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千代の富士2 息子である秋元剛さんにも寝耳に水の出来事だった。 「もちろん驚きました。それから父が亡くなるまで1年ぐらいの話なんですよね。本当にそんなものだったのかなと感じます。すごく濃密な時間だったので、もっとずっと長かった気もします。 七月場所は内臓疾患を理由に全休。その間りました。に入院してすぐに手術に踏み切りました。 「発見が早くて、腫瘍ができたのが手術ができる箇所だったので、一回手術してしまえばきっとよくなるだろうと、父本人もですが家族全員そう思っていたんです。再発予防の治療をしながら病気と付き合いつつ、65歳の定年まで頑張って、その後のこともいろいろ考えていましたから」 がん転移が判明…夫人とともに名古屋から緊急帰京 手術は成功した。毎月の定期検診で異常は見られず、相撲協会の理事選にも一時は出馬の姿勢を示していた。もう体調に不安はないのだと、周囲も、そして本人も考えていたはずだった。 「僕らもそう思っていました」と秋元さんは言った。 ところが、年が明けてからの定期検診で胃や肝臓への転移が判明した。不屈の横綱の心が折れることはなく、病魔を打ち負かすため、さまざまな治療法を求めて日本各地に赴き、協会の職務も弟子の指導もおろそかにすることはなかった。 しかし、名古屋場所中に一気に体調が悪化。最初のがんの発見から1年が過ぎた頃だった。部屋のマネージャーから父の体調が良くないという連絡を受け、久美子夫人が迎えに行って緊急帰京。場所を途中休場して、すぐに入院することとなった。 「そこからは思いのほか早かったですね。術後も治療はしていたのですが、還暦といえど肉体が元気だったということで、その分病気の進行も早かったのかもしれません」 つづく
千代の富士。 強き横綱であり続けた男には、家族にだけ見せた優しさがあった。秋元家の長男として生まれ、ファッション業界や「株式会社秋元」取締役として活動する秋元剛氏がNumberWebに応じました。 強き横綱であり続けた男には、家族にだけ見せた優しさがあった。 6月1日の誕生日、健康診断に行くのは、親方となった千代の富士(先代の九重親方)の毎年のルーティンになっていた。2015年、還暦土俵入りを終えた翌週も例年通りに検査に出かけた。 何も問題ありません。そう言われていつものように終わるはずだったのに、この年は違った。現役時代は鋼鉄と言われ、還暦土俵入りでも披露した立派な肉体に見つかった小さな異変。医師の診断は早期のすい臓がんだった つづく
外国人問題 昨年12月末に独立した音羽山親方(38)=元横綱鶴竜。同じモンゴル出身で弟弟子の大関霧島が転籍してきたことで、入門予定の有望株に思わぬ影響が生じている。 墨田区立の旧向島言問会館をフルリノベーションした3階建ての賃貸物件に、このほど他の部屋より二回りほど大きい看板も設置され、いよいよ体制が整った音羽山部屋。しかし、春場所までに入門させるはずだった外国籍の新弟子に、日本相撲協会から〝待った〟がかかった。師匠の陸奥親方(元大関霧島)の定年で閉鎖が決まった部屋から霧島を引き受けることが決まり、各部屋1人が上限の外国人力士枠が埋まってしまったからだ。 全44部屋のうち20部屋にモンゴル人力士が在籍する一方で、先日亡くなった元横綱曙らが一時代を築いたハワイ勢はいまや全滅だという。
元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(64)が15日、X(旧ツイッター)を更新。 大相撲の第64代横綱、曙太郎さん(享年54)を悼んだ。 刈屋氏は「曙太郎さんが逝ってしまった。大関の時、横綱とはと質問した私に彼は『大関と横綱の間には川が流れている。その川は狭いようで広く、浅いようで深い。流れも遅いようで速い。命懸けでも渡れるかどうか、でも渡ってみせる』と答えた。 今後この川を渡ろうとする力士を天国から見守って下さい」と刈屋さんは呼びかけていました。 韓国やモンゴルからやってきた力士たちと違って、曙関も武蔵丸関も、そして琴欧洲関も、ルーツともいえる高見山さんも、日本人よりも日本人らしく相撲道を理解しようと努力・実践されてましたね。 小錦さんや露鵬・白露山、黒海などは、その域に到達しませんでしたね。そして高見山さんのあとに角界に入ってきたトンガの力士たち(5~6人)は論外でした。
元力士の寿命が徐々に延びてきてはいるが曙さんはまだ五十路、70代ならかなりマシなほうだ。高見山さんはもうすぐ80を迎えるというが数多くの元対戦相手の力士を見送ってしまったよね。朝潮大ちゃんも鬼籍の人だからなあ…………
靖国神社奉納大相撲 行って参りました。 毎年、とっても暑いか、昼過ぎから雨雲がやって来て にわか雨に降られるか どちらかなのですが 今年はとっても暑かったです。 6000人定員の靖国神社相撲場ですが インバウンドの影響で外国人観光客の方々がとても多かったです。 大相撲カレンダーから切り抜いた琴ノ若の写真を貼りつけた色紙とマジックを持って琴ノ若の出待ちをして、幕内土俵入りを終えて西の花道を下がってきた琴ノ若関に色紙を提示したら、歩くのを止めて、ご自分の写真が貼られた色紙を手にとって、サインをしてくれました。 相変わらず靖国神社相撲場のトイレは汚い! 日本の恥!? 昭和の40年代前半のようなトイレですねえ。汚すぎる!外国人の男女が「信じられない」の呆れてました。 直せばいいのに。 近いうちに、靖国神社に問い合わせしておきます。
貴乃花の横綱昇進後は曙さんの優勝が清涼剤となった記憶がありますね。特に阪神大震災直後の優勝は楽日決戦で貴乃花下してくれて嬉しかったな。まさに春は曙だったなあ。その場所13日間突き押しで勝ち続け若乃花に敗れた翌日の一番では一転四つ相撲で決めたあたりがニクい。貴乃花はヨミを外されたんだろな。 なんだかんだ言われながらもスポーツマンシップ、相撲愛を生涯貫き通した貴方は日本人以上の日本人でした
曙さん残念だね。まだ若いのに、 お相撲さん若死にする人多いね。 KONさん月曜日は楽しんできてね。 行ってみたいけどそれこそ上京はもう無理かな! しかしKONさんが上京って都内ではないのかい? 報告楽しみにしてるね。
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千代の富士2
息子である秋元剛さんにも寝耳に水の出来事だった。
「もちろん驚きました。それから父が亡くなるまで1年ぐらいの話なんですよね。本当にそんなものだったのかなと感じます。すごく濃密な時間だったので、もっとずっと長かった気もします。
七月場所は内臓疾患を理由に全休。その間りました。に入院してすぐに手術に踏み切りました。
「発見が早くて、腫瘍ができたのが手術ができる箇所だったので、一回手術してしまえばきっとよくなるだろうと、父本人もですが家族全員そう思っていたんです。再発予防の治療をしながら病気と付き合いつつ、65歳の定年まで頑張って、その後のこともいろいろ考えていましたから」
がん転移が判明…夫人とともに名古屋から緊急帰京
手術は成功した。毎月の定期検診で異常は見られず、相撲協会の理事選にも一時は出馬の姿勢を示していた。もう体調に不安はないのだと、周囲も、そして本人も考えていたはずだった。
「僕らもそう思っていました」と秋元さんは言った。
ところが、年が明けてからの定期検診で胃や肝臓への転移が判明した。不屈の横綱の心が折れることはなく、病魔を打ち負かすため、さまざまな治療法を求めて日本各地に赴き、協会の職務も弟子の指導もおろそかにすることはなかった。
しかし、名古屋場所中に一気に体調が悪化。最初のがんの発見から1年が過ぎた頃だった。部屋のマネージャーから父の体調が良くないという連絡を受け、久美子夫人が迎えに行って緊急帰京。場所を途中休場して、すぐに入院することとなった。
「そこからは思いのほか早かったですね。術後も治療はしていたのですが、還暦といえど肉体が元気だったということで、その分病気の進行も早かったのかもしれません」
つづく
千代の富士。
強き横綱であり続けた男には、家族にだけ見せた優しさがあった。秋元家の長男として生まれ、ファッション業界や「株式会社秋元」取締役として活動する秋元剛氏がNumberWebに応じました。
強き横綱であり続けた男には、家族にだけ見せた優しさがあった。
6月1日の誕生日、健康診断に行くのは、親方となった千代の富士(先代の九重親方)の毎年のルーティンになっていた。2015年、還暦土俵入りを終えた翌週も例年通りに検査に出かけた。
何も問題ありません。そう言われていつものように終わるはずだったのに、この年は違った。現役時代は鋼鉄と言われ、還暦土俵入りでも披露した立派な肉体に見つかった小さな異変。医師の診断は早期のすい臓がんだった
つづく
外国人問題
昨年12月末に独立した音羽山親方(38)=元横綱鶴竜。同じモンゴル出身で弟弟子の大関霧島が転籍してきたことで、入門予定の有望株に思わぬ影響が生じている。 墨田区立の旧向島言問会館をフルリノベーションした3階建ての賃貸物件に、このほど他の部屋より二回りほど大きい看板も設置され、いよいよ体制が整った音羽山部屋。しかし、春場所までに入門させるはずだった外国籍の新弟子に、日本相撲協会から〝待った〟がかかった。師匠の陸奥親方(元大関霧島)の定年で閉鎖が決まった部屋から霧島を引き受けることが決まり、各部屋1人が上限の外国人力士枠が埋まってしまったからだ。 全44部屋のうち20部屋にモンゴル人力士が在籍する一方で、先日亡くなった元横綱曙らが一時代を築いたハワイ勢はいまや全滅だという。
元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(64)が15日、X(旧ツイッター)を更新。
大相撲の第64代横綱、曙太郎さん(享年54)を悼んだ。
刈屋氏は「曙太郎さんが逝ってしまった。大関の時、横綱とはと質問した私に彼は『大関と横綱の間には川が流れている。その川は狭いようで広く、浅いようで深い。流れも遅いようで速い。命懸けでも渡れるかどうか、でも渡ってみせる』と答えた。
今後この川を渡ろうとする力士を天国から見守って下さい」と刈屋さんは呼びかけていました。
韓国やモンゴルからやってきた力士たちと違って、曙関も武蔵丸関も、そして琴欧洲関も、ルーツともいえる高見山さんも、日本人よりも日本人らしく相撲道を理解しようと努力・実践されてましたね。
小錦さんや露鵬・白露山、黒海などは、その域に到達しませんでしたね。そして高見山さんのあとに角界に入ってきたトンガの力士たち(5~6人)は論外でした。
元力士の寿命が徐々に延びてきてはいるが曙さんはまだ五十路、70代ならかなりマシなほうだ。高見山さんはもうすぐ80を迎えるというが数多くの元対戦相手の力士を見送ってしまったよね。朝潮大ちゃんも鬼籍の人だからなあ…………
靖国神社奉納大相撲
行って参りました。
毎年、とっても暑いか、昼過ぎから雨雲がやって来て にわか雨に降られるか
どちらかなのですが
今年はとっても暑かったです。
6000人定員の靖国神社相撲場ですが
インバウンドの影響で外国人観光客の方々がとても多かったです。
大相撲カレンダーから切り抜いた琴ノ若の写真を貼りつけた色紙とマジックを持って琴ノ若の出待ちをして、幕内土俵入りを終えて西の花道を下がってきた琴ノ若関に色紙を提示したら、歩くのを止めて、ご自分の写真が貼られた色紙を手にとって、サインをしてくれました。
相変わらず靖国神社相撲場のトイレは汚い! 日本の恥!?
昭和の40年代前半のようなトイレですねえ。汚すぎる!外国人の男女が「信じられない」の呆れてました。
直せばいいのに。
近いうちに、靖国神社に問い合わせしておきます。
貴乃花の横綱昇進後は曙さんの優勝が清涼剤となった記憶がありますね。特に阪神大震災直後の優勝は楽日決戦で貴乃花下してくれて嬉しかったな。まさに春は曙だったなあ。その場所13日間突き押しで勝ち続け若乃花に敗れた翌日の一番では一転四つ相撲で決めたあたりがニクい。貴乃花はヨミを外されたんだろな。
なんだかんだ言われながらもスポーツマンシップ、相撲愛を生涯貫き通した貴方は日本人以上の日本人でした
貴花田に貴ノ浪に貴闘力が
曙に勝った時は盛り上がりました!
懐かしいです
私の住まいは栃木県です。
東京へは栃木県に引っ越してから新幹線通勤で22年間、60歳で役職定年になってからは在来線で5年間、通ってました。
曙さん残念だね。まだ若いのに、
お相撲さん若死にする人多いね。
KONさん月曜日は楽しんできてね。
行ってみたいけどそれこそ上京はもう無理かな!
しかしKONさんが上京って都内ではないのかい?
報告楽しみにしてるね。