大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 2,176件 』

  • 投稿者:匿名

    近頃地味な高砂部屋は朝青龍は別にして個性派揃い。

    高見山…………勝てば勝ったでガッツポーズ、転んで負けたら泣き顔で座り込みのパフォーマンスは元関脇以下の力士としては驚異的な人気者で当時の横綱大関もジェシーの人気ぶりには降参だったみたい。ただし人気だけでなく稽古に稽古を重ねるストイックなところも。

    富士桜…………とにかく突き押し一貫。組んだら三段目と呼ばれるくらい捕まったら終わりというわかりやすい力士。突貫小僧は上位キラーで2代目若乃花の天敵にも。高見山とは猛稽古で切磋琢磨、投げ技ではたった1勝だからそれが富士桜だね。

    朝潮…………とにかく明るいキャラ。大ちゃん節と呼ばれたマシンガントークで楽しませてくれた人。立ち合いでの激しい当たりで額から流血させた場面もしばしば。師匠としても実績残したが朝青龍、朝乃山の不祥事に泣かされた。早世されたのは残念。元気であれば解説者になれたはず。

    水戸泉…………左四つからの出足が凄かった。ケガが絶えず苦労した末の初賜盃に大号泣。旗手は大関小錦。直前2場所は曙と小錦の旗手だったからやっぱり主役は最高。

    小錦………外国人初の大関。巨漢を生かした正攻法の突き押し寄りで人気。3回賜杯は立派。引退後はタレントに。

  • 投稿者:KON

    九州場所で優勝した霧島が来場所が綱獲り場所になるという。
    それに対し、九州場所前の段階で秋場所優勝した貴景勝に対して綱獲りのつの字もでなかった協会執行部。
    霧島の師匠が今や協会No.2の陸奥親方(元大関霧島)。
    一方、貴景勝の師匠は元貴乃花一門の常盤山親方(元小結・隆三杉)。貴乃花親方が協会を去ったことで弟子を受け入れることになった。言ってみれば“貴乃花の遺産”という位置づけになる。某相撲ジャーナリストが続ける。
    「旧貴乃花一門の親方衆は二所ノ関一門や出羽海一門に分散したが、いずれの親方も要職に就けないでいる。立ち合いの態度が悪いと注意を受けた豊昇龍は、朝青龍の甥っ子というマイナス要因もあるが、旧貴乃花一門の立浪部屋(元小結・旭豊)の所属で目をつけられやすい。
    元北勝海・元琴風・元旭富士・元栃乃和歌ら当時の協会執行部と現役時代に完全ガチンコ相撲を貫いた貴乃花親方とが骨肉の権力闘争を繰り広げたのは5年前の話になりますが、その因縁は今の角界に根深く残っているのです」
    ※週刊ポスト2023年12月15日号

    根深い問題が相変わらずどろどろしていますねえ。

  • 投稿者:KON

    相撲関係のテレビ番組情報

    今日の夕方
    12/4 月 17:00 〜 18:00
    NHK①
    ニュースLIVE!ゆう5時
    日大・林理事長が会見
    ▽佐渡ヶ嶽部屋直伝のちゃんこを町の名物に
    ▽外来種のキョンが千葉で大量に出没
    ▽“ゆう5飯”神崎恵さんの万能ひき肉活用術

  • 投稿者:SAI

    天皇杯・全日本相撲選手権
    金沢学院大学主将・池田俊選手
    優勝おめでとうございます!
    惜しくも準優勝の日体大3年
    ダワードルジ・ブフチョローン選手
    モンゴル相撲とレスリングで培った
    投げ技が凄かったです!
    池田選手は栃乃洋と親戚だそうですが
    鼻が潰れてはいないですね?
    ダワードルジ選手はプロ志望だそうですが
    どこの部屋を希望していますか?
    これからも頑張って下さい♪

  • 投稿者:KON

    壁 2 補足
    北の富士さんの言う柏戸さんの怖さ

    大鵬は引退後、インタビューで『生まれ変わったら相撲取りになって柏戸さんみたいな相撲を取れる力士になりたい。あの 一気に相手を土俵下まで寄り出してしまう怒涛の寄り! 男らしくて格好いいじゃないですか!?』と身を乗り出して語ってました。
    柏戸(富樫少年)は、中学時代に陸上競技・サッカー・バスケットボールで鍛えた俊敏さ…特にスタートダッシュなどは指導する教師ら大人たちが目を見張るほど。
    学校代表として山形県内の大会に頻繁に駆り出され上位入賞していたスポーツ万能でした。

    顔の怖さについては、
    北の富士さん曰く
    『柏戸さんの仕切ってる時の表情・特に目!ありゃ怖いよ。塩を蒔いたあとにジロッとこちらを睨み付けるんだよね。思い出してもゾッとする。』『それとね、引退後に勝負審判(審判長)をやってた時(昭和57年からの12年間)だね。立ち合いを合わせないで“待った”をすると 土俵下から「何をやってんだ!」と大声で怒鳴るんだよね。“待った”された力士がお返しの“待った”をしようものなら更に大声で怒鳴り飛ばしてました。目つきの鋭いうちの千代の富士ですら「親方、鏡山さん、怖いっすよ。あの三白眼での睨みで怒るんだから」とぼやいてましたよ。』と語ってました。

    この項 終わり

  • 投稿者:KON

    壁 2 補足
    北の富士さんの言う
    「横綱柏戸の当たりの強さと顔の怖さ」

    柏戸関は 頭から当たる立ち合いはしませんでした。しかし胸から当たるのに、今の正代の当たりとは全く違ったものでしたねえ。
    正代のように双差しを狙った立ち合い(当たる角度は70~85度の棒立ち気味)ではなく、まずもって出足が鋭く、当たった瞬間には2歩目の足が出ていましたから 相手はすでに守勢にまわらざるを得なくなっていた。
    しかも当たる瞬間の上体の角度は45~55度で相手に当たり すかさず2歩目を出してさらに3歩目……攻めてきてる相手を根こそぎ土俵下へ。大正から昭和初期にあった決まり手「押し切り」と「寄り出し」のうちの「寄り出し」が適していた勝ちっぷりでした。
    立ち合いから左前褌(みつ)右おっつけで一気に突進するという取り口で、土俵際でも腰を落とさず一気に長身を利用し覆い被さるように相手を押し倒す相撲で、その破壊力は誰からも恐れられていた。“土俵の鬼”初代若乃花でさえも横に動いて突進を回避しての投げで決めたことがあった。
    昭和39年の「月刊大相撲」の相撲評論家による討論会でも神風さんや出羽錦さんが『柏戸のために“寄り出し”を復活させてもいいのでは?』とコメントしていました。
    横綱大鵬でさえ「寄り切り」「寄り倒し」「押し出し」「押し倒し」で13度も柏戸に屈していました。大鵬は柏戸戦以外では、先に三役へ昇進していた北葉山にだけ 11敗(24勝)していましたが、とにかく柏戸戦以外は圧倒的優勢でした。

  • 投稿者:KON

    壁  柏・鵬

    最後に大鵬vs北の富士。
    大相撲中継の解説席で北の富士さんが何度も語ってましたが、
    『柏戸さんは立ち合いで当たると硬くて強くて痛かった。嫌だったねえ。そして顔がね、柏戸さんの顔が怖かった。』
    『大鵬さんは とにかく負けない相撲を取っていた。得意の左四つになっても向こうも左四つ十分で、私の攻めが通じなくて、力を吸収されてしまい、いつの間にか負けていた。支度部屋に戻って、“あとちょっとで勝てそうだったなぁ”という気になったのですが、その次の対戦でも もう少しのところで負けてしまう……この連続だったね。』
    の言葉通り、北の富士は初顔から大鵬に5連敗、11戦目からは全く勝てずに14連敗。
    突っ張りからのはたき・左四つからの上手投げ・攻めながらの外掛けなど 北の富士得意の勝ちパターンは通じず、結局、北の富士は対大鵬戦を5勝26敗と惨敗で終えました。だった

    文字通りの “壁” だったのでした。

  • 投稿者:KON

    壁 2  柏・鵬

    残念だったのは、玉の海がさらに強くなって大鵬を名実ともに超える姿を見ることが叶わなかったことですねえ。
    北の富士と横綱同時昇進した玉の海は抜群の安定感を示して横綱在位10場所で優勝4回・準優勝5回。 休場ゼロ
    横綱勝率.867 
    金星配給率の低さは昭和以降トップ!
    「ひと場所平均の金星配給数が 0.3個」だった玉の海でした。
    2位は白鵬の0.31、3位が玉錦の0.33。

    大正以前だと、太刀山の横綱在位6年半(15場所)で  0.00 →つまり金星をひとつも与えなかった!! という不滅の記録が残ってます。

    玉の海は、1971昭和46年、恩師でもある大鵬の引退相撲に「太刀持ちとして絶対に出席する」ことを最優先したが為に、夏前から盲腸炎が悪化していたのにも関わらず本場所に出場し続け、虫垂炎をこじらせての腹膜炎。
    緊急手術して治ったかにみえ、翌日の退院予定も決まっていた10月11日、術後の肺血栓で急死。肺動脈に直径5cmもの大きさの血の塊があって血流を塞いでしまったのが原因だったそうです。
    享年27歳
    残念無念!

  • 投稿者:KON

    “ご意見番”武蔵丸が疑問視
    まずは大関霧島、1年の最後となる11月九州場所を、大関が優勝で締めてくれたね。ただ、13勝と数字上で勝ってるのは勝ってるんだけれど、「強かったなぁ」との印象が薄くて、ピリッとしなかったんだよね。引く相撲が何番かあった。引くのではなくて、立ち合いで当たって前に持っていく相撲を取らないとな。
    同じく大関の豊昇龍もそう。大関になってから守りに入っている。
    貴景勝への疑問
     成績次第で横綱昇進が話題になった貴景勝だったけれど、9勝6敗に終わった。ケガの影響もあって稽古も思うようにできないとは思うんだけれど、やはり稽古が足りないのが見ていてわかる。突き押しにも勢いがなかった感じだな。
    いつも言ってるんだけれど、もちろん、ある程度の筋肉維持のためのトレーニングは必要だと思うよ。うちの部屋でも、ジムと契約してトレーニングに通ってるし。でも、もう幕下の若い子じゃないんだから、大関として肉体は出来上がっているんだよね。もし今の状態に悩んでいるのだったら、これから特に必要なのは、原点に戻っての“相撲力(ぢから)”なんだ。近代的なトレーニングばかりではなく、やっぱり徹底的に四股、すり足、てっぽうをやって、相撲のための“しなやかに動ける筋肉”を大事にすること。最近では専属トレーナーを付けたりするお相撲さんも多いけど、トレーナーの話ばっかり聞いてちゃあダメなんだよ(笑)。
    現役時代、アメフト――NFLの研究に協力したことがあるんだけれど、四股、すり足、てっぽうって、相撲という競技に適した体作りに、驚くほどにピッタリなんだって。科学的にも証明されて、昔のお相撲さんたち――先人たちの知恵にみんなでびっくりしてたんだ。一点に立ったままダンベル上げ下げしたって、たかが知れてるんだよね。硬い筋肉をつけ過ぎちゃダメで、体が動かなくなる。ボディビルダーみたいに、筋肉見せてポーズつけるのが仕事じゃないんだからな。
    武蔵丸の苦言 

  • 投稿者:KON

    壁2  柏・鵬

    大鵬vs玉乃島(玉の海)は、
    同じ二所一門ということがあって、はじめは、直接対戦がなかったのですが、“部屋別総当たり制度導入”により昭和40年初場所から二人の対戦が始まりました。
    その初場所初日、横綱大鵬vs小結玉乃島が実現。注目の一番は玉乃島が内掛けで大鵬に尻餅をつかせました。
    二所一門の荒稽古にて三番稽古で散々強いて(しごいて)貰ったおかげで強くなれた玉乃島。
    取組後、敗者の弁を聞こうと集まった相撲番記者たちに囲まれた大鵬がインタビューを受けながらながら髷を直して貰っている東の支度部屋へ挨拶に赴いた玉乃島が「ごっつぁんでした」と鍛えてもらった御礼を述べると『おう、強くなったな』と玉乃島に声をかけた大鵬。
    成長著しい一門の後輩に対して 若干余裕を感じさせる大鵬のコメントでしたが、この2場所後の夏場所と翌名古屋場所でも玉乃島に土をつけられてしまいました。
    “限界説”まで新聞紙面に登場する始末に
    焦った大鵬は、対策を徹底的に研究し、微塵の油断もしまいと、この年の秋場所から なんと、直接対戦16連勝して大きく厚い壁となりました。
    大鵬が行なった工夫は、立ち合いで玉乃島得意の右差しを許さないように両手をクロスさせて当たり、毎場所のように大鵬得意の左四つに持ち込んでいました。
    右の上手を強烈に引きつけておいて左の差し手を返す大鵬。右上手を取らせない状態からさらに右上手を引きつけ、玉乃島(途中から玉の海に改名)を半身(はんみ)に近い状態に浮かせておいて掬い投げ(すくいなげ)で仕留めることが多かったですねえ。
    左すくい投げに右の引きつけを加えた「併せ技」で、「呼び戻し」のような大技で、大正時代の強豪横綱太刀山(横綱勝率.966で歴代1位)を彷彿とさせる投げ技で、すでに横綱昇進を果たしていた玉の海を赤子手をひねるようにひっくり返していました。
    最終対戦成績は大鵬20勝ー玉の海6勝

  • 1 140 141 142 143 144 218

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