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[ 川 」 たしかに少ない そうですねえ 横綱でも 小野川と境川 あとから横綱と認定された綾川 をいれても たった三人だけ。 流れてしまうから 験が悪い・・ なるほどわかりやすいですね。 ありがとうございます
「山」がつく四股名を謳った 相撲甚句があるので 御紹介しますと 相撲甚句 「山づくし」 山を集めて甚句にとけばヨ~ お江戸で名高い愛宕山 三国一なる富士の山 道の難所が箱根山 噴火で名高い浅間山 心中で名高い三原山 天狗の出たのが鞍馬山 鬼の出たのが大江山 昔筑前松浦の 加藤左衛門重氏の 忘れ形見の石童が 父を訪ねし高野山 大阪落城その時に 木村、片桐両将の 駒の別れが茶臼山 吉良の仁吉や国定が 喧嘩で男を売ったのは 荒神山や赤城山 相撲で名高い常陸山 大正太刀山 栃木山 昭和で無敵はヨー ホホイアー 双葉山ヨ だそうです。
先場所優勝の朝乃山が おそらく小結に昇進、めでたく初三役となりそうです。 富山市へ凱旋した際にはたいそう賑わって大歓迎されたとのニュースがありました。 2000平成12年初場所の武双山以来、ほんとうに久しぶりに 四股名の終りに「山」がつく力士の幕内優勝でしたね。 その武双山の優勝も、1972昭和47年名古屋での高見山大五郎以来28年ぶりのことでした。 今の幕内力士42人では、栃煌山と松鳳山、碧山 そしてこの朝乃山のわずか4人。 昭和の中盤ごろまでは、四股名といったら「山」「花」「海」「川」「谷」といった字が最後につくのが定番でしたが ずいぶん様変わりしたものです。
PM5:25の匿名さん 武蔵丸が入門する1年ほど前に同じ武蔵川部屋にその名も「武蔵坊弁慶」というハワイ出身の力士がいました。 1987年九州場所で序ノ口優勝しましたが、すぐにスカしてしまいました。 尚、四股名の一部に弁慶を使っている例なら朝弁慶などがいますね。
温故知新ダイアリー 6月10日 1910 明治43年6月10日 西大関の太刀山と東前頭八枚目八嶋山という対戦、無敵ぶりをみせつけここまで全勝の太刀山、しかも三日目には、小結の小常陸を立合いの双手突き1発で桟敷まで突き飛ばし、足で桟敷を突き破った小常陸は負傷して翌日から休場、(翌場所は全休)という 豪快無敵な太刀山の 立ち合いの強烈な突っ張りを恐れた八嶋山は立ったが前に出れない。 そこで太刀山が両腕を広げて歩み出ると、なんと八嶋山はジリジリ後退、結局ただの一度も太刀山の体に触れることなく八嶋山は土俵を割った。 決まり手はなんと 「にらみ出し」と報じられました・・・協会の資料だと「寄り切り」になっていますが、、、、たしかに寄って行って勝ったが触ってない。 翌年1911明治44年の同じ6月10日 夏場所初日 この年の1月と前年6月に連続優勝して第22代横綱となった太刀山が不知火型の豪快な横綱土俵入りを初めて本場所で披露しました。 この場所も優勝し、更にその後、連続優勝、合計5連覇という偉業を遂げました。 新横綱で優勝するというのは、よほどのことがないと難しいようで 個人優勝制度が始まった1909明治42年以降の110年間で、わずか7人しかいません。 横綱昇進を挟んで優勝し続けた力士は ☆ 太刀山 5連覇 9勝0敗1分け 優勝、 8勝0敗1預り1分け 優勝 <横綱昇進> 、10戦全勝優勝、 8勝1敗1分け 優勝、 10戦全勝優勝 ☆ 栃木山 5連覇 9勝0敗1預かり 優勝、 10戦全勝優勝、 <横綱昇進> 9勝1敗 優勝、 9勝0敗1不戦 全勝優勝、 10戦全勝優勝 ☆ 双葉山 5連覇 11勝0敗 優、 11勝0敗 優、 11勝0敗 優、<横綱昇進> 13勝0敗 優、 13勝0敗 優、 ☆ 大鵬 3連覇 13勝2敗 優 、12勝3敗 優 、 <横綱昇進>13勝2敗 優 ☆ 隆の里 2連覇 14勝1敗 優 、 <横綱昇進>15戦全勝 優 ☆ 貴乃花 3連覇 15戦全勝 優 、15戦全勝 優、<横綱昇進> 13勝2敗 優 ☆ 稀勢の里 2連覇 14勝1敗 優、 <横綱昇進> 13勝2敗 優 北の富士・玉の海の同時昇進横綱は揃って13勝2敗、2連続優勝してた新横綱北の富士は「横綱昇進を挟んでの3場所連続優勝」を先輩横綱大鵬に阻まれたのでした。 その後も輪島・北の湖がともに11勝4敗で新横綱の場所を終え、千代の富士にいたっては1勝2敗12休み。 平成でも 朝青龍が10勝5敗、白鵬でさえ11勝4敗、日馬富士と鶴竜にいたっては9勝6敗でした。 1909明治42年の個人優勝制度導入前の「優勝相当」ですと ☆☆明治時代の常陸山と江戸末期(慶応年間)の陣幕が 大関で優勝相当・優勝相当・<横綱昇進し、新横綱の場所で>・優勝相当でした。 ☆江戸・寛政の時代の小野川が 優勝相当・<横綱昇進>・優勝相当・優勝相当 という好成績を挙げています。 それでもこの3人だけ。 つまり、記録が残っている江戸の相撲で、新横綱で優勝(または優勝相当)したのはたった10人しかいないということのようです。
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[ 川 」 たしかに少ない そうですねえ
横綱でも 小野川と境川 あとから横綱と認定された綾川 をいれても たった三人だけ。
流れてしまうから 験が悪い・・ なるほどわかりやすいですね。
ありがとうございます
川の付く四股名は昭和の終わりからものすごく少なくなった。
川は流れるのでゲンが悪いらしい。
関取では徳瀬川が最後。
山ね、確かに山の付く四股名は沢山ある感じですが、富士山の富士も山の内の様なものかね!憧れの北の富士さんとか、千代の富士、旭富士もいた。
後は分からんね
「山」がつく四股名を謳った 相撲甚句があるので 御紹介しますと
相撲甚句 「山づくし」
山を集めて甚句にとけばヨ~
お江戸で名高い愛宕山 三国一なる富士の山
道の難所が箱根山 噴火で名高い浅間山
心中で名高い三原山 天狗の出たのが鞍馬山
鬼の出たのが大江山
昔筑前松浦の 加藤左衛門重氏の
忘れ形見の石童が 父を訪ねし高野山
大阪落城その時に 木村、片桐両将の
駒の別れが茶臼山 吉良の仁吉や国定が
喧嘩で男を売ったのは 荒神山や赤城山
相撲で名高い常陸山 大正太刀山 栃木山
昭和で無敵はヨー ホホイアー 双葉山ヨ だそうです。
先場所優勝の朝乃山が おそらく小結に昇進、めでたく初三役となりそうです。
富山市へ凱旋した際にはたいそう賑わって大歓迎されたとのニュースがありました。
2000平成12年初場所の武双山以来、ほんとうに久しぶりに 四股名の終りに「山」がつく力士の幕内優勝でしたね。
その武双山の優勝も、1972昭和47年名古屋での高見山大五郎以来28年ぶりのことでした。
今の幕内力士42人では、栃煌山と松鳳山、碧山 そしてこの朝乃山のわずか4人。
昭和の中盤ごろまでは、四股名といったら「山」「花」「海」「川」「谷」といった字が最後につくのが定番でしたが
ずいぶん様変わりしたものです。
竜電が結婚しましたね。六つ年上の姉さん女房。けっこう美人さん。
場所まで静かだな。
おまけに一人芝居しているから笑える(笑)
読売の部屋ではないから、一人芝居はやめろ!
PM5:25の匿名さん
武蔵丸が入門する1年ほど前に同じ武蔵川部屋にその名も「武蔵坊弁慶」というハワイ出身の力士がいました。
1987年九州場所で序ノ口優勝しましたが、すぐにスカしてしまいました。
尚、四股名の一部に弁慶を使っている例なら朝弁慶などがいますね。
牛若丸という力士がいたのはわかった。弁慶っていう力士もいたのかな?又は武蔵坊とか
温故知新ダイアリー 6月10日
1910 明治43年6月10日
西大関の太刀山と東前頭八枚目八嶋山という対戦、無敵ぶりをみせつけここまで全勝の太刀山、しかも三日目には、小結の小常陸を立合いの双手突き1発で桟敷まで突き飛ばし、足で桟敷を突き破った小常陸は負傷して翌日から休場、(翌場所は全休)という 豪快無敵な太刀山の 立ち合いの強烈な突っ張りを恐れた八嶋山は立ったが前に出れない。
そこで太刀山が両腕を広げて歩み出ると、なんと八嶋山はジリジリ後退、結局ただの一度も太刀山の体に触れることなく八嶋山は土俵を割った。
決まり手はなんと 「にらみ出し」と報じられました・・・協会の資料だと「寄り切り」になっていますが、、、、たしかに寄って行って勝ったが触ってない。
翌年1911明治44年の同じ6月10日 夏場所初日
この年の1月と前年6月に連続優勝して第22代横綱となった太刀山が不知火型の豪快な横綱土俵入りを初めて本場所で披露しました。
この場所も優勝し、更にその後、連続優勝、合計5連覇という偉業を遂げました。
新横綱で優勝するというのは、よほどのことがないと難しいようで
個人優勝制度が始まった1909明治42年以降の110年間で、わずか7人しかいません。
横綱昇進を挟んで優勝し続けた力士は
☆ 太刀山 5連覇
9勝0敗1分け 優勝、 8勝0敗1預り1分け 優勝 <横綱昇進> 、10戦全勝優勝、 8勝1敗1分け 優勝、 10戦全勝優勝
☆ 栃木山 5連覇
9勝0敗1預かり 優勝、 10戦全勝優勝、 <横綱昇進> 9勝1敗 優勝、 9勝0敗1不戦 全勝優勝、 10戦全勝優勝
☆ 双葉山 5連覇
11勝0敗 優、 11勝0敗 優、 11勝0敗 優、<横綱昇進> 13勝0敗 優、 13勝0敗 優、
☆ 大鵬 3連覇
13勝2敗 優 、12勝3敗 優 、 <横綱昇進>13勝2敗 優
☆ 隆の里 2連覇
14勝1敗 優 、 <横綱昇進>15戦全勝 優
☆ 貴乃花 3連覇
15戦全勝 優 、15戦全勝 優、<横綱昇進> 13勝2敗 優
☆ 稀勢の里 2連覇
14勝1敗 優、 <横綱昇進> 13勝2敗 優
北の富士・玉の海の同時昇進横綱は揃って13勝2敗、2連続優勝してた新横綱北の富士は「横綱昇進を挟んでの3場所連続優勝」を先輩横綱大鵬に阻まれたのでした。
その後も輪島・北の湖がともに11勝4敗で新横綱の場所を終え、千代の富士にいたっては1勝2敗12休み。
平成でも 朝青龍が10勝5敗、白鵬でさえ11勝4敗、日馬富士と鶴竜にいたっては9勝6敗でした。
1909明治42年の個人優勝制度導入前の「優勝相当」ですと
☆☆明治時代の常陸山と江戸末期(慶応年間)の陣幕が 大関で優勝相当・優勝相当・<横綱昇進し、新横綱の場所で>・優勝相当でした。
☆江戸・寛政の時代の小野川が 優勝相当・<横綱昇進>・優勝相当・優勝相当 という好成績を挙げています。
それでもこの3人だけ。
つまり、記録が残っている江戸の相撲で、新横綱で優勝(または優勝相当)したのはたった10人しかいないということのようです。