大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,652件 』

  • 投稿者:KON

    追悼
    北の富士さんヒストリー
    をもう一度 #44

    ◆区切り

    「師匠は50歳まで」という持論を有言実行し、1992平成4年には現役を引退していた千代の富士に九重部屋をあっさり譲り、部屋付きの陣幕親方となりましたが、93年に北勝海が八角部屋で独立するとそちら(八角部屋)へ移籍。
    引退後には現役時の最高体重(136kg)から40kgも減量して周囲を驚かせ、他の太った親方衆とは全く異なるシルエットの北の富士さん。
    相撲では弱点とされた腰高の原因だった脚の長さも スーツ姿や革ジャン姿では なおさら映える格好良さ。
    颯爽と歩く 185cmのスリムな九重親方の回りにはいつも取材陣のカメラと女性ファンが群がっていました。特に相撲番として報道各社から派遣されてくる女性記者たちは現役力士そっちのけで北の富士さんを追い掛けて取材しまくってました。
    1986年からは協会の理事に就任して審判部長、94年は新設広報部長など6期12年務め、そろそろ理事長候補とも言われた北の富士さんでしたが、1998平成10年に高砂一門の会合で理事候補から外されると あっさりと相撲協会を退職した。
    春場所から 元大関経験者以上では初のNHK解説者となった北の富士さん。

    つづく

  • 投稿者:オバァ

    あれーラジオききのがしたよ!
    残念だよ。
    昨日は仲間と新年会。
    毎年人数が減ってくるわ。
    一番相撲に詳しい人が身内に迷惑かけたくないと施設に自発的に入る。
    足以外はしゃんとしてるんだけどね。
    寂しいよ。
    今回は名前忘れないで書くよ。一つ気になるのは
    Yさんはどうしたんだろう。
    気にかけてるんだけどね。

  • 投稿者:KON

    つづき

    千代の富士がまだ 本名の苗字に「大」をつけた “大秋元”という四股名だった新弟子時代に「目付きがオオカミに似ている」と “ウルフ”のニックネームをつけた名付け親でもある北の富士さん。
    千代の富士の立ち合いからの一気の攻めを磨く為に押し相撲の保志を噛ませ犬のように向かわせ、三年間以上も三番稽古を連日50番以上を取らせたことで保志の実力も引き上げられたことは勿論、千代の富士も当初苦手だった押し相撲力士を苦にしなくなる相乗効果となりました。
    北勝海との2横綱で弟子の優勝として39回の当時大相撲史上最多記録。

    1985昭和60年秋場所の千代の富士の優勝から1987年春場所の北勝海の優勝まで、九重部屋による同一部屋10連覇(大正時代に黄金時代を築いた出羽ノ海部屋と並ぶ 史上1位タイ)も達成。

    当時の春日野理事長(元横綱栃錦)がインタビューで
    幕内最高優勝者に贈られる「全農賞」の副賞である お米30俵について、「オレが農協さん(JA全国農業協同組合)に頭を下げてもらってきたのに、ウチの部屋には米俵の山が一度も来ない。いつも九重部屋に持っていかれるんだから情けない。九重部屋では米を買ったことがないっていうじゃないか!?」と不満を言い出したほど、当時の九重部屋の台所は潤ってました。

    #44 へ つづく

  • 投稿者:KON

    追悼
    北の富士さんヒストリー
    を もう一度 #43

    ◆九重部屋の繁栄

    二人の横綱を育て上げた名伯楽 北の富士さん

    北の富士さん自身は (大正から昭和の)常ノ花寛市・
    (戦前から終戦までの)双葉山定次・
    そして戦後の大鵬幸喜に次ぐ 
    当時、歴代3位タイとなる10度の幕内優勝を飾り、1974年に引退。
    先代から九重部屋を継承し、千代の富士、北勝海の両横綱を育てたのは御承知のとおり。

    北の富士さん自身は現役引退後、1974昭和49年9月に井筒部屋として独立、77年11月に九重親方が死去し、合併の形で九重部屋を継いだ北の富士さん。
    関取を9人も育てたのも特筆すべきことでしたが、特に、
    大師匠千代の山と同じ北海道の福島町出身の弟弟子の千代の富士を「体格で勝る相手に対して 小兵なのに肩の脱臼につながる強引な上手投げ主体の粗っぽい相撲」から一変させ、毎日毎日腕立て伏せを千回やることを義務付け、脱臼癖の両肩に筋肉の鎧を纏わせた北の富士さん(二代九重親方)は、さらに
    “自分が対戦していちばん怖かった柏戸さんばり”の「立ち合いにグイっと踏み込んですぐに左前みつを取り 一気に前へ出る速攻相撲」に変身させて “小さな大横綱”にまで育て上げました。

    つづく

  • 投稿者:KON

    北の富士勝昭関 

    優勝ミニ額 大相撲ミニ額 大相撲優勝額 昭和45年7月場所 優勝 横綱 北の富士勝昭関(5回目の優勝)優勝記念品 相撲グッズ 力士グッズ 相撲取りグッズ 国技館 限定品 記念品 コレクション 写真 S4507
    大相撲優勝ミニ額 
    21,980円
    送料無料

    昭和45(1970)年7月場所で優勝した、横綱 北の富士勝昭関の優勝額ミニチュア版です。
    ミニ額の写真は、富士フイルムの高級プリント、写真はアクリルで保護されており、額は木製です。
    ※価格は、消費税、送料込みです。受注生産のため、お客様のお手元に届くのは、お申し込みから約1カ月かかります。

    商品概要:富士フイルムの技術協力により製作された優勝ミニチュア額
    商品サイズ:縦32センチ、横23センチ、厚さ1.5センチ
    素材:木、アクリル等

    当サイトは、毎日新聞グループ子会社、高速オフセットが毎日新聞社から許諾を得て販売しています。
    ※無断転載、転売は固くお断りいたします。
    ※写真提供:毎日新聞社

    【毎日新聞社・大相撲優勝ミニ額について】
    大相撲優勝ミニ額は、両国国技館に掲揚されている幕内優勝力士を顕彰する額(畳5枚分)をそのまま小さくした、毎日新聞社のオリジナル商品です(縦32cm、横23cm)。
    額は各場所が終わるたびに、東京都内のスタジオで撮影します。
    優勝力士の意見も聞きながらセレクトし、富士フイルムの工場で縦3m、横2mを超す大きな写真額に仕上げます。
    優勝額と同じ写真を木製のフレームに収めており、お手元に置くことで優勝の感動を思い起こすことができます。
    本サイトでは、直近の優勝力士のほか、毎日新聞社所蔵の戦後に優勝した力士の額すべてをご注文いただけます。
    なお、受注生産品のため、お申し込みから商品到着まで約1カ月かかります。ご了承ください。商品は宅配便でお届けします……
    とのことですが
    令和7年となった今でも受け付けているのか否か
    要確認です

  • 投稿者:KON

    追悼
    北の富士さんヒストリー
    を もう一度 #42

    盟友玉の海との最後の一番

    14日目に大関・大麒麟を破り、6度目の優勝を決め、千秋楽の横綱・北の富士に勝ち、初の全勝優勝を成し遂げた玉の海。
    この場所、北の富士は8勝と成績は上がらなかったが、玉の海との横綱決戦は3分近い大熱戦となりました。
     立ち合い、突っ張った北の富士が得意の左差しで、右上手を引き、玉の海は上手が取れない。上手まわしをさぐるところを北の富士の左上手投げで防がれる。だが、北の富士の寄りを左からの下手投げを打って残し、上手をつかむ。玉の海は腰を振り北の富士の上手を切ると、一気に寄り切った。

    「初優勝の時と同じようにうれしい。横綱になって初めて地元で迎えた前年(昭和45年)が悪かっただけに、やっと地元のファンに恩返しができた」と語った玉の海は 愛知県蒲郡出身の “キョッポ”(=在日韓国人の子息、韓国語はほとんど喋れない。もちろん国籍は日本)で ご当地場所、前年の名古屋場所では9勝6敗だっただけに、喜びもひとしおだった。

     右四つになると抜群の安定感を誇っていた玉の海は、昭和45年春場所に横綱昇進後、同年秋場所から4場所連続で14勝1敗を挙げるなど、“大横綱の双葉山の再来”との声も上がった。
    ライバルだった北の富士さんは「だいたい右に組み勝つんだけど、それからが大変だったね。上手投げをタイミングよく打ってもしっかり堪えて(こらえて)決めさせてくれなかった。
    足腰が柔らかくて抜群によかった。吊りもうまかったね」と、その強さを振り返った北の富士さんでした。

    #43 へ つづく

  • 投稿者:KON

    今朝8時から 2時間!
    NHKラジオ第一594
    にて

    「ハッキヨイ(発揮よい) もっと大相撲」

    出演
    能町みね子、琴風浩一(元大関・NHK大相撲中継にて北の富士さんの後任解説者)
    司会 吉田賢アナウンサー

    大相撲をもっともっと楽しむための特集番組。
    今回は先日亡くなった北の富士勝昭さんの追悼企画を放送。
    懐かしい音声を紹介し、北の富士さんの思い出を語り合います。
    大相撲をもっともっと楽しむための特集番組。若手力士の活躍で盛り上がる大相撲、2024年の「激アツ取組」を振り返りつつ、2025年の注目力士を大胆予測!恒例、番組から皆さんへの「お年玉」人気力士からの新年メッセージもお伝えします。
    11月に亡くなった北の富士勝昭さんの追悼企画も放送。懐かしい音声、リスナーの皆さんからのメッセージをご紹介し、北の富士さんの思い出を語り合います。

    このコメントの掲載が間に合わず、聴き逃された場合は NHKラジオ聞き逃し配信 というのをスマホから探してみて是非とも聴いてください

  • 投稿者:匿名

    正月にしか会えない友人達と昼のみして今年は観戦に行こうと飲んだ勢いで約束してしまった。
    まぁゆっくり飲めるのは正月位だけど連絡は取れるし手配してくれる奴もいるから待ってよう。
    暖かくなってからかな!
    北の富士氏いないから乗り気ではないが。
    変な時間に寝てしまったから今頃目が覚めてしまった。

  • 投稿者:KON

    つづき
    初めて上京する際に貴重品だった小豆を山ほど持たせてくれた、あの母です。
    奈良では その母の念願の薬師寺へ、私もやっと親孝行ができて嬉しかったです。
    それから京都に行き「吉田山荘」という立派な旅館に宿泊。ロビーのテーブルの上にあった夕刊に、割合に大きな文字で「北の富士に出頭命令」の見出し。
    私は慌てて新聞を隠しました。
    その夜は美味しい京料理を食べ、父と2人で舞妓さんを見に街に出ましたが、本物の舞妓さんには会えずに帰ってきました。
    母は寝ずに待ってました。
    そして私に「おまえも大変だね。でもね 勝昭、新聞は一部だけじゃないんだよ」と言ったのです。
    父と私が舞妓さんを探し京都の夜を彷徨ってる間に、ロビーの新聞ラックから他の新聞を手に取り読んだ母、さぞかし胸を悼めただろうに……
    それでもその言葉だけ言って布団に入り向こう側を向いて寝た母。
    “母は偉いなぁ”とつくづく思いました。
    翌日、早々に帰京し蔵前警察署へ出頭したのは言うまでもありません。
    勿論、しっかり脅されました。
    事情説明なんだから 1、2時間で済むと(例によって)甘い考えで行ったのですが、朝9時に出頭し夕方6時まで9時間も絞られました。
    取り調べの刑事さんは2人。一人は優しそうなおじさんで、もう一人は屈強な怖い顔をした刑事。ドラマと同じだなぁと呑気に構えてたら、その怖い方の刑事がいきなり大声で「オイ、北の富士、ここはな こそドロから 大臣まで泣くところだっ!!」。
    生来 気が弱い私は一辺に縮み上がりました。 そしておまけに「お前は横綱になったら土俵入りで “太刀持ち”じゃなく拳銃でも持たせるのか?」。
    これにはムカッとしました。
    すると “全部ゲロしたら早く帰してやるよ” と言われたので素直に全て話しました。取り調べが終わり出羽海部屋のマネジャーが迎えに来てくれた時は嬉しかったです。
    二度と悪いことはしないと心に誓いました。

    後のコラムやテレビでの解説で
    『私はねぇ、今でこそ偉そうにテレビで力士たちに注文ばかり言っているが、私ほど現役時代に協会に迷惑をかけた奴はいないでしょう。』
    と幾度も語っていましたね。
    #42 へ つづく

  • 投稿者:KON

    追悼
    北の富士さんヒストリー
    をもう一度 #41

    ◇拳銃所持事件の真相を語る北の富士さん

    2020年6月6日の中日スポーツ『北の富士コラム』にて

    大鵬さんは手先が器用でしたから解体して額に収めていたらしいです。柏戸さんは始末に困って隅田川に捨てたと自白しています。
    警察が大勢で柏戸さんと川ざらいをしていました。とうとうピストルは出てきませんでした。 出羽海親方(元幕内出羽ノ花)に私は「おまえは大丈夫か」と聞かれました。飛び上がるくらいびっくりしました。実は私も持っていたのです。ウソはつけませんので、正直に白状しました。実は部屋に出入りしていたタニマチの女性にもらった物です。ある日、その女性が稽古と食事を終えて休んでいる自分に「私、フランスに旅行するけど、お土産は何がいい」と聞くので、ふざけてピストルと伝えましたが、本当に冗談のつもりでした。
    10日ほどして、その女性が部屋にきて「ハイ、お土産」と言って、包みをくれました。昼寝して起きてから開けてみるとピストルだったのです。驚きました。本物を見るのは初めてです。2、3日は自分の箪笥にしまっていましたが、不安になり九重親方(元横綱千代の山)に預けておりました…と、正直に出羽海親方に申し上げました。
    すでに持ち帰った拳銃を暴力団関係者に売却していた “主犯の?” 若羽黒が逮捕されていたこともあり、出羽海親方はすぐに手を打ったようで 部屋付きの九重親方(元千代の山)は速やかに “私が預けた”拳銃一丁と実弾5発を持って所轄警察署へ出頭。どのような手を打ったのかは知りません。私は根がバカで世間知らずでしたから、“自分でピストルを買ったわけでもないのだから これで一件落着”と思い込んでいました。

    呑気なもので 私は、かねて母が奈良の薬師寺に行きたい、父が京都の舞妓さんが見たいと言っていたので、騒動が片付いてないのに関西方面へ旅行に行きました。

    つづく

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