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温故知新大相撲カレンダー 5月20日 1917大正6年5月20日 大相撲史上初の四横綱場所となった夏場所千秋楽。 豪華横綱陣のはずが三人はボロボロで、体重100kgちょっとの小兵の大関栃木山が孤軍奮闘して初優勝しました。 この場所、史上初の豪華・四横綱という番付が話題になり大きく期待されたが 場所直前の巡業中に矢筈山と稽古していて(再び)右足を骨折してしまった東正横綱 太刀山 が全休 ・西の正横綱 大錦(卯) が平幕の大鳴門に金星を与えてしまったのが響いて9勝1敗 ・東張出横綱 鳳 は六日目から途中休場で3勝2敗5休 ・西張出横綱 西ノ海 に至っては2勝1敗で四日目から休場。 さらに東大関の伊勢ノ濱が5勝5敗と勝ち越しすらできず・・・というありさま。 そして千秋楽を迎え、ここまで大関栃木山が8勝0敗1預かり と幕尻の大潮が9戦全勝。 いくら好成績だったとしても横綱大関三役など上位力士との割は組まない時代であり、取り直しという制度もなければ 優勝決定戦すらなかった時代だった為に、ややこしくなりました。 まだ両者の取組が終わってないのに、勝負審判たち(=当時の呼称:検査役団)は一様に協会事務所に引き揚げてしまったのです。 観客そっちのけで、なんと審判部の会議を始めました。 「栃木山が黒瀬川戦に勝ったら全勝で額を掲げるべきだ」という意見と、「栃木山が四日目の敷嶋戦で預かりになっているから、 もし大潮が勝って全勝になった場合は大潮を正位の全勝者として認めるべきだ」という意見の 2つに分かれ、 協会は優勝額を 2枚揚げるのはどうかという折衷案まで持ち出していろいろ詮議、40分も土俵が空いた。 出羽ノ海(常陸山)は 「土俵が早く進みすぎているので20分休憩を取った」と言っていたが、 疑いなく全勝問題だろうといわれた。結局、大潮が6枚目の紅葉川との一番で、両差しを許し苦し紛れに閂で吊り上げたが腰がくだけ両者同時に倒れたため、20分もの協議の結果、預かりとなってしまった為、栃木山の優勝に落ち着いたのでした。 「四横綱番付」は、この大正6年以降、一昨年の白鵬・日馬富士・鶴竜・稀勢の里まで16組ありました。 しかし、総じて、四人のうち二人以上が惨憺たる成績でがっかりさせました。 二組目の大正7年夏場所も鳳が0勝1敗9休み、西ノ海と大錦が全休、栃木山がここでも孤軍奮闘で優勝。 三組目の昭和13年春・夏では、双葉山が13戦全勝を続け、69連勝へまっしぐら。先輩横綱の玉錦が二桁勝利を続けた。しかし、武蔵山は勝ち越しが精一杯、男女ノ川は二桁も勝てず。 四横綱とも強かったのは、昭和18年から19年の四場所での双葉山・羽黒山・安藝ノ海・照國の四人。 四人ともが二桁勝利することがこの四場所中3度もあり、さらに、双葉山が二度、羽黒山が1度全勝優勝した。 特に昭和18年1月場所は四横綱の成績合計が54勝6敗と歴代1位だった。これでは、下の者はたまらない。 大関以下への敗戦は、二つだけ。=東正横綱の安藝ノ海が柏戸(秀剛)の下手出し投げに屈し、大関前田山の上手投げに敗れたこの二敗のみ。 柏鵬時代にも何組も四横綱となり、一度は四人揃って二桁勝利を挙げた。昭和40年秋場所のことで 優勝は決定戦で横綱佐田の山を破った柏戸が12勝での優勝、大鵬は11勝・栃ノ海が10勝だった。 輪島・北の湖の頃、四横綱全員二桁勝利が続いたころがありました。 昭和54年 秋・九州、そして翌55年夏場所の3度、 輪島・ 北の湖 ・二代若乃花 ・三重ノ海 の四人で達成しました。この四横綱は、前述の双葉山・羽黒山・安藝ノ海・照國時代に次ぐ強さだったようです。 稀勢の里が悲願の綱獲りを果たし、四横綱となった(第16次)四横綱時代は、2017平成29年春場所から、場所前の暴行事件発覚で日馬富士が場所の途中で引退するまで・・・ = 同年九州場所までのわずか5場所でしたが、最初の春場所こそ、新横綱の稀勢の里が13勝で優勝、 日馬富士と鶴竜が10勝ずつ(白鵬は途中休場)と3人が二桁勝利を挙げましたが、 夏場所と名古屋場所では、二桁勝利は2人だけで残り2人が途中休場、 秋場所と九州場所では二桁勝利は1人だけという酷い成績でした。 横綱が四人揃うと 碌なことはない・・・横綱同士で星の潰しあいをするのではなく、後半まで揃って出場し続けることもできないという状態が この20年近くの四横綱場所の惨状です。 今の大関陣が奮起するか、逸ノ城・玉鷲のモンゴル勢か、将来性のある貴景勝・御嶽海か? 追いかける北勝富士や朝乃山か? 再び 四横綱時代がくるのは いつのことでしょう?
今日はいいお天気です。 雨上がりのいい空気で気持ちいいです。 両手使えるので、リュクにして、中はお菓子、袋などなど。 待ち合わせにはまだ少し時間ありますが、皆ワクワクです。 おばちゃんず、両国めざします! 色々、アドバイスありがとう。
北の富士さんの浴衣姿、ネットで拝見しました。 昨年、稀勢の里から反物もらって、作らせてもらって、彼が復活した際に着ようと思っていたが、叶わず。 仕方ない、そろそろ着てもいいじゃないか、、、というエピソードがあったみたいですね。 北の富士さんの稀勢の里 愛がいいですね!
KONさん、私は巡業見物は二回あります。 二回とも、まだ、稀勢の里が大関の頃です。 二回、稀勢の里にサインをもらうことができてかわいいお顔も間近で観ました。写真もツーショットではありませんが、同じ枠内で映ってはいます 笑。嘉風や豊ノ島とも写真や握手したり、楽しかったです。いつか稀勢の里の土俵入りをと巡業を夢に見ていましたが、叶わなかったです。 今日は北の富士さん、稀勢の里からの着物を着ていたのですか。途中からテレビ観戦したけど、北の富士さん一度も映らなくて見たかったです。 若いアナウンサーと交代して、 KONさんの実況と北の富士さんの解説を聴きたいくらいです!
判官贔屓の読み方の事で間違いではないというコメント わざわざありがとうございます たまにケチをつけたりしてすいませんでした! KONさんは寛大な上に物知りです♪ 私の場合はたまに漫画のキャラクターの台詞を 参考に使ったりしています♪ 今場所もそろそろ終盤戦です! 誰が優勝してオープンカーに乗るのか? 今場所も盛り上がると思います♪
明日は、おばちゃんず・ご一行様の初めての本場所観戦ですね。大雨を降らせた嫌な低気圧も東へ去り 晴天・ちょっと暑いかも…です。 keichanさんは本場所観戦か巡業見物されたことがありますか? 私は今場所は観戦予定はありませんが、9月の秋場所に行ければ…と思っています。 一番頻繁に国技館に付き合ってくれてた先輩女性が先月68歳で亡くなってしまったので、残念でなりません。 ここ7〜8年、 お父様やお母様を介護・面倒みていましたが、一昨年と去年、ご両親が他界された後、本人が老老介護に疲れ、自身の癌の進行に気づかず、手当てが遅れてしまったようです。 秋場所観戦では、国技館正面の壁に江戸の相撲浮世絵が大きく描かれた壁の前で、彼女と一緒に撮った写真があるので、その写真を額に入れて持っていき、一緒に観戦しようと思います。 彼女は、四股や蹲踞、、土俵入りや控えに入る時の動き、、勝った(負けた)後のそれぞれの力士の所作、、時間いっぱいになった土俵上で最後に軍配がかえる直前に、箒で蛇の目を掃きあげて土俵下へ降りる呼出さんの素早い動き、、など、着眼点が私に似ていて、相撲美を尊重してました。 力士では、特に大関貴ノ花と千代の富士、貴乃花と寺尾、そして豊真将を彼女は大好きで、声を張り上げて四股名を呼んでました。 ですから、秋場所では、貴景勝や阿炎を彼女の代わりに、精一杯応援して来ようと思います。
幕内4場所目で幕内初の勝ち越しを十日目で早々と決めた琴恵光が、感動したのか思わず天井を見上げたことに、 「北の富士さんも初めて幕内で勝ち越した時には嬉しかったですか?」と訊ねましたが、 北の富士さんは、ちょっと返事に困って、少し間を置いてから 『僕の時は、あまり考えずに、“駄目ならまた十両に落ちてまた上がってくればいいや”って思ってたね、けっこう気楽にやってました。』 ・・・厚井アナウンサーはまだ若くて知識が足りませんねえ。 北の富士さんは、 十両で全勝優勝した翌場所、新入幕で13勝2敗の好成績。新入幕としての大相撲記録を挙げています。 「十両で全勝優勝した北の富士さん…」と紹介した厚井アナウンサー、 北の富士さんが 『把瑠都、栃ノ心も全勝優勝をやったね。私の前には栃光さんと豊山さん。十両全勝優勝した人は皆、大関になってますよ。』 と言ってる最中、 厚井アナが「豊ノ島も…」と言いかけました。 少し間を置いて厚井アナが「…先ほど十両全勝優勝の際に、私、豊ノ島と申し上げましたが、豊ノ島は十両全勝はしてませんでした。失礼致しました」と訂正すると、 北の富士さんが 『えっ? 豊ノ島? そう言った? 言ってないでしょ』 厚井アナが 「いえ、私が言いました」 北の富士さんは 『そう? ふーん、聞いてなかった』 厚井アナを庇ったのではなく、本当に聞いてなかった“いつもの北の富士”さんでした。 豪栄道が土俵に上がると、厚井アナが「豪栄道は平成28年秋場所で全勝優勝しています。」と言うと 北の富士さんが『全勝優勝はね、なかなかできませんよ。よほど強くないと』とつぶやきました。 その時の北の富士さんの表情がテレビに映らなかったのが残念!なにせ、北の富士さんは三度も全勝優勝しています。 昨年、稀勢の里から貰ったという、稀勢の里という文字が入った薄茶色の浴衣を着てきた北の富士さん、個人的には、もっと画面に北の富士さんを映して欲しかったですねぇ。
ここの欄の速報は、こちらで ていうサイトを押すと 相撲協会のサイトが見られるんですね。 今頃になって気が付きました。 相撲協会のサイトは、チケット販売の情報や、いろんな国技館内の事や取り組みの結果や力士の様子や巡業の様子など色々と解るので便利ですね
貴景勝と蒼山の取り組み、私は蒼山の変化を腹立たしく思っておりましたが、 KONさんの投稿を拝見して、あれはある意味、貴景勝の怪我がひどくならないようにとの優しさだったのだと知って、納得しました。 KONさんは、流石、観る目が違いますね! 最近、遠藤のキレのある相撲と炎鵬の何をするか分からない面白い相撲、楽しみです。嘉風がもう少し元気ならもっといいなと思います。今日の遠藤は、あっけなかった、、、。 炎鵬は、ずっと変わらず、このままでいて欲しいですね。 サンデースポーツに出ていた荒磯親方、なんだかスーツ姿も板について、おしゃれになってきていますね。 ワイシャツが黒色だったので、渋かったです。
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温故知新大相撲カレンダー 5月20日
1917大正6年5月20日 大相撲史上初の四横綱場所となった夏場所千秋楽。
豪華横綱陣のはずが三人はボロボロで、体重100kgちょっとの小兵の大関栃木山が孤軍奮闘して初優勝しました。
この場所、史上初の豪華・四横綱という番付が話題になり大きく期待されたが
場所直前の巡業中に矢筈山と稽古していて(再び)右足を骨折してしまった東正横綱 太刀山 が全休
・西の正横綱 大錦(卯) が平幕の大鳴門に金星を与えてしまったのが響いて9勝1敗
・東張出横綱 鳳 は六日目から途中休場で3勝2敗5休
・西張出横綱 西ノ海 に至っては2勝1敗で四日目から休場。
さらに東大関の伊勢ノ濱が5勝5敗と勝ち越しすらできず・・・というありさま。
そして千秋楽を迎え、ここまで大関栃木山が8勝0敗1預かり と幕尻の大潮が9戦全勝。
いくら好成績だったとしても横綱大関三役など上位力士との割は組まない時代であり、取り直しという制度もなければ 優勝決定戦すらなかった時代だった為に、ややこしくなりました。
まだ両者の取組が終わってないのに、勝負審判たち(=当時の呼称:検査役団)は一様に協会事務所に引き揚げてしまったのです。 観客そっちのけで、なんと審判部の会議を始めました。
「栃木山が黒瀬川戦に勝ったら全勝で額を掲げるべきだ」という意見と、「栃木山が四日目の敷嶋戦で預かりになっているから、 もし大潮が勝って全勝になった場合は大潮を正位の全勝者として認めるべきだ」という意見の 2つに分かれ、 協会は優勝額を 2枚揚げるのはどうかという折衷案まで持ち出していろいろ詮議、40分も土俵が空いた。
出羽ノ海(常陸山)は 「土俵が早く進みすぎているので20分休憩を取った」と言っていたが、 疑いなく全勝問題だろうといわれた。結局、大潮が6枚目の紅葉川との一番で、両差しを許し苦し紛れに閂で吊り上げたが腰がくだけ両者同時に倒れたため、20分もの協議の結果、預かりとなってしまった為、栃木山の優勝に落ち着いたのでした。
「四横綱番付」は、この大正6年以降、一昨年の白鵬・日馬富士・鶴竜・稀勢の里まで16組ありました。
しかし、総じて、四人のうち二人以上が惨憺たる成績でがっかりさせました。
二組目の大正7年夏場所も鳳が0勝1敗9休み、西ノ海と大錦が全休、栃木山がここでも孤軍奮闘で優勝。
三組目の昭和13年春・夏では、双葉山が13戦全勝を続け、69連勝へまっしぐら。先輩横綱の玉錦が二桁勝利を続けた。しかし、武蔵山は勝ち越しが精一杯、男女ノ川は二桁も勝てず。
四横綱とも強かったのは、昭和18年から19年の四場所での双葉山・羽黒山・安藝ノ海・照國の四人。
四人ともが二桁勝利することがこの四場所中3度もあり、さらに、双葉山が二度、羽黒山が1度全勝優勝した。
特に昭和18年1月場所は四横綱の成績合計が54勝6敗と歴代1位だった。これでは、下の者はたまらない。
大関以下への敗戦は、二つだけ。=東正横綱の安藝ノ海が柏戸(秀剛)の下手出し投げに屈し、大関前田山の上手投げに敗れたこの二敗のみ。
柏鵬時代にも何組も四横綱となり、一度は四人揃って二桁勝利を挙げた。昭和40年秋場所のことで 優勝は決定戦で横綱佐田の山を破った柏戸が12勝での優勝、大鵬は11勝・栃ノ海が10勝だった。
輪島・北の湖の頃、四横綱全員二桁勝利が続いたころがありました。
昭和54年 秋・九州、そして翌55年夏場所の3度、 輪島・ 北の湖 ・二代若乃花 ・三重ノ海 の四人で達成しました。この四横綱は、前述の双葉山・羽黒山・安藝ノ海・照國時代に次ぐ強さだったようです。
稀勢の里が悲願の綱獲りを果たし、四横綱となった(第16次)四横綱時代は、2017平成29年春場所から、場所前の暴行事件発覚で日馬富士が場所の途中で引退するまで・・・ = 同年九州場所までのわずか5場所でしたが、最初の春場所こそ、新横綱の稀勢の里が13勝で優勝、 日馬富士と鶴竜が10勝ずつ(白鵬は途中休場)と3人が二桁勝利を挙げましたが、 夏場所と名古屋場所では、二桁勝利は2人だけで残り2人が途中休場、 秋場所と九州場所では二桁勝利は1人だけという酷い成績でした。
横綱が四人揃うと 碌なことはない・・・横綱同士で星の潰しあいをするのではなく、後半まで揃って出場し続けることもできないという状態が この20年近くの四横綱場所の惨状です。
今の大関陣が奮起するか、逸ノ城・玉鷲のモンゴル勢か、将来性のある貴景勝・御嶽海か? 追いかける北勝富士や朝乃山か?
再び 四横綱時代がくるのは いつのことでしょう?
今日はいいお天気です。
雨上がりのいい空気で気持ちいいです。
両手使えるので、リュクにして、中はお菓子、袋などなど。
待ち合わせにはまだ少し時間ありますが、皆ワクワクです。
おばちゃんず、両国めざします!
色々、アドバイスありがとう。
北の富士さんの浴衣姿、ネットで拝見しました。
昨年、稀勢の里から反物もらって、作らせてもらって、彼が復活した際に着ようと思っていたが、叶わず。
仕方ない、そろそろ着てもいいじゃないか、、、というエピソードがあったみたいですね。
北の富士さんの稀勢の里 愛がいいですね!
KONさん、私は巡業見物は二回あります。
二回とも、まだ、稀勢の里が大関の頃です。
二回、稀勢の里にサインをもらうことができてかわいいお顔も間近で観ました。写真もツーショットではありませんが、同じ枠内で映ってはいます 笑。嘉風や豊ノ島とも写真や握手したり、楽しかったです。いつか稀勢の里の土俵入りをと巡業を夢に見ていましたが、叶わなかったです。
今日は北の富士さん、稀勢の里からの着物を着ていたのですか。途中からテレビ観戦したけど、北の富士さん一度も映らなくて見たかったです。
若いアナウンサーと交代して、 KONさんの実況と北の富士さんの解説を聴きたいくらいです!
判官贔屓の読み方の事で間違いではないというコメント
わざわざありがとうございます
たまにケチをつけたりしてすいませんでした!
KONさんは寛大な上に物知りです♪
私の場合はたまに漫画のキャラクターの台詞を
参考に使ったりしています♪
今場所もそろそろ終盤戦です!
誰が優勝してオープンカーに乗るのか?
今場所も盛り上がると思います♪
明日は、おばちゃんず・ご一行様の初めての本場所観戦ですね。大雨を降らせた嫌な低気圧も東へ去り 晴天・ちょっと暑いかも…です。
keichanさんは本場所観戦か巡業見物されたことがありますか?
私は今場所は観戦予定はありませんが、9月の秋場所に行ければ…と思っています。 一番頻繁に国技館に付き合ってくれてた先輩女性が先月68歳で亡くなってしまったので、残念でなりません。
ここ7〜8年、 お父様やお母様を介護・面倒みていましたが、一昨年と去年、ご両親が他界された後、本人が老老介護に疲れ、自身の癌の進行に気づかず、手当てが遅れてしまったようです。
秋場所観戦では、国技館正面の壁に江戸の相撲浮世絵が大きく描かれた壁の前で、彼女と一緒に撮った写真があるので、その写真を額に入れて持っていき、一緒に観戦しようと思います。
彼女は、四股や蹲踞、、土俵入りや控えに入る時の動き、、勝った(負けた)後のそれぞれの力士の所作、、時間いっぱいになった土俵上で最後に軍配がかえる直前に、箒で蛇の目を掃きあげて土俵下へ降りる呼出さんの素早い動き、、など、着眼点が私に似ていて、相撲美を尊重してました。
力士では、特に大関貴ノ花と千代の富士、貴乃花と寺尾、そして豊真将を彼女は大好きで、声を張り上げて四股名を呼んでました。
ですから、秋場所では、貴景勝や阿炎を彼女の代わりに、精一杯応援して来ようと思います。
幕内4場所目で幕内初の勝ち越しを十日目で早々と決めた琴恵光が、感動したのか思わず天井を見上げたことに、
「北の富士さんも初めて幕内で勝ち越した時には嬉しかったですか?」と訊ねましたが、
北の富士さんは、ちょっと返事に困って、少し間を置いてから
『僕の時は、あまり考えずに、“駄目ならまた十両に落ちてまた上がってくればいいや”って思ってたね、けっこう気楽にやってました。』
・・・厚井アナウンサーはまだ若くて知識が足りませんねえ。
北の富士さんは、
十両で全勝優勝した翌場所、新入幕で13勝2敗の好成績。新入幕としての大相撲記録を挙げています。
「十両で全勝優勝した北の富士さん…」と紹介した厚井アナウンサー、
北の富士さんが
『把瑠都、栃ノ心も全勝優勝をやったね。私の前には栃光さんと豊山さん。十両全勝優勝した人は皆、大関になってますよ。』
と言ってる最中、
厚井アナが「豊ノ島も…」と言いかけました。
少し間を置いて厚井アナが「…先ほど十両全勝優勝の際に、私、豊ノ島と申し上げましたが、豊ノ島は十両全勝はしてませんでした。失礼致しました」と訂正すると、
北の富士さんが
『えっ? 豊ノ島? そう言った? 言ってないでしょ』
厚井アナが
「いえ、私が言いました」
北の富士さんは
『そう? ふーん、聞いてなかった』
厚井アナを庇ったのではなく、本当に聞いてなかった“いつもの北の富士”さんでした。
豪栄道が土俵に上がると、厚井アナが「豪栄道は平成28年秋場所で全勝優勝しています。」と言うと
北の富士さんが『全勝優勝はね、なかなかできませんよ。よほど強くないと』とつぶやきました。
その時の北の富士さんの表情がテレビに映らなかったのが残念!なにせ、北の富士さんは三度も全勝優勝しています。
昨年、稀勢の里から貰ったという、稀勢の里という文字が入った薄茶色の浴衣を着てきた北の富士さん、個人的には、もっと画面に北の富士さんを映して欲しかったですねぇ。
ここの欄の速報は、こちらで
ていうサイトを押すと
相撲協会のサイトが見られるんですね。
今頃になって気が付きました。
相撲協会のサイトは、チケット販売の情報や、いろんな国技館内の事や取り組みの結果や力士の様子や巡業の様子など色々と解るので便利ですね
今日のテレビ解説の北の富士さんが
お召しになってる浴衣は稀勢の里の浴衣ですね
横綱昇進の時に作った浴衣でしょうか?
柄が綱のデザインに稀勢の里のしこ名が
入っている浴衣ですね
貴景勝と蒼山の取り組み、私は蒼山の変化を腹立たしく思っておりましたが、 KONさんの投稿を拝見して、あれはある意味、貴景勝の怪我がひどくならないようにとの優しさだったのだと知って、納得しました。
KONさんは、流石、観る目が違いますね!
最近、遠藤のキレのある相撲と炎鵬の何をするか分からない面白い相撲、楽しみです。嘉風がもう少し元気ならもっといいなと思います。今日の遠藤は、あっけなかった、、、。
炎鵬は、ずっと変わらず、このままでいて欲しいですね。
サンデースポーツに出ていた荒磯親方、なんだかスーツ姿も板について、おしゃれになってきていますね。
ワイシャツが黒色だったので、渋かったです。