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石浦を初場所は出場停止の処分に 協会はするんでしょうか 宮城野親方が協会に電話で報告した時に、 協会の役員は 稽古中での事だからと、特別に重大な事だとは言ってなかったようですが 稽古中だから足蹴りしたり、打ったりしてもいいのでしょうか? 協会は暴力追放宣言してるけど。 これで石浦が処分なしとなったら、基準があいまいになってしまう。 現場を見ていた記者もいるし 協会は稽古中での事と簡単に思っていても、世間からの処分せよという意見が これから多くなったら 石浦は初場所は休場に処分するでしょうか これだけ騒がれてても、シレッと石浦が 初場所で白鵬の土俵入りで太刀持ちしてたら、相撲ファンは呆れてしまいます しかし 宮城野親方が止めろと言っても石浦たちは 止めなかったなんて宮城野親方は甘く見られているんですね
ちゃんこ霧島の並び、国技館通りを南へ30〜40m行った京葉道路との角のすぐ手前にある、ちゃんこ寺尾もランチが人気です。価格は安くて、1000円台でお腹いっぱい。 女性のお客様で毎回混んでいます。本場所中とか土俵祭りのあとなら予約して行かないと。
温故知新・大相撲カレンダー 1955昭和30年1月5日のこの日、帝国ホテルで 春日野部屋の栃錦清隆の横綱昇進披露宴が行なわれました。 この頃の横綱昇進の手順は、 番付編成会議が千秋楽の夜に行なわれ、伝達式はすぐその翌朝に行なわれていた。 しかし、栃錦は、前夜、優勝祝いで後援会の方々とはしご酒。深酒して、吉原が4軒目。そのまま、二階の宴席のお座敷の、そのまた隣の間に用意された部屋でお姉さんと一緒に眠り込んでしまい、しかも二日酔いの大寝坊。協会から昇進伝達の使者が春日野部屋に到着した段階では、行方知らず。 (DVD「栃若時代」によると) 最初はすぐに見つかるはずと楽観していた元栃木山の春日野親方だったが、五十人を超える弟子たちがそこら中を探しまくっても見つからず、30分、1時間と時が経つうちにたいそう不機嫌となる。弟子の一人が、「親方、おっ大関が・・・・いや、よっ横綱が見つかりません。」と報告に戻って来るのだが、正座し目を瞑って腕を組んだままの春日野は微動だにしないし ひと言も発しない。再び、栃錦を探しに行く力士達。2時間経過し探し回り、ようやく吉原で見つかり、連れ帰った。 二日酔いで走らされ、ふうふう言いながら戻ってきた栃錦は まず春日野の元へ行き、正座して謝罪するが、春日野は 「待たされている使者の親方衆がいるんだ!」と言って立ち上がり、紋付・袴に着替えた栃錦をせかして、栃の横に並んで、横綱昇進の伝達を受けた。 使者が帰ったその後、徹底的に絞り上げようをしていた春日野だったが、栃錦は、同じく待たされていた相撲番記者たちの前に顔を出し、2時間も待たせたことを謝罪したが、番記者のひとりが 『栃関、どうして2時間以上も遅刻したんですか?どこへ行ってたんですか?』 と、訊ねたところ、 栃錦は、左手で後頭部をたたきながら、“いやぁ、ゆうべはさぁ、飲み歩いて飲み歩いて、楽しくて、また飲んで、、、 結局、飲み屋の姉ちゃんの布団の中さ、え?場所? そりゃぁ 吉原だよ” と答えたものだから、2時間も待たされていた38名の番記者+カメラマンは呆れて大爆笑。 『どんな姉さんですか?』 『お相手はかなりの金星ですかい?』 『所帯を持とうって相手ですか?』 『そのお、朝までずっとくっついてたんですかい?』 と、番記者の興味本位のみ、横綱昇進の記事になりそうもない質問が続き、それを笑顔で訊ねる番記者:笑顔で栃が答えるたびに大爆笑。 日頃から、記事になりそうなユニークな話(トピックス)を番記者にくれる栃錦。 そう、饒舌な栃錦は番記者みんなに愛されていたのです。 1時間以上経っても番記者の取材が終わらず、既に昼を過ぎ午後の2時。 すると、小一時間前に奥へ引っ込んだ春日野が現れ、番記者たちに 「皆さん、こいつに散々待たされてお腹も減ったでしょう? 今日は祝いだ。一緒にちゃんこ鍋を食っていきな!」と声を掛けた。 今よりずっと寒かった昭和30年の1月5日。腹もぺこぺこに減っていた記者たちから大歓声があがった。 番記者たちは春日野に大感謝。それまでは、怖くて、凛凛しくて、厳しくて、近寄りがたさこの上なかった春日野親方が一気に身近になったことで、番記者から人気者となった。そして記者たちは部屋に上がりこみ、追加取材をしながら、ちゃんこ鍋を食べながら、ついでにお神酒を親方に注ぎながら返杯も受けたりしながら・・・楽しい楽しい正月昼宴席となったそうで、結局この朝の件で栃錦が大目玉をくらうことは なかったそうです。・・・・・ 栃錦 三賞10回受賞(技能賞9回、殊勲賞1回)を経て、大関昇進、在位8場所で92勝28敗、休場なし、大関勝率.767は、高勝率大関だった稀勢の里の.714を大きく上回る。 実は、この横綱昇進が難産だった。 横綱昇進披露宴披露宴の前年、昭和29年の5月夏場所と9月秋場所で14勝を続けての連続優勝。 今の時代なら 文句なしの横綱昇進! しかし当時、番付に四横綱が揃っていたこと、鏡里や吉葉山、東富士の三横綱は 揃って休場がち のうえ、出羽ノ海部屋の横綱千代ノ山が春日野の栃錦と同門のため、対戦がなかった時代、 そういった理由もあってこの連続優勝のふた場所で、横綱戦は全勝とはいえ、わずか3戦。 栃錦の横綱昇進はないもの・・・という見方が強かった。 前場所優勝した栃錦は、9月場所も初日黒星ながら、二日目以降は白星を順調に積み重ね13連勝、このまま連続優勝を果たすと思われたが、最悪の場合として今度も横綱昇進を見送られる可能性があった。 しかも、「2場所連続優勝したら昇進・・」という現在の内規が、この当時は横綱審議委員会の連続優勝に関するきまりとしては、成立していなかった。 (玉錦も三場所連続優勝しながら昇進できなかったことがあった。) 当時はすでに、東富士・千代の山・鏡里・吉葉山の4横綱が存在していた為、栃錦が昇進すると前例のない 5横綱時代 が実現しかねなかった。 すると、その気配を察した“江戸っ子 欽ちゃん”こと横綱東富士が14日目打ち出し後に突如引退を記者に話した。 一方、栃錦も東富士の想いを察し、“自分のせいで引退するなんて・・・”と すぐに付き人を使者に立てて高砂部屋へ走らせ、「どうか引退しないでください」と東富士に伝えた。東富士も最初は考えたが「(同じ江戸っ子)栃錦からの申し出を聞いて、逆に気持ちが吹っ切れた」と、引退撤回の意思を変えなかった。そんなことがあっての、横綱昇進だったのです。 そして、冒頭の、昇進伝達式エピソードへと話はつながります。
ちゃんこ霧島での食事ですか 楽しみですねー。 ちゃんこ屋さんに1人で入るのは何か 入りずらい気持ちがあったのですが。 相撲が国技館で開催されていない時の 平日にはランチがあるというので ちゃんこ霧島に行ってみました。 料金も手頃で1人でも楽しく食事ができました もちろん、美味しかったです 国技館近辺のちゃんこ屋さんは独特の雰囲気がありますね 他のちゃんこ屋さんでも、同じでランチをやっていると思うので、場所後にまた別な ちゃんこ屋さんに行ってみたいです。
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石浦を初場所は出場停止の処分に
協会はするんでしょうか
宮城野親方が協会に電話で報告した時に、
協会の役員は
稽古中での事だからと、特別に重大な事だとは言ってなかったようですが
稽古中だから足蹴りしたり、打ったりしてもいいのでしょうか?
協会は暴力追放宣言してるけど。
これで石浦が処分なしとなったら、基準があいまいになってしまう。
現場を見ていた記者もいるし
協会は稽古中での事と簡単に思っていても、世間からの処分せよという意見が
これから多くなったら
石浦は初場所は休場に処分するでしょうか
これだけ騒がれてても、シレッと石浦が
初場所で白鵬の土俵入りで太刀持ちしてたら、相撲ファンは呆れてしまいます
しかし
宮城野親方が止めろと言っても石浦たちは
止めなかったなんて宮城野親方は甘く見られているんですね
朝乃山が荒磯親方と稽古して1勝16敗。
引退して1年も経たない元力士に全く歯が立たないとは。
これじゃ打倒白鵬なんてとても無理だし、荒磯親方の現役復帰待望論が出てもおかしくないわ。
ちゃんこ霧島の並び、国技館通りを南へ30〜40m行った京葉道路との角のすぐ手前にある、ちゃんこ寺尾もランチが人気です。価格は安くて、1000円台でお腹いっぱい。
女性のお客様で毎回混んでいます。本場所中とか土俵祭りのあとなら予約して行かないと。
温故知新・大相撲カレンダー
1955昭和30年1月5日のこの日、帝国ホテルで 春日野部屋の栃錦清隆の横綱昇進披露宴が行なわれました。
この頃の横綱昇進の手順は、
番付編成会議が千秋楽の夜に行なわれ、伝達式はすぐその翌朝に行なわれていた。
しかし、栃錦は、前夜、優勝祝いで後援会の方々とはしご酒。深酒して、吉原が4軒目。そのまま、二階の宴席のお座敷の、そのまた隣の間に用意された部屋でお姉さんと一緒に眠り込んでしまい、しかも二日酔いの大寝坊。協会から昇進伝達の使者が春日野部屋に到着した段階では、行方知らず。
(DVD「栃若時代」によると) 最初はすぐに見つかるはずと楽観していた元栃木山の春日野親方だったが、五十人を超える弟子たちがそこら中を探しまくっても見つからず、30分、1時間と時が経つうちにたいそう不機嫌となる。弟子の一人が、「親方、おっ大関が・・・・いや、よっ横綱が見つかりません。」と報告に戻って来るのだが、正座し目を瞑って腕を組んだままの春日野は微動だにしないし ひと言も発しない。再び、栃錦を探しに行く力士達。2時間経過し探し回り、ようやく吉原で見つかり、連れ帰った。
二日酔いで走らされ、ふうふう言いながら戻ってきた栃錦は まず春日野の元へ行き、正座して謝罪するが、春日野は
「待たされている使者の親方衆がいるんだ!」と言って立ち上がり、紋付・袴に着替えた栃錦をせかして、栃の横に並んで、横綱昇進の伝達を受けた。
使者が帰ったその後、徹底的に絞り上げようをしていた春日野だったが、栃錦は、同じく待たされていた相撲番記者たちの前に顔を出し、2時間も待たせたことを謝罪したが、番記者のひとりが 『栃関、どうして2時間以上も遅刻したんですか?どこへ行ってたんですか?』 と、訊ねたところ、
栃錦は、左手で後頭部をたたきながら、“いやぁ、ゆうべはさぁ、飲み歩いて飲み歩いて、楽しくて、また飲んで、、、 結局、飲み屋の姉ちゃんの布団の中さ、え?場所? そりゃぁ 吉原だよ” と答えたものだから、2時間も待たされていた38名の番記者+カメラマンは呆れて大爆笑。
『どんな姉さんですか?』 『お相手はかなりの金星ですかい?』 『所帯を持とうって相手ですか?』 『そのお、朝までずっとくっついてたんですかい?』 と、番記者の興味本位のみ、横綱昇進の記事になりそうもない質問が続き、それを笑顔で訊ねる番記者:笑顔で栃が答えるたびに大爆笑。
日頃から、記事になりそうなユニークな話(トピックス)を番記者にくれる栃錦。 そう、饒舌な栃錦は番記者みんなに愛されていたのです。
1時間以上経っても番記者の取材が終わらず、既に昼を過ぎ午後の2時。
すると、小一時間前に奥へ引っ込んだ春日野が現れ、番記者たちに
「皆さん、こいつに散々待たされてお腹も減ったでしょう? 今日は祝いだ。一緒にちゃんこ鍋を食っていきな!」と声を掛けた。
今よりずっと寒かった昭和30年の1月5日。腹もぺこぺこに減っていた記者たちから大歓声があがった。
番記者たちは春日野に大感謝。それまでは、怖くて、凛凛しくて、厳しくて、近寄りがたさこの上なかった春日野親方が一気に身近になったことで、番記者から人気者となった。そして記者たちは部屋に上がりこみ、追加取材をしながら、ちゃんこ鍋を食べながら、ついでにお神酒を親方に注ぎながら返杯も受けたりしながら・・・楽しい楽しい正月昼宴席となったそうで、結局この朝の件で栃錦が大目玉をくらうことは なかったそうです。・・・・・
栃錦 三賞10回受賞(技能賞9回、殊勲賞1回)を経て、大関昇進、在位8場所で92勝28敗、休場なし、大関勝率.767は、高勝率大関だった稀勢の里の.714を大きく上回る。
実は、この横綱昇進が難産だった。
横綱昇進披露宴披露宴の前年、昭和29年の5月夏場所と9月秋場所で14勝を続けての連続優勝。
今の時代なら 文句なしの横綱昇進!
しかし当時、番付に四横綱が揃っていたこと、鏡里や吉葉山、東富士の三横綱は 揃って休場がち のうえ、出羽ノ海部屋の横綱千代ノ山が春日野の栃錦と同門のため、対戦がなかった時代、
そういった理由もあってこの連続優勝のふた場所で、横綱戦は全勝とはいえ、わずか3戦。
栃錦の横綱昇進はないもの・・・という見方が強かった。
前場所優勝した栃錦は、9月場所も初日黒星ながら、二日目以降は白星を順調に積み重ね13連勝、このまま連続優勝を果たすと思われたが、最悪の場合として今度も横綱昇進を見送られる可能性があった。
しかも、「2場所連続優勝したら昇進・・」という現在の内規が、この当時は横綱審議委員会の連続優勝に関するきまりとしては、成立していなかった。
(玉錦も三場所連続優勝しながら昇進できなかったことがあった。)
当時はすでに、東富士・千代の山・鏡里・吉葉山の4横綱が存在していた為、栃錦が昇進すると前例のない 5横綱時代 が実現しかねなかった。
すると、その気配を察した“江戸っ子 欽ちゃん”こと横綱東富士が14日目打ち出し後に突如引退を記者に話した。
一方、栃錦も東富士の想いを察し、“自分のせいで引退するなんて・・・”と すぐに付き人を使者に立てて高砂部屋へ走らせ、「どうか引退しないでください」と東富士に伝えた。東富士も最初は考えたが「(同じ江戸っ子)栃錦からの申し出を聞いて、逆に気持ちが吹っ切れた」と、引退撤回の意思を変えなかった。そんなことがあっての、横綱昇進だったのです。
そして、冒頭の、昇進伝達式エピソードへと話はつながります。
宮城野部屋での稽古で、白鵬の内弟子石浦が蹴りをするなどの暴力を振るったらしい。マスコミに画像や映像をとられている。肘打ちはしてないようだが。
石浦と宝香鵬が稽古中殴り合いの喧嘩。
白鵬が止めたものの、2人はもう出場停止レベルだね。
ちゃんこ霧島での食事ですか
楽しみですねー。
ちゃんこ屋さんに1人で入るのは何か
入りずらい気持ちがあったのですが。
相撲が国技館で開催されていない時の
平日にはランチがあるというので
ちゃんこ霧島に行ってみました。
料金も手頃で1人でも楽しく食事ができました
もちろん、美味しかったです
国技館近辺のちゃんこ屋さんは独特の雰囲気がありますね
他のちゃんこ屋さんでも、同じでランチをやっていると思うので、場所後にまた別な
ちゃんこ屋さんに行ってみたいです。
KONと入力し損ないました。打ち間違い初め?
いつもの仲間と、そのうちのひとりが(初めて)お母様も連れて来るというので楽しみです。
初日の夜、ちゃんこ霧島を予約しました。
味噌醤油ちゃんこと、絶品さつま揚げ、馬刺し、、
今から楽しみです。
BSでアメリカンフットボールの試合が
放送してます
ゲスト解説者に元稀勢の里の荒磯親方が
出てます
関西学院大学のアメリカンフットボールの監督と交流があるそうです。