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放送日知らせてくれてありがとう。 楽しみにまってるわ。 北の富士さんでてほしいけどね。 おばちゃんの仲間は北の富士さんが夜のヒットスタジオで唄ったのみてるからね! まだ当たり前だけど太って丸々してた頃、今の方が数倍ステキだよね。
4日に行われたNHKの福祉大相撲 まだ、何日にNHKで 放送する日にちはわかりませんが 今月中にはNHKでテレビ放送するらしいので 高安の歌も聞けますよ 放送の日にちが決まったら また、ここで誰かが教えてくれるでしょうから 大丈夫ですよ 放送が楽しみですね
大相撲ダイアリー 2月6日 1937昭和12年のこの日、 歴代横綱最高勝率 .966 を記録、“雷電為右衛門の再来” “45日”=ひと突き半の異名があった剛力横綱 太刀山峰右衛門が、大相撲史上初めてとなる「還暦土俵入り」を行ないました。 前例のないことでしたが、太刀山の贔屓筋らが音頭をとって催されたもので、上野精養軒の大広間にて、特別誂えの赤いまわしをつけて見事な横綱土俵入りを行ないました。 太刀山が 22代横綱でしたから、太刀山以降50人以上の横綱が誕生、まだ60歳を迎えてない10人を除いても40人からの横綱が誕生しましたが、 元横綱の寿命そのものが短かったことや、60歳時点で体調不良でまわしをつけて横綱土俵入りを行なうことができず辞退された人も数多く、 還暦土俵入りを行なえたのは、 22代横綱太刀山を皮切りに、27代の栃木山、31代の常ノ花、44代の栃錦、45代の初代若乃花、48代の大鵬、52代の北の富士、57代の三重ノ海、55代の北の湖、58代の千代の富士、63代の旭富士……の計11人。 北の富士さんは、還暦の時には協会を退職していたので、国技館の使用が認められず、都内のホテル(ホテルイースト21 江東区東陽町)で行なわれ、多く報道陣にも囲まれて、56歳の頃からスタートしたNHK大相撲中継の解説者としても好評で、還暦にしてなお衰えない人気ぶりでした。 今年2023令和5年で、それまでの大相撲中継解説者として最長だった玉の海梅吉さんに追い付く「解説者生活25年目」に入りました。 他には、神風正一さんの13年間(1953年~1966年)、出羽錦忠雄さんの9年間(1990年~1999年)、緒方昇さん=元関脇北の洋の12年間(1988年~2000年)といった面々も名解説を繰り広げていましたね。
NHK 福祉大相撲 高安関が妻・杜このみさんの前で美声を披露。 昭和の名曲「バス・ストップ」を唄いきったそうです。客席には高安関のお母さんビビリタさんも応援に来ていました。 4日、東京・両国国技館で行なわれた福祉大相撲。 コロナ禍で中止が続いており、2020年以来3年ぶりの開催となりました。 人気コーナー「お楽しみ歌くらべ」では、高安関の他に、シンガー・ソングライターの関取花(せきとり・はな、32)が初めて出演。 幕内・平戸海(22=境川部屋)と「ロンリー・チャップリン(鈴木聖美with RATS&STAR)」をデュエットで歌唱。その後、アコースティックギターの弾き語りで自身の代表曲「もしも僕に」を披露しました。 相撲と縁の深いように思える「関取花(せきとり はな)」という名前は本名。 テレビで大相撲を見る度に「関取」という言葉に反応していたそうで「意識しちゃいますね」と笑った。 音楽界の「関取」が相撲界の「関取」と初めて夢の共演。 「“名前枠だろ”と言われそうだけど、ここに立つのが夢だったんです」と喜びを表しました。 関取さんは、生まれて間もなく親の都合でドイツに移り、10歳の時に帰国した帰国子女。 ほかに翔猿関もアイドルグループ・STU48とブラックビスケッツの「タイミング」を披露歌を披露したようですし、女性歌手のゲストには山形出身で元民謡全国チャンピオンの朝倉さやさん、“歌唱力怪獣”島津亜矢さんも出演します。 福祉大相撲のテレビ中継がいっそう楽しみになってきました。 NHK①での放送予定がありますが、放送日は2月中だそうですが、まだ決まってません。
温故知新・大相撲ダイアリー 2月5日 1944昭和19年のこの日 大阪市で善竹正夫(後の横綱 玉の海正洋)が生まれました。 生後すぐに大阪空襲により両親が正夫を連れて愛知県蒲郡へ疎開、そこで育ったので、大相撲での呼び上げては「愛知県蒲郡市出身」となっていました。 また、それよりさかのぼること50余年、1892明治25年の2月5日には 栃木県藤岡町で後の大横綱栃木山守也が生まれました。 栃木山については、“古今十傑の一人”として「横綱勝率 .935」など度々紹介してきましたので、今回は第51代横綱玉の海正洋について少し詳しく触れます。 右四つ左上手の型を極め、力士としては小柄な175cmながら吊り出しや上手投げが得意で下位の力士にほとんど負けない安定感を見せていました。 まだ玉乃島と名乗っていた大関時代、1967昭和42年11月場所から大関で3場所連続準優勝し勝ち星も3場所35勝(11勝・12勝・12勝)ながら、横綱昇進を見送られ、その翌場所に13勝で初優勝し3場所37勝となったのにここでも横綱昇進は再び見送られた。 二所一門だったからか、不可解な協会判断でした。 しかし1年半後の昭和44年秋場所から13勝(優勝)→10勝→13勝(優勝同点)の3場所36勝ながら、大横綱大鵬が衰えを見せていたこともあり、言わば協会都合で、2場所連続優勝した北の富士とともに “横綱同時昇進”。 協会が喉から手が出るほど欲しかった「次代を担う若者“北・玉”」という角界の明るい話題となりました。 ついに横綱になり玉の海と改名してからは、 13勝2敗(準優勝)→12勝3敗(準優勝)→9勝6敗→14勝1敗(優勝)→14勝1敗(優勝)→14勝1敗(優勝同点)→14勝1敗(優勝)→13勝2敗(準優勝)→15戦全勝(優勝)→12勝3敗(準優勝)と圧倒的成績で この10場所での優勝4回は北の富士と同数(残りの2場所の優勝は大鵬)ながら、 玉の海正洋の130勝20敗は、この間に2度全勝優勝していた北の富士の122勝28敗(大鵬は88勝16敗11休みでそのまま引退)を大きく上回りました。 この間、優勝はすべてこの3横綱で独占していたのでした。 玉の海の横綱時代の成績がこの10場所だけなのは、10場所目の直後の巡業先で、薬で散らしていた虫垂炎が悪化して腹膜炎をこじらせ急逝していたからです。 享年27歳 奇しくも、同じ二所一門の大先輩横綱で、大関で3場所連続優勝したにもかかわらず横綱昇進を見送られようやく横綱に上がったのに(やはり)虫垂炎をこじらせ現役死した玉錦 三右エ門の横綱在位11場所とほぼ同じような横綱在位場所数(10場所)での悲しい旅立ちでした。
大相撲ダイアリー 2月4日 1967昭和42年2月4日、九重親方(元横綱千代の山)が大関北の富士とともに新設された九重部屋で看板掛け。分家を認めないしきたりの出羽海部屋から絶縁を言い渡されて独立、10人の力士を連れて高砂一門としてスタートしました。 ご存知 北の富士をはじめ千代の富士、北勝海の各横綱、大関千代大海らを輩出し、部屋別優勝回数で、出羽海部屋や時津風部屋・高砂部屋・春日野部屋など 並みいる大所帯の名門部屋を抑えて第1位となりました。
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放送日知らせてくれてありがとう。
楽しみにまってるわ。
北の富士さんでてほしいけどね。
おばちゃんの仲間は北の富士さんが夜のヒットスタジオで唄ったのみてるからね!
まだ当たり前だけど太って丸々してた頃、今の方が数倍ステキだよね。
4日に行われた福祉大相撲は
今月の23日の祭日に午後4時半から
NHKで放送されるそうです
楽しみですね
4日に行われたNHKの福祉大相撲
まだ、何日にNHKで
放送する日にちはわかりませんが
今月中にはNHKでテレビ放送するらしいので
高安の歌も聞けますよ
放送の日にちが決まったら
また、ここで誰かが教えてくれるでしょうから
大丈夫ですよ
放送が楽しみですね
大相撲ダイアリー
2月6日
1937昭和12年のこの日、
歴代横綱最高勝率 .966 を記録、“雷電為右衛門の再来” “45日”=ひと突き半の異名があった剛力横綱 太刀山峰右衛門が、大相撲史上初めてとなる「還暦土俵入り」を行ないました。
前例のないことでしたが、太刀山の贔屓筋らが音頭をとって催されたもので、上野精養軒の大広間にて、特別誂えの赤いまわしをつけて見事な横綱土俵入りを行ないました。
太刀山が 22代横綱でしたから、太刀山以降50人以上の横綱が誕生、まだ60歳を迎えてない10人を除いても40人からの横綱が誕生しましたが、
元横綱の寿命そのものが短かったことや、60歳時点で体調不良でまわしをつけて横綱土俵入りを行なうことができず辞退された人も数多く、
還暦土俵入りを行なえたのは、
22代横綱太刀山を皮切りに、27代の栃木山、31代の常ノ花、44代の栃錦、45代の初代若乃花、48代の大鵬、52代の北の富士、57代の三重ノ海、55代の北の湖、58代の千代の富士、63代の旭富士……の計11人。
北の富士さんは、還暦の時には協会を退職していたので、国技館の使用が認められず、都内のホテル(ホテルイースト21 江東区東陽町)で行なわれ、多く報道陣にも囲まれて、56歳の頃からスタートしたNHK大相撲中継の解説者としても好評で、還暦にしてなお衰えない人気ぶりでした。
今年2023令和5年で、それまでの大相撲中継解説者として最長だった玉の海梅吉さんに追い付く「解説者生活25年目」に入りました。
他には、神風正一さんの13年間(1953年~1966年)、出羽錦忠雄さんの9年間(1990年~1999年)、緒方昇さん=元関脇北の洋の12年間(1988年~2000年)といった面々も名解説を繰り広げていましたね。
日本大相撲トーナメント
大栄翔勇人・優勝おめでとう!
ゲストのハライチも朝霞市出身で
埼玉栄出身で追手風部屋で
何もかも埼玉県尽くしで
驚いたと思います?
これからも頑張って下さい♪
昨日の?福祉大相撲の歌合戦聞きたかったわ。
高安関の歌ききたかわ。上手なんだろうね
NHK 福祉大相撲
高安関が妻・杜このみさんの前で美声を披露。
昭和の名曲「バス・ストップ」を唄いきったそうです。客席には高安関のお母さんビビリタさんも応援に来ていました。
4日、東京・両国国技館で行なわれた福祉大相撲。
コロナ禍で中止が続いており、2020年以来3年ぶりの開催となりました。
人気コーナー「お楽しみ歌くらべ」では、高安関の他に、シンガー・ソングライターの関取花(せきとり・はな、32)が初めて出演。
幕内・平戸海(22=境川部屋)と「ロンリー・チャップリン(鈴木聖美with RATS&STAR)」をデュエットで歌唱。その後、アコースティックギターの弾き語りで自身の代表曲「もしも僕に」を披露しました。
相撲と縁の深いように思える「関取花(せきとり はな)」という名前は本名。
テレビで大相撲を見る度に「関取」という言葉に反応していたそうで「意識しちゃいますね」と笑った。
音楽界の「関取」が相撲界の「関取」と初めて夢の共演。
「“名前枠だろ”と言われそうだけど、ここに立つのが夢だったんです」と喜びを表しました。
関取さんは、生まれて間もなく親の都合でドイツに移り、10歳の時に帰国した帰国子女。
ほかに翔猿関もアイドルグループ・STU48とブラックビスケッツの「タイミング」を披露歌を披露したようですし、女性歌手のゲストには山形出身で元民謡全国チャンピオンの朝倉さやさん、“歌唱力怪獣”島津亜矢さんも出演します。
福祉大相撲のテレビ中継がいっそう楽しみになってきました。
NHK①での放送予定がありますが、放送日は2月中だそうですが、まだ決まってません。
温故知新・大相撲ダイアリー
2月5日
1944昭和19年のこの日
大阪市で善竹正夫(後の横綱 玉の海正洋)が生まれました。
生後すぐに大阪空襲により両親が正夫を連れて愛知県蒲郡へ疎開、そこで育ったので、大相撲での呼び上げては「愛知県蒲郡市出身」となっていました。
また、それよりさかのぼること50余年、1892明治25年の2月5日には
栃木県藤岡町で後の大横綱栃木山守也が生まれました。
栃木山については、“古今十傑の一人”として「横綱勝率 .935」など度々紹介してきましたので、今回は第51代横綱玉の海正洋について少し詳しく触れます。
右四つ左上手の型を極め、力士としては小柄な175cmながら吊り出しや上手投げが得意で下位の力士にほとんど負けない安定感を見せていました。
まだ玉乃島と名乗っていた大関時代、1967昭和42年11月場所から大関で3場所連続準優勝し勝ち星も3場所35勝(11勝・12勝・12勝)ながら、横綱昇進を見送られ、その翌場所に13勝で初優勝し3場所37勝となったのにここでも横綱昇進は再び見送られた。
二所一門だったからか、不可解な協会判断でした。
しかし1年半後の昭和44年秋場所から13勝(優勝)→10勝→13勝(優勝同点)の3場所36勝ながら、大横綱大鵬が衰えを見せていたこともあり、言わば協会都合で、2場所連続優勝した北の富士とともに “横綱同時昇進”。
協会が喉から手が出るほど欲しかった「次代を担う若者“北・玉”」という角界の明るい話題となりました。
ついに横綱になり玉の海と改名してからは、
13勝2敗(準優勝)→12勝3敗(準優勝)→9勝6敗→14勝1敗(優勝)→14勝1敗(優勝)→14勝1敗(優勝同点)→14勝1敗(優勝)→13勝2敗(準優勝)→15戦全勝(優勝)→12勝3敗(準優勝)と圧倒的成績で
この10場所での優勝4回は北の富士と同数(残りの2場所の優勝は大鵬)ながら、
玉の海正洋の130勝20敗は、この間に2度全勝優勝していた北の富士の122勝28敗(大鵬は88勝16敗11休みでそのまま引退)を大きく上回りました。
この間、優勝はすべてこの3横綱で独占していたのでした。
玉の海の横綱時代の成績がこの10場所だけなのは、10場所目の直後の巡業先で、薬で散らしていた虫垂炎が悪化して腹膜炎をこじらせ急逝していたからです。
享年27歳
奇しくも、同じ二所一門の大先輩横綱で、大関で3場所連続優勝したにもかかわらず横綱昇進を見送られようやく横綱に上がったのに(やはり)虫垂炎をこじらせ現役死した玉錦 三右エ門の横綱在位11場所とほぼ同じような横綱在位場所数(10場所)での悲しい旅立ちでした。
大相撲ダイアリー
2月4日
1967昭和42年2月4日、九重親方(元横綱千代の山)が大関北の富士とともに新設された九重部屋で看板掛け。分家を認めないしきたりの出羽海部屋から絶縁を言い渡されて独立、10人の力士を連れて高砂一門としてスタートしました。
ご存知 北の富士をはじめ千代の富士、北勝海の各横綱、大関千代大海らを輩出し、部屋別優勝回数で、出羽海部屋や時津風部屋・高砂部屋・春日野部屋など 並みいる大所帯の名門部屋を抑えて第1位となりました。
今、4時45分に始まりましたNHK①「テレビ70年史」
舞の海さんが巨躯曙を三所攻めで倒した場面や白鵬関などが放映されそうです。
18:00まで