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あぢぃ、あぢぃ! 暑くても、食欲は落ちないのが自慢!なのに、さすがに…食欲不振だ! これ以上痩せたら、骨と皮になる! これから名物のとろろ蕎麦を食べよう! とろろは食欲ないときの、強い見方。 にしてもあぢぃね。 皆さんも気を付けて!
巡業でのお客様を大切に これは、大相撲巡業の今の姿を確立した“角聖”常陸山の教えを脈々と受け継ぐ出羽一門のことを、舞の海さんが今朝の産経新聞本紙のコラム「相撲俵論(すもうひょうろん)」の後半で触れていたので、御紹介します。 曰く、 小学4年の夏休み、わが故郷・青森県鯵ヶ沢町に大相撲一行がやってきた。入場券を買ってくれた父親と出掛けて行った。テレビでしか見たことがない横綱輪島・大関貴ノ花、若三杉(のちの二代若乃花)ら憧れの力士が稽古していた。有頂天になってしまい、力士の背中を叩いてまわった。目にするもの全てが神秘的だった。世の中にこんな大きい人がいたのか? 力士から漂うバニラのような甘い香りは何だろう。 力士が囲んでいる鍋の中には何が入っているのだろう。 気持ちが高ぶったまま、巡業を終えた一行を駅のホームまで追いかけていった。臨時列車に乗り込む力士たちを見て、次はどこに行くのだろう。このまま一緒について行きたい。――夕日に映える列車がだんだん小さくなっていった。まぶしかったが、見えなくなるまで手を振り続けた。 それから10年以上が経ち、関取として初めて巡業に出る私に、出羽海部屋付きの親方(元幕内・吉の谷)が説いてくれた。 「おい、舞の海!田舎のじいちゃん、ばあちゃんは 相撲取りと会えるのは一生に一度かもしれないんだ。 時間が許す限り、写真を撮ったりサインをしてやれ」 この大切な教えをすっかり忘れてしまった。 福島県郡山市で行なわれた夏巡業。割り当てられた旅館に着くと部屋には冷房がついていなかった。 「これじゃぁ暑くて寝てられねえよな」と、勝手に旅館を飛び出して、ビジネスホテルに泊まった。 翌日、同じ出羽一門の春日野巡業部長(元横綱栃ノ海)に呼び出され、こっぴどく説教された。 もてなそうとしてくれていた旅館の人たちの心遣いを何も分かっていなかった。 泊まってくれる関取のために、腕に選り(より)をかけて夕食をこしらえていたかもしれない。 少しでも気持ち良く寝てもらいたいと、布団を打ち直していたかもしれない。寝苦しい季節になるとあの時のことが蘇ってくる。 今年も夏巡業が始まった。しかし看板大関である四大関がみな休場という異例の事態となっている。 やっと高安に、貴景勝に逢える・・・・指折り数えて待っていた人もいる。 巡業での出会いは 新たな生き甲斐をもたらすこともある。 初めて訪れた地で恋に落ち、「強くなったら迎えに来るから」と約束して旅立つ若い力士もいるかもしれない。 「大きくなったら待ってるよ」と大好きな関取に声をかけられ胸をときめかせる子供もいるだろう。 出会いと別れを繰り返す巡業は人生そのもので、いつも哀愁を帯びている。 その機微を謡った相撲甚句・大相撲巡業の最後にこんな囃子唄(はやしうた)がある。 『 はぁ せっかく馴染んだ皆様と (はぃ!) 今日はお別れせにゃならぬ (はぃ!) いつまたどこで会えるやら (はぃ!) それともこのまま会えぬやら (はぃ!) 思えば涙が パラーリ パラリ はぁー どすこい、どすこい 』 *途中で出てきた元幕内・吉の谷さんというのは、舞の海と同じ小兵で177cm、104kg。レスリングのタックルのような足取りを得意としていて、幕内から十両に陥落した後も元気な相撲をみせ、今の高砂親方が、学生横綱「長岡」として、幕下付け出しから破竹の連勝を重ねていた1978昭和53年夏場所で、初土俵から14連勝目を狙っていた長岡を 足取りから寄り倒して 初黒星を与えました。 引退後、出羽海部屋つきの親方として後進を指導、借株として年寄名跡をいくつか変えていますが、この頃は、恐らく、竹縄親方だったと思います。 舞の海さんが 相撲俵論を寄稿しているのは、どうやら木曜日だけのようです。 毎週か、隔週か、は 把握しておりません。
夏巡業がスタートしましたが、四大関が休場のままです。 けっして安くない (本場所とほとんど変わらない価格設定の) 大相撲巡業のチケットを早くから売り出していましたから、 大関不在にがっかりしているお客様も多いでしょうね。 『生まれて初めて、力士を目の前で見られる』と期待していた中高年の相撲ファンもいたはずなのに。 このままだと、秋場所も四大関不在になるかもしれません。 もしも万が一、貴景勝が二桁勝利できずに 大関復帰が果たせなかったとして、栃ノ心と豪栄道が秋場所に揃って負け越しでもしたら、 九州場所の番付は、大関に高安が一人きりになってしまいます。 そうなると、白鵬か鶴竜のどちらかが「横綱大関」となります。久しぶりのことです。 38年ぶりのことですね。 前の場所で、一人大関だった千代の富士が14勝を挙げて優勝。 直前3場所で新大関の場所から11勝、13勝、14勝の38勝ですから、ひとり大関と言えど、横綱に上げない訳にいかず、ついに、史上二度目となる“大関不在”となってしまいました。 1981昭和56年9月秋場所 横 綱 東 北の湖 西 千代の富士 張出横綱 二代若乃花 大 関 ( 東西とも 不在 ) 関 脇 東 琴 風 西 朝 汐 小 結 東 蔵 間 西 北天佑 張出小結 東 麒麟児 西 隆の里 前頭筆頭 東 高見山 西 大寿山 これにより 北の湖 千代の富士の両正横綱が二人とも 「横綱大関」という地位称号になりました。 この場所で12勝を挙げて初優勝した琴風が三場所成績(9勝―10勝―12勝の)31勝で、(琴風が、怪我で三役から一気に幕下まで陥落してから見事復活した という意味でも、大関不在に困窮していた相撲協会にとっても とてもめでたく)、大関に昇進しました。しかしそれでも大関は一人のみ。 よって、翌九州場所と翌年の1月初場所のふた場所を、西横綱の北の湖が「横綱大関」として出場しました。 * 史上二度目というのは、 1904明治37年1月春場所から、前場所まで大関だった常陸山谷右衛門と二代梅ヶ谷藤太郎が 同時横綱昇進した為、前年まで大関だった朝汐太郎が関脇に陥落していたこともあり、ついに大関が不在(横綱は先輩横綱の大砲万右衛門と三人)。 翌年の1月春場所まで三場所を、二人とも、「横綱大関」として出場しました。
おばちゃんズの皆さん 暑い時は熱いもの! 基本ですよね。相撲部屋のちゃんこ鍋も、力士の胃腸を冷やさない、理に適った料理ですね。 昨日も今日も、当分暑い。8月12日ころまでは猛暑が続きそうです。 私は今日、妻が仕事でいないので、洗濯物を取り込んでから、 昼御飯! ニンニクたっぷりの野菜炒め with 魚肉ソーセージ。 それと、野菜炒めの時に出た キャベツの芯とピーマンの種や白いワタをごま油で炒めて、好物の 永谷園の麻婆春雨に混ぜて、仕上げにごま油をかけて、自分流 栄養価 増量 麻婆春雨の出来上がり。 台所の暑いこと!汗が滴り落ちてきましたね。 日頃、体調が悪くても当たり前のように台所に立ち美味しい料理を作ってくれてる妻の苦労が身にしみます。 感謝しながら、昼ビール。 暑い時は熱いものが一番です。 8月31日の両国国技館での、横綱審議会稽古総見を楽しみに、酷暑を乗り切っていきましょう。
暑いですね。 梅雨明けかな?今日は久し振り休み。 暑くて外に出たくないわ! 夕飯をちゃんこ鍋作り、パート上がりの仲間と食べます。 暑いのに、ちゃんこ!! 家の中は、キンキンに冷やしておきます! 食べながらひいき力士の話、北の富士さんの話して、楽しみやわ。
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12日目の鶴竜が千代大龍に決めた
裾払いの写真が綺麗です♪
あぢぃ、あぢぃ!
暑くても、食欲は落ちないのが自慢!なのに、さすがに…食欲不振だ!
これ以上痩せたら、骨と皮になる!
これから名物のとろろ蕎麦を食べよう!
とろろは食欲ないときの、強い見方。
にしてもあぢぃね。
皆さんも気を付けて!
巡業でのお客様を大切に
これは、大相撲巡業の今の姿を確立した“角聖”常陸山の教えを脈々と受け継ぐ出羽一門のことを、舞の海さんが今朝の産経新聞本紙のコラム「相撲俵論(すもうひょうろん)」の後半で触れていたので、御紹介します。
曰く、
小学4年の夏休み、わが故郷・青森県鯵ヶ沢町に大相撲一行がやってきた。入場券を買ってくれた父親と出掛けて行った。テレビでしか見たことがない横綱輪島・大関貴ノ花、若三杉(のちの二代若乃花)ら憧れの力士が稽古していた。有頂天になってしまい、力士の背中を叩いてまわった。目にするもの全てが神秘的だった。世の中にこんな大きい人がいたのか? 力士から漂うバニラのような甘い香りは何だろう。 力士が囲んでいる鍋の中には何が入っているのだろう。
気持ちが高ぶったまま、巡業を終えた一行を駅のホームまで追いかけていった。臨時列車に乗り込む力士たちを見て、次はどこに行くのだろう。このまま一緒について行きたい。――夕日に映える列車がだんだん小さくなっていった。まぶしかったが、見えなくなるまで手を振り続けた。
それから10年以上が経ち、関取として初めて巡業に出る私に、出羽海部屋付きの親方(元幕内・吉の谷)が説いてくれた。
「おい、舞の海!田舎のじいちゃん、ばあちゃんは 相撲取りと会えるのは一生に一度かもしれないんだ。 時間が許す限り、写真を撮ったりサインをしてやれ」
この大切な教えをすっかり忘れてしまった。
福島県郡山市で行なわれた夏巡業。割り当てられた旅館に着くと部屋には冷房がついていなかった。
「これじゃぁ暑くて寝てられねえよな」と、勝手に旅館を飛び出して、ビジネスホテルに泊まった。
翌日、同じ出羽一門の春日野巡業部長(元横綱栃ノ海)に呼び出され、こっぴどく説教された。
もてなそうとしてくれていた旅館の人たちの心遣いを何も分かっていなかった。
泊まってくれる関取のために、腕に選り(より)をかけて夕食をこしらえていたかもしれない。
少しでも気持ち良く寝てもらいたいと、布団を打ち直していたかもしれない。寝苦しい季節になるとあの時のことが蘇ってくる。
今年も夏巡業が始まった。しかし看板大関である四大関がみな休場という異例の事態となっている。
やっと高安に、貴景勝に逢える・・・・指折り数えて待っていた人もいる。
巡業での出会いは 新たな生き甲斐をもたらすこともある。
初めて訪れた地で恋に落ち、「強くなったら迎えに来るから」と約束して旅立つ若い力士もいるかもしれない。
「大きくなったら待ってるよ」と大好きな関取に声をかけられ胸をときめかせる子供もいるだろう。
出会いと別れを繰り返す巡業は人生そのもので、いつも哀愁を帯びている。
その機微を謡った相撲甚句・大相撲巡業の最後にこんな囃子唄(はやしうた)がある。
『 はぁ せっかく馴染んだ皆様と (はぃ!) 今日はお別れせにゃならぬ (はぃ!) いつまたどこで会えるやら (はぃ!) それともこのまま会えぬやら (はぃ!) 思えば涙が パラーリ パラリ はぁー どすこい、どすこい 』
*途中で出てきた元幕内・吉の谷さんというのは、舞の海と同じ小兵で177cm、104kg。レスリングのタックルのような足取りを得意としていて、幕内から十両に陥落した後も元気な相撲をみせ、今の高砂親方が、学生横綱「長岡」として、幕下付け出しから破竹の連勝を重ねていた1978昭和53年夏場所で、初土俵から14連勝目を狙っていた長岡を 足取りから寄り倒して 初黒星を与えました。
引退後、出羽海部屋つきの親方として後進を指導、借株として年寄名跡をいくつか変えていますが、この頃は、恐らく、竹縄親方だったと思います。
舞の海さんが 相撲俵論を寄稿しているのは、どうやら木曜日だけのようです。 毎週か、隔週か、は 把握しておりません。
夏巡業がスタートしましたが、四大関が休場のままです。
けっして安くない (本場所とほとんど変わらない価格設定の) 大相撲巡業のチケットを早くから売り出していましたから、
大関不在にがっかりしているお客様も多いでしょうね。
『生まれて初めて、力士を目の前で見られる』と期待していた中高年の相撲ファンもいたはずなのに。
このままだと、秋場所も四大関不在になるかもしれません。
もしも万が一、貴景勝が二桁勝利できずに 大関復帰が果たせなかったとして、栃ノ心と豪栄道が秋場所に揃って負け越しでもしたら、
九州場所の番付は、大関に高安が一人きりになってしまいます。
そうなると、白鵬か鶴竜のどちらかが「横綱大関」となります。久しぶりのことです。
38年ぶりのことですね。
前の場所で、一人大関だった千代の富士が14勝を挙げて優勝。
直前3場所で新大関の場所から11勝、13勝、14勝の38勝ですから、ひとり大関と言えど、横綱に上げない訳にいかず、ついに、史上二度目となる“大関不在”となってしまいました。
1981昭和56年9月秋場所
横 綱 東 北の湖 西 千代の富士
張出横綱 二代若乃花
大 関 ( 東西とも 不在 )
関 脇 東 琴 風 西 朝 汐
小 結 東 蔵 間 西 北天佑
張出小結 東 麒麟児 西 隆の里
前頭筆頭 東 高見山 西 大寿山
これにより 北の湖 千代の富士の両正横綱が二人とも 「横綱大関」という地位称号になりました。
この場所で12勝を挙げて初優勝した琴風が三場所成績(9勝―10勝―12勝の)31勝で、(琴風が、怪我で三役から一気に幕下まで陥落してから見事復活した という意味でも、大関不在に困窮していた相撲協会にとっても とてもめでたく)、大関に昇進しました。しかしそれでも大関は一人のみ。
よって、翌九州場所と翌年の1月初場所のふた場所を、西横綱の北の湖が「横綱大関」として出場しました。
* 史上二度目というのは、
1904明治37年1月春場所から、前場所まで大関だった常陸山谷右衛門と二代梅ヶ谷藤太郎が 同時横綱昇進した為、前年まで大関だった朝汐太郎が関脇に陥落していたこともあり、ついに大関が不在(横綱は先輩横綱の大砲万右衛門と三人)。
翌年の1月春場所まで三場所を、二人とも、「横綱大関」として出場しました。
おばちゃんズの皆さん
暑い時は熱いもの! 基本ですよね。相撲部屋のちゃんこ鍋も、力士の胃腸を冷やさない、理に適った料理ですね。
昨日も今日も、当分暑い。8月12日ころまでは猛暑が続きそうです。
私は今日、妻が仕事でいないので、洗濯物を取り込んでから、 昼御飯!
ニンニクたっぷりの野菜炒め with 魚肉ソーセージ。
それと、野菜炒めの時に出た キャベツの芯とピーマンの種や白いワタをごま油で炒めて、好物の 永谷園の麻婆春雨に混ぜて、仕上げにごま油をかけて、自分流 栄養価 増量 麻婆春雨の出来上がり。
台所の暑いこと!汗が滴り落ちてきましたね。
日頃、体調が悪くても当たり前のように台所に立ち美味しい料理を作ってくれてる妻の苦労が身にしみます。
感謝しながら、昼ビール。
暑い時は熱いものが一番です。
8月31日の両国国技館での、横綱審議会稽古総見を楽しみに、酷暑を乗り切っていきましょう。
暑いですね。
梅雨明けかな?今日は久し振り休み。
暑くて外に出たくないわ!
夕飯をちゃんこ鍋作り、パート上がりの仲間と食べます。
暑いのに、ちゃんこ!!
家の中は、キンキンに冷やしておきます!
食べながらひいき力士の話、北の富士さんの話して、楽しみやわ。
kONさん有り難うございます。さすがです
相撲のこけ って入力しようとして! の が ね になってしまい、おっ、いけない!って思ったら!誤って送信・・
ありがちです。はい、ありがちです!
理解し合いましょう、皆さま。
場所終わるとコメント少なくなるな。
何で同じコメントにハンネが違うんだ。
なり何とかかわらい
インターハイ、秀虎負けました。卒業後ね進路が気になります。