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北の富士さんは足と、髷をつかんだのではと言っていたが…長い話し合い終わり親方が説明する前に、楽しみ!と言ったの、聞き逃さなかったよ! にしても、観戦の前、観戦後、丁度真ん中に行って、今日はラジオ! 残念だな… 炎鵬痛かったら休んでほしい。宇良しかりだし。 怪我は怖いわ
綺麗に掃き清められた蛇の目の砂 に残るはずの、 足が出てたか 出てなかったか? の 証拠部分の砂を 朝乃山が倒れて手を付く際に 掻き消してしまったのではないか? それにしても 審判たちが、土俵際でもっと 砂を確かめてというしぐさがあってもよかったのでは?
栃ノ心の足、出たのか出ていないのか? 炎鵬の太もも、心配です。 高安、かろうじて勝った!。 遠藤、嘉風、心配だ、、、。 明日はなんとしても鶴竜は勝ちたいだろうし、 栃ノ心だって、勝ちたい。 朝乃山、もしかしたら、優勝!? 目が離せませんね。
温故知新・大相撲カレンダー 5月24日 1916大正5年5月24日 五月夏場所 七日目、 横綱太刀山 対 大関大錦卯一郎 入幕四場所目にして すでに大関ふた場所目という「前人未到の速さ」で出世してきた大錦卯一郎を寄りきりで破った太刀山が連勝記録を56に伸ばした。 これで、歴代2位の初代梅ヶ谷の58連勝を場所中に抜き、 その先、翌場所= 翌年1月春場所には(江戸時代の天明~安永年間の)谷風の63連勝をも抜いて史上1位に躍り出ることも現実味を帯びてきた。 しかし好事魔多し、 翌日、188cm150kgある太刀山が,小結の栃木山172cm103kgに立ち合いで低く入られて食いつかれ、寄り切られ ついに連勝ストップ。 太刀山が大正時代に入って初の敗戦だった。 その時の熱戦譜 立ち合い、栃木山がすぐ右を差し頭をつけた。 太刀山は左から小手に振ろうとし、また右を筈にして割り出さんとしたが、 その遑(いとま)を与えず栃木山は左も入れて二本差し、 間髪入れず右から大きく掬って東に太刀山を寄り立ててがぶり寄り、堪える太刀山を渾身の力で寄り切った。 時は大正5年5月、元号が明治から大正に変わってからまだ一度も負けたことがない太刀山が土俵を割った。際どい相撲ではなく、小兵の栃木山に正攻法で寄り切られたのだった。 旧両國國技館は一瞬 しーん と静まり返った。 が、すぐさま、満場は百雷が一遍に轟いたかのような大騒ぎ、満場総立ち、座布団は飛ぶ、ミカンやびわなど果物も飛んでくる。土俵に上がり踊り狂う見物客が二人いたという。 すでにごった返した状態の花道を、なんとか支度部屋へ下がる栃木山。 支度部屋で付け人から教えられて鏡で背中を見ると、栃木山の背中には、狂喜した角力ファンからのご祝儀、百圓紙幣が二枚も貼りつけられていた。 (この大正前半の貨幣価値は、1圓が15000-20000円ほど。つまり弐百円だと300~400万円ぐらいでしょうか
至難な道・・・大関復帰 大関復帰の10勝目前で、上体に力が入り過ぎ、足踏みする栃ノ心と、勝ち越し目前で3連敗している炎鵬に 『 とにかく頑張れ! 』とエールを送った今朝の北の富士さん。 さらに『・・あと1勝くらい、なんとかなるだろう。気を楽に持った方がいい。 人のことだから何とでも言えるが、お相撲さんは大変だ。この日もテレビで力士達に文句ばかり言ってしまった。 反省はしてるが、仕事だから勘弁してもらいたい。 私も現役のころは解説の親方衆が大嫌いであった。 まさか、その俺が解説者になろうとは夢にも思わなかった。 人生って、不思議なものである。なんだか、美空ひばりさんの歌みたいになってしまった。 この日は相撲場から錦糸町の寿司屋に直行して一杯やってきた。いつもは原稿を書いてから飯を食うのだが、あまりに腹が減ったので飯を先に食べた。しかし、これは失敗だった。少しの酒にすっかり酔って、原稿を書くのが億劫になり、ひどい原稿になってしまった。私が悪いのではなく 酒が悪い。 そんなわけで、締め切りがもうすぐだ。辛うじてセーフだった。13日目からは、しらふで仕事します。ごめんなさい。 ・・・北の富士さんが現役のころの NHK大相撲中継のメイン解説者は、激辛解説の玉の海梅吉さん。 けっこう辛らつな解説をしていた玉の海さんは、 ネオン無情が50万枚も売れて夜のヒットスタジオに毎週出演し、本業では万年大関となりかけていた北の富士を称して 「北の富士?あぁ、歌手の人ね。 趣味が相撲なんでしょ? けっこう相撲、上手いみたいだよ・・・・」と 愛弟子の玉乃島のライバル北の富士には きつい嫌味を言ってました。 後年になって北の富士さんは玉の海さんのことを訊かれて 『あの人ねえ、うちの部屋の稽古を見ていない割には 俺に「稽古が足りない」とか言うんだよ・・・』と当時の批判に対して反論してました。 栃ノ心の苦難の道 に話を戻すと 大関陥落からひと場所で二桁勝利して復帰した力士は 1976昭和51年名古屋場所 三重ノ海4勝3敗から6連勝して10勝到達→大関復帰 2000平成12年 初 場所 貴ノ浪 7勝5敗から3連勝 2000平成12年 秋 場所 武双山 5勝4敗から4連勝、千秋楽で10勝目 2004平成16年名古屋場所 栃 東 9勝4敗から10勝目 2005平成17年 初 場所 栃 東 8勝4敗から3連勝で11勝。 今場所の栃ノ心のように 関脇に陥落し、10勝して大関復帰を目指した力士の中で、あと一歩及ばなかったのが 昭和49年名古屋場所の大受と、平成29年春場所の琴奨菊で、ともに9勝6敗。 大受は、三日目から十日目までの八日間で3勝5敗と振るわず、十二日目の長谷川戦で寄り切られて6敗目、復帰は叶わなかったが、ラスト3日間を3連勝。もう一歩だった。 琴奨菊は、8勝5敗で迎えた14日目に後輩大関の照ノ富士にはたき込みで敗れて、復帰の夢を断たれた。千秋楽は気落ちせずに嘉風を一気に寄り切ったが「時すでに遅し」だった。 大関陥落―復帰への救済制度 1958昭和33年に、7月場所が名古屋本場所となり年間6場所制度となった際、 “2場所連続負け越しで陥落”では厳しすぎるとして、“3場所連続の負け越しで関脇に陥落”と改められました。 ところが今度は、それでは甘すぎるとする批判が相次ぎ、 1969昭和44年7月場所より現行の「2場所連続負け越しで関脇に陥落、直後の場所で10勝以上を挙げた場合は特例で復帰できる」とする規定となりました。 (この間=昭和33年~44年5月まで 2場所連続負け越ししたのに陥落とならなかった力士は、 松登、琴ヶ濱、若羽黒、栃光、豊山、と、当時の大関は軒並みこの恩恵を受けていた。 この恩恵を受けて、大関を維持し、後に奮起して横綱になった力士には、我らが北の富士さんがいます。 例外=当時の大関で二場所連続負け越しをしなかった のは、北葉山と清國ぐらいでした。
今日は、藤井アナウンサーと北の富士、向正面は舞の海かな?。この3人が一番落ち着いて聴いていられます。 炎鵬、今日も勝ち越しはお預けかぁ。 嘉風、勝ったーー。立つ前のきちんとした姿勢が美しいです。国技館カフェというのを初めて観ました。 北の富士さんは、ああいったところがあるんだー、放送席しか知らないからって言っていました。北の富士さんとカフェでアイスなんか食べたいですね、北の富士さんはビールでしょうけど 笑。叶わぬ夢、、、笑。
温故知新大相撲カレンダー 5月21日 1961昭和36年5月21日 五月夏場所千秋楽 佐田の山が優勝した表彰式で、 パン・アメリカン航空の極東地区広報担当支配人だったデビッド・ジョーンズ氏が初登場。 退職した前任者の代わりに、初めて土俵に上がり、(天皇賜盃や総理大臣杯よりも重い)重さ42kgにもなるパン・アメリカン社の大トロフィー授与の際,「ヒョー・ショー・ジョー!」 と ひときわ大きな声を張り上げ、日本語で挨拶を始め、喝采を浴びました。 これは、理事長や審判部長・内閣官房の役人やNHK幹部たちが もそもそ読み上げている表彰状授与に退屈している桟敷席のファンのつまらなそうな素振りに気がついたジョーンズ氏が、アドリブで 大きな声で注目させたものでした。 呼出さんの手助けを断り、よろよろしながらトロフィーを優勝者に渡すその動きも大人気でした。 ガヤガヤしている場内も「ジョーンズ氏の挨拶の時だけは、一言一句 聴き逃すまい!」と、しーん として 聴いていました。 その後、パンアメリカントロフィー授与の時は、天皇賜盃と内閣総理大臣杯、NHK金杯の時と同様に、中継アナウンサーが、今場所のまとめなどペラペラ喋っていると『パンナムの挨拶が聞こえない、アナウンサー黙れ!』の苦情が殺到したため、実況アナウンサーと解説者はパンナムの時は喋るのをやめて静かになった為、視聴者も楽しめるようになりました。 気をよくしたジョーンズ氏は、その後、地方場所での表彰式で登壇する際には、名古屋弁、大阪弁、博多弁を覚えていき、『ヒョーショージョー、優勝、○○、おみゃあさんは・・・』 『優勝、○○、おまえはんは今場所はほんまに頑張りはってぎょうさん勝ちましたなぁ?』 『あんたんは、一番よか成績だったけん・・・』 と それぞれの独特な訛りを入れた挨拶を 毎年毎年工夫して変えてくるので、毎回毎回、大喝采を浴びていました。 それが楽しみで、千秋楽だけは相撲放送(特に表彰式)にチャンネルをまわす人がいっぱいいました。 そして、ジョーンズ氏の挨拶が終わた途端に帰り支度をする観客、 チャンネルを変えてしまう テレビ桟敷の相撲ファンが多かったのです。 今でも、Youtubeで 昭和60年初場所=新両国国技館こけら落としの場所で優勝した千代の富士関を表彰するジョーンズ氏、千代関にトロフィーを渡そうと、ひっくり返りそうになりながらトロフィーを持ち上げてゆっくりと歩を進める姿 を見ることができます。 もちろんスマホでも見られます。
無事に御帰還された・・・よかったですねえ。 今日の午後とか次の出勤の際、 休憩時間は、両国談義で持ちきりでしょうねえ。 ところで、昨日は、おばちゃんず御一行は とんでもない場面を目撃して来られたのですね。 昭和24年にひと場所15日制がきっちり決まってから初めての珍事。 幕内後半は、波乱の連続。 (もう大関が負けるのは波乱とも言えなくなってきているが、) 「出場した関脇以上が全員敗れる」という、1場所15日制が定着した1949昭和24年夏場所以降では初の大々波乱となった。 昨日、本場所観戦し、この関脇以上総崩れの場に居合わせた方々は、“とんでもないもの”を目撃したのですねえ。 小結御嶽海も遠藤に敗れ、三役以上で勝利したのは、小結碧山だけ。 朝乃山が絶好調、平幕力士では2007平成19年秋場所の豪栄道以来、12年ぶりに11日目での単独トップとなりました。 今日から残り四日間の対戦予想 番付を優先すれば横綱や大関、優勝争いの関脇栃ノ心の対戦予想は13日目以降、下記のようになりそう。 朝乃山は関脇以下の上位に当てられそうだ。優勝争いを優先し、番付上位4人の対戦相手に 朝乃山を組み入れ、好カードを組む「割崩し」も過去にあるが、相当の不成績者がいないため割は崩されないかもしれない。 朝乃山は、今日の相手が玉鷲、明日が逸ノ城、今のところ、明後日・土曜日が碧山と、千秋楽に御嶽海という予想されます。 このままだと大関・横綱とすら当たらないので、平幕優勝のチャンス大。 2敗で追う横綱鶴竜は、今日が竜電(初顔合わせ)と、 明日が栃ノ心、明後日が大関高安で千秋楽に大関豪栄道となるでしょう。 同じく2敗の栃ノ心は、今日が初顔合わせの明生戦、ここで10勝目を挙げて、大関復帰を確定させたいところ。 明日以降は、鶴竜、豪栄道、高安と組まれるでしょう。 辛うじて首の皮一枚だけ優勝の望みがある、4敗の大関陣では、 豪栄道が、宝富士・高安・栃ノ心・鶴竜、 高安が 阿炎・豪栄道・鶴竜・栃ノ心と対戦することになりそう。 「いくらなんでも、横綱大関戦がひとつもなしで平幕優勝はないだろう」という声が、今日あたり、協会審判部内で高まれば、鶴竜や豪栄道・高安の割を崩して、(横綱大関戦や大関同士の対戦をなくしてでも)朝乃山にぶつけてくるかもしれません。 尾車事業部長(元大関・琴風)も、昨日、国技館をあとにする帰りがけに、 「こうなると朝乃山は鶴竜、栃ノ心に持って行かれる(=対戦を組まれる)だろう。でもいい勝負をすると思う」と評価した。 ちなみに、朝乃山と横綱大関陣との過去の対戦は、昨年の九州場所で、大関豪栄道と対戦し上手投げで敗れた 1度だけ。 さあ、「割崩し」はあるのか?
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北の富士さんは足と、髷をつかんだのではと言っていたが…長い話し合い終わり親方が説明する前に、楽しみ!と言ったの、聞き逃さなかったよ!
にしても、観戦の前、観戦後、丁度真ん中に行って、今日はラジオ!
残念だな…
炎鵬痛かったら休んでほしい。宇良しかりだし。
怪我は怖いわ
綺麗に掃き清められた蛇の目の砂 に残るはずの、
足が出てたか 出てなかったか? の 証拠部分の砂を
朝乃山が倒れて手を付く際に 掻き消してしまったのではないか?
それにしても
審判たちが、土俵際でもっと 砂を確かめてというしぐさがあってもよかったのでは?
栃ノ心の足、出たのか出ていないのか?
炎鵬の太もも、心配です。
高安、かろうじて勝った!。
遠藤、嘉風、心配だ、、、。
明日はなんとしても鶴竜は勝ちたいだろうし、
栃ノ心だって、勝ちたい。
朝乃山、もしかしたら、優勝!?
目が離せませんね。
栃の心の足は出てないのではないか!
温故知新・大相撲カレンダー 5月24日
1916大正5年5月24日 五月夏場所 七日目、
横綱太刀山 対 大関大錦卯一郎
入幕四場所目にして すでに大関ふた場所目という「前人未到の速さ」で出世してきた大錦卯一郎を寄りきりで破った太刀山が連勝記録を56に伸ばした。
これで、歴代2位の初代梅ヶ谷の58連勝を場所中に抜き、 その先、翌場所= 翌年1月春場所には(江戸時代の天明~安永年間の)谷風の63連勝をも抜いて史上1位に躍り出ることも現実味を帯びてきた。
しかし好事魔多し、
翌日、188cm150kgある太刀山が,小結の栃木山172cm103kgに立ち合いで低く入られて食いつかれ、寄り切られ ついに連勝ストップ。
太刀山が大正時代に入って初の敗戦だった。
その時の熱戦譜
立ち合い、栃木山がすぐ右を差し頭をつけた。
太刀山は左から小手に振ろうとし、また右を筈にして割り出さんとしたが、 その遑(いとま)を与えず栃木山は左も入れて二本差し、
間髪入れず右から大きく掬って東に太刀山を寄り立ててがぶり寄り、堪える太刀山を渾身の力で寄り切った。
時は大正5年5月、元号が明治から大正に変わってからまだ一度も負けたことがない太刀山が土俵を割った。際どい相撲ではなく、小兵の栃木山に正攻法で寄り切られたのだった。
旧両國國技館は一瞬 しーん と静まり返った。 が、すぐさま、満場は百雷が一遍に轟いたかのような大騒ぎ、満場総立ち、座布団は飛ぶ、ミカンやびわなど果物も飛んでくる。土俵に上がり踊り狂う見物客が二人いたという。
すでにごった返した状態の花道を、なんとか支度部屋へ下がる栃木山。
支度部屋で付け人から教えられて鏡で背中を見ると、栃木山の背中には、狂喜した角力ファンからのご祝儀、百圓紙幣が二枚も貼りつけられていた。
(この大正前半の貨幣価値は、1圓が15000-20000円ほど。つまり弐百円だと300~400万円ぐらいでしょうか
至難な道・・・大関復帰
大関復帰の10勝目前で、上体に力が入り過ぎ、足踏みする栃ノ心と、勝ち越し目前で3連敗している炎鵬に 『 とにかく頑張れ! 』とエールを送った今朝の北の富士さん。
さらに『・・あと1勝くらい、なんとかなるだろう。気を楽に持った方がいい。
人のことだから何とでも言えるが、お相撲さんは大変だ。この日もテレビで力士達に文句ばかり言ってしまった。
反省はしてるが、仕事だから勘弁してもらいたい。 私も現役のころは解説の親方衆が大嫌いであった。
まさか、その俺が解説者になろうとは夢にも思わなかった。
人生って、不思議なものである。なんだか、美空ひばりさんの歌みたいになってしまった。
この日は相撲場から錦糸町の寿司屋に直行して一杯やってきた。いつもは原稿を書いてから飯を食うのだが、あまりに腹が減ったので飯を先に食べた。しかし、これは失敗だった。少しの酒にすっかり酔って、原稿を書くのが億劫になり、ひどい原稿になってしまった。私が悪いのではなく 酒が悪い。
そんなわけで、締め切りがもうすぐだ。辛うじてセーフだった。13日目からは、しらふで仕事します。ごめんなさい。
・・・北の富士さんが現役のころの NHK大相撲中継のメイン解説者は、激辛解説の玉の海梅吉さん。
けっこう辛らつな解説をしていた玉の海さんは、 ネオン無情が50万枚も売れて夜のヒットスタジオに毎週出演し、本業では万年大関となりかけていた北の富士を称して
「北の富士?あぁ、歌手の人ね。 趣味が相撲なんでしょ? けっこう相撲、上手いみたいだよ・・・・」と 愛弟子の玉乃島のライバル北の富士には きつい嫌味を言ってました。
後年になって北の富士さんは玉の海さんのことを訊かれて
『あの人ねえ、うちの部屋の稽古を見ていない割には 俺に「稽古が足りない」とか言うんだよ・・・』と当時の批判に対して反論してました。
栃ノ心の苦難の道 に話を戻すと
大関陥落からひと場所で二桁勝利して復帰した力士は
1976昭和51年名古屋場所 三重ノ海4勝3敗から6連勝して10勝到達→大関復帰
2000平成12年 初 場所 貴ノ浪 7勝5敗から3連勝
2000平成12年 秋 場所 武双山 5勝4敗から4連勝、千秋楽で10勝目
2004平成16年名古屋場所 栃 東 9勝4敗から10勝目
2005平成17年 初 場所 栃 東 8勝4敗から3連勝で11勝。
今場所の栃ノ心のように
関脇に陥落し、10勝して大関復帰を目指した力士の中で、あと一歩及ばなかったのが
昭和49年名古屋場所の大受と、平成29年春場所の琴奨菊で、ともに9勝6敗。
大受は、三日目から十日目までの八日間で3勝5敗と振るわず、十二日目の長谷川戦で寄り切られて6敗目、復帰は叶わなかったが、ラスト3日間を3連勝。もう一歩だった。
琴奨菊は、8勝5敗で迎えた14日目に後輩大関の照ノ富士にはたき込みで敗れて、復帰の夢を断たれた。千秋楽は気落ちせずに嘉風を一気に寄り切ったが「時すでに遅し」だった。
大関陥落―復帰への救済制度
1958昭和33年に、7月場所が名古屋本場所となり年間6場所制度となった際、
“2場所連続負け越しで陥落”では厳しすぎるとして、“3場所連続の負け越しで関脇に陥落”と改められました。
ところが今度は、それでは甘すぎるとする批判が相次ぎ、
1969昭和44年7月場所より現行の「2場所連続負け越しで関脇に陥落、直後の場所で10勝以上を挙げた場合は特例で復帰できる」とする規定となりました。
(この間=昭和33年~44年5月まで 2場所連続負け越ししたのに陥落とならなかった力士は、
松登、琴ヶ濱、若羽黒、栃光、豊山、と、当時の大関は軒並みこの恩恵を受けていた。
この恩恵を受けて、大関を維持し、後に奮起して横綱になった力士には、我らが北の富士さんがいます。
例外=当時の大関で二場所連続負け越しをしなかった のは、北葉山と清國ぐらいでした。
今日は、藤井アナウンサーと北の富士、向正面は舞の海かな?。この3人が一番落ち着いて聴いていられます。
炎鵬、今日も勝ち越しはお預けかぁ。
嘉風、勝ったーー。立つ前のきちんとした姿勢が美しいです。国技館カフェというのを初めて観ました。
北の富士さんは、ああいったところがあるんだー、放送席しか知らないからって言っていました。北の富士さんとカフェでアイスなんか食べたいですね、北の富士さんはビールでしょうけど 笑。叶わぬ夢、、、笑。
温故知新大相撲カレンダー 5月21日
1961昭和36年5月21日 五月夏場所千秋楽
佐田の山が優勝した表彰式で、 パン・アメリカン航空の極東地区広報担当支配人だったデビッド・ジョーンズ氏が初登場。
退職した前任者の代わりに、初めて土俵に上がり、(天皇賜盃や総理大臣杯よりも重い)重さ42kgにもなるパン・アメリカン社の大トロフィー授与の際,「ヒョー・ショー・ジョー!」 と ひときわ大きな声を張り上げ、日本語で挨拶を始め、喝采を浴びました。
これは、理事長や審判部長・内閣官房の役人やNHK幹部たちが もそもそ読み上げている表彰状授与に退屈している桟敷席のファンのつまらなそうな素振りに気がついたジョーンズ氏が、アドリブで 大きな声で注目させたものでした。
呼出さんの手助けを断り、よろよろしながらトロフィーを優勝者に渡すその動きも大人気でした。
ガヤガヤしている場内も「ジョーンズ氏の挨拶の時だけは、一言一句 聴き逃すまい!」と、しーん として 聴いていました。
その後、パンアメリカントロフィー授与の時は、天皇賜盃と内閣総理大臣杯、NHK金杯の時と同様に、中継アナウンサーが、今場所のまとめなどペラペラ喋っていると『パンナムの挨拶が聞こえない、アナウンサー黙れ!』の苦情が殺到したため、実況アナウンサーと解説者はパンナムの時は喋るのをやめて静かになった為、視聴者も楽しめるようになりました。
気をよくしたジョーンズ氏は、その後、地方場所での表彰式で登壇する際には、名古屋弁、大阪弁、博多弁を覚えていき、『ヒョーショージョー、優勝、○○、おみゃあさんは・・・』 『優勝、○○、おまえはんは今場所はほんまに頑張りはってぎょうさん勝ちましたなぁ?』 『あんたんは、一番よか成績だったけん・・・』 と それぞれの独特な訛りを入れた挨拶を 毎年毎年工夫して変えてくるので、毎回毎回、大喝采を浴びていました。
それが楽しみで、千秋楽だけは相撲放送(特に表彰式)にチャンネルをまわす人がいっぱいいました。
そして、ジョーンズ氏の挨拶が終わた途端に帰り支度をする観客、 チャンネルを変えてしまう テレビ桟敷の相撲ファンが多かったのです。
今でも、Youtubeで
昭和60年初場所=新両国国技館こけら落としの場所で優勝した千代の富士関を表彰するジョーンズ氏、千代関にトロフィーを渡そうと、ひっくり返りそうになりながらトロフィーを持ち上げてゆっくりと歩を進める姿 を見ることができます。 もちろんスマホでも見られます。
今朝の審判部会議で、朝乃山の明日の対戦相手が 栃ノ心に決まりました。
今日も明日も、朝乃山が勝つようなら、さらなる割崩しがあるか?
無事に御帰還された・・・よかったですねえ。
今日の午後とか次の出勤の際、 休憩時間は、両国談義で持ちきりでしょうねえ。
ところで、昨日は、おばちゃんず御一行は とんでもない場面を目撃して来られたのですね。
昭和24年にひと場所15日制がきっちり決まってから初めての珍事。
幕内後半は、波乱の連続。 (もう大関が負けるのは波乱とも言えなくなってきているが、)
「出場した関脇以上が全員敗れる」という、1場所15日制が定着した1949昭和24年夏場所以降では初の大々波乱となった。
昨日、本場所観戦し、この関脇以上総崩れの場に居合わせた方々は、“とんでもないもの”を目撃したのですねえ。
小結御嶽海も遠藤に敗れ、三役以上で勝利したのは、小結碧山だけ。
朝乃山が絶好調、平幕力士では2007平成19年秋場所の豪栄道以来、12年ぶりに11日目での単独トップとなりました。
今日から残り四日間の対戦予想
番付を優先すれば横綱や大関、優勝争いの関脇栃ノ心の対戦予想は13日目以降、下記のようになりそう。
朝乃山は関脇以下の上位に当てられそうだ。優勝争いを優先し、番付上位4人の対戦相手に 朝乃山を組み入れ、好カードを組む「割崩し」も過去にあるが、相当の不成績者がいないため割は崩されないかもしれない。
朝乃山は、今日の相手が玉鷲、明日が逸ノ城、今のところ、明後日・土曜日が碧山と、千秋楽に御嶽海という予想されます。
このままだと大関・横綱とすら当たらないので、平幕優勝のチャンス大。
2敗で追う横綱鶴竜は、今日が竜電(初顔合わせ)と、 明日が栃ノ心、明後日が大関高安で千秋楽に大関豪栄道となるでしょう。
同じく2敗の栃ノ心は、今日が初顔合わせの明生戦、ここで10勝目を挙げて、大関復帰を確定させたいところ。
明日以降は、鶴竜、豪栄道、高安と組まれるでしょう。
辛うじて首の皮一枚だけ優勝の望みがある、4敗の大関陣では、
豪栄道が、宝富士・高安・栃ノ心・鶴竜、 高安が 阿炎・豪栄道・鶴竜・栃ノ心と対戦することになりそう。
「いくらなんでも、横綱大関戦がひとつもなしで平幕優勝はないだろう」という声が、今日あたり、協会審判部内で高まれば、鶴竜や豪栄道・高安の割を崩して、(横綱大関戦や大関同士の対戦をなくしてでも)朝乃山にぶつけてくるかもしれません。
尾車事業部長(元大関・琴風)も、昨日、国技館をあとにする帰りがけに、
「こうなると朝乃山は鶴竜、栃ノ心に持って行かれる(=対戦を組まれる)だろう。でもいい勝負をすると思う」と評価した。
ちなみに、朝乃山と横綱大関陣との過去の対戦は、昨年の九州場所で、大関豪栄道と対戦し上手投げで敗れた 1度だけ。
さあ、「割崩し」はあるのか?