大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,726件 』

  • 投稿者:KON

    六日目
    横綱大関の四人が総崩れ!!

    相撲内容が全く改善されない正代、
    絶好調玉鷲に呑まれていた貴景勝、
    「僕の辞書にカド番なんてない!」と豪語しているカド番御嶽海。大口を叩くのは勝手だが、負けた後にきちんと礼をしない最低の力士ですねえ。
    クセ者の宇良の低さとしつこさを意識し過ぎて墓穴を掘った照ノ富士。
    その結び、横綱戦で最後に宇良が攻めていく際に、行司の伊之助が向こう正面の俵の近く、テレビ画面で向かって左奥に居たのに、照ノ富士が後退りする際に、わざわざ照ノ富士の後ろ(土俵の内側の狭いところ)を通って右奥側へ移動しようとして、危うく照ノ富士にぶつかるところでした。あれでぶつかっていたら照ノ富士は残せていたでしょう。相変わらず、力士の動きを全く読めない立行司。
    なんとも情けない六日目の幕内後半の土俵でした。
    北の富士さん
    明朝のコラムや明日のテレビ解説でなんと論じますか?

  • 投稿者:匿名

    玉鷲強いな!
    このままいくんじゃないか。
    勢いがあるものな。
    正代、御嶽海アーアだな。
    妖精さん服装の趣味悪いな。
    髪型も良くないし、かなり年とみたが!
    余計な事か!
    さぁ照ノ富士だ!
    宇良勝っちゃった。やったー

  • 投稿者:匿名

    首に致命傷がある貴景勝は現状なりふり構わず勝つしか無いわけで上品な相撲で負けても、大関陥落しても誰も助けてくれるわけではない。いつも顔をしかめて取ってるが30才迄持たないのでは。琴ノ若は先場所も張り倒されてるのだからもっと工夫しないといかんのでは。どのお相撲さんも食うために生き残るため必死に戦っているだから。

  • 投稿者:KON

    北の富士さん 正代を酷評

    大関維持も危うかった大関が、急にやる気になった言葉

    大関陥落してから横綱にまでなった三重ノ海

    足首捻挫により、新大関から在位3場所目で大関から陥落、大関特例復帰を果たすも、大関へ復活後、1976年9月から1977年11月の8場所の間は、2桁勝利すら挙げられず大関角番を2回(通算3回)経験した。「大関として活躍しなければならないという気持ちが強すぎた」と語っていたほど不振を極め、復帰を懸けていた1976年7月場所は「家族にすら伝えてなかったけど、駄目なら引退しようとまで思った」という。
    それでも大関復帰を懸けている時期に「お前の相撲は、オレが一番よく知っている。もうダメだと思ったら、オレが引導を渡す。今はまだ大丈夫だ。頑張れ」と8代出羽海親方(元出羽ノ花)から励ましを受けたことでやる気を取り戻し、横綱にまでたどり着いたという。

    北の富士
    出羽海部屋から独立した千代の山についていき、九重部屋の部屋頭となった為、出羽錦や佐田の山などの出羽海部屋当時の怖い兄弟子がいなくなったことから遊び放題になり、後述の初優勝を決めてからは さらに遊びが激しくなったと、2016年の自著で語っているほど。初の綱獲りが期待された1967年5月場所は、過度の緊張と稽古不足から5勝10敗、次の1967年7月場所も7勝8敗と、大関の地位で2場所連続で負け越し。初の大関角番は10勝5敗で角番を脱した。しかし、その後もしばらくは10勝前後の成績に留まって、いつの間にか、万年大関との謗り(そしり)を受けていた。
    転機が訪れたのは、1969年夏、入門するまで1ヶ月間自宅に引き取って面倒を見てくれた人物である村上精一郎が脳軟化症で余命幾許もない(同年12月14日に死去)という状況があり、村上氏からは「お前が綱を張ることを信じている」と激励されたことで、大嫌いな稽古に積極的になり、秋場所で準優勝、九州場所では優勝を果たし、横綱審議会に横綱昇進を諮問されたが、一人横綱大鵬の衰えも顕著だったにも関わらず、稽古嫌い・気分屋と悪評が強く、横審において前代未聞の「全員反対」で昇進は却下されてしまった。
    それでも、めげなかった北の富士は九州場所後の冬巡業で、寒波襲来により連日寒風が吹き荒れる九州各地の屋外巡業で、寒さに強い道産子大関、それも日本の最低気温の記録(-41度)が残る 旭川で生まれ育った北の富士は1日も休まず土俵にあがり続け、大鵬まで「あれが本当に北の富士なのか?と目を疑った」と話していたほどの変身ぶりを見せ、翌年初場所でも優勝し、無事、横綱昇進。なんだかんだ言われながら、双葉山・大鵬に次ぐ “幕内優勝10回” .“全勝優勝3回”の 強い横綱となったのでした。

    正代も、
    お叱りや苦言を避けてばかりいないで、
    誰か キーパーソンとなる人に
    熱い叱咤・激励をしてもらえば、そしてそれを真に肝に銘じれば、変身できるのでは?

    と北の富士さんも私も願っています。

  • 投稿者:KON

    不甲斐ない大関ワースト10

    大関・正代が琴ノ若に押し出され、二日目から4連敗になった。五日目での1勝4敗は4場所連続。
    これは大相撲記録となってしまいました。

    過去、不振が目立った大関としては、
    怪我に泣いて4場所で大関から陥落、再び大関復帰を果たしたが3場所で再度関脇へ陥落。その後、平幕で二度敢闘賞を受賞し、『涙の敢斗賞』と題した映画にもなった名寄岩ですら、五日目で4敗は1度きり。
    ほかには
    琴ヶ濱が3度、北葉山が2度、前乃山が1度、2回の大関陥落を経験した魁傑も序盤四敗は1度。
    大関として勝率.500と低迷してた“本業は歌手?”の増位山は五日目で四敗は1度もなし。
    新入幕の翌年に大関になり、(あっという間に)その翌年に陥落した雅山ですら1度。
    “最多カド番”の記録保持者である千代大海が3度、
    大関在位最多の65場所を誇る魁皇にしても五日目までに四敗は2度。

    そして、後に横綱に昇進したものの 大関時代に五日目で四敗したことがあったのが、三重ノ海と日馬富士。

    以上、不成績があった大関10人を列挙しましたが、複数回あった大関も、ふた場所連続で五日目までに四敗した大関は正代以外にはいません。

    そういう意味では、正代は、前人未到の記録を更新中……とも言えます。

    1度、故郷熊本へ1週間ぐらい帰って、地元の後援者たちに、こっぴどく叱られながら、改善策を提案してくれる熱い意見をしっかり聴いて、工夫すべき稽古に採り入れて欲しいですねえ。
    玉鷲を見たって、正代なんて、まだまだ老け込む年ではない。

  • 投稿者:KON

    “令和の鉄人”玉鷲
    横綱照ノ富士を正攻法で圧倒! 

    37歳9カ月での金星は昭和以降で史上4位。(1位は昭和15年1月場所での大潮清治郎;対男女ノ川)

    同一横綱からの4場所連続金星獲得は大相撲新記録。
    (過去に3場所連続が、山錦;対宮城山、 盾甲;対男女ノ川、 鳴門海;対鏡里、 大豪;対栃ノ海 )

    そして、連続出場の鉄人記録
    1位 青葉城幸雄 1630回 最高位関脇
    2位 富士櫻栄守 1543回 関脇
    3位 貴闘力忠茂 1456回 関脇
    4位 玉鷲一朗 1454回 関脇
    5位 高見山大五郎 1425回 関脇
    6位 大竜川一男 1367回 前頭筆頭
    7位 寺尾常史 1359回 関脇
    8位 黒姫山秀男 1327回 関脇
    9位 三杉里公似 1324回 小結  
    10位 豊ノ海真二 1316回 前頭筆頭

    なお、横綱となった力士としてのトップ3は、
    (関取に上がる前から休まず出場していた)
    北の湖  863回、
    稀勢の里 824回、
    白鵬   767回。

    横綱在位中の連続出場記録では、北の湖・白鵬に続くのは

    3位 2代若乃花幹士 246回
    4位 大鵬幸喜  244回
    5位 朝青龍明徳 242回
    6位 輪島大士  226回
    7位 柏戸剛   217回
    8位 北勝海信芳 210回

    9位 初代若乃花幹士 167回
    10位 貴乃花光司 165回

    年間90日として、連続出場180回で『丸2年間休みなし』ということになります

  • 投稿者:KON

    馬刺しを食べたい北の富士さん
    正代を酷評しながら応援もする?

    『五日目の土俵も波乱が起きた。
    正代が負けたのは弱いから負けているだけで、取り立てて波乱、番狂わせとは言わない。
    照ノ富士も玉鷲の押しにいいところなく敗れたが、ある程度は予想されていたので驚くにはあたらないが、一応大関、横綱が負けたとあって場内は騒然となった。
    正代は無気力そのもので先場所のような立ち直りは、期待はとても無理だろう。
    照ノ富士は相当に体調が悪いようだ。
    残りの10日間、果たして体が持つか心配である。
    正代は六日目の相手は明生。今の正代には、明生の当たりはとても受けきれまい。

    両力士とも場所後にそれぞれ昇進パーティーを控えているし、負け越しや休場はとても許されない状況になってしまった。
    他人ごとながら同情を禁じ得ない。
    私も招待状をいただいているので楽しみにしていたが、心配になってきた。
    何とか2人の奮起を願うばかりである。
    特に正代には何とか勝ち越してほしいのだ。
    熊本ラーメンは届いたが、馬刺しが遅れている。
    おまえさんが負け続けると私の食生活も苦しくなる。
    もし勝ち越したら私も祝儀を奮発しようではないか。』

    ・・・正代には元々期待していた北の富士さん。目をかけていたからこその叱咤激励なのでしょうが、
    正代の奮起に期待してるのか、単に熊本の知り合いから馬刺しを食べたいだけなのか
    よくわからない今朝のコラムでした。

    今日(六日目)は、解説の仕事は休みで、明日の土曜日(七日目)に、テレビ中継で解説されます。

  • 投稿者:KON

    正代の相撲は、お話になりませんね。
    それよりも玉鷲!
    照ノ富士を圧倒して勝利。自身7個目の金星。
    これで照ノ富士に 10勝11敗。
    特に、照ノ富士が復活してきて横綱になってからの対戦成績が5勝2敗。
    身体負けしてない上に、突き押しの攻めが強いから
    圧倒して勝利することが多いです。
    来場所以降も自信満々であたっていくてしょうね。

  • 投稿者:KON

    宇良関の「伝え反り」
    完璧でした。
    20年前の朝青龍が貴ノ浪戦以来とのことですが、当時の映像をもう一度YouTubeで視ましたが、その時のは、左差しを許して正面土俵際に詰まった朝青龍が貴ノ浪のその左かいなの下というか左脇の下をくぐって逃げ、相手がいなくなった貴ノ浪花が審判長の目の前にばったり倒れた。
    反ってもいなかった朝青龍でしたが、ばったり倒れた貴ノ浪を突き落としたわけでも はたいたわけでもない。決まり手に困った審判部が「伝え反り」を充てたようでした。
    しかし、昨日のは、「撞木反り(しゅもくぞり)」一歩手前の形で宇良がレスリング仕込みの脚力で後ろへ反って宝富士を土俵に這わせたので、完璧な「伝え反り」でした。
    お見事!

  • 投稿者:SAI

    宇良さんが伝え反りを決めました!
    幕内では朝青龍以来だと聞くと
    「それは嬉しいですね」と喜んで
    どんなに鍛えて強くなっても
    人の子なんだと思いました?
    これからも頑張って下さい♪

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