大相撲のコメント部屋

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externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,037件 』

  • 投稿者:keichan

    まさか、大関、横綱、全滅とは!
    高安、、、勝って欲しかったな。
    高安が荒磯親方の横を通るとき、親方、悲しそうに右下を見てうつむいていましたね。
    インタビュールームは忙しそうでした。

    今日、場所を観戦された方の情報、まだ、稀勢の里弁当、売られているのですね。
    ということは、稀勢の里グッズ、しこ名が書いてあるタオルなども売られているのでしょうか?

    私もいつか、北の富士さんが解説の時に行って、写真お願いしたいです。

  • 投稿者:KON

    温故知新・大相撲カレンダー 5月20日 #3
    1962昭和37年5月20日
    関脇栃ノ海が、千秋楽の“これより三役“の緒戦に登場し、先輩関脇の若羽黒を下して14勝1敗、西の控えで、結び前の一番に勝って13勝2敗の優勝決定戦に持ち込もうと闘志を燃やしていた同じ出羽一門の大関佐田の山 を 尻目にここで優勝を決めた。
    栃ノ海は 五日目に柏戸に屈した1敗のみで白星街道、八日目には羽黒山を蹴返しで土俵に這わせ、九日目に君錦を外掛けで刈り倒し、11日目には青ノ里を下手出し投げ、12日目には大関北葉山を上手出し投げ、十三日目には綱大鵬を渡し込みで下して大鵬に幕内初勝利。
    (幕下から十両にかけては一度も大鵬(納谷)に負けなかった栃ノ海=当時の四股名は花田 だったが、幕内では形勢逆転、五連敗中だった) 
    そしてこの日、千秋楽、栃ノ海が低く当たって右から左と両差し、左に廻って左切り返し、堪える若羽黒をさらに切り返しでひっくり返した。
    切り返しの連続技が鮮やかに決まって見事な勝利=初優勝したのでした。もちろん6度目の技能賞も同時受賞。
    これで栃ノ海は、関脇で9勝→ 関脇で9勝→ 関脇で14勝(優勝)=32勝 という三場所成績、     平幕で11勝→ 小結で10勝→ 関脇で13勝(準優勝)=34勝 だった同じ春日野部屋の先輩栃光とともに、めでたく同部屋同時大関昇進した。
    2人とも、若乃花、大鵬、柏戸といった横綱陣を倒していた内容が高く評価されての大関昇進でした。

  • 投稿者:匿名

    お昼前に国技館デビュー!
    稀勢の里のお弁当買えました。博物館に行ったり、館内巡りして、もち北の富士さんの仕事場は一番に見てます。
    昨日だったら本人見えたのでしょうが…
    地下でチャンコも食べて、暑いのでソフト食べて、お土産(旦那に焼き鳥、湯呑み)など買って、と書くと、スムーズに聞こえますが、お喋り多いし、決めてからかうといってるのに、迷う!
    恥じらう乙女だから!色気より食い気。
    席についてもあんパン食べて、お茶飲んでる、さぁさぁ貴源治は負けちゃったけど、落ち着いて応援です。
    疲れが全然ない。
    興奮してるからかな

  • 投稿者:KON

    温故知新カレンダー 5月20日 #2
    1951昭和26年5月20日 五月夏場所八日目
      8日目 若ノ花 (掛け投げ) 栃錦
     小兵同士の初対決として話題を呼んだ好一番(後年角界一の黄金カードとなるが、そんなことは誰一人として思ってもいない)。 『俺と同じように小さくて意気のいい若いのが上がってきたなあ』 と楽しみにしていた 体重85kgの小結栃錦は ようやく対戦できた さらに軽量82kgの前頭筆頭・若ノ花との初対戦。

    前半戦で巨躯不動岩に奇手「たすき反り」で勝利、佐賀ノ花を豪快・波離間投げできって落とすなど、技能派ぶりをいかんなく魅せて、ここまで5勝2敗の栃錦が東から、横綱大関陣の厚い壁に ここまで2勝5敗と苦しい若ノ花が西から土俵に上がって 両者無表情に仕切りを繰り返してるうちに時間いっぱい。
     
    栃錦が突っ込むと若ノ花は少し右に変わって上手出し投げ、栃錦残して左のがっぷり四つ。 若ノ花の下手投げ、栃錦は下手捻り、若ノ花も下手捻り、栃錦は引きつけて吊り、ひと呼吸置くか置かぬうちに若ノ花さらに下手捻り、互いに全て堪える攻防戦となり、 再び若ノ花が上手投げから寄ると栃錦が寄り返して数呼吸。 
    やや疲れた栃錦が下手捻りから寄ると 若ノ花は 土俵際の剣ヶ峰で左足を俵に乗せたまま、右内掛けから 掛け投げで逆転した。
    この掛け投げ、強靭な足腰の為せる逆転の投げには、相撲ファンは驚愕した。 
    若ノ花は、この勝利に気をよくしたか、後半に白星を重ね、千秋楽で8勝7敗と勝ち越した。

    一方の栃錦は、翌日に横綱羽黒山を内掛けで下すなど、技が冴え、9勝を挙げて五度目の技能賞受賞。
    この場所を基点に5場所連続の技能賞受賞で6場所目には大関に昇進していた栃錦でした。

  • 投稿者:KON

    温故知新大相撲カレンダー 5月20日

    1917大正6年5月20日 大相撲史上初の四横綱場所となった夏場所千秋楽。
    豪華横綱陣のはずが三人はボロボロで、体重100kgちょっとの小兵の大関栃木山が孤軍奮闘して初優勝しました。
    この場所、史上初の豪華・四横綱という番付が話題になり大きく期待されたが
    場所直前の巡業中に矢筈山と稽古していて(再び)右足を骨折してしまった東正横綱 太刀山 が全休  
    ・西の正横綱 大錦(卯) が平幕の大鳴門に金星を与えてしまったのが響いて9勝1敗  
    ・東張出横綱 鳳 は六日目から途中休場で3勝2敗5休  
    ・西張出横綱 西ノ海 に至っては2勝1敗で四日目から休場。   
    さらに東大関の伊勢ノ濱が5勝5敗と勝ち越しすらできず・・・というありさま。
    そして千秋楽を迎え、ここまで大関栃木山が8勝0敗1預かり と幕尻の大潮が9戦全勝。
    いくら好成績だったとしても横綱大関三役など上位力士との割は組まない時代であり、取り直しという制度もなければ 優勝決定戦すらなかった時代だった為に、ややこしくなりました。
    まだ両者の取組が終わってないのに、勝負審判たち(=当時の呼称:検査役団)は一様に協会事務所に引き揚げてしまったのです。 観客そっちのけで、なんと審判部の会議を始めました。
     「栃木山が黒瀬川戦に勝ったら全勝で額を掲げるべきだ」という意見と、「栃木山が四日目の敷嶋戦で預かりになっているから、 もし大潮が勝って全勝になった場合は大潮を正位の全勝者として認めるべきだ」という意見の 2つに分かれ、 協会は優勝額を 2枚揚げるのはどうかという折衷案まで持ち出していろいろ詮議、40分も土俵が空いた。
    出羽ノ海(常陸山)は 「土俵が早く進みすぎているので20分休憩を取った」と言っていたが、 疑いなく全勝問題だろうといわれた。結局、大潮が6枚目の紅葉川との一番で、両差しを許し苦し紛れに閂で吊り上げたが腰がくだけ両者同時に倒れたため、20分もの協議の結果、預かりとなってしまった為、栃木山の優勝に落ち着いたのでした。

    「四横綱番付」は、この大正6年以降、一昨年の白鵬・日馬富士・鶴竜・稀勢の里まで16組ありました。
    しかし、総じて、四人のうち二人以上が惨憺たる成績でがっかりさせました。
    二組目の大正7年夏場所も鳳が0勝1敗9休み、西ノ海と大錦が全休、栃木山がここでも孤軍奮闘で優勝。
    三組目の昭和13年春・夏では、双葉山が13戦全勝を続け、69連勝へまっしぐら。先輩横綱の玉錦が二桁勝利を続けた。しかし、武蔵山は勝ち越しが精一杯、男女ノ川は二桁も勝てず。

    四横綱とも強かったのは、昭和18年から19年の四場所での双葉山・羽黒山・安藝ノ海・照國の四人。
    四人ともが二桁勝利することがこの四場所中3度もあり、さらに、双葉山が二度、羽黒山が1度全勝優勝した。
    特に昭和18年1月場所は四横綱の成績合計が54勝6敗と歴代1位だった。これでは、下の者はたまらない。
    大関以下への敗戦は、二つだけ。=東正横綱の安藝ノ海が柏戸(秀剛)の下手出し投げに屈し、大関前田山の上手投げに敗れたこの二敗のみ。

    柏鵬時代にも何組も四横綱となり、一度は四人揃って二桁勝利を挙げた。昭和40年秋場所のことで 優勝は決定戦で横綱佐田の山を破った柏戸が12勝での優勝、大鵬は11勝・栃ノ海が10勝だった。
    輪島・北の湖の頃、四横綱全員二桁勝利が続いたころがありました。
    昭和54年 秋・九州、そして翌55年夏場所の3度、 輪島・ 北の湖 ・二代若乃花 ・三重ノ海 の四人で達成しました。この四横綱は、前述の双葉山・羽黒山・安藝ノ海・照國時代に次ぐ強さだったようです。

    稀勢の里が悲願の綱獲りを果たし、四横綱となった(第16次)四横綱時代は、2017平成29年春場所から、場所前の暴行事件発覚で日馬富士が場所の途中で引退するまで・・・ = 同年九州場所までのわずか5場所でしたが、最初の春場所こそ、新横綱の稀勢の里が13勝で優勝、 日馬富士と鶴竜が10勝ずつ(白鵬は途中休場)と3人が二桁勝利を挙げましたが、 夏場所と名古屋場所では、二桁勝利は2人だけで残り2人が途中休場、 秋場所と九州場所では二桁勝利は1人だけという酷い成績でした。
    横綱が四人揃うと 碌なことはない・・・横綱同士で星の潰しあいをするのではなく、後半まで揃って出場し続けることもできないという状態が  この20年近くの四横綱場所の惨状です。

    今の大関陣が奮起するか、逸ノ城・玉鷲のモンゴル勢か、将来性のある貴景勝・御嶽海か? 追いかける北勝富士や朝乃山か?
    再び 四横綱時代がくるのは いつのことでしょう?

  • 投稿者:匿名

    今日はいいお天気です。
    雨上がりのいい空気で気持ちいいです。
    両手使えるので、リュクにして、中はお菓子、袋などなど。
    待ち合わせにはまだ少し時間ありますが、皆ワクワクです。
    おばちゃんず、両国めざします!
    色々、アドバイスありがとう。

  • 投稿者:keichan

    北の富士さんの浴衣姿、ネットで拝見しました。

    昨年、稀勢の里から反物もらって、作らせてもらって、彼が復活した際に着ようと思っていたが、叶わず。
    仕方ない、そろそろ着てもいいじゃないか、、、というエピソードがあったみたいですね。

    北の富士さんの稀勢の里 愛がいいですね!

  • 投稿者:keichan

    KONさん、私は巡業見物は二回あります。
    二回とも、まだ、稀勢の里が大関の頃です。
    二回、稀勢の里にサインをもらうことができてかわいいお顔も間近で観ました。写真もツーショットではありませんが、同じ枠内で映ってはいます 笑。嘉風や豊ノ島とも写真や握手したり、楽しかったです。いつか稀勢の里の土俵入りをと巡業を夢に見ていましたが、叶わなかったです。

    今日は北の富士さん、稀勢の里からの着物を着ていたのですか。途中からテレビ観戦したけど、北の富士さん一度も映らなくて見たかったです。

    若いアナウンサーと交代して、 KONさんの実況と北の富士さんの解説を聴きたいくらいです!

  • 投稿者:SAI

    判官贔屓の読み方の事で間違いではないというコメント
    わざわざありがとうございます
    たまにケチをつけたりしてすいませんでした!
    KONさんは寛大な上に物知りです♪
    私の場合はたまに漫画のキャラクターの台詞を
    参考に使ったりしています♪
    今場所もそろそろ終盤戦です!
    誰が優勝してオープンカーに乗るのか?
    今場所も盛り上がると思います♪

  • 投稿者:KON

    明日は、おばちゃんず・ご一行様の初めての本場所観戦ですね。大雨を降らせた嫌な低気圧も東へ去り 晴天・ちょっと暑いかも…です。
    keichanさんは本場所観戦か巡業見物されたことがありますか?

    私は今場所は観戦予定はありませんが、9月の秋場所に行ければ…と思っています。 一番頻繁に国技館に付き合ってくれてた先輩女性が先月68歳で亡くなってしまったので、残念でなりません。
    ここ7〜8年、 お父様やお母様を介護・面倒みていましたが、一昨年と去年、ご両親が他界された後、本人が老老介護に疲れ、自身の癌の進行に気づかず、手当てが遅れてしまったようです。

    秋場所観戦では、国技館正面の壁に江戸の相撲浮世絵が大きく描かれた壁の前で、彼女と一緒に撮った写真があるので、その写真を額に入れて持っていき、一緒に観戦しようと思います。

    彼女は、四股や蹲踞、、土俵入りや控えに入る時の動き、、勝った(負けた)後のそれぞれの力士の所作、、時間いっぱいになった土俵上で最後に軍配がかえる直前に、箒で蛇の目を掃きあげて土俵下へ降りる呼出さんの素早い動き、、など、着眼点が私に似ていて、相撲美を尊重してました。

    力士では、特に大関貴ノ花と千代の富士、貴乃花と寺尾、そして豊真将を彼女は大好きで、声を張り上げて四股名を呼んでました。

    ですから、秋場所では、貴景勝や阿炎を彼女の代わりに、精一杯応援して来ようと思います。

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