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豊昇龍が叔父である朝青龍超えの新大関優勝を狙う 新聞各紙やテレビ報道によると「 昭和以降の新大関優勝 」として双葉山・千代の山・若羽黒・清國・二代栃東・白鵬の名を挙げています。 双葉山は69連勝の最中だった昭和12年4月、11戦全勝で優勝しました。 北の富士さんの師匠でもあった千代の山は、4横綱がいた昭和24年10月秋場所、途中休場した照國や休場中に来日していた大リーグの野球観戦がバレて引責引退となった前田山はさておき、終盤に羽黒山と東富士の両横綱を突き出しで撃破した千代の山。中盤にまだ平幕だった鏡里と力道山に組止められて上手投げで敗れた2敗のみで場所を乗り切り初優勝! 新大関優勝を果たしました。 直近の新大関優勝は白鵬。2006平成18年夏場所、五日目に元大関の雅山に突き落としで敗れましたが六日目から10連勝、14勝1敗で臨んだ優勝決定戦で再び雅山と対戦、寄り切って初優勝・新大関優勝を果たしました。 新聞やテレビ報道にある「昭和以降」から、幕内優勝制度が確立された明治42年以降まで範囲を拡げますと 大正6年5月に新大関となった出羽ノ海部屋の栃木山が9勝1預りで初優勝。翌場所も10戦全勝で連続優勝して横綱へ昇進しました。なんと無敗のまま大関を通過してしまったのでした。 ですから 新大関優勝を果たしたのは、それまでの東西対抗の団体優勝制度から明治42年に個人優勝制度が採用されて以降は、白鵬・二代栃東・清國・若羽黒・千代の山・双葉山に栃木山を加えた7名となります。 豊昇龍は叔父さん越えを、そして白鵬越えの15戦全勝まで期待がかかります。
やっぱり初日の解説が栃東になってるから北の富士さん休みだな。 ちょっと長いから心配だな。 早くダンディーな姿と愉快な解説聞きたいが、とにかく無事復帰を心から祈る。 久し振りに見に来たがKONさんも体調悪かった様だが元気になってよかった。 たまに拝見しにくるが懐かしい仲間が減ってしまったね。 一言の頃が懐かしいわ。
今朝の読売新聞 スポーツ欄の特集「相撲論」にて ちょうど半世紀前の1973昭和48年秋場所 新入幕だった大錦一徹(おおにしき いってつ)にフォーカス。 要約すると 19歳で十両昇進。その場所で十両優勝を果たし場所後に出羽ノ海部屋の名跡四股名である『大錦』を襲名。第26代横綱「大錦卯一郎」を継承したもの。 大錦卯一郎は、大正4年に新入幕で幕内優勝を果たし、翌場所には新小結で準優勝。幕内3場所目には関脇を飛び越えて一気に大関へ昇進した大錦卯一郎。大正6年には。大正時代前半の無敵横綱太刀山峰右衛門を全勝対決で正攻法の一気の寄りで完勝し太刀山を引退に追い込む白星を挙げ、初の幕内最高優勝を全勝で決めると共に、場所後の横綱昇進を決定的にした。大錦の優勝が決定した瞬間の国技館は現在では考えられないほどの大熱狂に包まれ、帯や羽織、座布団に加えて灰皿(現在の灰皿と異なり本当に灰がたっぷり入った深めの鉢)、火鉢、蜜柑などが土俵へ次々に投げ込まれ、興奮のあまり土俵に上がって逆立ちする者、大錦に泣きながら飛び付く者まで現れたと伝わる。それほど太刀山が圧倒的に強かったことを表す逸話だが、太刀山はこれが現役最後の取組となり、横綱の世代交代を象徴する一番となった。大錦は入幕から僅か5場所での横綱昇進となり、現行制度では今後も破られることが無いであろう記録。同じ出羽ノ海部屋の盟友栃木山とともに“出羽ノ海黄金時代”を築きあげ、5年間10場所連続で出羽海部屋に幕内優勝の天皇賜盃をもたらせた。 腰痛や糖尿病で苦しみ、先代大錦(卯一郎)や、同期で“花のニッパチ組”としての出世頭“怪童”北の湖のような大関・横綱への昇進は果たせませんでしたが とにかく新入幕の場所は凄かった。 1973昭和48年秋場所では、立ち合いの変化や当たってからの“居なし”もせず、左前まわしに右おっつけの正攻法の相撲で連戦連勝、九日目で勝ち越し。後半戦では「割り崩し」で三役陣との対戦が組まれ、関脇魁傑や大関貴ノ花、横綱琴櫻まで撃破し、新入幕力士による三賞独占をやってのけた。 令和時代になった今でもこの新入幕力士による“三賞独占”は誰も達成していません。 後年、貴花田と出島・琴光喜の3力士が三賞トリプル受賞していますが、この時は他にも受賞者がいましたので、三賞独占というのは、後にも先にも この大錦一徹関のみ。 現役引退後は、出羽海部屋付きの年寄山科として協会に貢献しました。2018年に65歳定年を期に、協会の再雇用制度を利用することなく、潔く退職して後進の人たちのため、年寄株を明け渡しました。 偉い‼️
私事ですが 昨日、退院しまして、自宅に無事戻りました。13日ぶりの自宅です。 帰宅したら 愛犬ココアがずっとそばに まとわりついて来て腕や手の甲をなめ回してきてます。 この仔犬の為にも、朝の散歩をはじめ、早く元通りの日常生活ができるようにしていきます。 4kgほど体重も減りました。 これからは ①食べ過ぎないように(お腹六分目をマックスとする) ②よく噛んで食べるように (口に食べものを運んだら一度箸を置いて噛むことに専念する) ③(料理が冷めてもいいから=冷めたほうがいいから)ゆっくり食べるように 以上を実践していきます。 ご心配をおかけしました。
北の富士さん退院という事は体調悪そうで引き続き心配なのは変わらないけど一安心したわ。 後は解説に出れるかだけど、無理はしないでほしいね。 この所入院が多くなってるのが心配だけど情報出て来たからそこはよかったけど。 情報ありがとう。
4年ぶりに一般に公開されて行なわれた稽古総見で新小結・錦木(伊勢ノ海)が右ふくらはぎ付近を負傷。ぶつかり稽古後に土俵脇で座り込み、患部を押さえた。その後、足を引きずりながら花道を後にすると「肉離れだと思う。すごく痛い。久々にやるとよくないですね。どうにか治します」と顔をしかめながら言葉を絞り出した。 この日は大関・霧島(陸奥)、関脇・大栄翔(追手風)らと4番の相撲を取り1勝。だが「番数は少ないですけど上の人と良い稽古になった」と語ってはいました。
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豊昇龍が叔父である朝青龍超えの新大関優勝を狙う
新聞各紙やテレビ報道によると「 昭和以降の新大関優勝 」として双葉山・千代の山・若羽黒・清國・二代栃東・白鵬の名を挙げています。
双葉山は69連勝の最中だった昭和12年4月、11戦全勝で優勝しました。
北の富士さんの師匠でもあった千代の山は、4横綱がいた昭和24年10月秋場所、途中休場した照國や休場中に来日していた大リーグの野球観戦がバレて引責引退となった前田山はさておき、終盤に羽黒山と東富士の両横綱を突き出しで撃破した千代の山。中盤にまだ平幕だった鏡里と力道山に組止められて上手投げで敗れた2敗のみで場所を乗り切り初優勝! 新大関優勝を果たしました。
直近の新大関優勝は白鵬。2006平成18年夏場所、五日目に元大関の雅山に突き落としで敗れましたが六日目から10連勝、14勝1敗で臨んだ優勝決定戦で再び雅山と対戦、寄り切って初優勝・新大関優勝を果たしました。
新聞やテレビ報道にある「昭和以降」から、幕内優勝制度が確立された明治42年以降まで範囲を拡げますと
大正6年5月に新大関となった出羽ノ海部屋の栃木山が9勝1預りで初優勝。翌場所も10戦全勝で連続優勝して横綱へ昇進しました。なんと無敗のまま大関を通過してしまったのでした。
ですから
新大関優勝を果たしたのは、それまでの東西対抗の団体優勝制度から明治42年に個人優勝制度が採用されて以降は、白鵬・二代栃東・清國・若羽黒・千代の山・双葉山に栃木山を加えた7名となります。
豊昇龍は叔父さん越えを、そして白鵬越えの15戦全勝まで期待がかかります。
やっぱり初日の解説が栃東になってるから北の富士さん休みだな。
ちょっと長いから心配だな。
早くダンディーな姿と愉快な解説聞きたいが、とにかく無事復帰を心から祈る。
久し振りに見に来たがKONさんも体調悪かった様だが元気になってよかった。
たまに拝見しにくるが懐かしい仲間が減ってしまったね。
一言の頃が懐かしいわ。
アーァ北の富士さん又休みだね 。
残念でたまらない。
退院したのならせめてコラムだけでも書いてほしいんだけと、、、
元気になっておくれ。
頑張れ、頑張れ。
今日の5時から
NHK①ニュースしぶごじ
『相撲部』のコーナーでは
「推し活」と題して秋場所直前の大相撲への盛り上がりを放送します
今朝の読売新聞
スポーツ欄の特集「相撲論」にて
ちょうど半世紀前の1973昭和48年秋場所
新入幕だった大錦一徹(おおにしき いってつ)にフォーカス。
要約すると
19歳で十両昇進。その場所で十両優勝を果たし場所後に出羽ノ海部屋の名跡四股名である『大錦』を襲名。第26代横綱「大錦卯一郎」を継承したもの。
大錦卯一郎は、大正4年に新入幕で幕内優勝を果たし、翌場所には新小結で準優勝。幕内3場所目には関脇を飛び越えて一気に大関へ昇進した大錦卯一郎。大正6年には。大正時代前半の無敵横綱太刀山峰右衛門を全勝対決で正攻法の一気の寄りで完勝し太刀山を引退に追い込む白星を挙げ、初の幕内最高優勝を全勝で決めると共に、場所後の横綱昇進を決定的にした。大錦の優勝が決定した瞬間の国技館は現在では考えられないほどの大熱狂に包まれ、帯や羽織、座布団に加えて灰皿(現在の灰皿と異なり本当に灰がたっぷり入った深めの鉢)、火鉢、蜜柑などが土俵へ次々に投げ込まれ、興奮のあまり土俵に上がって逆立ちする者、大錦に泣きながら飛び付く者まで現れたと伝わる。それほど太刀山が圧倒的に強かったことを表す逸話だが、太刀山はこれが現役最後の取組となり、横綱の世代交代を象徴する一番となった。大錦は入幕から僅か5場所での横綱昇進となり、現行制度では今後も破られることが無いであろう記録。同じ出羽ノ海部屋の盟友栃木山とともに“出羽ノ海黄金時代”を築きあげ、5年間10場所連続で出羽海部屋に幕内優勝の天皇賜盃をもたらせた。
腰痛や糖尿病で苦しみ、先代大錦(卯一郎)や、同期で“花のニッパチ組”としての出世頭“怪童”北の湖のような大関・横綱への昇進は果たせませんでしたが
とにかく新入幕の場所は凄かった。
1973昭和48年秋場所では、立ち合いの変化や当たってからの“居なし”もせず、左前まわしに右おっつけの正攻法の相撲で連戦連勝、九日目で勝ち越し。後半戦では「割り崩し」で三役陣との対戦が組まれ、関脇魁傑や大関貴ノ花、横綱琴櫻まで撃破し、新入幕力士による三賞独占をやってのけた。
令和時代になった今でもこの新入幕力士による“三賞独占”は誰も達成していません。
後年、貴花田と出島・琴光喜の3力士が三賞トリプル受賞していますが、この時は他にも受賞者がいましたので、三賞独占というのは、後にも先にも この大錦一徹関のみ。
現役引退後は、出羽海部屋付きの年寄山科として協会に貢献しました。2018年に65歳定年を期に、協会の再雇用制度を利用することなく、潔く退職して後進の人たちのため、年寄株を明け渡しました。
偉い‼️
私事ですが
昨日、退院しまして、自宅に無事戻りました。13日ぶりの自宅です。
帰宅したら
愛犬ココアがずっとそばに まとわりついて来て腕や手の甲をなめ回してきてます。
この仔犬の為にも、朝の散歩をはじめ、早く元通りの日常生活ができるようにしていきます。
4kgほど体重も減りました。
これからは
①食べ過ぎないように(お腹六分目をマックスとする)
②よく噛んで食べるように
(口に食べものを運んだら一度箸を置いて噛むことに専念する)
③(料理が冷めてもいいから=冷めたほうがいいから)ゆっくり食べるように
以上を実践していきます。
ご心配をおかけしました。
北勝海!!日本一!!
還暦土俵入りで見せた勇姿、まだ30代でしょ(•‿•)
北の富士さん退院という事は体調悪そうで引き続き心配なのは変わらないけど一安心したわ。
後は解説に出れるかだけど、無理はしないでほしいね。
この所入院が多くなってるのが心配だけど情報出て来たからそこはよかったけど。
情報ありがとう。
九月場所も近づくに比例して
相撲関係の番組が増えています!
BSフジの大相撲がっぷり総研と
脳ベルショウスペシャルが
色々と面白かったです!
これからも頑張って下さい♪
4年ぶりに一般に公開されて行なわれた稽古総見で新小結・錦木(伊勢ノ海)が右ふくらはぎ付近を負傷。ぶつかり稽古後に土俵脇で座り込み、患部を押さえた。その後、足を引きずりながら花道を後にすると「肉離れだと思う。すごく痛い。久々にやるとよくないですね。どうにか治します」と顔をしかめながら言葉を絞り出した。
この日は大関・霧島(陸奥)、関脇・大栄翔(追手風)らと4番の相撲を取り1勝。だが「番数は少ないですけど上の人と良い稽古になった」と語ってはいました。