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北の富士対貴ノ花の二番目の決まり手は、相撲リファレンスでは、「勇み足」となっています。 兎にも角にも、北の富士さん対貴ノ花の一番は、毎場所、もつれにもつれて行司泣かせになるか、あっさりと北の富士さんが突き出しや一気の寄り切りで勝つか でした。 北の富士さんは、しぶとい取り口の力士を嫌がってましたね。
1972昭和47年初場所八日目に起きた“北の富士さん対大関貴ノ花戦“つき手・かばい手”騒動は、行司差し違い→進退伺い提出→千秋楽まで謹慎!とされた立行司の25代木村庄之助が場所後に廃業へと発展してしまいました。 さらにすぐ翌場所で「続き」が起きました。 翌場所(春場所)、七日目、この一番、土俵際でもつれ、今度は北の富士が“勇み足”で敗れています。 右張り手から左四つになって攻め立てた北の富士が向こう正面に詰め寄ったところで、貴ノ花が体を反りながら右に捻った。すると、貴ノ花の両つま先が浮いたのを見た立行司式守伊之助はサッと軍配を北の富士にあげた。そして北の富士の左足が土俵を踏み越した。しかしまだ貴ノ花の踵は両足とも土俵の内側。その直後に北の富士の左足が土俵を飛び出し、蛇の目を踏んだ。それよりひと呼吸遅れて貴ノ花が後ろへ倒れた。 物言い協議の結果、立行司22代式守伊之助の行司差し違いで、うっちゃりで貴ノ花の勝ちとなった。 差し違い とされた行司伊之助は打ち出し後に進退伺いを理事長に提出。 ふた場所連続で立行司が退職となりそうになり、慌てた理事長は、当時、立行司不在の場所は前例がない為、「辞めることはない」と慰留し、1日だけの謹慎処分としました。 35代木村庄之助さんが引退直後に、講師として臨んだ「相撲塾」を受講した際に、 『皆さん、若貴兄弟のお父さん、大関貴ノ花さんを好きだ…って人は手を挙げてください。 ・・・あぁ、たくさんいますね。では貴ノ花さんを嫌いだ!!という人は ? そうですか、いませんか?そうでしょうね、 私は貴ノ花さん、嫌いです。 皆さん驚きましたか? 貴ノ花さんは温厚で、いつも我々にも気遣いをしてくださってました。優しい方でね。 そんな貴ノ花さんを嫌いだ!と言った理由はね、貴ノ花さんの相撲は、最後の最後まで勝負を諦めないから、終わったはずの勝負が終わってないんです。だからあの人の相撲は、差し違いが起きやすいんです。“行司泣かせ”とは貴ノ花さんのことなんですよ、いや本当に。でね、差し違いすると、これが給料に響くんですよ。お腹痛いって言って他の行司に代わってもらいたかったですよ、いやホントに…』と、我々受講者を笑わせてくれました。
北の富士さんは、元大関貴ノ花=二子山親方(故・花田満氏)の葬儀の際に、『 あの一番、貴ノ花関は勝っていた。死に体ではなかったと思う。』と述べ、後日、大相撲雑誌のインタビューで 『 自分が手をついたのは、貴ノ花をかばったんじゃなく、自分の顔をかばったんだよ。だけどね、物言いの審議をしてる最中に、“ 自分の負けだと思う ” なんて言い出すわけないでしょ。 』 と、語っていました。 また、『 その夜も部屋に電話がじゃんじゃん鳴って、“負けを認めろ!”とね。 翌朝は、もっと凄かったよ、部屋にまで押し掛けて来たファンに抗議されちゃってね。参ったよ。俺もけっこうファンが多かったと思っていたけど、彼のファンの多さは、それは尋常じゃなかったね。』とも語っていました。
先週?だったかにNHKのBS1で放送があった「ヒーローたちの名勝負」の録画をしてあったのを見ました。 2013年に放送された番組の再放送でした。 北の富士と貴ノ花の勝負と 千代の富士と大の国の勝負と (大ノ国の方が正しいかも?) 北の富士の付き手か?かばい手か? 問題になった対戦を当時は見てなかったので、どんな相撲だったのかが見て解りました。 魁傑、北の湖、千代の富士、高見山などが話す姿を見られたし。 北の富士さんの当時の映像が色々と出て昔も今も素敵だったなと思って見てました。 その勝負を振り返って北の富士さんが息子の貴ノ花親方と対談していたんだと驚いて見ていました。 最後に北の富士さんが土俵では対戦したけど。 貴ノ花のファンだったと言った言葉を聞いた貴ノ花親方が嬉しそうな顔をしていて。 対戦した先代の貴ノ花は亡くなっていて。 息子の貴ノ花親方も、今は相撲協会を去ってしまい。 他にも亡くなっている魁傑、北の湖、千代の富士の姿を見ていて涙がでてきました 先代の貴ノ花は晩年に、あの時の相撲は 剣の勝負なら相討ちだったと言ってたそうです。 どちらかが勝った、負けたと決められない対戦だったと言ってたそうです。 先代の貴ノ花の粘り腰。下半身の強さを皆さんが認めていて。 強さは相当なものだったんですね。 千代の富士と大の国の対戦は 千代の富士の連勝を53で阻止して大ノ国が勝った相撲でした。 千代の富士の強さと大ノ国の葛藤が良く解りました。 改めて千代の富士の凄さが解りました。 たまたまテレビ版を見て、内容が解らないけど相撲の番組だったので録画しておいたのですが。 見応えタップリの番組でした。 BS1の番組は注目した事はなかったけど。 これからは、また相撲関係の番組があるか 注意したいと思ってます。 この録画したのは消さずにずっと保存しておきます
豊ノ島関、思い出の一番 殊勲の一番 横綱白鵬から挙げた唯一の金星 この時の“熱戦譜” お互いの三段目時代、初土俵が1年先輩である(一歳半)年下の白鵬を番付で追い越していた平成15年初場所、この初対戦に「肩透かし」で勝利した豊ノ島でしたが、二度目の対戦の時はすでに白鵬は大関、豊ノ島は平幕。件の「押し出し」での勝利を含め、3勝31敗。幕内での本割では2勝30敗でした。 しかし 2007年平成19年9月秋場所の十一日目、結びの一番 白鵬がいつものように左で張って右差しを狙ったが踏み込みが良くなかった。一方の豊ノ島は頭を下げて左から入ろうという双差し狙いだったが、立ち合いの踏み込みが両足跳びの形で、当たりの強さが相手に全く伝わらず、決して良い立ち合いとは言えなかった。 白鵬は左外筈(そとはず)、右で相手の胸を押し上げんとするが、豊ノ島は右を覗かせ左にまわって左外筈でおっつける。白鵬は右を抜いて抱える。豊ノ島は右をやや浅く左を深くした双差しに成功。慌てた白鵬が左を巻きかえんとすると、当然腰が伸び上がる。そこを豊ノ島が赤房にやや寄りをみせながら左にまわってすぐさま左から掬い、バランスを崩し泳いだ白鵬が向き直るより早く白鵬の右肩に突っ込んだ豊ノ島が左外筈に右のど輪攻めを併せて一気に押し上げ、反ってこらえる白鵬の腹に自慢の太鼓腹を押しあてると、元より腹の位置が低い豊ノ島の腹が白鵬の腹を下から持ち上げる形になり効果抜群、左筈もグイっと絞りあげ、黒房下に白鵬を押し出した。 差し身の巧さは光るものの、上背で20cm低く、腕の長さにかなり差がある豊ノ島にとって、「自分が白鵬に勝つにはこれしかない!」という理想的、かつ会心の勝ち方でした。 これで白鵬は9勝2敗。 ここまで1敗で並走していた新入幕の豪栄道に優勝争いの先行を許した痛恨の一番だった。 しかし、前場所に21回目の優勝を果たしていた東横綱朝青龍が全休したこの場所でのひとり横綱として土俵を守る白鵬は、翌十二日目から千秋楽まで勝ち続け、13勝2敗、四度目の優勝を飾った。 豊ノ島は、金星の翌日から3連敗したが千秋楽に勝利してなんとか8勝して、初の殊勲賞を受賞しました。
本来だったら今は春巡業の時期で 10年前の千葉国体で相撲の会場だった 木更津市にも巡業が来る予定でした! その千葉国体の時に高校生だった力士 御嶽海・北勝富士さん・朝乃山・豊山・若隆景さん達が 活躍しているのを見ると素晴らしい青田買いでした! これからも頑張って下さい♪
温故知新・大相撲カレンダー 4月17日 1868慶應4年4月17日 明治維新となる年、明治天皇が、大阪・巫魔神社にて、江戸から大相撲一行を呼び、天覧相撲を開催しました。 この時の江戸相撲一行の主な力士は、 この翌年に13代横綱免許を受けた強豪大関・鬼面山谷五郎が西の大関に。 そして、 すでに、11代横綱免許を受けて六年、“土俵入りの美しさ”この上なし!と評判の大関不知火光右衛門が東の大関として、当時の最強力士の二人の力のこもった対戦を明治天皇にお見せしたのだそうです。 (この頃はまだ、最強の大関に与えられた名誉称号だった“横綱”は、番付にその呼称はなく、最高位は“大関”。その大関と関脇、小結を『三役』と呼びました。) 「結び三番」は 大関 肥後・不知火 光右衛門 、 阿州・鬼面山 谷五郎 関脇 丸亀・平石 七太夫 、 嶋原・常磐山 小平治 小結 江戸・宮城野 馬五郎、 下野・東関 庄助 これが“結び三番” まず、東西の小結同士、同じく関脇同士が対戦、最後に大関同士が対戦した。 最後の「結びの一番」に登場するのが「大関」 「大関」は、古くは「関」という呼称だった。 この「関」の由来は、関所の関、“箱根の関”のように、越えるに越えられないもの…ということなのだそうです。 江戸時代に入って、“大”をつけて「大関」となったそうです。 そして、天皇や将軍の御前にて出番を待ち、控えている際に、東西の「大関」の両脇に陣取る力士が「関脇」 結び三番の最初に登場してくるから「小結」と称されました。 ちなみに、この「関」を目指して、関を取りに行くのが、「関取」。 ということなのだそうです。
続 力士・元力士のテレビ出演情報 今日(4/18)の夜、22時~22時50分 BS1 にて、 「 大相撲・伝説の一番の真相」 異例、物言いで大紛糾! 貴ノ花、死に体からの復活の神技。 小さな大横綱の昭和最後の大連勝を止めた禁断技は? 昭和の名勝負十傑にも数えられる「貴ノ花対北の富士戦のかばい手問題」 「千代の富士54連勝ならず!」の衝撃の一番 さらに 今夜18日夜、22時30分~ 地上波のテレビ東京 「スポーツウォッチャー」 鳴戸部屋1000日密着! ヨーロッパ出身力士初の部屋持ち親方となった鳴戸親方=元大関琴欧洲の奮闘ぶりを紹介します。ちょうど三年前の4月に、佐渡ヶ嶽部屋から独立した鳴戸親方。早くも12〜13名の弟子たちを育てています。
力士・元力士のテレビ出演情報 今日(4月18日)、夜、6時半〜8時54分 テレビ東京にて 「タクシー乗り継ぎ旅 5 」 千原ジュニアと一緒に、高野山から伊勢神宮までタクシーを乗り継いで地元の人と触れ合うのは、貴乃花さん。人生初の旅ロケだとか。1学年違いというジュニアと貴乃花、一緒に温泉に浸かって極楽を味わったり、絶品きのこ料理やわさび御飯を食べて至極の楽しい旅。 そんな順調な旅に暗雲、番組ルールである 予算とタクシーメーターの関係で、途中の雪の峠でタクシーを降りる羽目になってしまい さあ大変? 貴乃花さんの人間性が如実に現れる番組 のようです。
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北の富士対貴ノ花の二番目の決まり手は、相撲リファレンスでは、「勇み足」となっています。
兎にも角にも、北の富士さん対貴ノ花の一番は、毎場所、もつれにもつれて行司泣かせになるか、あっさりと北の富士さんが突き出しや一気の寄り切りで勝つか
でした。
北の富士さんは、しぶとい取り口の力士を嫌がってましたね。
1972昭和47年初場所八日目に起きた“北の富士さん対大関貴ノ花戦“つき手・かばい手”騒動は、行司差し違い→進退伺い提出→千秋楽まで謹慎!とされた立行司の25代木村庄之助が場所後に廃業へと発展してしまいました。
さらにすぐ翌場所で「続き」が起きました。
翌場所(春場所)、七日目、この一番、土俵際でもつれ、今度は北の富士が“勇み足”で敗れています。
右張り手から左四つになって攻め立てた北の富士が向こう正面に詰め寄ったところで、貴ノ花が体を反りながら右に捻った。すると、貴ノ花の両つま先が浮いたのを見た立行司式守伊之助はサッと軍配を北の富士にあげた。そして北の富士の左足が土俵を踏み越した。しかしまだ貴ノ花の踵は両足とも土俵の内側。その直後に北の富士の左足が土俵を飛び出し、蛇の目を踏んだ。それよりひと呼吸遅れて貴ノ花が後ろへ倒れた。
物言い協議の結果、立行司22代式守伊之助の行司差し違いで、うっちゃりで貴ノ花の勝ちとなった。
差し違い とされた行司伊之助は打ち出し後に進退伺いを理事長に提出。
ふた場所連続で立行司が退職となりそうになり、慌てた理事長は、当時、立行司不在の場所は前例がない為、「辞めることはない」と慰留し、1日だけの謹慎処分としました。
35代木村庄之助さんが引退直後に、講師として臨んだ「相撲塾」を受講した際に、
『皆さん、若貴兄弟のお父さん、大関貴ノ花さんを好きだ…って人は手を挙げてください。
・・・あぁ、たくさんいますね。では貴ノ花さんを嫌いだ!!という人は ?
そうですか、いませんか?そうでしょうね、
私は貴ノ花さん、嫌いです。
皆さん驚きましたか?
貴ノ花さんは温厚で、いつも我々にも気遣いをしてくださってました。優しい方でね。
そんな貴ノ花さんを嫌いだ!と言った理由はね、貴ノ花さんの相撲は、最後の最後まで勝負を諦めないから、終わったはずの勝負が終わってないんです。だからあの人の相撲は、差し違いが起きやすいんです。“行司泣かせ”とは貴ノ花さんのことなんですよ、いや本当に。でね、差し違いすると、これが給料に響くんですよ。お腹痛いって言って他の行司に代わってもらいたかったですよ、いやホントに…』と、我々受講者を笑わせてくれました。
北の富士さんは、元大関貴ノ花=二子山親方(故・花田満氏)の葬儀の際に、『 あの一番、貴ノ花関は勝っていた。死に体ではなかったと思う。』と述べ、後日、大相撲雑誌のインタビューで
『 自分が手をついたのは、貴ノ花をかばったんじゃなく、自分の顔をかばったんだよ。だけどね、物言いの審議をしてる最中に、“ 自分の負けだと思う ” なんて言い出すわけないでしょ。 』
と、語っていました。
また、『 その夜も部屋に電話がじゃんじゃん鳴って、“負けを認めろ!”とね。 翌朝は、もっと凄かったよ、部屋にまで押し掛けて来たファンに抗議されちゃってね。参ったよ。俺もけっこうファンが多かったと思っていたけど、彼のファンの多さは、それは尋常じゃなかったね。』とも語っていました。
珍しく!ほめてる。
いつもこうなら去る人もいなかっただろう!!今からでも謝罪したらどうだ!
先週?だったかにNHKのBS1で放送があった「ヒーローたちの名勝負」の録画をしてあったのを見ました。
2013年に放送された番組の再放送でした。
北の富士と貴ノ花の勝負と
千代の富士と大の国の勝負と
(大ノ国の方が正しいかも?)
北の富士の付き手か?かばい手か?
問題になった対戦を当時は見てなかったので、どんな相撲だったのかが見て解りました。
魁傑、北の湖、千代の富士、高見山などが話す姿を見られたし。
北の富士さんの当時の映像が色々と出て昔も今も素敵だったなと思って見てました。
その勝負を振り返って北の富士さんが息子の貴ノ花親方と対談していたんだと驚いて見ていました。
最後に北の富士さんが土俵では対戦したけど。
貴ノ花のファンだったと言った言葉を聞いた貴ノ花親方が嬉しそうな顔をしていて。
対戦した先代の貴ノ花は亡くなっていて。
息子の貴ノ花親方も、今は相撲協会を去ってしまい。
他にも亡くなっている魁傑、北の湖、千代の富士の姿を見ていて涙がでてきました
先代の貴ノ花は晩年に、あの時の相撲は
剣の勝負なら相討ちだったと言ってたそうです。
どちらかが勝った、負けたと決められない対戦だったと言ってたそうです。
先代の貴ノ花の粘り腰。下半身の強さを皆さんが認めていて。
強さは相当なものだったんですね。
千代の富士と大の国の対戦は
千代の富士の連勝を53で阻止して大ノ国が勝った相撲でした。
千代の富士の強さと大ノ国の葛藤が良く解りました。
改めて千代の富士の凄さが解りました。
たまたまテレビ版を見て、内容が解らないけど相撲の番組だったので録画しておいたのですが。
見応えタップリの番組でした。
BS1の番組は注目した事はなかったけど。
これからは、また相撲関係の番組があるか
注意したいと思ってます。
この録画したのは消さずにずっと保存しておきます
豊ノ島関、思い出の一番
殊勲の一番
横綱白鵬から挙げた唯一の金星
この時の“熱戦譜”
お互いの三段目時代、初土俵が1年先輩である(一歳半)年下の白鵬を番付で追い越していた平成15年初場所、この初対戦に「肩透かし」で勝利した豊ノ島でしたが、二度目の対戦の時はすでに白鵬は大関、豊ノ島は平幕。件の「押し出し」での勝利を含め、3勝31敗。幕内での本割では2勝30敗でした。
しかし
2007年平成19年9月秋場所の十一日目、結びの一番
白鵬がいつものように左で張って右差しを狙ったが踏み込みが良くなかった。一方の豊ノ島は頭を下げて左から入ろうという双差し狙いだったが、立ち合いの踏み込みが両足跳びの形で、当たりの強さが相手に全く伝わらず、決して良い立ち合いとは言えなかった。
白鵬は左外筈(そとはず)、右で相手の胸を押し上げんとするが、豊ノ島は右を覗かせ左にまわって左外筈でおっつける。白鵬は右を抜いて抱える。豊ノ島は右をやや浅く左を深くした双差しに成功。慌てた白鵬が左を巻きかえんとすると、当然腰が伸び上がる。そこを豊ノ島が赤房にやや寄りをみせながら左にまわってすぐさま左から掬い、バランスを崩し泳いだ白鵬が向き直るより早く白鵬の右肩に突っ込んだ豊ノ島が左外筈に右のど輪攻めを併せて一気に押し上げ、反ってこらえる白鵬の腹に自慢の太鼓腹を押しあてると、元より腹の位置が低い豊ノ島の腹が白鵬の腹を下から持ち上げる形になり効果抜群、左筈もグイっと絞りあげ、黒房下に白鵬を押し出した。
差し身の巧さは光るものの、上背で20cm低く、腕の長さにかなり差がある豊ノ島にとって、「自分が白鵬に勝つにはこれしかない!」という理想的、かつ会心の勝ち方でした。
これで白鵬は9勝2敗。
ここまで1敗で並走していた新入幕の豪栄道に優勝争いの先行を許した痛恨の一番だった。
しかし、前場所に21回目の優勝を果たしていた東横綱朝青龍が全休したこの場所でのひとり横綱として土俵を守る白鵬は、翌十二日目から千秋楽まで勝ち続け、13勝2敗、四度目の優勝を飾った。
豊ノ島は、金星の翌日から3連敗したが千秋楽に勝利してなんとか8勝して、初の殊勲賞を受賞しました。
本来だったら今は春巡業の時期で
10年前の千葉国体で相撲の会場だった
木更津市にも巡業が来る予定でした!
その千葉国体の時に高校生だった力士
御嶽海・北勝富士さん・朝乃山・豊山・若隆景さん達が
活躍しているのを見ると素晴らしい青田買いでした!
これからも頑張って下さい♪
温故知新・大相撲カレンダー
4月17日
1868慶應4年4月17日
明治維新となる年、明治天皇が、大阪・巫魔神社にて、江戸から大相撲一行を呼び、天覧相撲を開催しました。
この時の江戸相撲一行の主な力士は、
この翌年に13代横綱免許を受けた強豪大関・鬼面山谷五郎が西の大関に。
そして、
すでに、11代横綱免許を受けて六年、“土俵入りの美しさ”この上なし!と評判の大関不知火光右衛門が東の大関として、当時の最強力士の二人の力のこもった対戦を明治天皇にお見せしたのだそうです。
(この頃はまだ、最強の大関に与えられた名誉称号だった“横綱”は、番付にその呼称はなく、最高位は“大関”。その大関と関脇、小結を『三役』と呼びました。)
「結び三番」は
大関 肥後・不知火 光右衛門 、 阿州・鬼面山 谷五郎
関脇 丸亀・平石 七太夫 、 嶋原・常磐山 小平治
小結 江戸・宮城野 馬五郎、 下野・東関 庄助
これが“結び三番”
まず、東西の小結同士、同じく関脇同士が対戦、最後に大関同士が対戦した。
最後の「結びの一番」に登場するのが「大関」
「大関」は、古くは「関」という呼称だった。
この「関」の由来は、関所の関、“箱根の関”のように、越えるに越えられないもの…ということなのだそうです。
江戸時代に入って、“大”をつけて「大関」となったそうです。
そして、天皇や将軍の御前にて出番を待ち、控えている際に、東西の「大関」の両脇に陣取る力士が「関脇」
結び三番の最初に登場してくるから「小結」と称されました。
ちなみに、この「関」を目指して、関を取りに行くのが、「関取」。
ということなのだそうです。
続 力士・元力士のテレビ出演情報
今日(4/18)の夜、22時~22時50分
BS1 にて、
「 大相撲・伝説の一番の真相」
異例、物言いで大紛糾! 貴ノ花、死に体からの復活の神技。
小さな大横綱の昭和最後の大連勝を止めた禁断技は?
昭和の名勝負十傑にも数えられる「貴ノ花対北の富士戦のかばい手問題」
「千代の富士54連勝ならず!」の衝撃の一番
さらに
今夜18日夜、22時30分~
地上波のテレビ東京
「スポーツウォッチャー」
鳴戸部屋1000日密着!
ヨーロッパ出身力士初の部屋持ち親方となった鳴戸親方=元大関琴欧洲の奮闘ぶりを紹介します。ちょうど三年前の4月に、佐渡ヶ嶽部屋から独立した鳴戸親方。早くも12〜13名の弟子たちを育てています。
力士・元力士のテレビ出演情報
今日(4月18日)、夜、6時半〜8時54分
テレビ東京にて
「タクシー乗り継ぎ旅 5 」
千原ジュニアと一緒に、高野山から伊勢神宮までタクシーを乗り継いで地元の人と触れ合うのは、貴乃花さん。人生初の旅ロケだとか。1学年違いというジュニアと貴乃花、一緒に温泉に浸かって極楽を味わったり、絶品きのこ料理やわさび御飯を食べて至極の楽しい旅。
そんな順調な旅に暗雲、番組ルールである 予算とタクシーメーターの関係で、途中の雪の峠でタクシーを降りる羽目になってしまい さあ大変?
貴乃花さんの人間性が如実に現れる番組 のようです。