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横綱不在 追記 以降、外国出身横綱の系譜はハワイ勢からモンゴル勢へと勢力が変遷しながらも途絶えたことがありません。 和製横綱の空白は、北勝海引退から7年1月の貴乃花まで2年半15場所あったが、貴乃花引退後はこれを優に抜いて、稀勢の里が昇進するまで 13年もの日本生まれの横綱空白期間が生まれました。 ともかく事実上1年半、番付上4場所あった平成の横綱空位時代は曙が幕を下ろしました。 明治以降の横綱不在は、この北勝海引退から曙昇進までの4場所にわたった “平成の横綱不在”と 昭和初期の宮城山引退~玉錦昇進までの6場所 “昭和の横綱不在” この2回だけですね。 昭和・平成と 元号が変わってすぐに 横綱不在となった この100年余の大相撲。 令和7年の今、またしても横綱不在になってしまうのでしょうか?
背景 空位の穴を埋めるのは当然大関陣。前年から小錦と霧島の2人が争っていた。4年3月の小錦は、13勝優勝ー12勝(第3位)ー13勝優勝=3場所38勝(優勝2度)で、横綱に上げても良かったが見送り。当時まだ外人横綱がいなかったことから、外国人差別問題が勃発。 小錦が昇進していれば北勝海の寿命も少し延びたかもしれないが…。 もうひとりの大関霧島は高齢で肘の不調で衰え始め、11月の故障休場で大関陥落となりました。 平成4年1月に最年少優勝した貴花田は 関脇で3場所35勝(優勝1度)して大関昇進を果たし、さらに新大関から3場所で38勝(優勝1度,準優勝2度)ながら見送られ、翌場所に12勝して優勝1度を含む3場所39勝したのにも関わらず出羽海理事長を中心とした出羽一門が発言力が強く、今でも続く二所一門を蔑視した形の政治的圧力で綱獲りにもたついた。大関8場所目からの3場所で優勝2度含む40勝したのに昇進は見送られ、結局、大関11場所目、貴ノ花から貴乃花へ改名した場所で、前場所に続く全勝優勝で、史上初の “ふた場所 連続15戦全勝優勝”でやっとのことで横綱昇進。 この 出羽一門による妨害で貴乃花は「最年少横綱昇進」の記録更新は果たせなかった。 一方、5月場所で初優勝した曙は新大関場所休場するなど、なかなか次の横綱は現れず横綱不在が続くのではないか…と思われた。 しかし、曙があっさりと突破。 突き押しに磨きをかけ右四つの相撲も成長、安定感を増した身長2mの巨漢は、平成4年11月・5年1月と14勝1敗を続け、文句なしの成績で横綱に昇進しました。 つづく
横綱不在 ★平成の空位時代 平成4年5月(7月)~平成5年1月(北勝海引退から曙昇進まで) ※( )は番付上の該当期間。 まだ記憶に新しい、平成の大空位時代。 一人横綱となり協会の看板を背負うはずの横綱北勝海が5月場所直前に引退発表、翌場所から番付に「横綱」の文字が消えてしまった。 番付上は4場所、実際は5場所の間横綱不在となった。 番付に横綱がいないということは、本場所でも巡業でも花相撲でも、大相撲の華と称される横綱土俵入りが見られないということ、相撲興行を生業としている相撲協会としては大問題。 横綱不在状態……そのわずか1年前、平成3年5月の番付では 小さな大横綱千代の富士に、千代の大連勝をストップさせた大乃国、そして旭富士に北勝海の横綱4人という豪華番付でしたが、同場所の千代の富士引退後、世代交代の嵐をまともに受けて、あっという間に一人もいなくなってしまった。 若手の台頭による下位での世代交代は前年から始まっていたが、新鋭貴花田に初顔合わせで完敗した 十年横綱・千代の富士が5月にスッパリ引退。 この場所は昇進5場所目の旭富士が横綱として初めて制し、新たな主役争いの先陣を取ったように見えた。 ★暗雲 翌7月場所、不調の大乃国が引退。3月は久々に優勝を争っていただけに、意外だった。 残された北勝海と旭富士の2横綱に期待がかかるところでしが、この2横綱の唯一の決戦は、8勝6敗の相星決戦という体たらく。しかも平幕優勝を許しては、上位陣の面目丸つぶれだった。 年齢的にはまだいけると思われた2横綱だが、翌場所から片方が全休し 出場した方は途中休場という場所が3場所続き、1月で旭富士があっさり引退。 実は旭富士、大関で5場所連続準優勝、しかも直近3場所では14勝13勝13勝40勝在位わずか9場所だった。 3月場所に北勝海が進退をかけて出るが、連敗して休場。すでに覚悟を決めたようだが、横綱が自分しかいないとあっては簡単には辞められず。 5月に全てを懸けようとしたが、気力戻らず引退のやむなきに至った。 つづく
今日の大相撲中継で 『北の富士さん特集』 幕内土俵入りのあと 番組内容 七日目▽ありがとう北の富士さん 言葉で振り返る相撲への思い(4:10~) 「幕内取組」 【解説】正面(幕内)…舞の海秀平,向正面(幕内)…君ヶ濱(元隠岐の海), 【アナウンサー】正面(幕内)…三瓶宏志, 向こう正面解説席には 北の富士さんからいつもいつも こきおろされていた孫弟子の隠岐の海さん(現在の君ヶ濱親方) 楽しい話が聴けそうです
照ノ富士が正式に引退発表 大怪我で序二段まで番付を下げたのに復活してきて大関へ再昇進してさらに横綱昇進 お疲れさまでした。 優勝10度は立派な成績です。 横綱成績:114勝40敗151休(21場所) 横綱勝率:.740 優勝10度 個人優勝制度が確立された明治42年以降、 二桁優勝力士は 白鵬 45度 優勝同点4回 大鵬◯32度 優勝同点 2回 千代の富士 31度 優勝同点0回=優勝決定戦は全勝 朝青龍 25度 優勝同点 1回 北の湖◯24度 優勝同点5回 貴乃花◯22度 優勝同点5回 輪島◯14度 優勝同点1回 双葉山◯12度 武蔵丸◯12度 優勝同点6回 曙太郎◯11度 優勝同点3回 常ノ花◯10度 優勝同点1回=番付下位の為、優勝とはならず。 栃錦◯10度 優勝同点 1回 初代若乃花◯10度 優勝同点 1回 北の富士◯10度 優勝同点 1回 照ノ富士◯10度 優勝同点 3回 以上、二桁優勝は15名 (うち◯は12名) ・・・・・ 優勝同点は 優勝決定戦にて敗退 優勝決定戦は 1947年から施行。それ以前は 勝敗同点者がいた場合は番付上位者を優勝としていた 優勝決定戦最多出場は貴乃花の11番 最多対戦は 貴乃花vs武蔵丸の4回 千代の富士は優勝決定戦6戦全勝 ◯は ガチンコ力士とされている力士の優勝回数
琴櫻どうしたんだろうね。 最近は優勝しても次は駄目になると力が続かないね。 継続は力なりだけど元の力、あるいわ稽古不足なのかな! 彗星の如く駆け上がってくる力士さんがいないね。 さぁ明日は北の富士さんだ。 全員集合で見るよ。 サブスクってどうやればきけるのかな。いま孫が帰ってしまい分からんからね困るよ。
照ノ富士引退 ひとり横綱としての期間の長さ(場所数)では 史上2位の20場所。 1位は朝青龍の21場所でしたから、引退が来場所だったら最長タイ記録となるところでした。 “ひとり横綱”は 大相撲の歴史上でも意外に少なく、 昭和5年~6年の宮城山が初めてで3場所(当時は年2場所だったので場所数としては3場所)。 次いで 昭和8年~10年に玉錦が5場所、 3例目は 戦後、大鵬が盟友柏戸の引退から北の富士&玉の海が昇進するまでの3場所。 4例目は北の富士、盟友玉の海急死から琴櫻が昇進してくるまでの8場所(1971年~1973年までの足掛け3年) 5例目は千代の富士で、隆の里引退から北尾改め双羽黒が優勝なしで無理矢理推挙されるまでの3場所。 6例目は現在理事長をしている八角親方(四股名は北勝海)で、旭富士が引退し ひとり横綱のなった翌場所に、なんと無責任にも北勝海まで引退してしまい、横綱がいなくなってしまった。 7例目は、曙。 北勝海引退により横綱不在が1年も続いたところで若貴兄弟や魁皇の同期の曙が横綱昇進、翌年の九州場所で貴乃花が昇進してくるまで、北の富士さんの8場所を抜く11場所も ひとり横綱でした。 8例目は 朝青龍。 武蔵丸が引退してから白鵬が昇進してくるまでの21場所(3年半)も ひとり横綱でした。 この21場所が史上最長記録。 9例目と10例目が白鵬で、朝青龍引退から日馬富士昇進までの15場所と 鶴竜引退から照ノ富士昇進までの2場所。 そして今回の照ノ富士が11例目でした。 白鵬引退から今場所(令和7年初場所)まで。 今場所を終えて、豊昇龍が綱獲りに失敗した場合は、またもや横綱不在となりますね。 本場所もですが、特に地方巡業や2月の花相撲(2/8 NHK福祉大相撲や 2/9大相撲トーナメント)などでは 一番のメインが横綱土俵入りとされてますので、観覧予定の方々にはガッカリですねえ
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横綱不在
追記
以降、外国出身横綱の系譜はハワイ勢からモンゴル勢へと勢力が変遷しながらも途絶えたことがありません。
和製横綱の空白は、北勝海引退から7年1月の貴乃花まで2年半15場所あったが、貴乃花引退後はこれを優に抜いて、稀勢の里が昇進するまで 13年もの日本生まれの横綱空白期間が生まれました。
ともかく事実上1年半、番付上4場所あった平成の横綱空位時代は曙が幕を下ろしました。
明治以降の横綱不在は、この北勝海引退から曙昇進までの4場所にわたった “平成の横綱不在”と
昭和初期の宮城山引退~玉錦昇進までの6場所 “昭和の横綱不在”
この2回だけですね。
昭和・平成と 元号が変わってすぐに 横綱不在となった この100年余の大相撲。
令和7年の今、またしても横綱不在になってしまうのでしょうか?
背景
空位の穴を埋めるのは当然大関陣。前年から小錦と霧島の2人が争っていた。4年3月の小錦は、13勝優勝ー12勝(第3位)ー13勝優勝=3場所38勝(優勝2度)で、横綱に上げても良かったが見送り。当時まだ外人横綱がいなかったことから、外国人差別問題が勃発。
小錦が昇進していれば北勝海の寿命も少し延びたかもしれないが…。
もうひとりの大関霧島は高齢で肘の不調で衰え始め、11月の故障休場で大関陥落となりました。
平成4年1月に最年少優勝した貴花田は 関脇で3場所35勝(優勝1度)して大関昇進を果たし、さらに新大関から3場所で38勝(優勝1度,準優勝2度)ながら見送られ、翌場所に12勝して優勝1度を含む3場所39勝したのにも関わらず出羽海理事長を中心とした出羽一門が発言力が強く、今でも続く二所一門を蔑視した形の政治的圧力で綱獲りにもたついた。大関8場所目からの3場所で優勝2度含む40勝したのに昇進は見送られ、結局、大関11場所目、貴ノ花から貴乃花へ改名した場所で、前場所に続く全勝優勝で、史上初の “ふた場所
連続15戦全勝優勝”でやっとのことで横綱昇進。
この 出羽一門による妨害で貴乃花は「最年少横綱昇進」の記録更新は果たせなかった。
一方、5月場所で初優勝した曙は新大関場所休場するなど、なかなか次の横綱は現れず横綱不在が続くのではないか…と思われた。
しかし、曙があっさりと突破。
突き押しに磨きをかけ右四つの相撲も成長、安定感を増した身長2mの巨漢は、平成4年11月・5年1月と14勝1敗を続け、文句なしの成績で横綱に昇進しました。
つづく
横綱不在
★平成の空位時代
平成4年5月(7月)~平成5年1月(北勝海引退から曙昇進まで)
※( )は番付上の該当期間。
まだ記憶に新しい、平成の大空位時代。
一人横綱となり協会の看板を背負うはずの横綱北勝海が5月場所直前に引退発表、翌場所から番付に「横綱」の文字が消えてしまった。
番付上は4場所、実際は5場所の間横綱不在となった。
番付に横綱がいないということは、本場所でも巡業でも花相撲でも、大相撲の華と称される横綱土俵入りが見られないということ、相撲興行を生業としている相撲協会としては大問題。
横綱不在状態……そのわずか1年前、平成3年5月の番付では 小さな大横綱千代の富士に、千代の大連勝をストップさせた大乃国、そして旭富士に北勝海の横綱4人という豪華番付でしたが、同場所の千代の富士引退後、世代交代の嵐をまともに受けて、あっという間に一人もいなくなってしまった。
若手の台頭による下位での世代交代は前年から始まっていたが、新鋭貴花田に初顔合わせで完敗した 十年横綱・千代の富士が5月にスッパリ引退。
この場所は昇進5場所目の旭富士が横綱として初めて制し、新たな主役争いの先陣を取ったように見えた。
★暗雲
翌7月場所、不調の大乃国が引退。3月は久々に優勝を争っていただけに、意外だった。
残された北勝海と旭富士の2横綱に期待がかかるところでしが、この2横綱の唯一の決戦は、8勝6敗の相星決戦という体たらく。しかも平幕優勝を許しては、上位陣の面目丸つぶれだった。
年齢的にはまだいけると思われた2横綱だが、翌場所から片方が全休し 出場した方は途中休場という場所が3場所続き、1月で旭富士があっさり引退。
実は旭富士、大関で5場所連続準優勝、しかも直近3場所では14勝13勝13勝40勝在位わずか9場所だった。
3月場所に北勝海が進退をかけて出るが、連敗して休場。すでに覚悟を決めたようだが、横綱が自分しかいないとあっては簡単には辞められず。
5月に全てを懸けようとしたが、気力戻らず引退のやむなきに至った。
つづく
今日の大相撲中継で
『北の富士さん特集』
幕内土俵入りのあと
番組内容
七日目▽ありがとう北の富士さん 言葉で振り返る相撲への思い(4:10~)
「幕内取組」 【解説】正面(幕内)…舞の海秀平,向正面(幕内)…君ヶ濱(元隠岐の海),
【アナウンサー】正面(幕内)…三瓶宏志,
向こう正面解説席には
北の富士さんからいつもいつも こきおろされていた孫弟子の隠岐の海さん(現在の君ヶ濱親方)
楽しい話が聴けそうです
照ノ富士お疲れ様でした!
優勝10回は凄いですが
9回目の優勝を決めた
昨年の一月場所が良かったです!
これからも頑張って下さい♪
照ノ富士が正式に引退発表
大怪我で序二段まで番付を下げたのに復活してきて大関へ再昇進してさらに横綱昇進
お疲れさまでした。
優勝10度は立派な成績です。
横綱成績:114勝40敗151休(21場所)
横綱勝率:.740
優勝10度
個人優勝制度が確立された明治42年以降、
二桁優勝力士は
白鵬 45度 優勝同点4回
大鵬◯32度 優勝同点 2回
千代の富士 31度 優勝同点0回=優勝決定戦は全勝
朝青龍 25度 優勝同点 1回
北の湖◯24度 優勝同点5回
貴乃花◯22度 優勝同点5回
輪島◯14度 優勝同点1回
双葉山◯12度
武蔵丸◯12度 優勝同点6回
曙太郎◯11度 優勝同点3回
常ノ花◯10度 優勝同点1回=番付下位の為、優勝とはならず。
栃錦◯10度 優勝同点 1回
初代若乃花◯10度 優勝同点 1回
北の富士◯10度 優勝同点 1回
照ノ富士◯10度 優勝同点 3回
以上、二桁優勝は15名 (うち◯は12名)
・・・・・
優勝同点は 優勝決定戦にて敗退
優勝決定戦は 1947年から施行。それ以前は 勝敗同点者がいた場合は番付上位者を優勝としていた
優勝決定戦最多出場は貴乃花の11番
最多対戦は 貴乃花vs武蔵丸の4回
千代の富士は優勝決定戦6戦全勝
◯は ガチンコ力士とされている力士の優勝回数
琴櫻どうしたんだろうね。
最近は優勝しても次は駄目になると力が続かないね。
継続は力なりだけど元の力、あるいわ稽古不足なのかな!
彗星の如く駆け上がってくる力士さんがいないね。
さぁ明日は北の富士さんだ。
全員集合で見るよ。
サブスクってどうやればきけるのかな。いま孫が帰ってしまい分からんからね困るよ。
解説の浅香山さん
言ってることが素人レベル。
審判の朝日山さん
勝負がついてないのに、目の前の土俵の俵を琴櫻が踏み越したと錯覚して手を上げてしまい、取り直し
どーかしちゃった?
照ノ富士引退
ひとり横綱としての期間の長さ(場所数)では
史上2位の20場所。
1位は朝青龍の21場所でしたから、引退が来場所だったら最長タイ記録となるところでした。
“ひとり横綱”は 大相撲の歴史上でも意外に少なく、
昭和5年~6年の宮城山が初めてで3場所(当時は年2場所だったので場所数としては3場所)。
次いで 昭和8年~10年に玉錦が5場所、
3例目は 戦後、大鵬が盟友柏戸の引退から北の富士&玉の海が昇進するまでの3場所。
4例目は北の富士、盟友玉の海急死から琴櫻が昇進してくるまでの8場所(1971年~1973年までの足掛け3年)
5例目は千代の富士で、隆の里引退から北尾改め双羽黒が優勝なしで無理矢理推挙されるまでの3場所。
6例目は現在理事長をしている八角親方(四股名は北勝海)で、旭富士が引退し ひとり横綱のなった翌場所に、なんと無責任にも北勝海まで引退してしまい、横綱がいなくなってしまった。
7例目は、曙。
北勝海引退により横綱不在が1年も続いたところで若貴兄弟や魁皇の同期の曙が横綱昇進、翌年の九州場所で貴乃花が昇進してくるまで、北の富士さんの8場所を抜く11場所も ひとり横綱でした。
8例目は 朝青龍。
武蔵丸が引退してから白鵬が昇進してくるまでの21場所(3年半)も ひとり横綱でした。
この21場所が史上最長記録。
9例目と10例目が白鵬で、朝青龍引退から日馬富士昇進までの15場所と 鶴竜引退から照ノ富士昇進までの2場所。
そして今回の照ノ富士が11例目でした。
白鵬引退から今場所(令和7年初場所)まで。
今場所を終えて、豊昇龍が綱獲りに失敗した場合は、またもや横綱不在となりますね。
本場所もですが、特に地方巡業や2月の花相撲(2/8 NHK福祉大相撲や 2/9大相撲トーナメント)などでは
一番のメインが横綱土俵入りとされてますので、観覧予定の方々にはガッカリですねえ
元貴景勝は、熱海富士が2勝2敗とかじゃなく、
4連敗なんでそこが怖い、という様な事を言っていたと
思うが、ホントにそうなったね。