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初場所の番付は、12月24日(火)に発表、両国国技館で朝6時から頒布されます。 一般販売は 55円。 スポーツ紙では、翌日25日(水)に詳細が掲載されます。 ニッカンやスポニチ、サンスポあたりが幕内力士に関する情報が細かく(個々の力士褒賞金まで)載っていますが、 今回はあえて、東京中日スポーツを購入します。 理由は、初場所の初日に 自由席に前夜から並んで(ほぼ徹夜で)2200円の2階最後列の席をゲットする予定なので、 朝の8時半から観戦するのに、幕下以下~序ノ口力士まで全員載っている 東京中日スポーツが必要なのです。 私が前夜から並んで、仲間が御両親を伴なって あとから・・・恐らく8時半くらいに・・・国技館にやってくる予定です。 防寒対策、簡易な椅子、ラジオなど持参して 真冬の徹夜にチャレンジ、観戦翌日は有給休暇取得済み。 それまでに私が風邪をひいてしまったら、計画はおじゃんですが・・・・。
年末にきて、まだ41歳の東関親方が急逝されるというショックなニュースが入ってきてしまいましたが 2019年の総括を 元魁皇の浅香山親方が寄稿されているので引用しますと 若手力士の指導、根気よく真っすぐに正す心構えで 9月に開かれた大相撲秋場所の前後に、残念ながらまた角界の暴力を巡る問題が2件、明るみに出た。十両だった貴ノ富士の2度目の暴力と、立呼び出しが若い呼び出しを小突いた件で、2人とも角界を去ることになった。共通するのは若手を叱る際に手を出してしまったということ。角界の上下関係がどうあるべきかという点でいろいろと考えさせられる事案だ。 8月末に部屋の若手を殴った貴ノ富士は曲折の末に引退という結果になった。1年半前にも付け人を殴って出場停止処分を受けており、当時の師匠の貴乃花親方ら周囲に多大な迷惑をかけた。あれだけのことがありながら、また繰り返してしまったのは残念でならない。暴力だけでなく差別的な発言もあったというが、本当に相手のことを考えて注意したのなら、そんな言葉は出てこないはずだ。 まだ22歳で、これからというときに貴乃花部屋から千賀ノ浦部屋に移籍して師匠が変わったことが影響したのかもしれない。とはいえ同じ業界でも会社によって様々な決まり事があるように、どこの社会にもルールがあり、1人がルールを破ることで会社が危機に陥ることだってある。まして相撲部屋のような小さな組織では、1人のせいで他の力士の人生まで狂わされることにもなる。何度言い聞かせても理解しようとしない人間は、そこにいられなくなるのは仕方ない。 自分の弟子で名古屋場所後に新十両に昇進した魁勝にも、十両に上がったからといって調子に乗っては駄目だと強く言い聞かせている。幕下までは養成員という位置づけで修行する立場だが、今度はお手本として教える立場。強くなればなるほど、番付が上がれば上がるほど苦しくなるものだ。自分の言動が周囲に見られ、付け人に不手際があれば「おまえがちゃんと面倒を見ないからだ」と自分が怒られることにもなる。きちんとした生活をして強くなっていく姿を示して、下の者を引っ張っていかなければならない。そうすれば若い力士たちにも、真面目に稽古して強くなろうという思いが広がる。 ■「暴力」の線引きには議論が必要 一方、立呼び出しの拓郎さんの件は複雑な思いにさせられた。10月の秋巡業中、客席で食事をしていた若手の呼び出しら2人を注意した際に頭や背中を小突いたというもので、2場所出場停止処分となり、本人が提出した退職願が受理された。もちろん手を出してしまったことは言い訳できない。ただ、果たしてどこからが「暴力」なのかという線引きについては議論の必要があるだろう。原因をつくった若手にも非があるのは間違いない。勝手に席に座って食事をして、もし汚してしまった後にお客さんが来たらどう思うか。上の立場の者がそれを注意するのは当然だ。 今回の処分を聞いて、「嫌いな人間を怒らせて殴らせたらクビにできるんだ」とか、「自分たちが暴力事件を起こしたら、この部屋はなくなるんだよな」などと実際に口にする人間もいるという。そんな悪知恵を働かせる不届き者が実際に出てくれば角界の存続に関わるし、力の強い先輩がポンと肩をたたいただけで暴力といわれてしまっても困る。あるいは自分が巻き込まれるのは面倒だといって、身近で迷惑行為があっても見て見ぬふりをするようにもなりかねない。 誰かが間違っていれば、きちんと叱るのは大事なこと。とはいえ、ただ締め付ければいいというわけでもない。マニュアル通りにすればいいとなったら、規則を破った人間をすぐ辞めさせろということになる。それでは情も何もなくなってしまう。 ■必死でやる力士、良い部分見えてくる 角界に足を踏み入れる新弟子は中卒や高卒、大卒と様々な年齢がいるが、社会経験がないという点では大きな差がない。やんちゃだった子もたくさんいて、他に行くところがないとか、親が手に負えないからと預けてくるようなケースもある。だからどうしても入門した頃にはいろいろと問題を起こしてしまうこともある。 学生時代に素行が悪かったからといって見捨てることはできない。千代大海のようにやんちゃだった人間が、この世界で立派に成長して地元のヒーローになる例だってある。日々の稽古を一生懸命やれば喜びや悔しさといった様々な感情が出てきて、取組に負けて泣いて帰ってくることもある。それも必死でやるからこそだ。 そんな経験を積み重ねることで、その力士の良い部分が見えてくる。悪い部分が出たからといって、すぐ辞めさせるようではいけない。育った環境によっては時間がかかることもあるが、根気よく正していくことで、いいものを引き出してあげなければならない。 一度曲がってしまったものを元に戻すのは大変だけれど、少しずつ伸ばしていって、自分の元を去るときには真っすぐにさせてあげたいと思う。相撲を強くすることはもちろんだが、人として成長させることも我々の大事な役割で、それが相撲界の発展にもつながると信じている (元大関魁皇) 浅香山親方も弟子が育ってきたので楽しみでしょうがないでしょうねえ。元女子プロレスラーだった美人女将も、弟子たちに真正面から向き合ってきちんと育てていると聞いています。
2019大相撲 1月 横綱稀勢の里が引退。横綱在位12場所。大関在位31場所で勝率.714は、大関で終えていれば類稀な高勝率の大関となるところだった。 新横綱の場所での大怪我に泣き、奇跡の逆転優勝(ふた場所連続)の代償は大きく、日本人横綱としての責任感から出場に踏み切っては途中 休場を繰り返し、 金星配給率0.419個/ひと場所、 横綱連敗記録(不戦敗を含んで)10連敗、 連続休場場所8場所、などのワースト記録と なってしまったが、平成の最後の大相撲の中で人気は抜群だった。 1月場所は 関脇玉鷲が初優勝。しかし翌場所負け越して大関獲りならず。 3月場所は 横綱白鵬が優勝。貴景勝が大関昇進を決める。栃ノ心が大関から陥落。 4月末 昭和30年以降、国技館で40回も天覧された昭和天皇同様に大相撲を愛され 23回も国技館で大相撲本場所をご覧になった平成天皇が天皇を 退位され、元号が「令和」と改められた。 5月 トランプ大統領が観戦して大騒ぎ、平幕優勝した朝乃山へ大きな大統領杯を手渡しした。栃ノ心が10勝を挙げ、大関復帰。 7月 横綱鶴竜が6度目の幕内優勝。怪我で全休の貴景勝が関脇へ陥落。 9月 関脇御嶽海が2度目の幕内優勝。大関栃ノ心が関脇へ陥落。入れ替わりに貴景勝が12勝で大関復帰。 11月 横綱白鵬が優勝。大関への再復帰を目指していた栃ノ心が途中休場、大関復帰ならず次場所は平幕へ。 御嶽海は負け越して大関どころか次場所には平幕へ転落となる。 ・1月場所の土俵上で豊昇龍に掛け投げされて大怪我し、序二段まで番付を下げ復活を目指している宇良に代わって、“小兵中の小兵”炎鵬が、 人気を集めている。 ・荒汐部屋の三兄弟力士(長兄:若隆元・次兄:若元春・弟:若隆景)が幕下上位から幕内下位で活躍し、寺尾三兄弟以来の注目を浴び、寺尾兄弟が 為し得なかった「三兄弟同時関取」を目指している。 ・三世の時代? 横綱大鵬の孫:納谷が注目されてしますが、柏鵬時代の横綱琴櫻の孫:琴鎌谷改め二代琴ノ若が納谷に先んじて十両入り。 時空を超えて、サラブレッド力士たちが出世争い。 ・目を覆う 怪我人の多さ 前述の栃ノ心・貴景勝、一気に読めないほど小さい字で書かれた番付の位置まで下がった宇良や照ノ富士のみならず、 新入幕で初日から4連勝だった若隆景が怪我をして残りを全休するなど、怪我人だらけ。 幕内力士だけでも、九州場所で7人、秋場所・名古屋場所でも6人、夏場所4人。 春場所こそ1人の休場で済んだが、初場所も6人が休場した。 親方衆に「怪我した力士への救済制度」を考えて欲しいのですが、今の親方衆・理事たちでは、無理でしょうねえ。過去の「公傷制度」で、制度を悪用して休んでばかりいた不届き者が今の親方衆にまだいるので、そういう親方は、自分と同じようにルールを悪用する輩が出てくるに違いないという思いが取れないでしょうから。 ここは、あまり存在価値を発揮できずにいる横綱審議会とは別の、 外部有識者半分に元琴錦や元栃東といった理論派親方に、元琴欧洲や元魁皇ら、怪我で苦しんだ経験を持つ元大関のお二人 を加えた「新公傷制度設置委員会」なるものを設け、“令和の時代にあった救済制度”を確立して欲しい。 そして、来年こそは、次の角界を背負う若い力が、貴景勝に続いて大関になっていって欲しいですね。 それと、解説者:北の富士さん。 健康に気をつけて、来年も大相撲ファンを楽しませてください。
東関親方 まだまだ若いのに、、、がんの一種の血管肉腫のため都内にある東関部屋で亡くなったと発表されました。 41歳 部屋はどうなる? 高砂部屋や八角部屋など同門の部屋に吸収されるようになるか? 部屋づきの振分親方(元高見盛)が東関を継ぐのか? んー 前者かな
東関親方は、まだ41才だったんですね 部屋を葛飾区柴又に移転したばかりだったのに… 元高見盛の振分親方の兄弟子でした 今後は東関部屋は誰が引き継ぐのか? 振分親方と他に1人東関部屋所属の親方が いるそうですが、 この2人の親方のどちらかが継ぐのか? 他の高砂一門の親方が継ぐのか? 親方が亡くなって、悲しみの中でも 弟子達の行く末があるので、部屋を誰が引き継ぐか決めないといけないんですね ご冥福をお祈り申し上げます
12月14日 赤穂浪士の討ち入りの日。 今の両国国技館から正面前の国技館通りを南へ、総武線を越えて京葉道路を渡ったところにある回向院(明治時代までの江戸の大相撲本場所相撲場)を過ぎてすぐ東側に旧吉良邸跡が小ぢんまりとあります。 「本所松阪町公園」として残され、吉良の首洗い井戸・ 吉良家家臣二十一士の碑があって 一般客の両国探索コースとされ、多くの方が訪れています。 その場所自体はとっても狭いのですが、本来の旧吉良邸は、その76倍もの広大な敷地で 広さが 2550坪ほどあったそうです。 三波春夫先生の「俵星玄蕃」の名調子の中で 歌の1番、2番、 そして 『♪ 涙を溜めて振り返る・・・』 とくる「浪曲部分」、 “ 時に元禄十五年12月14日江戸の夜風を震わせて・・・”と出だす「語りの部分」ときて、「浪曲部分」に戻り 最後の3番の部分の歌の歌詞に ♪ 打てや響けや 山鹿の太鼓 月も夜空に 冴え渡る 夢と聞きつつ 両国の 橋のたもとで 雪踏みしめた 槍に玄蕃の 涙がひかる と締めくくりますが、ここに「両国」が出てきます。 赤穂浪士の一人杉野十兵衛次が両国は吉良邸近くで蕎麦屋を営んで、機を窺っていたのを見抜いた 槍の達人俵星玄蕃が討ち入りに助太刀しようと駆けつけ。。。。 という講談の物語ですね。 昨夜、銀座で 同年代男女14人での飲み会があり、 歌が空いていたので 「7分以上もあってちょっと長いですが、」と前置きして 討ち入り前夜 というタイミングに、この俵星玄蕃を唄い、 ぐったり疲れましたが、ようやくちゃんと唄い切ることができました。
ラグビーパレード、オフィスの二階から見ました。 下は人が一杯だったから、でも選手がきた時は社員が一杯で大変だった。 少しラグビーかじった身として興奮して、仕事終わり仲間と飲みに。 距離感が近いと確かにいいな。
『 大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,669件 』
徹夜で並ぶ、息子はそこまではしないな!
体に注意して下さいよ。
風邪のひきはじめにはコーラジンジャーですよ→うけうりです。すみまへん。
さぁ午後からもひとふんばり。
訂正、 仲間が来るのは7時ー7時半くらい ですね。
8時半では もう入場しちゃっていますし、当日券販売は終わってますね。
初場所の番付は、12月24日(火)に発表、両国国技館で朝6時から頒布されます。
一般販売は 55円。
スポーツ紙では、翌日25日(水)に詳細が掲載されます。
ニッカンやスポニチ、サンスポあたりが幕内力士に関する情報が細かく(個々の力士褒賞金まで)載っていますが、
今回はあえて、東京中日スポーツを購入します。
理由は、初場所の初日に 自由席に前夜から並んで(ほぼ徹夜で)2200円の2階最後列の席をゲットする予定なので、
朝の8時半から観戦するのに、幕下以下~序ノ口力士まで全員載っている 東京中日スポーツが必要なのです。
私が前夜から並んで、仲間が御両親を伴なって あとから・・・恐らく8時半くらいに・・・国技館にやってくる予定です。
防寒対策、簡易な椅子、ラジオなど持参して 真冬の徹夜にチャレンジ、観戦翌日は有給休暇取得済み。
それまでに私が風邪をひいてしまったら、計画はおじゃんですが・・・・。
年末にきて、まだ41歳の東関親方が急逝されるというショックなニュースが入ってきてしまいましたが
2019年の総括を 元魁皇の浅香山親方が寄稿されているので引用しますと
若手力士の指導、根気よく真っすぐに正す心構えで
9月に開かれた大相撲秋場所の前後に、残念ながらまた角界の暴力を巡る問題が2件、明るみに出た。十両だった貴ノ富士の2度目の暴力と、立呼び出しが若い呼び出しを小突いた件で、2人とも角界を去ることになった。共通するのは若手を叱る際に手を出してしまったということ。角界の上下関係がどうあるべきかという点でいろいろと考えさせられる事案だ。
8月末に部屋の若手を殴った貴ノ富士は曲折の末に引退という結果になった。1年半前にも付け人を殴って出場停止処分を受けており、当時の師匠の貴乃花親方ら周囲に多大な迷惑をかけた。あれだけのことがありながら、また繰り返してしまったのは残念でならない。暴力だけでなく差別的な発言もあったというが、本当に相手のことを考えて注意したのなら、そんな言葉は出てこないはずだ。
まだ22歳で、これからというときに貴乃花部屋から千賀ノ浦部屋に移籍して師匠が変わったことが影響したのかもしれない。とはいえ同じ業界でも会社によって様々な決まり事があるように、どこの社会にもルールがあり、1人がルールを破ることで会社が危機に陥ることだってある。まして相撲部屋のような小さな組織では、1人のせいで他の力士の人生まで狂わされることにもなる。何度言い聞かせても理解しようとしない人間は、そこにいられなくなるのは仕方ない。
自分の弟子で名古屋場所後に新十両に昇進した魁勝にも、十両に上がったからといって調子に乗っては駄目だと強く言い聞かせている。幕下までは養成員という位置づけで修行する立場だが、今度はお手本として教える立場。強くなればなるほど、番付が上がれば上がるほど苦しくなるものだ。自分の言動が周囲に見られ、付け人に不手際があれば「おまえがちゃんと面倒を見ないからだ」と自分が怒られることにもなる。きちんとした生活をして強くなっていく姿を示して、下の者を引っ張っていかなければならない。そうすれば若い力士たちにも、真面目に稽古して強くなろうという思いが広がる。
■「暴力」の線引きには議論が必要
一方、立呼び出しの拓郎さんの件は複雑な思いにさせられた。10月の秋巡業中、客席で食事をしていた若手の呼び出しら2人を注意した際に頭や背中を小突いたというもので、2場所出場停止処分となり、本人が提出した退職願が受理された。もちろん手を出してしまったことは言い訳できない。ただ、果たしてどこからが「暴力」なのかという線引きについては議論の必要があるだろう。原因をつくった若手にも非があるのは間違いない。勝手に席に座って食事をして、もし汚してしまった後にお客さんが来たらどう思うか。上の立場の者がそれを注意するのは当然だ。
今回の処分を聞いて、「嫌いな人間を怒らせて殴らせたらクビにできるんだ」とか、「自分たちが暴力事件を起こしたら、この部屋はなくなるんだよな」などと実際に口にする人間もいるという。そんな悪知恵を働かせる不届き者が実際に出てくれば角界の存続に関わるし、力の強い先輩がポンと肩をたたいただけで暴力といわれてしまっても困る。あるいは自分が巻き込まれるのは面倒だといって、身近で迷惑行為があっても見て見ぬふりをするようにもなりかねない。
誰かが間違っていれば、きちんと叱るのは大事なこと。とはいえ、ただ締め付ければいいというわけでもない。マニュアル通りにすればいいとなったら、規則を破った人間をすぐ辞めさせろということになる。それでは情も何もなくなってしまう。
■必死でやる力士、良い部分見えてくる
角界に足を踏み入れる新弟子は中卒や高卒、大卒と様々な年齢がいるが、社会経験がないという点では大きな差がない。やんちゃだった子もたくさんいて、他に行くところがないとか、親が手に負えないからと預けてくるようなケースもある。だからどうしても入門した頃にはいろいろと問題を起こしてしまうこともある。
学生時代に素行が悪かったからといって見捨てることはできない。千代大海のようにやんちゃだった人間が、この世界で立派に成長して地元のヒーローになる例だってある。日々の稽古を一生懸命やれば喜びや悔しさといった様々な感情が出てきて、取組に負けて泣いて帰ってくることもある。それも必死でやるからこそだ。
そんな経験を積み重ねることで、その力士の良い部分が見えてくる。悪い部分が出たからといって、すぐ辞めさせるようではいけない。育った環境によっては時間がかかることもあるが、根気よく正していくことで、いいものを引き出してあげなければならない。
一度曲がってしまったものを元に戻すのは大変だけれど、少しずつ伸ばしていって、自分の元を去るときには真っすぐにさせてあげたいと思う。相撲を強くすることはもちろんだが、人として成長させることも我々の大事な役割で、それが相撲界の発展にもつながると信じている (元大関魁皇)
浅香山親方も弟子が育ってきたので楽しみでしょうがないでしょうねえ。元女子プロレスラーだった美人女将も、弟子たちに真正面から向き合ってきちんと育てていると聞いています。
2019大相撲
1月 横綱稀勢の里が引退。横綱在位12場所。大関在位31場所で勝率.714は、大関で終えていれば類稀な高勝率の大関となるところだった。
新横綱の場所での大怪我に泣き、奇跡の逆転優勝(ふた場所連続)の代償は大きく、日本人横綱としての責任感から出場に踏み切っては途中
休場を繰り返し、 金星配給率0.419個/ひと場所、 横綱連敗記録(不戦敗を含んで)10連敗、 連続休場場所8場所、などのワースト記録と なってしまったが、平成の最後の大相撲の中で人気は抜群だった。 1月場所は 関脇玉鷲が初優勝。しかし翌場所負け越して大関獲りならず。
3月場所は 横綱白鵬が優勝。貴景勝が大関昇進を決める。栃ノ心が大関から陥落。
4月末 昭和30年以降、国技館で40回も天覧された昭和天皇同様に大相撲を愛され 23回も国技館で大相撲本場所をご覧になった平成天皇が天皇を
退位され、元号が「令和」と改められた。
5月 トランプ大統領が観戦して大騒ぎ、平幕優勝した朝乃山へ大きな大統領杯を手渡しした。栃ノ心が10勝を挙げ、大関復帰。
7月 横綱鶴竜が6度目の幕内優勝。怪我で全休の貴景勝が関脇へ陥落。
9月 関脇御嶽海が2度目の幕内優勝。大関栃ノ心が関脇へ陥落。入れ替わりに貴景勝が12勝で大関復帰。
11月 横綱白鵬が優勝。大関への再復帰を目指していた栃ノ心が途中休場、大関復帰ならず次場所は平幕へ。
御嶽海は負け越して大関どころか次場所には平幕へ転落となる。
・1月場所の土俵上で豊昇龍に掛け投げされて大怪我し、序二段まで番付を下げ復活を目指している宇良に代わって、“小兵中の小兵”炎鵬が、
人気を集めている。
・荒汐部屋の三兄弟力士(長兄:若隆元・次兄:若元春・弟:若隆景)が幕下上位から幕内下位で活躍し、寺尾三兄弟以来の注目を浴び、寺尾兄弟が
為し得なかった「三兄弟同時関取」を目指している。
・三世の時代? 横綱大鵬の孫:納谷が注目されてしますが、柏鵬時代の横綱琴櫻の孫:琴鎌谷改め二代琴ノ若が納谷に先んじて十両入り。
時空を超えて、サラブレッド力士たちが出世争い。
・目を覆う 怪我人の多さ 前述の栃ノ心・貴景勝、一気に読めないほど小さい字で書かれた番付の位置まで下がった宇良や照ノ富士のみならず、 新入幕で初日から4連勝だった若隆景が怪我をして残りを全休するなど、怪我人だらけ。
幕内力士だけでも、九州場所で7人、秋場所・名古屋場所でも6人、夏場所4人。 春場所こそ1人の休場で済んだが、初場所も6人が休場した。
親方衆に「怪我した力士への救済制度」を考えて欲しいのですが、今の親方衆・理事たちでは、無理でしょうねえ。過去の「公傷制度」で、制度を悪用して休んでばかりいた不届き者が今の親方衆にまだいるので、そういう親方は、自分と同じようにルールを悪用する輩が出てくるに違いないという思いが取れないでしょうから。
ここは、あまり存在価値を発揮できずにいる横綱審議会とは別の、 外部有識者半分に元琴錦や元栃東といった理論派親方に、元琴欧洲や元魁皇ら、怪我で苦しんだ経験を持つ元大関のお二人 を加えた「新公傷制度設置委員会」なるものを設け、“令和の時代にあった救済制度”を確立して欲しい。
そして、来年こそは、次の角界を背負う若い力が、貴景勝に続いて大関になっていって欲しいですね。
それと、解説者:北の富士さん。 健康に気をつけて、来年も大相撲ファンを楽しませてください。
東関親方 まだまだ若いのに、、、がんの一種の血管肉腫のため都内にある東関部屋で亡くなったと発表されました。 41歳
部屋はどうなる?
高砂部屋や八角部屋など同門の部屋に吸収されるようになるか?
部屋づきの振分親方(元高見盛)が東関を継ぐのか?
んー 前者かな
東関親方は、まだ41才だったんですね
部屋を葛飾区柴又に移転したばかりだったのに…
元高見盛の振分親方の兄弟子でした
今後は東関部屋は誰が引き継ぐのか?
振分親方と他に1人東関部屋所属の親方が
いるそうですが、
この2人の親方のどちらかが継ぐのか?
他の高砂一門の親方が継ぐのか?
親方が亡くなって、悲しみの中でも
弟子達の行く末があるので、部屋を誰が引き継ぐか決めないといけないんですね
ご冥福をお祈り申し上げます
元幕内潮丸の東関親方が亡くなりました。41歳でした。
2009年に元高見山の停年退職に伴い部屋を継いでいました。
12月14日
赤穂浪士の討ち入りの日。
今の両国国技館から正面前の国技館通りを南へ、総武線を越えて京葉道路を渡ったところにある回向院(明治時代までの江戸の大相撲本場所相撲場)を過ぎてすぐ東側に旧吉良邸跡が小ぢんまりとあります。
「本所松阪町公園」として残され、吉良の首洗い井戸・ 吉良家家臣二十一士の碑があって 一般客の両国探索コースとされ、多くの方が訪れています。
その場所自体はとっても狭いのですが、本来の旧吉良邸は、その76倍もの広大な敷地で 広さが 2550坪ほどあったそうです。
三波春夫先生の「俵星玄蕃」の名調子の中で
歌の1番、2番、
そして 『♪ 涙を溜めて振り返る・・・』 とくる「浪曲部分」、
“ 時に元禄十五年12月14日江戸の夜風を震わせて・・・”と出だす「語りの部分」ときて、「浪曲部分」に戻り
最後の3番の部分の歌の歌詞に
♪ 打てや響けや 山鹿の太鼓
月も夜空に 冴え渡る
夢と聞きつつ 両国の
橋のたもとで 雪踏みしめた
槍に玄蕃の 涙がひかる
と締めくくりますが、ここに「両国」が出てきます。
赤穂浪士の一人杉野十兵衛次が両国は吉良邸近くで蕎麦屋を営んで、機を窺っていたのを見抜いた
槍の達人俵星玄蕃が討ち入りに助太刀しようと駆けつけ。。。。 という講談の物語ですね。
昨夜、銀座で 同年代男女14人での飲み会があり、
歌が空いていたので
「7分以上もあってちょっと長いですが、」と前置きして
討ち入り前夜 というタイミングに、この俵星玄蕃を唄い、
ぐったり疲れましたが、ようやくちゃんと唄い切ることができました。
ラグビーパレード、オフィスの二階から見ました。
下は人が一杯だったから、でも選手がきた時は社員が一杯で大変だった。
少しラグビーかじった身として興奮して、仕事終わり仲間と飲みに。
距離感が近いと確かにいいな。