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すいません選士権賞ではなく 選士権章でした! 話は変わりますが国体が始まりました! 今年は栃木県です 相撲の成年(社会人・大学生)は 日体大の中村選手が新潟県代表で 個人と団体(国体成年は三人制)で優勝♪ レスリングの成年男子は 闘魂クラブの石黒選手が東京都代表で フリースタイル125㎏級で優勝♪ これからも頑張って下さい♪
追記 3日に行なわれ豊昇龍が初優勝した明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権ですが 「名だたる横綱は皆優勝を経験してます」とお伝えしましたが、もちろん、北の富士さんも昭和45年に優勝しています。 そして、大会の観覧をしようと以前に調べたところ 明治神宮崇敬会や日本チャリティー協会の招待客しか入場できないとのことで断念しました。
第79回明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権が3日、東京・両国国技館で行なわれ、関脇・豊昇龍(立浪)が初優勝を飾りました。 平幕・妙義龍、先場所優勝の玉鷲、大関・貴景勝、平幕・高安を下し、決勝へ進んだ豊昇龍は、 決定戦で同じ立浪部屋の明生に、いったんは双差しを許しましたが、明生のすくい投げをこらえると、最後は逆転の小手投げを決めました。 初優勝の豊昇龍は「すごくうれしいです。目標が(達成)できてよかったです」と白い歯を見せてました。 この大会は、第1回大会が1925大正14年に行なわれ、引退したばかりの年寄春日野(現役四股名栃木山)が優勝したのですが、2回目以降は、すべて現役力士が優勝しています。 2回大会の常ノ花・玉錦・男女ノ川……と、ほとんど横綱や大関が優勝を独占。関脇以下が初めて優勝したのは第10回大会での関脇名寄岩。 (昭和以降の名だたる横綱は皆、この大会の優勝経験がありますが、羽黒山・初代若乃花の二人は優勝していません。) 最多優勝は日馬富士の5度。
今年の3月28日に満80歳になられた北の富士勝昭さんの傘寿を祝う「北の富士親方を囲む会」が 1日に都内で開かれ、当時のお弟子さんら約30人が全国から駆けつけました。 挨拶に立った北の富士さんは「みなさんの顔を見たら…、ちょっと…」と涙ぐんだそうです。 「引退してすぐ部屋を持って、みなさんとほんとに、今考えても部屋を持った時は、“どういう弟子を育てようか、おれに育てられるのか”と、責任を強く感じて恐ろしかったが楽しい日々だった」と振り返っていました。 “傘寿”どころか“米寿”・“卒寿”までも楽々いけそうですね。是非、健康に気を付けなから、美食ばかりしてないで、たまには粗食もありで、解説の仕事を続けて欲しいと思います。
ふた場所連続での平幕力士の優勝 先場所の逸ノ城・今場所の玉鷲と、2場所連続での平幕優勝。 1991平成3年名古屋場所の琴富士、同年秋場所の琴錦の佐渡ケ嶽部屋勢が達成して以来で、 年6場所制となった1958昭和33年以降2度目。 今年は関脇以下の幕内制覇が4度目で、1958年以降では3例目。 1972昭和57年は長谷川と輪島が関脇で、栃東と高見山が平幕で賜杯を抱きました。 1992年は貴花田(後の貴乃花)が平幕と小結で優勝し、曙が関脇、水戸泉が平幕で優勝した。 1972年は 柏鵬・北玉時代が終わり、次の貴ノ花・輪島・北の湖・二代目若乃花の時代への転換期。 1992年も 北の湖1強時代・千代の富士1強時代が終わり、曙と若貴兄弟、武蔵丸の時代への転換期でした。 そして今、白鵬1強時代が終えて、次の世代への転換期ではありますが、 「では、誰の時代へ?」と首をかしげます。 “群雄割拠”というより“どんぐりの背比べ”状態。 ここを抜け出すのは果たして…… 若隆景か? 豊昇龍か?
今朝の読売新聞 大相撲特集コラム 『土俵模様』の最終回 高見山大五郎さんの特集です 外国人力士として初優勝した1972昭和47年名古屋場所から、ちょうど50年。 大関の琴櫻と関脇だった貴ノ花に喫した2敗だけの13勝で外国人力士として初優勝した思い出、負ければ貴ノ花との決定戦となってしまう千秋楽の旭國戦で土俵に向かった時、『腰を降ろして当たるんだ』と念じて土俵に上がった……軍配がかえったあとの事はあまり覚えてない。と当時の心境を語りました。 この場所は一人横綱だった北の富士が全休してましたが、3大関・4関脇・2小結、実力者が三役にずらりと並んだ場所でしたが、高見山は、大関清國や関脇の輪島・長谷川・魁傑、小結の金剛、幕内3場所目だった北の湖らを撃破したのでした。 また、最近の各部屋の稽古不足ぶりを指摘。 「自分たちの頃は朝の4時から稽古を始めて昼前まで申し合いやぶつかり稽古で泥だらけになって可愛がられた。自分が東関部屋を持った頃でも朝6時前には稽古を始めていた。若い力士たちには『俺の1/3も稽古すれば十両に上がれるよ』とよく言いました。 今は8時になっても準備運動すら始まらない部屋もあり、10時には稽古終了だという。呆れてしまうね。」と語った。 今年の夏から元白鵬の宮城野部屋に部屋を貸してますね? と訊かれ、 「僕はビルのオーナーというだけだから、稽古は見ないし顔も出さない」 とのこと。 ジェシー高見山大五郎さん 本名 渡辺大五郎 来日して58年。 再来年の6月16日には80歳になられるという。 お相撲さんのテレビCMの先駆けでしたね。 『2倍2倍!』のマルハチ真綿のコマーシャルや、軽快なステップでのタップダンスを披露した「トランザム」のコマーシャルが懐かしいです。
『 大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,705件 』
戦士権賞でなく、戦士権賞でした???
やっぱり相撲ないとつまらんね。
すいません選士権賞ではなく
選士権章でした!
話は変わりますが国体が始まりました!
今年は栃木県です
相撲の成年(社会人・大学生)は
日体大の中村選手が新潟県代表で
個人と団体(国体成年は三人制)で優勝♪
レスリングの成年男子は
闘魂クラブの石黒選手が東京都代表で
フリースタイル125㎏級で優勝♪
これからも頑張って下さい♪
追記
3日に行なわれ豊昇龍が初優勝した明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権ですが
「名だたる横綱は皆優勝を経験してます」とお伝えしましたが、もちろん、北の富士さんも昭和45年に優勝しています。
そして、大会の観覧をしようと以前に調べたところ
明治神宮崇敬会や日本チャリティー協会の招待客しか入場できないとのことで断念しました。
上腕二頭筋に付ける
選士権賞はカッコイイです!
これからも頑張って下さい♪
第79回明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権が3日、東京・両国国技館で行なわれ、関脇・豊昇龍(立浪)が初優勝を飾りました。
平幕・妙義龍、先場所優勝の玉鷲、大関・貴景勝、平幕・高安を下し、決勝へ進んだ豊昇龍は、
決定戦で同じ立浪部屋の明生に、いったんは双差しを許しましたが、明生のすくい投げをこらえると、最後は逆転の小手投げを決めました。
初優勝の豊昇龍は「すごくうれしいです。目標が(達成)できてよかったです」と白い歯を見せてました。
この大会は、第1回大会が1925大正14年に行なわれ、引退したばかりの年寄春日野(現役四股名栃木山)が優勝したのですが、2回目以降は、すべて現役力士が優勝しています。
2回大会の常ノ花・玉錦・男女ノ川……と、ほとんど横綱や大関が優勝を独占。関脇以下が初めて優勝したのは第10回大会での関脇名寄岩。
(昭和以降の名だたる横綱は皆、この大会の優勝経験がありますが、羽黒山・初代若乃花の二人は優勝していません。)
最多優勝は日馬富士の5度。
今年の3月28日に満80歳になられた北の富士勝昭さんの傘寿を祝う「北の富士親方を囲む会」が
1日に都内で開かれ、当時のお弟子さんら約30人が全国から駆けつけました。
挨拶に立った北の富士さんは「みなさんの顔を見たら…、ちょっと…」と涙ぐんだそうです。
「引退してすぐ部屋を持って、みなさんとほんとに、今考えても部屋を持った時は、“どういう弟子を育てようか、おれに育てられるのか”と、責任を強く感じて恐ろしかったが楽しい日々だった」と振り返っていました。
“傘寿”どころか“米寿”・“卒寿”までも楽々いけそうですね。是非、健康に気を付けなから、美食ばかりしてないで、たまには粗食もありで、解説の仕事を続けて欲しいと思います。
本日の番付編成会議で狼雅と對馬洋の新十両を発表。
これにより朝乃若の扱いが気になります。
COVID-19による休場として同地位に据え置くのか、それとも通常の休場扱いにして幕下に落とすのか。
ふた場所連続での平幕力士の優勝
先場所の逸ノ城・今場所の玉鷲と、2場所連続での平幕優勝。
1991平成3年名古屋場所の琴富士、同年秋場所の琴錦の佐渡ケ嶽部屋勢が達成して以来で、
年6場所制となった1958昭和33年以降2度目。
今年は関脇以下の幕内制覇が4度目で、1958年以降では3例目。
1972昭和57年は長谷川と輪島が関脇で、栃東と高見山が平幕で賜杯を抱きました。
1992年は貴花田(後の貴乃花)が平幕と小結で優勝し、曙が関脇、水戸泉が平幕で優勝した。
1972年は
柏鵬・北玉時代が終わり、次の貴ノ花・輪島・北の湖・二代目若乃花の時代への転換期。
1992年も
北の湖1強時代・千代の富士1強時代が終わり、曙と若貴兄弟、武蔵丸の時代への転換期でした。
そして今、白鵬1強時代が終えて、次の世代への転換期ではありますが、
「では、誰の時代へ?」と首をかしげます。
“群雄割拠”というより“どんぐりの背比べ”状態。
ここを抜け出すのは果たして……
若隆景か? 豊昇龍か?
今朝の読売新聞
大相撲特集コラム
『土俵模様』の最終回
高見山大五郎さんの特集です
外国人力士として初優勝した1972昭和47年名古屋場所から、ちょうど50年。
大関の琴櫻と関脇だった貴ノ花に喫した2敗だけの13勝で外国人力士として初優勝した思い出、負ければ貴ノ花との決定戦となってしまう千秋楽の旭國戦で土俵に向かった時、『腰を降ろして当たるんだ』と念じて土俵に上がった……軍配がかえったあとの事はあまり覚えてない。と当時の心境を語りました。
この場所は一人横綱だった北の富士が全休してましたが、3大関・4関脇・2小結、実力者が三役にずらりと並んだ場所でしたが、高見山は、大関清國や関脇の輪島・長谷川・魁傑、小結の金剛、幕内3場所目だった北の湖らを撃破したのでした。
また、最近の各部屋の稽古不足ぶりを指摘。
「自分たちの頃は朝の4時から稽古を始めて昼前まで申し合いやぶつかり稽古で泥だらけになって可愛がられた。自分が東関部屋を持った頃でも朝6時前には稽古を始めていた。若い力士たちには『俺の1/3も稽古すれば十両に上がれるよ』とよく言いました。
今は8時になっても準備運動すら始まらない部屋もあり、10時には稽古終了だという。呆れてしまうね。」と語った。
今年の夏から元白鵬の宮城野部屋に部屋を貸してますね?
と訊かれ、
「僕はビルのオーナーというだけだから、稽古は見ないし顔も出さない」
とのこと。
ジェシー高見山大五郎さん
本名 渡辺大五郎
来日して58年。
再来年の6月16日には80歳になられるという。
お相撲さんのテレビCMの先駆けでしたね。
『2倍2倍!』のマルハチ真綿のコマーシャルや、軽快なステップでのタップダンスを披露した「トランザム」のコマーシャルが懐かしいです。
続き、、あの握力100kgの力で喉輪をされたらみんな逃げてしまうのでは、家族の為にも大関になって大器晩成を果たして貰いたい。