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石浦が間垣を襲名。白鵬の師匠だった親方が、白鵬の内弟子だった石浦の引退に、年寄株を剥ぎ取られて協会から追い出された。 横綱になったころから、会話も減り、勝手に内弟子を取って好き放題していた白鵬に協会追放までされてしまうとは。可哀想。
相撲協会は臨時理事会を開き、関脇霧馬山(27=陸奥)の大関昇進を正式に決定しました。 そして、師匠の陸奥親方(64=元大関霧島)は自身の現役時代のしこ名「霧島」への改名を発表しました。 自らが果たせなかった横綱の夢を、まな弟子に託したことになります。 記事によると 新大関は相撲協会からの使者を迎えた伝達式で「大関の名を汚さぬよう今まで以上に稽古して頑張ります」と口上を述べた。その後の会見では「うれしいです。(入門から)8年で何回も辞めて帰りたいという気持ちがあって、それを乗り越えて良かった」と感慨もひとしお。「稽古のおかげでここまできた。ここから上(横綱)にあがるんだったら、これ以上に稽古していくしかない」と口上に込めた思いを明かした。 会見中にはサプライズもあった。陸奥親方はしこ名を「霧島」へ改名することを発表。かねて部屋の後援者などから「霧島」の〝復活〟を望む声が高まっていたこともあり、霧馬山の大関昇進が確実となったタイミングで継がせる意思を固めた。本人には夏場所14日目の5月27日に打診したという。 陸奥親方は「私としては断られたらどうしようかと…。最初〝名前、どうだ?〟と聞いて『エッ!?』と、いらないようなしぐさに見えたんで(笑い)。本人から継いでくれると聞いて、うれしかったですね。この名前を継いで上に行ってくれれば。私(大関)を超えてほしい」とまな弟子に夢を託した。 霧馬山改め霧島は「すばらしい名前。親方から言われた瞬間にビックリして。『本当にいいんですか?』と言って。うれしかったです。夢みたい。もう一つ上の番付を目指していくしかない。強くて格好いい大関になりたいです」と決意を新たにした様子。「入った時から親方の現役の時の相撲をずっと見ていたので。親方みたいな力士になりたいと思っていた」と目を輝かせた。 師匠は現役時代、鍛え上げた筋肉で「和製ヘラクレス」と称され、豪快なつり出しでファンを魅了した。果たして〝2代目霧島〟は、どんな相撲を見せてくれるのか。 とのこと。 二代霧島を襲名した新大関は、性格も温厚で鶴竜に近いものがあり、戦闘的な性格を顕(あらわ)にする朝青龍や白鵬・豊昇龍らとは一線を画した “日本人好み”のお相撲さん。 さらなる飛躍を期待します。
霧馬山関が大関昇進。 度重なる江戸の大火や関東大震災、東京大空襲などの火災により失われた多くの相撲史の中で、記録が残っている日本相撲協会の資料により、初代大関とされている雪見山 堅太夫から数えて、第252代の大関となりました。 下一桁が “2”のつく大関としては、 112代が(後に第9代横綱免許を受けた)秀ノ山雷五郎、 122代も後に第12代横綱免許を受け “古今十傑”にも名を残す強豪大関の陣幕久五郎、 132代が大達 羽左衛門で、無敵の梅ヶ谷藤太郎と互角の熱戦を繰り広げたが、番付を上げて貰えない不満から頭取(現在の協会理事長)の高砂浦五郎を殴って破門されてしまった。 142代大関は 明治前半に無敵の58連勝(若嶋に敗れた翌日から大達羽左衛門に屈するまで35連勝)して第15代横綱となり谷風をしのぐ「(当時)歴代横綱最高の幕内勝率.951」を記録した初代梅ヶ谷藤太郎、 152代大関は、大正時代後半に現れ入幕3場所目で大関という空前絶後のスピード出世を果たし第26代横綱となった大錦卯一郎、 172代が双葉山の70連勝を阻止して後に第37代横綱になった安藝の海 節男、 182代も戦後の大相撲を盛り上げ、後に第42代鏡里 喜代治、 192代大関が、ガチンコで幕内優勝32回した大横綱 第48代横綱大鵬 幸喜と 後に横綱となった強豪ばかりでした。 しかし、大鵬以降は、下一桁“2”の大関のその後は様相が一変。 202代大関が前の山 太郎、 212代が二代目増位山太志郎、 222代が小錦 八十吉、 232代が武双山 正士、 242代は琴奨菊 和弘と 横綱に上がれなかった大関たちが名を連ねています。 252代大関となった霧馬山には、是非とも“綱”を締めて貰いたいですねえ。
佐渡ヶ嶽さんの元大関だから、という言葉は心に思っても言わない方がよかったと思う。 ただ名前があがらなかっただけ、でよかったでしょう。 私個人としも、朝乃山に三賞はどうかと思う。 優勝や優勝決定戦に出たとかなら話は別かも知れないが、そもそも貰っても本人が恥ずかしいのではないかな、と思ってしまった。
三代若乃花さんは また異なった視点から夏場所の三賞についてコメントしています。 曰く『私が独断で選ぶ今場所の三賞ですが、正式な選考基準は度外視して選ぶと、殊勲賞は豪ノ山と落合の十両力士、敢闘賞は若元春と錦木、技能賞は該当者なしです。読者の皆さんもそれぞれの目線から三賞力士を決めるのも面白いでしょう。いろいろな見方があっていいのが大相撲の懐の深さでもあります。』 ・・・なるほど! 錦木関もどっしりとした相撲で着実に強くなってますね。 若乃花さんの言う通り豪ノ山関と落合関(来場所から“伯桜鵬”も、来場所は幕内の前半戦を大いに沸かしてくれる存在ですね。
夏場所の三賞 殊勲賞と技能賞には異議なし。 しかし「敢闘賞 該当者なし」とは…… 十一日目から関脇や横綱に当てられ、12勝3敗で場所を終えたが、佐渡ヶ嶽審判部長曰く『13勝だったなら』とのことでしたが、それはないんじゃないかな? サンケイスポーツの今村氏曰く 【『涙の敢闘賞』という映画があった。戦争前後の年2場所時代に大関を務めた名寄岩が、糖尿病や内臓疾患と戦いながら大関陥落後の昭和25年夏場所、幕尻で9勝6敗と奮闘し敢闘賞を受賞した感動の実話。本人が出演し話題を集めた。トウフで腹を満たし自らインスリンを注射して昭和29年秋場所、40歳になるまで土俵を務めた。 昔話はさておき、けがと戦った横綱照ノ富士の見事な復活優勝で夏場所は幕を閉じた。大関昇進を確実にした霧馬山をはじめ4関脇が全員2桁勝ちしたのは昭和以降で初めてとか。昔から言われる「関脇が強い場所は面白い」を裏付けるような場所でもあった。 来場所へ向け いい余韻を残して終わった と思いきや三賞受賞者を見てびっくりした。三段目から這い上がった再入幕場所で優勝争いに加わり、場所を盛り上げた朝乃山の〝涙の敢闘賞〟再現を予想したが、敢闘賞は「該当者なし」。 12勝は照ノ富士の14勝に次ぐ2番目の成績で関脇陣をしのいだ。 それでも朝乃山は賞を貰えなかった。 名寄岩の例もあるのに「元大関」ではダメなのか。佐渡ケ嶽審判部長(元関脇琴ノ若)は「元大関なので13勝はほしい」と説明した。ならば、大関陥落後の平成17年九州場所(東前頭5枚目)10勝5敗、21年九州場所(西9枚目)12勝3敗でともに敢闘賞を獲得した雅山(現二子山親方)のケースとどう違うのか。 “元” にこだわらず、その時点の地位で判断しなければ番付の意味はない。朝乃山は先場所、東十両筆頭で13勝しながら番付は4枚しか上がらなかった。さらに今場所の三賞でも…。 こう不運が続くとまだ昨年の「ガイドライン違反」が尾を引いているのでは、と勘繰られても仕方ない。(今村忠)】 とのこと。 準優勝相当の成績を挙げているのに……、と思います。
終わってしまったね。 本来なら今日は枡席で八人で観戦して北の富士さん見に右往左往してるはずだったのに・・・ 本当に残念! 相撲見ていても気が入らず楽しくなかった。 舞の海が正面座らなかったからよかったけど・・・ 張り合いがでないわ。
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石浦関の引退、親方襲名はプラン通りで追い出されたとか、剥ぎ取られたの意見は全然違うよ!
自分で思ってるのは勝手だがここには載せるな!
石浦が間垣を襲名。白鵬の師匠だった親方が、白鵬の内弟子だった石浦の引退に、年寄株を剥ぎ取られて協会から追い出された。
横綱になったころから、会話も減り、勝手に内弟子を取って好き放題していた白鵬に協会追放までされてしまうとは。可哀想。
ずっと首の怪我で休場していた
石浦が引退したそうです
年寄、間垣を襲名したそうです
相撲協会は臨時理事会を開き、関脇霧馬山(27=陸奥)の大関昇進を正式に決定しました。
そして、師匠の陸奥親方(64=元大関霧島)は自身の現役時代のしこ名「霧島」への改名を発表しました。
自らが果たせなかった横綱の夢を、まな弟子に託したことになります。
記事によると
新大関は相撲協会からの使者を迎えた伝達式で「大関の名を汚さぬよう今まで以上に稽古して頑張ります」と口上を述べた。その後の会見では「うれしいです。(入門から)8年で何回も辞めて帰りたいという気持ちがあって、それを乗り越えて良かった」と感慨もひとしお。「稽古のおかげでここまできた。ここから上(横綱)にあがるんだったら、これ以上に稽古していくしかない」と口上に込めた思いを明かした。 会見中にはサプライズもあった。陸奥親方はしこ名を「霧島」へ改名することを発表。かねて部屋の後援者などから「霧島」の〝復活〟を望む声が高まっていたこともあり、霧馬山の大関昇進が確実となったタイミングで継がせる意思を固めた。本人には夏場所14日目の5月27日に打診したという。 陸奥親方は「私としては断られたらどうしようかと…。最初〝名前、どうだ?〟と聞いて『エッ!?』と、いらないようなしぐさに見えたんで(笑い)。本人から継いでくれると聞いて、うれしかったですね。この名前を継いで上に行ってくれれば。私(大関)を超えてほしい」とまな弟子に夢を託した。 霧馬山改め霧島は「すばらしい名前。親方から言われた瞬間にビックリして。『本当にいいんですか?』と言って。うれしかったです。夢みたい。もう一つ上の番付を目指していくしかない。強くて格好いい大関になりたいです」と決意を新たにした様子。「入った時から親方の現役の時の相撲をずっと見ていたので。親方みたいな力士になりたいと思っていた」と目を輝かせた。 師匠は現役時代、鍛え上げた筋肉で「和製ヘラクレス」と称され、豪快なつり出しでファンを魅了した。果たして〝2代目霧島〟は、どんな相撲を見せてくれるのか。
とのこと。
二代霧島を襲名した新大関は、性格も温厚で鶴竜に近いものがあり、戦闘的な性格を顕(あらわ)にする朝青龍や白鵬・豊昇龍らとは一線を画した “日本人好み”のお相撲さん。
さらなる飛躍を期待します。
霧馬山関が大関昇進。
度重なる江戸の大火や関東大震災、東京大空襲などの火災により失われた多くの相撲史の中で、記録が残っている日本相撲協会の資料により、初代大関とされている雪見山 堅太夫から数えて、第252代の大関となりました。
下一桁が “2”のつく大関としては、
112代が(後に第9代横綱免許を受けた)秀ノ山雷五郎、
122代も後に第12代横綱免許を受け “古今十傑”にも名を残す強豪大関の陣幕久五郎、
132代が大達 羽左衛門で、無敵の梅ヶ谷藤太郎と互角の熱戦を繰り広げたが、番付を上げて貰えない不満から頭取(現在の協会理事長)の高砂浦五郎を殴って破門されてしまった。
142代大関は 明治前半に無敵の58連勝(若嶋に敗れた翌日から大達羽左衛門に屈するまで35連勝)して第15代横綱となり谷風をしのぐ「(当時)歴代横綱最高の幕内勝率.951」を記録した初代梅ヶ谷藤太郎、
152代大関は、大正時代後半に現れ入幕3場所目で大関という空前絶後のスピード出世を果たし第26代横綱となった大錦卯一郎、
172代が双葉山の70連勝を阻止して後に第37代横綱になった安藝の海 節男、
182代も戦後の大相撲を盛り上げ、後に第42代鏡里 喜代治、
192代大関が、ガチンコで幕内優勝32回した大横綱 第48代横綱大鵬 幸喜と
後に横綱となった強豪ばかりでした。
しかし、大鵬以降は、下一桁“2”の大関のその後は様相が一変。
202代大関が前の山 太郎、
212代が二代目増位山太志郎、
222代が小錦 八十吉、
232代が武双山 正士、
242代は琴奨菊 和弘と
横綱に上がれなかった大関たちが名を連ねています。
252代大関となった霧馬山には、是非とも“綱”を締めて貰いたいですねえ。
佐渡ヶ嶽さんの元大関だから、という言葉は心に思っても言わない方がよかったと思う。
ただ名前があがらなかっただけ、でよかったでしょう。
私個人としも、朝乃山に三賞はどうかと思う。
優勝や優勝決定戦に出たとかなら話は別かも知れないが、そもそも貰っても本人が恥ずかしいのではないかな、と思ってしまった。
三代若乃花さんは また異なった視点から夏場所の三賞についてコメントしています。
曰く『私が独断で選ぶ今場所の三賞ですが、正式な選考基準は度外視して選ぶと、殊勲賞は豪ノ山と落合の十両力士、敢闘賞は若元春と錦木、技能賞は該当者なしです。読者の皆さんもそれぞれの目線から三賞力士を決めるのも面白いでしょう。いろいろな見方があっていいのが大相撲の懐の深さでもあります。』
・・・なるほど!
錦木関もどっしりとした相撲で着実に強くなってますね。
若乃花さんの言う通り豪ノ山関と落合関(来場所から“伯桜鵬”も、来場所は幕内の前半戦を大いに沸かしてくれる存在ですね。
夏場所の三賞
殊勲賞と技能賞には異議なし。
しかし「敢闘賞 該当者なし」とは……
十一日目から関脇や横綱に当てられ、12勝3敗で場所を終えたが、佐渡ヶ嶽審判部長曰く『13勝だったなら』とのことでしたが、それはないんじゃないかな?
サンケイスポーツの今村氏曰く
【『涙の敢闘賞』という映画があった。戦争前後の年2場所時代に大関を務めた名寄岩が、糖尿病や内臓疾患と戦いながら大関陥落後の昭和25年夏場所、幕尻で9勝6敗と奮闘し敢闘賞を受賞した感動の実話。本人が出演し話題を集めた。トウフで腹を満たし自らインスリンを注射して昭和29年秋場所、40歳になるまで土俵を務めた。
昔話はさておき、けがと戦った横綱照ノ富士の見事な復活優勝で夏場所は幕を閉じた。大関昇進を確実にした霧馬山をはじめ4関脇が全員2桁勝ちしたのは昭和以降で初めてとか。昔から言われる「関脇が強い場所は面白い」を裏付けるような場所でもあった。
来場所へ向け いい余韻を残して終わった と思いきや三賞受賞者を見てびっくりした。三段目から這い上がった再入幕場所で優勝争いに加わり、場所を盛り上げた朝乃山の〝涙の敢闘賞〟再現を予想したが、敢闘賞は「該当者なし」。
12勝は照ノ富士の14勝に次ぐ2番目の成績で関脇陣をしのいだ。
それでも朝乃山は賞を貰えなかった。
名寄岩の例もあるのに「元大関」ではダメなのか。佐渡ケ嶽審判部長(元関脇琴ノ若)は「元大関なので13勝はほしい」と説明した。ならば、大関陥落後の平成17年九州場所(東前頭5枚目)10勝5敗、21年九州場所(西9枚目)12勝3敗でともに敢闘賞を獲得した雅山(現二子山親方)のケースとどう違うのか。
“元” にこだわらず、その時点の地位で判断しなければ番付の意味はない。朝乃山は先場所、東十両筆頭で13勝しながら番付は4枚しか上がらなかった。さらに今場所の三賞でも…。
こう不運が続くとまだ昨年の「ガイドライン違反」が尾を引いているのでは、と勘繰られても仕方ない。(今村忠)】
とのこと。
準優勝相当の成績を挙げているのに……、と思います。
終わってしまったね。
本来なら今日は枡席で八人で観戦して北の富士さん見に右往左往してるはずだったのに・・・
本当に残念!
相撲見ていても気が入らず楽しくなかった。
舞の海が正面座らなかったからよかったけど・・・
張り合いがでないわ。
豪の山さん優勝。
落合は豪の山苦手なのかな?
でもこれからの二人頑張ってほしいです。
来場所名古屋ですが北の富士さん復活楽しみに待っています。
力士の皆さんお疲れ様でした。