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王鵬は小結に上がれなかったのは 残念だと思います 正代は小結に上がれたけど 王鵬は何故?上がれなかったのか? 私は王鵬は小結になれると思っていました それならば 11場所では頑張って 良い成績を残して、文句なく三役に昇進して欲しいです
北の富士さんエピソード9 元NHK藤井康生アナ ・・・ 実は藤井アナ、幼少期の好きだった力士として元横綱栃ノ海を挙げてました。 「私自身のことを言ってなんですが……」と前置きした上で、「北の富士(勝昭)さんの前では(小学生時代は)『北の富士を応援してました』と言いますが、実はやっぱり当時は栃ノ海を応援してましたね。 “ 小よく大を制す ” 栃ノ海の相撲が好きでしたね」と明かしていました。 ・・・ 実は藤井アナ、幼少期の好きだった力士として元横綱栃ノ海を挙げてました。 「私自身のことを言ってなんですが……」と前置きした上で、「北の富士(勝昭)さんの前では(小学生時代は)『北の富士を応援してました』と言いますが、実はやっぱり当時は栃ノ海を応援してましたね。 “ 小よく大を制す ” 栃ノ海の相撲が好きでしたね」と明かしていました。
亜脱臼してしまった 大谷翔平さんの肩 その昔、大相撲の千代の富士関が何度も何度も肩を脱臼し、右肩だけでなく左肩まで脱臼した直後に『もう駄目だ。』と力士としての限界を口にして落ち込んでた時に師匠の北の富士さんが「ウルフよ、それなら、もう脱臼しないように肩に筋肉の鎧をつけて関節が外れないようにしろ!」と1日1000回の腕立て伏せを実行するよう厳命。 藁をも掴むように千代の富士がそれを実践、部屋の稽古場の隅っこで来る日も来る日も 腕立て伏せ250回 →四股踏み200回 →腕立て伏せ250回 →四股踏み200回 →腕立て伏せ250回 →四股踏み200回 →腕立て伏せ250回 という日々を1年間も続け、金剛力士像のような見事な筋肉隆々の身体を作り上げ、脱臼ともおさらばして 大関→横綱へと番付を昇り詰め優勝31回の「小さな大横綱」となったのでした。 オータニさんは短期間で無理に作り上げたものではないビルドアップされた腕・肩の筋肉がすでについてますので、この見事な筋肉がついているおかげで、亜脱臼程度で済んだ…… という見解も専門家からされてます。
九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付が28日発表され、青森県五所川原市出身の尊富士(25=伊勢ヶ濱部屋)が西前頭16枚目につけ、夏場所以来3場所ぶりに幕内に復帰することになりました。 思い起こせば尊富士は 幕内17枚目で初日から11連勝し、平幕だった大の里や大関琴桜(当時は琴ノ若)・関脇若元春らを下し、13勝2敗の新入幕優勝した春場所のように再び台風の目となるのでしょうか?
そして 北の富士さんエピソードですが 過去の大相撲中継では、北の富士氏、舞の海秀平氏(53)らとの掛け合いがファンの間で人気を博し、藤井アナの最後のテレビ実況にツイッターでは「寂しい限り」「寂しくなるなあ」などのコメントが寄せられた。 また、藤井アナと解説陣とのやりとりを楽しみにしていたファンからは「解説の北の富士さん、舞の海さんと3人での中継は一部ファンから『漫才トリオ』と呼ばれていて実に楽しかった」「北の富士と藤井さんのフジ・フジコンビ好きやったなぁ」などのコメントが寄せられてました。 実は、両国国技館の場合、向こう正面の解説者席の舞の海さんから正面解説者席の北の富士さんが丸見えで、北の富士さんがよそ見している時など、意識的に土俵上の力士が見せた細かい動きについて 『北の富士さん、今の東方力士の動きはどういう意図があったんでしょうねえ?』と不意打ち的に質問を投げ掛け、北の富士さんが「ん? 今の? あっごめん、ちょっと見てなかった」と言い訳して咳払い。 北の富士さんが答えられない質問を直撃、狙い打ちに成功した舞の海さんは、してやったり。やり込められてばかりではない舞の海さんでした。
さらに つづき 北の富士さんエピソード7 藤井アナウンサー 話のネタがない時など、正月の初場所初日に北の富士さんに倣って和装で登場した舞の海さんに向かって北の富士さんが『舞の海くん、どうしたの?今日、七五三?』と放った一撃には藤井アナも笑いをこらえていたのか、しばし無言でした。 舞の海さんは顔を真っ赤にして黙っちゃうし、、、 確かに年齢不相応な童顔で丸顔の舞の海さん、当時47~48歳でしたが、和服を着た ひとまわりも年下の力士たちよりずっと若く見えました。 その『七五三?……』のあとの実況中継は北の富士さんの独壇場でしたねえ。 “してやったり”のいたずらっ子っぽい笑顔がテレビ画面にチラっと映し出されてましたね。 また、優勝争いをしてる力士の“ここ一番”にかける思いを論じてる舞の海さんに『君は優勝争いしたこと あるの? ないでしょ? それなら解らんでしょ!?』と かました時には “それを言っちゃあ お仕舞いですよ、北の富士さん”と思いました。 日頃、ちょくちょく舞の海さんにやり込められてる北の富士さんが練りに練って先制攻撃したのが成功しましたね。 舞の海さんも、よほど悔しかったのか、その後、大関昇進間近の力士の話題になると、「3場所28勝でも大関になった例も昔はありましたから……」と北の富士さんの大関昇進例を匂わすコメントをクリーヒットさせてましたねえ
つづき 北の富士さんのエピソード 6 【インタビュー】元NHK藤井康生アナ これまで藤井アナとコンビを組んで解説を務めてきた北の富士氏は「藤井さんのおかげでずいぶん話を盛ってもらってね。(私の)つまらん話を面白くしてくれました」と振り返り、藤井アナは「いえいえ、面白い話を頂きました」と感謝の言葉を口にした。「一部ファンから『漫才トリオ』と呼ばれていて実に楽しかった」 北の富士氏の突然の振りにも冷静さを失わなかった藤井アナは「土俵上の実況の最中に昔話をしてしまいましたが」とすぐに話題を土俵に切り替え、無難に実況を続けました。 つづく
秋巡業を10月17日から離脱した新大関・大の里の診断書を公表した相撲協会。 「大の里はアデノウイルス感染症で約1週間の安静、加療を要する見込み」と明かしました。 アデノウイルスは非常に感染力の高いウイルスで、協会発表では1週間の加療が必要ということになっているが、ちょっと甘いのではないか。医療関係者が言う。 「アデノウイルスの症状は、通常は5日程度で徐々によくなっていくのですが、熱は上がったり下がったりして1週間程度続き、いったん下がった熱が再びぶり返すこともあります。そして稀に、2週間から1カ月も発熱が続くことがある。いってみれば、アデノウイルスをこじらせると、手痛い目にあうということです」 相撲ライターが言う。 「飛ぶ鳥を落とす勢いの大の里に限って心配ないとは思いますが、あの無敵の第4代横綱・谷風梶之助は江戸市中で流行したインフルエンザに感染し、46歳であっさり急死しているんです。 1795年1月9日は無敵の横綱が死去した日というので『風邪の日』となっています」と、将来性抜群の大関大の里へ警鐘を鳴らしています。
訃報 元大関旭国の太田武雄さんが22日、死去した。北海道出身、77歳。関係者によると、近年は体調がすぐれなかったという。 太田さんは中学卒業後に立浪部屋に入門し、1963年名古屋場所初土俵。身長174センチの小兵ながら、しつこく食い下がる取り口で大関まで昇進した。「ピラニア」異名を取る一方、研究熱心で「相撲博士」とも呼ばれた。 北の富士さんとは4度の対戦で1勝3敗、1勝は初の金星獲得の勝利でした。 1979年に引退した後は、年寄「大島」を襲名、1980年に独立して大島部屋を創設。1992年には、モンゴルから1期生となる6人の新弟子をスカウトした。この中から旭鷲山がモンゴル人初の関取となり、旭天鵬(現在の大島親方)も続いた。のちのモンゴル人力士の隆盛は、大島部屋がきっかけだった。 ほかにも横綱旭富士(現在の伊勢ケ浜親方)をはじめ、旭道山、旭豊(現在の立浪親方)らを育てました。 ご冥福をお祈りいたします
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王鵬は小結に上がれなかったのは
残念だと思います
正代は小結に上がれたけど
王鵬は何故?上がれなかったのか?
私は王鵬は小結になれると思っていました
それならば
11場所では頑張って
良い成績を残して、文句なく三役に昇進して欲しいです
北の富士さんエピソード9
元NHK藤井康生アナ
・・・
実は藤井アナ、幼少期の好きだった力士として元横綱栃ノ海を挙げてました。
「私自身のことを言ってなんですが……」と前置きした上で、「北の富士(勝昭)さんの前では(小学生時代は)『北の富士を応援してました』と言いますが、実はやっぱり当時は栃ノ海を応援してましたね。
“ 小よく大を制す ” 栃ノ海の相撲が好きでしたね」と明かしていました。
・・・
実は藤井アナ、幼少期の好きだった力士として元横綱栃ノ海を挙げてました。
「私自身のことを言ってなんですが……」と前置きした上で、「北の富士(勝昭)さんの前では(小学生時代は)『北の富士を応援してました』と言いますが、実はやっぱり当時は栃ノ海を応援してましたね。
“ 小よく大を制す ” 栃ノ海の相撲が好きでしたね」と明かしていました。
亜脱臼してしまった 大谷翔平さんの肩
その昔、大相撲の千代の富士関が何度も何度も肩を脱臼し、右肩だけでなく左肩まで脱臼した直後に『もう駄目だ。』と力士としての限界を口にして落ち込んでた時に師匠の北の富士さんが「ウルフよ、それなら、もう脱臼しないように肩に筋肉の鎧をつけて関節が外れないようにしろ!」と1日1000回の腕立て伏せを実行するよう厳命。
藁をも掴むように千代の富士がそれを実践、部屋の稽古場の隅っこで来る日も来る日も 腕立て伏せ250回
→四股踏み200回
→腕立て伏せ250回
→四股踏み200回
→腕立て伏せ250回
→四股踏み200回
→腕立て伏せ250回
という日々を1年間も続け、金剛力士像のような見事な筋肉隆々の身体を作り上げ、脱臼ともおさらばして
大関→横綱へと番付を昇り詰め優勝31回の「小さな大横綱」となったのでした。
オータニさんは短期間で無理に作り上げたものではないビルドアップされた腕・肩の筋肉がすでについてますので、この見事な筋肉がついているおかげで、亜脱臼程度で済んだ……
という見解も専門家からされてます。
九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付が28日発表され、青森県五所川原市出身の尊富士(25=伊勢ヶ濱部屋)が西前頭16枚目につけ、夏場所以来3場所ぶりに幕内に復帰することになりました。
思い起こせば尊富士は 幕内17枚目で初日から11連勝し、平幕だった大の里や大関琴桜(当時は琴ノ若)・関脇若元春らを下し、13勝2敗の新入幕優勝した春場所のように再び台風の目となるのでしょうか?
そして
北の富士さんエピソードですが
過去の大相撲中継では、北の富士氏、舞の海秀平氏(53)らとの掛け合いがファンの間で人気を博し、藤井アナの最後のテレビ実況にツイッターでは「寂しい限り」「寂しくなるなあ」などのコメントが寄せられた。
また、藤井アナと解説陣とのやりとりを楽しみにしていたファンからは「解説の北の富士さん、舞の海さんと3人での中継は一部ファンから『漫才トリオ』と呼ばれていて実に楽しかった」「北の富士と藤井さんのフジ・フジコンビ好きやったなぁ」などのコメントが寄せられてました。
実は、両国国技館の場合、向こう正面の解説者席の舞の海さんから正面解説者席の北の富士さんが丸見えで、北の富士さんがよそ見している時など、意識的に土俵上の力士が見せた細かい動きについて
『北の富士さん、今の東方力士の動きはどういう意図があったんでしょうねえ?』と不意打ち的に質問を投げ掛け、北の富士さんが「ん? 今の? あっごめん、ちょっと見てなかった」と言い訳して咳払い。
北の富士さんが答えられない質問を直撃、狙い打ちに成功した舞の海さんは、してやったり。やり込められてばかりではない舞の海さんでした。
さらに つづき
北の富士さんエピソード7
藤井アナウンサー
話のネタがない時など、正月の初場所初日に北の富士さんに倣って和装で登場した舞の海さんに向かって北の富士さんが『舞の海くん、どうしたの?今日、七五三?』と放った一撃には藤井アナも笑いをこらえていたのか、しばし無言でした。
舞の海さんは顔を真っ赤にして黙っちゃうし、、、
確かに年齢不相応な童顔で丸顔の舞の海さん、当時47~48歳でしたが、和服を着た ひとまわりも年下の力士たちよりずっと若く見えました。
その『七五三?……』のあとの実況中継は北の富士さんの独壇場でしたねえ。
“してやったり”のいたずらっ子っぽい笑顔がテレビ画面にチラっと映し出されてましたね。
また、優勝争いをしてる力士の“ここ一番”にかける思いを論じてる舞の海さんに『君は優勝争いしたこと あるの? ないでしょ? それなら解らんでしょ!?』と かました時には
“それを言っちゃあ お仕舞いですよ、北の富士さん”と思いました。
日頃、ちょくちょく舞の海さんにやり込められてる北の富士さんが練りに練って先制攻撃したのが成功しましたね。
舞の海さんも、よほど悔しかったのか、その後、大関昇進間近の力士の話題になると、「3場所28勝でも大関になった例も昔はありましたから……」と北の富士さんの大関昇進例を匂わすコメントをクリーヒットさせてましたねえ
輪島、北の湖、2代目若乃花、大関貴ノ花、魁傑……………みんなが待ってますよ旭國さん。
つづき
北の富士さんのエピソード 6
【インタビュー】元NHK藤井康生アナ
これまで藤井アナとコンビを組んで解説を務めてきた北の富士氏は「藤井さんのおかげでずいぶん話を盛ってもらってね。(私の)つまらん話を面白くしてくれました」と振り返り、藤井アナは「いえいえ、面白い話を頂きました」と感謝の言葉を口にした。「一部ファンから『漫才トリオ』と呼ばれていて実に楽しかった」
北の富士氏の突然の振りにも冷静さを失わなかった藤井アナは「土俵上の実況の最中に昔話をしてしまいましたが」とすぐに話題を土俵に切り替え、無難に実況を続けました。
つづく
秋巡業を10月17日から離脱した新大関・大の里の診断書を公表した相撲協会。
「大の里はアデノウイルス感染症で約1週間の安静、加療を要する見込み」と明かしました。
アデノウイルスは非常に感染力の高いウイルスで、協会発表では1週間の加療が必要ということになっているが、ちょっと甘いのではないか。医療関係者が言う。
「アデノウイルスの症状は、通常は5日程度で徐々によくなっていくのですが、熱は上がったり下がったりして1週間程度続き、いったん下がった熱が再びぶり返すこともあります。そして稀に、2週間から1カ月も発熱が続くことがある。いってみれば、アデノウイルスをこじらせると、手痛い目にあうということです」
相撲ライターが言う。
「飛ぶ鳥を落とす勢いの大の里に限って心配ないとは思いますが、あの無敵の第4代横綱・谷風梶之助は江戸市中で流行したインフルエンザに感染し、46歳であっさり急死しているんです。
1795年1月9日は無敵の横綱が死去した日というので『風邪の日』となっています」と、将来性抜群の大関大の里へ警鐘を鳴らしています。
訃報
元大関旭国の太田武雄さんが22日、死去した。北海道出身、77歳。関係者によると、近年は体調がすぐれなかったという。
太田さんは中学卒業後に立浪部屋に入門し、1963年名古屋場所初土俵。身長174センチの小兵ながら、しつこく食い下がる取り口で大関まで昇進した。「ピラニア」異名を取る一方、研究熱心で「相撲博士」とも呼ばれた。
北の富士さんとは4度の対戦で1勝3敗、1勝は初の金星獲得の勝利でした。
1979年に引退した後は、年寄「大島」を襲名、1980年に独立して大島部屋を創設。1992年には、モンゴルから1期生となる6人の新弟子をスカウトした。この中から旭鷲山がモンゴル人初の関取となり、旭天鵬(現在の大島親方)も続いた。のちのモンゴル人力士の隆盛は、大島部屋がきっかけだった。
ほかにも横綱旭富士(現在の伊勢ケ浜親方)をはじめ、旭道山、旭豊(現在の立浪親方)らを育てました。
ご冥福をお祈りいたします