大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,661件 』

  • 投稿者:KON

    あ追悼
    北の富士さんヒストリー
    をもう一度 28

    ◇横綱同時昇進2

    まだ煩い(うるさい)横綱審議委員会もなく「2場所連続優勝またはそれに準じる」もなかった戦前の安藝ノ海と照國はともかく(ちなみに2人とも優勝はなしで昇進、、この前後は
    横綱・双葉山が4場所連続優勝中だったし、年間2場所制のもとですから仕方ない)、
    柏・鵬の場合は大鵬が連続優勝で柏戸は優勝同点での昇進、
    北・玉は直前3場所を玉ノ海(玉乃島)、北の富士、北の富士(玉乃島と同点)の順で優勝して同時昇進。
    「それに準じる」が存分に活用されていました。

    柏鵬の柏戸も大鵬が優勝回数記録更新し続けるなか、怪我に苦しみながらも千秋楽の大鵬戦では毎場所相撲ファンから大いに期待され「柔の大鵬vs剛の柏戸」の熱戦を展開し、優勝回数32回vs5回
    と大きな差をつけられながら直接の対戦成績は 柏戸の糖尿病が悪化した晩年の5戦で5連敗するまでは 16勝ー16勝と拮抗してました。

    また連覇した北の富士と同時昇進した玉の海は新横綱からの10場所で130勝20敗・勝率.866、休場0、与金星も0。
    優勝4回(うち全勝優勝1回) そして 準優勝5回!
    在位10場所のうち9場所で優勝か準優勝という絶対的安定感でした。
    この“連続10場所での準優勝以上の確率9割”という記録は、貴乃花と並び、雷電為右衛門や谷風梶之助に次ぐものであり 双葉山や大鵬・北の湖や千代の富士を超える安定感でした。
    一方、北の富士は、同じ10場所で 122勝28敗・勝率.813、与金星5。
    全勝優勝2回を含む優勝4回・準優勝1回。
    特に横綱昇進9場所目には、平幕に敗れる金星配給こそなかったものの、初日に小結高見山にうっちゃられ、五日目には小結貴ノ花に吊りだされて2敗目。関脇長谷川にも吊りだされて腰高が露呈。
    さらに前の山・大麒麟・清國の3大関にも四つ相撲から寄り切られて全敗、千秋楽には玉の海にもガップリ四つから寄り切られて ついに7敗。
    8勝7敗で場所を終えました。
    いい時は全勝優勝するのにムラっ気が激しい北の富士。
    やはり当時の横綱審議会の目は正しく、安定感ては玉の海が上でした。

    #29 へ つづく

  • 投稿者:匿名

    阿武咲が引退しました
    先場所は十両でなかなか勝てずに大きく負け越してたので
    幕下に落ちてしまうのかと思ってました
    度重なる怪我で思うような相撲が取れなくなったと引退を決めたそうです
    引退後は相撲会には残らずに
    将来の独立を目指して会社員となるそうです
    まだ28歳だし
    独身なら、まだまだやれると現役を続けたかもしれないですが
    奥さまやお子さんがいるのでとスッパリと引退する事を決めたそうです
    経験のない場所での新しいスタートを頑張って欲しいです
    でも、年寄株を取得できたら相撲協会に残っただろうと思うと
    いつまでも相撲協会から退かないでいる年配の親方らは、どうにかならないかと思います

    引退して、親方となっても
    他の力士の年寄株を借りて相撲協会に残ってる人も多いし
    振分の年寄株を借りて協会に残っていた親方も、その株を取得していた
    妙義龍が引退で振分親方となったので
    退職しました

    今は朝日山親方の琴錦は引退してからは、いろんな年寄株を借りていて
    しょっちゅう親方の名前が変わっていたけど
    どうにか最後に朝日山の年寄株を取得できて、部屋を興しましたが
    今は、借りられる年寄株も少ない状態なのかなと思います

  • 投稿者:匿名

    銀座が似合う男。
    石原裕次郎、そして北の富士。
    これはずっと変わらない。

  • 投稿者:KON

    故北の富士さん の お別れ会
    寒い中、お疲れ様でございました。

    戒名は「徳粋院殿釋勝縁大居士(とくすいいんでんしゃく しょうえんだいこじ)」だそうです。

     参列者は関係者が350人、一般が1600人強で約2000人以上が北の富士さんとの別れを惜しんだという。

    舞の海さんがコメント

    北の富士さんがNHKの解説を務めたのは昨年1月が最後。闘病生活に入って以来、会うことができなかったという。お見舞いに行く事も許されず、「何度かお願いしたんですが、誰とも会わないということだったので…。無理やり行こうかとも思ったんですけどね。どうしても顔を見たかったんですけど。北の富士さんは美学を持っていたので、カッコ悪い、そういうところは見せたくない強い人なので、その気持ちを尊重したほうがいいのかと葛藤しました」と振り返った。
    今年7月の名古屋場所でNHKにVTR出演した際も、舞の海さんは会えなかった。「ここまで話せるようになったんだ、と。もう少し頑張れば一緒にできるなと思ったんですけどね。本当に張り合いがなくなりましたね」と落胆した。

     北の富士さんについて「解説を生かしてくれた恩人」と表現。舞の海さんへの気遣いも感じられたとし、「一緒に解説していて私と同じ意見なのに、あえて反対のことを自分が悪役になって、私をたてると言いますか、いい人にしたてあげてくれているなあと思うことが何度もありました。『俺が放送中に何か言うと、舞の海をいじめるなと言われる』らしいんですよね(笑)。
    『自分も同じこと言われます』と言うと『そうか』と。いじめているんではなく、たててくれているんですよね」と、うなずいた。
    「がっかりですね…」とため息まじりに繰り返したが、最後は自らに言い聞かせるように「これまでの相撲に対する考え方、北の富士さんの思いは生き続けると思うので、もう一度、思い出しながら解説していけたらと思います」と必死に顔を上げた。

  • 投稿者:匿名

    元小結阿武咲が現役引退して角界を離れる運びとなりました。奇しくも貴景勝同様に28歳の若さで現役退いてしまいましたがケガの多さが悔やまれますね。

  • 投稿者:匿名

    大相撲出身の元プロレスラー天龍源一郎氏も北の富士さんに心酔したひとり。ゴルフ、ハワイ、銀座…………今では当たり前の行動も北の富士さんが力士としての先駆者だったんですね。天龍さんもソコに憧れていたんですね。現役時代は一度だけ対戦して北の富士さんの勝ちでしたがプロレスラー転向後にも天龍ちゃんと声かけてくれたのが嬉しかったそうです。輪島、大関貴ノ花も北の富士さんから学んだ男としての粋な振る舞いを身につけたんでしょうなあ。

  • 投稿者:匿名

    お別れ会何とか時間とりいってきた。
    待つ人はビルの回りだから日が当たらず寒い。
    祭壇も小さいし何だかなーと思ったが送る人の気持だからもうあの格好いい姿、楽しい解説がきけなくなる寂しさと今までのお礼、あちらで千代の富士と共に酒酌み交わして下さいと手をあわせてきた。
    久し振りに仲間揃ったので北の富士が愛した銀座に出て会食してこれから二次会だけどもうみんな店がなくなって行く所がない。
    一番若手か知ってる店に行く。
    北の富士さんの話題で飲みます。

  • 投稿者:オバァ

    すったもんだしたけど北の富士さん忍ぶ会行ってきましたよ。孫がオバァ達連れて電車で、八角部屋が分からなくてやっと着いたのが一時過ぎ。まだ関係者のお別れが先に行われていて一般は二時から。では一般の方並んでと言われて孫が機敏に先頭の方を並んでくれたから助かった。1時間も日当たりの悪いビルの横に並ばされて冷え冷えだったけど、後からきた人が
    ビル囲んで並んでたよ。やっと記帳してから中入れたけど、菊の花をもらいステキな着物きた大きな北の富士さんに花を捧げて拝んで、戒名もあったけどゆっくり読めなかった。
    写真はステキな菅平だったよ。
    お礼いってきた。
    でも北の富士さんの会にしては中に入っても急場作りでビニールみたいのひいてテープでとめて係の人が段差ありますからとかすべるからとかで、もう少しちゃんとしたお別れ会の方がと思ったし並んでいる時みんな話していたよ。
    琴櫻、親方になれなくて今はタレントの名前いまど忘れ、横野礼子さん、私達が見たのはそれだけだった。
    今体冷え切ってしまったので駅の近くで温かい飲み物飲んで帰る。
    孫に感謝だね。
    寂しいけど北の富士さんおくれてよかった。ありがとう北の富士さん!

  • 投稿者:KON

    追悼
    北の富士さんヒストリー
    を もう一度 #27

    ◇横綱同時昇進
    横綱同時昇進は過去に5例。

    1例目
    江戸時代(寛政)
    第四代横綱 2代目 谷風 梶之助・第五代横綱 小野川 喜三郎

    2例目
    明治時代
    第十九代横綱 常陸山 谷右衛門・第二十代横綱 2代目 梅ケ谷 藤太郎

    3例目(戦時中)
    第三十七代横綱 安藝ノ海 節男・第三十八代横綱 照國 萬蔵

    4例目
    昭和(戦後)
    第四十七代横綱 柏戸 剛・第四十八代横綱 大鵬 幸喜

    5例目
    昭和
    第五十一代横綱 玉の海(玉乃島) 正洋・第五十二代横綱 北の富士 勝昭

    〖同時昇進横綱の代数は先に引退した力士が若い代数となります〗

    昭和以降で見ると、たったの3例で
    1943昭和18年1月場所の安藝ノ海と照國、
    次いで1961昭和36年11月場所の柏戸と大鵬、
    そして1970昭和45年3月場所 の玉の海と北の富士

    なんと平成以降は全くなし。
    玉の海と北の富士の最後の横綱同時昇進から、もう54年が過ぎています。
    “横綱同時昇進”といのは まったくレアなこととなりました。

    #28へつづく

  • 投稿者:KON

    追悼
    北の富士さんヒストリー
    をもう一度 #26

    ◆昇進見送り 
    1969年九州場所で2度目の優勝を飾り、協会は横綱審議委員会に北の富士の横綱昇進を諮問したが、「大関在位期間の成績に安定感がない」と判断され 横審に却下されてしまいました。
    翌1970昭和45年初場所は 千秋楽に玉の海に負けはしましたが、優勝決定戦で雪辱して2場所連続優勝を果たしました。
    “2場所連続優勝”ながら、「北の富士に関しては 常日頃の品行に問題あり」と ここでも異議が挙がりました。
    「大関昇進の時も、全く星が足りなかったが お情けで大関にしたようなもの。横幅昇進はその分厳しめに!」などと一部審議委員が言い出す始末。
    ひとり大関を避ける為という協会都合で昇進させておいたのに、なんという ご都合主義でしょう。
    大関での負け越し回数も問題視されましたが、それよりも大関在位期間中の歌手活動に精を出す北の富士に 明治・大正生まればかりの旧態依然とした横審メンバーにとって どうしても気に入らない。“No”の理由が次から次へと出るわ出るわ。
    逆に、優勝はしていないが安定感もあり“力士の鑑(かがみ)”のような品行方正ぶりの玉の海のほうがすんなり横綱への推挙が決まり、問題は北の富士。
    長い協議の末
    「まあ2場所連続優勝は無視できない」と賛成者がギリギリ過半数を超え、“反対少数”により 北の富士は玉の海と同時昇進でついに52代横綱となりました。

    #27 へ つづく

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