大相撲のコメント部屋

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大相撲のコメント部屋 へのコメント 2,166件 』

  • 投稿者:KON

    朝乃山 幕内復帰はお預け
    3月12日に初日を迎える大相撲春場所の番付が発表された。先場所、西十両12枚目で14勝1敗の成績をあげて優勝した朝乃山が「幕内復帰なるか」と注目されたが、東十両筆頭にとどまった。
    一横綱一大関という異例の番付が続き、上位陣になかなか安定した成績を残す力士がいないなかで、正攻法の四つ相撲が取れる朝乃山の復活を願う声は多い。そうしたなか、春場所での幕内復帰が叶わなかったことについて、相撲担当記者は「順当な判断ではある」と話す。
    「今回、幕内から陥落したのは全休の逸ノ城、途中休場の栃ノ心、幕尻で負け越した千代丸の3人。これに引退した隠岐の海のぶんを合わせて、昇格できるのは『4枠』だった。十両からの昇格候補には武将山(西筆頭・9勝)、北青鵬(東2枚目・9勝)、金峰山(東5枚目・11勝)、大翔鵬(西6枚目・12勝)と上位で好成績を残した力士が多く、朝乃山はその次の5番手でした」

     同じ番付で同じ成績を残したとしても、他の上位の力士の成績によってどれだけ枚数を上げられるかが変わるため、“番付は生き物”とも称される。先場所、幕下15枚目格付け出しで7戦全勝優勝した落合の十両昇格も微妙な判断だったが、大きな話題を呼んで注目を集めた落合は、幕下東5枚目の塚原(5勝2敗)といった他の候補を抑えるかたちで十両昇格が決まった。
    ちなみに「新十両」は化粧廻しなどの準備があるため番付編成会議当日に発表されるが、その他の新番付は番付発表日まで極秘扱いとなる。そうしたなかで、「朝乃山の再入幕はあり得る」という周囲の期待も高まっていた。
    「結局、完全に客観的な判断なんて、なかなかできない。番付編成会議は審判委員が集まって議論するが、各一門から選ばれた審判委員は一門の利益代表でもある。マスコミの新番付予想が外れることが少なくないことからもわかるように、番付と勝ち星を対照していくのは簡単ではない。だからこそ、今回の朝乃山のように微妙なケースは少なくないのです。そういった場合には一門の力関係が影響したり、協会や審判部長の顔色を見ながら議論が進められたりすることもある。
    伊勢ヶ濱審判部長(元横綱・旭富士)時代は協会側の意向が露骨に反映されたように見える判断もあったが、今回については星勘定に基づく順当な判断になったようだ」(相撲ジャーナリスト)
    これで朝乃山の「年内の大関復帰」がなくなったことだけはたしかだ。場所前、朝乃山は高砂部屋に出稽古に来た若隆景に4勝0敗、霧馬山に8勝4敗と三役力士を圧倒。三役も含め関取衆7人とは26番取って20勝6敗という数字を残し、幕内に復帰すれば優勝争いを引っ張るのではないかとも言われていた。
    「基本的に、幕内下位で優勝しても三役になれない。大関昇進には “三役で3場所33勝”が目安といわれるため、朝乃山が再入幕で優勝したとしても、大関昇進には5場所かかる計算となるわけです。次の春場所で十両にとどまる以上は、最短コースと囁かれていた“年内での大関昇進”はできなくなった」
     思わぬかたちで“優勝候補”が十両にとどまることとなり、先場所の優勝で綱取りがかかる大関・貴景勝には追い風になるということになるのだろうか。十両の朝乃山にばかり期待が集まるのは、上位陣の不安定な相撲への不満の裏返しでもある。春場所の土俵が、そうした不満を払拭する内容となってもらいたい。

    ・・・春場所で大勝ちして夏場所で幕内5~7枚目ぐらいに上がれば、夏場所13勝、名古屋場所に三役で13勝以上での優勝、秋場所でも13勝以上での優勝を果たせば、一気に大関昇進の可能性は残ってますね。

  • 投稿者:KON

    千代の富士のもうひとつの側面を一番知ってる実姉がロングインタビューに答えた
    『ウルフ・ザ・ストーリー』8

    どんどん遠くなっていった弟の存在

    ――報道もたくさんされるようになりましたね。
    A
     いい記事だったら、気分があがるだろうけど、やっぱりだんだん名前が売れていくと、いいことばっかりでもない。悪いことだってあるじゃないですか。それはもう本人じゃないとわからないですよ。数えたことはないけど、記者さんは何十か来ていたのかな。青函トンネル関連の仕事をしていた私の職場に来たこともあったりして。ウルフフィーバーってのは本当にすごくて、実家に来た人を対応して終わったら電話かかってくるしで、最終的には実家の電話番号を変えました。

    -―初優勝を果たした1981年に千代の富士関は一気に横綱となりました。その時のやりとりは?
    A
     なんかお祝い事があるから親連れてきてくれみたいな感じで。そういう感じで行ったりきたりはしましたけど。もうそうなったら「テレビに出てくる人」って感じ? 変ないい方だけど、どんどんこう遠くなっていく感じ。
    でも帰ってきて会うと何分もしないうちにやっぱり身内なんですよね。目つきが鋭い印象ありますけど、話してみると意外と三枚目で、冗談も言うんですよ。
    横綱になった時、北の富士さんのところへ挨拶に行って、「(北の富士さんは)なんて言ったと思う?」って。
    私が わからない って言うと、「辞める時はパッとな」って言われたっていうんですよ。「は?」っていう気持ちだったと。横綱になったばかりなのに。そんな笑い話をまじめな顔して言うもんだから、そのギャップがまた面白かったんですよ。

    (つづく)

  • 投稿者:KON

    大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の新番付を発表されました。
    注目の元大関で先場所十両Vの朝乃山(高砂)は 東十両筆頭となり、期待されていた再入幕はならなかった。新関脇には霧馬山(陸奥)が、新入幕には東前頭14枚目・金峰山(木瀬)、西14枚目・武将山(藤島)、東15枚目・北青鵬(宮城野)の3人が昇進を果たしました。
    大栄翔と翔猿(ともに追手風)が小結に復帰。
    正代(時津風)が西関脇から西前頭筆頭に、明生(立浪)が東小結から西4枚目に、高安(田子ノ浦)が東関脇から西7枚目に番付を下げた。
    また、栃ノ心(春日野)と逸ノ城(湊)が十両に転落。元幕内の照強は、西十両10枚目から西幕下筆頭に落ちた。 所要1場所での史上最速新十両昇進となった落合は、西十両14枚目に。
    外国出身力士としては史上2位のスロー昇進となる所要68場所で新十両となった玉正鳳は東13枚目となった。 再十両は西13枚目・友風(二所ノ関)と東14枚目・徳勝龍(木瀬)。
    友風は2020年春場所以来17場所ぶりの十両で、幕内経験者が序二段降下後に十両復帰は照ノ富士(伊勢ケ浜)、宇良(木瀬)以来史上3人目のカムバック。徳勝龍の36歳6か月での再十両は戦後4番目の高齢昇進となりました。

  • 投稿者:KON

    千代の富士のもうひとつの側面を一番知ってる実姉がロングインタビューに答えた
    『ウルフ・ザ・ストーリー』7

    「次は北海道新幹線で帰る」は叶わなかった…千代の富士の姉が語る“晩年のウルフ”「引退後は本当に柔らかい表情になっていた」「ある日、ポツリと…」

    力士を引退後は九重親方として千代大海などを指導、日本相撲協会の要職を歴任した。親方として地元に戻った時に姉に語っていたのは…

    「小さい頃はくるくるっとした目でしたけど、相撲の、勝負の世界に入ってからはやっぱりあのキリッとした勝負師の顔になりましたよね。でも引退して数年たったら本当に柔らかい表情になっていたんですよ」

     優勝31回、通算1045勝を挙げ、2016平成28年7月に亡くなった千代の富士。姉の小笠原佐登子さんはフィーバー前夜と引退後の様子を今でも懐かしそうに思い出す。

     ちょっと前には「カッコイイと思って思わず保存したけど、なんて言う名前の力士なんですかね?」と大相撲をよく知らない若い人から千代の富士の現役時代の「鋼の肉体」写真が投稿され、令和のツイッター上で注目を集めている“小さな大横綱”。
    角界で初の国民栄誉賞を受賞した千代の富士。

    相撲が楽しいというのは聞いたことがない

    ――千代の富士関から「相撲が楽しい」みたいな言葉って聞いたことがありますか?
    A
     楽しいっていうのは聞いたことがない。私が東京からこっちに戻ってきた後、実家に電話をかけてくるときもあったけど、やはり声のトーンで気分転換でかけてきたんだなと思うこともありましたね。良いときは「頑張るからね」という感じですけど、悪いときは冗談でも言ったら「何言ってんだ」みたいな“物言い”がつくんです(笑)。想像もつかないですけど、大変だったと思いますよ。

    ――お姉さんには素直な思いを吐き出していたんですね。
    1974昭和49年11月場所から十両に上がり、翌1975昭和50年9月場所から20歳で初入幕。一度幕下陥落を経験しながら、その後は出世街道を歩み、上京から10年経った1980昭和55年には関脇となり、翌年の1月場所で無敵の大横綱北の湖を倒して初優勝を果たします。
    当時、地元の雰囲気はどうだったんでしょうか?
    A
    もともとはこの田舎でも「五体満足では帰ってこれないんじゃないか」と心配する声が聞こえてきましたね。でも小結に上がったくらいになると、その日勝つと花火があがったりして、
    「ああ、今日千代の富士勝ったんだ」ってみんな わかる感じでね、地域あげて応援してくれていたと思います。初優勝の時は親戚が20人くらい集まって、みんなで『万歳!』って言ったの覚えてますけどもね。

    (つづく)

  • 投稿者:KON

    千代の富士のもうひとつの側面を一番知ってる実姉がロングインタビューに答えた
    『ウルフ・ザ・ストーリー』6

    ―相撲を取り出してから、初めての大きなケガとなった右足の踝(くるぶし)の骨折があった時(1971年秋頃)、お姉さんが見舞いに行ったそうですね。
    A
    この時の様子はハッキリと覚えています。
     あの時は勝ちだしてきて、自分もノッてきている時だったから、次の日に「こんど休みになったらボウリングに行こうね」って約束していたんです。でも直前に「行けなくなった、足を骨折した」って、電話かかってきて。
    中野の(立正)佼成会病院に入院している…とのことで行くと、毛布をかぶって、顔を出さなかったんです。自分としては怪我して、初めての怪我だし、心細かったのもあっただろうし。まあ調子に乗れてきている時だったし。だから余計にショックだったのかな、と思いましたよ。そして、やっぱり意地もあったんでしょうね。

    弟の存在が逆に私にとって助けになっていました

    ――そうしてお姉さんが励まして、好成績につながった。
    A
     いや、そんなにね。まあ「がんばれがんばれ」って言った覚えもないし。
    でも私にしてみれば、1人で東京に出てきてデパートでは「田舎まる出し」というわけにも行かず、言葉も苦労した部分はあったし、そういう中で弟の存在が逆に私にとって助けになっていましたね。

    弟・千代の富士と助け合いながら佐登子さんは約3年の東京での生活を終え、地元に戻る。
    帰郷後、佐登子さんが「どんどん強くなった」と振り返る、あの空前絶後の大相撲中継最高視聴率52.1%を記録した初優勝から始まった “ウルフフィーバー”が到来する。

    (つづく)

  • 投稿者:SAI

    1991年の五月場所で千代の富士が
    引退してから30年以上ですね
    どんなドラマよりも千代の富士物語の方が
    面白かったと思います!
    これからも頑張って下さい♪

  • 投稿者:KON

    国民栄誉賞を受賞した元横綱・千代の富士(2016年に死去)が建てた旧・九重部屋が、飲食店に改装されて「ちゃんこ千代の富士」としてオープンしました。実際の稽古で使われていた土俵の横で、九重部屋伝統のちゃんこ料理を堪能できるとあって、2月20日の開店初日から予約がいっぱいになっているという。
    オーナーは元・千代の富士の未亡人。九重部屋のちゃんこの味が楽しめるたけでなく、店内には歴代3位となる31回の優勝を誇る“ウルフ”に縁のある貴重な展示品などが多数揃えられている。現役最後の優勝時(1990年11月場所)で締めていた綱や、優勝トロフィーが飾られ、部屋に所属する力士の四股名が書かれた木札も当時のまま残されている。
     今回、ちゃんこ店となった墨田区石原の建物は、1993年に新しく建てられたもの。1991年5月に現役を引退した千代の富士は、功績著しい横綱経験者のみが現役時代の四股名のまま親方になれる「一代年寄」を襲名する話もあったが、辞退して九重部屋を継承することを決めた。1992年4月には、先代の師匠にあたる元横綱・北の富士と名跡交換をして、「九重親方」となっている。
    北の富士は陣幕親方として協会の広報部長の仕事に専念することになったが、現役の親方が部屋の師匠を譲るのはレアなケースだった。ただ、部屋の建物を巡っては複雑な経過があったという。
    「引退した力士が親方として相撲協会に残るために必要な『年寄株』が高額で売買されてきたことは知られていますが、部屋持ち親方となるためにはさらに稽古場という“不動産”の取得費用も必要。先代から部屋を継ぐにあたって、価格交渉など不動産の譲渡がスムーズにいかないことは間々ある。
    千代の富士のケースでも、襲名当初は先代である北の富士が部屋を構えていた墨田区亀沢の土地・建物をそのまま使っていたが、譲り受けるかたちにはならなかった。千代の富士が意外と蓄えを持ち合わせてなかったせいで譲渡の金額などの条件面が全く折り合わなかったとされ、千代の富士が住居にしていた墨田区石原に新たに九重部屋を建てることになった。そして、もともとの九重部屋の建物では、千代の富士の弟弟子にあたる元横綱・北勝海が八角部屋を興すことになったのです」(相撲ジャーナリスト)
     1993年9月に独立した八角部屋には力士4人に加え、当時の九重部屋の部屋付き親方全4人(陣幕=元・北の富士、君ヶ濱=元関脇・北瀬海、谷川=元前頭・白田山、錦戸=元前頭・富士乃真)が移籍することとなった。
    「当時、北勝海が千代の富士に対して、新しい部屋に行司と床山を1人ずつまわしてほしいと頭を下げたところ、“ダ~メッ!”の一言だったという。そうやって関係がこじれ、先代の北の富士さんを筆頭とする親方衆がみんな八角部屋に移っていった。北の富士・北勝海連合と千代の富士との対立関係という構図です。ご意見番として協会に大きな影響力を持つ北の富士の後ろ盾があったからこそ、北勝海は理事長まで上り詰められた。それに対し、千代の富士は高砂一門内に支援者が集まらず、理事選への出馬すらままならない状態が続いたのです」(同前)
     元はと言えば、九重部屋を名門にするために一代年寄襲名を辞退したはずが、歯車が大きく狂ってしまったわけである。
    歴史は繰り返す?
     ただ、指導者としての千代の富士の実力はたしかなものだったと証言する関係者は少なくない。ある親方は言う。
    「大卒や外国出身者の弟子を取らず、高卒や中卒の力士を一から育てた。厳しい指導で知られ、“昭和の大横綱”と呼ばれた大鵬、北の湖、千代の富士の3人のうち、弟子の育成に成功したのは千代の富士だけ。大関・千代大海をはじめ、多くの関取を誕生させた。稽古はビデオ撮影して、所用で稽古に出られない時は、帰宅してからチェックしていた。
    ただし、協会幹部として多忙だった千代の富士の留守を守るはずの部屋頭の千代大海がまるで指導せずに私用電話に明け暮れて残りの力士たちは伸び悩んだ。
    しかし、千代の富士と 弟子の一人ひとりとの連絡ノートは有名で、親方が必ず一言書いて返していたそうです。部屋の関取が全員勝った日は焼き肉が食卓に並び、部屋の関係者で一丸となって所属力士を応援するなど、弟子を育てる能力や体制づくりには定評がありました」
     2016年7月に亡くなったあと、九重部屋を継いだのは元大関・千代大海だ。継承時は墨田区石原の部屋を使っていたが、2021年2月に葛飾区奥戸に移転している。
    「本来は国民栄誉賞まで受賞した大横綱が稽古をつけていた部屋を、愛弟子としてそのまま継いでいくべきなのでしょうが、それができないのが相撲界の病理。結局、北の富士から千代の富士へと部屋の土地・建物が渡らなかったのと同様に、千代の富士から千代大海にも継がれることはなかった。もともとの九重部屋の土地・建物を購入できなかった千代大海は、葛飾区の土地を借りるかたちにしてその上に部屋を建てたのです」(ベテラン記者)
     歴史は繰り返されるといったところだろうか。一代年寄襲名を辞退してまで建てた「九重部屋」はかくして、ちゃんこ店へと転じることとなった。

    ・・・「ちゃんこ千代の富士」……1度は行ってみたいですねえ。

  • 投稿者:KON

    力士のテレビ出演情報

    今夜

    2/25 土 21:00 〜 21:54
    SHOWチャンネル なにわ男子道枝&大西が潜入!
    大人気ダイソー100円の謎

    1億3000万人のSHOWチャンネル
    ▼なにわ男子道枝&大西が潜入!ダイソー100円で売れる秘密とは?7万点以上の中からナンバーワン商品も登場
    ▼行列の先に何があるんだSP第三弾!札幌で早朝から行列ができる真っ赤な苺大福&兵庫発!1円で買える激安家具&横浜発!
    ▼剣翔関&翔猿関仲良し2人が話題の食べ放題に挑戦!牛タン&カニでどれだけ元が取れるのか
    ▼阿部サダヲ&&玉森裕太&ルセラフィム・サクラ

    【MC】櫻井翔 【スタジオ】羽鳥慎一、小峠英二、吉村崇/朝日奈央、阿部サダヲ、いとうあさこ、大西流星(なにわ男子)、SAKURA(LE SSERAFIM)、玉森裕太(Kis-My-Ft2)、道枝駿佑(なにわ男子)、
    【ロケ】剣翔桃太郎、翔猿正也
    【アシスタント】浦野モモ(日本テレビアナウンサー)

  • 投稿者:KON

    千代の富士のもうひとつの側面を一番知ってる実姉がロングインタビューに答えた
    『ウルフ・ザ・ストーリー』5

    ―-東京で改めて再会した時のことを覚えていますか?
    そして彼の活躍をどう見守っていたのでしょうか?
    A
    仕事で忙しくて国技館に見に行くことはなかったですけど、本場所中は勤務先の会社まで行く途中の御徒町駅のガード下でスポーツ新聞を買って、職場のロッカーで昨日の勝敗をチェックしていましたね。うちの親も取組を国技館で直接見たことは1度もなかったと思います。
    引退式の時だけ国技館に見に行きましたね。

    ――途中、弟さんは高校を辞める決断もします。
    A
    半年くらい高校には通っていましたけど、本人のなかで思うところがあったんでしょうね
    「学校辞める。相撲一本にする」と聞いたときはびっくりしました。けど、二足のわらじの状態でしたからね。そして、自分の下にも力士が入ってくるし…
    “相撲一本にして頑張るぞ”と意気込んで取り組むようになった。そしたら成績も上向いていった感じですよね。

    (つづく)

  • 投稿者:KON

    「えっ、あのアナウンサーが?」とニュースに仰天した。
    昨年の名古屋場所まで大相撲中継を担当していたNHK札幌放送局アナウンサー、船岡久嗣容疑者(47)の住居侵入事件。
    今月17日夜、東京都中野区のマンション内に無断で侵入し、3階の共用部分のベランダから地上に飛び降りけがをして2日間入院後、警視庁中野署に逮捕された。
    マンションにはNHKの後輩女性アナが住んでいるといわれ、部屋から激しく言い争う声が聞かれた後あわてて飛び降りたとかでストーカー行為も疑われる。「相撲実況は描写が的確できめ細かい。2児の父で、まじめで温かな人柄がにじみ出ていただけに信じられない」とあるNHK関係者は首を振った。
    NHKのスポーツ中継は大相撲、プロ野球、Jリーグが三本柱。相撲だけで十数人のアナがいてBSやラジオからスタートし十両、幕内と番付が上がる。船岡容疑者はその中で「準エース格」(関係者)といわれたが、昨年札幌に転勤となり相撲を外れたのがショックだったとか。
    船岡容疑者は相撲以外、フィギュアスケートやテニスなどの実況も器用にこなしたようだが、そっち方面は不器用だったのか…。受信料不払いにもつながるだけにNHKはこの手の不祥事に厳しい。解説の北の富士さんとの軽妙な掛け合いも二度と聞けないだろう。
    サンケイスポーツ今村忠

    ・・・昨年の秋以降、大相撲中継でメインの進行担当や支度部屋でのインタビュー係にもなっていなかったので、体調不良かと思ってましたら、まさか札幌へ異動していたとは……

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