大相撲のコメント部屋

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応援コメント一覧 全2,410件

  1. #138131 | 匿名 |
    元大関朝潮の長岡末弘さんが亡くなりました。もう一度大ちゃん節聞きたかったよなあ。
  2. #138129 | KON |
    訃報 「大ちゃん」の愛称で人気を博した大相撲の元大関・朝潮の長岡末弘(ながおか・すえひろ)さんが亡くなったことが3日分かりました。 67歳。高知県出身。 1955年(昭和30)12月9日、高知県生まれ、近大時代にアマ横綱を2年連続で獲得し、鳴り物入りで高砂部屋入門。1978年春場所に幕下付け出しで初土俵を踏んだ。 わずか4場所のスピード出世で入幕。 部屋の由緒あるしこ名「朝潮太郎」(4代目)を名乗り大関に昇進。1985年春場所では13勝2敗で初優勝を果たしましたが横綱昇進は叶わず。89年春場所で引退。 幕内での通算成績は63場所で531勝371敗(33休)、優勝1回、殊勲賞10回、敢闘賞3回、技能賞1回。 90年3月に若松部屋を創設し、2002年2月には高砂部屋と合併し7代目高砂を襲名。 2000年2月から08年1月まで、4期8年にわたり日本相撲協会理事を務める一方で、横綱・朝青龍、大関・朝乃山らを育て、20年11月に定年。再雇用制度を利用し部屋付き親方となったが、21年5月に朝乃山に新型コロナウィルスの感染防止ガイドライン違反が発覚。自らも度重なる違反があり、退職されました。 ご冥福をお祈りします
  3. #138100 | KON |
    力士のテレビ出演 11/2 木 TBS⑥ ニンゲン観察バラエティ モニタリング スポーツの秋!食欲の秋SP!! 20:00 〜 21:57 【もしも…大食い女子と合コンしたら?】 大食い美女3人が10kgの海鮮丼を…現役関脇・若元春が参戦!力士軍団と大食い女子がちゃんこ鍋対決! 他 【コスプレ歌声クイズ!】 【もしも…買い物中の店に川口春奈がいたら?】 【MC】ブラックマヨネーズ(小杉竜一・吉田敬) 【レギュラー】 川口春奈 小泉孝太郎 笹野高史 NAOTO ハリセンボン(箕輪はるか・近藤春菜) (50音順) 【ゲスト】池田美優 川田裕美 鷲見玲奈 井桁弘恵 槙野智章 富栄ドラム 【出演】もえのあずき 若元春 小倉優子 尾上右近 金ちゃん(鬼越トマホーク) 土屋アンナ 中山エミリ 片岡鶴太郎 以上 敬称略
  4. #138093 | KON |
    西十両6枚目の伯桜鵬(20)=本名落合哲也、鳥取県出身、宮城野部屋=が九州場所(12日初日・福岡国際センター)を休場。 8月末に左肩関節脱臼の手術を受けて秋場所を全休。師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)が復帰時期について「来年の初場所」と明言した。初場所での幕下転落は確実。 伯桜鵬は新入幕だった名古屋場所では千秋楽まで優勝争いに加わり、11勝4敗で敢闘賞と技能賞を受賞。 さらなる飛躍を期待されたが、将来を見据えて古傷の左肩を手術。年内復帰は絶望的と見られていた。 九州場所で十両に転落していた。 伯桜鵬は名古屋場所中に怪我をしていたにも関わらず、千秋楽まで優勝争いを行なっていた為、強行出場していたツケが回ってきたのでは? との意見も多いようですね。
  5. #138069 | KON |
    九州場所 今場所の成績(勝ち星)で、年間最多勝が決まります。 ここまで、 大栄翔が今年の5場所合計51勝で、年間最多勝争い単独首位に立っています。 2位は霧島と豊昇龍の大関2人がともに49勝。 この6~7年ほど、特に令和になってから 年間最多勝のレベルが一段と下がってきていて、“群雄割拠”というか “どんぐりの背比べ”というか…… 誰でもチャンスがありますね。 平成29年 白鵬 56勝25休 平成30年 栃ノ心 59勝8休 令和元年 朝乃山 55勝 令和2年 貴景勝 51勝3休 令和3年 照ノ富士 77勝 令和4年 若隆景 57勝 令和5年 ? 年間6場所制以降の年間最多勝は 70勝~80勝以上が当たり前……という時代もあり、大鵬・北の湖・千代の富士・貴乃花・朝青龍・白鵬らのような “1強時代”あり、 栃若・柏鵬・北玉・輪湖・曙貴のように 盟友との2横綱が優勝を独占しあう時代もありました。 年間80勝以上で2年続けて最多勝だったのは、昭和49年・50年の北の湖、平成6年・7年の貴乃花、平成21年・22年と平成25年・26年の白鵬。 ただし3年連続80勝は 誰も達成してません。 年間75勝以上にハードルを下げると 昭和51年~55年までの5年連続で年間最多勝は75勝以上でした。 この時の年間最多勝受賞者は輪島・北の湖・北の湖・北の湖・北の湖 でした。 北の湖が『憎たらしいほど強い』と言われた時代でしたね。
  6. #138023 | 匿名 |
    ちんぷんかんぷんな事いう横審もいらないな!日大関係、横審は解体しないと、又繰り返しだぞ。
  7. #138016 | KON |
    先の秋場所は大関貴景勝(27=常盤山)が11勝4敗で4度目の優勝を達成。ただ、物足りない成績だったことから九州場所での綱取りには慎重論も少なくない。審判部長の佐渡ヶ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「千秋楽まで見てみないと何とも言えない」と明言を避けている。 一方で、横綱審議委員会の山内昌之委員長(東大名誉教授)は「優勝した事実が大事」と星数は問題視しない方針。 貴景勝が九州場所で2場所連続優勝を果たしたとしても、横綱昇進を巡って議論が紛糾する可能性もある。 平成以降に誕生した横綱11人は、いずれも昇進直前の2場所で合計26勝以上を挙げている。 貴景勝が異論なく綱取りを果たすためには、全勝優勝などハイレベルな成績を残す必要がありそう。 という記事ですが…… ・・・ “異論なく綱獲り”って……、横綱審議会の内規に「直前2場所で26勝以上」などという内規は存在しません。 ガタガタ異論を唱えて騒ぎ立てるのはマスコミ。 過去のデータの中から都合のいい部分を切り取って紹介して自分たちの記事に正当性を持たせようという “いつもの手”。 「平成以降」という縛りを取っ払えば 8人もの横綱が直前2場所で25勝以下で昇進しています。 直前2場所で25勝以下で横綱昇進を果たした例 (ひと場所15日制が確立されて以降) 北勝海  25勝 大乃国  25勝 玉の海  23勝 大 鵬  25勝 柏 戸  23勝 朝 潮  24勝 初代若乃花25勝 千代の山 22勝 26勝未満でも、大横綱になってる力士がたくさんいますね。
  8. #138012 | 匿名 |
    大怪我で番付を下げて、 やっと十両に戻ってきていた友風が  幕内に戻ってきました 大したものだと思います 幕内に戻ってきてくれて嬉しいけど また、怪我をしないようにして欲しいです
  9. #138011 | 匿名 |
    やはり朝乃山は 番付が東の1枚目でした 先場所にあと1勝してれば小結になれてたかもですが  足を肉離れしたそうだし 小結に上がっても休場や負け越しの可能性もあったかもしれません 朝乃山はアチコチ怪我して痛めてますが 基礎訓練というか、四股などが足りないのか? 長い休場で身体が戻ってないのか? 今年最後の11月場所には活躍して三役に上がって欲しかったけど 怪我したとなると期待できません 来年には三役に上がってて欲しいけと 中々、足踏み状態ですね 
  10. #137992 | KON |
    『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』が、 実は 相撲部屋に入門し新弟子検査にも合格していた⁉️ 記事によると 1964昭和39年、鶴田は中学2年生の夏に大相撲の朝日山部屋に入門させられた。 (当時の朝日山親方は元幕内の二瀬山) これは、本人の意思ではなく、相撲好きの親戚に連れられて東京見物に行った時に体験入門させられ、自覚のないまま新弟子検査に合格してしまったから、「した」ではなく「させられた」なのだそう。  結局、鶴田は決心がつかずに夏休みが終わると、故郷に戻った。そのあたりの事情について兄・鶴田恒良はこう語る。 「本人は〝ちょっと夏休みに……〞ってことだったんじゃないかなと思うんだけど、新弟子検査に受かっちゃうと、なかなか辞めさせてくれなくて、それで叔父の甲斐錦に頼んで、間に入って話をしてもらって、帰してもらえたんです」  叔父の甲斐錦は父・林の弟で、17歳の時に松ヶ根部屋に入門。 昭和38年5月場所で初土俵を踏み、昭和50年1月場所から二所ノ関部屋に移って最高位は西前頭12枚目。 叔父の甲斐錦を通して入門を希望すれば、二所ノ関部屋所属になっていたはず。 そうなると鶴田は天龍の弟弟子になっていた。 で、朝日山部屋入門を固辞して実家に戻った鶴田を待っていたのは周囲の冷たい目。 「相撲の稽古が辛くて逃げ帰ってきたらしい」 「身体は大きくても根性なしだ」と、陰口を叩かれて、鶴田は憂鬱な日々を過ごしていたという。 若くして人生の岐路を経験した鶴田さん。 アマレスでミュンヘンオリンピック日本代表となり、馬場さんの誘いで全日本プロレスに入門。 着実に力をつけて、“日本人初のAWA世界ヘビー級チャンピオン”となった鶴田さん。 相撲取りにならなくて正解だった と思います。

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