大相撲のコメント部屋

※コメントを投稿する際は「コメントのルール」を一読ください。
※誹謗中傷、なりすまし、野球に直接関係ないコメントは「NGコメント」、以上の行為を繰り返すと「NGユーザー」の対象となります。

※2019年7月1日からコメントの確認・サイト掲載時間は9時~18時の間のみです。またコメント反映までは1時間程度を目安としてください。
※フィーチャーフォン(ガラケー)の投稿機能に関しましては、動作を保証するものではありませんのでご了承ください。

externallinkコメント一覧

大相撲のコメント部屋 へのコメント 4,649件 』

  • 投稿者:KON

    寺尾三兄弟と父の鶴ヶ嶺関

    これで三兄弟ともお亡くなりになり、お父さんの鶴ヶ嶺関が一番長寿(77歳)だったとは、現代の平均寿命から考えて、余りに早逝ですね。まだまだ親方としてのご活躍を期待していました。

    父の鶴ヶ嶺が技能賞10かを含む三賞14回。
    息子たちが兄弟合計で殊勲賞8回・敢闘賞3回・技能賞5回=計16回ということで父の14回を抜いたのでした。
    親子合計では
    三賞合計30回。

    若貴兄弟と父貴ノ花満の3人の三賞合計は27回(若貴&父の三人とも9回受賞)。
    あれだけ栄華を誇った若貴兄弟&父のトータル数も寺尾一家には及ばなかった。

  • 投稿者:KON

    寺尾さん 逝去

    突っ張り一本やりの気っぷのいい相撲と、甘いマスクで一世を風靡(ふうび)した元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日、東京都内の病院で死去した。60歳でした。
    父が名関脇、3兄弟も関取で逆鉾との兄弟同時関脇も達成。通算出場など、数々の出場回数記録で歴代10傑入りするなど、116キロの細身の体ながら“鉄人”の異名も誇った。
    以前から不整脈など心臓に持病を抱え闘病生活を送っていたが、ファンを魅了した鉄人でも病魔には勝てなかった。
    錣山親方の危篤の報を受け、弟子の小結阿炎(29)らは急きょ、冬巡業が開催されていた関西から帰京した。入院していた都内の病院で錣山親方は、関係者らにみとられたようだ。先月の九州場所も不整脈で入院し休場していた。
    昨年九州場所で愛弟子の阿炎が、錣山部屋史上初の幕内優勝を果たした時も心臓の病気で入院中だった。「心臓で入院しているのにバクバクさせるなよ」と、嬉しそうに話していた同親方。その2年前、コロナ禍でガイドライン違反が発覚し、3場所出場停止からはい上がってきた阿炎の復活優勝。師匠としてこれ以上の喜びはなかった。あれから1年。夢見心地のまま、師匠は天国に旅立った。 父は、双差しの名人と言われた元関脇鶴ケ嶺の井筒親方。その父が部屋を構える東京・墨田区で生まれた(協会発表の出身地は鹿児島県姶良市)。
    母節子さんを慕い、その母が死ぬ際に「相撲取りになって」の言葉で角界入りを決意。長兄で元十両の鶴嶺山、次兄で元関脇の逆鉾の後を追うように、79年名古屋場所で初土俵を踏んだ。食べても太れない体質で、細身の体は最高でも116キロ。
    2015年に検査入院するなど不整脈の持病がありながら、熱心な指導で阿炎、小結豊真将らを育て上げた。次兄は19年に58歳で、長兄は20年に60歳で他界。太く短い人生だったが、果敢に立ち向かっていく真っ向勝負の「漢寺尾」の相撲は、永遠に相撲ファンの心に刻まれますね。

  • 投稿者:オバァ

    寺尾さんが亡くなったと、信じられない!体調悪いとは聞いていたけど、、、
    まさかで信じられない。
    ショックだよね。

  • 投稿者:SAI

    寺尾さんが亡くなりました
    後35年は長生きして欲しかったです
    大先輩ですが早く亡くならないで下さい

  • 投稿者:匿名

    寺尾さんありがとう。早く人生終えてしまったのは残念だけど両親、御兄弟のとこでゆっくりくつろいで下さい。師匠として賜杯を味わった想い出をいつまでも。

  • 投稿者:KON

    鉄人 寺尾 逝去

    寺尾さん 逝去

    突っ張り一本やりの気っぷのいい相撲と、甘いマスクで一世を風靡(ふうび)した元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日、東京都内の病院で死去した。60歳だった。父が名関脇、3兄弟も関取で逆鉾との兄弟同時関脇も達成。通算出場など、数々の出場回数記録で歴代10傑入りするなど、116キロの細身の体ながら“鉄人”の異名も誇った。以前から不整脈など心臓に持病を抱え闘病生活を送っていたが、ファンを魅了した鉄人でも病魔には勝てなかった。
    錣山親方の危篤の報を受け、弟子の小結阿炎(29)らは急きょ、冬巡業が開催されていた関西から帰京。
    阿炎の復活優勝。
    師匠としてこれ以上の喜びはなかった。あれから1年。夢見心地のまま、師匠は天国に旅立った。 2004年1月に分家独立し錣山部屋を創設 。
    15年に検査入院するなど不整脈の持病がありながら、熱心な指導で阿炎、小結豊真将らを育て上げた。次兄は19年に58歳で、長兄は20年に60歳で他界。太く短い人生だったが、果敢に立ち向かっていく真っ向勝負の「漢 寺尾」の相撲は、永遠に相撲ファンの心に刻まれる。

  • 投稿者:KON

    炎鵬

    夏場所は休場となり、頸部椎間板ヘルニアと診断書を提出したが、「脊髄損傷だった」と明かす。医師からは「すぐ手術するしかない。日常生活に戻るため相撲はあきらめてください」と宣告を受け、師匠・宮城野親方(元横綱・白鵬)からも「今までよくやった」と声をかけられた。
    2週間の入院中は寝たきりだった。だが「無理と言われるとやりたくなる性格」と複数の病院を訪ね、経過観察を望むと回復の兆候が現れ、手術は回避。倒れた直後は指の感覚がなく箸も持てずに、1本のひもを結ぶ練習から始まったリハビリ。首、背中の筋肉を鍛えることで徐々に痛みは消えていった。「ただの復帰ではなく、前より強くなって戻る」。炎鵬が多彩な技で再び土俵を沸かせる日は遠くない。
    その日に向けて恐る恐るながら 基礎稽古を始めるなど快方に向かっているようです。

  • 投稿者:KON

    入院中の元幕内天竜源一郎さんが角界のよもやま話を定期投稿している週刊誌(AERA?)にて

    1番女性に もててたのは やはり北の富士さんと龍虎さん?
    曰く
    『モテていたといえば、北の富士さんと龍虎さんが有名だったよ。北の富士さんは銀座で身銭を切ってきれいな飲み方をしていて、それがカッコよかったんだ。
    当時はスポンサーにゴチになるのが当たり前だったからね。
     それも、新橋や柳橋、向島なんかで芸者をあげたお座敷にかかるというのが定番だ。そんな中で、北の富士さんは銀座で自分の金で飲んでいるんだ。相撲協会の中で銀座を開拓したのは北の富士さんが一番最初だよ。そういう姿を見た若い相撲取りたちが憧れた。その典型が輪島さんだ。彼も北の富士さんを真似て銀座でよく飲んでいたからね。
     一方、龍虎さんは男前の顔でモテまくった。博多で大鵬さんが口説いていたおネエちゃんを龍虎さんが落としたってこともあったらしい。当時の大鵬さんは大横綱で、龍虎さんは全然下っ端だったということもあって、相撲界でものすごく評判になった話だ。相撲界は、誰がどのおネエちゃんとどうしたっていう話が2、3日で全ての相撲取りの耳に入ってくる“噂ばなし好きな”世界だからね(笑)。』

    輪島さんはリンカーンコンチネンタルで乗り付けていたこともあったそうですね。

  • 投稿者:KON

    政治資金パーティーでのキックバック→裏金問題で自民党の松野博一官房長官が更迭される模様。
    この松野氏について
    「松野さんは表に立つのが嫌いなタイプで、逃げちゃうんです。文科大臣就任直後に行われた夏の甲子園大会開会式では、恒例の文科大臣挨拶をやりたくないと言ってかわりに義家弘介・文科副大臣(当時)にやらせた。さらに、歴代の文科相は在任中に1度は大相撲の優勝力士に総理大臣杯を渡す慣例があるが、松野氏はそれも“表に立ちたくないし、総理大臣杯は重いから持ちたくない”と興味も示さず、役人たちは呆気に取られていました」と報道機関の政治記者がコメント。
    『キックバック』なんて言葉を用いるから軽微な行為にも受け取られがちですが、要するに着服・業務上横領そして脱税……の犯罪行為ですね。
    窃盗罪なのに『万引き』、暴行罪なのに『イジメ』などと報じて軽微な行為と思わせているのと近いものがありますねえ。
    土俵に上がらなかった松野氏は、そこのところは賢明でした。そんな人に神事である大相撲の神聖な土俵に上がって貰わなくてよかった。

  • 投稿者:ぽんぽこ

    朝潮のほたる川、琴風のまわり道。
    まわり道はレコードまで買いましたし、今でも歌詞無しで歌えます。
    増位山の歌声も好きです。
    今の力士がこんな事したら叩かれるでしょうね。

  • 1 102 103 104 105 106 465

    コメントを残す

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)