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往年のファンには懐かしい「黒姫山」のしこ名が復活しました。 幕下の田中山(21)=境川=が今場所から黒姫山に改名。 先代は主に1970年代に幕内上位で活躍。最高位は関脇で、頭から当たるぶちかましから「デゴイチ=D51」の異名を取った名力士だった。 幕内上位に上がってくる直前に横綱柏戸は現役を引退してたので対戦はありませんでしたが、大鵬には土をつけたことがあります。また玉の海とは4戦全敗でしたが北の富士さんからは15戦して3勝していました。 解説での北の富士さんが以前に『黒姫山ねえ、当たりが痛かったから対戦するのが嫌だったよ。だってさぁ…あなた、オデコでぶつかってくるんだよ。立ち遅れると突っ張るより前に衝撃が来るんだよ』と語ってました。 新・黒姫山はその孫にあたる。2019年に祖父(元黒姫山)は他界したが、思いを受け継いで関取の座を目指す。
番付発表 横綱は、在位12場所目となる照ノ富士(31=伊勢ケ浜)が今場所も一人横綱として東に就いた。 4場所連続休場明けの先場所は、横綱の貫禄を示し14勝1敗で8度目の優勝を果たした。なお一人横綱は番付上で11場所連続となった。また、今年初場所から、番付上で表記されていた照ノ富士の「横綱大関」も、大関が2人になったことで解消された。今年初場所で、番付上では実に125年ぶりの1横綱1大関(前回は1898年春場所の横綱小錦、大関鳳凰)だった状況も、先場所までの3場所連続で止まった。 大関陣は、先場所まで一人大関を3場所連続で務めていた貴景勝(26=常盤山)が4場所ぶりに東に就いた。 西は霧馬山改め師匠のしこ名を継いだ霧島(27=陸奥)が就いた。新大関誕生は、22年春場所の御嶽海以来で、陸奥部屋からは史上初めて。モンゴル出身の新大関は、15年名古屋場所の照ノ富士以来6人目。外国出身では18年名古屋場所の栃ノ心以来、12人目の新大関誕生となった。 関脇3人は、いずれも大関取りの場所となる。東の豊昇龍(24=立浪)は6場所連続の在位(三役は9場所連続)、西の大栄翔(29=追手風)は2場所連続の在位(三役は3場所連続)、西の序列2番目の若元春(28=荒汐)は2場所連続の在位(三役は4場所連続)となっている。 この3人はいずれも、先場所と先々場所で三役として2場所通算20勝以上している。 これは 1972年秋場所の貴ノ花、魁傑、輪島以来、史上3回目となるハイレベルの関脇3人衆となった。 なお、同じように前2場所通算21勝以上の関脇3人が名を連ねたのは初めてとなった。 小結は4場所連続の琴ノ若(25=佐渡ケ嶽)が今場所も東に在位し、西は阿炎(29=錣山)が昨年秋場所以来、5場所ぶりの復帰となりました。
八角理事長が今日60歳の還暦を迎えました。 秋場所前の9月2日に還暦土俵入りを行います。 露払いは北勝富士、太刀持ちは君ヶ浜親方(元隠岐の海)の予定です。 残念ながら二所ノ関も宮城野も外されてしまいましたね。
まぁ難しい事はよく分からんが横野さんに言いたいわ。いくら男女平等だからとはいえ男と女の違いがあり、そんな所までズケズケ入り取材するのは大反対だね!いくら恥ずかしいなんて言ってる力士はいない、なんて言っても常識の問題だとおばちゃんズ!は思うよ。そんなものOKしたら常識外の事がみんなOKになる。 横野さんにがっかりだわ。
支度部屋での取材を、女性記者にも開放しようという動きが進行中だとか。 コロナ感染拡大後、ここでの取材は禁止されました。が、先の夏場所では大関・横綱に限って解禁され、この名古屋場所からは全面的に元に戻す流れが決まりつつある」 と、ここまではまあ ウエルカムな動きである。 一方で、 「それと同時に、これまで禁じられてきた女性記者の入室もOKにしようという話も進んでいまして……」 これに一部の力士から反対論が出ているという。 力士は回しをつける際、素っ裸になる。付け人の手を借りて下半身をバスタオルで覆う力士もいますが、面倒くさいからと裸のままで行う力士もいます」 取組後も、 「力士は奥にある風呂に入りますが、そこから上がるとタオル一枚で座敷に座り、パンツをはきます」 そうした際に、当然“見えて”しまうこともしばしばあるらしい。 「私も何度もご開陳にあったことがあります」 とは相撲取材歴の長いカメラマン。 「特に下っ端の力士は自分の取組が終わると上位力士の世話をしないといけない。忙しくてタオルを巻いて着替える暇などありません」 たとえるなら銭湯の脱衣所と同じだという。 今回の動きは、フジテレビの相撲レポーター、横野レイコさんが発端です」 と発言してるのは某スポーツ紙のデスク。 「『今は男女平等の時代だから』 と協会幹部に進言したとか。しかし、若手力士の中にはこの話を聞き“恥ずかしい”という声も上がっているそうです。協会の判断が注視されていますね」 これに対して当の横野さんは 『記者クラブの幹事社には “昭和の時代とは明らかに変わってきているので、取材の場において男女差別をしたら協会も批判されるし、クラブとしてそれでよいのでしょうか?”とは言いましたけどね。全裸の姿を見られて恥ずかしいって言っている力士がいる? 私の知る限りそんな力士はいませんよ。ジェンダーレスの時代なのだから、“着替えの場”と言うのなら男性記者も含めて支度部屋取材がOKなのかどうか考えなければいけないのでは?』とのこと。 ・・・今から60年近く前、蔵前国技館に観戦に行き、子供だった私がチョロチョロと支度部屋に入り込んだ際には、確かに太ったお相撲さんたちが素っ裸になって着替えてました。まあ私はすぐに筋肉隆々の明武谷関にヒョイと持ち上げられて『ここへ入ってきちゃ駄目だよ』と出されてしまいましたが……。 印象では たしかに銭湯の脱衣所でしたね。 横野さんは男女平等をはき違えてますね。 女性アスリートの着替えエリアに男性記者が入らないのと一緒ですね。
既述した今週金曜日のNHK①アナザーストーリー「力道山」 どうしても大成功したプロレス時代の話題が中心になると思うので 力道山の相撲時代に触れておくと 力士時代の力道山 15歳で二所ノ関部屋に入門し、1940年5月場所初土俵、1946昭和21年11月場所に入幕し、入幕2場所目の1947年6月場所に前頭8枚目で9勝1敗の星をあげ、横綱羽黒山、大関前田山、同東富士ら3人と相星となりました。 この場所から新たに設けられた優勝決定戦に出場し、優勝した羽黒山に敗れたが、優勝旗手となる(東西制の名残りで最後の優勝旗手)。 1948昭和23年5月場所では 横綱照國とこの場所優勝した大関東冨士を破り、さらに横綱前田山には取り直しの末、前田山の棄権によって不戦勝となって殊勲賞を受賞。 幕内出場10場所のうち負け越しは1場所だけ、幕内勝率5割8分1厘は戦後の関脇どまりの力士の中では最高である。同世代の鏡里喜代治、栃錦清隆、吉葉山潤之輔とも互角に取っており、力士を続けていれば大関も期待できる逸材でした。 突如、髷を落として引退しプロレスへ走った理由が、「朝鮮人という民族の壁があり、大関に上がれなかったから……」と本人の弁が伝わってますが いますが、関脇で8勝7敗だった場所の後に引退しているので、信憑性は低い。 現役力士を引退したあとの 協会に縛られる親方人生を鑑みて、アメリカのプロレスを日本に導入して一旗揚げることを志したのだと推測されます。 「二所の荒稽古」の伝統は 玉錦から力道山へ、そして初代若乃花へと伝承されていったもので、プリンス貴ノ花が興した藤島部屋全盛時代及び二子山部屋との合併で巨大化した新たな二子山部屋の時代まで続きました。 現在でも時折NHKのアナウンサーが「二所の荒稽古)という言葉を発しますが、藤島・二子山部屋全盛時代と今を比べても荒さのレベルが全く違っていますね。
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小学中学高校大学と夕方6時前に聴いたかん高い声が懐かしい。27代木村庄之助さんありがとう。24代式守伊之助
と併せて歴史に残る立行司の最高峰だと信じたい。
元27代木村庄之助の熊谷宗吉氏が亡くなりました。97歳でした。
北の湖、千代の富士時代を裁いた名行司でした。
往年のファンには懐かしい「黒姫山」のしこ名が復活しました。
幕下の田中山(21)=境川=が今場所から黒姫山に改名。
先代は主に1970年代に幕内上位で活躍。最高位は関脇で、頭から当たるぶちかましから「デゴイチ=D51」の異名を取った名力士だった。
幕内上位に上がってくる直前に横綱柏戸は現役を引退してたので対戦はありませんでしたが、大鵬には土をつけたことがあります。また玉の海とは4戦全敗でしたが北の富士さんからは15戦して3勝していました。
解説での北の富士さんが以前に『黒姫山ねえ、当たりが痛かったから対戦するのが嫌だったよ。だってさぁ…あなた、オデコでぶつかってくるんだよ。立ち遅れると突っ張るより前に衝撃が来るんだよ』と語ってました。
新・黒姫山はその孫にあたる。2019年に祖父(元黒姫山)は他界したが、思いを受け継いで関取の座を目指す。
湘南乃海が新入幕です!
もっと強くなれば
TUBEのLIVEに
ゲストで呼ばれるかも?
これからも頑張って下さい♪
正規の番付を買えなかった方は、明日のスポーツ紙をコンビニや駅売店でお求めになれば、細かく掲載されます。
各紙とも新大関霧島のことよりも、「次の大関獲り」にフォーカスした記事になりそうですね
番付発表
横綱は、在位12場所目となる照ノ富士(31=伊勢ケ浜)が今場所も一人横綱として東に就いた。
4場所連続休場明けの先場所は、横綱の貫禄を示し14勝1敗で8度目の優勝を果たした。なお一人横綱は番付上で11場所連続となった。また、今年初場所から、番付上で表記されていた照ノ富士の「横綱大関」も、大関が2人になったことで解消された。今年初場所で、番付上では実に125年ぶりの1横綱1大関(前回は1898年春場所の横綱小錦、大関鳳凰)だった状況も、先場所までの3場所連続で止まった。
大関陣は、先場所まで一人大関を3場所連続で務めていた貴景勝(26=常盤山)が4場所ぶりに東に就いた。
西は霧馬山改め師匠のしこ名を継いだ霧島(27=陸奥)が就いた。新大関誕生は、22年春場所の御嶽海以来で、陸奥部屋からは史上初めて。モンゴル出身の新大関は、15年名古屋場所の照ノ富士以来6人目。外国出身では18年名古屋場所の栃ノ心以来、12人目の新大関誕生となった。
関脇3人は、いずれも大関取りの場所となる。東の豊昇龍(24=立浪)は6場所連続の在位(三役は9場所連続)、西の大栄翔(29=追手風)は2場所連続の在位(三役は3場所連続)、西の序列2番目の若元春(28=荒汐)は2場所連続の在位(三役は4場所連続)となっている。
この3人はいずれも、先場所と先々場所で三役として2場所通算20勝以上している。
これは 1972年秋場所の貴ノ花、魁傑、輪島以来、史上3回目となるハイレベルの関脇3人衆となった。
なお、同じように前2場所通算21勝以上の関脇3人が名を連ねたのは初めてとなった。
小結は4場所連続の琴ノ若(25=佐渡ケ嶽)が今場所も東に在位し、西は阿炎(29=錣山)が昨年秋場所以来、5場所ぶりの復帰となりました。
八角理事長が今日60歳の還暦を迎えました。
秋場所前の9月2日に還暦土俵入りを行います。
露払いは北勝富士、太刀持ちは君ヶ浜親方(元隠岐の海)の予定です。
残念ながら二所ノ関も宮城野も外されてしまいましたね。
まぁ難しい事はよく分からんが横野さんに言いたいわ。いくら男女平等だからとはいえ男と女の違いがあり、そんな所までズケズケ入り取材するのは大反対だね!いくら恥ずかしいなんて言ってる力士はいない、なんて言っても常識の問題だとおばちゃんズ!は思うよ。そんなものOKしたら常識外の事がみんなOKになる。
横野さんにがっかりだわ。
支度部屋での取材を、女性記者にも開放しようという動きが進行中だとか。
コロナ感染拡大後、ここでの取材は禁止されました。が、先の夏場所では大関・横綱に限って解禁され、この名古屋場所からは全面的に元に戻す流れが決まりつつある」 と、ここまではまあ ウエルカムな動きである。 一方で、 「それと同時に、これまで禁じられてきた女性記者の入室もOKにしようという話も進んでいまして……」 これに一部の力士から反対論が出ているという。
力士は回しをつける際、素っ裸になる。付け人の手を借りて下半身をバスタオルで覆う力士もいますが、面倒くさいからと裸のままで行う力士もいます」 取組後も、 「力士は奥にある風呂に入りますが、そこから上がるとタオル一枚で座敷に座り、パンツをはきます」 そうした際に、当然“見えて”しまうこともしばしばあるらしい。 「私も何度もご開陳にあったことがあります」 とは相撲取材歴の長いカメラマン。 「特に下っ端の力士は自分の取組が終わると上位力士の世話をしないといけない。忙しくてタオルを巻いて着替える暇などありません」
たとえるなら銭湯の脱衣所と同じだという。
今回の動きは、フジテレビの相撲レポーター、横野レイコさんが発端です」 と発言してるのは某スポーツ紙のデスク。
「『今は男女平等の時代だから』 と協会幹部に進言したとか。しかし、若手力士の中にはこの話を聞き“恥ずかしい”という声も上がっているそうです。協会の判断が注視されていますね」
これに対して当の横野さんは
『記者クラブの幹事社には “昭和の時代とは明らかに変わってきているので、取材の場において男女差別をしたら協会も批判されるし、クラブとしてそれでよいのでしょうか?”とは言いましたけどね。全裸の姿を見られて恥ずかしいって言っている力士がいる? 私の知る限りそんな力士はいませんよ。ジェンダーレスの時代なのだから、“着替えの場”と言うのなら男性記者も含めて支度部屋取材がOKなのかどうか考えなければいけないのでは?』とのこと。
・・・今から60年近く前、蔵前国技館に観戦に行き、子供だった私がチョロチョロと支度部屋に入り込んだ際には、確かに太ったお相撲さんたちが素っ裸になって着替えてました。まあ私はすぐに筋肉隆々の明武谷関にヒョイと持ち上げられて『ここへ入ってきちゃ駄目だよ』と出されてしまいましたが……。
印象では たしかに銭湯の脱衣所でしたね。
横野さんは男女平等をはき違えてますね。
女性アスリートの着替えエリアに男性記者が入らないのと一緒ですね。
既述した今週金曜日のNHK①アナザーストーリー「力道山」
どうしても大成功したプロレス時代の話題が中心になると思うので
力道山の相撲時代に触れておくと
力士時代の力道山
15歳で二所ノ関部屋に入門し、1940年5月場所初土俵、1946昭和21年11月場所に入幕し、入幕2場所目の1947年6月場所に前頭8枚目で9勝1敗の星をあげ、横綱羽黒山、大関前田山、同東富士ら3人と相星となりました。
この場所から新たに設けられた優勝決定戦に出場し、優勝した羽黒山に敗れたが、優勝旗手となる(東西制の名残りで最後の優勝旗手)。
1948昭和23年5月場所では 横綱照國とこの場所優勝した大関東冨士を破り、さらに横綱前田山には取り直しの末、前田山の棄権によって不戦勝となって殊勲賞を受賞。
幕内出場10場所のうち負け越しは1場所だけ、幕内勝率5割8分1厘は戦後の関脇どまりの力士の中では最高である。同世代の鏡里喜代治、栃錦清隆、吉葉山潤之輔とも互角に取っており、力士を続けていれば大関も期待できる逸材でした。
突如、髷を落として引退しプロレスへ走った理由が、「朝鮮人という民族の壁があり、大関に上がれなかったから……」と本人の弁が伝わってますが
いますが、関脇で8勝7敗だった場所の後に引退しているので、信憑性は低い。
現役力士を引退したあとの 協会に縛られる親方人生を鑑みて、アメリカのプロレスを日本に導入して一旗揚げることを志したのだと推測されます。
「二所の荒稽古」の伝統は 玉錦から力道山へ、そして初代若乃花へと伝承されていったもので、プリンス貴ノ花が興した藤島部屋全盛時代及び二子山部屋との合併で巨大化した新たな二子山部屋の時代まで続きました。
現在でも時折NHKのアナウンサーが「二所の荒稽古)という言葉を発しますが、藤島・二子山部屋全盛時代と今を比べても荒さのレベルが全く違っていますね。