大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,643件 』

  • 投稿者:KON

    2/8に行なわれた NHK福祉大相撲にて

    力士が歌手と美声を競う恒例の「お楽しみ歌比べ」では、若手の人気幕内力士の熱海富士(伊勢ケ濱部屋)と伯桜鵬(伊勢ケ濱部屋)が対照的な楽曲を歌い上げた。
     22歳の熱海富士は、歌手の清水美依紗さんと「ホール・ニュー・ワールド」(中村倫也&木下晴香)デュエットを披露。
    さらにひとりで「手紙」(back number)を歌い上げた。
    若々しい楽曲を披露し、back numberについては「昔から大好きだった。せっかくの機会なので」と語っていた。
    一方、21歳の伯桜鵬は 演歌歌手の田中あいみさんと「3年目の浮気」(ヒロシ&キーボー)をデュエットし、ひとりで「酔歌」(吉幾三)を歌い上げた。
    渋い楽曲の選択に「吉さんの曲は全て好き」と言い、「酔歌」については「結局最後はお酒を飲む。お相撲さんらしい」と語っていました。

  • 投稿者:KON

    大相撲トーナメント
    フジテレビ色一掃の異例興行
    スポンサーによる懸賞幕など無地に
    チケットは完売

    「日本大相撲トーナメント」が9日、東京・両国国技館で開催され、主催するフジテレビの色が一掃される異例の興行となりました。
    元タレントの中居正広氏とフジテレビ社員である女性への不祥事に端を発し、隠蔽工作などで女性社員を守らず中居正広氏を番組に起用し続けたフジテレビを巡る一連の問題で 大相撲トーナメントの番組でも協賛企業の辞退が相次ぎ、テレビ放送の取りやめが決定。
    アナウンサーによる優勝者インタビュー、花道リポート、恒例の若手親方らによるOB戦が行われなかった。
    スポンサーによる懸賞幕、スポンサー名が記入された呼び出しの着物は無地に変更。
    牛一頭が贈られるなどした「フジテレビ賞」もなくなった。
    パンフレットには (いつもの) フジサンケイグループ代表としての日枝久氏の挨拶文どころか、主催者の名前、目玉をモチーフとしたシンボルマークの記載すらなくなった。
    放送中止に伴う措置でフジ側が自粛したという。

    それでもチケットは完売で、9630人の観客を集め、売店には長蛇の列ができるなど、館内は大盛況だった。
    賞金額も前年までと変わらず、幕内トーナメント優勝の250万円など賞金は事業部が捻出するため、例年通りで、総額1132万円が用意されました。

    日本大相撲トーナメントは1977昭和52年に開始された ( 明治神宮例祭奉祝全日本力士選士権大会=大正15年が第1回で今年が83回大会 に次ぐ) 花相撲興行で 第1回大会の優勝は決勝で大関三重ノ海を下した横綱北の湖。
    第2回は、その北の湖が決勝で小結の玉ノ富士に敗れる番狂わせ。
    第3回大会は 大関の三重ノ海が大関貴ノ花(=若貴兄弟の父)を下して初優勝しました。

    節目の50回大会となる来年は、あの華やかさを取り戻せるでしょうか。

  • 投稿者:KON

    例年と異なり主催のフジテレビによるテレビ放送はありませんでしたが、チケットは完売、会場には9630人の観客が詰めかけた。全5取組を闘い終えた高安は「まさか優勝できるとは思わなかった。たくさんご来場いただいたので一生懸命やりました。満員御礼で、本場所みたいな雰囲気でできました」と声援への感謝を口にした。
    元大関のベテランは2回戦から登場すると、遠藤、隆の勝を破って豊昇龍との準々決勝へ。新横綱を左四つに組み止めて寄り倒し、「横綱に勝てたのはうれしいです。時の人ですから」。
    準決勝は阿炎との突っ張り合いに圧力勝ちして突き落とし。決勝では若元春に対して左を差し合う形になると、右から力強く押っ付けて寄り切った。妻の杜このみさんと、その両親が客席から見守る前で優勝を飾った高安。
    今月28日に35歳の誕生日を迎えるが、「あっという間に35歳。力の限り頑張りたいですね」と意欲は全く衰えていない。
    これで、高安は貴乃花に並ぶ三度目の優勝。
    最多優勝は、千代の富士・曙・朝青龍・白鵬の4回。
    なお
    第10回(1986年) – 第26回(2002年)においては
    1日目・2日目別々のトーナメントを進行し、それぞれの優勝者を決定し、その優勝者二人が「総合優勝決定戦」で対戦し勝者がその年の総合優勝者と認定されていました。1日目・2日目の優勝者が同じ場合は「総合優勝決定戦」は行なわず、その力士がその年の優勝者と認定されていたので
    曙が通算5回優勝で単独での最多優勝 貴乃花が通算4回優勝という見解も 強ち間違いではないようです。

  • 投稿者:KON

    第49回大相撲のトーナメント大会は 9日、東京・両国国技館で行なわれ、元大関の幕内 高安が 5年ぶり3度目の優勝を果たし、賞金250万円などを獲得しました。

    決勝で関脇若元春を寄り切った高安。
    3位は 大関琴櫻と小結阿炎。

    新横綱の豊昇龍は2回戦から登場し、美ノ海と王鵬を下したものの、準々決勝で高安に寄り倒され敗退。
    2大関は琴桜が準決勝で若元春に押し出され、大の里は3回戦で玉鷲に屈したようです。

  • 投稿者:匿名

    聞いたよ、そういえは
    ゆうちゃんの声に似てるよな。
    意外とソフトな歌い方も似てるかな。
    生歌聞きたかったよ。特集してほしい!

  • 投稿者:匿名

    今日、両国国技館で開催されてる大相撲トーナメントは地上波『フジテレビ系列』やCS『フジテレビONE』で放送予定だったが、
    中居正広問題及びフジテレビ自体か有力タレントへの女子アナ上納問題、さらには他局の女子アナまでも中居正広や松本人志らへの献上品として利用していたという報道に、スポンサーが一斉に手をひいた為、フジテレビは今大会のテレビ放送を取りやめることを発表。 そのため、2025年の大相撲トーナメントのテレビ視聴は実施されない見込み。

  • 投稿者:KON

    元横綱・北の富士勝昭さんがテイチクレコードからリリースしたアルバム『北の富士“艶歌”をうたう』がこのたび、各種音楽配信サービスにて配信開始となりました。

    昨年11月に82歳で死去した北の富士さん。
    現役時代には、抜群の歌唱力に低音ボイスを生かして楽曲もリリース。デビュー曲『ネオン無情』は、50万枚を売り上げるヒットとなりました。
    今回、オリジナル曲をはじめ『夜霧よ今夜も有難う』、『粋な別れ』などのカバーを含む全14曲を収録したアルバム『北の富士“艶歌”をうたう』のサブスクリプションサービスへの解禁が決定しました。

    収録曲は以下の通り。
    おんなの怨み唄/夜霧の慕情/別れの宿/裏町ロマン/命の恋唄/夜霧よ今夜も有難う/ネオン無情/霧の海峡/慕情のブルース/夜更けのクラブ/裏町艶歌/粋な別れ/チャンコ花唄/別れの艶歌

  • 投稿者:KON

    一方で、
    「第11代天皇の垂仁天皇の在位期間は、西暦の紀元前29年から紀元前70年」という説も様々な故事来歴の書物に記されていて かなり有力です。

    出雲王権代表の野見宿禰と、ヤマト王権の当麻蹴速が技を競ったという可能性がありますが、当時の相撲はルールというものが全く整備されてなく、最後は蹴り合いになったと記されているので、格闘技といった感じ。
    この当麻蹴速と野見宿禰の力比べが相撲節会(すまひのせちえ)と呼ばれる宮中の年中行事に発展、そのため相撲のルーツとなったと考えられるのです。
    当麻蹴速と野見宿禰が力比べをした場所(『日本書紀』垂仁天皇7年条)は、日本書紀』には記載がなく、奈良県内でも実は葛城市と香芝市も「発祥の地」を掲げています。
    桜井市の場合は、大正時代に大神神社(おおみわじんじゃ)の宮司が編纂した『大和志料』に纒向村(まきむくむら)の「かたやしき」という字の茶園が相撲の場の旧跡で、「かたや」(方屋)は土俵を意味する古語とする記述があります。
    この「かたやしき」」が相撲神社の鎮座地ということで(ただし、古代の「かたや」は意味が違っているという説もあります)、昭和37年には日本相撲協会により、『顕彰大祭』が実施され、大鵬と柏戸の両横綱による土俵入りが奉納されています。

    さらに
    桜井市には出雲地区があり、地元の伝承では、野見宿禰は出雲国の出身ではなく、この出雲地区の出身だとされ、供養五輪塔や墓とされる塚も残されています。
    いずれにしろ、大和国のどこかで相撲が発祥ということで、桜井市の纒向遺跡には卑弥呼の墓と目される 箸墓古墳(はしはかこふん)があり、古代(3世紀)の都市遺構も出土していることから、邪馬台国からヤマト王権への移行の地とも推測でき、「相撲発祥の地」と宣言するのもうなづけます。

    相撲の聖地巡礼の旅
    お花見がてら お出掛けしてみてください。

  • 投稿者:KON

    大人気となった映画の撮影地を巡る“聖地巡礼”が近年では流行していますが

    徐々に暖かくなっていくであろう2月~4月
    相撲の地を巡礼するというのは如何ですか?

    東京だと
    江戸時代に大相撲興行が行なわれていた 両国の回向院。
    明暦の大火の後、四代将軍家綱の命で建てられた回向院で勧進相撲(寺社建築や修繕の為に寄付を募る目的=今で言うクラウドファンディング)が行なわれるようになり、1833年から76年間にわたり江戸大相撲の定場所となりました。
    蔵前國技館跡地は現在、都の下水道局北部下水道事務所と見学施設「蔵前水の館」。

    栃木県なら
    昭和26年に- 宇都宮城跡より移設された「日下開山 初代横綱 明石志賀之助碑」がある蒲生神社(宇都宮駅の西側=バス又は徒歩)

    そして “聖地”といえ
    相撲のルーツ「相撲発祥の地」という奈良県桜井市にあるのが相撲神社。
    『日本書紀』に當麻(たいま/現・奈良県葛城市)の当麻蹴速(たいまのけはや)が出雲国(現・島根県)の野見宿禰(のみのすくね)と 垂仁天皇(すいにんてんのう)の前で力比べを行なったとされるのが、相撲神社あたりで、境内には勝った野見宿禰を祀る祠もあります。

    『日本書紀』によれば、「日本最初の天覧相撲」の結果は、野見宿禰が当麻蹴速の腋骨と腰を折って殺害するという壮絶なもの。
    その結果、野見宿禰は、当麻蹴速の所領(現在の葛城市当麻一帯)を得たと記されています。
    しかも相手の腰を折ったことから、賜った地も腰折田(こしおれだ)というオチが。

    葛城市には腰折田公園があり、こちらを「相撲伝承発祥地」としています。
    野見宿禰は、大王の殉死の風習に代わる埴輪の制を提案し(殉死の代わりに埴輪を墳丘に置く)、埴輪などを制作する土師氏(はじし)の祖ともいわれています。
    垂仁天皇は、(実在したとすれば)、3世紀後半〜4世紀前半のヤマト王権の大王(律令制以前、天皇という呼称がまだない時代です)。

    つづく

  • 投稿者:KON

    大相撲ニュース

    高砂部屋移転

    文明開化の波に呑まれ相撲廃絶の動きもあった明治初期に、角界の改革を求めて活躍した初代高砂浦五郎が 一代で角界を代表する大部屋に育て上げた高砂部屋は 高砂浦五郎自身が「高見山大五郎」の四股名で幕内に上がった1878明治11年から 2016年に朝赤龍が十両から転落するまで、なんと 139年も続けて関取を輩出し続け、明治28年六月場所では、東西対抗形式だった幕内力士の東方18人中12人が高砂部屋力士が占めるなど、明治以降、角界屈指の名門部屋として知られ、横綱7人、大関8人を輩出した大相撲屈指の名門、高砂部屋が2月2日、東京・墨田区石原に移転した新たな部屋で部屋開きを行ないました。

    高砂一門の八角理事長(元横綱北勝海)、OBの元横綱朝青龍らも出席。
    墨田区本所から、1月の初場所後に引っ越し、この日の部屋開きで初稽古も行なった。
    部屋は地上3階建てで、コロナ禍で隔離に困った教訓から大部屋は設けず、5~6人用の中部屋を5つ、関取用の個室を3つの構成。
    師匠の8代目高砂親方(元関脇朝赤龍)は「感慨深い。横綱を育てるのが夢。伝統を守りながら新しい風を入れたい」と語り、八角理事長も「5代目となる“朝潮太郎”をつくってほしい」と、横綱、大関が名乗った部屋伝統の四股名に見合う力士育成を願ったそうです。

    高砂部屋が輩出した横綱は
    西ノ海嘉治郎(16代横綱・鹿児島)
    初代小錦八十吉(17代横綱・千葉)
    男女ノ川登三(34代横綱・茨城)
    前田山英五郎(39代横綱・愛媛)
    東富士欽壹(40代横綱・東京)
    3代目朝潮太郎(46代横綱・鹿児島)
    朝青龍明徳(68代横綱・モンゴル)

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