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数少ないイケメン横綱でしたね。グラビア写真を披露する異端児ぶりを発揮して現代っ子横綱と呼ばれましたね。龍虎さんと並んで歩けば大げさ言うけど木村拓哉と福山雅治が並んでるみたいなモンだったな。北の富士さんの逝去により57代横綱三重ノ海が横綱最年長となりました。
北の富士さんほんとに残念でたまらん。 休んでいたからいつかこの日が、、、とは思っていたが。 いざ訃報を聞くと呆然。 あんな人はもう出てはこないね。 イイ男で粋でお洒落で遊びがきれい。 余人代えがたし、彼の後は誰がなってもダメだな。 ショックで相撲見るのが嫌になる。 ほんとに男も惚れるいい男だったものな。ありがとう北の富士!!
北の富士さんが亡くなられていたそうです ショックです それで元尾車親方が新たに解説者になられたのか? いつ、亡くなられたのか? 訃報を知らせる記事には載ってなかったですが 日本人力士の横綱が見たい。 と言ってた北の富士さん やっと横綱になれそうな大の里が出てきたところだったのに 北の富士さんの大の里に対しての解説が聞きたかったです 将来有望と目を細めて大の里を見たと思います 本当に残念でなりませんよね 身体中の力が抜けてしまったような 感じでいます 何か相撲を見る楽しみも無くなってしまったような もう一度、解説を聞きたかったなぁ
朝の五時のニュースで北の富士さんのニュース今見た。残念無念。 あの洒脱で粋なおしゃべり、格好いい姿が見られなくなるなんて、年寄りの楽しみがなくなってしまうよ。 復帰してくれると願っていたのに。 ショックで相撲見るきもなくなった。 さよならなんて言いたくないよ北の富士さん!残念無念だけど今までありがとう。
NHKと長くかかわったお二方が逝去しました。『にっぽん縦断こころ旅』の火野正平さん、大相撲解説者の北の富士勝昭さんともに昭和を駆け抜けたプレイボーイでしたね。それだけに言葉の一つ一つに含蓄がありましたね。信じたくはないけどいつかは来る日、その来る日が来てしまいましたね。
中日スポーツの記者が回想する「北の富士さんという存在」3 病院のベッドから原稿を届けてくれた23年春場所千秋楽がコラムの最後となったが、その年の正月は東京・神田のふぐ料理店に連れていってもらった。 カウンター席に並んで座ると「おれは65歳ぐらいで死ぬのかなって思ってたんだよ。強い横綱から早く逝っちゃうんだよなあ…」。82歳7カ月は歴代横綱として3番目の長寿だった。 ただ、長さだけでははかれないものがあることを、北の富士さんは教えてくれた。人間としての深さ、幅。それを少しの間だけでも、そばにいて学べたことに感謝をささげたい。 (東京中日スポーツ 岸本隆記者)
中日スポーツの記者が回想 98年1月に55歳の若さで相撲協会を退職。理事選でのゴタゴタが理由と言われているが、それは少し違う。「逆にゴタゴタしそうなのが嫌だったからやめたの。頭下げて回ったりするのが嫌いだから身を引いた」。そのときは北海道に帰って飲食店をするつもりだったという。粋でさっぱりした人だった。 北の富士さんが本場所中のコラムに復帰したのは16年初場所。ここでも粋な計らいで助けていただいた。 15年九州場所で北の湖理事長が急死。追悼文依頼のため北の富士さんのホテルを訪ねた。そしてもうひとつ。八角親方が理事長に就任すれば、八角親方のコラム「ぶちかまし御免」は終了。当時73歳と高齢の北の富士さんに無理を言って、21年ぶりのコラム復帰を願い出ようと思っていた。 「何とかお願いできませんか」。北の富士さんはそう切り出した私の目をジッと見て、不安を見透かしたかのようにニヤッと笑った。「書くことは大好きなんだよ。やるよ」と二つ返事で引き受けてくれた。 つづく
中日スポーツの記者が回想する「北の富士さんという存在」 「『ふるさとの 土に帰りしこのからだ 汗と涙の 味がするらん』ってのはどう? お墓に彫ってもらおうかと思ってね」 2022年名古屋場所5日目の夜。北の富士さんからの不意の電話はいつものこと。慣れてはいたが、このときばかりは驚かされた。「ちょっと聞いてくれる?」と切り出すと、続けてこの短歌を詠み上げていった。誰が聞いても辞世の歌。私ごときが感想を語れるはずもない。 「まだ早いですよ。こんなにお元気なんですから」と伝えるのが精いっぱいだった。そういえば辞世の歌なのに、どこか楽しそうに詠み上げていた。 そんなところも北の富士さんらしい。人間味あふれる姿にとことん魅了されていった。 つづく
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数少ないイケメン横綱でしたね。グラビア写真を披露する異端児ぶりを発揮して現代っ子横綱と呼ばれましたね。龍虎さんと並んで歩けば大げさ言うけど木村拓哉と福山雅治が並んでるみたいなモンだったな。北の富士さんの逝去により57代横綱三重ノ海が横綱最年長となりました。
霧島は3大関戦残して13日目に豪ノ山。
大関戦は翔猿とか琴勝峰を外して
早めに霧島をあてておくべきでしょう。
オレとお前は仲良くしてはいかん……………北の富士さんが舞の海氏と飲みながらそう言ってたそう。だから仲悪いように見えたのはそういうことだったんですかね。お~い玉の海、半世紀ぶりやのう………………
北の富士さんほんとに残念でたまらん。
休んでいたからいつかこの日が、、、とは思っていたが。
いざ訃報を聞くと呆然。
あんな人はもう出てはこないね。
イイ男で粋でお洒落で遊びがきれい。
余人代えがたし、彼の後は誰がなってもダメだな。
ショックで相撲見るのが嫌になる。
ほんとに男も惚れるいい男だったものな。ありがとう北の富士!!
北の富士さんが亡くなられていたそうです
ショックです
それで元尾車親方が新たに解説者になられたのか?
いつ、亡くなられたのか?
訃報を知らせる記事には載ってなかったですが
日本人力士の横綱が見たい。
と言ってた北の富士さん
やっと横綱になれそうな大の里が出てきたところだったのに
北の富士さんの大の里に対しての解説が聞きたかったです
将来有望と目を細めて大の里を見たと思います
本当に残念でなりませんよね
身体中の力が抜けてしまったような
感じでいます
何か相撲を見る楽しみも無くなってしまったような
もう一度、解説を聞きたかったなぁ
朝の五時のニュースで北の富士さんのニュース今見た。残念無念。
あの洒脱で粋なおしゃべり、格好いい姿が見られなくなるなんて、年寄りの楽しみがなくなってしまうよ。
復帰してくれると願っていたのに。
ショックで相撲見るきもなくなった。
さよならなんて言いたくないよ北の富士さん!残念無念だけど今までありがとう。
NHKと長くかかわったお二方が逝去しました。『にっぽん縦断こころ旅』の火野正平さん、大相撲解説者の北の富士勝昭さんともに昭和を駆け抜けたプレイボーイでしたね。それだけに言葉の一つ一つに含蓄がありましたね。信じたくはないけどいつかは来る日、その来る日が来てしまいましたね。
中日スポーツの記者が回想する「北の富士さんという存在」3
病院のベッドから原稿を届けてくれた23年春場所千秋楽がコラムの最後となったが、その年の正月は東京・神田のふぐ料理店に連れていってもらった。 カウンター席に並んで座ると「おれは65歳ぐらいで死ぬのかなって思ってたんだよ。強い横綱から早く逝っちゃうんだよなあ…」。82歳7カ月は歴代横綱として3番目の長寿だった。
ただ、長さだけでははかれないものがあることを、北の富士さんは教えてくれた。人間としての深さ、幅。それを少しの間だけでも、そばにいて学べたことに感謝をささげたい。
(東京中日スポーツ 岸本隆記者)
中日スポーツの記者が回想
98年1月に55歳の若さで相撲協会を退職。理事選でのゴタゴタが理由と言われているが、それは少し違う。「逆にゴタゴタしそうなのが嫌だったからやめたの。頭下げて回ったりするのが嫌いだから身を引いた」。そのときは北海道に帰って飲食店をするつもりだったという。粋でさっぱりした人だった。 北の富士さんが本場所中のコラムに復帰したのは16年初場所。ここでも粋な計らいで助けていただいた。 15年九州場所で北の湖理事長が急死。追悼文依頼のため北の富士さんのホテルを訪ねた。そしてもうひとつ。八角親方が理事長に就任すれば、八角親方のコラム「ぶちかまし御免」は終了。当時73歳と高齢の北の富士さんに無理を言って、21年ぶりのコラム復帰を願い出ようと思っていた。 「何とかお願いできませんか」。北の富士さんはそう切り出した私の目をジッと見て、不安を見透かしたかのようにニヤッと笑った。「書くことは大好きなんだよ。やるよ」と二つ返事で引き受けてくれた。
つづく
中日スポーツの記者が回想する「北の富士さんという存在」
「『ふるさとの 土に帰りしこのからだ 汗と涙の 味がするらん』ってのはどう? お墓に彫ってもらおうかと思ってね」 2022年名古屋場所5日目の夜。北の富士さんからの不意の電話はいつものこと。慣れてはいたが、このときばかりは驚かされた。「ちょっと聞いてくれる?」と切り出すと、続けてこの短歌を詠み上げていった。誰が聞いても辞世の歌。私ごときが感想を語れるはずもない。 「まだ早いですよ。こんなにお元気なんですから」と伝えるのが精いっぱいだった。そういえば辞世の歌なのに、どこか楽しそうに詠み上げていた。 そんなところも北の富士さんらしい。人間味あふれる姿にとことん魅了されていった。
つづく