にNHK大相撲中継の解説者として20年以上も長きにわたり相撲ファンを楽しませてくれましたが、特にここ10年余りは “相棒”の舞の海さんに いじられてました。 実況アナ(特に吉田アナと三瓶アナ)との軽妙な語り口のやり取りが高い人気を集め、相撲界のあり方について協会への遠慮も忖度も忌憚(きたん)ないコメントをする 視聴者目線(大相撲ファン目線)をズカズカ言ってしまう ご意見番としても高い存在感を示したことが評価され、 放送事業の発展や放送文化の向上に功績のあった人たちに贈られる「NHK放送文化賞」を受賞した北の富士さん。 昨年初場所までは初日と千秋楽のテレビ解説は正面が北の富士さん、向正面は舞の海秀平さん(元小結)が担当することが恒例で、2人の掛け合いがファンの人気を呼んだ。 〝鉄板ネタ〟は大関昇進の目安とされる三役で直近3場所合計33勝についての話題で、 令和2年春場所千秋楽、関脇朝乃山の大関獲りについて問われた舞の海さんが、「北の富士さんのように3場所28勝で駆け上がっていく人もいた。そういう出世の仕方を朝乃山には期待したい」と “意味深の”エールを送り、実況の大坂アナが「『もうそれは言わなくてもいい』という表情を北の富士さんがされています」と指摘すると、当の北の富士さんは「舞の海くん、そういうことを言ったら絶交だよ。君とは!!」と憤慨していました。 北の富士さん あの 相撲愛に満ちあふれた軽妙な解説は もう聴けません。 つづく
追悼 北の富士さんヒストリーを もう一度 13 ◆奮起し、冴えわたる突っ張りと外掛け そして ついに大関へ 1966年名古屋場所は10勝で5場所連続関脇を維持してはいたが直前3場所は28勝。 この異例の抜擢昇進には “協会の都合”が大いに影響していました。 この時の番付は、 大鵬・柏戸・栃の海・佐田の山という4横綱がいましたが、大関は豊山ひとり。 横綱柏戸に「横綱大関」として大関も兼務させるという 史上10例目の緊急措置をとってました。 実は大相撲では、大関を必ず東西にひとりずつ置かなければなりません。(日本相撲協会寄附行為にも明記されてます。) 「横綱」はあくまでも名誉職。 協会執行部は ふた場所続けて「横綱大関」を置くことを避ける為、無理矢理に北の富士さんを大関に引き上げたのでした。 予想外の大関昇進となった北の富士さん。 朝、協会から連絡を受けた出羽海部屋は大騒ぎ。 付け人にたたき起こされ、兄弟子の佐田の山関から紋付き袴を借りることができましたが、今度は足袋がない。 佐田の山関の足袋では小さ過ぎて北の富士さんには履けない。そこで一門も異なる時津風一門の横綱柏戸関のいる伊勢ノ海部屋へ借りに行って支度を整え、大汗をかき、バタバタながら無事に協会からの(伝達の)使者を迎えたのでした。 映画「フーテンの寅次郎」で、暫く旅に出ていた寅さんが急に帰ってきて帝釈天の参道にいるらしいと聞いた とら屋さんのみんなの慌てよう…… あんな感じだったことでしょう。 つづく
北の富士さんのお別れ会 八角部屋で……というのがちょっと寂しいですね。日本相撲協会にとっては、特にここ10年~15年間の「最大の功労者」と言っても言い過ぎではありません。 NHKさんにもかなり貢献したのですから 渋谷のNHKホールあたりで「北の富士さんお別れ会パート2」をやって欲しい。来春の北の富士さんの83歳になるはずだったお誕生日までに行なって欲しいなと思います。 協会を退職してるから……という理由で大鵬さんも死後の扱いは「冷遇」でした。 全く執行部は融通が利かないというかアンポンタンだらけというか、、、 千代の富士さんの時は、協会葬にはしなかったものの、世論の後押しもあって、お別れ会は国技館で行なわれ、Yさんも行かれたそうですが、私も献花してきました。 当時の記事には『大相撲の元横綱千代の富士で、7月31日に61歳で死去した先代九重親方=本名秋元貢、北海道福島町出身=の「お別れの会」が1日、東京都墨田区の両国国技館で開かれ、関係者や一般の献花者を合わせて約5千人が「ウルフ」と呼ばれた大横綱との別れを惜しんだ。』とありました。
追悼 北の富士さんヒストリーを もう一度 12 金星獲得わずか1個だった北の富士さん 平幕力士が横綱に勝った時にだけ与えられる「金星」。 これは元横綱としては 戦後に誕生した横綱では、金星獲得ゼロだった 羽黒山・東富士・柏戸・輪島・武蔵丸・鶴竜・照ノ富士の7人に次ぐ 8位タイの金星1個。 千代の富士に勝った貴花田(当時18歳9ヶ月)もあの「昭和最後の一番」が唯一の金星でした。 金星獲得が少ないのは、本人の出世が速すぎて平幕上位で活躍した期間が短く三役(関脇や小結)に上がってしまった為という力士がほとんどで、北の富士さんの場合も金星獲得のチャンスがある 前頭上位(前頭筆頭~5枚目まで)にいたのはわずか5場所のみ。 小結を2場所、関脇9場所務めて 大関昇進しました。 昨今、三役に上がっては負け越して平幕へ陥落を繰り返す力士が目立ちますが、北の富士さんは三役11場所で負け越しは3場所だけ。 そして北の富士さんが幕内上位にいる時は、横綱には大鵬と柏戸、そして佐田の山と栃ノ海が君臨していましたのでなかなか金星は奪えず。 唯一の金星は昭和40年夏場所二日目、既に優勝16回の大横綱大鵬さんから挙げたもの。 初日の横綱柏戸戦でも左を差し勝ってすぐさま寄って出て、土俵際で粘る柏戸の胸を右手で押しながら寄り切ろうとしましたが、わずかに横へ振られ右足が先に土俵俵を越えてしまい「勇み足」で北の富士さんの負け。惜しくも大魚を逃した北の富士さんでしたが、ほぼ勝利していた相撲内容に自信を持ち、翌二日目の横綱大鵬戦でも外掛けを仕掛け見事に大鵬さんをひっくり返しました。 北の富士さんは平幕での横綱たちとの通算対戦成績は 柏戸関と0勝2敗、 大鵬関とは1勝2敗、 栃ノ海関と0勝2敗、 佐田の山関とは平幕としては 対戦なしでした。 なお、金星獲得最多記録は それまで高見山大五郎さんが持っていた最多記録(12個)を抜いた安芸乃島(=現高田川審判部長)の16個。 どちらも大関昇進は叶わず三役と平幕上位を行ったりきたりしてました。 つづく
天皇杯・全日本選手権・相撲 石川県代表・池田俊選手 2連覇おめでとうございます! 決勝戦の相手は昨年と同じですが 日体大主将になり大学王者となった トワードルジ選手でした 取り直しの末に乾坤一擲で 打っ棄りを決めました! 輪島大士さんの地元・七尾市出身 これからも頑張って下さい♪
18日相撲仲間同士集まり参加しようとおもう。 大江戸線両国で待ち合わせしようと思っているが、、、献花かな? 仕事の合間だから時間に限りあるが、唯一無二の人だったから参加したい。 悲しい別れだよ。 流れでカラオケ、場所は北の富士さんが愛した銀座で、たまには見栄はるわ。
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追悼
北の富士さんヒストリー15 補足
お互いを『北さん』「玉ちゃん」と呼び合う二人の対戦はいつも熱戦、
すでに右四つ左上手の型を完成させ強靭な足腰で吊り上げることも多かった(重心の低い)玉の海関に対して 185cmと玉の海より7cmも高い上背を活かしての うわ突っ張りから左を差し勝っての左四つとなるのことが多く 右上手を取るなり休まず前に出ながらの上手投げや外掛けでの速攻が得意な北の富士が左四つに持ち込む相撲が多く、土俵際のうっちゃりを警戒し左四つから慎重に両回しを引き付けて寄る北の富士、しかし脚の長い北の富士の腰高を利用し吊り上げて自身の左へ振って うっちゃろうとする玉の海。
手に汗握る熱戦を毎場所のように繰り広げ、勝負がつくと 土俵の外の “蛇の目” のあたりでお互い顔を見合せ『いい相撲だったな』と言わんばかりの目配せと力を出し切った満足感からの二人の笑顔が印象的でした。→(今でもYouTubeで視聴可)
結果、関取(十両以上)になって以降の二人の対戦成績は23勝 対 23勝。
そして、玉の海関が27歳で急逝、文字通り“好敵手との対戦”は突如終焉となってしまいました。
追悼
北の富士さんヒストリーを
もう一度 15
◆盟友玉乃島との切磋琢磨
後に同時横綱昇進した玉乃島(横綱昇進後は改名して玉の海)とは本当に良きライバルでした。
舞の海さんが回想するところによると
「相撲界に入って玉乃島という強い力士がいると噂を聞いてたらしいんですよ。三段目ぐらいのときに初めて見た時に『なんだ、大したことないや』って思ったらしいんです。
そうしたら玉乃島関も『北の富士さんが強い、有望だ』と聞き、同じことを玉の海関も思ったらしいです。そして実際に相撲を見て『大したことないじゃないか』ってお互いに思ってたみたいです」と明かしました。
“北・玉”二人の対戦は
十両時代は玉乃島関が2勝0敗。入幕してから大関へ上がるまでの期間も玉乃島関の7勝5敗と玉乃島関が優勢でしたが、
北の富士さんが大関へ昇進してから(翌場所に玉乃島関も大関昇進)は北の富士関の12勝10敗。
そして二人同時に横綱昇進して以降、北の富士関が6勝、玉乃島改め玉の海関が4勝でした。
つづく
TVer見てましたが出川哲朗さんが電動バイクで道南を旅してたら千代の富士の実姉との出会いのシーンがありました。さすが身体つき頑丈そうに見えましたね。さらに千代の山千代の富士記念館もオンエア。千代の富士のマゲに止めバサミを入れる北の富士さんの写真が飾られてましたね。今ごろ3人の横綱で酒と松前漬で賑わってるんじゃないかな。
追悼
北の富士さんヒストリー
を もう一度14
3場所合計28勝で大関に昇進したことは後々にエピソードを多く残すことになりました。
日本相撲協会を退職した後にNHK大相撲中継の解説者として20年以上も長きにわたり相撲ファンを楽しませてくれましたが、特にここ10年余りは “相棒”の舞の海さんに いじられてました。
実況アナ(特に吉田アナと三瓶アナ)との軽妙な語り口のやり取りが高い人気を集め、相撲界のあり方について協会への遠慮も忖度も忌憚(きたん)ないコメントをする 視聴者目線(大相撲ファン目線)をズカズカ言ってしまう ご意見番としても高い存在感を示したことが評価され、
放送事業の発展や放送文化の向上に功績のあった人たちに贈られる「NHK放送文化賞」を受賞した北の富士さん。
昨年初場所までは初日と千秋楽のテレビ解説は正面が北の富士さん、向正面は舞の海秀平さん(元小結)が担当することが恒例で、2人の掛け合いがファンの人気を呼んだ。
〝鉄板ネタ〟は大関昇進の目安とされる三役で直近3場所合計33勝についての話題で、
令和2年春場所千秋楽、関脇朝乃山の大関獲りについて問われた舞の海さんが、「北の富士さんのように3場所28勝で駆け上がっていく人もいた。そういう出世の仕方を朝乃山には期待したい」と “意味深の”エールを送り、実況の大坂アナが「『もうそれは言わなくてもいい』という表情を北の富士さんがされています」と指摘すると、当の北の富士さんは「舞の海くん、そういうことを言ったら絶交だよ。君とは!!」と憤慨していました。
北の富士さん
あの 相撲愛に満ちあふれた軽妙な解説は もう聴けません。
つづく
追悼
北の富士さんヒストリーを
もう一度 13
◆奮起し、冴えわたる突っ張りと外掛け
そして ついに大関へ
1966年名古屋場所は10勝で5場所連続関脇を維持してはいたが直前3場所は28勝。
この異例の抜擢昇進には “協会の都合”が大いに影響していました。
この時の番付は、
大鵬・柏戸・栃の海・佐田の山という4横綱がいましたが、大関は豊山ひとり。
横綱柏戸に「横綱大関」として大関も兼務させるという 史上10例目の緊急措置をとってました。
実は大相撲では、大関を必ず東西にひとりずつ置かなければなりません。(日本相撲協会寄附行為にも明記されてます。)
「横綱」はあくまでも名誉職。
協会執行部は ふた場所続けて「横綱大関」を置くことを避ける為、無理矢理に北の富士さんを大関に引き上げたのでした。
予想外の大関昇進となった北の富士さん。
朝、協会から連絡を受けた出羽海部屋は大騒ぎ。
付け人にたたき起こされ、兄弟子の佐田の山関から紋付き袴を借りることができましたが、今度は足袋がない。
佐田の山関の足袋では小さ過ぎて北の富士さんには履けない。そこで一門も異なる時津風一門の横綱柏戸関のいる伊勢ノ海部屋へ借りに行って支度を整え、大汗をかき、バタバタながら無事に協会からの(伝達の)使者を迎えたのでした。
映画「フーテンの寅次郎」で、暫く旅に出ていた寅さんが急に帰ってきて帝釈天の参道にいるらしいと聞いた とら屋さんのみんなの慌てよう……
あんな感じだったことでしょう。
つづく
北の富士さんのお別れ会
八角部屋で……というのがちょっと寂しいですね。日本相撲協会にとっては、特にここ10年~15年間の「最大の功労者」と言っても言い過ぎではありません。
NHKさんにもかなり貢献したのですから
渋谷のNHKホールあたりで「北の富士さんお別れ会パート2」をやって欲しい。来春の北の富士さんの83歳になるはずだったお誕生日までに行なって欲しいなと思います。
協会を退職してるから……という理由で大鵬さんも死後の扱いは「冷遇」でした。
全く執行部は融通が利かないというかアンポンタンだらけというか、、、
千代の富士さんの時は、協会葬にはしなかったものの、世論の後押しもあって、お別れ会は国技館で行なわれ、Yさんも行かれたそうですが、私も献花してきました。
当時の記事には『大相撲の元横綱千代の富士で、7月31日に61歳で死去した先代九重親方=本名秋元貢、北海道福島町出身=の「お別れの会」が1日、東京都墨田区の両国国技館で開かれ、関係者や一般の献花者を合わせて約5千人が「ウルフ」と呼ばれた大横綱との別れを惜しんだ。』とありました。
追悼
北の富士さんヒストリーを
もう一度 12
金星獲得わずか1個だった北の富士さん
平幕力士が横綱に勝った時にだけ与えられる「金星」。
これは元横綱としては
戦後に誕生した横綱では、金星獲得ゼロだった 羽黒山・東富士・柏戸・輪島・武蔵丸・鶴竜・照ノ富士の7人に次ぐ 8位タイの金星1個。
千代の富士に勝った貴花田(当時18歳9ヶ月)もあの「昭和最後の一番」が唯一の金星でした。
金星獲得が少ないのは、本人の出世が速すぎて平幕上位で活躍した期間が短く三役(関脇や小結)に上がってしまった為という力士がほとんどで、北の富士さんの場合も金星獲得のチャンスがある 前頭上位(前頭筆頭~5枚目まで)にいたのはわずか5場所のみ。
小結を2場所、関脇9場所務めて 大関昇進しました。
昨今、三役に上がっては負け越して平幕へ陥落を繰り返す力士が目立ちますが、北の富士さんは三役11場所で負け越しは3場所だけ。
そして北の富士さんが幕内上位にいる時は、横綱には大鵬と柏戸、そして佐田の山と栃ノ海が君臨していましたのでなかなか金星は奪えず。
唯一の金星は昭和40年夏場所二日目、既に優勝16回の大横綱大鵬さんから挙げたもの。
初日の横綱柏戸戦でも左を差し勝ってすぐさま寄って出て、土俵際で粘る柏戸の胸を右手で押しながら寄り切ろうとしましたが、わずかに横へ振られ右足が先に土俵俵を越えてしまい「勇み足」で北の富士さんの負け。惜しくも大魚を逃した北の富士さんでしたが、ほぼ勝利していた相撲内容に自信を持ち、翌二日目の横綱大鵬戦でも外掛けを仕掛け見事に大鵬さんをひっくり返しました。
北の富士さんは平幕での横綱たちとの通算対戦成績は
柏戸関と0勝2敗、
大鵬関とは1勝2敗、
栃ノ海関と0勝2敗、
佐田の山関とは平幕としては 対戦なしでした。
なお、金星獲得最多記録は それまで高見山大五郎さんが持っていた最多記録(12個)を抜いた安芸乃島(=現高田川審判部長)の16個。
どちらも大関昇進は叶わず三役と平幕上位を行ったりきたりしてました。
つづく
天皇杯・全日本選手権・相撲
石川県代表・池田俊選手
2連覇おめでとうございます!
決勝戦の相手は昨年と同じですが
日体大主将になり大学王者となった
トワードルジ選手でした
取り直しの末に乾坤一擲で
打っ棄りを決めました!
輪島大士さんの地元・七尾市出身
これからも頑張って下さい♪
18日相撲仲間同士集まり参加しようとおもう。
大江戸線両国で待ち合わせしようと思っているが、、、献花かな?
仕事の合間だから時間に限りあるが、唯一無二の人だったから参加したい。
悲しい別れだよ。
流れでカラオケ、場所は北の富士さんが愛した銀座で、たまには見栄はるわ。
ロンドンといえばサッカーかラグビーですな。力士が英国に上陸すればラガーメンと顔合わせが楽しみだな。押し込みだけなら負けないからね。