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大相撲カレンダー 3月26日 2006平成18年3月26日 大相撲春場所千秋楽、すでに13日目に、3敗で追いかける豊真将を張り切って13戦全勝で十両優勝を決めていた把瑠都が、千秋楽のこの日、隆乃岩を下して15戦全勝での十両優勝に花を添えました。 双差しを許して、相手の肩越しに左上手まわし一本の形になっても、実況アナが「これは把瑠都の形です」と放送し、その通りに振り回して引きずり上げて勝つという、角界の常識が全く当てはまらない、文字通り〝規格外の相撲〝を魅せてくれました。 一番記憶にあるのは、栃煌山を吊り上げてから歩を進め、つり出しで勝った際に、テレビ解説だった北の富士さんが 『あのねえ、吊り上げられたら、足をバタバタさせるとか、もっと抵抗しないと。お歳暮の新巻鮭じゃないんだけら、栃煌山も!』 この北の富士さん発言の翌日から、数年、栃煌山はネットの中では「シャケ」というあだ名で呼ばれていました。
相撲協会の理事たちの新しい職務分担が発表になりました。 4期目となる八角理事長による新体制での職務が決められ、伊勢ケ浜理事(元横綱・旭富士)は審判部長、新任の花籠理事(元関脇・太寿山)は教習所長と新たに設けられた編成担当の審判部長を務める。藤島副理事(元大関・武双山)も配置された編成担当は土俵の充実を図るため、取組編成や番付編成に携わる。基本的に土俵下の審判長は務めない。昨年1月に現役引退した荒磯親方(元横綱・稀勢の里)は記者クラブ担当となった。 ・・・個人的には、藤島審判部長の説明がとってもわかりやすかったので、残念なニュースと感じます。伊勢ヶ濱親方も悪くはないのですが、明瞭な言葉というか声というか、そのあたりが、近年の審判長では圧倒的に藤島審判部長が一番でしたから、残念至極。副理事だから理事に席を譲る形なんでしょうね。 荒磯親方の記者クラブ担当ってのは、適材適所なんでしょう。これにより、テレビやラジオでの中継解説の回数が減らなければいいですが。
荒汐部屋の後継問題が決着しました。 日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で定例理事会を開き、元幕内・蒼国来(36)=荒汐=の現役引退と年寄・荒汐の継承、襲名を承認した。同日付で、3月末で定年を迎える荒汐親方(元小結・大豊)の退職も発表した。蒼国来が今後、荒汐部屋を継承し、弟子の指導にあたる。 中国出身の蒼国来は、日本相撲協会に親方として残るため昨年の9月に日本国籍を取得。師匠の定年退職に向け2年ほど前から準備をしており、「ホッとした。間に合ったという感じ」と話していた。今年の初場所は東十両10枚目で11敗。幕下に転落した春場所は、全休していました。 ・・よかったですね。師匠のように、弟子を信じて愛する親方になってくれると信じて応援してます。
舞の海さんは北の富士さんが大関に昇進した時は28勝だったと言ってたんですね。 その事で北の富士さんは舞の海さんに怒っているという記事を読みました。 それで北の富士さんは自虐的に自分は28勝で上がったという話をしてたのかなと思いました。 しかし、舞の海さんは自分の最高位は小結だったはず。 よくまぁ、北の富士さんに対して失礼な事を言うものだと思います。 大関に昇進した時の勝ち数が 28勝でも 横綱にまで昇進した事が凄い事で、北の富士さんには大関は通過点だった訳なのに。 一応の大関昇進の基準が33勝と言われているけど。 33勝以上して大関に昇進しても陥落した力士もいるし。 32勝で昇進した稀勢の里や豪栄道もいます。 稀勢の里は横綱に昇進したし。 豪栄道も33場所も大関に地位を維持しました。二人とも立派だと思ってます。 そんな事まで舞の海さんは何も考えずに 話しているんでしょうけど。 もう少し、発言には気を付けて欲しいですね。 荒磯親方はYouTubeでの相撲解説で、自分は32勝で昇進したから翌場所で33勝にしようと新大関の場所は11勝したと話してました。 それを聞いてた武隈親方が、自分は新大関の場所で8勝できて良かったと喜んでいたのとは大違いだと言ってたのには笑ってしまいました。
番付が残っている江戸の相撲での最も古いものに載っている 大関雪見山堅太夫を一人目の初代大関として 朝乃山がちょうど250代目の大関となりました。151代目以降を列挙しますと 151代 朝潮 太郎 大正4年1月から大関 152代 大錦 卯一郎 大正5年1月 153代 栃木山 守也 大正6年5月 154代 九州山 十郎 大正7年1月 155代 千葉ヶ崎 俊治 大正7年5月 ☆ 新入幕から4場所で大関へ 156代 對馬洋 弥吉 大正8年5月 157代 常ノ花 寛市 大正9年5月 158代 源氏山 大五郎 大正11年1月 ☆ 後の三代西ノ海嘉治郎 159代 太刀光 雷右衛門 大正12年5月 160代 大ノ里 萬助 大正 13年 5月 161代 能代潟 錦作 昭和 2年 1月 162代 常陸岩 英太郎 昭和 2年 5月 163代 豊國 福馬 昭和 2年10月 164代 玉錦 三右衛門 昭和 5年 5月 ☆ 5年10月場所から 大関で三場所連続優勝するも 横綱昇進を見送られた のちに 横綱昇進 165代 武蔵山 武 昭和 7年 2月 166代 清水川 元吉 昭和 7年 5月 167代 男女ノ川 登三 昭和 9年 5月 168代 双葉山 定次 昭和12年 1月 ☆ 大関をふた場所 全勝で通過 169代 鏡岩 善四郎 昭和12年 1月 170代 前田山 英五郎 昭和13年 5月 171代 羽黒山 政司 昭和15年 1月 172代 安藝ノ海 節雄 昭和16年 1月 173代 五ッ嶋 名良男 昭和16年 1月 174代 照國 万藏 昭和17年 1月 175代 名寄岩 静男 昭和18年 1月 176代 佐賀ノ花 勝巳 昭和19年11月 177代 東冨士 謹一 昭和20年11月 178代 汐ノ海 運右衛門 昭和22年 6月 179代 増位山 大志郎 昭和24年 1月 180代 千代ノ山 雅信 昭和24年10月 181代 吉葉山 潤之輔 昭和26年 5月 182代 鏡里 喜代治 昭和26年 5月 183代 栃錦 清隆 昭和28年 1月 184代 三根山 隆司 昭和28年 9月 185代 大内山 平吉 昭和30年 5月 186代 松登 晟郎 昭和30年 5月 187代 若乃花 勝治 昭和30年 5月 188代 朝汐 太郎 昭和32年 5月 189代 琴ヶ濱 貞雄 昭和33年 5月 190代 若羽黒 朋明 昭和34年11月 191代 柏戸 剛 昭和35年 9月 192代 大鵬 幸喜 昭和36年 1月 193代 北葉山 英俊 昭和36年 7月 194代 佐田の山 晋松 昭和37年 5月 195代 栃ノ海 晃嘉 昭和37年 7月 196代 栃光 正之 昭和37年 7月 197代 豊山 勝夫 昭和38年 3月 198代 北の富士 勝昭 昭和41年 9月 199代 玉乃島 正夫 昭和41年11月 200代 琴櫻 傑將 昭和42年11月 201代 清國 勝雄 昭和44年 7月 202代 前の山 太郎 昭和45年 9月 203代 大麒麟 將能 昭和45年11月 204代 輪島 大士 昭和47年11月 205代 貴ノ花 利彰 昭和47年11月 206代 大受 久晃 昭和48年 9月 207代 北の湖 敏満 昭和49年 3月 208代 魁傑 將晃 昭和50年 3月 209代 三重ノ海 剛司 昭和51年 1月 210代 旭國 斗雄 昭和51年 5月 211代 若三杉 壽人 昭和52年 3月 212代 増位山 太志郎 昭和55年 3月 213代 千代の富士 貢 昭和56年 3月 214代 琴風 豪規 昭和56年11月 215代 隆の里 俊英 昭和57年 3月 216代 若嶋津 六夫 昭和58年 1月 217代 朝潮 太郎 昭和58年 5月 218代 北天佑 勝彦 昭和58年 7月 219代 大乃国 康 昭和60年 9月 220代 北尾 光司 昭和61年 1月 221代 北勝海 信芳 昭和61年 9月 222代 小錦 八十吉 昭和62年 7月 223代 旭富士 正也 昭和62年11月 224代 霧島 一博 平成 2年 5月 225代 曙 太郎 平成 4年 7月 226代 貴乃花 光司 平成 5年 3月 227代 若乃花 勝 平成 5年 9月 228代 貴ノ浪 貞博 平成 6年 3月 229代 武蔵丸 光洋 平成 6年 3月 230代 千代大海 龍二 平成11年 3月 231代 出島 武春 平成11年 9月 232代 武双山 正士 平成12年 5月 233代 雅山 哲士 平成12年 7月 234代 魁皇 博之 平成12年 9月 235代 栃東 大裕 平成14年 1月 236代 朝青龍 明徳 平成14年 9月 237代 琴欧洲 勝紀 平成18年 1月 238代 白鵬 翔 平成18年 5月 239代 琴光喜 啓司 平成19年 9月 240代 日馬富士 公平 平成21年 1月 241代 把瑠都 凱斗 平成22年 5月 242代 琴奨菊 和弘 平成23年11月 243代 稀勢の里 寛 平成24年 1月 244代 鶴竜 力三郎 平成24年 5月 245代 豪栄道 豪太郎 平成26年 7月 246代 照ノ富士 春雄 平成27年 5月 247代 高安 晃 平成29年 5月 248代 栃ノ心 剛史 平成30年 5月 249代 貴景勝 平成31年 5月 250代 朝乃山 英樹 平成32年5月から
このサイトを閲覧してる、また、投稿されてる皆様、 コロナウイルスに感染してませんか? 誰が、感染してるかわからない状況で、ある意味、他人が怖い毎日ですが、いつもより手洗いを念入りに、免疫力を高める食事、睡眠をしっかりとって、健康を維持して、五月の夏場所を楽しみましょうね。 角界も、東京に戻ってから、気の緩みであっちこっちにフラフラ出掛けないで、部屋での稽古に注力して欲しいです。後援会の人達も、力士の支援と称した飲み会・宴会に力士を呼ばないであげてください。お金が余ってるなら、お米や野菜、肉、魚などを部屋への現物支給として送ってあげて下さい。
蒼国来の八百長事件のいきさつを、よく知らなかったのですが、 KONさんが詳しく説明してくれてよく解りました。 その頃は相撲をあまり見ていなかったので、そんなに酷い事があったのですね。 蒼国来は大変な思いをしたけど。 信じてくれた親方がいたから頑張れたのでしょう。 荒汐部屋には蒼国来の他にも力士が増えたし。皆で頑張って欲しいです。 蒼国来が部屋を継いだらいいと思います。 モル親方は元気なんですね。 もう一匹のムギちゃん猫は亡くなってしまったそうですが。 荒汐親方が犬を飼っていた時の写真を 見た事があるので動物好きなんでしょうね。
『 大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,658件 』
大相撲カレンダー
3月26日
2006平成18年3月26日
大相撲春場所千秋楽、すでに13日目に、3敗で追いかける豊真将を張り切って13戦全勝で十両優勝を決めていた把瑠都が、千秋楽のこの日、隆乃岩を下して15戦全勝での十両優勝に花を添えました。
双差しを許して、相手の肩越しに左上手まわし一本の形になっても、実況アナが「これは把瑠都の形です」と放送し、その通りに振り回して引きずり上げて勝つという、角界の常識が全く当てはまらない、文字通り〝規格外の相撲〝を魅せてくれました。
一番記憶にあるのは、栃煌山を吊り上げてから歩を進め、つり出しで勝った際に、テレビ解説だった北の富士さんが
『あのねえ、吊り上げられたら、足をバタバタさせるとか、もっと抵抗しないと。お歳暮の新巻鮭じゃないんだけら、栃煌山も!』
この北の富士さん発言の翌日から、数年、栃煌山はネットの中では「シャケ」というあだ名で呼ばれていました。
相撲協会の理事たちの新しい職務分担が発表になりました。
4期目となる八角理事長による新体制での職務が決められ、伊勢ケ浜理事(元横綱・旭富士)は審判部長、新任の花籠理事(元関脇・太寿山)は教習所長と新たに設けられた編成担当の審判部長を務める。藤島副理事(元大関・武双山)も配置された編成担当は土俵の充実を図るため、取組編成や番付編成に携わる。基本的に土俵下の審判長は務めない。昨年1月に現役引退した荒磯親方(元横綱・稀勢の里)は記者クラブ担当となった。
・・・個人的には、藤島審判部長の説明がとってもわかりやすかったので、残念なニュースと感じます。伊勢ヶ濱親方も悪くはないのですが、明瞭な言葉というか声というか、そのあたりが、近年の審判長では圧倒的に藤島審判部長が一番でしたから、残念至極。副理事だから理事に席を譲る形なんでしょうね。
荒磯親方の記者クラブ担当ってのは、適材適所なんでしょう。これにより、テレビやラジオでの中継解説の回数が減らなければいいですが。
荒汐部屋の後継問題が決着しました。
日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で定例理事会を開き、元幕内・蒼国来(36)=荒汐=の現役引退と年寄・荒汐の継承、襲名を承認した。同日付で、3月末で定年を迎える荒汐親方(元小結・大豊)の退職も発表した。蒼国来が今後、荒汐部屋を継承し、弟子の指導にあたる。
中国出身の蒼国来は、日本相撲協会に親方として残るため昨年の9月に日本国籍を取得。師匠の定年退職に向け2年ほど前から準備をしており、「ホッとした。間に合ったという感じ」と話していた。今年の初場所は東十両10枚目で11敗。幕下に転落した春場所は、全休していました。
・・よかったですね。師匠のように、弟子を信じて愛する親方になってくれると信じて応援してます。
蒼国来が引退して荒汐親方になるそうです!
モンゴル相撲・レスリング・ボクシング
スポーツ歴の欄がカッコイイ力士でした♪
これからも頑張って下さい♪
舞の海さんは北の富士さんが大関に昇進した時は28勝だったと言ってたんですね。
その事で北の富士さんは舞の海さんに怒っているという記事を読みました。
それで北の富士さんは自虐的に自分は28勝で上がったという話をしてたのかなと思いました。
しかし、舞の海さんは自分の最高位は小結だったはず。
よくまぁ、北の富士さんに対して失礼な事を言うものだと思います。
大関に昇進した時の勝ち数が 28勝でも
横綱にまで昇進した事が凄い事で、北の富士さんには大関は通過点だった訳なのに。
一応の大関昇進の基準が33勝と言われているけど。
33勝以上して大関に昇進しても陥落した力士もいるし。
32勝で昇進した稀勢の里や豪栄道もいます。
稀勢の里は横綱に昇進したし。
豪栄道も33場所も大関に地位を維持しました。二人とも立派だと思ってます。
そんな事まで舞の海さんは何も考えずに
話しているんでしょうけど。
もう少し、発言には気を付けて欲しいですね。
荒磯親方はYouTubeでの相撲解説で、自分は32勝で昇進したから翌場所で33勝にしようと新大関の場所は11勝したと話してました。
それを聞いてた武隈親方が、自分は新大関の場所で8勝できて良かったと喜んでいたのとは大違いだと言ってたのには笑ってしまいました。
荒汐部屋は蒼国来が継承する事に決まりました。
蒼国来は引退して荒汐親方となるそうです。
三月場所は幕下でしたが、休場で最後の姿が見られなくて残念でした。
今夜のプレバト に 徳勝龍関が登場!
直前ですみません。
番付が残っている江戸の相撲での最も古いものに載っている 大関雪見山堅太夫を一人目の初代大関として
朝乃山がちょうど250代目の大関となりました。151代目以降を列挙しますと
151代 朝潮 太郎 大正4年1月から大関
152代 大錦 卯一郎 大正5年1月
153代 栃木山 守也 大正6年5月 154代 九州山 十郎 大正7年1月
155代 千葉ヶ崎 俊治 大正7年5月 ☆ 新入幕から4場所で大関へ
156代 對馬洋 弥吉 大正8年5月 157代 常ノ花 寛市 大正9年5月
158代 源氏山 大五郎 大正11年1月 ☆ 後の三代西ノ海嘉治郎
159代 太刀光 雷右衛門 大正12年5月 160代 大ノ里 萬助 大正 13年 5月
161代 能代潟 錦作 昭和 2年 1月 162代 常陸岩 英太郎 昭和 2年 5月
163代 豊國 福馬 昭和 2年10月
164代 玉錦 三右衛門 昭和 5年 5月 ☆ 5年10月場所から 大関で三場所連続優勝するも 横綱昇進を見送られた のちに 横綱昇進
165代 武蔵山 武 昭和 7年 2月 166代 清水川 元吉 昭和 7年 5月
167代 男女ノ川 登三 昭和 9年 5月
168代 双葉山 定次 昭和12年 1月 ☆ 大関をふた場所 全勝で通過
169代 鏡岩 善四郎 昭和12年 1月 170代 前田山 英五郎 昭和13年 5月
171代 羽黒山 政司 昭和15年 1月 172代 安藝ノ海 節雄 昭和16年 1月
173代 五ッ嶋 名良男 昭和16年 1月 174代 照國 万藏 昭和17年 1月
175代 名寄岩 静男 昭和18年 1月 176代 佐賀ノ花 勝巳 昭和19年11月
177代 東冨士 謹一 昭和20年11月 178代 汐ノ海 運右衛門 昭和22年 6月
179代 増位山 大志郎 昭和24年 1月 180代 千代ノ山 雅信 昭和24年10月
181代 吉葉山 潤之輔 昭和26年 5月 182代 鏡里 喜代治 昭和26年 5月
183代 栃錦 清隆 昭和28年 1月 184代 三根山 隆司 昭和28年 9月
185代 大内山 平吉 昭和30年 5月 186代 松登 晟郎 昭和30年 5月
187代 若乃花 勝治 昭和30年 5月 188代 朝汐 太郎 昭和32年 5月
189代 琴ヶ濱 貞雄 昭和33年 5月 190代 若羽黒 朋明 昭和34年11月
191代 柏戸 剛 昭和35年 9月 192代 大鵬 幸喜 昭和36年 1月
193代 北葉山 英俊 昭和36年 7月 194代 佐田の山 晋松 昭和37年 5月
195代 栃ノ海 晃嘉 昭和37年 7月 196代 栃光 正之 昭和37年 7月
197代 豊山 勝夫 昭和38年 3月 198代 北の富士 勝昭 昭和41年 9月
199代 玉乃島 正夫 昭和41年11月 200代 琴櫻 傑將 昭和42年11月
201代 清國 勝雄 昭和44年 7月 202代 前の山 太郎 昭和45年 9月
203代 大麒麟 將能 昭和45年11月 204代 輪島 大士 昭和47年11月
205代 貴ノ花 利彰 昭和47年11月 206代 大受 久晃 昭和48年 9月
207代 北の湖 敏満 昭和49年 3月 208代 魁傑 將晃 昭和50年 3月
209代 三重ノ海 剛司 昭和51年 1月 210代 旭國 斗雄 昭和51年 5月
211代 若三杉 壽人 昭和52年 3月 212代 増位山 太志郎 昭和55年 3月
213代 千代の富士 貢 昭和56年 3月 214代 琴風 豪規 昭和56年11月
215代 隆の里 俊英 昭和57年 3月 216代 若嶋津 六夫 昭和58年 1月
217代 朝潮 太郎 昭和58年 5月 218代 北天佑 勝彦 昭和58年 7月
219代 大乃国 康 昭和60年 9月 220代 北尾 光司 昭和61年 1月
221代 北勝海 信芳 昭和61年 9月 222代 小錦 八十吉 昭和62年 7月
223代 旭富士 正也 昭和62年11月 224代 霧島 一博 平成 2年 5月
225代 曙 太郎 平成 4年 7月 226代 貴乃花 光司 平成 5年 3月
227代 若乃花 勝 平成 5年 9月 228代 貴ノ浪 貞博 平成 6年 3月
229代 武蔵丸 光洋 平成 6年 3月 230代 千代大海 龍二 平成11年 3月
231代 出島 武春 平成11年 9月 232代 武双山 正士 平成12年 5月
233代 雅山 哲士 平成12年 7月 234代 魁皇 博之 平成12年 9月
235代 栃東 大裕 平成14年 1月 236代 朝青龍 明徳 平成14年 9月
237代 琴欧洲 勝紀 平成18年 1月 238代 白鵬 翔 平成18年 5月
239代 琴光喜 啓司 平成19年 9月 240代 日馬富士 公平 平成21年 1月
241代 把瑠都 凱斗 平成22年 5月 242代 琴奨菊 和弘 平成23年11月
243代 稀勢の里 寛 平成24年 1月 244代 鶴竜 力三郎 平成24年 5月
245代 豪栄道 豪太郎 平成26年 7月 246代 照ノ富士 春雄 平成27年 5月
247代 高安 晃 平成29年 5月 248代 栃ノ心 剛史 平成30年 5月
249代 貴景勝 平成31年 5月 250代 朝乃山 英樹 平成32年5月から
このサイトを閲覧してる、また、投稿されてる皆様、
コロナウイルスに感染してませんか?
誰が、感染してるかわからない状況で、ある意味、他人が怖い毎日ですが、いつもより手洗いを念入りに、免疫力を高める食事、睡眠をしっかりとって、健康を維持して、五月の夏場所を楽しみましょうね。
角界も、東京に戻ってから、気の緩みであっちこっちにフラフラ出掛けないで、部屋での稽古に注力して欲しいです。後援会の人達も、力士の支援と称した飲み会・宴会に力士を呼ばないであげてください。お金が余ってるなら、お米や野菜、肉、魚などを部屋への現物支給として送ってあげて下さい。
蒼国来の八百長事件のいきさつを、よく知らなかったのですが、
KONさんが詳しく説明してくれてよく解りました。
その頃は相撲をあまり見ていなかったので、そんなに酷い事があったのですね。
蒼国来は大変な思いをしたけど。
信じてくれた親方がいたから頑張れたのでしょう。
荒汐部屋には蒼国来の他にも力士が増えたし。皆で頑張って欲しいです。
蒼国来が部屋を継いだらいいと思います。
モル親方は元気なんですね。
もう一匹のムギちゃん猫は亡くなってしまったそうですが。
荒汐親方が犬を飼っていた時の写真を
見た事があるので動物好きなんでしょうね。