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豊昇龍が3敗、 ちょっと厳しい状況になってきました。 理事長も「海外公演が近いからといって、横綱不在を避けるために無理に下駄を履かせるようなことはしない」と言ってるので、甘々で横綱擁立するようなことはないそうです。 カザフスタン出身の金峰山が全勝で明日は阿炎戦のようです
確かに自分の機嫌で左右されてはたまったもんじゃないですよね。前から思ってました。何様?って。 アナも逆に無視してやればいい、なんて思ったりして。 貴乃花が数カ月間一言も発しなかった、 と記憶していたが、違ったかな?
北の富士さんの本 「北の富士流」 女優の浅丘ルリ子さんも大絶賛で、「粋で華やかで色気がある。私、北の富士流の味方です」として以下のような文章を寄せています。 「北の富士さんは姿の美しい横綱でした。今は解説の歯に衣着せぬ物言いを楽しんでいます。人の美しさは生き方からにじみ出るものでしょうが、村松さんの作品を読んで、北の富士さんの粋や華、心意気や色気の秘密がよくわかりました」 目次 (前書きのようなもの) 第一章 北の富士前夜、北海道のけしき 第二章 私と相撲の遠距離交際 第三章 猛稽古と遊びの方程式 第四章 出世みち三歩進んで二歩下がる 第五章 破門から初優勝への大逆転 第六章 ライバル玉の海との出世競争と熱き 友情 第七章 「夜の帝王」と「ネオン無情」の極 彩色 第八章 横綱時代の万華鏡 第九章 2横綱を育てた名伯楽の奥行き 第十章 北の富士流の試練 第十一章 テレビ解説者の粋、華、情 (後書きのようなもの) 蔵前や神田の古書店ですとか ネットで買うことができるようです。 または、図書館で貸し出ししてる場合もありますね
先場所、大関琴櫻が結びの一番で豊昇龍を下し、初優勝を飾った時、NHKの中継では向正面の解説を務めた舞の海氏が発した一言に相撲ファンの大きな感動を呼びました。 実況アナから総評を求められると唐突に「お父さんの佐渡ケ嶽親方、先代の琴櫻関、そして今場所天国に旅だった北の富士さんも凄く喜んでいらっしゃると思います」と語った舞の海氏。 実況アナも「そうですよね」としみじみと受けた。 先代琴桜と北の富士さんにはある歴史があります。 1973昭和48年7月の名古屋場所で先代琴櫻が横綱として優勝を成し遂げた際、決定戦で破った相手が北の富士さんでした。 祖父のライバルだった名力士が今場所中に急逝。 さらに舞の海氏と北の富士さんはNHK中継の解説でも面白いやり取りを繰り広げてきただけに、特別な思いがあった模様。 「感極まって涙するシーンも多い中、まったくなかった。琴櫻に頼もしさを感じた。あくまでも通過点で上を目指していることを感じた」と琴櫻を評した舞の海氏。 ファンも 「舞の海さんが北の富士さんの話題 泣ける」 「今回ほんと涙腺にきすぎる」 「琴櫻の優勝。絶対北の富士さんは手を叩いて喜んでいる思います。ほら俺が言っただろ?って。あー泣ける」 「北の富士さんにも見せてあげたかったなぁ……」と X(旧Twitter)に思いを記していました。 昨日、我々が見ることができた「琴櫻vs王鵬」戦 琴櫻の孫と大鵬の孫の対戦。 北の富士さんにもお孫さんは いますが、女の子さんばかりなので、もちろんお相撲さんには なっていません。 琴櫻vs王鵬 北の富士さんが解説者席にいたら、なんとコメントしてましたでしょうか?
元横綱北の富士勝昭氏の特集「ありがとう北の富士さん」が放送されましたが、相撲ファンの大きな反響を呼んでいます。 北の富士氏はNHKの大相撲中継で長きに渡って解説を務め、愛のあるゲキなどで人気を博した。番組では力士時代、そして親方時代の言葉をつむいだ。 昭和末期に九重部屋の黄金時代を築いたが「褒めて意気に、気持ち良くさせてやっていくやり方。それはやってきたと思うね。稽古を気持ち良くさせるのはなかなかね」と語っていた北の富士氏。「よく遊んだ。千代の富士や北勝海とはね。2人に限らずよく遊びにいったよ。でもウチはよく稽古した。よその部屋にいってウチの部屋の稽古を見たらひと味違ったからね」と胸を張っていた。 今後の相撲界に向けて「今から部屋持って若い子を育てる自信はない。そういう世の中だから各自が考えてやってもらいたい」と親方陣にゲキを飛ばしていた北の富士氏。NHKの相撲中継でコンビを組んだ舞の海氏も「北の富士さんの話を聞いてると、時代の先、先を行ってる。話は明るく面白いんですけど、内面は相撲に対して保守的で伝統を重んじるところはありました」と回顧。「北の富士さんに旅番組をやってもらいたかったですね」と語り、「説教する酒はまず飲まなかった」と故人をしのんだ。 この放送には芸能界きってのスー女として知られる山根千佳は「北の富士さん特集嬉しい…ずっとかっこいい…いつも北の富士さんだったらどんなコメントをするかな?と考えながら、大相撲中継を見ていますよ…これからも大好きです」とコメント。ファンからは「特集良かった」「久しぶりに北の富士さんの声聞いたけどやっぱり唯一無二の存在感だったね」「北の富士さん、相撲愛あふれる解説をまだまだ聞きたかったです」といった声がネットに溢れていた。
横綱を目指す大関たち。 昨日の豊昇龍にしても、今場所五日目・六日目の琴櫻にしても…… 勝った日には花道奥の通路で待機してるNHKアナウンサーの質問に笑顔で饒舌に答えてますが 負けたあとは、ひと言も口をきかないので反省の弁は聞こえない。 まあ、反省は自身の頭の中ですればいいことですが、 若貴兄弟や曙・武蔵丸はもちろん、朝青龍や稀勢の里も白鵬や鶴竜も、 土俵上の勝負に負けた後も、きちんとインタビューに応じ 敗者の弁を述べてました。 風呂場で『あー、くそー!』と大声を出してても、風呂から上がれば もう気持ちの切り替えを始めているようで、口数少なくともインタビューの質問には応えてました。 そもそも 勝ったか負けたか? ではなく いい相撲がとれたか、そうでなかったか?……で上機嫌になるか否か して欲しい。 勝った負けたのスポーツではなく、基本である“五穀豊穣を願う神事”という部分が全く念頭にないのでは?と疑いたくなりますね。 横綱を目指す大関が ひとつふたつ負けた程度で不機嫌になりインタビューに応じないというのは、 心技体の“心の部分”が 横綱に推挙する水準に達してない!と見るべきか?と思いますね
西前頭14枚目の金峰山(木瀬)が8戦全勝! 勝ち越しを決め、単独トップに立った。 決まり手は寄り切りだったが、勝因は玉鷲(片男波)から先手を奪った破壊力ある突き押しだ。金峰山が平幕ながら唯一の全勝キープ。勝ち越し一番乗りを決め、単独トップで折り返した。 師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)が「組んだら幕下にも負ける。突っ張ったら三役にも負けない」という突き押しが光る。 首を痛めてからは右四つの相撲が増えていたが、八角理事長(元横綱北勝海)は「新入幕のころに戻ってきた感じ。よく攻めている。突っ張ってね」と本来の武器を生かしていると評した。 勝ち越しに「あと全部負けていいや、という気持ちになりました」と金峰山。それはもちろん冗談で、すぐに「大勝ちしたいので頑張ります。前に出て自分の相撲を取りたい」と気持ちを高めていた。 生涯無敗の江戸時代の剣豪との思わぬ縁が力になる。カザフスタン出身。本名はバルタグル・イェルシン。 四股名は、師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)の地元・熊本の名山から取られた。 山麓には、二刀流で知られる宮本武蔵が、晩年に兵法の極意を説いた「五輪書」を記したと伝わる洞窟がある。読んだことはないが、侍には好感を抱く。 「興味、ありますよ。どんな時でも落ち着いている印象」。自身も戦いに身を投じる中で「焦る必要はない」と心構えが手本になっている。 母国では柔道に打ち込み、相撲を始めたのは来日した18歳から。わずか数年の土俵経験で、日大時代には全国大会の決勝で大の里(当時は本名の“中村 泰輝”)に勝つなど伸びしろは無限のようです。 2023年の九州場所前には、熊本県の金峰山に初めて足を運んだ。阿蘇山と並び称されると予習し、わくわくしていた。 目に飛び込んだのは標高665メートル。拍子抜けしたのは、良い思い出だという。 今は武蔵とのつながりを知って「うれしい。頑張りたい」。勝ち続けて、大切な四股名をさらに輝かせて欲しい
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豊昇龍が3敗、
ちょっと厳しい状況になってきました。
理事長も「海外公演が近いからといって、横綱不在を避けるために無理に下駄を履かせるようなことはしない」と言ってるので、甘々で横綱擁立するようなことはないそうです。
カザフスタン出身の金峰山が全勝で明日は阿炎戦のようです
あ~あ豊昇龍連敗で綱遠のいたな。お~い琴櫻、綱終わったどころか勝ち越しがヤバいぞ。
ありがとう北の富士さん、今録画で見たがやはりいいね。
まぁ粋でお洒落で明るいし、男も惚れるわ。
解説は舞の海だけど足元にも及ばんな!
もう一度解説聞きたかった。
残念で仕方ないわ。
確かに自分の機嫌で左右されてはたまったもんじゃないですよね。前から思ってました。何様?って。
アナも逆に無視してやればいい、なんて思ったりして。
貴乃花が数カ月間一言も発しなかった、
と記憶していたが、違ったかな?
北の富士さんの本
「北の富士流」
女優の浅丘ルリ子さんも大絶賛で、「粋で華やかで色気がある。私、北の富士流の味方です」として以下のような文章を寄せています。 「北の富士さんは姿の美しい横綱でした。今は解説の歯に衣着せぬ物言いを楽しんでいます。人の美しさは生き方からにじみ出るものでしょうが、村松さんの作品を読んで、北の富士さんの粋や華、心意気や色気の秘密がよくわかりました」
目次 (前書きのようなもの)
第一章 北の富士前夜、北海道のけしき
第二章 私と相撲の遠距離交際
第三章 猛稽古と遊びの方程式
第四章 出世みち三歩進んで二歩下がる
第五章 破門から初優勝への大逆転
第六章 ライバル玉の海との出世競争と熱き 友情
第七章 「夜の帝王」と「ネオン無情」の極 彩色
第八章 横綱時代の万華鏡
第九章 2横綱を育てた名伯楽の奥行き
第十章 北の富士流の試練
第十一章 テレビ解説者の粋、華、情
(後書きのようなもの)
蔵前や神田の古書店ですとか ネットで買うことができるようです。
または、図書館で貸し出ししてる場合もありますね
先場所、大関琴櫻が結びの一番で豊昇龍を下し、初優勝を飾った時、NHKの中継では向正面の解説を務めた舞の海氏が発した一言に相撲ファンの大きな感動を呼びました。
実況アナから総評を求められると唐突に「お父さんの佐渡ケ嶽親方、先代の琴櫻関、そして今場所天国に旅だった北の富士さんも凄く喜んでいらっしゃると思います」と語った舞の海氏。
実況アナも「そうですよね」としみじみと受けた。
先代琴桜と北の富士さんにはある歴史があります。
1973昭和48年7月の名古屋場所で先代琴櫻が横綱として優勝を成し遂げた際、決定戦で破った相手が北の富士さんでした。
祖父のライバルだった名力士が今場所中に急逝。
さらに舞の海氏と北の富士さんはNHK中継の解説でも面白いやり取りを繰り広げてきただけに、特別な思いがあった模様。
「感極まって涙するシーンも多い中、まったくなかった。琴櫻に頼もしさを感じた。あくまでも通過点で上を目指していることを感じた」と琴櫻を評した舞の海氏。
ファンも
「舞の海さんが北の富士さんの話題 泣ける」
「今回ほんと涙腺にきすぎる」
「琴櫻の優勝。絶対北の富士さんは手を叩いて喜んでいる思います。ほら俺が言っただろ?って。あー泣ける」
「北の富士さんにも見せてあげたかったなぁ……」と X(旧Twitter)に思いを記していました。
昨日、我々が見ることができた「琴櫻vs王鵬」戦
琴櫻の孫と大鵬の孫の対戦。
北の富士さんにもお孫さんは いますが、女の子さんばかりなので、もちろんお相撲さんには なっていません。
琴櫻vs王鵬
北の富士さんが解説者席にいたら、なんとコメントしてましたでしょうか?
元横綱北の富士勝昭氏の特集「ありがとう北の富士さん」が放送されましたが、相撲ファンの大きな反響を呼んでいます。
北の富士氏はNHKの大相撲中継で長きに渡って解説を務め、愛のあるゲキなどで人気を博した。番組では力士時代、そして親方時代の言葉をつむいだ。
昭和末期に九重部屋の黄金時代を築いたが「褒めて意気に、気持ち良くさせてやっていくやり方。それはやってきたと思うね。稽古を気持ち良くさせるのはなかなかね」と語っていた北の富士氏。「よく遊んだ。千代の富士や北勝海とはね。2人に限らずよく遊びにいったよ。でもウチはよく稽古した。よその部屋にいってウチの部屋の稽古を見たらひと味違ったからね」と胸を張っていた。
今後の相撲界に向けて「今から部屋持って若い子を育てる自信はない。そういう世の中だから各自が考えてやってもらいたい」と親方陣にゲキを飛ばしていた北の富士氏。NHKの相撲中継でコンビを組んだ舞の海氏も「北の富士さんの話を聞いてると、時代の先、先を行ってる。話は明るく面白いんですけど、内面は相撲に対して保守的で伝統を重んじるところはありました」と回顧。「北の富士さんに旅番組をやってもらいたかったですね」と語り、「説教する酒はまず飲まなかった」と故人をしのんだ。
この放送には芸能界きってのスー女として知られる山根千佳は「北の富士さん特集嬉しい…ずっとかっこいい…いつも北の富士さんだったらどんなコメントをするかな?と考えながら、大相撲中継を見ていますよ…これからも大好きです」とコメント。ファンからは「特集良かった」「久しぶりに北の富士さんの声聞いたけどやっぱり唯一無二の存在感だったね」「北の富士さん、相撲愛あふれる解説をまだまだ聞きたかったです」といった声がネットに溢れていた。
横綱を目指す大関たち。
昨日の豊昇龍にしても、今場所五日目・六日目の琴櫻にしても……
勝った日には花道奥の通路で待機してるNHKアナウンサーの質問に笑顔で饒舌に答えてますが
負けたあとは、ひと言も口をきかないので反省の弁は聞こえない。
まあ、反省は自身の頭の中ですればいいことですが、
若貴兄弟や曙・武蔵丸はもちろん、朝青龍や稀勢の里も白鵬や鶴竜も、 土俵上の勝負に負けた後も、きちんとインタビューに応じ 敗者の弁を述べてました。
風呂場で『あー、くそー!』と大声を出してても、風呂から上がれば もう気持ちの切り替えを始めているようで、口数少なくともインタビューの質問には応えてました。
そもそも
勝ったか負けたか? ではなく いい相撲がとれたか、そうでなかったか?……で上機嫌になるか否か して欲しい。
勝った負けたのスポーツではなく、基本である“五穀豊穣を願う神事”という部分が全く念頭にないのでは?と疑いたくなりますね。
横綱を目指す大関が ひとつふたつ負けた程度で不機嫌になりインタビューに応じないというのは、
心技体の“心の部分”が 横綱に推挙する水準に達してない!と見るべきか?と思いますね
西前頭14枚目の金峰山(木瀬)が8戦全勝!
勝ち越しを決め、単独トップに立った。
決まり手は寄り切りだったが、勝因は玉鷲(片男波)から先手を奪った破壊力ある突き押しだ。金峰山が平幕ながら唯一の全勝キープ。勝ち越し一番乗りを決め、単独トップで折り返した。
師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)が「組んだら幕下にも負ける。突っ張ったら三役にも負けない」という突き押しが光る。
首を痛めてからは右四つの相撲が増えていたが、八角理事長(元横綱北勝海)は「新入幕のころに戻ってきた感じ。よく攻めている。突っ張ってね」と本来の武器を生かしていると評した。
勝ち越しに「あと全部負けていいや、という気持ちになりました」と金峰山。それはもちろん冗談で、すぐに「大勝ちしたいので頑張ります。前に出て自分の相撲を取りたい」と気持ちを高めていた。
生涯無敗の江戸時代の剣豪との思わぬ縁が力になる。カザフスタン出身。本名はバルタグル・イェルシン。
四股名は、師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)の地元・熊本の名山から取られた。
山麓には、二刀流で知られる宮本武蔵が、晩年に兵法の極意を説いた「五輪書」を記したと伝わる洞窟がある。読んだことはないが、侍には好感を抱く。
「興味、ありますよ。どんな時でも落ち着いている印象」。自身も戦いに身を投じる中で「焦る必要はない」と心構えが手本になっている。
母国では柔道に打ち込み、相撲を始めたのは来日した18歳から。わずか数年の土俵経験で、日大時代には全国大会の決勝で大の里(当時は本名の“中村 泰輝”)に勝つなど伸びしろは無限のようです。
2023年の九州場所前には、熊本県の金峰山に初めて足を運んだ。阿蘇山と並び称されると予習し、わくわくしていた。
目に飛び込んだのは標高665メートル。拍子抜けしたのは、良い思い出だという。
今は武蔵とのつながりを知って「うれしい。頑張りたい」。勝ち続けて、大切な四股名をさらに輝かせて欲しい
両国国技館(今の新・両国国技館)が
開館して40年になりました!
33年前の1992年の一月場所で
貴花田が初優勝したのが懐かしいです!
これからも頑張って下さい♪