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初日と二日目を終えて、貴景勝や若隆景、高安や正代に苦言を呈すコメントをコラムに書いた北の富士さん。 締めには……今日は成人式。私も何とか20歳までに十両昇進を目指し、懸命に頑張っていたがついに果たせずに悔し涙を流したことを思い出します。こんな私にも純な青春時代があったのです。 そんな私も今年は81歳になります。人生は長いようで短い。若い力士諸君も悔いを残すことなく努力してもらいたい。 何だか説教じみたことを言ってしまった。 すみません。俺らしくもない。腹が減りました。飯食って寝ます。 ・・・ ・・・中学卒業を目前にして千代の山さんを慕って上京してきたのが1956昭和31年の年末。早生まれの竹澤勝昭さん(後の北の富士さん)が14歳と9ヶ月でした。 体重不足で新弟子検査は不合格。できたばかりの制度「自費養成力士制度」という救済措置により前相撲には進めたが、同期の中では(同じく太れない)竜虎と二人だけ、出世が遅かった。 入門したばかりの昭和32年3月に部屋の親方(出羽海親方=当時の理事長)が協会の不透明経理問題を国会に呼ばれたのを病気を理由に欠席、協会理事長室で割腹自殺を図り、命は取りとめたものの、名門出羽の海部屋存続の危機となっていた。 しかし後任の出羽の花親方による指導で伸び伸び稽古できたことから、二十歳を過ぎた昭和38年の春場所でようやく十両昇進を果たし、十両5場所目では15戦全勝で十両優勝。翌場所の新入幕場所(昭和39年初場所)では、13勝2敗の準優勝。この13勝は “新入幕力士の最多勝利” 記録で未だに破られていません。 幕内に上がっても大勝ちしたことから “上も こんなもんか”となめてしまい、稽古を疎かにして夜の歓楽街へ足を運ぶようになり、幕内2場所目は中盤から10連敗するなど散々な成績で終わった北の富士さん。 歌手デビューして「夜のヒットスタジオ」に出演しまくったり“問題児”のそしりをうけましたが、2場所連続優勝して横綱に昇進して盟友玉の海とともに“北玉時代”を担って、“栃若時代” “柏鵬時代”のあとの角界の屋台骨となり、優勝10回は当時双葉山・大鵬に次ぐ歴代3位(優勝制度が確立された明治42年以降)、現在でも歴代11位タイ。 全勝優勝3度も、太刀山・双葉山・大鵬に次ぐ4位だった。 そして、九重親方となってからは、千代の富士と北勝海の二人を横綱に育て“部屋別優勝回数”では、第一位となりました。 現在では出羽海部屋に並ばれているが九重部屋の52回もの優勝は 未だに歴代1位を保っている大記録です。
勢関といえば 平成27年1月、国技館での稽古総見観覧のあと、両国駅前の相撲茶屋 “はなの舞” で飲食してる際に 勢関が入店してきたので、頃合いをみて、持ってきていた色紙を携えて近寄って挨拶し、 「関取、また怪物退治を期待してます」と言ったら『任せといて』とおっしゃってサインを頂きました。 直近の東京場所で新入幕の逸ノ城が初日から6連勝、怪物ぶりをみせていた巨躯逸ノ城を勢が上手投げで投げ飛ばしました。逸ノ城は翌八日目からも勝ち続け大関稀勢の里・大関豪栄道・横綱鶴竜まで撃破しましたので、勢関に土をつけられてなければ、新入幕全勝優勝すら可能性がありました。(結果、逸ノ城、は最終盤に横綱白鵬に敗れて13勝2敗でした。)
春日山親方(元関脇勢)が9日、6月4日に両国国技館で行われる自身の引退相撲をPRした。 2021年名古屋場所限りで現役を引退。幕内通算44場所で敢闘賞4回、金星5個を獲得した。引退から約2年を経て迎える節目に「まげとの別れ。思い出の断髪式にしたい」と思いを語った。 春日山親方は、相撲甚句の名手としても知られる。「じっくりいろいろと考えて、楽しんでいただける断髪式にしたい。応援してくれた方々に、私自身も何かしら『ありがとうございました』という気持ちを伝えたい」と様々な案をあたためている様子。美声を響かせる可能性については「そこは濁しておきます」とニヤリと笑った。 “江戸時代からの名門”伊勢ノ海部屋の部屋付き親方として協会の仕事をしている春日山親方。 引退相撲では、相撲甚句からムード歌謡、松山千春さんの曲まで披露しそうですねえ。
初日の北の富士さんの和服姿を拝見できて素敵だなと思いました 渋い色合いの着物がとても良く似合ってましたね 今の親方達、現役のお相撲さんよりも 北の富士さんの和服の着こなし方が 1番素敵で、さまになってるなと思っています 粋な着こなしですよね 焼き鳥は国技館内では販売してないの ですね 残念だけど、上野駅構内のお店が、 お弁当販売しているコーナーにも 国技館の焼き鳥が販売しているので、 上野駅だと帰り道なので 相撲観戦の後に買って 家のお土産にします
溜まり席受難 関脇豊昇龍が前頭筆頭翔猿を寄り切り、白星した一番。 立ち合いから豊昇龍が一気に攻め、引いた翔猿は土俵下へ落下。翔猿はお尻から落ちたが、その際に観戦していた男性が翔猿の下敷きになった。 起き上がった翔猿は、男性へ手を差し伸べ、男性も反応。 ただその後、男性は春日山親方(元関脇 勢)に担がれ、溜席を後にしました。
初日、満員御礼の垂れ幕がおりてましたね。 昨年は観客数制限により両国国技館での満員御礼はありませんでした。 観客数の上限は通常の約91%に当たる1日約9700人。 また、マスク着用に限り、声を出しての応援も認められる。視聴者からは「館内に熱気が戻ってきた」といった声が寄せられていました。 一歩ずつ、元の姿に戻っていってますね。
初場所面白くなりそうだ。 北の富士氏の二回のちんたら発言には笑ったわ。 焼き鳥停止、大ショックだ。 久し振り、ほんとに久し振りに木曜日行くが、おみやの焼き鳥もないな。 帰ってから、温めて一杯やるのが、二番目の楽しみだったのに、コロナのクラスターでは仕方ないな
初場所初日 錦富士と竜電の一番で錦富士に「勇み足」がありました。 テレビ解説の北の富士さんが 『僕もねぇ、勇み足で2~3番負けたけど、悔しいですよ。(自分の)足を切ってやろうかと思ったよ』と現役時代を回想していました。 北の富士さんが『勇み足』で敗れたのは 横綱時代に1度、昭和47年春場所七日目の前頭筆頭の貴ノ花戦、 大関時代にも1度、昭和42年初場所の前頭4枚目の明武谷戦で、勇み足で苦杯を舐めました。 それにしても懸賞が多くかかり、両国国技館での初場所の盛り上がりが見られます。 特に御嶽海と正代の一番で30本近くの懸賞がかかっていたのには驚きました。
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初日と二日目を終えて、貴景勝や若隆景、高安や正代に苦言を呈すコメントをコラムに書いた北の富士さん。
締めには……今日は成人式。私も何とか20歳までに十両昇進を目指し、懸命に頑張っていたがついに果たせずに悔し涙を流したことを思い出します。こんな私にも純な青春時代があったのです。
そんな私も今年は81歳になります。人生は長いようで短い。若い力士諸君も悔いを残すことなく努力してもらいたい。
何だか説教じみたことを言ってしまった。
すみません。俺らしくもない。腹が減りました。飯食って寝ます。
・・・
・・・中学卒業を目前にして千代の山さんを慕って上京してきたのが1956昭和31年の年末。早生まれの竹澤勝昭さん(後の北の富士さん)が14歳と9ヶ月でした。
体重不足で新弟子検査は不合格。できたばかりの制度「自費養成力士制度」という救済措置により前相撲には進めたが、同期の中では(同じく太れない)竜虎と二人だけ、出世が遅かった。
入門したばかりの昭和32年3月に部屋の親方(出羽海親方=当時の理事長)が協会の不透明経理問題を国会に呼ばれたのを病気を理由に欠席、協会理事長室で割腹自殺を図り、命は取りとめたものの、名門出羽の海部屋存続の危機となっていた。
しかし後任の出羽の花親方による指導で伸び伸び稽古できたことから、二十歳を過ぎた昭和38年の春場所でようやく十両昇進を果たし、十両5場所目では15戦全勝で十両優勝。翌場所の新入幕場所(昭和39年初場所)では、13勝2敗の準優勝。この13勝は “新入幕力士の最多勝利” 記録で未だに破られていません。
幕内に上がっても大勝ちしたことから
“上も こんなもんか”となめてしまい、稽古を疎かにして夜の歓楽街へ足を運ぶようになり、幕内2場所目は中盤から10連敗するなど散々な成績で終わった北の富士さん。
歌手デビューして「夜のヒットスタジオ」に出演しまくったり“問題児”のそしりをうけましたが、2場所連続優勝して横綱に昇進して盟友玉の海とともに“北玉時代”を担って、“栃若時代” “柏鵬時代”のあとの角界の屋台骨となり、優勝10回は当時双葉山・大鵬に次ぐ歴代3位(優勝制度が確立された明治42年以降)、現在でも歴代11位タイ。
全勝優勝3度も、太刀山・双葉山・大鵬に次ぐ4位だった。
そして、九重親方となってからは、千代の富士と北勝海の二人を横綱に育て“部屋別優勝回数”では、第一位となりました。
現在では出羽海部屋に並ばれているが九重部屋の52回もの優勝は 未だに歴代1位を保っている大記録です。
豊昇龍が右の下手投げを決めました!
掛け投げ気味に右足が効いた投げです!
これからも頑張って下さい♪
あーぁ!高安二連敗。
体は大丈夫なんだろか?
これからだから頑張れ!
勢関といえば
平成27年1月、国技館での稽古総見観覧のあと、両国駅前の相撲茶屋 “はなの舞” で飲食してる際に 勢関が入店してきたので、頃合いをみて、持ってきていた色紙を携えて近寄って挨拶し、
「関取、また怪物退治を期待してます」と言ったら『任せといて』とおっしゃってサインを頂きました。
直近の東京場所で新入幕の逸ノ城が初日から6連勝、怪物ぶりをみせていた巨躯逸ノ城を勢が上手投げで投げ飛ばしました。逸ノ城は翌八日目からも勝ち続け大関稀勢の里・大関豪栄道・横綱鶴竜まで撃破しましたので、勢関に土をつけられてなければ、新入幕全勝優勝すら可能性がありました。(結果、逸ノ城、は最終盤に横綱白鵬に敗れて13勝2敗でした。)
春日山親方(元関脇勢)が9日、6月4日に両国国技館で行われる自身の引退相撲をPRした。
2021年名古屋場所限りで現役を引退。幕内通算44場所で敢闘賞4回、金星5個を獲得した。引退から約2年を経て迎える節目に「まげとの別れ。思い出の断髪式にしたい」と思いを語った。 春日山親方は、相撲甚句の名手としても知られる。「じっくりいろいろと考えて、楽しんでいただける断髪式にしたい。応援してくれた方々に、私自身も何かしら『ありがとうございました』という気持ちを伝えたい」と様々な案をあたためている様子。美声を響かせる可能性については「そこは濁しておきます」とニヤリと笑った。
“江戸時代からの名門”伊勢ノ海部屋の部屋付き親方として協会の仕事をしている春日山親方。
引退相撲では、相撲甚句からムード歌謡、松山千春さんの曲まで披露しそうですねえ。
初日の北の富士さんの和服姿を拝見できて素敵だなと思いました
渋い色合いの着物がとても良く似合ってましたね
今の親方達、現役のお相撲さんよりも
北の富士さんの和服の着こなし方が
1番素敵で、さまになってるなと思っています
粋な着こなしですよね
焼き鳥は国技館内では販売してないの
ですね
残念だけど、上野駅構内のお店が、
お弁当販売しているコーナーにも
国技館の焼き鳥が販売しているので、
上野駅だと帰り道なので
相撲観戦の後に買って
家のお土産にします
溜まり席受難
関脇豊昇龍が前頭筆頭翔猿を寄り切り、白星した一番。
立ち合いから豊昇龍が一気に攻め、引いた翔猿は土俵下へ落下。翔猿はお尻から落ちたが、その際に観戦していた男性が翔猿の下敷きになった。
起き上がった翔猿は、男性へ手を差し伸べ、男性も反応。
ただその後、男性は春日山親方(元関脇 勢)に担がれ、溜席を後にしました。
初日、満員御礼の垂れ幕がおりてましたね。
昨年は観客数制限により両国国技館での満員御礼はありませんでした。
観客数の上限は通常の約91%に当たる1日約9700人。
また、マスク着用に限り、声を出しての応援も認められる。視聴者からは「館内に熱気が戻ってきた」といった声が寄せられていました。
一歩ずつ、元の姿に戻っていってますね。
初場所面白くなりそうだ。
北の富士氏の二回のちんたら発言には笑ったわ。
焼き鳥停止、大ショックだ。
久し振り、ほんとに久し振りに木曜日行くが、おみやの焼き鳥もないな。
帰ってから、温めて一杯やるのが、二番目の楽しみだったのに、コロナのクラスターでは仕方ないな
初場所初日
錦富士と竜電の一番で錦富士に「勇み足」がありました。
テレビ解説の北の富士さんが
『僕もねぇ、勇み足で2~3番負けたけど、悔しいですよ。(自分の)足を切ってやろうかと思ったよ』と現役時代を回想していました。
北の富士さんが『勇み足』で敗れたのは
横綱時代に1度、昭和47年春場所七日目の前頭筆頭の貴ノ花戦、
大関時代にも1度、昭和42年初場所の前頭4枚目の明武谷戦で、勇み足で苦杯を舐めました。
それにしても懸賞が多くかかり、両国国技館での初場所の盛り上がりが見られます。
特に御嶽海と正代の一番で30本近くの懸賞がかかっていたのには驚きました。