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つづき 北の富士さんの師匠千代の山が十両優勝した昭和20年6月は東京大空襲の直後で旧国技館の屋根は爆撃の影響で穴が空いていた為に晴天興行(雨天順延)、その翌場所となった秋場所(11月場所)で新入幕を果たした千代の山は10戦全勝でしたが、横綱羽黒山も同じく10戦全勝。当時は優勝決定戦制度がなくて同じ成績なら番付上位者が優勝というきまりで涙を呑みました。 尊富士に並ばれた新入幕連勝記録(11連勝)保持者の大鵬も、昭和34年九州場所で十両優勝し翌昭和35年初場所で初日から11連勝しましたが、小結柏戸に屈したりして結果12勝3敗、優勝した横綱栃錦に次ぐ準優勝でした。 その翌々年、昭和36年九州場所、十両で15戦全勝優勝した内田が四股名を豊山に改名して臨んだ翌場所で123敗の成績を挙げましたが、優勝した横綱大鵬の13勝に及ばず準優勝に終わりました。 北の富士さんも惜しかった。 内田改め豊山の活躍の3年後、1964昭和39年九州場所で十両全勝優勝した北の富士さんは翌年初場所で、13勝2敗の好成績でしたが、幕内優勝は千秋楽まで横綱大鵬と幕尻近くの清國が14戦全勝できていたので北の富士さんに優勝の可能性はありませんでした。(優勝は大鵬が全勝優勝) 白鵬も十両優勝した2004平成16年春場所、その翌場所で12勝3敗と好成績でしたが、優勝は北勝力との決定戦を制した朝青龍(13勝2敗)でした。
先場所で十両優勝して今場所幕内でも優勝した尊富士。 十両優勝→幕内優勝の連続優勝も 大正3年1月→5月の両國勇次郎(後の両國梶之助)以来110年ぶりです。 惜しかった例はいくつかあって、 両国勇次郎の翌場所大正3年に 大正時代の栃木山の盟友 大錦卯一郎が十両で7戦全勝優勝した大正3年5月夏場所、翌大正4年1月春場所では千秋楽前日まで9戦全勝でしたが、千秋楽に大蛇潟(おろちがた)に屈して準優勝に終わりました。 兄弟子双葉山に鍛えられて序ノ口から十両まで全て優勝して ひと場所ずつで通過するという異例の出世で駆け上がってきた羽黒山が十両優勝したのが昭和12年1月場所、翌場所に新入幕で臨んだ羽黒山でしたが、新入幕の場所では9勝4敗と星を落とし、幕内優勝は双葉山が13戦全勝優勝。大連勝の途中で28連勝から40連勝になる途中でしたので、羽黒山に優勝のチャンスは全くありませんでしたね。
尊富士よく頑張って優勝したね。 おめでとう。 番付なんてあってない様な場所で年寄りはえーと思ってしまうが若手が伸びてきたのはうれしいね。 土俵にあがっているんだからみんな頑張っているんだよね。 好き嫌いは別としてやはり奴よばわりはよくない。 力士さんでよくないかね。 北の富士さん見れないしあっちこっちがたがきて以前の様に楽しく見れなくなりさみしいよ。 尊富士は下半身特に足が普通の人の様だよね。すごく気になった。
新入幕で初優勝を果たした尊富士が 殊勲、敢闘、技能の三賞もすべて受賞しました。三賞のトリプル受賞は2000平成12年九州場所の琴光喜以来、24年ぶり6人目。 そのうち、幕内優勝と合わせた「4冠」を達成したのは、1992平成4年初場所での貴花田と1999平成11年名古屋場所での出島に次ぐ史上3人目の快挙となりました。
110年ぶり………新入幕力士の優勝なんてシンジランナーイ!! あのシカゴ・カブスのワールドシリーズ優勝のブランクを超える偉業だよ。オレ仕事中だったからリアルタイムでテレビ見れなかったけどコレアメリカへ打電したらどんな反応だろうな。タケルくん、まずは足の治療と上半身のトレーニングを並行だね。足の具合がよくなけりゃ夏場所休場もかまわないと思うよ。これからの相撲人生を大事にしようよね。
尊富士優勝おめでとう。 が昨日の車椅子退場から大怪我かと思ったが、、 案外大した事なかったのかな? 舞の海が自分なら退場まではちゃんと歩いて見えなくなったら病院に行くとか、霧島について叩かれると思うがどこか悪いとおもうがそうなら休場すればよかったと言いたい放題でネットでブーイングの嵐だ。 相撲協会こういうのを厳重注意しろと又大ブーイング!地上波だと太鼓持ちになり、やはり北の富士いないと天狗になりダメだな!
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尊富士、祖父に相撲を勧められた。稽古が終わりコンビニで買ってもらえる唐揚げに釣られ稽古を頑張った。
力士にとって鳥は縁起モノと云われます。
つづき
北の富士さんの師匠千代の山が十両優勝した昭和20年6月は東京大空襲の直後で旧国技館の屋根は爆撃の影響で穴が空いていた為に晴天興行(雨天順延)、その翌場所となった秋場所(11月場所)で新入幕を果たした千代の山は10戦全勝でしたが、横綱羽黒山も同じく10戦全勝。当時は優勝決定戦制度がなくて同じ成績なら番付上位者が優勝というきまりで涙を呑みました。
尊富士に並ばれた新入幕連勝記録(11連勝)保持者の大鵬も、昭和34年九州場所で十両優勝し翌昭和35年初場所で初日から11連勝しましたが、小結柏戸に屈したりして結果12勝3敗、優勝した横綱栃錦に次ぐ準優勝でした。
その翌々年、昭和36年九州場所、十両で15戦全勝優勝した内田が四股名を豊山に改名して臨んだ翌場所で123敗の成績を挙げましたが、優勝した横綱大鵬の13勝に及ばず準優勝に終わりました。
北の富士さんも惜しかった。
内田改め豊山の活躍の3年後、1964昭和39年九州場所で十両全勝優勝した北の富士さんは翌年初場所で、13勝2敗の好成績でしたが、幕内優勝は千秋楽まで横綱大鵬と幕尻近くの清國が14戦全勝できていたので北の富士さんに優勝の可能性はありませんでした。(優勝は大鵬が全勝優勝)
白鵬も十両優勝した2004平成16年春場所、その翌場所で12勝3敗と好成績でしたが、優勝は北勝力との決定戦を制した朝青龍(13勝2敗)でした。
先場所で十両優勝して今場所幕内でも優勝した尊富士。
十両優勝→幕内優勝の連続優勝も
大正3年1月→5月の両國勇次郎(後の両國梶之助)以来110年ぶりです。
惜しかった例はいくつかあって、
両国勇次郎の翌場所大正3年に
大正時代の栃木山の盟友 大錦卯一郎が十両で7戦全勝優勝した大正3年5月夏場所、翌大正4年1月春場所では千秋楽前日まで9戦全勝でしたが、千秋楽に大蛇潟(おろちがた)に屈して準優勝に終わりました。
兄弟子双葉山に鍛えられて序ノ口から十両まで全て優勝して ひと場所ずつで通過するという異例の出世で駆け上がってきた羽黒山が十両優勝したのが昭和12年1月場所、翌場所に新入幕で臨んだ羽黒山でしたが、新入幕の場所では9勝4敗と星を落とし、幕内優勝は双葉山が13戦全勝優勝。大連勝の途中で28連勝から40連勝になる途中でしたので、羽黒山に優勝のチャンスは全くありませんでしたね。
肩も痛いから途中で切れてしまった。尊富士下半身鍛えて又強くなってほしいと送ろうとおもったのに。
何回も悪いね。
尊富士よく頑張って優勝したね。
おめでとう。
番付なんてあってない様な場所で年寄りはえーと思ってしまうが若手が伸びてきたのはうれしいね。
土俵にあがっているんだからみんな頑張っているんだよね。
好き嫌いは別としてやはり奴よばわりはよくない。
力士さんでよくないかね。
北の富士さん見れないしあっちこっちがたがきて以前の様に楽しく見れなくなりさみしいよ。
尊富士は下半身特に足が普通の人の様だよね。すごく気になった。
先場所十両優勝で幕の内優勝の連続優勝は誰以来?
新入幕で初優勝を果たした尊富士が 殊勲、敢闘、技能の三賞もすべて受賞しました。三賞のトリプル受賞は2000平成12年九州場所の琴光喜以来、24年ぶり6人目。
そのうち、幕内優勝と合わせた「4冠」を達成したのは、1992平成4年初場所での貴花田と1999平成11年名古屋場所での出島に次ぐ史上3人目の快挙となりました。
優勝が尊富士に決まっても
阿炎が熱海富士に突っ張り!
豊昇龍が大の里に右の投げ!
それぞれの得意技が綺麗です!
阿炎が流山南・豊昇龍が日体柏
千葉県の高校出身だからですか?
これからも頑張って下さい♪
110年ぶり………新入幕力士の優勝なんてシンジランナーイ!! あのシカゴ・カブスのワールドシリーズ優勝のブランクを超える偉業だよ。オレ仕事中だったからリアルタイムでテレビ見れなかったけどコレアメリカへ打電したらどんな反応だろうな。タケルくん、まずは足の治療と上半身のトレーニングを並行だね。足の具合がよくなけりゃ夏場所休場もかまわないと思うよ。これからの相撲人生を大事にしようよね。
尊富士優勝おめでとう。
が昨日の車椅子退場から大怪我かと思ったが、、
案外大した事なかったのかな?
舞の海が自分なら退場まではちゃんと歩いて見えなくなったら病院に行くとか、霧島について叩かれると思うがどこか悪いとおもうがそうなら休場すればよかったと言いたい放題でネットでブーイングの嵐だ。
相撲協会こういうのを厳重注意しろと又大ブーイング!地上波だと太鼓持ちになり、やはり北の富士いないと天狗になりダメだな!