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阪神競馬でのマルターズディオサという軽量の馬が、柏鵬時代に活躍した小兵にして技士横綱だった栃ノ海のようだ と、記事にありました。 栃ノ海さんは、今の炎鵬、ちょっと前の舞の海さんら、人気の小兵力士を、さらに強くした感じの横綱で、立ち合いの出足鋭く大柄の大鵬や柏戸に3〜4回に1回は勝っていました。 いまだ健在で、現在、横綱経験者では、最高齢の81歳8ヶ月。歴代横綱で最長老だった初代梅ヶ谷の83歳4ヶ月まであと少し。最近はどうされているかわかりませんが、栃ノ心が大関に昇進した際に春日野部屋に現れ、半世紀ぶりに春日野部屋から大関が誕生したことに とても喜んでいた とニュースに出てました。 神田須田町近くにあった「ちゃんこ割烹・栃の海」で、春日野親方だった栃の海さんには、3度ばかりお会いしたことがあります。お店の冷蔵庫の奥のほうにあった親方のお酒〟大阪の清酒 呉春」を私が飲んじゃったのですが、〝しょっちゅうお店に来てくれてるんなら・・〟と、許してくれて、人懐っこい方で、津軽弁が抜けないようで、楽しくお話ししてくれました。 長生きして欲しいと思っています。 栃の海さんの次に長生きされてるのが北の富士さんで、77歳8ヶ月ですね。
3〜4年っていう短期間でしたが、力士だったようで、双葉山の連勝を69でストップさせた安藝ノ海の付け人をやってたらしい。ということは出羽ノ海部屋ですね。 なにせ六尺ちょっとある背の高い人でしたから。NHKの歌謡コンサートを観に行ったの時、増位山さんが登場した際に、歌手増位山の生みの親として紹介されステージに上がられてましたが、180cmある私よりも大きな人でした。
温故知新・大相撲カレンダー12月2日 12月2日 1988昭和63年12月2日 富岡八幡宮で 「超五十連勝碑」に53連勝を達成した千代の富士貢の名が刻まれた。 富岡八幡宮は、営団地下鉄で東西線又は都営地下鉄にて大江戸線の門前仲町駅下車して徒歩4~5分の江東区富岡 1-20-3にあります。JRだと京葉線の越中島駅から徒歩15分ほどで辿りつきます。 「超五十連勝碑」は、大相撲やプロレスに造詣の深い作詞家・小説家の小島貞二氏の提案によって1988昭和63年の9月秋場所中に建立されました。時は、千代の富士が大連勝の途上、秋場所初日に水戸泉を下して25連勝目、この場所全勝なら39連勝となるところ(実際に、千秋楽に横綱大乃国を破って全勝優勝したのですが・・・) この碑には、大相撲の本場所で50連勝以上を記録した力士を顕彰していて、形は11角柱で、正面に碑銘、以下左回りで超50連勝力士の名が年代順に刻まれていて、双葉山・谷風・初代梅ヶ谷・太刀山に続く5人目の刻銘となりました。 ☆ 69連勝の双葉山定次 = 昭和前半期 69戦全勝 引分け・預かりなど一切なし。 ただし、一番だけ、1938昭和13年1月場所、9日目の両國戦で、両國を寄り倒しながら 勇み足っぽく踏み越した双葉山がかなり不利だったようだ。控えの玉錦と男女ノ川から『勇み足あり』と物言いが付き、検査役は両者に経過を説明し、取り直しとしたが、物言いを言い出した横綱玉錦がまったく納得せず、揉めに揉めた。後年、双葉の大連勝が48で止まっていたかもしれない「大物言い」だったそうです。 ☆ 63連勝の2代谷風梶之助 = 江戸時代の安永年間~天明年間まで 63勝0敗2分2預10休・・・(不戦勝制度がないので対戦が休むと一緒に休みにさせられた。) 2分けは、天津風戦と苫ヶ嶋戦、2預は出水川戦と渦ヶ渕戦。 詳しくは後述。 ☆ 58連勝の初代梅ヶ谷藤太郎 =明治初期 58勝0敗12分2預19休・・・(不戦勝制度がなく、対戦相手が休むと一緒に休みにさせられた。これは、明治末期まで、個人優勝制度そのものがなく、相撲興行自体が東西対抗戦という団体戦で東軍西軍の勝利したほうに優勝旗及び賞金が渡されていた時代だった影響で、とても勝てないと踏んだ場合にお客の興味を無視してどこも悪くないのに休場して対戦相手の強豪を道連れにしていた、とんでもない時代でした。) 2預は2戦とも境川との対戦。12分けは、大関雷電震右衛門や手柄山・勝ノ浦(2度)・藤ノ川(2度=2度目の時は 四代柏戸宗五郎の四股名)・藤田川・(後の大関)若嶋久三郎・大関 境川浪右衛門・響矢・武蔵潟・阿武松。 ☆ 56連勝の太刀山峯右衛門 =大正前半 56勝0敗1分1預21休・・・この21休のうち20休は太刀山本人が体調悪く二場所全休したもの。 1分けは、「角聖」常陸山との熱戦、1預は朝潮との一番。 で、 ☆ 53連勝の千代の富士 =昭和末期 53戦全勝 引分け・預かりなど一切なし 次は白鵬の63連勝が刻銘されるはずですが、まだ白鵬が現役を引退していないので、例の稀勢の里に停められて63連勝になったあの大連勝が彼の最高記録と断定することはできません。 これからさらに白鵬が 63を上回る 65,70と連勝する可能性があるので、引退するまでは、四股名は刻まれないそうです。 実質的な初代横綱となる谷風梶之助は、当時において横綱に恥じない圧倒的な強さをほこっていました。特に谷風が残した連勝記録からその凄さが分かります 谷風は、1778年から1782年まで分・預・休を挟みながらも63連勝を記録し、これは後に双葉山が69連勝を記録するまでの最多記録として残っていました。「取り直し」のない時代、あまりに長時間に及ぶ大相撲や もつれて微妙な判定は 引分け や 預かり、無勝負 とされていた時代。 さらにこの63連勝というのは江戸本場所だけの数字で、京都本場・大坂本場所も含めると98連勝を途方もない記録となるのです。 京都本場所・大阪本場所は今で言うところの大阪春場所と名古屋7月場所と同じことですので、98連勝は公認されるべきという見方が強い。 (ただ、その場合、谷風の63連勝のなかに、千秋楽での5人掛相撲が二番含まれているので、これを余興として差っ引いた「江戸で61連勝、京都大坂を含めて96連勝」というのが、正式な最多連勝記録となります。 時代は、取り直しのない時代なので、京阪を含んでの98連勝には 5分5預3無勝負が含まれています。 双葉山が3年間も負けなかったという 69連勝に対し、谷風は1778安永7年~1781天明元年までの4年間、一度も負けていない。 さらに谷風の凄かったのは、この連勝以外にも 80連勝を2回も記録していることです。谷風の連勝記録は、分・預・休が含まれているため完全な連勝記録とは言い難いですが、その強さに疑いの余地はありません。 事実、現役時代は京阪あわせて70場所を経験して、負けはわずか20回しかしておらず、通算勝率は9割4分以上という脅威の数値になります。
昼休み自作お弁当食べて、ここを見たら… まだやっている方がいるんだね! 信じられない!協会に言って下さい。 おばちゃんは穏やかに、相撲の話、情報を語りたいだけ。 勿論批判はありだけど、悪口、中傷はやめてほしい。 やっと穏やかになったかなと思うと、又始まりエンドレスだよ。段々嫌になってくるわ!!どんな考え方しとるのか理解できない。 こういう事言うのも嫌だから、白鵬批判は以後相撲協会にしつこくして下さい。 雨が降る寒い月曜、皆さんも体気を付けて下さい。
江戸の無双力士・雷電は強過ぎて、張り手・閂・突き手が禁じ手とされたとか。 白鵬も張り手・かち上げ・駄目出しを禁じよう。したら反則負けな。 禁じ手を設けるのは、雷電と同格と認められるんだぞ。 寧ろ白鵬には栄誉な事。
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阪神競馬でのマルターズディオサという軽量の馬が、柏鵬時代に活躍した小兵にして技士横綱だった栃ノ海のようだ と、記事にありました。
栃ノ海さんは、今の炎鵬、ちょっと前の舞の海さんら、人気の小兵力士を、さらに強くした感じの横綱で、立ち合いの出足鋭く大柄の大鵬や柏戸に3〜4回に1回は勝っていました。
いまだ健在で、現在、横綱経験者では、最高齢の81歳8ヶ月。歴代横綱で最長老だった初代梅ヶ谷の83歳4ヶ月まであと少し。最近はどうされているかわかりませんが、栃ノ心が大関に昇進した際に春日野部屋に現れ、半世紀ぶりに春日野部屋から大関が誕生したことに とても喜んでいた とニュースに出てました。
神田須田町近くにあった「ちゃんこ割烹・栃の海」で、春日野親方だった栃の海さんには、3度ばかりお会いしたことがあります。お店の冷蔵庫の奥のほうにあった親方のお酒〟大阪の清酒 呉春」を私が飲んじゃったのですが、〝しょっちゅうお店に来てくれてるんなら・・〟と、許してくれて、人懐っこい方で、津軽弁が抜けないようで、楽しくお話ししてくれました。
長生きして欲しいと思っています。
栃の海さんの次に長生きされてるのが北の富士さんで、77歳8ヶ月ですね。
3〜4年っていう短期間でしたが、力士だったようで、双葉山の連勝を69でストップさせた安藝ノ海の付け人をやってたらしい。ということは出羽ノ海部屋ですね。
なにせ六尺ちょっとある背の高い人でしたから。NHKの歌謡コンサートを観に行ったの時、増位山さんが登場した際に、歌手増位山の生みの親として紹介されステージに上がられてましたが、180cmある私よりも大きな人でした。
小島貞二氏が昔力士だったのは本当ですか?
温故知新・大相撲カレンダー12月2日
12月2日
1988昭和63年12月2日 富岡八幡宮で 「超五十連勝碑」に53連勝を達成した千代の富士貢の名が刻まれた。
富岡八幡宮は、営団地下鉄で東西線又は都営地下鉄にて大江戸線の門前仲町駅下車して徒歩4~5分の江東区富岡 1-20-3にあります。JRだと京葉線の越中島駅から徒歩15分ほどで辿りつきます。
「超五十連勝碑」は、大相撲やプロレスに造詣の深い作詞家・小説家の小島貞二氏の提案によって1988昭和63年の9月秋場所中に建立されました。時は、千代の富士が大連勝の途上、秋場所初日に水戸泉を下して25連勝目、この場所全勝なら39連勝となるところ(実際に、千秋楽に横綱大乃国を破って全勝優勝したのですが・・・)
この碑には、大相撲の本場所で50連勝以上を記録した力士を顕彰していて、形は11角柱で、正面に碑銘、以下左回りで超50連勝力士の名が年代順に刻まれていて、双葉山・谷風・初代梅ヶ谷・太刀山に続く5人目の刻銘となりました。
☆ 69連勝の双葉山定次 = 昭和前半期
69戦全勝 引分け・預かりなど一切なし。
ただし、一番だけ、1938昭和13年1月場所、9日目の両國戦で、両國を寄り倒しながら 勇み足っぽく踏み越した双葉山がかなり不利だったようだ。控えの玉錦と男女ノ川から『勇み足あり』と物言いが付き、検査役は両者に経過を説明し、取り直しとしたが、物言いを言い出した横綱玉錦がまったく納得せず、揉めに揉めた。後年、双葉の大連勝が48で止まっていたかもしれない「大物言い」だったそうです。
☆ 63連勝の2代谷風梶之助 = 江戸時代の安永年間~天明年間まで
63勝0敗2分2預10休・・・(不戦勝制度がないので対戦が休むと一緒に休みにさせられた。)
2分けは、天津風戦と苫ヶ嶋戦、2預は出水川戦と渦ヶ渕戦。
詳しくは後述。
☆ 58連勝の初代梅ヶ谷藤太郎 =明治初期
58勝0敗12分2預19休・・・(不戦勝制度がなく、対戦相手が休むと一緒に休みにさせられた。これは、明治末期まで、個人優勝制度そのものがなく、相撲興行自体が東西対抗戦という団体戦で東軍西軍の勝利したほうに優勝旗及び賞金が渡されていた時代だった影響で、とても勝てないと踏んだ場合にお客の興味を無視してどこも悪くないのに休場して対戦相手の強豪を道連れにしていた、とんでもない時代でした。)
2預は2戦とも境川との対戦。12分けは、大関雷電震右衛門や手柄山・勝ノ浦(2度)・藤ノ川(2度=2度目の時は 四代柏戸宗五郎の四股名)・藤田川・(後の大関)若嶋久三郎・大関 境川浪右衛門・響矢・武蔵潟・阿武松。
☆ 56連勝の太刀山峯右衛門 =大正前半
56勝0敗1分1預21休・・・この21休のうち20休は太刀山本人が体調悪く二場所全休したもの。
1分けは、「角聖」常陸山との熱戦、1預は朝潮との一番。
で、 ☆ 53連勝の千代の富士 =昭和末期
53戦全勝 引分け・預かりなど一切なし
次は白鵬の63連勝が刻銘されるはずですが、まだ白鵬が現役を引退していないので、例の稀勢の里に停められて63連勝になったあの大連勝が彼の最高記録と断定することはできません。 これからさらに白鵬が 63を上回る 65,70と連勝する可能性があるので、引退するまでは、四股名は刻まれないそうです。
実質的な初代横綱となる谷風梶之助は、当時において横綱に恥じない圧倒的な強さをほこっていました。特に谷風が残した連勝記録からその凄さが分かります 谷風は、1778年から1782年まで分・預・休を挟みながらも63連勝を記録し、これは後に双葉山が69連勝を記録するまでの最多記録として残っていました。「取り直し」のない時代、あまりに長時間に及ぶ大相撲や もつれて微妙な判定は 引分け や 預かり、無勝負 とされていた時代。
さらにこの63連勝というのは江戸本場所だけの数字で、京都本場・大坂本場所も含めると98連勝を途方もない記録となるのです。
京都本場所・大阪本場所は今で言うところの大阪春場所と名古屋7月場所と同じことですので、98連勝は公認されるべきという見方が強い。
(ただ、その場合、谷風の63連勝のなかに、千秋楽での5人掛相撲が二番含まれているので、これを余興として差っ引いた「江戸で61連勝、京都大坂を含めて96連勝」というのが、正式な最多連勝記録となります。
時代は、取り直しのない時代なので、京阪を含んでの98連勝には 5分5預3無勝負が含まれています。
双葉山が3年間も負けなかったという 69連勝に対し、谷風は1778安永7年~1781天明元年までの4年間、一度も負けていない。
さらに谷風の凄かったのは、この連勝以外にも 80連勝を2回も記録していることです。谷風の連勝記録は、分・預・休が含まれているため完全な連勝記録とは言い難いですが、その強さに疑いの余地はありません。
事実、現役時代は京阪あわせて70場所を経験して、負けはわずか20回しかしておらず、通算勝率は9割4分以上という脅威の数値になります。
管理人さん、昨日の7:03PMのコメント、削除して下さい。
これは明らかな力士に対する中傷でNGコメントに該当します。
読んでて不快なのは私だけではないはずです。
昼休み自作お弁当食べて、ここを見たら…
まだやっている方がいるんだね!
信じられない!協会に言って下さい。
おばちゃんは穏やかに、相撲の話、情報を語りたいだけ。
勿論批判はありだけど、悪口、中傷はやめてほしい。
やっと穏やかになったかなと思うと、又始まりエンドレスだよ。段々嫌になってくるわ!!どんな考え方しとるのか理解できない。
こういう事言うのも嫌だから、白鵬批判は以後相撲協会にしつこくして下さい。
雨が降る寒い月曜、皆さんも体気を付けて下さい。
ここは力士の悪口や誹謗中傷を言うコーナーではありません。
苦言や批判と悪口、誹謗中傷とは違います。
高尾のおばちゃんも何か言ってやって下さい。
完全ガチンコなら大乃国や稀勢の里は優勝10回以上してたとでも言いたいのか?
今年のアマチュア横綱は近大4年の谷岡倖志郎選手となりました。
本人はプロ入りしない意向を示しており、3年連続アマ横綱がプロ入りしないことになります。
江戸の無双力士・雷電は強過ぎて、張り手・閂・突き手が禁じ手とされたとか。
白鵬も張り手・かち上げ・駄目出しを禁じよう。したら反則負けな。
禁じ手を設けるのは、雷電と同格と認められるんだぞ。
寧ろ白鵬には栄誉な事。