大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,669件 』

  • 投稿者:匿名

    注射相撲での勝利を抜きにすると  優勝回数30回以上は、大鵬だけ。
    だから、優勝回数の上位は 大鵬、北の湖、貴乃花、輪島、双葉山、武蔵丸、曙となるだろう。

  • 投稿者:匿名

    稀勢の里は下手に横綱にされて気の毒だったな。
    正義の日本出身横綱が欲しいとの世論に押されて無理矢理横綱にされ、怪我で真っ向勝負に拘る自分の相撲が取れなくなったら同情されまくり。
    大関のままだったら間違いなく名大関と言われていただろうがな。

  • 投稿者:KON

    温故知新・大相撲カレンダー12月1日
    1984昭和59年12月1日
    無類力士:雷電為右衛門の生家復元・完成記念祝典が披露されました。
    住所 〒389-0512 長野県東御市滋野乙1981-2
     雷電(本名:関 太郎吉)は、関脇付出しで初土俵を踏んだその場所で初優勝(相当)という衝撃デビューを果たしてから丁度八年が経過した1798寛政10年、自分の生家を建てなおしました。少年時代にお世話になった長瀬村(現上田市長瀬)の庄屋、上原源五右衛門家よりひとまわり小さく建て直しており、人情家で義理堅い雷電の一面を窺うことができる。
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    建築費の50両、竣工祝いに建築費と同額の50両で大盤振舞いをしたと伝えられている。雷電の書いた旅日記には、1800寛政12年夏、帰郷の節に建築費の借用金50両程と酒屋の借用金28両を支払したことが記されている。
    現在の生家は、1984昭和59年雷電の建てた家が老朽化し関係者の協力で生家の復元がされ、東御市の文化財として公開されている。
     1. 雷電のお墓  : 生家から600m、金子の集会所を目指してください。 徒歩なら5分
     2. 力士雷電の碑  : 生家から800m
    3. 東御市役所市庁舎前の雷電像  : 生家から5km
     4. 雷電資料館と力士像(「道の駅雷電くるみの里」付設) : 生家から880m
    雷電為右衛門の墓について
    雷電は1825文政8年に59歳で亡くなりましたが、遺骨は江戸赤坂三分坂の松江藩ゆかりの報土寺に葬られ、遺髪は大石村、松江市西光寺に分葬されたと伝えられています。
    お墓は、信州小諸の生家からすぐそばにもありますが、愛妻八重の生家近く(千葉県佐倉)や、力士として空前絶後の活躍したのが江戸だったことから東京・赤坂の報土寺、出雲国のお抱えにとりあげてくれたおかげで武士の扱いを受けることができたということで島根県松江の西光寺にもあります。

  • 投稿者:匿名

    25日、横綱審議委員会から取り口が見苦しいと批判された横綱白鵬。史上最多の43回目の優勝を果たしたものの、遠藤に対する右腕から繰り出された“かち上げ”ならぬ“ひじ打ち”は、「もはや相撲ではない」と言われる始末……。
     両国国技館で行われた横審の定例会合では、矢野弘典委員長(産業雇用安定センター会長)が、「張り手やかち上げは、ちょっとやり過ぎではないか。横綱として見苦しいと多くの意見が出た」と苦言を呈した。さらに、「43回の優勝は史上最高の実力者で大横綱になっていると思うが、名横綱と言われる存在になってほしい」と異例の要望をした。
     実際、九州場所15日の取り組みのうち、白鵬がかち上げ、もしくは張り手を使ったのは、10日にも及んでいる。
    初日~北勝富士・右かち上げ。   2日~大栄翔・右かち上げをかけるも、大栄翔に読まれ空振り。押し出されて黒星。
    3日~朝乃山・右から張り手。     6日~明生・左から張り手。
    8日~玉鷲・左から張り手。       9日~琴勇輝・左から張り手。
    12日~遠藤・左から張り手、右かち上げ、右から張り手。  13日~阿炎・左から張り手。
    14日~御嶽海・右から張り手。    千秋楽~貴景勝・左から張り手。
    「かち上げや張り手は、本来、大関以下が使う技で、横綱が10日も使っていたなんて前代未聞ですよ」  と呆れるのは、ベテラン相撲記者。
    「特に酷かったのが、12日目の遠藤との取組。立ち合いで白鵬は左の張り手。そして右のかち上げで遠藤の顔面をねらい、サポーターをこすりつけるように打っていた。さらに、また顔面をねらった右の張り手です。遠藤は戦意喪失したように腰砕けになって前へ落ちました。これはもう相撲ではないですよ」
    異種格闘技  白鵬の右手から繰り出すかち上げは、厳密に言えば「かち上げ」とは呼べないという。 「かち上げとは、腕を鉤状に曲げ、相手の胸板や顎の下をめがけて突き上げるように体当たりする技です。ただの体当たりでは威力がないので、腕を使うわけですが、白鵬は体当たりしていない。ひじで打っているだけです。プロレスのエルボースマッシュですよ。ひじ打ちは反則とはなっていませんが、グレーゾーンですね」(同)
     白鵬が右腕にサポーターをつけるのは、右ひじの古傷のせいだとされている。
    「幕下時代に、ひじを故障していました。白鵬は、左手で上手を取り、右手で差す右四つですが、右手で差す時、腕を曲げずに差していた。これは棒差しといって、ひじを痛めやすいのです。それで、サポーターをするようになったのですが、3年ほど前から、そのサポーターが異常に硬くなった。しかも、2重に付けている。特注品で、それが今や“武器”になっていますね」(同)  週刊新潮(2018年2月1日号)では、この特注サポーターについて詳しく報じている。一部を引用すると、 〈白鵬が使用しているサポーターの“ベース”になっているのは、あるメーカーの製品である。 「映像を見る限り、白鵬関は一般の方が膝にするサポーターをひじに装着している。使い始めたのは2、3年前からのようです。内側の物はウール素材で、色はオフホワイト。外側にしているのは強圧迫サポーターと呼ばれる物です」そう説明するのは、そのメーカーの担当者。
    「強圧迫サポーターは、つけている部分を強く締め付ける物で、力を入れやすくなり、添え木のような効果があります。素材はレーヨン、ポリエステル、ナイロン、ポリウレタン。ナイロンはかつて釣糸にも使われていた素材で、シャリシャリした手触りが出ます。顔に当たった場合、厚みがあるので、硬く感じるでしょうし、痛いと思います。また、繊維の編み目が比較的粗いので、こすれると摩擦で痛いはずです」〉
     それにしても、なぜ白鵬が“ひじ打ち”を多用するようになったのか。
    「横綱が精神的にも体力的にもピークに達するのは27~28歳頃だと言われています。彼は29歳頃から張り手やかち上げを多用するようになりました。つまり、体力が落ちてまともな相撲では勝てなくなってきたからですよ。白鵬の立ち合いは、典型的な右四つですが、踏み込む時、以前のような力が出せなくなった。それで、張り手やひじ打ちで勝機をつかむようになったのです。脇が開いて差し込まれるという欠点もありますが、“特注サポーター”という武器を装着して、一撃必殺を狙ったのではないでしょうか」(先のベテラン記者)       これでは、大相撲というより異種格闘技だという。 「朝青龍や日馬富士も張り手が得意でした。日馬富士の場合は、張り手というよりびんたに近かった。そういうモンゴル式の見苦しい相撲を完成させたのが白鵬といえますね。日本人が好む土俵の美学とは大きくかけ離れてしまいました」(同)  来年の東京五輪まで現役続行したいと言っている白鵬。今年の43勝で自信がついたのか、2、3年後に50勝を目標に掲げた。エルボースマッシュで達成なるか。

  • 投稿者:SAI

    月刊相撲と大相撲ジャーナルの
    決算号が発売中です♪
    投げ技の写真は面白いです♪
    でも初日の十両の相撲で天空海さんが決めた右の
    掛け投げの写真も載せて欲しかったです!
    あんなに派手に決まったので驚きました!
    皆さんはどういう技が好きですか?

  • 投稿者:KON

    温故知新・大相撲カレンダー 11月30日
    1960昭和35年11月30日 九州場所後の 大鵬幸喜が大関に推挙されました。入幕後わずか 6場所 20歳での大関昇進。
    また、この年の年間最多勝力士賞も、前年九州場所まで十両だった大鵬が受賞した。
    入幕したその年に大関昇進を果たしたのは、
    江戸時代、1769明和6年に、看板大関として初土俵した谷風などを除けば、明治以降の大相撲では初めてでした。

    ほかに、スピード出世で大関になった記録はいくつかあって
    1. 前相撲からの最速大関昇進    琴欧洲      19場所
          ※   年2場所時代       栃木山・羽黒山 12場所
    2. (幕下付け出しデビュー)      豊山、雅山の 12場所
    3. 新三役からの最速大関昇進    照ノ富士  2場所
    4. 関脇付け出しからのデビュー   雷電為右衛門 8場所(年2場所時代)

    最近、
    公傷制度がないせいか?  力士の基礎・準備運動不足のせいか?  大関を陥落というニュースが毎場所のようにあって
    “大関の権威” など微塵もないと感じられます。 
    戦後、昭和30年代でしょうか、最初に大関の権威失墜が言われたのは、、、

  • 投稿者:KON

    温故知新大相撲ダイアリー
    今日は何の日?
    11月29日
    1917大正6年 回向院境内の両國國技館1階売店からの出火で焼失した。
    再建設の間=國技館が使用不能の間は、九段の靖國神社境内に仮小屋を建てて、本場所を開催しました。

    皆様も、火事に注意、失火にも貰い火にも注意しましょう。
    避難用非常持ち出しセット(袋入り)は?、 火災保険は? 緊急ダイヤルは? 電池は? 充電バッテリーは?
    伝言ダイヤルは家族みな承知していますか?

  • 投稿者:KON

    荒磯親方・・・・・御自分は、ファンの期待に上気して無理して出場してしまい短命横綱で終わってしまったからこそ、同じ徹を踏まないように、後輩力士に休場をお薦めしています。   勇気ある撤退? 休場を薦める荒磯親方。  “元横綱・稀勢の里”荒磯親方が後輩力士に伝える  曰く「休むことは悪いことではない」「自分がなぜ怪我をしたかがわかってきました」
     横綱の鶴竜、大関の豪栄道と高安、関脇の栃ノ心など上位陣の途中休場が目立った大相撲九州場所。だが、「休むことは悪いことではない」と説くのが荒磯親方(元横綱・稀勢の里)だ。発売中の「文藝春秋」12 月号でスポーツライターの生島淳さんのインタビューに答え、これからどう後進を育てていくかについて抱負を語っている。怪我に悩まされた「休まない力士」
     100キロを優にこえる力士同士がぶつかり合う相撲にはどうしてもケガが付きまとう。しかし、荒磯親方は現役時代、「休まない力士」として知られた。横綱になるまでの15年間、在位88場所で、不出場は2014年1月場所の千秋楽、1回だけだった。
     だが、横綱昇進後は怪我に悩まされた。初の場所となった2017年3月の春場所、13日目に日馬富士との対戦で左肩周辺に大怪我を負ってしまう。その場所は、後世に語り継がれる「奇跡の逆転優勝」を果たしたが、以後8場所連続休場を余儀なくされるなど、代償は大きかった。この時、怪我をしたことが、現在の親方の考え方に大きな影響を与えたという。
    「ケガをしてからは、人間の体についていろいろと勉強させてもらいました。暇さえあれば、人体模型のアプリを見ていたり(笑)。骨格、関節、そして筋肉はどんな動きをするのか。動きを頭で理解しつつ、復帰したらどんな動きをしようかとか、あれやこれやと考えていました。もちろん見ているだけでは、治らないのですが(笑)」
    「場所が終わってからは、1ミリか2ミリほど、筋肉が削れていました」
     そうした勉強を進めていく中で、荒磯親方は「自分がなぜケガをしたかがわかってきました」という。
    「それは、稽古のし過ぎです。人間の体にとって必要な、休養の重要性をわかっていませんでした。私は1年365日、基本的に稽古を休まない人間でした。それが強くなる唯一の道だと信じていたのです。ところが、場所前と場所後にエコーで筋組織を調べてみると、場所が終わってからは、1ミリか2ミリほど、筋肉が削れていました。
     稽古をすればするほど強くなれると信じていた自分にとっては衝撃的な事実でした。 やればやるほど負担も大きく、筋肉が痩せていく。私に必要だったのは休養だったのです。
     そうした基本的な人体の知識さえ知らず、土俵の上で戦っていたのが私の土俵人生でした」
     現役を続ける後輩力士たちには、同じ失敗をしてほしくないと感じている。インタビューは九州場所前の10月初旬に行われたものだが、以下の言葉は、今場所中日8日目から休場し、大関陥落が決定した田子ノ浦部屋の弟弟子・高安へのエールとも受け取れる内容だった。  「私は怪我をしてからも動かし続けたことで、回り道をしてしまった。私の経験からすると、土俵の上に立ちたいと思う気持ちは大切だけれど、トレーニングをして場所に出たら、また振り出しに戻ってしまいかねない。   ケガをして休場が続くと、番付が下がってしまう不安もあるでしょう。ですが、たとえ番付が下がったとしても、また這い上がるチャンスはある。そうは行かないのは横綱だけです。休場が続いても番付が下がらない横綱の先には引退しかない。この立場の苦しさはなかなか理解して頂くことは出来ませんが、それこそが横綱の責任なのです」
    「休むよりも稽古」という考え方を変えていきたい。      そして、荒磯親方は改めて「休むこと」の重要性を強調した。 「相撲界では依然として『休むよりも稽古』という考え方が支配的です。  私も引退間際は『稀勢の里は休んでばっかりだな』と言われていましたが(笑)、私の経験上、『休むことは悪いことではない』ことを、これからの力士たちには伝えていきたいです」
    「私はラグビーやアメリカンフットボールといった他のスポーツが好きなこともあり、トレーニング方法などについて話を聞く機会が多いのですが、最近は、試合翌日には休まず、回復を早めるために軽く体を動かして体に酸素を供給し、試合の翌々日に休養を取るようになったと聞きました。 今後、相撲界にも、こうした最先端の知識を取り入れていけば、より強い力士が育てられるのではないかと考えています」「より強い力士を育てる」ために荒磯親方はさまざまな新しい方策を考えている。  
    ・・・ 親方だった故・鳴戸親方(元隆の里)も  自分の経験談を萩原少年にコンコンと伝えていたのですね。    同様に、荒磯親方となった稀勢の里も、自分の経験を、弟弟子はじめとした後輩たちに、そして、これから愛弟子となる子たちに伝えることでしょう。

  • 投稿者:KON

    九州場所を終え、力士達は九州各地を冬巡業としてまわって12月中旬には帰京します。
    横綱経験者の第15代武蔵川親方(第67代 横綱 武蔵丸 光洋)が至極的確に分析しておりましたので、御紹介します。
    朝乃山が大関に? 白鵬のかち上げは?武蔵丸が九州場所から1年を振り返る。
     一年納めの九州場所が終わったね。
     今場所はまずは横綱の鶴竜が初日から休場し、豪栄道に高安の2大関も栃ノ心も、上位陣が櫛の歯が欠けたようにいなくなってしまった。若手の注目株である友風や若隆景も早々に休場。
     土俵下に落ちて、「え? これでケガしちゃったの?」と思うほどのちょっとした動きで痛めてしまうのね。それって、まず「戦うための体ができていない」ということでもあるんだよ。それに、後ろに下がったり引いたりの相撲は、必ずケガにつながるんだ。
     玉鷲が ケガが少ないのは、前に出る相撲が多いから。下がったり引いたりと余計な動きをすると、体勢が崩れて、もつれて、それで膝を痛めることになるんだヨ。
    御嶽海の大関取りの行方は……。
     高安の場合は、支度部屋で腰を痛めて急遽の休場だった。
     高安は相撲が巧いタイプじゃない。よく立ち合いでかち上げに行くんだけど、彼の場合は腰に負担が掛かるのね。前みつとって脇を締めて行くならいいんだけど、かち上げた時に体が反ってしまっているから、相手の体重が自分に掛かってきちゃっている。足も揃ってしまっているし、これじゃ腰も悪くなるよ。ケガをしない体作りも大事だけど、ひとつひとつ相撲を考えて取っていかなきゃ。腹も一回り小さくなって、お尻もしぼんで見える。まだまだもったいないよ! 今回の休場で関脇に落ち、来場所は大関復帰を賭けるけど、ちょっと心配だな……。しばらくは稽古もできないだろうしね。  そして今場所は御嶽海が大関取りの場所とされていたけれど、結果はまさかの負け越し。一から出直しすることになってしまった。  14日目の白鵬戦で勝っていればまだ印象はよかったけれどな。右張ってくるのはわかってるんだから、計算しないとダメだヨ。それは常に頭の中に入れておかないとな。まずは、「張って下さい!」とばかりに顔上げて行くのではなく、もっとあごを引いて行け。
    大関昇進は朝乃山に先を越される!?
     昇進する時は勢いに乗ってパパパーン! と決めないとその後が大変なんだ。
     「何度目かの大関取りで、やっと昇進した」というのは、いざ上がってからカド番を繰り返したりと苦労することになる。  ここ最近の大関たちを見ても、デパートのエレベーターみたいに上がったり下がったりで、大関の価値も薄れてしまっているのは残念だよね。
     きっと大関昇進は朝乃山に先を越されるはず。    朝乃山は右四つの型を持っていて、近いうちに大関になるよ。いい相撲で勝ったと思ったら翌日にはあっさり負けてしまったりと、まだ相撲にムラがあるけど、それが直ったら大関もすぐだね。
    休場力士が多く、丈夫な体作りが重要。
     白鵬は、初日からせっかくいい相撲の流れで来たのに、12日目の遠藤戦はダメダメだったなぁ。エルボーのようなかち上げで、遠藤は鼻血ブー! になっちゃった。あれはやっちゃいけないヨ。相手の相撲人生を終わらせてしまう危険もあるくらいのことなの、白鵬はわかってないのか? この際、もうルール作ったらいい。危険な行為をしたら、即、負けにするとかね。
     8日目の玉鷲戦でも立ち合いの呼吸が合わずに相手の体をドンと突いたけど、相手は力を抜いている時なんだから、そこでまたケガでもしたらどうするんだ ってことだよ。
     いろいろ厳しいことも言ったけれど、今場所を振り返ってみると、白鵬が横綱として一年最後の場所をひとりで締めてくれたからOK! だよ。  確かに休場力士も多くて、御嶽海の大関取りの話題もなくなり、ピリッとしなかったけれど、朝乃山の存在が今後の楽しみになったね。  みんなそれぞれがケガのない丈夫な体を作るのも課題。  稽古はもちろんのこと、いいものをたくさん食べて早く寝ること(あ、歯も磨けよ? )。まずは健康的な生活を送ることが、体の為にも、またいい相撲を見せることにも繋がってゆく。ファンの皆様、今年も有難うございました。来年も大相撲をよろしくお願い致しまス! (「武蔵丸の辛口御免 Oh!相撲」Number Web
    ・・・・・各力士の長所と短所を見事に分析している解説の内容からお解かりのように、頭脳明晰な親方です。  九州場所では、部屋頭の横江(幕下57)が成長著しく、5勝2敗と好成績でした。 
    武蔵丸さんとは、春日野部屋での出羽海一門連合稽古(朝稽古)を最前列で見学していた際に 会話させていただき、 引退後は、本場所の二階席正面西寄り通路で、フーフー言って階段をビデオ室へ上がってくる武蔵川親方に、「頑張って!、もう少し、もう少し、あと30段! まぁったく 体重があり過ぎるから辛いのか、階段を昇らないから体重が減らないのか」 と声をかけたら、『どっちも当たってるよ』と言ってウインクされました。用事を終えて降りてくる時にも、『ほいっさ、ほいっさ』と声を出して降りてくるので、 「親方ぁ、下りは気をつけてゆっくり降りてくださいよっ。 踏み外して親方が転げていったら、通路側のお客さんが巻き込まれて 怪我じゃすまないから。 大阪の岸和田のだんじりが倒れてくるようなもんだからね」 と話したら、立ち止まって「あんなに大きいか?俺?」と苦笑していました。そんな軽口でお話させて頂いたことがあります。

  • 投稿者:匿名

    おばちゃんも見てた!
    本人もビリと言ってたけど、かたや早稲田卒だし。
    一位にはびっくり、思った事素直な句だけど…北の富士さん出ないだろうな?

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