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千代の富士が引退を決断したのは、 当時の若花田・貴花田など新世代の力士たちの台頭が大きな要因となりました。 「今、相撲ブームだと言われている。いい現状でしょう。こういう相撲熱の盛んな時代がずうっとずうっと続いていってほしいと思います。そのためには皆に頑張ってもらわねばね」 引退時の言葉だ。当時の若貴ブームを喜びつつ、自らが角界を引っ張ってきたという自負もちょっぴりと見せていた。 そして思い起こせば、 1981昭和56年名古屋場所で優勝した千代の富士がついに横綱昇進を決めた時、 有頂天になっていた千代の富士に対して、師匠九重(元横綱北の富士)が放った言葉 1981年7月場所後、千代の富士が横綱に昇進した夜、 「ウルフ(千代の富士のあだ名)よ、辞める時はスパッと潔く・綺麗に辞めような。 チンタラチンタラと横綱を務めるんじゃねえぞ」と、千代の富士に引き際の美学を説いた。 当時の千代の富士は面食らいながらも、1991年5月場所限りで引退した時は正にこの言葉通り、潔いものでした。 横綱になった日から引退する日のことを考える……というのは 栃木山⇒栃錦・千代の山⇒北の富士⇒千代の富士と 教え継がれたものでした。
名伯楽 北の富士さん 千代の富士にまつわる4つの言葉 <名言1> 体で負けているんだから、気力では負けるな。 (九重親方) ◇解説◇ 北の富士勝昭さんは現在、御年80歳。大相撲テレビ・ラジオ中継で舌鋒鋭く関取を評する人気解説者だ。そんな北の富士さんは現役時代、幕内最高優勝10回を果たすなど第52代横綱として、1960~70年代の角界を大いに盛り上げた。 さらに九重親方時代に大横綱・千代の富士を育て上げたことで名伯楽としても知られている。1991年、千代の富士引退にあたってNumberのインタビューに応じてくれた九重親方。 「ハンディを乗り越え、千代の富士は何故最強たりえたか」というテーマでの取材に、包み隠さず本音で語っている。 「体は小さい、そして怪我も多かったけれど、しかし、強靭なバネとか運動神経、集中力といった点で、やはり天才的なものを持っていたんじゃないですか。(中略)それに加えて研究熱心。相撲に対する集中力も凄いし、とにかく精神面が大きかったと思うんです」 「それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも…」 千代の富士と言えば筋力トレーニングで鍛えた圧倒的な肉体美とともに、自分よりも一回り近く大きい力士に対しても全く臆せず挑んでいく姿だった。 その心技体が相撲ファンにとどまらず世間一般にも強烈な印象を与えることになったのだが、当時九重親方は「気力で負けるな」と伝えるとともに、このようにも助言していたと明かす。 「『横綱でも何でも土俵に上がったら五分と五分なんだから、うんと睨んで、それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも威嚇しろ。何か言われたら俺が責任をとるから、とにかくいけ』と言ってけしかけました。だからあの頃さかんに、たいして厚くもない胸をぐっとそらしてた。それでも効果があったと思いますよ」 千代の富士という存在自体で、相手を威圧する。それが圧倒的だったオーラの正体なのかもしれない。 なお千代の富士も九重親方からの教えについて、このように語っていたことがある。 「右肩まで脱臼した時、親方に、お前は、こんないい相撲を前に取ったこともあるじゃないか、それなら、肩にも負担がかからないし、いいんじゃないかと言われて、それが前まわしを取って頭をつける相撲だった」 度重なる脱臼の大ケガと向き合い、心身ともにバージョンアップさせていった取り口。それが千代の富士を“小さな大横綱”へと導くことになる。 つづく
大相撲九州場所前半 北の富士さんの解説スケジュール テレビ 初日 五日目(木曜) ラジオ 三日目(火曜) 七日目(土曜) その他の主な解説者 テレビ 三日目 秀ノ山親方(元琴奨菊 四日目 鶴竜親方 六日目 武隈親方(元豪栄道 ラジオ 二日目 西岩親方(元若ノ里 四日目 井筒親方(元豊ノ島
博多…といえば 水炊き がありますね。 鉄鍋餃子も旨いし、明太子もありますが、 やっぱり水炊きが一番好きかな。 九州場所といえば、千代の富士! 横綱になってから引退までの10年間の九州場所では、8年連続9回の優勝。優勝を逃した平成元年も13勝2敗での準優勝。 この10年間の九州場所での勝敗は136勝14敗、休場なし、勝率.906。 博多の絶品料理を食べて優勝しまくってました。 戦後最高となった53連勝をして千秋楽に横綱大乃国に敗れたのも昭和63年の九州場所でしたね。
逸ノ城問題 この問題に関して、相撲協会はあくまで「疑惑止まり」といったスタンスで、13日初日の11月九州場所には出場可能としている。 もっとも、逸ノ城の酒癖は、角界では昔から有名だったという。 ある若手親方が言う。 「普段は温厚な好青年。酒も少量なら問題ないのだが、酔っぱらうと人が変わったように “凶暴”になる。 怒鳴るわ、手が出るわ と散々です。 実は5、6年前の地方巡業でも、夜のお店でトラブルを起こし、巡業を休場したことがあった」 師匠は厳しく育てなかったのか。 「湊親方は気が優しすぎて、弟子に強く言えないタイプ。おかみも逸ノ城のことを我が子同然に可愛がっており、厳しく叱ったりはしない。そもそも、逸ノ城は今の親方が育てた唯一の関取。部屋は彼ひとりでもっているも同然なので、強い態度に出られない。仮に逸ノ城が廃業となったら、本人の次に困るのは湊部屋そのものですからね。そうした事情を逸ノ城も理解しているので、泥酔すると普段は抑えているテングの鼻が顔を出してしまうのではないか」(前出の親方) どんな事情であれ、暴力は御法度。暴力排除に力を入れている相撲協会としては、なおさらではないか。 ・・・協会は即刻、調査すべきですねえ。 某与党と一緒で、巷の声が大きくならないと腰を上げない相撲協会。重い腰は相撲では有利ですが、問題発生時にはすぐに調査して、その上で、問題なしならそれはそれで仕方ない。 しかし、過去の北尾の例からも、残念ながら「言語道断、解雇やむ無し」というところでしょう。 これを許したら、他の部屋でも類似事件が起きそうで、女将さんは怖くて力士たちの面倒などみれなくなりますね。
逸ノ城が暴行傷害 大相撲の元関脇で西前頭2枚目逸ノ城(29)=湊部屋、モンゴル出身=と師匠の湊親方(54)=元幕内湊富士=との確執が深刻化し、逸ノ城がおかみに暴力を振るった疑惑があることが10日、分かった。日本相撲協会ではすでに逸ノ城と師匠を個別に呼び出し、事態を把握。複数回にわたって事情を聴いている。13日に初日を迎える九州場所(福岡国際センター)には、常軌を逸した師弟関係のまま出場するという。 会話が成り立たない。そもそも、受け答えがない。常軌を逸脱した師弟関係に陥ったまま、逸ノ城が九州場所を迎える。名古屋場所で初優勝した逸ノ城 ですが私生活では以前から過度な飲酒が問題視されていて、部屋関係者によると温厚な性格としながらも泥酔すると姿が一変するという。 「師匠からの再三の注意もあり、本人も自覚はしていたが、店で来客とトラブルを起こしそうになったり、おかみにも手をかけることがあった」と、女将が暴行を受けた際にてきた痣を見たこともあったらしい。 アルコール中毒なとのカウンセリングを受けるなど禁酒に取り組んだ時期もあり、昨年12月からは部屋を離れて一人暮らしを始めたそうですが、2月頃には再び飲酒の影響で稽古を無断で休むようになり、連絡が取れないこともあった。湊親方は3月に協会へ実情を報告したが、逸ノ城は態度を硬化。代理人を立て「これからは弁護士を通さないと師匠の言うことはきかない」と通告してきたという。 親方と本人の亀裂はいっそう深まり、初優勝の余韻が冷めない8月には協会の公式ユーチューブ番組の撮影を土壇場でキャンセル。収録をやり直す事態となり、師匠は再び部屋で暮らすことを強く勧めた。だが、関係者によると「逸ノ城との関係は遮断されてしまった」とのこと。 女将さんに怪我を負わせて角界を追放された北尾改め双羽黒を思い出しますね。
たった4場所の在位で大関の座から陥落した御嶽海。 ここで二桁勝利→特例での大関復帰 を果たせなければ、 年6場所制となってから最短在位記録の大受を超えて、史上最短大関という不名誉な記録となります。 (大受=高島部屋 新大関の1973年9月場所は腰痛の影響もあり八日目から途中休場。2場所目の翌11月場所でいきなり大関角番となったが 9勝6敗と勝ち越し角番脱出。しかしそれ以降も首・右膝の故障にも悩まされ、1974年3月場所で九日目から再び途中休場。2度目の角番で迎えた同年5月場所で6勝9敗と負け越し、大関の地位で2場所連続負け越したため関脇へ陥落。 大関在位はたった5場所に終わり、最高位が大関だった力士では6場所制になってからは、今のところ、大受が歴代1位の短命記録。 (御嶽海はまだまだ大関復帰の可能性があり、大受の短命記録を更新したことにはなってない) (短命大関の2位は増位山、栃ノ心、朝乃山の7場所) 今朝の読売新聞スポーツ欄でも、 『むらっ気があり下位の力士への取りこぼしや 土俵際で粘らずあっさり土俵を割る。』など叱咤・激励文のような記事が800文字もの長文で載ってました。 関脇の時の御嶽海は 19場所で優勝3度、164勝106敗だったのに、 対戦相手自体は あまり変わらない大関になった途端、4場所で23勝29敗8休みという体堕落(ていたらく)。 親方から 『大関になった後の稽古量でその先に辿り着くかどうかが決まる』と指導され、大関昇進の夜から、さらに稽古量を増やした貴乃花と若乃花(三代目)。 体力で圧倒的に勝る同期生ですでに先輩横綱となっていた曙と対峙する為、マスコミからお声がかかっても親方がテレビ出演を断り、稽古に集中していたそうです。 “大関を取りに行く ” 関取たちの夢である大関昇進して、取材・テレビ出演・昇進パレード・祝賀会・贔屓筋との宴などで多忙になりがちな大関昇進。 当然のように稽古不足となり、持ち上げられて有頂天となるのが多くの力士ですが、 大鵬・柏戸、輪島・北の湖・千代の富士ら、大関を わずか3~7場所で駆け抜けていった強豪横綱は、強いライバルがいたことで、大関昇進の美酒に酔いしれている暇などありませんでした。 要は、本人の気持ちの問題ですねえ。
大相撲どすこい研 第15回 しこ名編 力士の魂 しこ名は体を表す 11月10日(木) BS 1 午後9:00~午後9:50(50分) 11月13日(日) 午前7:00~午前7:49(49分) 感動!大相撲がっぷり総見 ~いよいよ明日!九州場所を百倍楽しく見る極意~ BSフジ 11/12(土) 14:00~15:25 大相撲の見どころと魅力のすべてを毎場所前にお届け! 今回は九州場所直前、元関脇・琴錦こと朝日山親方と相撲好き・唐橋ユミが、 選りすぐりの取り組みを徹底解析し、本場所の行方を占う!
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千代の富士が引退を決断したのは、
当時の若花田・貴花田など新世代の力士たちの台頭が大きな要因となりました。
「今、相撲ブームだと言われている。いい現状でしょう。こういう相撲熱の盛んな時代がずうっとずうっと続いていってほしいと思います。そのためには皆に頑張ってもらわねばね」 引退時の言葉だ。当時の若貴ブームを喜びつつ、自らが角界を引っ張ってきたという自負もちょっぴりと見せていた。
そして思い起こせば、
1981昭和56年名古屋場所で優勝した千代の富士がついに横綱昇進を決めた時、
有頂天になっていた千代の富士に対して、師匠九重(元横綱北の富士)が放った言葉
1981年7月場所後、千代の富士が横綱に昇進した夜、
「ウルフ(千代の富士のあだ名)よ、辞める時はスパッと潔く・綺麗に辞めような。 チンタラチンタラと横綱を務めるんじゃねえぞ」と、千代の富士に引き際の美学を説いた。
当時の千代の富士は面食らいながらも、1991年5月場所限りで引退した時は正にこの言葉通り、潔いものでした。
横綱になった日から引退する日のことを考える……というのは
栃木山⇒栃錦・千代の山⇒北の富士⇒千代の富士と
教え継がれたものでした。
名伯楽 北の富士さん
千代の富士にまつわる4つの言葉
<名言1>
体で負けているんだから、気力では負けるな。
(九重親方)
◇解説◇
北の富士勝昭さんは現在、御年80歳。大相撲テレビ・ラジオ中継で舌鋒鋭く関取を評する人気解説者だ。そんな北の富士さんは現役時代、幕内最高優勝10回を果たすなど第52代横綱として、1960~70年代の角界を大いに盛り上げた。
さらに九重親方時代に大横綱・千代の富士を育て上げたことで名伯楽としても知られている。1991年、千代の富士引退にあたってNumberのインタビューに応じてくれた九重親方。
「ハンディを乗り越え、千代の富士は何故最強たりえたか」というテーマでの取材に、包み隠さず本音で語っている。
「体は小さい、そして怪我も多かったけれど、しかし、強靭なバネとか運動神経、集中力といった点で、やはり天才的なものを持っていたんじゃないですか。(中略)それに加えて研究熱心。相撲に対する集中力も凄いし、とにかく精神面が大きかったと思うんです」 「それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも…」 千代の富士と言えば筋力トレーニングで鍛えた圧倒的な肉体美とともに、自分よりも一回り近く大きい力士に対しても全く臆せず挑んでいく姿だった。
その心技体が相撲ファンにとどまらず世間一般にも強烈な印象を与えることになったのだが、当時九重親方は「気力で負けるな」と伝えるとともに、このようにも助言していたと明かす。
「『横綱でも何でも土俵に上がったら五分と五分なんだから、うんと睨んで、それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも威嚇しろ。何か言われたら俺が責任をとるから、とにかくいけ』と言ってけしかけました。だからあの頃さかんに、たいして厚くもない胸をぐっとそらしてた。それでも効果があったと思いますよ」 千代の富士という存在自体で、相手を威圧する。それが圧倒的だったオーラの正体なのかもしれない。
なお千代の富士も九重親方からの教えについて、このように語っていたことがある。
「右肩まで脱臼した時、親方に、お前は、こんないい相撲を前に取ったこともあるじゃないか、それなら、肩にも負担がかからないし、いいんじゃないかと言われて、それが前まわしを取って頭をつける相撲だった」
度重なる脱臼の大ケガと向き合い、心身ともにバージョンアップさせていった取り口。それが千代の富士を“小さな大横綱”へと導くことになる。
つづく
大相撲九州場所前半
北の富士さんの解説スケジュール
テレビ
初日
五日目(木曜)
ラジオ
三日目(火曜)
七日目(土曜)
その他の主な解説者
テレビ
三日目 秀ノ山親方(元琴奨菊
四日目 鶴竜親方
六日目 武隈親方(元豪栄道
ラジオ
二日目 西岩親方(元若ノ里
四日目 井筒親方(元豊ノ島
逸ノ城残念だね。
発散出来なくて内にたまるタイプだから、酒に飲まれてしまうのかねー
暴力はいかんよ!
果たして九州場所ではどんな精神状態なのかね。
明日を楽しみにまってます。
博多…といえば
水炊き がありますね。
鉄鍋餃子も旨いし、明太子もありますが、
やっぱり水炊きが一番好きかな。
九州場所といえば、千代の富士!
横綱になってから引退までの10年間の九州場所では、8年連続9回の優勝。優勝を逃した平成元年も13勝2敗での準優勝。
この10年間の九州場所での勝敗は136勝14敗、休場なし、勝率.906。
博多の絶品料理を食べて優勝しまくってました。
戦後最高となった53連勝をして千秋楽に横綱大乃国に敗れたのも昭和63年の九州場所でしたね。
逸ノ城問題
この問題に関して、相撲協会はあくまで「疑惑止まり」といったスタンスで、13日初日の11月九州場所には出場可能としている。
もっとも、逸ノ城の酒癖は、角界では昔から有名だったという。
ある若手親方が言う。
「普段は温厚な好青年。酒も少量なら問題ないのだが、酔っぱらうと人が変わったように “凶暴”になる。
怒鳴るわ、手が出るわ と散々です。
実は5、6年前の地方巡業でも、夜のお店でトラブルを起こし、巡業を休場したことがあった」 師匠は厳しく育てなかったのか。
「湊親方は気が優しすぎて、弟子に強く言えないタイプ。おかみも逸ノ城のことを我が子同然に可愛がっており、厳しく叱ったりはしない。そもそも、逸ノ城は今の親方が育てた唯一の関取。部屋は彼ひとりでもっているも同然なので、強い態度に出られない。仮に逸ノ城が廃業となったら、本人の次に困るのは湊部屋そのものですからね。そうした事情を逸ノ城も理解しているので、泥酔すると普段は抑えているテングの鼻が顔を出してしまうのではないか」(前出の親方)
どんな事情であれ、暴力は御法度。暴力排除に力を入れている相撲協会としては、なおさらではないか。
・・・協会は即刻、調査すべきですねえ。
某与党と一緒で、巷の声が大きくならないと腰を上げない相撲協会。重い腰は相撲では有利ですが、問題発生時にはすぐに調査して、その上で、問題なしならそれはそれで仕方ない。
しかし、過去の北尾の例からも、残念ながら「言語道断、解雇やむ無し」というところでしょう。
これを許したら、他の部屋でも類似事件が起きそうで、女将さんは怖くて力士たちの面倒などみれなくなりますね。
逸ノ城が暴行傷害
大相撲の元関脇で西前頭2枚目逸ノ城(29)=湊部屋、モンゴル出身=と師匠の湊親方(54)=元幕内湊富士=との確執が深刻化し、逸ノ城がおかみに暴力を振るった疑惑があることが10日、分かった。日本相撲協会ではすでに逸ノ城と師匠を個別に呼び出し、事態を把握。複数回にわたって事情を聴いている。13日に初日を迎える九州場所(福岡国際センター)には、常軌を逸した師弟関係のまま出場するという。
会話が成り立たない。そもそも、受け答えがない。常軌を逸脱した師弟関係に陥ったまま、逸ノ城が九州場所を迎える。名古屋場所で初優勝した逸ノ城 ですが私生活では以前から過度な飲酒が問題視されていて、部屋関係者によると温厚な性格としながらも泥酔すると姿が一変するという。
「師匠からの再三の注意もあり、本人も自覚はしていたが、店で来客とトラブルを起こしそうになったり、おかみにも手をかけることがあった」と、女将が暴行を受けた際にてきた痣を見たこともあったらしい。
アルコール中毒なとのカウンセリングを受けるなど禁酒に取り組んだ時期もあり、昨年12月からは部屋を離れて一人暮らしを始めたそうですが、2月頃には再び飲酒の影響で稽古を無断で休むようになり、連絡が取れないこともあった。湊親方は3月に協会へ実情を報告したが、逸ノ城は態度を硬化。代理人を立て「これからは弁護士を通さないと師匠の言うことはきかない」と通告してきたという。
親方と本人の亀裂はいっそう深まり、初優勝の余韻が冷めない8月には協会の公式ユーチューブ番組の撮影を土壇場でキャンセル。収録をやり直す事態となり、師匠は再び部屋で暮らすことを強く勧めた。だが、関係者によると「逸ノ城との関係は遮断されてしまった」とのこと。
女将さんに怪我を負わせて角界を追放された北尾改め双羽黒を思い出しますね。
たった4場所の在位で大関の座から陥落した御嶽海。
ここで二桁勝利→特例での大関復帰 を果たせなければ、
年6場所制となってから最短在位記録の大受を超えて、史上最短大関という不名誉な記録となります。
(大受=高島部屋 新大関の1973年9月場所は腰痛の影響もあり八日目から途中休場。2場所目の翌11月場所でいきなり大関角番となったが 9勝6敗と勝ち越し角番脱出。しかしそれ以降も首・右膝の故障にも悩まされ、1974年3月場所で九日目から再び途中休場。2度目の角番で迎えた同年5月場所で6勝9敗と負け越し、大関の地位で2場所連続負け越したため関脇へ陥落。 大関在位はたった5場所に終わり、最高位が大関だった力士では6場所制になってからは、今のところ、大受が歴代1位の短命記録。
(御嶽海はまだまだ大関復帰の可能性があり、大受の短命記録を更新したことにはなってない)
(短命大関の2位は増位山、栃ノ心、朝乃山の7場所)
今朝の読売新聞スポーツ欄でも、
『むらっ気があり下位の力士への取りこぼしや 土俵際で粘らずあっさり土俵を割る。』など叱咤・激励文のような記事が800文字もの長文で載ってました。
関脇の時の御嶽海は 19場所で優勝3度、164勝106敗だったのに、
対戦相手自体は あまり変わらない大関になった途端、4場所で23勝29敗8休みという体堕落(ていたらく)。
親方から
『大関になった後の稽古量でその先に辿り着くかどうかが決まる』と指導され、大関昇進の夜から、さらに稽古量を増やした貴乃花と若乃花(三代目)。
体力で圧倒的に勝る同期生ですでに先輩横綱となっていた曙と対峙する為、マスコミからお声がかかっても親方がテレビ出演を断り、稽古に集中していたそうです。
“大関を取りに行く ” 関取たちの夢である大関昇進して、取材・テレビ出演・昇進パレード・祝賀会・贔屓筋との宴などで多忙になりがちな大関昇進。
当然のように稽古不足となり、持ち上げられて有頂天となるのが多くの力士ですが、
大鵬・柏戸、輪島・北の湖・千代の富士ら、大関を わずか3~7場所で駆け抜けていった強豪横綱は、強いライバルがいたことで、大関昇進の美酒に酔いしれている暇などありませんでした。
要は、本人の気持ちの問題ですねえ。
今 始まったNHK①の「ニュースliveゆう5時」で
“ゆう5時 相撲部”のコーナーにて
九州場所の展望を放送します。
大相撲どすこい研
第15回 しこ名編
力士の魂 しこ名は体を表す
11月10日(木)
BS 1
午後9:00~午後9:50(50分)
11月13日(日)
午前7:00~午前7:49(49分)
感動!大相撲がっぷり総見 ~いよいよ明日!九州場所を百倍楽しく見る極意~
BSフジ 11/12(土)
14:00~15:25 大相撲の見どころと魅力のすべてを毎場所前にお届け! 今回は九州場所直前、元関脇・琴錦こと朝日山親方と相撲好き・唐橋ユミが、 選りすぐりの取り組みを徹底解析し、本場所の行方を占う!