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九州場所 今場所の成績(勝ち星)で、年間最多勝が決まります。 ここまで、 大栄翔が今年の5場所合計51勝で、年間最多勝争い単独首位に立っています。 2位は霧島と豊昇龍の大関2人がともに49勝。 この6~7年ほど、特に令和になってから 年間最多勝のレベルが一段と下がってきていて、“群雄割拠”というか “どんぐりの背比べ”というか…… 誰でもチャンスがありますね。 平成29年 白鵬 56勝25休 平成30年 栃ノ心 59勝8休 令和元年 朝乃山 55勝 令和2年 貴景勝 51勝3休 令和3年 照ノ富士 77勝 令和4年 若隆景 57勝 令和5年 ? 年間6場所制以降の年間最多勝は 70勝~80勝以上が当たり前……という時代もあり、大鵬・北の湖・千代の富士・貴乃花・朝青龍・白鵬らのような “1強時代”あり、 栃若・柏鵬・北玉・輪湖・曙貴のように 盟友との2横綱が優勝を独占しあう時代もありました。 年間80勝以上で2年続けて最多勝だったのは、昭和49年・50年の北の湖、平成6年・7年の貴乃花、平成21年・22年と平成25年・26年の白鵬。 ただし3年連続80勝は 誰も達成してません。 年間75勝以上にハードルを下げると 昭和51年~55年までの5年連続で年間最多勝は75勝以上でした。 この時の年間最多勝受賞者は輪島・北の湖・北の湖・北の湖・北の湖 でした。 北の湖が『憎たらしいほど強い』と言われた時代でしたね。
先の秋場所は大関貴景勝(27=常盤山)が11勝4敗で4度目の優勝を達成。ただ、物足りない成績だったことから九州場所での綱取りには慎重論も少なくない。審判部長の佐渡ヶ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「千秋楽まで見てみないと何とも言えない」と明言を避けている。 一方で、横綱審議委員会の山内昌之委員長(東大名誉教授)は「優勝した事実が大事」と星数は問題視しない方針。 貴景勝が九州場所で2場所連続優勝を果たしたとしても、横綱昇進を巡って議論が紛糾する可能性もある。 平成以降に誕生した横綱11人は、いずれも昇進直前の2場所で合計26勝以上を挙げている。 貴景勝が異論なく綱取りを果たすためには、全勝優勝などハイレベルな成績を残す必要がありそう。 という記事ですが…… ・・・ “異論なく綱獲り”って……、横綱審議会の内規に「直前2場所で26勝以上」などという内規は存在しません。 ガタガタ異論を唱えて騒ぎ立てるのはマスコミ。 過去のデータの中から都合のいい部分を切り取って紹介して自分たちの記事に正当性を持たせようという “いつもの手”。 「平成以降」という縛りを取っ払えば 8人もの横綱が直前2場所で25勝以下で昇進しています。 直前2場所で25勝以下で横綱昇進を果たした例 (ひと場所15日制が確立されて以降) 北勝海 25勝 大乃国 25勝 玉の海 23勝 大 鵬 25勝 柏 戸 23勝 朝 潮 24勝 初代若乃花25勝 千代の山 22勝 26勝未満でも、大横綱になってる力士がたくさんいますね。
やはり朝乃山は 番付が東の1枚目でした 先場所にあと1勝してれば小結になれてたかもですが 足を肉離れしたそうだし 小結に上がっても休場や負け越しの可能性もあったかもしれません 朝乃山はアチコチ怪我して痛めてますが 基礎訓練というか、四股などが足りないのか? 長い休場で身体が戻ってないのか? 今年最後の11月場所には活躍して三役に上がって欲しかったけど 怪我したとなると期待できません 来年には三役に上がってて欲しいけと 中々、足踏み状態ですね
『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』が、 実は 相撲部屋に入門し新弟子検査にも合格していた⁉️ 記事によると 1964昭和39年、鶴田は中学2年生の夏に大相撲の朝日山部屋に入門させられた。 (当時の朝日山親方は元幕内の二瀬山) これは、本人の意思ではなく、相撲好きの親戚に連れられて東京見物に行った時に体験入門させられ、自覚のないまま新弟子検査に合格してしまったから、「した」ではなく「させられた」なのだそう。 結局、鶴田は決心がつかずに夏休みが終わると、故郷に戻った。そのあたりの事情について兄・鶴田恒良はこう語る。 「本人は〝ちょっと夏休みに……〞ってことだったんじゃないかなと思うんだけど、新弟子検査に受かっちゃうと、なかなか辞めさせてくれなくて、それで叔父の甲斐錦に頼んで、間に入って話をしてもらって、帰してもらえたんです」 叔父の甲斐錦は父・林の弟で、17歳の時に松ヶ根部屋に入門。 昭和38年5月場所で初土俵を踏み、昭和50年1月場所から二所ノ関部屋に移って最高位は西前頭12枚目。 叔父の甲斐錦を通して入門を希望すれば、二所ノ関部屋所属になっていたはず。 そうなると鶴田は天龍の弟弟子になっていた。 で、朝日山部屋入門を固辞して実家に戻った鶴田を待っていたのは周囲の冷たい目。 「相撲の稽古が辛くて逃げ帰ってきたらしい」 「身体は大きくても根性なしだ」と、陰口を叩かれて、鶴田は憂鬱な日々を過ごしていたという。 若くして人生の岐路を経験した鶴田さん。 アマレスでミュンヘンオリンピック日本代表となり、馬場さんの誘いで全日本プロレスに入門。 着実に力をつけて、“日本人初のAWA世界ヘビー級チャンピオン”となった鶴田さん。 相撲取りにならなくて正解だった と思います。
白黒の映像や写真で見ましたが 琴櫻さんと言えば力強くて 若い時のジョージ・フォアマンが 余りにもゴッツくて ビビったと聞いた事があります! 親方としても琴富士や琴錦さん等 優勝力士を何人か輩出してますし ああいう体型の孫では荷が重いです? あの世代でしたら日翔志の方が これからも頑張って下さい♪
琴ノ若の祖父の琴櫻は、 1960年代に現れた偉大な二大横綱(大鵬と柏戸)、そして “栃錦をも超える業師”と言われた栃の海、大部屋で稽古相手に恵まれた出羽の海で突き押し(特に突っ張り)を磨いて綱獲りを果たしていた佐田の山などが上にいたために 星が伸びず、 さらには 素質の塊のような北の富士と右四つの型を完成させていた玉の海にも置いていかれた琴櫻。 自他共に認める不器用な力士 琴櫻は ひたすら稽古に励み、頼み込んで出羽の海部屋にまで出稽古し、出稽古後に佐渡ヶ巌部屋に戻ってから弟弟子たちに稽古をつけていたという。そんな努力を重ね、昭和47年の九州場所にて大関で優勝し、翌場所にも優勝して第53代横綱に昇進した “稽古虫”の琴櫻でした。 琴ノ若には、早く大関たちに追いつき、一気に抜き去って横綱になって欲しい。 「祖父も孫も横綱」という前代未聞の快挙に期待! 王鵬より先に達成しそうです!
『次の大関は俺』 気を吐く琴ノ若 秋巡業での公開稽古は横綱・大関が申し合い稽古を行なわない中、関脇・琴ノ若(=佐渡ケ嶽)が15番取って14勝1敗と存在感を示した。 稽古時間はあらかじめ決まっており、通常なら横綱、大関が申し合い稽古を行うため三役以下は番数が少なくなる傾向が強いが、この日は琴ノ若が土俵を“ひとり占め”した。重厚感のある攻めで、幕内・明生、豪ノ山、王鵬らを圧倒。 いきなり6連勝し、豪ノ山に一気に攻め込まれて土俵を割ってしまったが、再び土俵に上がると稽古時間終了まで土俵を占領し(勝ち続け)て8連勝で稽古を終えたという。 「疲れた。連続でとると長く感じる。部屋と違って自分のタイミングじゃないので」と漏らすものの、表情は明るい。 これまでは詰めの甘さも課題だったが、この日は土俵際での粘りも発揮。 「土俵際の逆転で拾えているのは大きい。褒められる内容ではないけど、成長も感じる」という。 今年初場所の小結昇進から三役で5場所連続で勝ち越し中の期待の星。「ここで止まることが目標でもないので、しっかりとやっていきたい」と話した。 17日の多治見巡業からこの日で「12連勤」。移動も長いため疲労は想像を絶するものがあるが「辛抱して乗り越えるとレベルアップできる。体とうまく向き合いながら、基礎を固めてやりたい」という。 祖父である先代(元横綱・琴桜)が定年を迎え、師匠(元関脇・琴ノ若)が部屋を継承したのが18年前の九州場所。 自身の誕生日も九州場所八日目の11月19日と縁の多い場所に向け「関取で初めて2ケタ勝てたのも九州だった。(先代に)良い報告ができたらいい」と気合を入れた。
28日に広島市で行なわれた秋巡業で元大関で幕内・朝乃山(高砂)が朝稽古で左ふくらはぎ付近を痛め、29日に大阪・門真市で開かれる秋巡業最終日を休場することになりました。 ぶつかり稽古で小結・錦木(伊勢ノ海)を押している最中に、突然動きを止めた。 顔をゆがめながら土俵を降りると、左ふくらはぎ付近を押さえた。左脚を引きずり花道を後にしたという。 その後、幕内・正代(時津風)との取組が同・王鵬(大嶽)に代わったことが発表されました。 この日は申し合いでは相撲を取らなかったが、最後のぶつかり稽古で力を入れた矢先の負傷。支度部屋では明るい表情もみせていたが、取材対応はせずに午後1時頃、荷物を持って会場を出たという。 巡業部副部長で高砂部屋付きの若松親方(元幕内・朝乃若)は九州場所(11月12日初日・福岡国際センター)が行われる福岡へ向かったことを明かした。大阪・門真市で行われる巡業を「休場する」と明言した。週明けにも福岡県内の病院で、診察を受ける予定。関係者によると肉離れの疑いがあるという。場所前の稽古は患部の様子をみながら、慎重に行なうことになりそう。 ・・・ 朝乃山……軟弱過ぎ⤵️。 下半身の鍛え方が全く足りてない❗
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九州場所
今場所の成績(勝ち星)で、年間最多勝が決まります。
ここまで、
大栄翔が今年の5場所合計51勝で、年間最多勝争い単独首位に立っています。
2位は霧島と豊昇龍の大関2人がともに49勝。
この6~7年ほど、特に令和になってから
年間最多勝のレベルが一段と下がってきていて、“群雄割拠”というか “どんぐりの背比べ”というか……
誰でもチャンスがありますね。
平成29年 白鵬 56勝25休
平成30年 栃ノ心 59勝8休
令和元年 朝乃山 55勝
令和2年 貴景勝 51勝3休
令和3年 照ノ富士 77勝
令和4年 若隆景 57勝
令和5年 ?
年間6場所制以降の年間最多勝は
70勝~80勝以上が当たり前……という時代もあり、大鵬・北の湖・千代の富士・貴乃花・朝青龍・白鵬らのような “1強時代”あり、
栃若・柏鵬・北玉・輪湖・曙貴のように 盟友との2横綱が優勝を独占しあう時代もありました。
年間80勝以上で2年続けて最多勝だったのは、昭和49年・50年の北の湖、平成6年・7年の貴乃花、平成21年・22年と平成25年・26年の白鵬。
ただし3年連続80勝は 誰も達成してません。
年間75勝以上にハードルを下げると
昭和51年~55年までの5年連続で年間最多勝は75勝以上でした。
この時の年間最多勝受賞者は輪島・北の湖・北の湖・北の湖・北の湖 でした。
北の湖が『憎たらしいほど強い』と言われた時代でしたね。
ちんぷんかんぷんな事いう横審もいらないな!日大関係、横審は解体しないと、又繰り返しだぞ。
先の秋場所は大関貴景勝(27=常盤山)が11勝4敗で4度目の優勝を達成。ただ、物足りない成績だったことから九州場所での綱取りには慎重論も少なくない。審判部長の佐渡ヶ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「千秋楽まで見てみないと何とも言えない」と明言を避けている。 一方で、横綱審議委員会の山内昌之委員長(東大名誉教授)は「優勝した事実が大事」と星数は問題視しない方針。
貴景勝が九州場所で2場所連続優勝を果たしたとしても、横綱昇進を巡って議論が紛糾する可能性もある。
平成以降に誕生した横綱11人は、いずれも昇進直前の2場所で合計26勝以上を挙げている。
貴景勝が異論なく綱取りを果たすためには、全勝優勝などハイレベルな成績を残す必要がありそう。
という記事ですが……
・・・
“異論なく綱獲り”って……、横綱審議会の内規に「直前2場所で26勝以上」などという内規は存在しません。
ガタガタ異論を唱えて騒ぎ立てるのはマスコミ。
過去のデータの中から都合のいい部分を切り取って紹介して自分たちの記事に正当性を持たせようという “いつもの手”。
「平成以降」という縛りを取っ払えば 8人もの横綱が直前2場所で25勝以下で昇進しています。
直前2場所で25勝以下で横綱昇進を果たした例
(ひと場所15日制が確立されて以降)
北勝海 25勝
大乃国 25勝
玉の海 23勝
大 鵬 25勝
柏 戸 23勝
朝 潮 24勝
初代若乃花25勝
千代の山 22勝
26勝未満でも、大横綱になってる力士がたくさんいますね。
大怪我で番付を下げて、
やっと十両に戻ってきていた友風が
幕内に戻ってきました
大したものだと思います
幕内に戻ってきてくれて嬉しいけど
また、怪我をしないようにして欲しいです
やはり朝乃山は
番付が東の1枚目でした
先場所にあと1勝してれば小結になれてたかもですが
足を肉離れしたそうだし
小結に上がっても休場や負け越しの可能性もあったかもしれません
朝乃山はアチコチ怪我して痛めてますが
基礎訓練というか、四股などが足りないのか?
長い休場で身体が戻ってないのか?
今年最後の11月場所には活躍して三役に上がって欲しかったけど
怪我したとなると期待できません
来年には三役に上がってて欲しいけと
中々、足踏み状態ですね
『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』が、
実は
相撲部屋に入門し新弟子検査にも合格していた⁉️
記事によると
1964昭和39年、鶴田は中学2年生の夏に大相撲の朝日山部屋に入門させられた。
(当時の朝日山親方は元幕内の二瀬山)
これは、本人の意思ではなく、相撲好きの親戚に連れられて東京見物に行った時に体験入門させられ、自覚のないまま新弟子検査に合格してしまったから、「した」ではなく「させられた」なのだそう。
結局、鶴田は決心がつかずに夏休みが終わると、故郷に戻った。そのあたりの事情について兄・鶴田恒良はこう語る。
「本人は〝ちょっと夏休みに……〞ってことだったんじゃないかなと思うんだけど、新弟子検査に受かっちゃうと、なかなか辞めさせてくれなくて、それで叔父の甲斐錦に頼んで、間に入って話をしてもらって、帰してもらえたんです」
叔父の甲斐錦は父・林の弟で、17歳の時に松ヶ根部屋に入門。
昭和38年5月場所で初土俵を踏み、昭和50年1月場所から二所ノ関部屋に移って最高位は西前頭12枚目。
叔父の甲斐錦を通して入門を希望すれば、二所ノ関部屋所属になっていたはず。
そうなると鶴田は天龍の弟弟子になっていた。
で、朝日山部屋入門を固辞して実家に戻った鶴田を待っていたのは周囲の冷たい目。
「相撲の稽古が辛くて逃げ帰ってきたらしい」
「身体は大きくても根性なしだ」と、陰口を叩かれて、鶴田は憂鬱な日々を過ごしていたという。
若くして人生の岐路を経験した鶴田さん。
アマレスでミュンヘンオリンピック日本代表となり、馬場さんの誘いで全日本プロレスに入門。
着実に力をつけて、“日本人初のAWA世界ヘビー級チャンピオン”となった鶴田さん。
相撲取りにならなくて正解だった
と思います。
白黒の映像や写真で見ましたが
琴櫻さんと言えば力強くて
若い時のジョージ・フォアマンが
余りにもゴッツくて
ビビったと聞いた事があります!
親方としても琴富士や琴錦さん等
優勝力士を何人か輩出してますし
ああいう体型の孫では荷が重いです?
あの世代でしたら日翔志の方が
これからも頑張って下さい♪
琴ノ若の祖父の琴櫻は、
1960年代に現れた偉大な二大横綱(大鵬と柏戸)、そして “栃錦をも超える業師”と言われた栃の海、大部屋で稽古相手に恵まれた出羽の海で突き押し(特に突っ張り)を磨いて綱獲りを果たしていた佐田の山などが上にいたために 星が伸びず、
さらには
素質の塊のような北の富士と右四つの型を完成させていた玉の海にも置いていかれた琴櫻。
自他共に認める不器用な力士 琴櫻は
ひたすら稽古に励み、頼み込んで出羽の海部屋にまで出稽古し、出稽古後に佐渡ヶ巌部屋に戻ってから弟弟子たちに稽古をつけていたという。そんな努力を重ね、昭和47年の九州場所にて大関で優勝し、翌場所にも優勝して第53代横綱に昇進した “稽古虫”の琴櫻でした。
琴ノ若には、早く大関たちに追いつき、一気に抜き去って横綱になって欲しい。
「祖父も孫も横綱」という前代未聞の快挙に期待!
王鵬より先に達成しそうです!
『次の大関は俺』
気を吐く琴ノ若
秋巡業での公開稽古は横綱・大関が申し合い稽古を行なわない中、関脇・琴ノ若(=佐渡ケ嶽)が15番取って14勝1敗と存在感を示した。
稽古時間はあらかじめ決まっており、通常なら横綱、大関が申し合い稽古を行うため三役以下は番数が少なくなる傾向が強いが、この日は琴ノ若が土俵を“ひとり占め”した。重厚感のある攻めで、幕内・明生、豪ノ山、王鵬らを圧倒。
いきなり6連勝し、豪ノ山に一気に攻め込まれて土俵を割ってしまったが、再び土俵に上がると稽古時間終了まで土俵を占領し(勝ち続け)て8連勝で稽古を終えたという。
「疲れた。連続でとると長く感じる。部屋と違って自分のタイミングじゃないので」と漏らすものの、表情は明るい。
これまでは詰めの甘さも課題だったが、この日は土俵際での粘りも発揮。
「土俵際の逆転で拾えているのは大きい。褒められる内容ではないけど、成長も感じる」という。
今年初場所の小結昇進から三役で5場所連続で勝ち越し中の期待の星。「ここで止まることが目標でもないので、しっかりとやっていきたい」と話した。
17日の多治見巡業からこの日で「12連勤」。移動も長いため疲労は想像を絶するものがあるが「辛抱して乗り越えるとレベルアップできる。体とうまく向き合いながら、基礎を固めてやりたい」という。
祖父である先代(元横綱・琴桜)が定年を迎え、師匠(元関脇・琴ノ若)が部屋を継承したのが18年前の九州場所。
自身の誕生日も九州場所八日目の11月19日と縁の多い場所に向け「関取で初めて2ケタ勝てたのも九州だった。(先代に)良い報告ができたらいい」と気合を入れた。
28日に広島市で行なわれた秋巡業で元大関で幕内・朝乃山(高砂)が朝稽古で左ふくらはぎ付近を痛め、29日に大阪・門真市で開かれる秋巡業最終日を休場することになりました。
ぶつかり稽古で小結・錦木(伊勢ノ海)を押している最中に、突然動きを止めた。
顔をゆがめながら土俵を降りると、左ふくらはぎ付近を押さえた。左脚を引きずり花道を後にしたという。
その後、幕内・正代(時津風)との取組が同・王鵬(大嶽)に代わったことが発表されました。
この日は申し合いでは相撲を取らなかったが、最後のぶつかり稽古で力を入れた矢先の負傷。支度部屋では明るい表情もみせていたが、取材対応はせずに午後1時頃、荷物を持って会場を出たという。
巡業部副部長で高砂部屋付きの若松親方(元幕内・朝乃若)は九州場所(11月12日初日・福岡国際センター)が行われる福岡へ向かったことを明かした。大阪・門真市で行われる巡業を「休場する」と明言した。週明けにも福岡県内の病院で、診察を受ける予定。関係者によると肉離れの疑いがあるという。場所前の稽古は患部の様子をみながら、慎重に行なうことになりそう。
・・・
朝乃山……軟弱過ぎ⤵️。
下半身の鍛え方が全く足りてない❗