TheNews(ザ・ニュース) > コメント部屋 > 大相撲のコメント部屋大相撲のコメント部屋 ※コメントを投稿する際は「コメントのルール」を一読ください。 ※誹謗中傷、なりすまし、野球に直接関係ないコメントは「NGコメント」、以上の行為を繰り返すと「NGユーザー」の対象となります。 ※2019年7月1日からコメントの確認・サイト掲載時間は9時~18時の間のみです。またコメント反映までは1時間程度を目安としてください。 ※フィーチャーフォン(ガラケー)の投稿機能に関しましては、動作を保証するものではありませんのでご了承ください。
力士・親方のテレビ出演情報 再放送のようですが 5月16日(土曜日) 早朝5時40分~5時50分 NHK① 「NHK映像ファイル…あの人に会いたい」 鳥取県が生んだ横綱(第53代横綱)の 琴櫻傑將 早朝視聴が無理な方は、 再々放送が5月22日(金曜)午後1時50分~午後2時にあります。 大鵬や柏戸に頭から突っ込んで当たり、玉の海や北の富士さんにもぶちかました「猛牛」とか「デゴイチ」とあだ名され、押し相撲で横綱になった琴櫻。 貴景勝も見てるといいのですが。 引退後は、佐渡ヶ嶽を継承して佐渡ヶ嶽部屋を発展させ、琴錦や琴欧洲らを育てました。
Yさん、元気でしょうか ? お店を自粛して営業してないとすると、たまには、ここを覘いていらっしゃるでしょうか? 感染者が最多の東京でも、Yさんがお住まいだった地域は 区の人口も多いですが、感染者も多いと報道があったと思います。 ぷらぷら外出など されてないとは思いますが、他人との接触は禁物です。 お得意様への直筆でのお手紙か、メールかラインで ご機嫌伺いのお便りとか、再開の告知手紙の準備などされているのでしょうね。 そろそろ、都内でも、今月末には色々と自粛解除されてくるような期待の持てるニュースが報じられています。 Yさん、早くお店を再開できることを熱望しています。 そして、ハンドルネームなしの匿名での投稿でも構いませんので、たまに、コメントをお願いできればと思います。 一種の安否確認です。 高尾の姉御も、百歳のご母堂様もお元気でいらっしゃいますか?
「年間ふた場所になってしまうかも?」というをコメントしましたが、 スマホでも見ることができる「大相撲今昔」というサイトに 江戸時代からの優勝回数を、 全員、今と同じ年間6場所に換算した場合の優勝回数ランキングが紹介されてます。 江戸時代〜大正時代と、昭和8年〜23年は、年間ふた場所なので優勝回数を3倍に換算、 昭和2〜7年と昭和28〜32年は年間4場所だったので優勝回数を1.5倍に。 昭和24〜27年は年間3場所だったので 2倍にして換算。 という計算方法で比較したランキングでした。 そのランキングでは 1位、雷電 為右衛門 84(=28回x3) 2位、谷風 梶之助 63(=21回x3) 3位、柏戸 利助 48(=16回x3) 4. 白鵬 翔 44 5. 双葉山 定次 36(12回x3) 6. 太刀山 峰右衞門 33(11回x3) 7. 大鵬 幸喜 32 8. 千代の富士 貢 31 9. 稲妻 雷五郎 30(11回x3) 10. 初代 梅ヶ谷 藤太郎 27(9回x3) 11. 栃木山 守也 同上 12. 朝青龍 明徳 25 13. 常陸山 谷右衞門 24(8回x3) 14. 北の湖 敏満 24 15. 貴乃花 光司 22 16. 小野川 喜三郎 21(7回x3) 16.雲龍 久吉 同上 16.鬼面山 谷五郎 同上 16.小錦 八十吉 同上 20.羽黒山 政司 20 21.玉錦 三右衞門 19 22.鰐石(劔山)文蔵 18 22.秀ノ山雷五郎 22.雷電 震右衛門 22.荒岩 亀之助 26.常ノ花 寛市 16 27.阿武松 緑之助 15 27.小柳 常吉 27.陣幕 久五郎 27.境川 浪右衛門 27.大錦 卯一郎 32.輪島 大士 14 33.栃錦 清隆 13 34.玉垣 額之助 12 34.大達 羽左衛門 34.東富士 欽壹 34.武蔵丸 光洋 38.初代 若乃花 勝治 11 38.曙 太郎 40.千代の山 雅信 10 40.北の富士 勝昭 10 42.不知火 光右衞門 9 42.二代 梅ヶ谷 藤太郎 42.日馬富士 公平 45.北勝海 信芳 8 46.清水川 元吉 7 47.初代 西ノ海 嘉治郎 6 47.大砲 萬右衛門 47.鳳 谷五郎 47.男女ノ川 登三 47.鏡里 喜代治 47.朝潮 太郎 47.佐田の山 晋松 47.玉の海 正洋 47.鶴竜 力三郎 56.柏戸 剛 5 56.琴櫻 傑將 56.三代 若乃花 勝 56.魁皇 博之 今後、この上位60人に食い込んでくるには、年間6場所制が続く限り、優勝5回が必須となりますね。
五月場所は開催中止、「東京で開催へ」と変更を発表した七月場所もどうなることやら。 第2波がもし来たら? 七月場所も秋場所も、、、 最悪の場合、九州場所まで中止になりかねない。 ここ、1〜3ヶ月が自粛の踏ん張りどころ というネット記事を見ました。 最悪も最悪、っていう想定ですが、強ちあり得ないことではない。 そうすると、今年は初場所と春場所のふた場所のみとなってしまいます。 そうなると、 終戦直後の焦土と化した東京で、「相撲観戦どころじゃない」というご時世だった頃以来、つまり昭和23年以来、73年ぶりのこととなってしまいます。 アビガンなり レムデシベルなり、帝人ファーマのシクレソニド や、日医工の膵臓薬フサン=ナファモスタットとか、 小野薬品のフォイバン、ノーベル医学生理学賞受賞の北里大・大村智によるイベルメクチン=ストロメクトール、 中外製薬のアクテムラ=トシリズマブといった コロナに有効とされる薬がどんどん承認され、一般にスムーズに供給されれば、そしてワクチンができて日本の医療機関に潤沢に配備されれば、殺人ウイルス・新型コロナ感染は収束に向かうようになるはず、いや、そうあって欲しい。
温故知新・大相撲カレンダー 5月11日 1997平成9年5月11日 五月夏場所二日目、空前の「若貴フィーバー」による(1989平成元年11月九州場所11日目から続いていた)本場所での満員御礼連続記録が、連続666日を記録しました。 しかし、すでに弟・貴乃花を凌ぎ 1番人気だった大関 若乃花 勝 や、小気味よい突っ張りが持ち味の人気者 寺尾が初日から休場してしまい、初日に横綱曙と大関武蔵丸や貴ノ浪に土がつき、この日(二日目)には横綱貴乃花まで玉春日に押し倒され土。 そして、翌12日(三日目)に、とうとう、チケットに売れ残り多数となり、満員御礼とはならず。足掛け九年続いた“満員御礼連続記録” は、ついにストップしました。 不入りの多い九州場所での出来事かと思っていましたが、意外にも、両国国技館でのことだったのですね。 この場所、一敗で先行する貴乃花に千秋楽の直接対決で追いつき、さらに横綱同士の優勝決定戦も制した曙か13場所ぶりの9度目の優勝を遂げました。 チケットがすべて売り切れる「満員札止め」が当たり前だった“若貴フィーバー”でしたが、曙の低迷により 貴乃花一強時代になり、満員御礼とはいえ、ちらほら空席が目立つようになっていたこの年の初場所から春場所、そして夏場所。 しかし、曙の復活により客足は復活。さらに翌年には1番人気の大関若乃花がふた場所連続優勝を果たして横綱に昇進した為、第二次若貴ブームと言われるほど、角界は再び活気を取り戻したのでした。 太刀山・大鵬・千代の富士・貴乃花・朝青龍・白鵬・・ 一強時代が長いと、客離れになってしまう歴史が繰り返されますね。 双葉山だけは例外で、勝てば勝つほどお客さんが全国から集まり、69連勝が始まる時に「11日間興行」だったのが、 一階舛席1000席、二階と三階の椅子席12000席、一階〜三階までの立ち見が7500人で、合計2万人以上が観戦した旧両國國技館であったにも関わらず、東北から北陸くから関西から遠路はるばる 汽車に乗って上京してきた相撲ファンが『双葉山を見せろ』と協会に詰め寄る という非常事態が連日続いて、本場所興行を「13日興行」へ変更。しかし、さらに勝ち続ける双葉山の相撲を観たいというファンが本所・両國界隈に宿をとって、連日『中に入れろ!相撲を見せろ!ひと目 双葉山を見たい!』と熱望する姿が國技館前に溢れ、ついに「15日間興行」へと興行日数を増やしたのでした。
殺人コロナ禍による外出自粛が長引く今、感染者(感染経路不明)が特に多い両国も銀座も、飲食店はやってないし、北の富士さんは、どうしているでしょうねえ。 おとなしく“ステイホーム生活”を続けていらっしゃれば宜しいのですが… 北の富士さんを崇拝するスポーツ紙記者によると 大相撲夏場所が中止になった今、気掛かりなのは元横綱北の富士勝昭さんの評論コラムが、いつ読めるか?…であります。 毎場所、あの文章にどれだけ癒やされてきたことか。 1985年から約2年間、筆者は大相撲を担当した。驚いたのは、大先輩家田信男記者のひと言。「知らなかった? あれ、親方(当時北の富士さんは九重親方)が自分で書いてるんだよ」。スポーツ評論は記者の“聞き書き”がほとんどなのに自筆。しかも手直しのいらない完ぺきな原稿だという。今はファックス、当時はアルバイトが九重部屋まで原稿を受け取りに行っていた。 いきさつを本人に聞くと「先代(横綱千代の山)が鉛筆をなめ、うなりながら書いてるのを見ていたからね。自然にだよ」。もともと作文好きだった北の富士さんには、執筆する姿がかっこよく映ったらしい。自身を角界にスカウトし、本紙で「突っ張り御免」を担当していたその先代が1977年10月に亡くなると評論家の後継者になった。 まず国語辞典を買い、先代のスクラップを参考にしたそうで、デビューとなった翌年3月の春場所初日、中日スポーツはコラムを1面の左肩に掲載した。それを読むと、北の湖に敗れた蔵間に「負け て覚える相撲かな」の一文をささげるなど、いきなりの名調子だ。その後、評論家の座を譲っていた弟子にあたる八角親方の理事長就任とともに復帰し、今に至る。 北の富士さん、とにかく粋な人である。スーツも似合うが、和装がこれまたいい。筆者は東京・向島の料亭に連れていって頂いたことがある。いきなり「これから行くぞ!」。まずい、こちらはジーパン。ホテルに戻って着替えてきますと言うと「そんな時間はない!」。 とんだ赤っ恥のお座敷はやがて「よし、お前、歌え」となった。小唄、長唄なぞ心得が…。「普通の歌でいいんだよ」。こんなところにカラオケなど…。そうしたらギターとドラムのミニバンドが現れ、この生伴奏で歌え、と。緊張の中、アリスの曲を披露させていただいた。 ご存じの方も少なくなったとは思いますが、北の富士さんは現役時代に歌謡曲「ネオン無情」をヒットさせ、増位山、琴風への流れを築いた元祖。その人の前で歌ったのであります。ちなみに筆者への2曲目のリクエストは… ございませんでした。 料亭? 言うまでもなく、すべてお世話になりました。いったい、いくらしたんだろう? 相撲は強く、歌も、話も上手い。もちろんルックスも。それどころか、時に切れ味鋭く、時には自虐や俳句をまじえ、たまに舞の海さんをいじり、さらりと下ネタを織り交ぜたコラムは筆者がはだしで逃げ出したくなるほど。ああ、早く北の富士さんの原稿が読みたい。 ・・・これは中日スポーツ新聞の増田護記者の記事です。往年の栃錦(春日野親方)を彷彿とさせるほど、記者たちにファンが多い北の富士さんならでは の エピソードですね。協会にもNHKにもほとんど忖度せず、飲み屋での会話のような“言いたい放題”ぶりが人気の秘訣でしょうね。
温故知新・大相撲カレンダー 5月10日 1934昭和9年 五月夏場所初日の前日の5月10日 旧両国国技館において、恒例の“土俵祭り”の前に、特別行事として “ 相撲祭り ”が催され、西暦734・天平6年の「聖武天皇天覧 1200周年記念行事」として、幕内力士40名全員による豪華な土俵入りが行なわれました。 そして、横綱玉錦と大関武蔵山による“三段構え”土俵入り、さらには、大関の清水川と男女ノ川による”神相撲”も行なわれた。 ちなみに、この時の番付では、横綱は玉錦一人、大関には武蔵山・清水川・男女ノ川が上位に名を連ねていました。 ご存知 双葉山は、西前頭筆頭。この五月場所では、横綱玉錦や大関の清水川や武蔵山に勝てなかったものの、6勝5敗で勝ち越し、翌場所(昭和10年一月春場所)では新三役の小結へ昇進。しかし、その場所で清水川を上手投げで下して大関から初白星を挙げたものの、横綱玉錦や男女ノ川に惨敗し4勝6敗1分で負け越し、翌場所も横綱・大関に歯が立たずに連続負け越しで、平幕へ。 まだまだ、うっちゃり癖が直りきらなかった双葉山でしたが、その翌場所の途中から有名な 69連勝がスタートするのでした。
前田山っていわゆる元祖エフエフ(「FOCUS・FRIDAY」)だね。場所休場してしかも場所中に野球カンセンしてる姿がバッチリ写真に。そりゃマズイわな(笑) もちろんカンセンは観戦であって感染ではありません、悪しからず。
そういや前田山も高砂部屋でした。 素行面では、朝青龍と似たり寄ったり。人情味が強すぎて、自分を旨く制御できなかった処も。 歴代の朝汐、小錦、水戸泉、朝乃若、朝赤龍・・・、タイプこそ違うが、皆個性的。 朝乃山も精進して、土俵を盛り上げて。
『 大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,657件 』
力士・親方のテレビ出演情報
再放送のようですが
5月16日(土曜日)
早朝5時40分~5時50分
NHK① 「NHK映像ファイル…あの人に会いたい」
鳥取県が生んだ横綱(第53代横綱)の 琴櫻傑將
早朝視聴が無理な方は、
再々放送が5月22日(金曜)午後1時50分~午後2時にあります。
大鵬や柏戸に頭から突っ込んで当たり、玉の海や北の富士さんにもぶちかました「猛牛」とか「デゴイチ」とあだ名され、押し相撲で横綱になった琴櫻。
貴景勝も見てるといいのですが。
引退後は、佐渡ヶ嶽を継承して佐渡ヶ嶽部屋を発展させ、琴錦や琴欧洲らを育てました。
Yさん、元気でしょうか ?
お店を自粛して営業してないとすると、たまには、ここを覘いていらっしゃるでしょうか?
感染者が最多の東京でも、Yさんがお住まいだった地域は 区の人口も多いですが、感染者も多いと報道があったと思います。
ぷらぷら外出など されてないとは思いますが、他人との接触は禁物です。
お得意様への直筆でのお手紙か、メールかラインで ご機嫌伺いのお便りとか、再開の告知手紙の準備などされているのでしょうね。
そろそろ、都内でも、今月末には色々と自粛解除されてくるような期待の持てるニュースが報じられています。
Yさん、早くお店を再開できることを熱望しています。
そして、ハンドルネームなしの匿名での投稿でも構いませんので、たまに、コメントをお願いできればと思います。
一種の安否確認です。
高尾の姉御も、百歳のご母堂様もお元気でいらっしゃいますか?
「年間ふた場所になってしまうかも?」というをコメントしましたが、
スマホでも見ることができる「大相撲今昔」というサイトに
江戸時代からの優勝回数を、
全員、今と同じ年間6場所に換算した場合の優勝回数ランキングが紹介されてます。
江戸時代〜大正時代と、昭和8年〜23年は、年間ふた場所なので優勝回数を3倍に換算、
昭和2〜7年と昭和28〜32年は年間4場所だったので優勝回数を1.5倍に。
昭和24〜27年は年間3場所だったので 2倍にして換算。
という計算方法で比較したランキングでした。
そのランキングでは
1位、雷電 為右衛門 84(=28回x3)
2位、谷風 梶之助 63(=21回x3)
3位、柏戸 利助 48(=16回x3)
4. 白鵬 翔 44
5. 双葉山 定次 36(12回x3)
6. 太刀山 峰右衞門 33(11回x3)
7. 大鵬 幸喜 32
8. 千代の富士 貢 31
9. 稲妻 雷五郎 30(11回x3)
10. 初代 梅ヶ谷 藤太郎 27(9回x3)
11. 栃木山 守也 同上
12. 朝青龍 明徳 25
13. 常陸山 谷右衞門 24(8回x3)
14. 北の湖 敏満 24
15. 貴乃花 光司 22
16. 小野川 喜三郎 21(7回x3)
16.雲龍 久吉 同上
16.鬼面山 谷五郎 同上
16.小錦 八十吉 同上
20.羽黒山 政司 20
21.玉錦 三右衞門 19
22.鰐石(劔山)文蔵 18
22.秀ノ山雷五郎
22.雷電 震右衛門
22.荒岩 亀之助
26.常ノ花 寛市 16
27.阿武松 緑之助 15
27.小柳 常吉
27.陣幕 久五郎
27.境川 浪右衛門
27.大錦 卯一郎
32.輪島 大士 14
33.栃錦 清隆 13
34.玉垣 額之助 12
34.大達 羽左衛門
34.東富士 欽壹
34.武蔵丸 光洋
38.初代 若乃花 勝治 11
38.曙 太郎
40.千代の山 雅信 10
40.北の富士 勝昭 10
42.不知火 光右衞門 9
42.二代 梅ヶ谷 藤太郎
42.日馬富士 公平
45.北勝海 信芳 8
46.清水川 元吉 7
47.初代 西ノ海 嘉治郎 6
47.大砲 萬右衛門
47.鳳 谷五郎
47.男女ノ川 登三
47.鏡里 喜代治
47.朝潮 太郎
47.佐田の山 晋松
47.玉の海 正洋
47.鶴竜 力三郎
56.柏戸 剛 5
56.琴櫻 傑將
56.三代 若乃花 勝
56.魁皇 博之
今後、この上位60人に食い込んでくるには、年間6場所制が続く限り、優勝5回が必須となりますね。
五月場所は開催中止、「東京で開催へ」と変更を発表した七月場所もどうなることやら。
第2波がもし来たら?
七月場所も秋場所も、、、
最悪の場合、九州場所まで中止になりかねない。
ここ、1〜3ヶ月が自粛の踏ん張りどころ というネット記事を見ました。
最悪も最悪、っていう想定ですが、強ちあり得ないことではない。
そうすると、今年は初場所と春場所のふた場所のみとなってしまいます。
そうなると、
終戦直後の焦土と化した東京で、「相撲観戦どころじゃない」というご時世だった頃以来、つまり昭和23年以来、73年ぶりのこととなってしまいます。
アビガンなり レムデシベルなり、帝人ファーマのシクレソニド や、日医工の膵臓薬フサン=ナファモスタットとか、
小野薬品のフォイバン、ノーベル医学生理学賞受賞の北里大・大村智によるイベルメクチン=ストロメクトール、
中外製薬のアクテムラ=トシリズマブといった
コロナに有効とされる薬がどんどん承認され、一般にスムーズに供給されれば、そしてワクチンができて日本の医療機関に潤沢に配備されれば、殺人ウイルス・新型コロナ感染は収束に向かうようになるはず、いや、そうあって欲しい。
温故知新・大相撲カレンダー
5月11日
1997平成9年5月11日
五月夏場所二日目、空前の「若貴フィーバー」による(1989平成元年11月九州場所11日目から続いていた)本場所での満員御礼連続記録が、連続666日を記録しました。
しかし、すでに弟・貴乃花を凌ぎ 1番人気だった大関 若乃花 勝 や、小気味よい突っ張りが持ち味の人気者 寺尾が初日から休場してしまい、初日に横綱曙と大関武蔵丸や貴ノ浪に土がつき、この日(二日目)には横綱貴乃花まで玉春日に押し倒され土。
そして、翌12日(三日目)に、とうとう、チケットに売れ残り多数となり、満員御礼とはならず。足掛け九年続いた“満員御礼連続記録” は、ついにストップしました。
不入りの多い九州場所での出来事かと思っていましたが、意外にも、両国国技館でのことだったのですね。
この場所、一敗で先行する貴乃花に千秋楽の直接対決で追いつき、さらに横綱同士の優勝決定戦も制した曙か13場所ぶりの9度目の優勝を遂げました。
チケットがすべて売り切れる「満員札止め」が当たり前だった“若貴フィーバー”でしたが、曙の低迷により 貴乃花一強時代になり、満員御礼とはいえ、ちらほら空席が目立つようになっていたこの年の初場所から春場所、そして夏場所。
しかし、曙の復活により客足は復活。さらに翌年には1番人気の大関若乃花がふた場所連続優勝を果たして横綱に昇進した為、第二次若貴ブームと言われるほど、角界は再び活気を取り戻したのでした。
太刀山・大鵬・千代の富士・貴乃花・朝青龍・白鵬・・
一強時代が長いと、客離れになってしまう歴史が繰り返されますね。
双葉山だけは例外で、勝てば勝つほどお客さんが全国から集まり、69連勝が始まる時に「11日間興行」だったのが、
一階舛席1000席、二階と三階の椅子席12000席、一階〜三階までの立ち見が7500人で、合計2万人以上が観戦した旧両國國技館であったにも関わらず、東北から北陸くから関西から遠路はるばる 汽車に乗って上京してきた相撲ファンが『双葉山を見せろ』と協会に詰め寄る という非常事態が連日続いて、本場所興行を「13日興行」へ変更。しかし、さらに勝ち続ける双葉山の相撲を観たいというファンが本所・両國界隈に宿をとって、連日『中に入れろ!相撲を見せろ!ひと目 双葉山を見たい!』と熱望する姿が國技館前に溢れ、ついに「15日間興行」へと興行日数を増やしたのでした。
殺人コロナ禍による外出自粛が長引く今、感染者(感染経路不明)が特に多い両国も銀座も、飲食店はやってないし、北の富士さんは、どうしているでしょうねえ。
おとなしく“ステイホーム生活”を続けていらっしゃれば宜しいのですが…
北の富士さんを崇拝するスポーツ紙記者によると
大相撲夏場所が中止になった今、気掛かりなのは元横綱北の富士勝昭さんの評論コラムが、いつ読めるか?…であります。
毎場所、あの文章にどれだけ癒やされてきたことか。 1985年から約2年間、筆者は大相撲を担当した。驚いたのは、大先輩家田信男記者のひと言。「知らなかった? あれ、親方(当時北の富士さんは九重親方)が自分で書いてるんだよ」。スポーツ評論は記者の“聞き書き”がほとんどなのに自筆。しかも手直しのいらない完ぺきな原稿だという。今はファックス、当時はアルバイトが九重部屋まで原稿を受け取りに行っていた。 いきさつを本人に聞くと「先代(横綱千代の山)が鉛筆をなめ、うなりながら書いてるのを見ていたからね。自然にだよ」。もともと作文好きだった北の富士さんには、執筆する姿がかっこよく映ったらしい。自身を角界にスカウトし、本紙で「突っ張り御免」を担当していたその先代が1977年10月に亡くなると評論家の後継者になった。 まず国語辞典を買い、先代のスクラップを参考にしたそうで、デビューとなった翌年3月の春場所初日、中日スポーツはコラムを1面の左肩に掲載した。それを読むと、北の湖に敗れた蔵間に「負け
て覚える相撲かな」の一文をささげるなど、いきなりの名調子だ。その後、評論家の座を譲っていた弟子にあたる八角親方の理事長就任とともに復帰し、今に至る。
北の富士さん、とにかく粋な人である。スーツも似合うが、和装がこれまたいい。筆者は東京・向島の料亭に連れていって頂いたことがある。いきなり「これから行くぞ!」。まずい、こちらはジーパン。ホテルに戻って着替えてきますと言うと「そんな時間はない!」。 とんだ赤っ恥のお座敷はやがて「よし、お前、歌え」となった。小唄、長唄なぞ心得が…。「普通の歌でいいんだよ」。こんなところにカラオケなど…。そうしたらギターとドラムのミニバンドが現れ、この生伴奏で歌え、と。緊張の中、アリスの曲を披露させていただいた。
ご存じの方も少なくなったとは思いますが、北の富士さんは現役時代に歌謡曲「ネオン無情」をヒットさせ、増位山、琴風への流れを築いた元祖。その人の前で歌ったのであります。ちなみに筆者への2曲目のリクエストは… ございませんでした。
料亭? 言うまでもなく、すべてお世話になりました。いったい、いくらしたんだろう?
相撲は強く、歌も、話も上手い。もちろんルックスも。それどころか、時に切れ味鋭く、時には自虐や俳句をまじえ、たまに舞の海さんをいじり、さらりと下ネタを織り交ぜたコラムは筆者がはだしで逃げ出したくなるほど。ああ、早く北の富士さんの原稿が読みたい。
・・・これは中日スポーツ新聞の増田護記者の記事です。往年の栃錦(春日野親方)を彷彿とさせるほど、記者たちにファンが多い北の富士さんならでは の エピソードですね。協会にもNHKにもほとんど忖度せず、飲み屋での会話のような“言いたい放題”ぶりが人気の秘訣でしょうね。
温故知新・大相撲カレンダー
5月10日
1934昭和9年
五月夏場所初日の前日の5月10日
旧両国国技館において、恒例の“土俵祭り”の前に、特別行事として “ 相撲祭り ”が催され、西暦734・天平6年の「聖武天皇天覧 1200周年記念行事」として、幕内力士40名全員による豪華な土俵入りが行なわれました。
そして、横綱玉錦と大関武蔵山による“三段構え”土俵入り、さらには、大関の清水川と男女ノ川による”神相撲”も行なわれた。
ちなみに、この時の番付では、横綱は玉錦一人、大関には武蔵山・清水川・男女ノ川が上位に名を連ねていました。
ご存知 双葉山は、西前頭筆頭。この五月場所では、横綱玉錦や大関の清水川や武蔵山に勝てなかったものの、6勝5敗で勝ち越し、翌場所(昭和10年一月春場所)では新三役の小結へ昇進。しかし、その場所で清水川を上手投げで下して大関から初白星を挙げたものの、横綱玉錦や男女ノ川に惨敗し4勝6敗1分で負け越し、翌場所も横綱・大関に歯が立たずに連続負け越しで、平幕へ。
まだまだ、うっちゃり癖が直りきらなかった双葉山でしたが、その翌場所の途中から有名な 69連勝がスタートするのでした。
前田山っていわゆる元祖エフエフ(「FOCUS・FRIDAY」)だね。場所休場してしかも場所中に野球カンセンしてる姿がバッチリ写真に。そりゃマズイわな(笑)
もちろんカンセンは観戦であって感染ではありません、悪しからず。
高見山もお忘れなく
マルハチー!
そういや前田山も高砂部屋でした。
素行面では、朝青龍と似たり寄ったり。人情味が強すぎて、自分を旨く制御できなかった処も。
歴代の朝汐、小錦、水戸泉、朝乃若、朝赤龍・・・、タイプこそ違うが、皆個性的。
朝乃山も精進して、土俵を盛り上げて。