気が付けば 朗朗介護!(1)-「老老介護」ではなく、朗らな介護で生きるために-

厚生労働省がまとめた2013年の国民生活基礎調査によると、介護が必要な65歳以上の高齢者がいる世帯のうち、介護する人も65歳以上である「老老介護」の世帯の割合が51.2%に達したという。

この報道、私にとって他人ごとではない。というのも、脳溢血の後遺症で半身不随、失語症になった母と、かれこれ32年も暮らしているからである。

65歳までまだ11年あるものの、未来予想図はズバリ「気が付けば老老介護」。65歳の息子が85歳の母を車いすに乗せ、スーパーマーケットで買い物をしている・・・。そんな今と変わらない日常生活を、11年後もきっと送っているに違いない。体は言うことを聞かないが、自由で楽天的に生きる母は年々元気になっている気がするのだ。

「介護は楽しそう」なんて思う人はいない。暗くて、つらくて、重い、そんなイメージ。受ける側もする側にも苦悩は尽きないし。する側の些細な言動や行動が受ける側の情緒を不安定にさせてしまうこともしばしば。私自身、なんであんなことを言ったのか、どうしてもう少しやさしくできなかったのか、と自己嫌悪につぶされそうになったことは数えきれない。特に2~30代の頃は何度も経験した。40代になってから「母のために何でもしなければ」という気負いが薄れてきて、気持ちがスーと楽になり、50代の今では、お互いの人生の最後をどう迎えようか、と笑いながら語り合えるようになった。

私の11年後は「老老介護」ではなく、朗朗介護でいきたい。どうせ母の介護しなければならない人生なら、私も母も朗らかに生きることが一番だと思うのだ。

話しは32年前に遡る。

母が脳溢血で倒れたのは、私が高校3年になったばかりの5月。朝食の支度をしていると突然うめき声を発し、意識が薄れていった。その夜、運ばれた病院で医者から「今夜が峠、会わせたい人がいれば連絡を・・・」と、ドラマで聞いたようなセリフを言われ、絶望のどん底に落とされた。母は38歳。大きなイビキを響かせ、深い眠りについていた。

この日から私の介護人生は始まった。

私は病院に泊まり込み、母の世話をすることになった。今では考えられないことだが、32年前はこのような重病の入院患者は、身内または雇った看護人が必ず寝泊まりし、看護にあたっていたのだ。そして、高校3年の男にはまだきつい試練が次々と襲ってくることになる。

母が隣町の総合病院で開頭手術したのは、救急車で運ばれた日から1週間後だった。(続く)

 

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筆者:渋柿
昭和53年、母38歳で脳溢血。一命をとりとめたものの右半身麻痺、失語症に。
私は17歳から介護生活を開始。38年が過ぎた今も、在宅介護が続いている。
平成28年、母76歳、息子の私55歳。老々介護が間もなく訪れる。

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[写:hu album @fliker]

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