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新装オープンした新しい会場での名古屋場所 大相撲名古屋場所(7月13日初日、愛知・IGアリーナ)の新番付を発表。草野(伊勢ケ浜)、若碇改め藤ノ川(伊勢ノ海)、琴栄峰(佐渡ケ嶽)が新入幕を果たした。 草野は春場所で新十両の初日からの連勝記録を塗り替えるなど、14勝1敗。夏場所は西同筆頭で2場所連続の優勝を飾り、2場所で十両を通過した。伊勢ケ浜部屋からは今月9日に現師匠(元横綱・照ノ富士)が継承してから初めて。熊本県出身では2016年初場所の正代以来、戦後21人目。日大からは尊富士以来、43人目の新入幕で、東前頭14枚目に位置した。 (栃木県) たった10名程度の”家族葬” – 後日届いた請求額はこちら (栃木県) たった10名程度の”家族葬” – 後日届いた請求額はこちら リスト | Red Gobo 若碇改め藤ノ川は先場所で12勝3敗。伊勢ノ海部屋からは錦木以来。 京都府出身では1998年九州場所の父・大碇(現甲山親方)以来、戦後4人目の新入幕。20歳という年齢は現在の幕内で最年少。 先場所11勝4敗の琴栄峰は、琴勝峰(佐渡ケ嶽)と兄弟同時に幕内力士となった。 再入幕は元大関・御嶽海(出羽海)、英乃海(木瀬)の2人。 錦木(伊勢ノ海)、竜電(高田川)、湘南乃海(高田川)、玉正鳳(片男波)、栃大海(春日野)の5人が十両に転落となりました。 藤ノ川は 明治2年に初代藤ノ川が番付に載り、幕内上位で10年以上活躍した藤ノ川忠之助(後に柏戸宗五郎へ改名)が初代で、戦後の柏鵬時代に『今牛若丸』とアダ名され人気力士だった藤ノ川が四代目。学生相撲から角界入りした服部が五代藤ノ川を名乗りましたので、今回の若碇が襲名した藤ノ川は六代目。
番付発表 新番付で先場所6勝9敗だった高安が小結に残留❗ 名古屋場所の新番付を発表、夏場所東小結で 6勝9敗と負け越した高安が西小結に回って三役に残留となりました。 日本相撲協会によると、小結で6勝止まりだった力士が翌場所も小結だったのは15日制度導入された昭和14年5月場所以降で初めてのケース。 夏場所の三役は関脇2人が勝ち越し。 小結は西の若隆景が12勝を挙げ、今場所は関脇に復帰。 東小結で6勝の高安は平幕に転落しても妥当な成績だが、平幕の上位は東西5枚目までが全て負け越し。 東6枚目で10勝の欧勝馬が東の小結に昇進したが、東9枚目で11勝の安青錦を上げず、高安を6番しか勝ってなくても東から西に回す形となった。 番付編成においては、勝ち越した分だけ上昇し、負け越した分だけ降下するのが原則ですが「番付は生き物」とも言われるように、成績のバランスが伴わず計算通りにいかないこともある。 三役などは全員が勝ち越してしまえば、平幕以下が勝ち越しても据え置かれることもありますが、本来なら3点負け越して 3枚は降下する三役が 0.5枚しか落ちなかった異例の“番付運の良さ”となった。 優勝運には見放されてる高安ですが 番付運はあるようです。 ここで気を良くして、悲願の初優勝を遂げて欲しいものです
北の富士流 (村松友視 著) 粋な着物姿 現代における男の着物姿という「和のテイストの継承者」という観点からも北の富士さんの着物姿は見甲斐のある風景と言える。かつて、力士は渋い着物を粋に着こなし浴衣姿等には夏の風物詩的な魅力を感じたものだったが、最近の若手力士ときたらピンクや黄色・オレンジ色、蛍光色か?と見紛う明るいグリーンなどのド派手な着物姿ばかりで、バラエティ番組やCMでは愛嬌を放つものの、街を歩いて行き交う人の目を惹く “力士独特の粋な姿”とは程遠い格好が目立つようになった。 そんな情けない風潮の中で、むしろ渋めの色を選びながら、そこに組み合わせる半襟や羽織の紐、帯や扇子の色合い風合い、それをゆったりと着こなしたテレビ画面の北の富士さんの着物姿を見ることがファンには毎場所の楽しみになっていた。 夏の銀鼠や紗織りの着こなし等からは相撲だけでなく現代日本から絶滅の危機に瀕してる「懐かしい日本男児の特権的な和の雰囲気」が伝わってくる。 その着物姿に新しい相撲ファンとして参入してきたスー女たちが目をつけるのは当然だ。彼女達は自分らの日常では けっして目のあたりにしない “日本人らしい男の格好よさ ”を北の富士さんの着物姿に感じて眺め、「男の粋」というものに生まれて初めて触れることができてワクワクしているそうだ。
増位山さんを偲ぶ サンスポ塚沢健太郎 大相撲を見始めた昭和55年。初めて使者を迎えての「昇進」を知ったのは、大関になった増位山さんだった。それから20年、新聞記者として相撲担当になると、増位山さんは三保ケ関親方として審判部副部長に就いていたため、幸いにして毎日のように取材する機会に恵まれ、こちらの意図する答えをしてくれるなど、ずいぶん助けてもらった。 歌手としてミリオンヒットを出していただけあって、物言いの際に審判長の場内アナウンスでは館内によく通る美声で、さすが違うなと感心したもの。ところが、なぜか際どい相撲、〝誤審だ〟とファンが騒ぐような騒動になる一番、平成15年名古屋場所で横綱朝青龍が旭鷲山のマゲを引っ張り反則負けになったときなど、トラブルが起こるときの審判長は必ず増位山さんだった。 「また三保さんかよ」と言いながら取材のために審判室へ走ったことが何度もあったが、それでも誠実な人柄の増位山さんは、少ししどろもどろになりながらも、丁寧に質問に答えてくれた。 エストニア出身の把瑠都が三保ケ関部屋に入門し、新弟子検査を受けたときには、「俺もこれからガンバルト」とノリノリで、ユーモアあふれるサービス精神もあった。親方らしくない普通の感覚を持っていたからこそ、芸能界でもやっていけたのだと思う。 ・・口が重い親方には苦労するそうで、記者たちから大人気の親方というのは 弁舌さわやか、訊きたいことを的確に、さらにプラスαの情報もくれたとのこと。特に、元栃錦の春日野さん・元北の富士の九重さん、元増位山の三保ヶ関さんは トップスリーだったそうです
昨日は梅雨入り時とは思えない暑さでしたが、頑張ってチャリンコで昼カラオケへ行き、 “増位山太志郎さん追悼”で 『そんな女のひとりごと』『今度逢えたら』『けいこ』『昭和流行歌』『そんな夕子にほれました』を唄ってきました。 DAMの本人映像の画面で気持ちよく唄いましたが、店内のお客さん(全員が中高年)も 増位山さんの思い出話をしていました
力士・親方のテレビ番組情報 ウワサのお客さま 大相撲・荒汐部屋のスゴ腕ちゃんこ長 6月20日(金) 20:00〜21:58 フジテレビ⑧ 番組内容 ◆大相撲界でウワサの料理人が登場 若隆元・若元春・若隆景の大波三兄弟が所属する荒汐部屋(親方は元前頭 蒼国来、力士数14名)の1日に密着し、相撲界随一スゴ腕ちゃんこ長が作る“絶品食欲アップ飯”を紹介していく。疲労回復効果もある ゆずの皮を使用した特製ゆず塩ちゃんこは、力士たちの1番人気メニュー。 さらに、後援者からの差し入れを使った巨大なブリのなめろうや、食欲そそる鶏もも肉1枚まるごとスパイス揚げなど、荒汐部屋ならではの豪快料理が続々登場 他に ・『カルディコーヒーファーム』でウワサのママ芸人が登場 ・『ステーキガスト』でウワサのお客さまが登場 ステーキ食べ放題で爆食する肉食クイーンに密着 出演者 【MC】 伊達みきお・富澤たけし(サンドウィッチマン)、川島明(麒麟) 【進行】 雨宮萌果 【ゲストお客さまウォッチャー】 佐藤仁美 藤田ニコル
増位山さをの訃報残念です。 ちゃんこ屋根さんも行きましたし、唄は軽く唄いムーディでしたね。 夜の世界の唄も多かったので女性ファン多かったし昨夜は増位山さんの曲唄う方が多かったです。北の富士さんも元気な時は冬子のブルースを唄ってました。 凄くムードがあって好きでした。 好きな方々が居なくなっていくのは本当に寂しいです。
増位山さんの内掛け ・・ お父さんの初代増位山=増位山大志郎さんと同じく 相撲も上手いが絵の才能も父子揃ってとても上手で二科展の常連だった増位山太志郎さん。 そして歌も父子揃ってとても上手で、父子で相撲甚句のCDを発売し、甚句のCDとしては異例の売り上げだった。 相撲の話に戻ると、二代増位山の内掛けは、昭和では 戦後の琴ヶ濱と並び「内掛け名人」と称されました。 鎌で刈り取るが如く足を飛ばす琴ヶ濱の内掛け、 一方、増位山さんは 出し投げをうって相手の上体を崩し、相手が身構えて重心を後ろに移した瞬間、間髪入れずに内掛けを仕掛けて体を預けるというスピード感のある必殺技でした。
大相撲の元大関・2代目増位山の増位山太志郎さん=沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。76歳。17日に日本相撲協会などが発表した。 増位山さんの悲報を受け、現役当時ライバルだった元大関の琴風さんが追悼した。 ****** 粋な力士だった。イケメンでスタイルも抜群、歌もうまかった。 私には「まわり道」というヒット曲がありましたが、増位山さんは「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などが大ヒットし有線音楽大賞も受賞した。 私なんかとは まるでレベルが違っていた。 2人で大晦日(おおみそか)に行なわれたテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」に出たこともある。ライバルではない。私の歌唱法はどちらかというと正統派だと思う。増位山さんは夜の世界で働く女性が好むような、すすり泣くような歌声だった。 日本相撲協会を65歳で定年退職する時、増位山さんに「これからどうするんですか」と聞いたことがある。すると「俺には歌があるから幸せだよ」と言っていた。 増位山さんは女性人気もすごかった。 私が若い頃の地方巡業は土俵が屋外にあり、支度部屋もロープでつなぎ合わせた簡易的なものだった。私が片付けを始めた時、支度部屋の奥で若い女性と肩を寄せ合っていた増位山さんと目があってしまったこともあった。いい思い出だ。 増位山さんの相撲は立ち合いで手を出して相手の動きを止め、懐に入って内掛け、肩透かしを決める技巧派。 過去の対戦は7勝3敗と私がまわしを取って引きつけて勝ち負けの数では圧倒した形が、負けた3番は はたき込み、掛け投げ、肩透かしと術中にはまった。 2人とも親方になってからは「大関会」でご一緒させてもらったが、朝潮さん、旭国さん、そして増位山さんと同年代の仲間がみんな逝ってしまった。本当にさみしくて悲しい。合掌 (元大関・琴風、スポーツ報知評論家)
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新装オープンした新しい会場での名古屋場所
大相撲名古屋場所(7月13日初日、愛知・IGアリーナ)の新番付を発表。草野(伊勢ケ浜)、若碇改め藤ノ川(伊勢ノ海)、琴栄峰(佐渡ケ嶽)が新入幕を果たした。
草野は春場所で新十両の初日からの連勝記録を塗り替えるなど、14勝1敗。夏場所は西同筆頭で2場所連続の優勝を飾り、2場所で十両を通過した。伊勢ケ浜部屋からは今月9日に現師匠(元横綱・照ノ富士)が継承してから初めて。熊本県出身では2016年初場所の正代以来、戦後21人目。日大からは尊富士以来、43人目の新入幕で、東前頭14枚目に位置した。
(栃木県) たった10名程度の”家族葬” – 後日届いた請求額はこちら
(栃木県) たった10名程度の”家族葬” – 後日届いた請求額はこちら
リスト | Red Gobo
若碇改め藤ノ川は先場所で12勝3敗。伊勢ノ海部屋からは錦木以来。
京都府出身では1998年九州場所の父・大碇(現甲山親方)以来、戦後4人目の新入幕。20歳という年齢は現在の幕内で最年少。
先場所11勝4敗の琴栄峰は、琴勝峰(佐渡ケ嶽)と兄弟同時に幕内力士となった。
再入幕は元大関・御嶽海(出羽海)、英乃海(木瀬)の2人。
錦木(伊勢ノ海)、竜電(高田川)、湘南乃海(高田川)、玉正鳳(片男波)、栃大海(春日野)の5人が十両に転落となりました。
藤ノ川は 明治2年に初代藤ノ川が番付に載り、幕内上位で10年以上活躍した藤ノ川忠之助(後に柏戸宗五郎へ改名)が初代で、戦後の柏鵬時代に『今牛若丸』とアダ名され人気力士だった藤ノ川が四代目。学生相撲から角界入りした服部が五代藤ノ川を名乗りましたので、今回の若碇が襲名した藤ノ川は六代目。
番付発表
新番付で先場所6勝9敗だった高安が小結に残留❗
名古屋場所の新番付を発表、夏場所東小結で 6勝9敗と負け越した高安が西小結に回って三役に残留となりました。
日本相撲協会によると、小結で6勝止まりだった力士が翌場所も小結だったのは15日制度導入された昭和14年5月場所以降で初めてのケース。
夏場所の三役は関脇2人が勝ち越し。
小結は西の若隆景が12勝を挙げ、今場所は関脇に復帰。
東小結で6勝の高安は平幕に転落しても妥当な成績だが、平幕の上位は東西5枚目までが全て負け越し。
東6枚目で10勝の欧勝馬が東の小結に昇進したが、東9枚目で11勝の安青錦を上げず、高安を6番しか勝ってなくても東から西に回す形となった。
番付編成においては、勝ち越した分だけ上昇し、負け越した分だけ降下するのが原則ですが「番付は生き物」とも言われるように、成績のバランスが伴わず計算通りにいかないこともある。
三役などは全員が勝ち越してしまえば、平幕以下が勝ち越しても据え置かれることもありますが、本来なら3点負け越して 3枚は降下する三役が 0.5枚しか落ちなかった異例の“番付運の良さ”となった。
優勝運には見放されてる高安ですが 番付運はあるようです。
ここで気を良くして、悲願の初優勝を遂げて欲しいものです
北の富士流 (村松友視 著)
粋な着物姿 現代における男の着物姿という「和のテイストの継承者」という観点からも北の富士さんの着物姿は見甲斐のある風景と言える。かつて、力士は渋い着物を粋に着こなし浴衣姿等には夏の風物詩的な魅力を感じたものだったが、最近の若手力士ときたらピンクや黄色・オレンジ色、蛍光色か?と見紛う明るいグリーンなどのド派手な着物姿ばかりで、バラエティ番組やCMでは愛嬌を放つものの、街を歩いて行き交う人の目を惹く “力士独特の粋な姿”とは程遠い格好が目立つようになった。
そんな情けない風潮の中で、むしろ渋めの色を選びながら、そこに組み合わせる半襟や羽織の紐、帯や扇子の色合い風合い、それをゆったりと着こなしたテレビ画面の北の富士さんの着物姿を見ることがファンには毎場所の楽しみになっていた。
夏の銀鼠や紗織りの着こなし等からは相撲だけでなく現代日本から絶滅の危機に瀕してる「懐かしい日本男児の特権的な和の雰囲気」が伝わってくる。
その着物姿に新しい相撲ファンとして参入してきたスー女たちが目をつけるのは当然だ。彼女達は自分らの日常では けっして目のあたりにしない “日本人らしい男の格好よさ ”を北の富士さんの着物姿に感じて眺め、「男の粋」というものに生まれて初めて触れることができてワクワクしているそうだ。
内掛けと言えば右が増位山さん
早逝した時天空も得意でした!
左が琴ヶ濱さん・舞の海さんですね!
現役だと右が豊昇龍・左が伯桜鵬ですか?
これからも頑張って下さい♪
増位山さんを偲ぶ
サンスポ塚沢健太郎
大相撲を見始めた昭和55年。初めて使者を迎えての「昇進」を知ったのは、大関になった増位山さんだった。それから20年、新聞記者として相撲担当になると、増位山さんは三保ケ関親方として審判部副部長に就いていたため、幸いにして毎日のように取材する機会に恵まれ、こちらの意図する答えをしてくれるなど、ずいぶん助けてもらった。 歌手としてミリオンヒットを出していただけあって、物言いの際に審判長の場内アナウンスでは館内によく通る美声で、さすが違うなと感心したもの。ところが、なぜか際どい相撲、〝誤審だ〟とファンが騒ぐような騒動になる一番、平成15年名古屋場所で横綱朝青龍が旭鷲山のマゲを引っ張り反則負けになったときなど、トラブルが起こるときの審判長は必ず増位山さんだった。
「また三保さんかよ」と言いながら取材のために審判室へ走ったことが何度もあったが、それでも誠実な人柄の増位山さんは、少ししどろもどろになりながらも、丁寧に質問に答えてくれた。 エストニア出身の把瑠都が三保ケ関部屋に入門し、新弟子検査を受けたときには、「俺もこれからガンバルト」とノリノリで、ユーモアあふれるサービス精神もあった。親方らしくない普通の感覚を持っていたからこそ、芸能界でもやっていけたのだと思う。
・・口が重い親方には苦労するそうで、記者たちから大人気の親方というのは 弁舌さわやか、訊きたいことを的確に、さらにプラスαの情報もくれたとのこと。特に、元栃錦の春日野さん・元北の富士の九重さん、元増位山の三保ヶ関さんは トップスリーだったそうです
昨日は梅雨入り時とは思えない暑さでしたが、頑張ってチャリンコで昼カラオケへ行き、
“増位山太志郎さん追悼”で
『そんな女のひとりごと』『今度逢えたら』『けいこ』『昭和流行歌』『そんな夕子にほれました』を唄ってきました。
DAMの本人映像の画面で気持ちよく唄いましたが、店内のお客さん(全員が中高年)も 増位山さんの思い出話をしていました
力士・親方のテレビ番組情報
ウワサのお客さま
大相撲・荒汐部屋のスゴ腕ちゃんこ長
6月20日(金)
20:00〜21:58
フジテレビ⑧
番組内容
◆大相撲界でウワサの料理人が登場
若隆元・若元春・若隆景の大波三兄弟が所属する荒汐部屋(親方は元前頭 蒼国来、力士数14名)の1日に密着し、相撲界随一スゴ腕ちゃんこ長が作る“絶品食欲アップ飯”を紹介していく。疲労回復効果もある ゆずの皮を使用した特製ゆず塩ちゃんこは、力士たちの1番人気メニュー。
さらに、後援者からの差し入れを使った巨大なブリのなめろうや、食欲そそる鶏もも肉1枚まるごとスパイス揚げなど、荒汐部屋ならではの豪快料理が続々登場
他に
・『カルディコーヒーファーム』でウワサのママ芸人が登場
・『ステーキガスト』でウワサのお客さまが登場
ステーキ食べ放題で爆食する肉食クイーンに密着
出演者
【MC】
伊達みきお・富澤たけし(サンドウィッチマン)、川島明(麒麟)
【進行】
雨宮萌果
【ゲストお客さまウォッチャー】
佐藤仁美
藤田ニコル
増位山さをの訃報残念です。
ちゃんこ屋根さんも行きましたし、唄は軽く唄いムーディでしたね。
夜の世界の唄も多かったので女性ファン多かったし昨夜は増位山さんの曲唄う方が多かったです。北の富士さんも元気な時は冬子のブルースを唄ってました。
凄くムードがあって好きでした。
好きな方々が居なくなっていくのは本当に寂しいです。
増位山さんの内掛け
・・
お父さんの初代増位山=増位山大志郎さんと同じく 相撲も上手いが絵の才能も父子揃ってとても上手で二科展の常連だった増位山太志郎さん。
そして歌も父子揃ってとても上手で、父子で相撲甚句のCDを発売し、甚句のCDとしては異例の売り上げだった。
相撲の話に戻ると、二代増位山の内掛けは、昭和では 戦後の琴ヶ濱と並び「内掛け名人」と称されました。
鎌で刈り取るが如く足を飛ばす琴ヶ濱の内掛け、
一方、増位山さんは 出し投げをうって相手の上体を崩し、相手が身構えて重心を後ろに移した瞬間、間髪入れずに内掛けを仕掛けて体を預けるというスピード感のある必殺技でした。
大相撲の元大関・2代目増位山の増位山太志郎さん=沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。76歳。17日に日本相撲協会などが発表した。
増位山さんの悲報を受け、現役当時ライバルだった元大関の琴風さんが追悼した。
******
粋な力士だった。イケメンでスタイルも抜群、歌もうまかった。
私には「まわり道」というヒット曲がありましたが、増位山さんは「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」などが大ヒットし有線音楽大賞も受賞した。
私なんかとは まるでレベルが違っていた。
2人で大晦日(おおみそか)に行なわれたテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」に出たこともある。ライバルではない。私の歌唱法はどちらかというと正統派だと思う。増位山さんは夜の世界で働く女性が好むような、すすり泣くような歌声だった。
日本相撲協会を65歳で定年退職する時、増位山さんに「これからどうするんですか」と聞いたことがある。すると「俺には歌があるから幸せだよ」と言っていた。
増位山さんは女性人気もすごかった。
私が若い頃の地方巡業は土俵が屋外にあり、支度部屋もロープでつなぎ合わせた簡易的なものだった。私が片付けを始めた時、支度部屋の奥で若い女性と肩を寄せ合っていた増位山さんと目があってしまったこともあった。いい思い出だ。
増位山さんの相撲は立ち合いで手を出して相手の動きを止め、懐に入って内掛け、肩透かしを決める技巧派。
過去の対戦は7勝3敗と私がまわしを取って引きつけて勝ち負けの数では圧倒した形が、負けた3番は はたき込み、掛け投げ、肩透かしと術中にはまった。
2人とも親方になってからは「大関会」でご一緒させてもらったが、朝潮さん、旭国さん、そして増位山さんと同年代の仲間がみんな逝ってしまった。本当にさみしくて悲しい。合掌
(元大関・琴風、スポーツ報知評論家)