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高尾のお姉様に同感します。 私も楽しませていただきました。 お二人の解 説って相撲初心者の私は数回しか聞いた事ないのですが、もっと聞きたいですね。 近場に相撲部屋が出来てスーパーなどでお相撲さんにあうとすごく身近に感じてます。 北の富士さんは現役時代父がファンでよく話きかされてましたよ。 格好いいし遊び人だし何とかの帝王?と呼ばれていたとか聞きました。 元気になり復活して下さる事願ってます。楽しい話ありがとうございました。
北の富士さんと藤井アナの話たのしかった。ありがとうね。 姿が見えないのが残念でしかたないけど、山は例年なら綺麗に紅葉になっているけど今年は遅いわ。 あれも出来ないこれも出来ないが増えて気が滅入るけど相撲と大谷さんが楽しみ。 希望的に今度は解説席に北の富士さんすわってほしいね。
北の富士さんと藤井アナ あとがき 藤井さん、北の富士さんの前で『栃ノ海さん(のほうが)が好きだった』と話しても大丈夫だと思いますよ。 栃ノ海関は 北の富士さんが出羽の海部屋時代の出羽一門の兄弟子で、100人を超える力士たちが集まる “一門の連合稽古” において胸を出してもらった恩人が佐田の山関と栃ノ海さんでしたから、「栃ノ海さんのほうが好きだった」と聞いたからと嫌な顔する北の富士さんではないでしょう。 あの猛稽古があったから北の富士さんの突っ張りに磨きがかかり、小兵力士への矢のような突き放しが身につき、突っ張りをかいくぐられ中に入られた時の対処などを学べたことが生きて、後に小兵力士を苦手としなくなり、十両全勝優勝→(翌場所)新入幕での13勝という大躍進、横綱昇進後の金星配給の少なさにもつながったのですから北の富士さんにとって栃ノ海さんは大恩人でした。 九重親方が出羽海部屋から独立した際に一緒に独立することになった北の富士さんが出羽海部屋の佐田の山関・栃ノ海関と本場所で対戦するようになり、当初は対戦することが『嫌で嫌でしかたなかった』とコメントしてましたね。 お二人の先輩との対戦成績は どちらも 北の富士の2勝4敗でした。 北の富士さんと藤井アナのエピソード おわり
王鵬は小結に上がれなかったのは 残念だと思います 正代は小結に上がれたけど 王鵬は何故?上がれなかったのか? 私は王鵬は小結になれると思っていました それならば 11場所では頑張って 良い成績を残して、文句なく三役に昇進して欲しいです
北の富士さんエピソード9 元NHK藤井康生アナ ・・・ 実は藤井アナ、幼少期の好きだった力士として元横綱栃ノ海を挙げてました。 「私自身のことを言ってなんですが……」と前置きした上で、「北の富士(勝昭)さんの前では(小学生時代は)『北の富士を応援してました』と言いますが、実はやっぱり当時は栃ノ海を応援してましたね。 “ 小よく大を制す ” 栃ノ海の相撲が好きでしたね」と明かしていました。 ・・・ 実は藤井アナ、幼少期の好きだった力士として元横綱栃ノ海を挙げてました。 「私自身のことを言ってなんですが……」と前置きした上で、「北の富士(勝昭)さんの前では(小学生時代は)『北の富士を応援してました』と言いますが、実はやっぱり当時は栃ノ海を応援してましたね。 “ 小よく大を制す ” 栃ノ海の相撲が好きでしたね」と明かしていました。
亜脱臼してしまった 大谷翔平さんの肩 その昔、大相撲の千代の富士関が何度も何度も肩を脱臼し、右肩だけでなく左肩まで脱臼した直後に『もう駄目だ。』と力士としての限界を口にして落ち込んでた時に師匠の北の富士さんが「ウルフよ、それなら、もう脱臼しないように肩に筋肉の鎧をつけて関節が外れないようにしろ!」と1日1000回の腕立て伏せを実行するよう厳命。 藁をも掴むように千代の富士がそれを実践、部屋の稽古場の隅っこで来る日も来る日も 腕立て伏せ250回 →四股踏み200回 →腕立て伏せ250回 →四股踏み200回 →腕立て伏せ250回 →四股踏み200回 →腕立て伏せ250回 という日々を1年間も続け、金剛力士像のような見事な筋肉隆々の身体を作り上げ、脱臼ともおさらばして 大関→横綱へと番付を昇り詰め優勝31回の「小さな大横綱」となったのでした。 オータニさんは短期間で無理に作り上げたものではないビルドアップされた腕・肩の筋肉がすでについてますので、この見事な筋肉がついているおかげで、亜脱臼程度で済んだ…… という見解も専門家からされてます。
九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付が28日発表され、青森県五所川原市出身の尊富士(25=伊勢ヶ濱部屋)が西前頭16枚目につけ、夏場所以来3場所ぶりに幕内に復帰することになりました。 思い起こせば尊富士は 幕内17枚目で初日から11連勝し、平幕だった大の里や大関琴桜(当時は琴ノ若)・関脇若元春らを下し、13勝2敗の新入幕優勝した春場所のように再び台風の目となるのでしょうか?
そして 北の富士さんエピソードですが 過去の大相撲中継では、北の富士氏、舞の海秀平氏(53)らとの掛け合いがファンの間で人気を博し、藤井アナの最後のテレビ実況にツイッターでは「寂しい限り」「寂しくなるなあ」などのコメントが寄せられた。 また、藤井アナと解説陣とのやりとりを楽しみにしていたファンからは「解説の北の富士さん、舞の海さんと3人での中継は一部ファンから『漫才トリオ』と呼ばれていて実に楽しかった」「北の富士と藤井さんのフジ・フジコンビ好きやったなぁ」などのコメントが寄せられてました。 実は、両国国技館の場合、向こう正面の解説者席の舞の海さんから正面解説者席の北の富士さんが丸見えで、北の富士さんがよそ見している時など、意識的に土俵上の力士が見せた細かい動きについて 『北の富士さん、今の東方力士の動きはどういう意図があったんでしょうねえ?』と不意打ち的に質問を投げ掛け、北の富士さんが「ん? 今の? あっごめん、ちょっと見てなかった」と言い訳して咳払い。 北の富士さんが答えられない質問を直撃、狙い打ちに成功した舞の海さんは、してやったり。やり込められてばかりではない舞の海さんでした。
さらに つづき 北の富士さんエピソード7 藤井アナウンサー 話のネタがない時など、正月の初場所初日に北の富士さんに倣って和装で登場した舞の海さんに向かって北の富士さんが『舞の海くん、どうしたの?今日、七五三?』と放った一撃には藤井アナも笑いをこらえていたのか、しばし無言でした。 舞の海さんは顔を真っ赤にして黙っちゃうし、、、 確かに年齢不相応な童顔で丸顔の舞の海さん、当時47~48歳でしたが、和服を着た ひとまわりも年下の力士たちよりずっと若く見えました。 その『七五三?……』のあとの実況中継は北の富士さんの独壇場でしたねえ。 “してやったり”のいたずらっ子っぽい笑顔がテレビ画面にチラっと映し出されてましたね。 また、優勝争いをしてる力士の“ここ一番”にかける思いを論じてる舞の海さんに『君は優勝争いしたこと あるの? ないでしょ? それなら解らんでしょ!?』と かました時には “それを言っちゃあ お仕舞いですよ、北の富士さん”と思いました。 日頃、ちょくちょく舞の海さんにやり込められてる北の富士さんが練りに練って先制攻撃したのが成功しましたね。 舞の海さんも、よほど悔しかったのか、その後、大関昇進間近の力士の話題になると、「3場所28勝でも大関になった例も昔はありましたから……」と北の富士さんの大関昇進例を匂わすコメントをクリーヒットさせてましたねえ
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高尾のお姉様に同感します。
私も楽しませていただきました。
お二人の解
説って相撲初心者の私は数回しか聞いた事ないのですが、もっと聞きたいですね。
近場に相撲部屋が出来てスーパーなどでお相撲さんにあうとすごく身近に感じてます。
北の富士さんは現役時代父がファンでよく話きかされてましたよ。
格好いいし遊び人だし何とかの帝王?と呼ばれていたとか聞きました。
元気になり復活して下さる事願ってます。楽しい話ありがとうございました。
北の富士さんと藤井アナの話たのしかった。ありがとうね。
姿が見えないのが残念でしかたないけど、山は例年なら綺麗に紅葉になっているけど今年は遅いわ。
あれも出来ないこれも出来ないが増えて気が滅入るけど相撲と大谷さんが楽しみ。
希望的に今度は解説席に北の富士さんすわってほしいね。
北の富士さんと藤井アナ
あとがき
藤井さん、北の富士さんの前で『栃ノ海さん(のほうが)が好きだった』と話しても大丈夫だと思いますよ。
栃ノ海関は 北の富士さんが出羽の海部屋時代の出羽一門の兄弟子で、100人を超える力士たちが集まる “一門の連合稽古” において胸を出してもらった恩人が佐田の山関と栃ノ海さんでしたから、「栃ノ海さんのほうが好きだった」と聞いたからと嫌な顔する北の富士さんではないでしょう。
あの猛稽古があったから北の富士さんの突っ張りに磨きがかかり、小兵力士への矢のような突き放しが身につき、突っ張りをかいくぐられ中に入られた時の対処などを学べたことが生きて、後に小兵力士を苦手としなくなり、十両全勝優勝→(翌場所)新入幕での13勝という大躍進、横綱昇進後の金星配給の少なさにもつながったのですから北の富士さんにとって栃ノ海さんは大恩人でした。
九重親方が出羽海部屋から独立した際に一緒に独立することになった北の富士さんが出羽海部屋の佐田の山関・栃ノ海関と本場所で対戦するようになり、当初は対戦することが『嫌で嫌でしかたなかった』とコメントしてましたね。
お二人の先輩との対戦成績は どちらも
北の富士の2勝4敗でした。
北の富士さんと藤井アナのエピソード おわり
王鵬は小結に上がれなかったのは
残念だと思います
正代は小結に上がれたけど
王鵬は何故?上がれなかったのか?
私は王鵬は小結になれると思っていました
それならば
11場所では頑張って
良い成績を残して、文句なく三役に昇進して欲しいです
北の富士さんエピソード9
元NHK藤井康生アナ
・・・
実は藤井アナ、幼少期の好きだった力士として元横綱栃ノ海を挙げてました。
「私自身のことを言ってなんですが……」と前置きした上で、「北の富士(勝昭)さんの前では(小学生時代は)『北の富士を応援してました』と言いますが、実はやっぱり当時は栃ノ海を応援してましたね。
“ 小よく大を制す ” 栃ノ海の相撲が好きでしたね」と明かしていました。
・・・
実は藤井アナ、幼少期の好きだった力士として元横綱栃ノ海を挙げてました。
「私自身のことを言ってなんですが……」と前置きした上で、「北の富士(勝昭)さんの前では(小学生時代は)『北の富士を応援してました』と言いますが、実はやっぱり当時は栃ノ海を応援してましたね。
“ 小よく大を制す ” 栃ノ海の相撲が好きでしたね」と明かしていました。
亜脱臼してしまった 大谷翔平さんの肩
その昔、大相撲の千代の富士関が何度も何度も肩を脱臼し、右肩だけでなく左肩まで脱臼した直後に『もう駄目だ。』と力士としての限界を口にして落ち込んでた時に師匠の北の富士さんが「ウルフよ、それなら、もう脱臼しないように肩に筋肉の鎧をつけて関節が外れないようにしろ!」と1日1000回の腕立て伏せを実行するよう厳命。
藁をも掴むように千代の富士がそれを実践、部屋の稽古場の隅っこで来る日も来る日も 腕立て伏せ250回
→四股踏み200回
→腕立て伏せ250回
→四股踏み200回
→腕立て伏せ250回
→四股踏み200回
→腕立て伏せ250回
という日々を1年間も続け、金剛力士像のような見事な筋肉隆々の身体を作り上げ、脱臼ともおさらばして
大関→横綱へと番付を昇り詰め優勝31回の「小さな大横綱」となったのでした。
オータニさんは短期間で無理に作り上げたものではないビルドアップされた腕・肩の筋肉がすでについてますので、この見事な筋肉がついているおかげで、亜脱臼程度で済んだ……
という見解も専門家からされてます。
九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付が28日発表され、青森県五所川原市出身の尊富士(25=伊勢ヶ濱部屋)が西前頭16枚目につけ、夏場所以来3場所ぶりに幕内に復帰することになりました。
思い起こせば尊富士は 幕内17枚目で初日から11連勝し、平幕だった大の里や大関琴桜(当時は琴ノ若)・関脇若元春らを下し、13勝2敗の新入幕優勝した春場所のように再び台風の目となるのでしょうか?
そして
北の富士さんエピソードですが
過去の大相撲中継では、北の富士氏、舞の海秀平氏(53)らとの掛け合いがファンの間で人気を博し、藤井アナの最後のテレビ実況にツイッターでは「寂しい限り」「寂しくなるなあ」などのコメントが寄せられた。
また、藤井アナと解説陣とのやりとりを楽しみにしていたファンからは「解説の北の富士さん、舞の海さんと3人での中継は一部ファンから『漫才トリオ』と呼ばれていて実に楽しかった」「北の富士と藤井さんのフジ・フジコンビ好きやったなぁ」などのコメントが寄せられてました。
実は、両国国技館の場合、向こう正面の解説者席の舞の海さんから正面解説者席の北の富士さんが丸見えで、北の富士さんがよそ見している時など、意識的に土俵上の力士が見せた細かい動きについて
『北の富士さん、今の東方力士の動きはどういう意図があったんでしょうねえ?』と不意打ち的に質問を投げ掛け、北の富士さんが「ん? 今の? あっごめん、ちょっと見てなかった」と言い訳して咳払い。
北の富士さんが答えられない質問を直撃、狙い打ちに成功した舞の海さんは、してやったり。やり込められてばかりではない舞の海さんでした。
さらに つづき
北の富士さんエピソード7
藤井アナウンサー
話のネタがない時など、正月の初場所初日に北の富士さんに倣って和装で登場した舞の海さんに向かって北の富士さんが『舞の海くん、どうしたの?今日、七五三?』と放った一撃には藤井アナも笑いをこらえていたのか、しばし無言でした。
舞の海さんは顔を真っ赤にして黙っちゃうし、、、
確かに年齢不相応な童顔で丸顔の舞の海さん、当時47~48歳でしたが、和服を着た ひとまわりも年下の力士たちよりずっと若く見えました。
その『七五三?……』のあとの実況中継は北の富士さんの独壇場でしたねえ。
“してやったり”のいたずらっ子っぽい笑顔がテレビ画面にチラっと映し出されてましたね。
また、優勝争いをしてる力士の“ここ一番”にかける思いを論じてる舞の海さんに『君は優勝争いしたこと あるの? ないでしょ? それなら解らんでしょ!?』と かました時には
“それを言っちゃあ お仕舞いですよ、北の富士さん”と思いました。
日頃、ちょくちょく舞の海さんにやり込められてる北の富士さんが練りに練って先制攻撃したのが成功しましたね。
舞の海さんも、よほど悔しかったのか、その後、大関昇進間近の力士の話題になると、「3場所28勝でも大関になった例も昔はありましたから……」と北の富士さんの大関昇進例を匂わすコメントをクリーヒットさせてましたねえ
輪島、北の湖、2代目若乃花、大関貴ノ花、魁傑……………みんなが待ってますよ旭國さん。