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新部屋を開設した秀ノ山親方が〝ちゃんこ改革〟 弟子育成の決意を表明 以下 抜粋 部屋の4人の弟子(琴高口、琴宗形、琴元村、琴花城)には厳しく、そして愛情を持って指導していきたい。私も入門した当時は先代師匠(元横綱琴桜、先代佐渡ヶ嶽親方)に厳しく鍛えていただきました。先代が稽古場に現れただけで空気がピンと張りつめていた。ただ漫然と稽古をしても得られるものはないし、集中力を欠いてケガにもつながる。緊張感があるからこそ、神経が研ぎ澄まされて多くのことに気付くことができるんですね。 試みの一つとして、料理作り専門のマネジャーを部屋に置くことを考えています。以前から感じていたのは「ちゃんこを作りに行く」と言って、朝稽古を休む子が少なくないこと。そこが〝逃げ場〟になってしまっているんですよ。力士の本分は強くなるための努力をすることで、ちゃんこを作るために大相撲の世界に入ったわけじゃない。弟子が稽古に専念できるように、九州場所前から始める予定です。 稽古やトレーニングで重視するのは、基礎体力の強化とケガをしないための体づくり。例を挙げると、大きな相手に力負けしないためにも自分の体重の3倍の重さを持ち上げることを目標にさせたい。四股やテッポウなどの基礎運動は200回ずつやらせるより、50回ずつを1セットにして繰り返したほうがいい。力士たちが集中力を保てるように、メリハリをつけたメニューを考えていくつもりです。 ・・・ “預かった若者たちをちゃんこ料理人として育てるのではなく力士として育てる” 大切な考え方ですね。 現役時のライバル稀勢の里が二所の関親方として独立し、エリート力士が入門してきて前人未到のスピード出世、早くも優勝力士も大関も輩出きています。 元琴奨菊には、地道に、地に足がついたお相撲さんを育ててもらいたいものです。
元力士の照強 Japan Martial Arts Consortium 『JAPAN MARTIAL ARTS EXPO PROLOGUE~日本格闘技界、夢の懸け橋~』 2024年10月19日(土)神奈川・横浜BUNTAI ▼第5試合 巌流島ルール/3分3R/無差別級 〇照強(大相撲/日本) 押し出し 1R 1分29秒 ⚫城戸康裕(キックボクシング/日本) 城戸はK-1 MAXや新生K-1で輝かしい実績を残してきたベテラン。 昨年9月にはタイでブアカーオ・バンチャメークとも対戦し(負傷ノーコンテスト)、今年5月には香港で、元武林風世界王者イー・ロンに、1Rハイキック一撃でKO勝利を飾っている。 対する照強は、大相撲の伊勢ケ浜部屋に所属した元幕内で、最高位は西前頭3枚目だった。今年9月の『巌流島バーチャルサバイバル2』で格闘技デビューすると、ボブ・サップが推薦する韓国人ファイターのウィ・ソンオを2Rで殴り倒しTKO勝利した。 照強は身長169cmで体重107kg。身長181cmで体重70kgの城戸よりも身長は12cm低いが体重は37kgも重いという、体格差のある2人だ。 1R、城戸がハイキックも、照強は早くも押し出しで城戸は転落。城戸は”しまった”という顔をする。 またも城戸の左ハイに合わせ、照強が押し出し。これで2度目の転落、3度目で勝負が着く。 城戸は”無理むり”とばかりに手を振る。 後がない城戸は周りながらオーソドックスに構え、サウスポーの照強の奥足にロー。しかし一瞬の隙を突き、照強が怒涛の突っ張りで押し出し。城戸はなすすべもなく転落し、敗北した。 城戸は運営に文句をつけるも、照強はドヤ顔。 城戸は「あのね、これは無理!大相撲関取だよ!こんなに怪我してないの、ねえよ。なんにも怪我してない。打撃やっても、そんなに勝ちたかったの?」とマイクを渡す。 照強は「勝ちました!一番怪我させずに勝つ方法かなって、自分の中で編み出しました」とコメントし、城戸に感謝の言葉を述べた。 城戸は「このルール、無理、結果はウィキペディアには絶対に載せません」と無かったことにする。 照強は「このルールでは有利だけど、相撲が強いってことがわかっていただけたら」とアピールしました。
先月(9月)初旬の 横綱”と向き合い続けて 横綱・照ノ富士 9月6日の「NHKスポーツ×ヒューマン」にて 横綱とは何か? (照ノ富士) 横綱はみんなの見本のような存在にならなければならない 横綱を見てチャンピオンを見たじゃなく神を見たって思われなければ。だからと言って自分が神様になったような気になったら駄目だと思う。 自分で横綱だと思い込むのではなくて、周りが横綱なんだなと思うような生き方をしていればそれが本当の横綱だ そして、大事なのは、優勝の数ではなくて、土俵での行いや相撲として美しいかどうかが問題。土俵から下りた時の人間としての行動等いろんなことを含めて、周りの見ている方たちが「この人は本当の横綱だな」という思いになって初めて横綱ではないかと思う と述べていた。
北の富士さんエピソード5 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー 後に親から聞いた話ですけれども、小学校の2年生3年生くらいですかね、 「お前は最初に書いた漢字が『大鵬』という漢字だったんだよ」と。 それくらいきっと相撲が好きだったというのと、そういう雑誌が毎月欠かさず家にありましたから、読んだり、見たりするのが好きだったんでしょうね 取組の終盤戦に藤井アナが北の富士氏の入門当時の話題に触れ、北の富士氏が入門するために1957年1月に上京した時の様子を語る中で「その時に藤井さんは生まれたんだな」と話を振った。 1957年1月生まれの藤井アナは「そうなんです。北の富士さんが上野駅に降り立った日の朝、ちょうど同じくらいの時刻におそらく岡山の田舎で生まれたわけですが」と返答した。 そして北の富士氏は、中継放送前半で “定年退職により今日で最後”という話をしてるのに、聞いてくれてなかったようで 「ところで藤井さん、どうして今日が最後なの?」と語りかけ、 「定年だから?……定年だと最後になっちゃうの?」とあまり納得できない北の富士さん 藤井アナは 「NHKの放送としては、大相撲放送としては、です。本当にお世話になりました」と、この日が最後の大相撲実況となることをもう一度話しました。 つづく
力士テレビ出演 今日10月7日 日テレ 有吉ゼミSP ▼ギャル曽根VS秋の味覚丼に現役力士! 10月7日(月) 19:00〜21:00 ギャル曽根チャレンジグルメ秋場所開幕!秋の味覚丼に最強現役力士 ほか 出演者 【教授】有吉弘行 【秘書】水卜麻美 【ゼミ生】坂上忍、博多華丸・大吉、矢作兼、ギャル曽根、 一山本、友風、皇治、八重樫東 ほか ギャル曽根チャレンジグルメ! デカ盛り秋場所が開幕!? 現役力士と秋の味覚丼に挑む! 【グルメすぎる相撲部屋】 九重部屋のビックリ流しそうめん大会に密着! 総重量20kgのそうめんが… ・・・ 一山本って 先場所(秋場所)で前頭9枚目で負け越してました。 直近の場所で負け越した力士がヘラヘラしながらバラエティ番組に出演するのは感心しないですねえ。 協会は、負け越した力士のテレビ出演を規制すべきですねえ。 テレビ出演となると けっこうな時間を費やします。20分間の出演だと、最低でも3時間は拘束されます。 大食い番組などに出ても相撲が強くなるわけでも上手くなるわけでもない! 部屋で四股踏み・摺り足・テッポウなど基本稽古をやって貰いたいものです。
北の富士さんエピソード4 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー ー北の富士さんがそれだけお話しされたのも藤井さんだからこそですね (藤井アナ) 子供のころから大相撲を見ていましたから。相撲の雑誌は祖父が毎月買ってくれたんです。3歳の時、昭和35年くらいですけど、わが家に白黒テレビが入ってくるわけです。大相撲が大好きな祖父がある日、相撲をどうしても見たいと買ってきたんです。決して裕福な家ではなかったんですけど、当時世の中に広がり始めた白黒テレビを買ってきて。 私はいつも祖父のあぐらの中にちょこんと座って、相撲を見ていたらしいんです。 つづく ・・・ 昭和35年というと名人横綱栃錦が引退し、残された初代若乃花と三代朝潮の両横綱がいて、この年の秋場所に新大関となった21歳の柏戸が次の横綱と期待されていたのを、まだ20歳の大鵬が追いかけてきて初場所で新入幕だったのに九州場所で初優勝して大関昇進を決め、「柏鵬時代」の幕開けとなった年でしたね。 我が家でも大相撲を愛する母が6畳ひと間の安アパート住まいでしたが14インチくらいのとても小型の白黒テレビを緑屋さんで24回分割払いで買ってきてくれて大相撲中継はNHKだけでなく4ch(日本テレビ)でも6ch(TBS)でも、そして8ch(フジテレビ)や10ch(NET=今のテレビ朝日)でも放送していて、どのチャンネルでも大相撲を放送してましたね。
北の富士さんエピソード 3 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー 面白かったのが、ある時のラジオの放送です。相撲が激しくなって、さがりが抜けて、向こう正面の席の3列目、4列目くらいのところまで飛んでいったんです。そのさがりを拾ったお客さんから呼び出しさんの方に順番に受け渡しながら返すんですけれども、それを見た北の富士さんが「これは俺の時代だったら、あのさがりにちょっと1万円札をつけて渡すんだよね」「そういう粋なところがだんだんなくなってきたなぁ」と、そういう話をするわけですね。 そこでふと思い出したのが子供のころに見た映像として、引き揚げるるお相撲さんの背中に100円札をぺたぺたとお客さんが貼りつけている様子が浮かんできたんです。 そういえば北の富士さん、かつては花道を下がるときに、背中にお札を貼ってもらったりしていましたねと振ると「いやいやそうなんだよ、昔はあったねぇ。昔は特に巡業とか行くと下がる時に背中に貼ってもらって、背中いっぱいに貼ってもらうこともあったから、支度部屋で全然運動もせずに行くときは、霧吹きで貼りやすいようにして出ていたんだ」とかね。「いよいよ貼る場所がなくなったら腹を引っ込ませたら、まわしの隙間に(お金を)入れてもらえるから、わざと隙間を作って歩いたんだ」とか。そういう面白い話が出てくるわけです。天才ですよ、北の富士さんは。 だからわざとちょっと振ると、いろんな昔話が出てきて楽しかったですね。大した計算もないんです。 つづく
北の富士さんエピソード2 【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー (藤井アナ) 私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。 -実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか もう二十数年ですね。 -北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか? (藤井アナ) 思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。 照ノ富士が大正時代の栃木山以来の新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いのなかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。 つづく
『 大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,652件 』
元大関・旭國で大島親方の
太田武雄さんが亡くなりました
モンゴル出身の力士達にとっても
恩人たと思います
言葉が足りなくてすいません
元大関旭國で元大島親方の太田武雄氏が亡くなりました。77歳でした。
照ノ富士の大師匠に当たります。
新部屋を開設した秀ノ山親方が〝ちゃんこ改革〟
弟子育成の決意を表明
以下 抜粋
部屋の4人の弟子(琴高口、琴宗形、琴元村、琴花城)には厳しく、そして愛情を持って指導していきたい。私も入門した当時は先代師匠(元横綱琴桜、先代佐渡ヶ嶽親方)に厳しく鍛えていただきました。先代が稽古場に現れただけで空気がピンと張りつめていた。ただ漫然と稽古をしても得られるものはないし、集中力を欠いてケガにもつながる。緊張感があるからこそ、神経が研ぎ澄まされて多くのことに気付くことができるんですね。
試みの一つとして、料理作り専門のマネジャーを部屋に置くことを考えています。以前から感じていたのは「ちゃんこを作りに行く」と言って、朝稽古を休む子が少なくないこと。そこが〝逃げ場〟になってしまっているんですよ。力士の本分は強くなるための努力をすることで、ちゃんこを作るために大相撲の世界に入ったわけじゃない。弟子が稽古に専念できるように、九州場所前から始める予定です。
稽古やトレーニングで重視するのは、基礎体力の強化とケガをしないための体づくり。例を挙げると、大きな相手に力負けしないためにも自分の体重の3倍の重さを持ち上げることを目標にさせたい。四股やテッポウなどの基礎運動は200回ずつやらせるより、50回ずつを1セットにして繰り返したほうがいい。力士たちが集中力を保てるように、メリハリをつけたメニューを考えていくつもりです。
・・・
“預かった若者たちをちゃんこ料理人として育てるのではなく力士として育てる”
大切な考え方ですね。
現役時のライバル稀勢の里が二所の関親方として独立し、エリート力士が入門してきて前人未到のスピード出世、早くも優勝力士も大関も輩出きています。
元琴奨菊には、地道に、地に足がついたお相撲さんを育ててもらいたいものです。
元力士の照強
Japan Martial Arts Consortium
『JAPAN MARTIAL ARTS EXPO PROLOGUE~日本格闘技界、夢の懸け橋~』
2024年10月19日(土)神奈川・横浜BUNTAI
▼第5試合 巌流島ルール/3分3R/無差別級
〇照強(大相撲/日本)
押し出し 1R 1分29秒
⚫城戸康裕(キックボクシング/日本)
城戸はK-1 MAXや新生K-1で輝かしい実績を残してきたベテラン。 昨年9月にはタイでブアカーオ・バンチャメークとも対戦し(負傷ノーコンテスト)、今年5月には香港で、元武林風世界王者イー・ロンに、1Rハイキック一撃でKO勝利を飾っている。
対する照強は、大相撲の伊勢ケ浜部屋に所属した元幕内で、最高位は西前頭3枚目だった。今年9月の『巌流島バーチャルサバイバル2』で格闘技デビューすると、ボブ・サップが推薦する韓国人ファイターのウィ・ソンオを2Rで殴り倒しTKO勝利した。
照強は身長169cmで体重107kg。身長181cmで体重70kgの城戸よりも身長は12cm低いが体重は37kgも重いという、体格差のある2人だ。
1R、城戸がハイキックも、照強は早くも押し出しで城戸は転落。城戸は”しまった”という顔をする。
またも城戸の左ハイに合わせ、照強が押し出し。これで2度目の転落、3度目で勝負が着く。
城戸は”無理むり”とばかりに手を振る。
後がない城戸は周りながらオーソドックスに構え、サウスポーの照強の奥足にロー。しかし一瞬の隙を突き、照強が怒涛の突っ張りで押し出し。城戸はなすすべもなく転落し、敗北した。
城戸は運営に文句をつけるも、照強はドヤ顔。
城戸は「あのね、これは無理!大相撲関取だよ!こんなに怪我してないの、ねえよ。なんにも怪我してない。打撃やっても、そんなに勝ちたかったの?」とマイクを渡す。
照強は「勝ちました!一番怪我させずに勝つ方法かなって、自分の中で編み出しました」とコメントし、城戸に感謝の言葉を述べた。
城戸は「このルール、無理、結果はウィキペディアには絶対に載せません」と無かったことにする。
照強は「このルールでは有利だけど、相撲が強いってことがわかっていただけたら」とアピールしました。
先月(9月)初旬の
横綱”と向き合い続けて
横綱・照ノ富士
9月6日の「NHKスポーツ×ヒューマン」にて
横綱とは何か?
(照ノ富士)
横綱はみんなの見本のような存在にならなければならない
横綱を見てチャンピオンを見たじゃなく神を見たって思われなければ。だからと言って自分が神様になったような気になったら駄目だと思う。
自分で横綱だと思い込むのではなくて、周りが横綱なんだなと思うような生き方をしていればそれが本当の横綱だ
そして、大事なのは、優勝の数ではなくて、土俵での行いや相撲として美しいかどうかが問題。土俵から下りた時の人間としての行動等いろんなことを含めて、周りの見ている方たちが「この人は本当の横綱だな」という思いになって初めて横綱ではないかと思う
と述べていた。
北の富士さんエピソード5
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
後に親から聞いた話ですけれども、小学校の2年生3年生くらいですかね、
「お前は最初に書いた漢字が『大鵬』という漢字だったんだよ」と。
それくらいきっと相撲が好きだったというのと、そういう雑誌が毎月欠かさず家にありましたから、読んだり、見たりするのが好きだったんでしょうね
取組の終盤戦に藤井アナが北の富士氏の入門当時の話題に触れ、北の富士氏が入門するために1957年1月に上京した時の様子を語る中で「その時に藤井さんは生まれたんだな」と話を振った。
1957年1月生まれの藤井アナは「そうなんです。北の富士さんが上野駅に降り立った日の朝、ちょうど同じくらいの時刻におそらく岡山の田舎で生まれたわけですが」と返答した。
そして北の富士氏は、中継放送前半で “定年退職により今日で最後”という話をしてるのに、聞いてくれてなかったようで
「ところで藤井さん、どうして今日が最後なの?」と語りかけ、
「定年だから?……定年だと最後になっちゃうの?」とあまり納得できない北の富士さん
藤井アナは
「NHKの放送としては、大相撲放送としては、です。本当にお世話になりました」と、この日が最後の大相撲実況となることをもう一度話しました。
つづく
力士テレビ出演
今日10月7日
日テレ
有吉ゼミSP
▼ギャル曽根VS秋の味覚丼に現役力士!
10月7日(月) 19:00〜21:00
ギャル曽根チャレンジグルメ秋場所開幕!秋の味覚丼に最強現役力士 ほか
出演者 【教授】有吉弘行 【秘書】水卜麻美
【ゼミ生】坂上忍、博多華丸・大吉、矢作兼、ギャル曽根、
一山本、友風、皇治、八重樫東 ほか
ギャル曽根チャレンジグルメ!
デカ盛り秋場所が開幕!?
現役力士と秋の味覚丼に挑む!
【グルメすぎる相撲部屋】
九重部屋のビックリ流しそうめん大会に密着!
総重量20kgのそうめんが…
・・・
一山本って
先場所(秋場所)で前頭9枚目で負け越してました。
直近の場所で負け越した力士がヘラヘラしながらバラエティ番組に出演するのは感心しないですねえ。
協会は、負け越した力士のテレビ出演を規制すべきですねえ。
テレビ出演となると けっこうな時間を費やします。20分間の出演だと、最低でも3時間は拘束されます。
大食い番組などに出ても相撲が強くなるわけでも上手くなるわけでもない!
部屋で四股踏み・摺り足・テッポウなど基本稽古をやって貰いたいものです。
北の富士さんエピソード4
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
ー北の富士さんがそれだけお話しされたのも藤井さんだからこそですね
(藤井アナ)
子供のころから大相撲を見ていましたから。相撲の雑誌は祖父が毎月買ってくれたんです。3歳の時、昭和35年くらいですけど、わが家に白黒テレビが入ってくるわけです。大相撲が大好きな祖父がある日、相撲をどうしても見たいと買ってきたんです。決して裕福な家ではなかったんですけど、当時世の中に広がり始めた白黒テレビを買ってきて。
私はいつも祖父のあぐらの中にちょこんと座って、相撲を見ていたらしいんです。
つづく
・・・
昭和35年というと名人横綱栃錦が引退し、残された初代若乃花と三代朝潮の両横綱がいて、この年の秋場所に新大関となった21歳の柏戸が次の横綱と期待されていたのを、まだ20歳の大鵬が追いかけてきて初場所で新入幕だったのに九州場所で初優勝して大関昇進を決め、「柏鵬時代」の幕開けとなった年でしたね。
我が家でも大相撲を愛する母が6畳ひと間の安アパート住まいでしたが14インチくらいのとても小型の白黒テレビを緑屋さんで24回分割払いで買ってきてくれて大相撲中継はNHKだけでなく4ch(日本テレビ)でも6ch(TBS)でも、そして8ch(フジテレビ)や10ch(NET=今のテレビ朝日)でも放送していて、どのチャンネルでも大相撲を放送してましたね。
北の富士さんエピソード 3
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
面白かったのが、ある時のラジオの放送です。相撲が激しくなって、さがりが抜けて、向こう正面の席の3列目、4列目くらいのところまで飛んでいったんです。そのさがりを拾ったお客さんから呼び出しさんの方に順番に受け渡しながら返すんですけれども、それを見た北の富士さんが「これは俺の時代だったら、あのさがりにちょっと1万円札をつけて渡すんだよね」「そういう粋なところがだんだんなくなってきたなぁ」と、そういう話をするわけですね。
そこでふと思い出したのが子供のころに見た映像として、引き揚げるるお相撲さんの背中に100円札をぺたぺたとお客さんが貼りつけている様子が浮かんできたんです。
そういえば北の富士さん、かつては花道を下がるときに、背中にお札を貼ってもらったりしていましたねと振ると「いやいやそうなんだよ、昔はあったねぇ。昔は特に巡業とか行くと下がる時に背中に貼ってもらって、背中いっぱいに貼ってもらうこともあったから、支度部屋で全然運動もせずに行くときは、霧吹きで貼りやすいようにして出ていたんだ」とかね。「いよいよ貼る場所がなくなったら腹を引っ込ませたら、まわしの隙間に(お金を)入れてもらえるから、わざと隙間を作って歩いたんだ」とか。そういう面白い話が出てくるわけです。天才ですよ、北の富士さんは。
だからわざとちょっと振ると、いろんな昔話が出てきて楽しかったですね。大した計算もないんです。
つづく
北の富士さんエピソード2
【インタビュー】元NHK藤井康生アナウンサー
(藤井アナ)
私としてはわざわざ「今日が放送最後です」って言うのも潔くないなと思い、言わないつもりだったんですけど、北の富士さんが「今日で藤井さん最後なんだっけ」と突然放送で出されて、昭和32年の話になりました。
-実況と解説という立場で北の富士さんとコンビを組んで何年ですか
もう二十数年ですね。
-北の富士さんからいいコメントを引き出すこつはありますか?
(藤井アナ)
思い出話を引き出そうというほどの計算はないんですよね、今、相撲のわかる範囲での歴史を語れる人はあの人しかいないと思います。北の富士さんからそういう昔の話を聞きたいという気持ちが何より一番なんです。北の富士さんは放送ギリギリにお見えですから、横綱土俵入りをやっているのにまだ放送席にお着きになっていないということもたまにはあって、前もって「今日はこんな話をしますよ」とか、「こういう段取りでいきますから」という話は全くないですから。
照ノ富士が大正時代の栃木山以来の新横綱からの3連覇がかかっているとなれば、栃木山を知っている人はもうあの人ぐらいしかいなくて。春日野部屋の稽古場で、栃木山に「あそこの細いのなかなかいいね」と言われて、周りを見たら細いのは俺(北の富士)しかいないと。北の富士さんが入門から1年もたたないころだと思うんです。そのころに元栃木山の春日野親方にそう言われて、やる気になったという話を前もって聞いたことがありました。そういう話を以前に飲んでいる席で聞いたりして、それを今日の放送でちょっとさわってみようと思いながらやるんです。
つづく