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新入幕の尊富士が優勝経験者阿炎を撃破して初日から9連勝。 初日からの9連勝は、戦後最多となる大鵬の11連勝にあと2つ。 15日制施行以前の記録と照らしあわせても、千代の山の13連勝(10連勝+翌場所に3連勝)、明治中期の初代小錦八十吉の39連勝(6場所負けなし・引き分け三番と勝負預かり三番があり)、江戸時代の寛政年間の三代玉垣額之助の29連勝(引き分けが一番・預かりが三番・勝負無しが二番あり)ぐらいしか、新入幕からの勝ちっ放しはないようです、 無双力士雷電為右衛門でさえ、新入幕の翌場所に1度負けてます。実質的な初代横綱の谷風も陣幕も、明治の初代梅ヶ谷や常陸山も、明治後期の太刀山も、大正の栃木山も大錦卯一郎も、昭和初期の玉錦も双葉山も……新入幕から勝ち続けわけではありませんでした。
尊富士 また尊富士は、全勝を守ったことで単独首位もキープ。新入幕力士が単独トップで中日八日目を折り返すのは、15日制以降では初めての快挙となりますね 1914大正3年夏場所の両国梶之助以来110年ぶり、史上2人目となる新入幕優勝がみえてきました。 この場所での両国梶之助は、前頭14枚目で9戦全勝1不戦休み(相手が休場したので休み・・まだ不戦勝制度が確立されてなかった)、〈準優勝となった横綱太刀山は8勝1不戦休み1勝負預かり〉。 また、ひと場所15日制の前ですが、 1945昭和20年秋場所での新入幕(前頭10枚目)の千代の山=北の富士さんの師匠 が不戦勝一つを含めての10戦全勝。横綱羽黒山も10戦全勝で、「優勝決定戦制度」がなかったこの時代は『相い星の場合は番付上位者を優勝とする』との決まりがあって、横綱羽黒山が優勝。千代の山の新入幕優勝とはなりませんでした 尊富士は青森出身で鳥取城北高、日大に進み、横綱照ノ富士を筆頭に多くの関取を抱え、激しい稽古で知られる伊勢ケ浜部屋に入門し、2022年秋場所で初土俵を踏み、先場所まで全ての場所で勝ち越している。 今年の初場所は新十両に昇進していきなり優勝し、1場所で十両を通過。 尊富士の初土俵から所要9場所での新入幕は、年6場所制になった1958昭和33年以降で幕下付け出しデビューの力士を除き 史上最速タイ記録。出世のスピードに髪の伸びる速さが追い付かず、関取の象徴でもある大銀杏ではなく、まげを結って土俵に上がっています。
尊富士(たけるふじ)の活躍が素晴らしい!小兵なのに全て真っ向勝負、出足のスピードと腰の低さで勝っていますね。度重なる肩の脱臼を克服すべく師匠九重親方(北の富士さん)の提案で “1日千回の腕立て伏せで肩に筋肉の鎧をまとう”ことと “前みつを取っての一気の寄り”に相撲を変えた千代の富士が関脇から一気に横綱へ駆け上がった頃の相撲とダブってみえます。 新入幕のストレート勝ち越しは、2011年技量審査場所の魁聖以来13年ぶり。 1場所15日制となった1949昭和24年夏場所以降では 常ノ山(1949年夏場所)前頭20枚目で8連勝→前10輝昇に負け→結果11勝4敗 大鵬(1960年初場所)前頭13枚目で11連勝→小結柏戸に負け→結果12勝3敗 鷲羽山(1973年夏場所)前頭13枚目で8連勝→前4の魁傑に負け→結果11勝4敗 初代佐田の海(1980年九州場所)前頭12枚目で9連勝→関脇千代の富士に負け→結果11勝4敗 魁聖(2011年夏技量審査場所)前頭16枚目で9連勝→前6栃ノ心に負け→結果10勝5敗 に続く6人目となりました。
昨日の霧島vs隆の勝 苦手意識過剰でまったく自分の相撲をとれてなかった霧島。 昨日の負けで対隆の勝戦は1勝10敗。 十両時代をあわせると2勝13敗。 “合い口が悪い”の典型的な例ですね。 大関・横綱が下位力士に大きく負け越していた例としては (大関) 琴奨菊 7-16 時天空 魁皇 12-16 稀勢の里 琴欧洲 3-7 隠岐の海 貴ノ浪 3-10 闘牙 貴ノ浪 5-13 若の里 小錦 10-25 安芸ノ島 正代 9-20 大栄翔 (横綱) 北の湖 7-13 朝潮 旭富士 8-12 安芸ノ島 これらの数字を見ると、霧島 1-10 隆の勝は突出していますね。 第52代横綱 北の富士さんは、下位力士で大きく負け越している相手はいませんでした。大鵬・柏戸には大きく負け越し、やはり先輩横綱の佐田の山・栃の海にも負け越してましたが、後輩横綱の輪島や北の湖には勝ち越してました。悪く言うと “上に弱くて下に強い”となりますが、とにかく取りこぼしの少ない横綱でした。
照ノ富士の休場率 照ノ富士は、これで 2021年7月の名古屋場所後に横綱に昇進して以降、在位16場所で9度目の休場となりました。 横綱になってから15日間皆勤できた場所は半分もなく、在位16場所で9回の休場ということで“休場率”が 56.3%と5割を超えてしまいました。 15日制が定まった昭和24年以降、33人の横綱の中では、新横綱の場所で大胸筋断裂の大怪我をして苦しんだ稀勢の里に次ぐ歴代2位、3位は鶴竜の46.3%。 休場日数については 今場所の残り8日間も休場することになる照ノ富士の休場日数が 108日となるので、昭和24年以降では 11位となります。 歴代最多の休場日数は、 白鵬が1位で 232日(休場場所数は 19場所)、 2位は鶴竜の 227日(休場場所数 19場所)、 3位が貴乃花で 201日(休場場所数は 17場所) 逆に、 休場が少なかったのは 玉の海で 休場率0.00、 つまり休場ゼロ〈在位10場所〉 次いで、栃錦が休場4場所(在位28場所)で 休場率 14.3% 鏡里も休場3場所(在位21場所)で 休場率 14.3%でした。
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新入幕の尊富士が優勝経験者阿炎を撃破して初日から9連勝。
初日からの9連勝は、戦後最多となる大鵬の11連勝にあと2つ。
15日制施行以前の記録と照らしあわせても、千代の山の13連勝(10連勝+翌場所に3連勝)、明治中期の初代小錦八十吉の39連勝(6場所負けなし・引き分け三番と勝負預かり三番があり)、江戸時代の寛政年間の三代玉垣額之助の29連勝(引き分けが一番・預かりが三番・勝負無しが二番あり)ぐらいしか、新入幕からの勝ちっ放しはないようです、
無双力士雷電為右衛門でさえ、新入幕の翌場所に1度負けてます。実質的な初代横綱の谷風も陣幕も、明治の初代梅ヶ谷や常陸山も、明治後期の太刀山も、大正の栃木山も大錦卯一郎も、昭和初期の玉錦も双葉山も……新入幕から勝ち続けわけではありませんでした。
宇良君勝った!
でも膝大丈夫かな?
尊富士
また尊富士は、全勝を守ったことで単独首位もキープ。新入幕力士が単独トップで中日八日目を折り返すのは、15日制以降では初めての快挙となりますね
1914大正3年夏場所の両国梶之助以来110年ぶり、史上2人目となる新入幕優勝がみえてきました。
この場所での両国梶之助は、前頭14枚目で9戦全勝1不戦休み(相手が休場したので休み・・まだ不戦勝制度が確立されてなかった)、〈準優勝となった横綱太刀山は8勝1不戦休み1勝負預かり〉。
また、ひと場所15日制の前ですが、
1945昭和20年秋場所での新入幕(前頭10枚目)の千代の山=北の富士さんの師匠 が不戦勝一つを含めての10戦全勝。横綱羽黒山も10戦全勝で、「優勝決定戦制度」がなかったこの時代は『相い星の場合は番付上位者を優勝とする』との決まりがあって、横綱羽黒山が優勝。千代の山の新入幕優勝とはなりませんでした
尊富士は青森出身で鳥取城北高、日大に進み、横綱照ノ富士を筆頭に多くの関取を抱え、激しい稽古で知られる伊勢ケ浜部屋に入門し、2022年秋場所で初土俵を踏み、先場所まで全ての場所で勝ち越している。 今年の初場所は新十両に昇進していきなり優勝し、1場所で十両を通過。
尊富士の初土俵から所要9場所での新入幕は、年6場所制になった1958昭和33年以降で幕下付け出しデビューの力士を除き 史上最速タイ記録。出世のスピードに髪の伸びる速さが追い付かず、関取の象徴でもある大銀杏ではなく、まげを結って土俵に上がっています。
尊富士(たけるふじ)の活躍が素晴らしい!小兵なのに全て真っ向勝負、出足のスピードと腰の低さで勝っていますね。度重なる肩の脱臼を克服すべく師匠九重親方(北の富士さん)の提案で “1日千回の腕立て伏せで肩に筋肉の鎧をまとう”ことと “前みつを取っての一気の寄り”に相撲を変えた千代の富士が関脇から一気に横綱へ駆け上がった頃の相撲とダブってみえます。
新入幕のストレート勝ち越しは、2011年技量審査場所の魁聖以来13年ぶり。
1場所15日制となった1949昭和24年夏場所以降では
常ノ山(1949年夏場所)前頭20枚目で8連勝→前10輝昇に負け→結果11勝4敗
大鵬(1960年初場所)前頭13枚目で11連勝→小結柏戸に負け→結果12勝3敗
鷲羽山(1973年夏場所)前頭13枚目で8連勝→前4の魁傑に負け→結果11勝4敗
初代佐田の海(1980年九州場所)前頭12枚目で9連勝→関脇千代の富士に負け→結果11勝4敗
魁聖(2011年夏技量審査場所)前頭16枚目で9連勝→前6栃ノ心に負け→結果10勝5敗
に続く6人目となりました。
尊富士、史上初新入幕Vあるか?それとも、大錦だったか?以来の新入幕三賞独り占めなるか?
朝乃山は7日目まで、組むと負け。結果的に組まずで白星。
昨日の霧島vs隆の勝
苦手意識過剰でまったく自分の相撲をとれてなかった霧島。
昨日の負けで対隆の勝戦は1勝10敗。
十両時代をあわせると2勝13敗。
“合い口が悪い”の典型的な例ですね。
大関・横綱が下位力士に大きく負け越していた例としては
(大関)
琴奨菊 7-16 時天空
魁皇 12-16 稀勢の里
琴欧洲 3-7 隠岐の海
貴ノ浪 3-10 闘牙
貴ノ浪 5-13 若の里
小錦 10-25 安芸ノ島
正代 9-20 大栄翔
(横綱)
北の湖 7-13 朝潮
旭富士 8-12 安芸ノ島
これらの数字を見ると、霧島 1-10 隆の勝は突出していますね。
第52代横綱 北の富士さんは、下位力士で大きく負け越している相手はいませんでした。大鵬・柏戸には大きく負け越し、やはり先輩横綱の佐田の山・栃の海にも負け越してましたが、後輩横綱の輪島や北の湖には勝ち越してました。悪く言うと “上に弱くて下に強い”となりますが、とにかく取りこぼしの少ない横綱でした。
大銀杏が結えない尊富士!
髷ですら結えない大の里!
これからも頑張って下さい♪
しかし霧島どうしたのかね。
どこか痛めている様にはみえないが。
精神的なものかね。
春場所なんかピリッとしないね。
照ノ富士の休場率
照ノ富士は、これで 2021年7月の名古屋場所後に横綱に昇進して以降、在位16場所で9度目の休場となりました。
横綱になってから15日間皆勤できた場所は半分もなく、在位16場所で9回の休場ということで“休場率”が 56.3%と5割を超えてしまいました。
15日制が定まった昭和24年以降、33人の横綱の中では、新横綱の場所で大胸筋断裂の大怪我をして苦しんだ稀勢の里に次ぐ歴代2位、3位は鶴竜の46.3%。
休場日数については
今場所の残り8日間も休場することになる照ノ富士の休場日数が 108日となるので、昭和24年以降では 11位となります。
歴代最多の休場日数は、
白鵬が1位で 232日(休場場所数は 19場所)、
2位は鶴竜の 227日(休場場所数 19場所)、
3位が貴乃花で 201日(休場場所数は 17場所)
逆に、
休場が少なかったのは
玉の海で 休場率0.00、
つまり休場ゼロ〈在位10場所〉
次いで、栃錦が休場4場所(在位28場所)で 休場率 14.3%
鏡里も休場3場所(在位21場所)で 休場率 14.3%でした。