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北の富士さんが横綱の頃、先輩横綱に大鵬がいて、長谷川、明武谷、禊鳳、北の花、藤ノ川、高鉄山と、現在の42人より少なかった幕内力士34人のうち8人も北海道出身力士がいました。 最近だと、旭大星と矢後が北海道出身の関取として活躍していますが、幕内力士には、今は、北海道出身(道産子)力士が一人もいない状態ですね。
えっ、何であれが悪口になるの? 熱くなるとこんな性格だから、丁寧には言えないけど! あんまりしつこく批判してるから、こういうのは嫌いだし、言いたい事は一回でいいよ! 何回も何回もしつこいから。 スルーしましょうって、最初はスルーしてましたが…しつこすぎるし、何でそういう人野放しにして言いたい放題にしないといけないの? そういうの、おばちゃんは、理解不能だわ! 何で皆で穏やかに、相撲を語り合っているのに、一人のやりたい放題にさせてこっちが我慢しないといけないのよ! だから可哀想にYさんだって滅多にコメントしないじゃないの。理解不能の事は納得できん。 これがオバチャンズの意見です。
豪栄道が左目眼窩内骨折となった2016年5月場所の白鵬戦。原因はもちろん、白鵬の右肘打ちが左目を直撃したことあと少し豪栄道が顔をずらしそこなっていたら失明だった。痛いのかゆいの言わない豪栄道は、左目まわりを真っ青に内出血の痛々しい顔で出場し続けたんだなあ。
大鵬が佐田の山に見舞ったかち上げ? 昭和40年秋場所と42年初場所の二番でしょうか? 前者では、当時、対戦成績21勝3敗と「お客さん扱い」としてた佐田の山相手ではありまたが、立ち合いにスピード負け し始めたと感じていた大鵬が、頭を下げて突進してくる佐田の山の勢いを止めようと左かち上げをしたのがこの二番でしたが、どちらのかち上げも腕(手首と肘の間)=前腕 でのかち上げで、顎を引いて出てきた佐田の山の顔に入ってしまった。と見えます。 大鵬は、相撲で勝っても、相手を傷つけることを嫌っていて、左すくい投げで相手を転がしても、転んだ相手の後頭部に右手をあてがい、怪我の無いように心配りしていました。 盟友・柏戸も寄り切りは勿論押し出した時も相手が土俵下に落ちないよう抱き抱えていました。 既述のように!母と私は、100% 柏戸贔屓でしたが、正々堂々で、負けない大鵬のことは認めていました。嫌いは嫌いでしたが・・・ 巨人大鵬卵焼きではなく、私は、長嶋柏戸ハンバーグでした。 ハンバーグって言っても、貧乏で鍵っ子だったので、私のハンバーグはマルシンハンバーグというものでした。ですから、18歳で就職して初めて銀座で食べた、ロマーノっていう洋食屋さんのランチ・ハンバーグスパゲティの美味しかったこと。うちへ帰って母に話したら、よかったわね、今度連れてって と言われてしまいました。 大鵬:藤ノ川戦のそのことは、 テレビで観てなくて、あまり記憶にありません。 昭和42年5月場所四日目のことですね。中日八日目に、ここまで全勝の大鵬の前半戦を振り返って録画を流したので、それで観ました。 予想通り大鵬優勢、守勢一方の土俵際、俵の上でくるっと回った藤ノ川の踵を見ながら先に土俵を割った大鵬。軍配は 西、藤ノ川。そこで大鵬がすぐ近くの検査役の親方に『土俵を割ってるよ』と、物言いを促したんですね。結果、藤ノ川が踏み越したらしい蛇ノ目あたりを囲んで長い協議の上、行司差し違いで大鵬の勝ち(寄り切り)となりましたね。 録画なので一から十までではなく、断片的にしか見れませんでしたが。
十両昇進力士5人を発表。 新十両は無く、再十両が美ノ海、千代鳳、朝玉勢、魁、照ノ富士の5人。 元大関の照ノ富士は序二段、元小結の千代鳳は三段目からの十両復帰。三段目以下に落ちた元三役力士が関取に復帰するのは常幸龍についで2、3人目。 また、魁は5年ぶりの十両復帰。
温故知新・大相撲カレンダー11月27日 1988昭和63年のこの日は 九州場所千秋楽 結びの一番、千代の富士が大乃国に攻め立てられて西土俵下まで寄り倒され、初場所千秋楽には、双葉山の69連勝に並ぶ!と目されていた千代の富士の連勝が53でストップしてしまいました。 〝これより三役〟となり、まずは東から横綱千代の富士、大関北天佑、大関旭富士。続いて西からは横綱大乃国、大関小錦、大関朝潮という巨漢が揃い踏み。あまりの巨体が三人並び館内からはどよめきが起こった。しかし、朝潮と小錦が相次いで敗れ、最後も当然、軽量の千代の富士が勝ち今場所も全勝優勝!と誰もが信じて疑いませんでした。 そして結び。横綱同士の対戦とはいえ、前日(14日目)に、14戦全勝で26度目の優勝を決めていた千代の富士が、前まわしを引きつけて一気に圧勝するだろうと予想されていたのですが、立ち合い五分で立った後、前傾で前に前に休まず出る巨体の大乃国が右差し手をかえして千代に上手を与えず、左上手はしっかり掴み さらに歩を進める。これに、左上手まわしを取り損なった千代の富士。右半身で守りを固め、まわり込みながらの右下手投げも効かず、左も差して双差しになるがすでに西の土俵際。あとがない土俵際で大乃国の寄りを堪える千代の富士、外四つとなった左まわしから手を離してグイッとノド輪攻めした大乃国、それでも堪えようとする千代の富士がうっちゃりを試みましたが、その千代の富士に体重を預けた大乃国がそのまま浴びせ倒しで勝利しました。 「何が起きた?」「嘘だろ? 千代が負けたのか?」 一瞬の静寂があり、すかさず両国国技館館内に悲鳴と絶叫と歓声と拍手が混じって一気に騒然となり地響きの如く『ゴオーン』と鳴り響きました。座布団も飛んでました。 前夜に、「ヒャッとさせるぐらいして来い、どうせ今のお前じゃぁ、何しても勝てないんだから、」と師匠の放駒に言い放たれてしまい、悔しくて、普段より2時間以上も早く稽古場に降りて、鋭い立ち合いで定評のある千代の富士に対抗すべく、立ち合いの踏み出しを黙々と稽古していた大乃国。 「立ち合い負け せずに、休まず攻める」という、これしかない 大横綱攻略法。 横綱大乃国の名をしっかり相撲史に残した素晴らしい勝利でした。 この場所の番付は 東正横綱・千代の富士(道南=津軽海峡に面する北海道最南端の福島町出身)、 西正横綱・大乃国(十勝の河西郡出身)、 東張出横綱・北勝海(十勝の東海岸側の広尾町出身・・この場所は全休) という〝道産子トリオ〟が横綱を独占していて、さらに四大関の中にも北海道(室蘭)出身の北天佑がいた という 道産子力士絶頂期 とも言える。
北の湖も言っていたが、横綱というものは嫌われてナンボだ(但し、白鵬の嫌われ方は殆ど排斥を煽るものである)。 北の湖は自分に向けられた声援を聞いて引退を決意したそうである。 白鵬もまだ嫌われている内が華だ。 あれから言えば稀勢の里なんか好かれ過ぎてものすごく惨めに見えた。
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北の富士さんが横綱の頃、先輩横綱に大鵬がいて、長谷川、明武谷、禊鳳、北の花、藤ノ川、高鉄山と、現在の42人より少なかった幕内力士34人のうち8人も北海道出身力士がいました。
最近だと、旭大星と矢後が北海道出身の関取として活躍していますが、幕内力士には、今は、北海道出身(道産子)力士が一人もいない状態ですね。
えっ、何であれが悪口になるの?
熱くなるとこんな性格だから、丁寧には言えないけど!
あんまりしつこく批判してるから、こういうのは嫌いだし、言いたい事は一回でいいよ!
何回も何回もしつこいから。
スルーしましょうって、最初はスルーしてましたが…しつこすぎるし、何でそういう人野放しにして言いたい放題にしないといけないの?
そういうの、おばちゃんは、理解不能だわ!
何で皆で穏やかに、相撲を語り合っているのに、一人のやりたい放題にさせてこっちが我慢しないといけないのよ!
だから可哀想にYさんだって滅多にコメントしないじゃないの。理解不能の事は納得できん。
これがオバチャンズの意見です。
元阿武松親方もだけど、元若嶋津の二所ノ関親方もどの程度回復したのか?たしか今日のようなこんな寒い日にサウナからチャリンコで帰宅しようとして脳梗塞で倒れたんだったよな。
豪栄道が左目眼窩内骨折となった2016年5月場所の白鵬戦。原因はもちろん、白鵬の右肘打ちが左目を直撃したことあと少し豪栄道が顔をずらしそこなっていたら失明だった。痛いのかゆいの言わない豪栄道は、左目まわりを真っ青に内出血の痛々しい顔で出場し続けたんだなあ。
9:54AMのおばちゃん
あれはもう批判を通り越した悪口であって私も見ていて胸糞悪いけどおばちゃんの言う通り苦情は直接協会に言えばいいんですよ。
恐らくこいつはネット弁慶なんだからスルーしましょう。
大鵬が佐田の山に見舞ったかち上げ?
昭和40年秋場所と42年初場所の二番でしょうか?
前者では、当時、対戦成績21勝3敗と「お客さん扱い」としてた佐田の山相手ではありまたが、立ち合いにスピード負け し始めたと感じていた大鵬が、頭を下げて突進してくる佐田の山の勢いを止めようと左かち上げをしたのがこの二番でしたが、どちらのかち上げも腕(手首と肘の間)=前腕 でのかち上げで、顎を引いて出てきた佐田の山の顔に入ってしまった。と見えます。
大鵬は、相撲で勝っても、相手を傷つけることを嫌っていて、左すくい投げで相手を転がしても、転んだ相手の後頭部に右手をあてがい、怪我の無いように心配りしていました。
盟友・柏戸も寄り切りは勿論押し出した時も相手が土俵下に落ちないよう抱き抱えていました。
既述のように!母と私は、100% 柏戸贔屓でしたが、正々堂々で、負けない大鵬のことは認めていました。嫌いは嫌いでしたが・・・
巨人大鵬卵焼きではなく、私は、長嶋柏戸ハンバーグでした。
ハンバーグって言っても、貧乏で鍵っ子だったので、私のハンバーグはマルシンハンバーグというものでした。ですから、18歳で就職して初めて銀座で食べた、ロマーノっていう洋食屋さんのランチ・ハンバーグスパゲティの美味しかったこと。うちへ帰って母に話したら、よかったわね、今度連れてって と言われてしまいました。
大鵬:藤ノ川戦のそのことは、
テレビで観てなくて、あまり記憶にありません。
昭和42年5月場所四日目のことですね。中日八日目に、ここまで全勝の大鵬の前半戦を振り返って録画を流したので、それで観ました。 予想通り大鵬優勢、守勢一方の土俵際、俵の上でくるっと回った藤ノ川の踵を見ながら先に土俵を割った大鵬。軍配は 西、藤ノ川。そこで大鵬がすぐ近くの検査役の親方に『土俵を割ってるよ』と、物言いを促したんですね。結果、藤ノ川が踏み越したらしい蛇ノ目あたりを囲んで長い協議の上、行司差し違いで大鵬の勝ち(寄り切り)となりましたね。
録画なので一から十までではなく、断片的にしか見れませんでしたが。
十両昇進力士5人を発表。
新十両は無く、再十両が美ノ海、千代鳳、朝玉勢、魁、照ノ富士の5人。
元大関の照ノ富士は序二段、元小結の千代鳳は三段目からの十両復帰。三段目以下に落ちた元三役力士が関取に復帰するのは常幸龍についで2、3人目。
また、魁は5年ぶりの十両復帰。
温故知新・大相撲カレンダー11月27日
1988昭和63年のこの日は
九州場所千秋楽
結びの一番、千代の富士が大乃国に攻め立てられて西土俵下まで寄り倒され、初場所千秋楽には、双葉山の69連勝に並ぶ!と目されていた千代の富士の連勝が53でストップしてしまいました。
〝これより三役〟となり、まずは東から横綱千代の富士、大関北天佑、大関旭富士。続いて西からは横綱大乃国、大関小錦、大関朝潮という巨漢が揃い踏み。あまりの巨体が三人並び館内からはどよめきが起こった。しかし、朝潮と小錦が相次いで敗れ、最後も当然、軽量の千代の富士が勝ち今場所も全勝優勝!と誰もが信じて疑いませんでした。
そして結び。横綱同士の対戦とはいえ、前日(14日目)に、14戦全勝で26度目の優勝を決めていた千代の富士が、前まわしを引きつけて一気に圧勝するだろうと予想されていたのですが、立ち合い五分で立った後、前傾で前に前に休まず出る巨体の大乃国が右差し手をかえして千代に上手を与えず、左上手はしっかり掴み さらに歩を進める。これに、左上手まわしを取り損なった千代の富士。右半身で守りを固め、まわり込みながらの右下手投げも効かず、左も差して双差しになるがすでに西の土俵際。あとがない土俵際で大乃国の寄りを堪える千代の富士、外四つとなった左まわしから手を離してグイッとノド輪攻めした大乃国、それでも堪えようとする千代の富士がうっちゃりを試みましたが、その千代の富士に体重を預けた大乃国がそのまま浴びせ倒しで勝利しました。
「何が起きた?」「嘘だろ? 千代が負けたのか?」
一瞬の静寂があり、すかさず両国国技館館内に悲鳴と絶叫と歓声と拍手が混じって一気に騒然となり地響きの如く『ゴオーン』と鳴り響きました。座布団も飛んでました。
前夜に、「ヒャッとさせるぐらいして来い、どうせ今のお前じゃぁ、何しても勝てないんだから、」と師匠の放駒に言い放たれてしまい、悔しくて、普段より2時間以上も早く稽古場に降りて、鋭い立ち合いで定評のある千代の富士に対抗すべく、立ち合いの踏み出しを黙々と稽古していた大乃国。
「立ち合い負け せずに、休まず攻める」という、これしかない 大横綱攻略法。
横綱大乃国の名をしっかり相撲史に残した素晴らしい勝利でした。
この場所の番付は
東正横綱・千代の富士(道南=津軽海峡に面する北海道最南端の福島町出身)、
西正横綱・大乃国(十勝の河西郡出身)、
東張出横綱・北勝海(十勝の東海岸側の広尾町出身・・この場所は全休)
という〝道産子トリオ〟が横綱を独占していて、さらに四大関の中にも北海道(室蘭)出身の北天佑がいた という 道産子力士絶頂期 とも言える。
北の湖も言っていたが、横綱というものは嫌われてナンボだ(但し、白鵬の嫌われ方は殆ど排斥を煽るものである)。
北の湖は自分に向けられた声援を聞いて引退を決意したそうである。
白鵬もまだ嫌われている内が華だ。
あれから言えば稀勢の里なんか好かれ過ぎてものすごく惨めに見えた。
石浦や炎鵬は田子ノ浦部屋に入門していたら今頃はまだ幕下だろうね。