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新横綱・豊昇龍の呆れた“飲み会動画”が流出し、関係者の間で物議を醸している。一人横綱としての品格を問う声が上がる裏で、出席者を直撃して見えてきた騒動の意外な真相とは 目の前に差し出された盛り付けも鮮やかなデコレーションケーキに、自ら豪快に顔を突っ込む男。大歓声が上がった次の瞬間、ケーキから顔を上げ、満面の笑みを見せたのは横綱・豊昇龍(立浪部屋)。 この どんちゃん騒ぎの宴の様子を映した動画がインスタグラムに投稿されたのは4月9日。現在は投稿者のアカウントから消えたが、すでに拡散され一部で話題となっている。 撮影されたのは名古屋市内にあるダイニングバーとされ、この日は豊昇龍の横綱昇進を祝うため貸し切りになっていたという。 冒頭のシーンで、豊昇龍の顔とケーキがぶつかる寸前、両手でケーキを捧げ持つ男性の腕に“和彫り”とおぼしきタトゥーの一部が、捲り上げたシャツの袖口からのぞいていた。 さらに豊昇龍がケーキに顔をうずめた際、きれいに結った髷の隙間に、厚みのある1万円札の束が挿し挟まれているのがハッキリと映し出されている 新潮爆弾より
元鶴竜、“先達の親方衆の扱いが丁寧”と協会内の評価が急上昇、一方の元白鵬は部屋閉鎖…モンゴル出身横綱、引退後の逆転劇 弟子の暴力行為などにより元横綱・白鵬の宮城野部屋が閉鎖となり、伊勢ヶ濱部屋に吸収されて1年が過ぎた。 「今年の七月名古屋場所前に伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)が65歳の定年を迎えるため、その前に宮城野部屋を復活させる話も出ていたが、見送りになったようだ。協会執行部は “あと1年は閉鎖を続ける”という方針だとされています」(若手親方) 対照的に協会内で評価急上昇なのが、同じモンゴル出身の後輩にあたる元横綱・鶴竜の音羽山親方だという。相撲ジャーナリストが言う。 「現役時代は白鵬の優勝45回に対して鶴竜は6回だが、親方としては鶴竜が上。先達の親方衆の扱いが丁寧なことが大きい。白鵬が部屋継承の際に先代の師匠(元前頭・竹葉山)を再雇用の期限まで4年以上残して廃業に追い込んだ一方、鶴竜は独立前の師匠である陸奥親方(元大関・霧島)を再雇用後も部屋付き親方として面倒を見ている」 そうした行動の積み重ねが、親方としての出世を大きく分けるという。 「かつて同じ九重部屋の横綱だった千代の富士と北勝海(現・八角理事長)もそうだった。千代の富士は師匠の元横綱・北の富士をぞんざいに扱い、北勝海は部屋の土地建物を購入するなど様々な面倒を見た。 結果、現役時代は千代の富士の優勝31回に対し北勝海は同8回と見劣りしたのに、北の富士を後ろ盾に北勝海が一門の理事、そして理事長に上り詰めた。鶴竜も時津風一門の重鎮である陸奥親方を後ろ盾に理事への道が開けた」(同前) 時津風一門は2人の理事を輩出するが、現理事のひとりが定年間近で来年2月の理事選には出ない。その後釜には元鶴竜の音羽山親方が最有力候補だという。 「一方の白鵬の伊勢ヶ濱一門は理事を1人しか出せない弱小派閥のうえ現理事の浅香山親方(元大関・魁皇)が52歳と若い。初の外国出身理事には鶴竜のほうがずうっと近い」(同前) 土俵を去ってからの驚きの“逆転劇”となるのか。 ※週刊ポスト2025年4月18・25日号
とうとう協会の白鵬いじめで追い出すのか! こうなる前に解体してきちんとした協会作るべきだったんだよな! 場所前の稀勢の里、ここのえなどの不祥事は何もなかったかの様にスルー、白鵬だけあの始末! 別に白鵬のファンではないがめちゃくちゃなやり方。 協会は組織作り直さないと又色々出てくるぞ!
北の富士さんからの電話はいつも突然… そのたびに謝ってばかりだった私、でも、もう電話はかかってこない サンスポ担当記者が回想 大相撲九州場所八日目の11月17日(2024年)。 私は現場の福岡を離れ東京にいた。お世話になった(サンスポ)本紙評論家の北の富士勝昭さんに最後のお別れをさせて戴く為だった。亡くなって5日が過ぎていた。 「親方、遅くなってすいません」。 いつものように頭を下げた。昼過ぎの飛行機に乗る為、棺の前には30分しかいられなかった。心の中で話しかけ、ただ顔を見つめることしかできなかった。 北の富士さんのもとへ駆けつけることはよくあった。連絡が来るのはいつも突然。そのたびに謝ってばかりだった。 毎年、この時期になるとタラ鍋に誘ってもらった。 「いい鱈(タラ)があるんだけどね、来る?」 北の富士さんの誘いとあれば、既に満腹でも断ったことがない。 「じゃあ30分後に待ってるからね」 30分後か…。「間に合うわけがない」と愚痴をこぼしながらも一目散に駆けつけた。 ある時は浅草橋の焼き鳥屋にいる北の富士さんから電話が。 「もう店にいるんだけど、あとどのくらいで着くのよ?」 不機嫌そうな声。その前に「そんな約束してないんですけど」と頭を抱えながら、とりあえず駆けつけた。 北の富士さんはポツンと1人。私が行かなかったらどうなっていたんだろうか。そんなことが多々あると、多少のことでは驚かなくなる。
文春砲によると 無期限閉鎖中で伊勢ヶ濱部屋で預りという境遇の元横綱・白鵬が相撲協会「退職の意向」 直撃インタビューに白鵬本人は否定せず…… などと不穏な記事が明らかにされてます SNSでは 『さっさと退職してしまった上で、もう別の団体・・・新日本大相撲協会でも設立して、より開かれた見ごたえのある相撲を展開して欲しいし、横綱白鵬にそれをやって欲しい。』 というコメントも出てますね
文春で元白鵬の宮城野親方が 相撲協会を退職するという記事が 出たそうですが 本当なのか? 本人は否定はしなかったらしいけど 宮城野親方の部屋の弟子らは どうなるのか? 伊勢ヶ濱部屋の力士となるのでしょうか? 元石浦の間垣親方は、伊勢ヶ濱部屋付きの親方として残るのか? 白鵬、相撲協会を退職だとなると その、後はどうするのでしょうか?
バカでかいTボーンステーキを「おれはこっち、君はそっち」と分け合って食べた。おなかは満たされた。「口直しに行こう」と言うのでコーヒーか甘い物かとついて行くと、向かった先はオイスターバー。大量の生ガキで口直しとなった。 地方場所は1人でホテルに宿泊している北の富士さん。早朝に突然の電話で起こされた。 「今日はテレビの解説なんだけど、昨日から便が出なくてね。体育館に行くまでに出ないと困るんだ。アレを買ってきてよ」 「アレ」で分かってしまう自分もどうかと思うが、早朝から開いている薬局を探して、いつもの便秘薬を届けに行った。 「あと歯磨き粉も。白くなるやつね」と追加の注文。 そうくると、こっちもやけくそだ。「この店で一番白くなる歯磨き粉をください」。訳の分からない私の要求に、店員さんもさぞかし驚いたことだろう。 もう電話は かかってこない。あの頃が本当に懐かしい。 (大相撲担当・岸本隆) 終了
北の富士さんが大事にしていた人生訓 師匠(初代九重=元横綱千代の山・・・後に都道府県別で最多の8人を数える北海道出身横綱の草分け)から数々の教えを受けた北の富士さんですが、人生訓として大切にしてる言葉は、歌舞伎の世界の人からの言葉だったそうです。 それは 歌舞伎役者の四代坂田藤十郎さん(藤十郎襲名前は三代目中村鴈治郎・二代目中村扇雀)。 扇千景さんのご主人としても知られ、中村玉緒さんの実兄。艶っぽいエピソードでは北の富士さんのかなり上をいく藤十郎さんは 北の富士さんが 今も大相撲の新入幕最多勝記録の13勝して一気に小結へと番付が上がった昭和39年春場所にて4勝11敗と大きく負け越し、とある飲食店でひとりでお酒を飲んでいる時に(当時の名前が)扇雀さんから声を掛けられて、励まされたそうです。 扇雀さん曰く 「弓の矢も引かなければ飛びません。今、関取はキリキリ…と弓を引き絞っている時なんです。元気を出して頑張りなさい。歯を食いしばって耐えて基本の稽古を続ければ ほどなく良い結果が出ますよ」 この言葉は、後年の北の富士さんの人生訓だったようです。 扇雀さんの言葉通り、稽古に励み、得意の突っ張りからの左四つ右上手で寄って出ながらの上手投げを繰り返し稽古。 新小結での大負けの翌場所には 左四つからの寄り、そして自身の腰高の弱点をつかれて吊りあげにきた相手を外掛けで刈り倒して得意の外掛けが冴えに冴え外掛けで4番勝つなどして十一日目には勝ち越して、一気に新関脇に昇進したのでした。
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新横綱・豊昇龍の呆れた“飲み会動画”が流出し、関係者の間で物議を醸している。一人横綱としての品格を問う声が上がる裏で、出席者を直撃して見えてきた騒動の意外な真相とは
目の前に差し出された盛り付けも鮮やかなデコレーションケーキに、自ら豪快に顔を突っ込む男。大歓声が上がった次の瞬間、ケーキから顔を上げ、満面の笑みを見せたのは横綱・豊昇龍(立浪部屋)。 この どんちゃん騒ぎの宴の様子を映した動画がインスタグラムに投稿されたのは4月9日。現在は投稿者のアカウントから消えたが、すでに拡散され一部で話題となっている。 撮影されたのは名古屋市内にあるダイニングバーとされ、この日は豊昇龍の横綱昇進を祝うため貸し切りになっていたという。
冒頭のシーンで、豊昇龍の顔とケーキがぶつかる寸前、両手でケーキを捧げ持つ男性の腕に“和彫り”とおぼしきタトゥーの一部が、捲り上げたシャツの袖口からのぞいていた。
さらに豊昇龍がケーキに顔をうずめた際、きれいに結った髷の隙間に、厚みのある1万円札の束が挿し挟まれているのがハッキリと映し出されている
新潮爆弾より
な~るほど北の富士さんと北勝海とは師弟関係だけど千代の富士とは兄弟弟子の関係だからなあ……………
もうご存知かもですが…
明後日 12日(土)NHK総合で
AM5:40〜5:50 (10分間) の枠で北の富士さん特集があるそうです!
元鶴竜、“先達の親方衆の扱いが丁寧”と協会内の評価が急上昇、一方の元白鵬は部屋閉鎖…モンゴル出身横綱、引退後の逆転劇
弟子の暴力行為などにより元横綱・白鵬の宮城野部屋が閉鎖となり、伊勢ヶ濱部屋に吸収されて1年が過ぎた。
「今年の七月名古屋場所前に伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)が65歳の定年を迎えるため、その前に宮城野部屋を復活させる話も出ていたが、見送りになったようだ。協会執行部は “あと1年は閉鎖を続ける”という方針だとされています」(若手親方)
対照的に協会内で評価急上昇なのが、同じモンゴル出身の後輩にあたる元横綱・鶴竜の音羽山親方だという。相撲ジャーナリストが言う。
「現役時代は白鵬の優勝45回に対して鶴竜は6回だが、親方としては鶴竜が上。先達の親方衆の扱いが丁寧なことが大きい。白鵬が部屋継承の際に先代の師匠(元前頭・竹葉山)を再雇用の期限まで4年以上残して廃業に追い込んだ一方、鶴竜は独立前の師匠である陸奥親方(元大関・霧島)を再雇用後も部屋付き親方として面倒を見ている」
そうした行動の積み重ねが、親方としての出世を大きく分けるという。
「かつて同じ九重部屋の横綱だった千代の富士と北勝海(現・八角理事長)もそうだった。千代の富士は師匠の元横綱・北の富士をぞんざいに扱い、北勝海は部屋の土地建物を購入するなど様々な面倒を見た。
結果、現役時代は千代の富士の優勝31回に対し北勝海は同8回と見劣りしたのに、北の富士を後ろ盾に北勝海が一門の理事、そして理事長に上り詰めた。鶴竜も時津風一門の重鎮である陸奥親方を後ろ盾に理事への道が開けた」(同前)
時津風一門は2人の理事を輩出するが、現理事のひとりが定年間近で来年2月の理事選には出ない。その後釜には元鶴竜の音羽山親方が最有力候補だという。
「一方の白鵬の伊勢ヶ濱一門は理事を1人しか出せない弱小派閥のうえ現理事の浅香山親方(元大関・魁皇)が52歳と若い。初の外国出身理事には鶴竜のほうがずうっと近い」(同前)
土俵を去ってからの驚きの“逆転劇”となるのか。
※週刊ポスト2025年4月18・25日号
とうとう協会の白鵬いじめで追い出すのか!
こうなる前に解体してきちんとした協会作るべきだったんだよな!
場所前の稀勢の里、ここのえなどの不祥事は何もなかったかの様にスルー、白鵬だけあの始末!
別に白鵬のファンではないがめちゃくちゃなやり方。
協会は組織作り直さないと又色々出てくるぞ!
北の富士さんからの電話はいつも突然… そのたびに謝ってばかりだった私、でも、もう電話はかかってこない
サンスポ担当記者が回想
大相撲九州場所八日目の11月17日(2024年)。
私は現場の福岡を離れ東京にいた。お世話になった(サンスポ)本紙評論家の北の富士勝昭さんに最後のお別れをさせて戴く為だった。亡くなって5日が過ぎていた。
「親方、遅くなってすいません」。
いつものように頭を下げた。昼過ぎの飛行機に乗る為、棺の前には30分しかいられなかった。心の中で話しかけ、ただ顔を見つめることしかできなかった。
北の富士さんのもとへ駆けつけることはよくあった。連絡が来るのはいつも突然。そのたびに謝ってばかりだった。
毎年、この時期になるとタラ鍋に誘ってもらった。
「いい鱈(タラ)があるんだけどね、来る?」
北の富士さんの誘いとあれば、既に満腹でも断ったことがない。
「じゃあ30分後に待ってるからね」
30分後か…。「間に合うわけがない」と愚痴をこぼしながらも一目散に駆けつけた。
ある時は浅草橋の焼き鳥屋にいる北の富士さんから電話が。
「もう店にいるんだけど、あとどのくらいで着くのよ?」
不機嫌そうな声。その前に「そんな約束してないんですけど」と頭を抱えながら、とりあえず駆けつけた。
北の富士さんはポツンと1人。私が行かなかったらどうなっていたんだろうか。そんなことが多々あると、多少のことでは驚かなくなる。
文春砲によると
無期限閉鎖中で伊勢ヶ濱部屋で預りという境遇の元横綱・白鵬が相撲協会「退職の意向」
直撃インタビューに白鵬本人は否定せず……
などと不穏な記事が明らかにされてます
SNSでは
『さっさと退職してしまった上で、もう別の団体・・・新日本大相撲協会でも設立して、より開かれた見ごたえのある相撲を展開して欲しいし、横綱白鵬にそれをやって欲しい。』
というコメントも出てますね
文春で元白鵬の宮城野親方が
相撲協会を退職するという記事が
出たそうですが
本当なのか?
本人は否定はしなかったらしいけど
宮城野親方の部屋の弟子らは
どうなるのか?
伊勢ヶ濱部屋の力士となるのでしょうか?
元石浦の間垣親方は、伊勢ヶ濱部屋付きの親方として残るのか?
白鵬、相撲協会を退職だとなると
その、後はどうするのでしょうか?
バカでかいTボーンステーキを「おれはこっち、君はそっち」と分け合って食べた。おなかは満たされた。「口直しに行こう」と言うのでコーヒーか甘い物かとついて行くと、向かった先はオイスターバー。大量の生ガキで口直しとなった。
地方場所は1人でホテルに宿泊している北の富士さん。早朝に突然の電話で起こされた。
「今日はテレビの解説なんだけど、昨日から便が出なくてね。体育館に行くまでに出ないと困るんだ。アレを買ってきてよ」
「アレ」で分かってしまう自分もどうかと思うが、早朝から開いている薬局を探して、いつもの便秘薬を届けに行った。
「あと歯磨き粉も。白くなるやつね」と追加の注文。
そうくると、こっちもやけくそだ。「この店で一番白くなる歯磨き粉をください」。訳の分からない私の要求に、店員さんもさぞかし驚いたことだろう。
もう電話は かかってこない。あの頃が本当に懐かしい。
(大相撲担当・岸本隆)
終了
北の富士さんが大事にしていた人生訓
師匠(初代九重=元横綱千代の山・・・後に都道府県別で最多の8人を数える北海道出身横綱の草分け)から数々の教えを受けた北の富士さんですが、人生訓として大切にしてる言葉は、歌舞伎の世界の人からの言葉だったそうです。
それは
歌舞伎役者の四代坂田藤十郎さん(藤十郎襲名前は三代目中村鴈治郎・二代目中村扇雀)。
扇千景さんのご主人としても知られ、中村玉緒さんの実兄。艶っぽいエピソードでは北の富士さんのかなり上をいく藤十郎さんは
北の富士さんが 今も大相撲の新入幕最多勝記録の13勝して一気に小結へと番付が上がった昭和39年春場所にて4勝11敗と大きく負け越し、とある飲食店でひとりでお酒を飲んでいる時に(当時の名前が)扇雀さんから声を掛けられて、励まされたそうです。
扇雀さん曰く
「弓の矢も引かなければ飛びません。今、関取はキリキリ…と弓を引き絞っている時なんです。元気を出して頑張りなさい。歯を食いしばって耐えて基本の稽古を続ければ ほどなく良い結果が出ますよ」
この言葉は、後年の北の富士さんの人生訓だったようです。
扇雀さんの言葉通り、稽古に励み、得意の突っ張りからの左四つ右上手で寄って出ながらの上手投げを繰り返し稽古。
新小結での大負けの翌場所には 左四つからの寄り、そして自身の腰高の弱点をつかれて吊りあげにきた相手を外掛けで刈り倒して得意の外掛けが冴えに冴え外掛けで4番勝つなどして十一日目には勝ち越して、一気に新関脇に昇進したのでした。