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ラジオで相撲を聴くのをヤメようかな…。 「引き落としぃィっ‼︎ 引き落として鳳凰の勝ちっ!」 と、実況がシャウト。 「鳳凰…久しぶりに聞く四股名だ。近年、襲名した力士がいるんだな」 などと思った10秒後に「王鵬かな?」と自答。 勘違いするわ、耳の調子はおかしいわのWショック…ヤダやだ。 鳳凰は「四股名」くらいにしか特徴のない力士だったかな。 実況アナも「エレベーター力士の鳳凰」とか言えないから「重い腰の鳳凰」を連呼してたな。 …亡くなっていたんだね。
KONさん、相変わらずの博識でお元気そうで安心しました。 杉山アナも観戦されているのが、テレビに映る時があり これまたお元気そうで嬉しいです。 若隆景、今日は膝がついてしまったのですね。 なかなか勝てないときは厳しいですね。 でも凹まずに頑張って欲しいです! 北の富士さんの渋い声を早く聴きたいですが ご高齢ですから、ゆっくり休んでも欲しいです。
【春場所 伝説の8番】 <1>北の富士、 師匠・九重親方の分家騒動乗り越え初V…因縁佐田の山を破る 大相撲応援企画「伝説の8番」は春(3月)場所を振り返る。初回は1967昭和42年、大関・北の富士(後の横綱)の初優勝。 場所前、九重親方(元横綱・千代の山)が出羽海部屋から分家独立する騒動が起き、北の富士は行動をともにした。渦中の大関は優勝争いを展開。十四日目、兄弟子だった横綱・佐田の山と対戦することになった。 67年1月31日、名門・出羽海部屋から九重親方(元横綱千代の山)が、北の富士ら弟子10人を連れて独立した。 当時、同部屋は分家独立を認めておらず、年寄・九重は破門された。有力視されていた部屋の継承が絶望的となり、行動を起こした末の大騒動だった。 独立問題で稽古相手をなくした北の富士は、大阪入りしてから二所ノ関部屋へ出稽古。6連覇中の横綱・大鵬の胸を借りた。出羽海部屋時代にはなかったことで、これが快進撃につながった。 初日から12連勝。 十三日目は優勝を争う横綱大鵬に敗れ、12勝1敗で並んだ。 「新弟子みたいな相撲だった」と完敗に険しい顔をみせた。 十四日目はついに、出羽海部屋の横綱・佐田の山との“兄弟弟子対決”を迎えた。 大鵬が柏戸の怒涛の寄りに一方的に敗れ、2敗目を喫した後の結びの一番。 北の富士は土俵際に寄ったが、佐田の山は右へのうっちゃり。軍配は北の富士に上がったが、物言いがつき、取り直しに。再度の立ち合い、左へ変化した北の富士は、続けざまに肩すかし。左を差し、右上手を取ると前に出た。「夢見ているようだった。仕切っていても、今は稽古かなあ、なんて思っちゃってボーッとしていた」と複雑な思いを口にした。 勝てば初Vの決まる千秋楽。 横綱柏戸との大一番を控えた花道で、北の富士は突然後ろから声をかけられた。 「しっかりやれよ」。 振り返ると笑顔の佐田の山がいた。 「はい」。涙がこぼれそうな北の富士に、佐田の山は「やれよ、な」と優しく言葉を重ねた。 独立以来、絶交状態だったが、苦楽をともにしてきた2人しか分からない時間だった。 低く出てくる柏戸に対し、鮮やかな左からの肩すかし。苦難を乗り越えての初賜杯に、北の富士はこみ上げるものをこらえ切れなかった。 その祝福の輪の外では、独立に際して出羽海一門の重鎮たちから罵詈雑言を言われ一門を追い出されるという地獄を味わった九重親方も体を震わせ、泣いていた。 ◆北の富士 勝昭(きたのふじ・かつあき) 本名・竹沢勝昭。1942年3月28日、北海道旭川市出身。80歳。 1957年初、 初土俵。 1964年初、 新入幕。 1974年名古屋、引退。 最高位は横綱。 通算786勝427敗69休。 得意は左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。 優勝10回。全勝優勝3回。 現役引退後は井筒親方を経て九重親方として、横綱・千代の富士・北勝海らを育成し、九重部屋力士による昭和61年から62年にかけて千代の富士と北勝海の2人で10連覇=歴代1位タイ(1917年春場所から1921年夏場所《当時年2場所制》までの出羽海10連覇《栃木山5回、大錦4回、常ノ花1回》に並ぶ)、63年から平成元年にかけても9連覇と栄華を極めました。 部屋別優勝回数もトップの51回。 ピーク時体格 185センチ、135キロ。 1998年3月からNHK専属で幕内取組解説を担当。大関以上の経験者として大相撲解説者を担当した人は、北の富士さんが初めて
自分は変わり者だから、舞の海が無神経に北の富士さんに絡む所が少し好き。実際他の解説者のように完全に恐れ入っていては御大の魅力も引き出せないですから。解説自体にはそれほど感心するところはなく期待はしてません。その上で代役相方が清見潟親方(彼が立候補したわけではないでしょうが)だったから落差が大き過ぎましたね。代役としては逆に舞の海に絡んで行きそうな朝青龍なんかを呼べたら最高ですが、当然表には出せない人ですから無理ですわね。取組解説の観点だけなら端的で意外なほど理詰めな先代高砂が好みでしたが彼もまた残念ながら除外者。明るく良くしゃべる稀勢の里、二所ノ関親方は暇無しで、少しTVのボリュームを上げる必要がある鶴竜あたりの出番が増えたらなあと少し思ってます。以前十両の解説で大受山は重低音が可聴域を超えてずっとボボボボッとしか聞こえなかったのを懐かしく思い出します。今唯一音を消してでも解説を聞きたくないのは金海山で、他の誰でもいいからここは代えてもらいたい。理由に関しては解説内容、態度、自身を棚に上げ度、等全てに不満で苦痛でしかないです。多分御嶽海なんかも部屋付親方である彼の言は何も聞かないだろうなあと想像してます。
北の富士さん入院なさっていたんですね。 子供が遠足で弁当作りで早起き、合間に期待しないでみたらコラムかいてましたよ。 体調だったんですね。 入院なさっていて元気そうは変ですが紙面上は元気でほっとしました。 原因が分かれば一日も早く元気にと願えますからね。 よかった、早起きは三文の得!の朝です。 早く良くなってほしいです。
早速初日の舞の海、正代に対する解説が失礼過ぎると炎上してると、大体小結当たりがうーんとか言って偉そうに解説するのが嫌だよ! そういう意見がたくさんあるのも事実! 北の富士氏の代わりにはならんよ。 アー今場所は興味がなくなった。
『 大相撲のコメント部屋 へのコメント 2,166件 』
今日のラジオ中継のアナウンサーは高木アナですね。
まだ大相撲中継歴が短いとはいえ、酷すぎましたね
ラジオで相撲を聴くのをヤメようかな…。
「引き落としぃィっ‼︎ 引き落として鳳凰の勝ちっ!」
と、実況がシャウト。
「鳳凰…久しぶりに聞く四股名だ。近年、襲名した力士がいるんだな」
などと思った10秒後に「王鵬かな?」と自答。
勘違いするわ、耳の調子はおかしいわのWショック…ヤダやだ。
鳳凰は「四股名」くらいにしか特徴のない力士だったかな。
実況アナも「エレベーター力士の鳳凰」とか言えないから「重い腰の鳳凰」を連呼してたな。
…亡くなっていたんだね。
お久しぶりです、keichanさん。
お元気そうで、よかったです。
KONさん、相変わらずの博識でお元気そうで安心しました。
杉山アナも観戦されているのが、テレビに映る時があり
これまたお元気そうで嬉しいです。
若隆景、今日は膝がついてしまったのですね。
なかなか勝てないときは厳しいですね。
でも凹まずに頑張って欲しいです!
北の富士さんの渋い声を早く聴きたいですが
ご高齢ですから、ゆっくり休んでも欲しいです。
北の富士氏早く良くなってほしいものだね。
今場所は誰が賜杯抱くのかまったく分からんね!
荒れる大阪かな!
今日は相撲から野球のゴールデンリレーだから早めに帰り準備OK。
楽しみだ。
【春場所 伝説の8番】
<1>北の富士、
師匠・九重親方の分家騒動乗り越え初V…因縁佐田の山を破る
大相撲応援企画「伝説の8番」は春(3月)場所を振り返る。初回は1967昭和42年、大関・北の富士(後の横綱)の初優勝。
場所前、九重親方(元横綱・千代の山)が出羽海部屋から分家独立する騒動が起き、北の富士は行動をともにした。渦中の大関は優勝争いを展開。十四日目、兄弟子だった横綱・佐田の山と対戦することになった。
67年1月31日、名門・出羽海部屋から九重親方(元横綱千代の山)が、北の富士ら弟子10人を連れて独立した。
当時、同部屋は分家独立を認めておらず、年寄・九重は破門された。有力視されていた部屋の継承が絶望的となり、行動を起こした末の大騒動だった。
独立問題で稽古相手をなくした北の富士は、大阪入りしてから二所ノ関部屋へ出稽古。6連覇中の横綱・大鵬の胸を借りた。出羽海部屋時代にはなかったことで、これが快進撃につながった。
初日から12連勝。
十三日目は優勝を争う横綱大鵬に敗れ、12勝1敗で並んだ。
「新弟子みたいな相撲だった」と完敗に険しい顔をみせた。
十四日目はついに、出羽海部屋の横綱・佐田の山との“兄弟弟子対決”を迎えた。
大鵬が柏戸の怒涛の寄りに一方的に敗れ、2敗目を喫した後の結びの一番。
北の富士は土俵際に寄ったが、佐田の山は右へのうっちゃり。軍配は北の富士に上がったが、物言いがつき、取り直しに。再度の立ち合い、左へ変化した北の富士は、続けざまに肩すかし。左を差し、右上手を取ると前に出た。「夢見ているようだった。仕切っていても、今は稽古かなあ、なんて思っちゃってボーッとしていた」と複雑な思いを口にした。
勝てば初Vの決まる千秋楽。
横綱柏戸との大一番を控えた花道で、北の富士は突然後ろから声をかけられた。
「しっかりやれよ」。
振り返ると笑顔の佐田の山がいた。
「はい」。涙がこぼれそうな北の富士に、佐田の山は「やれよ、な」と優しく言葉を重ねた。
独立以来、絶交状態だったが、苦楽をともにしてきた2人しか分からない時間だった。
低く出てくる柏戸に対し、鮮やかな左からの肩すかし。苦難を乗り越えての初賜杯に、北の富士はこみ上げるものをこらえ切れなかった。
その祝福の輪の外では、独立に際して出羽海一門の重鎮たちから罵詈雑言を言われ一門を追い出されるという地獄を味わった九重親方も体を震わせ、泣いていた。
◆北の富士 勝昭(きたのふじ・かつあき)
本名・竹沢勝昭。1942年3月28日、北海道旭川市出身。80歳。
1957年初、 初土俵。
1964年初、 新入幕。
1974年名古屋、引退。
最高位は横綱。
通算786勝427敗69休。
得意は左四つ、寄り、上手投げ、外掛け。
優勝10回。全勝優勝3回。
現役引退後は井筒親方を経て九重親方として、横綱・千代の富士・北勝海らを育成し、九重部屋力士による昭和61年から62年にかけて千代の富士と北勝海の2人で10連覇=歴代1位タイ(1917年春場所から1921年夏場所《当時年2場所制》までの出羽海10連覇《栃木山5回、大錦4回、常ノ花1回》に並ぶ)、63年から平成元年にかけても9連覇と栄華を極めました。
部屋別優勝回数もトップの51回。
ピーク時体格 185センチ、135キロ。
1998年3月からNHK専属で幕内取組解説を担当。大関以上の経験者として大相撲解説者を担当した人は、北の富士さんが初めて
ほんとだ!コラム載っていたね。
原因が分かれば一日も早く良くなってほしい。
アーほっとした。
嬉しいよ。
自分は変わり者だから、舞の海が無神経に北の富士さんに絡む所が少し好き。実際他の解説者のように完全に恐れ入っていては御大の魅力も引き出せないですから。解説自体にはそれほど感心するところはなく期待はしてません。その上で代役相方が清見潟親方(彼が立候補したわけではないでしょうが)だったから落差が大き過ぎましたね。代役としては逆に舞の海に絡んで行きそうな朝青龍なんかを呼べたら最高ですが、当然表には出せない人ですから無理ですわね。取組解説の観点だけなら端的で意外なほど理詰めな先代高砂が好みでしたが彼もまた残念ながら除外者。明るく良くしゃべる稀勢の里、二所ノ関親方は暇無しで、少しTVのボリュームを上げる必要がある鶴竜あたりの出番が増えたらなあと少し思ってます。以前十両の解説で大受山は重低音が可聴域を超えてずっとボボボボッとしか聞こえなかったのを懐かしく思い出します。今唯一音を消してでも解説を聞きたくないのは金海山で、他の誰でもいいからここは代えてもらいたい。理由に関しては解説内容、態度、自身を棚に上げ度、等全てに不満で苦痛でしかないです。多分御嶽海なんかも部屋付親方である彼の言は何も聞かないだろうなあと想像してます。
北の富士さん入院なさっていたんですね。
子供が遠足で弁当作りで早起き、合間に期待しないでみたらコラムかいてましたよ。
体調だったんですね。
入院なさっていて元気そうは変ですが紙面上は元気でほっとしました。
原因が分かれば一日も早く元気にと願えますからね。
よかった、早起きは三文の得!の朝です。
早く良くなってほしいです。
早速初日の舞の海、正代に対する解説が失礼過ぎると炎上してると、大体小結当たりがうーんとか言って偉そうに解説するのが嫌だよ!
そういう意見がたくさんあるのも事実!
北の富士氏の代わりにはならんよ。
アー今場所は興味がなくなった。